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2023-01-08

PS5もういらない

ずっと欲しかったPS5。

何がやりたい訳でもないがPSシリーズはだいたい全部買ってたのでずっと欲しかった。

でも手に入らなかった。

そんな時同僚にSteamを勧めてもらって古いPCテレビモニタにつないでプレイしたら快適で時代の流れを感じた。

ソフトセール狙えば安いし。

我が家にはもうPS5の居場所はない。

さよならプレイステーション。

さよなら目指せ100万台。

AIアンチ自分他人の絵を見て学習してるという意見について

これ何度も目にするけど、AIによる学習人間のそれを一緒にする理由が良く分からない

百歩譲ってAI人権が認められてAIの生成物の著作権AI自身帰属するならまだ分かるんだけども、現状そうではないよね

AI開発者ユーザーも、絵の技術理論も知らないで他人学習成果を用いて利益を出しているだけの第三者に過ぎないでしょ

そういうプログラムが作れるのはすごいことだと思うし研究プロモーションのために他人作品を使うことに対しては何の反感もないけれど、AI開発者AIユーザーを「クリエイター」として扱い、その作品既存絵描きのものと対等に市場供給するのは一線を超えてるでしょ

工学知識を活かした発明利益を上げた人物とその発明を用いる一般人が、数学物理学の基礎研究に対して「あいつらのやっていることはつまらない仕事だし、あいつらに1円も利益還元してやる義理なんかない」なんて言ったらとんでもない話だってひと目で分かるのに、それがクリエイターAI開発者関係になったら突然分からなくなる人がこんなにもたくさんいて少し困惑してる

追記

「絵の技術理論を知ってるかどうかは絵そのもの価値になんの関係もないじゃん」という意見について

あなたは日頃利用する食品交通インフラについても「農学建築学を知ってるかどうかはそれらの価値になんの関係もない」と言って農学建築学研究者への支援に反対するの?

しないでしょ

直接何かを生産する人間だけでなくそ理論技術を構築してきた人々の役割重要だと理解しているか

重ね重ね言うけど、なんでアーティストに対しての話になるとそうではなくなるのか本当に理解できない

AI熱にあてられてみんなちょっとおかしくなってるんじゃないか

追記2】

絵描きの絵のデータ所詮ソシャゲしてるときプレイしてるデータから分析をその企業が集めて別のことに利用してるようなもんだからなあ

嫌ならデータを公開しなければ良い

基礎研究なんてものにはならないでしょ

基礎研究は基礎研究人工知能とかの分野の研究が元なんだから

一般人ソシャゲプレイすることと、クリエイターが長い年月をかけて技術を学び培ってきたことを同じにするのはどういう根拠がある?

嫌ならデータを公開しなければ良いと言われても、公開しなければ収入がなくなるんだから結局AI肯定できないクリエイターは筆を折れという意味でしょ、それは

そもそもソシャゲプレイを含む各個人情報提供者に契約面で利用の可否を問うことが義務付けられているのに、なぜクリエイターはそれに対して無防備である必要があるのか

あと基礎研究あくま工学の支えに当たるものとしての例示であって、クリエイターの作り出した作品AIアートの構築に必要情報であるという意味、それは自明でしょ

どうしてそんなメチャクチャ変な曲解をするのか

追記3】

反論されたい方はせめて議論包括的に把握した上で発言してくれると助かります

まれてきてよかったと思うか?イエス・ノーのアンケート取ったら、半分くらいはノーだと思うわ。

ところで昔、暁の錬金術師ってなまえで重めのロールプレイ込みでブラウザゲーやってたこと思い出した。特に恥ずかしいとは思わないし今でもかっこいいと思ってる。

いや、やっぱ死にたい

スペックが低すぎて自己肯定感を上げられない

結論から言うと、自己肯定感が低く、自分のような程度の低い人間と付き合うと他人時間を奪っている感覚に陥り、知り合った人とも距離を詰められず、現状友達が1人もいない。から寂しくて仕方ない。

よく自己肯定感上げるためには成功体験を積み重ねることとか言われるけど、秀でた所もないギリ健の発達(検査済)なんだよな。

3年前に転職した会社の配属部署がとても多忙かつ厳しいところで、毎日些細なものから大きなものまで多種多様ミスを連発することで上司から疑われ、検査したところ注意多動とのこと。アスペ特性は無し。

教育熱心な両親のおかげで中の下の学歴があり、ギリギリ社会に紛れ込んで、ボロを出しつつなんとかやってこられたが、独身仕事しか自分には無いと思ってるのにその仕事でいい所が見せられないのはかなりキツい。かといって毎日能無しと言われて怒られても今の給料以上のところに再就職できる気もしなくて、退職はできず塞ぎがちになり過去の友人とも疎遠になった。

そんな中趣味としてFPSゲームを始めて、とてもハマったがこちらも全く上手くない。索敵しながら射線管理して味方の場所見て〜みたいなマルチタスクが致命的にできない。1200時間やって、エペゴールド1が限界

でもプレイするのは楽しくて、なんとか友達作りたくてTwitter作って異性同性問わず募集タグからしかけて1回はプレイできるんだけど、2回目に繋がったことがない。

プレイが下手すぎるため不快にさせた

・私の話がおもんなかった

みたいなことを勝手に推測して二の足を踏んでるうちに疎遠に…のパターン

友達が無理なら恋人を作ろうと思いペアーズとかも登録したけどみーんなスペック高いのな。

そら結婚目指す人たちが自分を売り込む場なんだから良いことを書くのは当たり前なんだけど。こんな素晴らしい人達のうちの誰かが罷り間違って私と結婚すると大損させるなとゾッとしてすぐ退会した。

結局自分のことばかりで他人を慮ることができてないことが1番の原因かなと思うけど、自分肯定できる材料がなくて、「ありのまま底辺を受け入れてくれる人」の見つけ方もわからない。

特に推せるポイントもないだけどせめて気軽に話せる友人が欲しい。切実に。

増田友達になってくれない?

社会人エロゲプレイする時間なくね?

長期休みの時に積みエロゲを消化してるけど時間が足りない…このペースだとwin10サポート終了までに間に合わないんだが…。

2023-01-07

anond:20230107162924

太ってるどうのを判断基準にするのってルッキズムですよね

逆の立場からしたら、気を使ってバストサイズとか好きなプレイぐらい言ってくれないなんて残念、レベルの言い分ですよ

スプラトゥーンフェスに思う

下手くそは本当に迷惑からプレイしないで欲しい。下手くそがいるだけでフェス品質作品品格も落ちるんだよゴミどもが!

上手い配信者さんたちも下手くそどもに迷惑してるし、制作だって商売抜きなら、自分の作ったものを遊びきれない下手くそには遊んで欲しくないって言ってるんだよ。

格ゲーだってシューティングだって音ゲーだって全部下手くそが入ってきて、変に下手くそ迎合しようとして衰退してしてるんだからゲーム業界は下手くそ追放運動をするべき。

男がオカズにしているものが「キモイ

男がキモイタイトルAVオカズで抜いてるのが気持ち悪いので

女が「キモイ」って思うわけで

でもソレって男が大好きな「生物として当然」ってやつじゃん

女がその時点で「ステキ」って思ってありとあらゆる男とセックスしまくったら、世の中メチャクチャになる

 

キモイおかずで日常的にオナってる男キモイって思うなっていうのは

もはや人権侵害だと思いますけどねえ

 

現役女子高生凌辱プレイ電車痴漢アナルセックス

 

みたいなのを見てる奴までキモイって思っちゃいけないってこと?

それはないわ。

ゲーミフィケーション量子力学

「これを理解するにはちゃんとした知識がいる」

...みたいな知識マウントをとって優越感に浸るのは簡単っすよねー。

でもさ、知識重要かもしれないけど、実際のタスク問題解決することのほうがもっと重要って分かってる?坊や?

そこで「量子力学上のタスクゲーム化して解いてもらうのは?」というアイデアがあるんすよ。

これは"quantum game"と呼ばれております

以下のリンクでは、実際にquantum gameをプレイすることができ、誰でも着手できます

https://quantumgame.io/

まずは用意されたゲームを一通りプレイすれば、直感的に回路について理解することができちゃうわけよ。

その後で、仮想実験室って機能を使うと、量子力学本質の探求、量子コンピューティングシミュレーション量子暗号直感に反する量子現象の探求、過去実験などを再現することができて有用

こういうゲーミフィケーションによって、例えば大学でより効果的に量子力学について教育ができるんっすけど、実際、オックスフォード大学スタンフォード大学の量子情報コース使用されておりまっす。

ともあれ、興味があれば実際に試してみると結構面白いのでオヌヌメ

anond:20230106235409

風俗エアプか?

素人相手ならいくらそこそこ普通にモテる男でも、真面目なお付き合いを視野に入れてたらせいぜい年に1人くらいしか抱かないもんやろ

それが風俗なら毎日違うタイプの女とやれるんやで

今日巨乳最高記録狙うか、とか、今日はどこまでデブでも射精できるか試すか、とか思いながらいろんな挑戦ができる

プレイだってそう

今日肛門なめてもらおうとか、今日制服着てもらおうとか、今日は一切動かず奉仕してもらおうとか、まともな彼女相手ならとても言い出しにくいことも普通にできる

もちろん美人普通セックスもできる、けど、それは増田なら素人相手でええわな

大金出して女優さん並みの美人とやれる店もあるぞ

増田にはわからんかもしれないけど、一言セックスと言っても、相手によって出来ることできないことあるし、それを一切気にする必要ない風俗はめちゃくちゃ楽しいんやで

から言うと素人相手セックスしかしたことない方が妥協だと思うわ

様々なジャンルプロと対戦できるのが風俗

愛のあるセックス素人相手なら、風俗セックス道や

2023-01-06

DMMウマ娘プリティーダービーが起動できなくなったので解決した

DMMウマ娘プリティーダービーを遊ぼうとしても、エラーダイアログを出さずに起動しなくなる現象に遭遇した。

Windowsイベントビューアーを除くと、こんなログが吐かれていた(各IDは削除)。

=====

ログ名前: Application

ソース: Application Error

日付:

イベント ID: 1000

タスクカテゴリ: アプリケーション クラッシュ イベント

レベル: エラー

キーワード:

ユーザー:

コンピューター:

説明:

障害が発生しているアプリケーション名: umamusume.exeバージョン: 2020.3.24.51085、タイム スタンプ: 0x

障害が発生しているモジュール名: apphelp.dllバージョン: 10.0.22621.963、タイム スタンプ: 0x

例外コード: 0xc0000005

障害オフセット: 0x0000000000002691

障害が発生しているプロセス ID: 0x0x5B2C

障害が発生しているアプリケーションの開始時刻: 0x0x

障害が発生しているアプリケーション パス: D:\DMMGames\Umamusume\umamusume.exe

障害が発生しているモジュール パス: C:\WINDOWS\SYSTEM32\apphelp.dll

レポート ID:

障害が発生しているパッケージの完全な名前:

障害が発生しているパッケージに関連するアプリケーション ID:

イベント XML:

結論から言うと、Windows本体のapphelp.dllが原因でウマ娘が起動できなくなっているという。

アプリケーションに罪は無いため、DMM Game Playerやウマ娘を何度再インストールしても直らない厄介な現象だ。

Windowsは数十万のファイル存在するため、今回のようにWindows Updateやアプリケーションインストールアンインストールを繰り返すだけでシステムファイルが壊れる事がある。

Windowsでは、これを直すためのコマンドコンソールUIのみに用意されている。

1.DISM.exeを叩く

Windowsスタートメニュー右クリックして、コマンドプロンプトまたはターミナル管理者権限で起動する。

そうするとコマンド入力可能になるので、

DISM.exe /Online /Cleanup-image /restorehealth

を実行する。これは、オンライン上にある正しいWindowsシステムイメージを元に、壊れたファイルを修復する操作となる。

実行するとこう表示される。

展開イメージサービス管理ツール

バージョン: 10.0.22621.1

イメージバージョン: 10.0.22621.963

[==========================100.0%==========================] 復元操作は正常に完了しました。

操作は正常に完了しました。

2.システムファイル整合性チェックを行う

DISM.exeを実行すると、正しいWindowsシステムイメージPC内に保存された状態になる。

この状態で、

sfc /scannow

を実行すると、次のように表示される。

システム スキャンを開始しています。これにはしばらく時間がかかります

システム スキャン検証フェーズを開始しています

検証 100% が完了しました。

Windows リソース保護により、破損したファイルが見つかりましたが、それらは正常に修復されました。

オンライン修復の場合、詳細は次の場所にある CBS ログ ファイルに含まれています

windir\ Logs\CBS\CBS.log (たとえば C:\Windows\Logs\CBS\CBS.log)。オフライン修復の場合

詳細は /OFFLOGFILE フラグによって指定したログ ファイルに含まれています

これで、とりあえずWindows自体の修復コマンドによってシステムファイルが正しい状態復元された状態となる。

実行してもまだメモリ上には古いシステムファイルが読み込まれて実行されている状態なので、終わったらPC再起動する。

3.ウマ娘を起動する。

さて、準備は完了だ。ここまでの操作Windows回復DMM Game Playerで「ダウンロード版をプレイ」を押す事でウマ娘が起動し…ない!

おおブッダよ、あなたは今も寝ているのですか!?

イベントビューアーには今もウマ娘を起動しようとする度にアプリケーションクラッシュイベントが追加されている。救いは無いのですか?

結局、今回のケースではPCで常駐していたリモートデスクトップ用のSplashtop StreamerとVirtual Desktop Streamerをタスクキルする事でウマ娘が起動できるようになり、DMMブラックフライデーで得た有償石でおはガチャを回すことに23成功した。

レアケースかも知れないがウマ娘が起動しないはてな民が居たら役立てて欲しい。

大声で技名叫びながら必殺技出したい

年明けの初出勤で負の感情をたくさん背負って帰ってきたので発散したいなと思った

かめはめ波」とか「邪王炎殺黒龍波」とか、あとあんまり読んだことないけど車田正美作品とかみたいなノリで叫びながら必殺技出したい

未就学児のなりきりごっこ遊びくらいの元気いっぱい+アホくささ+ハイテンションなら、この負の感情を勢いで吹き飛ばせんじゃねえかなと思った

なんなら必殺技を食らう側でもいい

「ウワーウワーウワー」ってストリートファイター断末魔みたいなノリで後ろに飛びながら倒れてやる

でも演技することを楽しむエンタメなんてあんまないか

コスプレとかTRPGのロールプレイとかだろうか

大声出すならカラオケとかなんだろうけど、歌いたい欲とはまた違うなあと感じる

新地で入ったばかりの普通美少女にあたった夜

飛田で金曜の夜5時~6時半くらいまで徘徊

いつも見る顔ばかりで、飛田の女は確かにはいいがプレイ淡々としてることが多いのでベテランっぽい人は避けたい。

時間ばかりが過ぎていくから顔が好みの娘か、胸が大きい娘かで決めようと思ってうろついているとめちゃくちゃ可愛くて、また一番重要ポイントとして風俗らしくない、街中をオシャレして歩いているような娘を発見

ちょっと目元がキツい雰囲気だけど全体のバランスがとても整ってる若い女の子

とあるハーフ女性声優に似ているかなと思ったら興奮した。

最初見かけて通り過ぎた時に再度見たら居なくなっていたが、そのあとまたうろうろしていたらまた出てきてくれたので入店

店に入るもかなり大人しくて奥手な感じ。

聞いてみると最近来たばかりとのこと。心の中でガッツポーズ

プレイが始まってもどことなくぎこちない素人っぽさを感じさせ、こちらの気分も高揚。

下の毛もパイパンじゃないのが個人的にはかなりポイント高い。

騎乗から正常位にいく際にダメ元で下触ってよいかと聞いたら少しなら、とのことでしっかり指まで入れさせてもらいました。

いつもはイケない自分の息子も今日ばかりは問題なくフィニッシュ

こんな可愛い普通っぽい子に気持ちいいとか、イクとか、中に出してっ、って言われたらもう気持ちは最高。

過去飛田の中でもたぶん一番満足したかな。少なくともここ5年くらいの中では最高体験

ちなみにおっぱいは大きくはないけど小さくもなく、やや茶色くて大きい乳輪なのがかわいい顔とのアンバランスさでそれもまた良かったです。

忘れたくないための匿名メモでした。

飛田にきたら顔やスタイルで満足できる人ならそれでいいけど個人的にはやはり素人感の高い女を捜す方がいいか

ボクと弱者男性

ストーリー

平凡な田舎村に住む少年のボク。ある日ボクの妹が弱者男性乱暴されているところを目撃してしまう。助ける為に弱者男性と戦うも敗北してしまい、妹は連れ去られてしまった。ボクは弱かった自分を悔いて強くなる為の旅に出かけることになる。

登場人物

ボク(主人公):剣技に優れていて弱者男性を圧倒できるほど強いが、弱者男性との戦闘中に背後から何者かに殴られて敗北する。

ボクの妹:可愛らしい外見をしている。弱者男性を見下しており自分人生イージーモードだと思っている。

ボクの母さん:母性的な性格女性料理が得意。

ボクの父さん:厳格な性格男性家族には優しい一面がある。

ボクの友人達:ボクとは正反対の明るく元気な少年少女達。

弱者男性:ボクと同じ人間であるはずなのに劣等感を抱いている卑屈な性格人物

戦闘システム

弱者男性との戦いでは弱者男性に襲われている女キャラを助けることでイベントが発生し、その女キャラと協力して戦うことになる。その女が産む機械なのかただの友達なのかはその時によって違う。

また戦闘中は常に画面上に「弱者男性」と「女キャラ」が表示されており、ゲームを進めていくと「強者女性」も登場するようになる。

評価主人公が弱いというところに魅力を感じる作品です。

無双シリーズ』や『ロックマンゼロ』『ソウルキャリバーV』などアクションゲームでは主人公の強さが際立つことが多いのですが、この作品はそういったものとは違います

この作品には最初から最後までずっと主人公であるボクが強くなったりしません。それどころか物語が進むごとにどんどん弱くなっていきます。それでもボクは負けずに戦っていきます

主人公の強さにこだわっている人にとっては少し物足りないかもしれませんね。

でもそういうのとは違う面白さがあるので一度プレイしてみることをおすすめします。

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

anond:20230106183424

当時から付き合っててそれはただのプレイだっただけなんだよ

知らなかったのお前だけ

anond:20230106175915

絶賛子育てゲームプレイ中だがポケモンというよりシムピープルみたいな感じ。全然いうこと聞いてくれないし思った通りに育たない。隠れた才能があったらしてびっくりするし奇行に走って病気になったりする。

anond:20230105084726

新生冒険録試してみた

ホントシルバーチョコボ羽根と30万ギルしかもらえなかった

前にやってたあれもこれも早いうちに出しておこうなんて欲張ると、レベルで隠されてるが通常プレイでは隠れていると認識しないコンテンツの開放が面倒

(リテイナーベンチャーとかチョコボとか)

でもまあメインで時間かかるものは全部前提クリアされて自由に使える状態なのでそこに1000円くらい払う感じで

あとこれ該当ストーリークリア済みだから便利に使ってるけど1周目で使うとクソ面白くないと思う

2023-01-05

誰だか分からない増田年賀状ょ慈顔寝田住まい楢川か誰だ(回文

おはようございます

今日から通常業務だわー

もうお正月休み気分も家に帰るまでです!って多分始業式の校長先生挨拶でもありそうなレヴェルで

2日頑張ったらまたお休みという、

とりあえずは

この2日は気力で乗り越えるわ!

スプラトゥーン3のフェスも土日あるけど

あのSF巨匠アーサー・C・クラーク氏の『都市と星』10億年プレイされるゲームサーガ」みがあって

外の世界に気付いてしまった住人のような私的で、

まあ多分ホラ貝ある程度集めて称号が「えいえんの~」になるまでは遊ぶとは思うけど、

あとガチャギア10個セット詰め合わせは引き当てたいわっ!

って結局遊ぶんかーいってなるけど

これ逆にさー

10億年遊べてるゲームってのも凄くないどんな内容よ?って言わば思うけど

まあそれはさておき、

今日年末年始のどっとたまったお仕事こなしてパパッと片付けて終わりたいところね。

年始のご挨拶来て頂く会社もちらほら、

私はこちらの部屋の事務所で片隅で見付からないようにしているんだけど

挨拶面倒くさいからね。

だけどまあ私がいることを分かっている人は私の所にも丁寧にご挨拶してくれて恐縮だわ。

今日はまだ年始1発目なので

いつもより32本遅い電車に乗ってみたけど、

座れるかどうかの瀬戸際で車内混み合っていないレヴェルでこの時間帯でも優雅電車に乗れるのは多分今日までな気がするわ。

昨年の今頃何してたっけ?って

書いた増田を読み返してみるものの、

さっぱり内容が私自身でも分からないので今はもうほとんどあんまり滅多なことでは振り返り増田はしないことにしているわ。

じっくり本当は見返してみたい季節も訪れるんだけど、

たぶんそんなことやってる暇があるなら前進あるのみよ!

ってこと。

あー

うそ

年賀状いただいた分のお返事書いてしまったんだけどピョンピョンとウサギだけにって

多分今年の干支ウサギだって覚えているのも多分7日までだと思うので

それ以降はすっかりみんなウサギの事なんて忘れてしまうし。

でね、

いただいた年賀状お返事書く際に

この人なんのつながりでやり取りしている人だったんだっけ?って

もはや何の誰だかよく分からない人が結構いて、

ましてや会ったことない人たちとかのこう言う年賀状のやり取りはもう惰性中の惰性しかないダサさかも知れないわ。

これって意味あんのかしら?って思いつつ、

私は印刷した面だけで送るのは淋しいので気が効くように何か一筆書いているんだけど、

本当にこの人は何の人だっけ?と思いつつ

昨年の年賀状の返事的なことも書きつつ、

なんか変な1年に1回しかやり取りが進まない通信手段で連絡を取り合っているのよね。

変なのーって我ながら思いながら、

お返事書いていたわ。

まあ万能に使えるコロナ自愛下さい的なことを書いておけば100点的な内容よ。

私なんかこのふと気付いて、

これなんで続けているんだろうって現象名前を付けるなら

SF巨匠アーサー・C・クラーク氏の『都市と星』10億年プレイされるゲームサーガ」の

サーガみがあるわね!ってサーガみって名付けたいわ。

その現象に。

10億年たぶん年賀状やり取りしていてもこの人誰だっけ?って

ふと外界の世界のことに気付く住人の様に

ふと我に返ってこの人もうやり取りしなくても大丈夫なんじゃね?って思うのよね。

そんな多分、

私に送ってきてくれてる年賀状だんだん少なくなってきているこの時代背景の昨今

そうやってサーガみの年賀状に気付いた人多いと思うわ。

だって年賀状配達枚数だって年々少なくなってきているって言うじゃない。

年賀状配達ニュースの出陣式でロボット配達員が

ファミリーレストランの配膳ネコロボットと戦わせたらどっちが速いのかな?

スピード的な意味でって思うけど

多分ロボット大原則の1つである最高速度は決まっているって事項の項目があるから

同程度のスピード争いなのかも知れないわ。

あの遅さは。

映画の『ワイルド・スピード』でドミニクさんもレストランのシーンであまりの配膳ロボットスピードの遅さに激怒するレヴェルだと思うわ。

エコさがマックスかよ!ってね。

そんな中、

そう不思議に思う年賀状にお返事を書いて出して、

また来年その返事が来て

年に1回ずつしかやり取りできなくて全然話が進まないのが続くのよね。

まったく

サーガみがあるわ。

うふふ。


今日朝ご飯

景気付けに元気よく大好きなタマサンドしました。

あとホッツヒーコーね。

牛乳たっぷり入れて大好きなアニメの柄で飲むのは美味しいわっ!

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラーに追いレモンポッカレモンを追加しつつ。

勢い余ってたくさん買ったものの、

さすがにこの寒さではがぶ飲み出来ないわね。

減らなくて悲しー時ーって叫びたいわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

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俺はセックスに至るまでの経緯を見るだけで満足してプレイスキップしてるわ

お前はどこ見てる?

anond:20230105113340

俺もスカトロプレイはそんな感じだった

動画で見てる分にはめちゃくちゃ抜けるんだけどな

シッコを浴びるのは普通に今でもお願いしてるけどうんこはあれ1回だけだったわ

性癖更新されたり最高到達点ができた時の記録

20歳までの性癖の変化

20歳くらいまでは、コロコロ性癖が変わっていた。

  

小公女セーラ巫女⇨陵辱拷問⇨某エロゲキャラフェラみづなれいハーフ外人オナニー配信⇨足の裏コキ⇨高身長セミの鳴き声。

と。

  

この辺りから性癖はあまり変わらなくなって。

ずーっとひたすら、公衆トイレセミガンガン鳴いてる中でフェラをする動画にお世話になっていた。

  

20歳から性癖の変化

一方、20歳からは、二次元卒業し、AV女優を漁るようになった。

小澤マリア希志あいの小倉ゆずみづなれい

とまあ、面食い

だんだん特定女優を探すのすら面倒になって、デビュー作品で良さげな子を漁るとかにシフトして、完全にラーメンの注文みたいになっていった。

  

アナル舐めに性癖破壊された

性癖確信が起こったのは、25歳だ。

そんなまさかなだ。

  

セミの鳴き声⇨女性男性アナル舐める

性癖ジャンプした。

  

アナル舐め道は辛いよ

この、アナル舐めは本当に辛い。

このためだけに風俗を覚えてしまった。性病になるの怖すぎる。

  

明らかに不衛生で、女性負担をかけてしまう。

こんな、最悪なプレイ本当にやばいやろ。

  

行為も最悪であるが、検索も難しい。

そもそも男性女性アナル舐めるのもアナル舐めに引っかかる。xvideosなどでも、rimjob、rimming、rickingなど、様々な検索ワードがある。

しかも、体勢が、うつ伏せが多く、次が壁に手をついて中腰、一番少ないのが女優が寝て男優顔面に座るパターンである

私は、女優が寝て男優顔面に座るパターンが好きだ。このような体勢のパターンごとに名前が欲しいところだが、現状はそうはなっていない。

(ちなみに、耳舐めでも同じくこのような問題に悩まされている、特にASMRみたいな本当に舐めてないやつばかり引っかかるのできつい。そもそも耳舐め自体少ないし)

  

そもそもアブノーマルプレイなので、特定女優で探すのも難しい。

かわいい人気女優で、ハードアナル舐め専門作品に出てくれる人はまず少ないから、風俗ものソープの1つのプレイとしてアナル舐めを探す。

例えば、グラドルから転身で噂になった高橋しょうこサンだが、彼女作品全てを見るわけにはいかない。アナル舐めだけを探すのだ。

探し当てた時は、ものすごくいいオナニーができるが、探すとき砂漠で砂である

ソープもの作品を買っても必ずしもアナルめしていないし、アングルや尺など満足の行くものは少ない。

  

特に、『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせ、っていうJKがむっちゃ痴女ってアナル舐めする作品は年単位でお世話になっている。

もう、増田は34歳である

アナル舐めの極地は『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせで結論出たと思っていた。

  

アナル舐めの最高到達点の更新

しかし、昨晩、それが更新された。

痴女×アナル舐め×ど派手な吸引音!!』の阿部乃みくだ。

酒焼けした美女が出てるなと思った。阿部乃みくは超美人女優だ。

阿部乃みくサンに対する増田の思いについて、少しだけ補足したい。彼女は、アベノミクスからとったという名前自体がほうけてて好きだけど、オタクに優しい。オタクの部屋に派遣されるAVでは、オタクが変なアダルトグッズを持っていてドン引きしてしまい。「あべのは、、、あべのは〜」と戸惑い全開になってしまったのが面白かった。あと、上原亜衣引退作品にも出ていて、上原亜衣を捕まえられなかった男達に代わりにゴスロリ姿の阿部乃みくサンがお相手するのだが、男性のアソコを膣に入れた後に、「寒くない?大丈夫?」と自分下っ腹を手でゴシゴシと磨きだした、かわいい

あっと、ごめんなさい、横道にそれた。

痴女×アナル舐め×ど派手な吸引音!!』であるが、阿部乃みくは白衣のを着ているが、茶道のような畳部屋で、アナル剃毛からはじまるのだが、剃毛に使う石鹸茶道お茶碗で抹茶を立てるように石鹸茶道のあれでかちゃかちゃ混ぜて泡立てる。

この時点でただものではないアナル舐め作品雰囲気を感じた。

剃毛後、阿部乃みくが勢いよく舐めまくる。

うつ伏せから中腰まで。

そして、アングルも最高だ。

増田が好きなアングルとして、中腰男性にベロを突き出し美女が突進し、鼻がお尻につくまで美女の顔がケツに近づく。というのがある。

なんと、阿部乃みくサン、顎まで男優の体と一体化していた。この深さはxvideos海外の本物の変態カップルしかたことがないよ。

フィニッシュはよくわからない医学解説がなされてシャーレに精液が取られて終わりだ。

  

いや〜。5年ぶりぐらいに、アナル舐めの最高到達点が更新されてしまった。

自分はもう『変態アナル舐め中毒痴女』の乙葉ななせ、が死に場所だと思ってたんだけどなあ。

  

補遺

増田は、若い人が羨ましい。

もちろん、160cmのチビ、90kgのデブベジータレベルハゲバキバキ童貞レベル不細工です。

なお、全く努力しなかったわけではなく、年収は1000万円超えているし、東大卒だし、論文も数本書いている。

しかし、増田青春ゼロ彼女いたこと無しで、未婚で終わる気マンマンだ。

風俗キャバクラではウケがいいから、もしかしたら本気出せばモテるのかもしれないが。

セクハラになるリスクもあり女性には声をかけられない。

  

そこは諦めてるから別になんとも思っていないが。

ただ、後世に生まれるほど、性に対して有利なのが羨ましい。

美容医療が発達して女性かわいいVRなんかもできてリアル体験をしているだろう。オナホも年々レベルアップしてる。

ブサメン性癖テクノロジーアシストされまくってる。

今後は、AIを使った新AVや、新VR、知り合った人をAI勝手アイコラしてくれるし、卒アル初恋の子がいたらすぐにAIが裸にする、最近DMMエロ漫画AIが描いたものが大量にあるらしい。

ニッチ性癖AI勝手に大量に作り、AI人間の反応を見て色々作るだろう。

なんなら、そもそも結婚しなきゃなかったはずの子作りもセクサロイドなり人工子宮解決するかもしれないしな。

日本底辺に生まれながら、世界最高の美女卵子子供作れるのかね。

  

とにかく、若い人が羨ましい。

エロゲーやしょぼいネット個人サイト必死ニッチ性癖を探して、ラブホでオナニするのが趣味自分みたいなのって、

未来からすれば、河原エロ本漁ってた昭和と変わんないのかね。

  

追記

セミが謎に人気なので。

おすすめ作品を書いておく。

竹内れい 公衆トイレ

でググってください。JKお散歩からの、公衆トイレ、むせかえるような暑さであることはAVの画面からは伝わらないが、蝉の音が教えてくれます

そう、AVで感じるはずのない「温度」をそこに感じることができる。

これが蝉の音の良さです。

外国人は、セミを見たことないから、蝉の音がわからないらしいです。

我々日本人の特権ですな!

  

>lexieXmarcのバスルームのやつ

というコメントをいただいた。

ありがとう、最高だわこの作品

割愛してしまったが、増田は、シャワーやお風呂物も大好きです。

わかりますよ〜シャワーの水圧、体に浴びながら、必死に性を貪るの、いいですよねえ。

性に対して、必死にならないと、シャワー感覚に流されそうな感覚

  

アナル舐め

おすすめは、乳工房ってエロ同人だ。

かな〜りアナル舐めに拘ってるので、同人抵抗ない人にはおすすめ

  

小公女セーラ

やっぱ、お嬢様気高い心を、辛い環境で守り続けるの尊いですね。

アニメは歌も楽しめる。

「遠い道を歩くとき、歌を歌えば近い」

「挫けたらダメよ」

歌で、哀愁を盛り上げたところで、セーラお嬢様気高い感じ。

大好きだあ、お嬢様あ〜幸薄お嬢様あ〜

  

みづなれい

性癖お化け

目ん玉に精液入れたり、ホームレスおしっこ飲んだり、当然可愛いが。

一番増田性癖に来たのは、生徒会長なのに性処理奴隷にさせられて、机に縛られて、69の男が立ってるバージョンイラマチオ。いじめられてかわいそうなみづなれいサンだけど、心は強いから、常に冷静。絶対折れない心は小公女セーラだね。

あと、無茶苦茶可愛いJKの格好して、円光オヤジ高飛車な態度をとるが、車の駐車場で、円光オヤジが「うんこ食べてよ」といきなり難易度爆上げな要求して笑いそうになるが、「キモい」と睨んでくる作品。結局うんこは食べずにフェラだけだが。

みづなれいは、哀れな女性を演じるが、心に強いものを感じる。その気高さと、性への科学者みたいな追求が好きすぎる。

anond:20230105024945

要はイシュガルドの手前まではプレイしてたから今回は飛ばしたいってことね

インクエでもらえるはずだった莫大な経験値と莫大というほどでもないギル、あとは砂の家転送券とか幻想薬とかもついてこないと思われる

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