はてなキーワード: 徒然草とは
暇というか、時間を消費したい。
BIとか導入が実現したらほんとにどうなるんだろう。
周囲の友人見てると皆実家に資産あってのほほんと生きてるけど、ブコメとかトラバとかは修羅の世界で生きてきたような人多くて、氷河期世代って本当に大変だったんだなと背筋が寒くなるなど(親がギリバブル世代)
ねー。知ってると知ってないとで世界変わりますよね。私も氷河期世代かすってるかもしれませんが、どちらかというとその中でも色々勝ち組なので修羅ってた人の意見とかは理解が難しいところがあります。(親は多分バリバリバブル経験者。20年で年収10倍とかの)
「雇われるのに向いてない人って何の仕事なら向いてるし食べていけるんだろうな」昔は自営業が多かったから、雇われるのに向いてない人はマニュアルに縛られない自営業者を目指してたんだろうけど・・・
ちょっと思ったのは、大学進学率が悪い方に転がったのと、大手のチェーンの普及みたいなのの合わせ技で色々価値観変わったのかなーって。
大学出たからには正社員とかいう謎の固定観念とか。屋台から裸一貫で始める成功例が減ったのとか。自営が大手に阻まれて成功しにくいのとか。
まず生活保護をとって多少の金銭的な余裕を持ってみては。自分の経験だけど金がない状況は思考が凄く狭くなるので。あと増田でもあったが日雇労働はマジでヤバいのでやめた方がいい。
読み取っていただくだけの情報を書けなくてすみません。増田に対するコメなら、増田は金に困ったことはありません。視野は狭いのかもしれませんが。
日雇いも20年前とかは全然(若ければ、適正あれば)悪いものではないとも思いますが。リンクは読んでません。今の派遣の実情とか見てたらヤヴァさは感じます。
ニートである私の好きな人が1ヶ月ちょっとバイトしてたときは、最後ストレスで呼吸がおかしくなっててかわいそうだった。この人を好きでいる限り再生産とは縁がないと思うと悲しい。素敵な人なんだけどなあ。
そこにお金さえあれば、幸せな家庭が築けていたのかと思うと心中お察しします。増田の知人でも主にお金で関係を続けれなかったカップルさんなりなんなりが多数いるので、なんとなくほんとに悲しいことだと思います。
ニート、たとえ成れる条件そろっていたとしても絶対なれないというか向かない。5年くらいならともかく20年もやろうもんなら発狂する
多分、換金できる趣味の延長のお仕事、人の役に立ちたいという思いが強いお方だと察しました。やりたいこと1位がお金に繋がるか、それも並行してやれるのであればよいと思うのですが、なかなかそうはいかない。発狂のげいいん(変換できない)がわからないのでなんともいえませんが。
テクニカル系物書きで収入を得ていた頃は、毎日の日常が情報取込みで薄く仕事をしてたようなもんだが、執筆時間は30時間もなかった気がする
凄く増田に近いです。例えですけど、趣味で映画見つつ、映画評論で収入を得るみたいなことを増田もやってます。
「人と繋がるのにニートだとメンタル強くないと難しい」、これ、風俗嬢など「人に言いづらい仕事」にも共通するかも。仕事の話をしづらいため友人とも会いにくくなり孤立していく……というパターンは多そう。
話は飛ぶんですが、いわゆる夜系の方との接点も多いので、なんとなくわかります。ただ、私の知る限りでは夜系は夜系でも繋がれる可能性が多少はあるのと、完全ニートだと、一度切れたら終わりみたいな違いはあるのかな、とか。根本は一緒なんでしょうけど。
現状抱えてる案件をうまくなんとかできたら、調子に乗って広げていきます。応援ありがとうございます!
私のメンタルはニートに向いてないんだけど、フィジカルは病気でニート以外に向いてないからとても困っている。月に40〜80時間くらい働くことで何とか生きてる。
メンタルの問題がニートでいることが主因でしたら、いろんなニート系と接して、あれよりマシみたいな事例を吸収したら解消する可能性もありますね。
ほんとBIが実現して、やりたいこと、やれることだけで生きていっても後ろ指さされない世界になってほしいです。
世の中は白黒つけられるもんじゃないけど白黒つけたがる人は多いから増田のようにグラデーションを語ったり対応してくれる人は貴重。ほんと、ニート向いてない(褒めてる)
一度お酒飲みに行きたいぐらい、なんか理解してくださってありがたいです。一度上流から外れたらコンプレックス感じながら中流でいるとか、それぞれが妬み、羨みっていうこの地獄のような世界はあと何年続くんでしょうかね……
“会社勤めで働くことに意味なんてない。せいぜい世間体のため。” あなたはそうなんでしょうねというか。言葉遣いも精神性も幼い感じがして。会社員として働くと自然と身につくものが身につかないからなのかな。
言葉遣いはケースバイケースで使い分けられるとかわからないんでしょうか? それでも漏れ出す本質もあるとは思いますが、それを完全に見抜けるタイプの方? 凄いですね。
まあ会社員時代は結構ゆるゆるの職場だったんで(超大企業の下請け)、ガチの言葉遣いとかマナー気にして効率悪くする環境とは違ったと思いますが。
私の知ってる会社員、三桁はいますが、それぞれですよ。自分の基準を定めて、それにはみ出す人間はノーマナーとかいう神経が逆にわからないです。あなたの現状よりも上級の振る舞いが普通だって思ってる人からあなたがしょうもない下品な人間だとか思われてることとか想像できないんでしょうか? それとも最上級の方なんですかねー
いかん、これ以上の毒は吐かないでおこう。
16年間通しのニートだが引きこもりでも完全にコミュニケーションを断つのは辛いよね。SNSやらゲームやら読書や散歩してたら年齢がほぼ倍になってしまったよ。ハッハッハ…
実状ありがとうございます。なんぼでもネットでやれるっちゃやれるんですが、マイナスゾーンの時って、面白い漫画とかゲームの情報を収集することも億劫になったりしますので、そこさえ安定したら日本語対応のコンテンツは多分死ぬまでに絶対消費しきれない。倍といわず、3倍、5倍ぐらい共に生き抜きましょう
まあ普通に、キャンプしたり、ドライブしたり、映画みたり、幅広く色々やってます。凄く個人的な意見で、自分が楽しいと思えたことをオブラートに包んで例に挙げたぐらいで。
うらやまけしからん。毎日ゲームして過ごしたい。あたたかいお部屋、あたたかい風呂、いつでも湯が出る電気ポット。ずーっとおうちでぐだぐだしていたい。まあ、今日も仕事なんだがね。
春が好き。お湯は電気ケトルで沸かしてます。多少の不便の許容も人生においては必要なのかも。
お仕事頑張ってください。
それなのwww
(まじでこういう人、己の客観評価も絶対的能力も把握できてなくて、ある意味幸せでうらやましい。ネタで書いてるコメントならいいのですが)
幸いにして、そこを気にしないでよい環境です。扶養家族いないのに、年間80万ぐらい国民健康保険払ってるのは、モヤりますが。(この辺の詳しいことも書けてませんでしたね。ご心配かけてすみません)
徒然草みたい
つれずれなるままにひぐらし。ようようしろくなりゆく……ぐらいまでしか覚えてませんわ。
本出したけど売れなかった! その分が不労所得なんでしょうね
面倒見てる(元)高校生もニートじゃなかった。今はニートだけど。増田は、無職か引きこもってない引きこもりですね。肩書は会社役員だけど(親族の会社にねじ込んでもらた)
「カネ」俺の場合これだけだよ働く理由は。親の遺産とか不労所得とかが充分にあればどうして働いたりするかね?嫁も全く同じ考え。ド田舎在住だが同地区に元ニートと現ニートがいるので周りの目も気にならぬしな。
そういう人が正直にスタンス表明して、それが完全に受け入れられる社会にしたいです。
わかるのと反論したい半々。ゲームもクールタイムを半年とかおけたら延々続けられるんだけど。ネットで恋愛してる中高生も多いですし昨今。
ほんとに価値観の違いで、私はどちらかというと現実よりですが、ネットだけの関係でもそこらの知り合いより深い仲の人はそこそこいますし、経験してみたら変わるかと。
今の若い層はネットがすごくリアルなので、もしかしたら年配の方なのかもしれないですね。(それこそ、不登校の学生とかは、リアルよりもネットの方が深いですよ)
うちはそこまで太くないからなあ…
太くてすみません。でも、ほんとに色々生きづらいなら公的な援助も調べみてください。使えるものは使いましょう。国家予算からしたら、一人二人の負担なんて微々たるものですから。
十数年間専業主婦やってたときのメンタルに似てるのかも… 結婚するまでまともに働いたことなかったので、歳を重ねるごと焦りと不安でつらかった。なので仕事してると気持ちは楽。
自分自身が認められて、納得できる線がどこかってとこなんでしょうね。それを下げるだけ下げて金銭手金も安定できたら最強なんでしょうけど。ご自身で納得できて負担の少ないラインを探っていってくださいな。
それプラス、労働=必須みたいな風潮ありますからね。ご無理はなさらぬように
バカなのでよくわかりませんでしたが、私の思う(負担)、ノルマとか納期とかに近しいものなんでしょうかね。
親の友達の子供がニートになって数年なんだけど、親に車と楽器買ってもらって、車で練習場所行って、オーケストラやってるらしい(汗)。ニートで人と関わりにいくのすごいよね…
増田さんは色んな人の色んな人生を理解してると思うから相談役のポジションは貴重だと思う。命の相談員とかで、めっちゃ時給高い仕事とかあるのかな。そういうのはボランティアかな。/無給でした。 はてな匿名ダイアリー人生労働仕事
金欲しい……。そういうところが認められて職業として成立したら、世の中良くなるかもしれませんね。ちょっと違うけどヤンキー先生みたいな。
会計はお話しあってください。普通に独身と小遣い制の家庭持ちでも生じる問題。増田は払えるほうが払ったらいいと思う派。いつ自分がおごられれる側に回るかもわかりませんし、会うことだけでその金額以上の価値を感じてるわけですから。
そうそう。だから、増田は、今の負担が大きい仕事より、好きなことを好きなだけやりつつ社会に還元できる仕事的な何かを推奨しております。
“ニートさん達を単なる消費者から生産者に” どんな経済体制であろうと消費者だけでは成り立たないからね…文明を捨てるのに等しい。でもそれは前述の労働する事に意味はないと豪語した自分を否定しているよ。
あほみたいな意味のない仕事は意味がないですね。言葉足らずでした。ひとつ前のレス参照。
やりたいことが金銭の対価として重要ではなく、負担の少ない趣味の延長(趣味範囲内)でみんながハッピーになれればと。
か、家族がかくまってたかでしょうね。昔が原始時代に遡るならあれですけど。
寄生してるお婆さんが何歳まで生きてると思ってるんだw。こういうヤツに限って、親の自分への教育や躾けが悪いとか言い出すんだろw。5年後、10年後にもう一度報告してみな。
でたー!! 読解力ないやつw &自分が叩きたい理想像でしか認識できないやつwww
5年は生存できる。10年後も大丈夫。仮に増田が窮地に陥ってたら日本人の半数以上が終わってるはずですわ。
あんた、10年後に報告して、ちゃんとそこでそれを飲み込んでしょうもない反論なり、さらなる口撃なりできるんかね。とりま、5年後にまだアカウント残ってたら、報告しますわw
増田もネット広告で多少稼げました。他がなかったら全力で行ってたかもですね。おそらくすでに二の矢三の矢は準備してると思いますが、そこが収入源じゃなくなってしまった時のことも視野に入れておいてください。まあ大丈夫でしょうけど。(そこで勝てる人は大体なんでも時代にあった稼ぎ方ができるので)
メンタルの安定してる増田やな。レジリエンスちゅーやつかな、こんないい話をご飯につきあうでもないのに聞かせてもらえるなんて、ありがたいこっちゃで。
生きるか死ぬかとか、生きるか殺すかをガチで経験してますからね。
ご飯ぐらい奢るんで機会あれば飯いきましょ。(レジリエンスってなんだ。からかわれてるのか……)
年金とか老後とかどうなってるんだろうな。自前でやっていける人はいいけど、親がいなくなったら詰む人って増えそうだし社会保障で支えるの大変そう。
増田は年金も老後もまあまあ予測的には大丈夫です。親が居なくなったら詰む人は多くて、そこで社会に出られたらよいのですが、現実はそうでない。極論ですが、安楽死かていのいい姥捨て山かMMTの二択か、BIうまいことやるしかないと思います。そこで自ら人生を閉じる選択って、安楽死システムの導入を怠って苦しみを見てみないふりする怠慢ですし。
ETFはわからんが、NISAははじめてます。あと暗号通貨も買ってる。投資家兼会社役員なのですね。途端に信用度が増しそう。
お金が底を着いたら考え方変わると思う
それがね、あなたの余生を過ごせるぐらいの余裕はあるのです。(地価が下がったり、他の要因が劇的に変化したらわからん)
なので、考え方が変わる予兆はないし(フラグ?)、その時は増田より先に路頭に迷う人が多数だと思います。
先代先々代とかなら実感湧きますが、その前の顔も知らないご先祖様のおかげですからねぇ。
上二代は言い方悪いですが寄生側ですわ。そういう関係を想像できなかったら、そういうコメントになるのも理解できます。
まあ、上二代はそれこそ世間体とか安定重視で、普通に仕事してましたけど、それ以外に少なくない収入ありましたからね。
それを見てたら認識歪みますよ(歪むというのは正しくはなくて、どちらが正常かはわからない。ただ世間一般からはずれるという意味で)
ある意味不幸ですよ。家庭事情で世間一般の認識とは違う価値観をもって幼少期から青年期を過ごすのは。増田は数年前にようやく受け入れましたけどね。
ニートになりかけてる子に面倒をかけてあげてるように、仕事においても関わる人や社会に自分の出来ることを通して何かを与えたいというのが働く意義だと思っている。/寝食している土地にも建物にも税金があり、税金
そこを突き通せば、与えられない仕事とか、代替のきく仕事とかの人が意義を見出せなくなると思うんですよ。究極でいえば、就活中がたくさんいて、運よく採用され、誰でもできる(まあ誰かの役には立つんでしょう)仕事してるときって、人の Permalink | 記事への反応(1) | 03:33
訳あって今高速バスで手持ち無沙汰になってる。
具体的には、イヤホンを家に忘れてしまったので、大好きな音楽を聴いたり動画を見ることができなくて困ってる。
作文は死ぬほど苦手だが、思ったことを書くだけの文学作品に倣って、クリエイティブな暇つぶしでもしようかなと思う。
お金は節約したいし、体力的にも長時間の移動に耐えられるし、使わない手はなかった。
何度も利用すると、高速バス移動にも当たり外れがあることがわかってくる。
バスの設備(USB充電とかWi-Fiとか)であったり、横の席に誰が来るかであったり…ガチャを引いてるみたいで結構楽しい。
ちなみに今日のガチャはそこそこいい感じ。手元にコンセントあるし、横の家族連れのお父さんはすごい静かだし。SR席引けてる。いい年末なりそう。
いい席取れた時の高速バスってかなり得した気分になれるから好き。
逆にハズレ席の時は正直この世の終わりかと思ってしまう。
ハズレの原因って主に横の席に座る人なんだけど、こればっかりは受け入れるしかないからものすごく困る。まさに「ハズレ」って感じ。
イヤホンの音漏れすごい人とか、挙動不審な人とか、そういうのはまだかわいげあるな〜で済ませられる。
けど、どうしても耐えられないのが、苦手な匂いがする人。
香水きつい人とか、体臭がキツい人とか、バスの揺れとかと相まってシンプルに体調が悪くなっちゃう。
ほんとに相性だと思うから、相手に対しては何も思わないんだけど、高速バスの席取り担当神は恨む。おるんか知らんけど。
ちなみに今日の横のお父さんはわかめうどんみたいな匂いがして、好きでも嫌いでもない感じがものすごくよい。さすがSR席。
こういう匂い問題とかも、イヤホンして自分の世界に没入していると気にならなくなったりするもんなんだけど、今日に限っては周りのお客さんを観察してしまうくらいには集中できていない。
あんまりいい趣味とは思わないんだけど、人間観察もぼちぼち楽しいなとは思う。
ウマ娘ずっとやってるお兄さんとか、車内で寝たいんだけど頭のポジが定まらなくて安息の体勢を求め続けてるお兄さんとか、静かな車内に気を遣ってかハンドサインで後ろのお母さんにコンビニで買った商品の受け渡しをお願いするわかめうどんスメルお父さんとか…
それぞれの性格とか普段何してるんだろとか想像してしまって楽しくなっちゃう。
たったこれだけの文章書くだけでも1時間以上かかってるから、意外と暇つぶしには適しているのかも。やるじゃん徒然草。全部は読んだことないけど。
今日これを書いて思ったことは2つ。ものを書く仕事や趣味を持ってる人はすごい。考えたことを形に残すのってすごい労力使うなと思った。未来の兼好法師で賞とか貰わないとやってられない。
【旅行記】
数ヶ月アジアを旅したことがあり、旅の前後に何冊も読んだ。その中から。
深夜特急/沢木耕太郎:ベタだがそれでも外せない。文庫でいうと3巻くらいまでが面白い。
漂蕩の自由/檀一雄:たしか上記の本経由で知った。この人、どうやら人格はかなりアレ。しかし話は味わい深い。メシの描写も良い。
チベット旅行記/河口慧海:読みかけ。坊さん大冒険。RPGかと思うレベルの体験の連続。
いつも旅のなか/角田光代:色んな国での話を少しずつ。次は何が出てくるのかな?とサクマ式ドロップスでも舐めるように気軽に読める。
行かずに死ねるか!/石田ゆうすけ:チャリで何年もかけて世界一周した人の。段々たくましくなっていく。
人生の100のリスト/ロバート・ハリス:好き嫌いが分かれそう。ヒッピー?旅とドラッグとセックスと本が好きなオッサンの旅行記というか半生記というか。
【自己啓発/似非科学/特定の政党の考えを強く押したもの、これら以外】
新書のくくり無し。ここ数年で読んだ比較的カッチリした本の中からおすすめの著者を挙げる。
仏教:魚川祐司
投資:ウィリアム・オニール、マーク・ミネルヴィニ、ジム・ロジャーズ
【エッセイ】
「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」
二つの家族の間を行き来しながら、人間の記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。
ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下のインドで、未婚女性が現地の男性に暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神と排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である。冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田の住民にも刺さるんじゃないかな。
切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。
真面目な話をすると、文学にはいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的な機能の一つとして、その時代で言語化されていないものを文字化するというのがある。だから、文学賞を受賞した作品だからと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ。文章が巧みで、いかにも知的な主人公の知的な悩みを描いた文学だけが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人は古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学は面白い。
理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリートが挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記」第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。
生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情を言語化した先行作品があることで、自分は孤独ではないとわずかな慰めが得られる。
「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベルの図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。
非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇で調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語も必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養が要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。
キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムとエヴァが楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神からの恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪と嫉妬のゆえに、アダムとエヴァを堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!
好きなヒロインは六条御息所。自分の意に反して生霊を飛ばし、他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情をコントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情のエネルギーが強い自分としては大いに共感する。
他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子にそっくりな別の子とはいい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部の評価がすごく高い。
情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られてしまうだけの話で、一人称の視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなたを軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧な反面教師であり、ギャグすれすれだ。
しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。
身体に劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であんな自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道の何が悪い!
ローマ皇帝が自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞と自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代も性別も文化も言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人の視点に立って(歴史)小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。
中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。
技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。
説教臭い頑固おやじのブログ。基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉は語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い。
ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。
最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典的テーマもさることながら、ラストシーンで過去と不在の人物の記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージはプルースト以上に強度があるかもわからない。
これは、インテリのインド系(ベンガル人)移民の第一、第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリスで暮らしていた自分の両親の境遇を勝手に連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的なものだから構わないだろう。
外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。
正直なんでこの時代にラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類に理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的なオチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間の感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。
この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。
一巻から三巻までは、ゲドという人物の自我の確立に始まり、他者を助けることや世界を救う英雄的行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界でいかに生きていくか。これは、老いに直面する男性の物語だ。
そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類の傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。
しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性が女性を、女性が男性を理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。
いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係になっちゃったのかについて掘り下げられることもほとんどない。
そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。
もちろん数値データが必ず必要なわけではないし、数値データがあったところで、それをどう分析するかで結論も操作できることが多い。
ただし、数値データを必要としない場合ってのは、観測方法が成立されていないとか理由がある。
数値データの必要性を、「国民としてのアイデンティティ形成」に限定して書く。
が、この比較は教育では難しい。ある群に「教育的に行うべき」と考えられていることを「あえて行わない」ことが倫理的に許されにくいからだ。
日本の場合、古典教育を行わなかった時期は存在しない。そのため、時代を変えて比較することもできない。あえて行うなら、不登校層などになるかもしれないが、その場合その他の条件が異なりすぎる。その他のフリースクールなどを参照することも考えられるが、これも前提条件が異なりすぎて比較にならないだろう。
参照するなら、他国におけるデータになるだろう。これは探せば存在するかもしれない(以前は行っていたが行わなくなった、あるいは、行っていなかったものが行うようになった、など)。
また、短期間のデータ(古典教育を行う前と行った後でどのように変わったか)も存在するだろうが、短期間で「効果がある」と言えるのかは疑問(短期的には何かしら影響は出るだろうが、長い期間では剥落するかもしれない)
もちろん、その他の「意義」に関しては、各種質問紙調査(などでよければ)であれば、データは玉石混淆で存在している。
もっとしっかりとしたデータを取った方がいいんじゃないか、ということであれば同意する。
義務教育に高等学校も含むということなので確認しておくと、まず、高校に入学した「全員」が必修で受けるのは高校では古文と漢文を合わせて「40時間」くらいだ。仮に1作品に3時間かけるとしても、13本くらいしか触れられない。
古事記、竹取物語、大鏡、源氏物語、平家物語、枕草子、徒然草、奥の細道、論語、史記、唐詩、故事成語類 ぐらいか。この中にも「選択」に回されているものもある。
この40時間は、上記の「まあ存在は知っといてほしいことになってるよね」という古典におおまかに触れる、くらいしかできないだろう。かつてこの国で、どういったものが読まれていたか/書かれていたかについて学ぶ時間を40時間も取るべきではない、と言われたら、「そうですか……」と沈黙するしかないが、「矛盾ってなんで『矛』と『盾』でパラドックスって意味なんだろうな」という国民が大部分を締めるのはちょっと勘弁してもらいたい。ただし、自分もここは「現代語訳」をもっと使ってもいいんじゃないかと思う。ただ、現代語訳使っていいよ、と一度学習指導要領でなったんだが、教科書会社や現場が着いてこなかったんだ……。
で、こういった「古典」を相対化していくのは義務教育(正確には高校教育)の「選択」の役割だろう。これは、全員が受けるわけじゃないんだから、高校生には要求してもいいんじゃないか。一部の、日本文学科などに進んだくらいの人しか古典を相対化できないというのは、これはこれで望ましくないだろう。
市民形成のためには、「国家」がどのような装置なのかを学ぶ機会があることは必要だ。もちろん、それは社会や地歴公民でも学ぶことができるが、ただ書名として「論語」や「古事記」と認識するのと、「ああ、ああいう中身の本が祭り上げられたわけね」とピンとくるのとでは全然違うと思う(これは主観なので、「いや、別に中身知らなくてもよくない?」と言われたら、特に反論はない)
古典という語は曖昧なので、ここでは古代から中世にかけて書かれた文章や詩ということにしておく。したがってここにシオランやユルスナール、ソンタグは含まれない。古典を読んでも日常生活が便利になるわけでも、金が儲けられるようになるわけではない。しかしながら古典を読む意義は大いにある。第一に自国の古典、日本であれば徒然草や源氏物語、を読むことで自分がどのような人間であるかについて理解を深められるからである。第二に格調高い透徹した文体によって、煩わしい時事問題や人間関係をBGMにしてしまうことができる。ただしこれは厄介ごとを完全に蚊帳の外に置くということではなくて、古典を味わうためにこうした出来事を利用してしまうということだ。またイタロ・カルヴィーノが指摘したように古典を読むときはできるだけ注釈書なしに読まなければならない。確かにそれなしで古典を理解することは難しい。しかしそれが古典というものだ。注釈書が原点よりも多くのことを語り得るはずがない。教養を深め人生経験を積んで初めて、若い頃に読んだ古典の見えなかった部分が見えてくるという文句はよく聞かれるもので、原典を何度も人生において読み返してこそ価値があるというものだ。
.
1、2
もろもろの学問分野で、正しく理詰めで真理を探究するための方法についての考察(デカルト、方法序説)
https://www.genpaku.org/dcart01/dcart10j.html
.
これは水です。(David Foster Wallace)
https://j.ktamura.com/archives/this-is-water
.
https://softether.hatenadiary.org/entry/20131125/p1
.
.
.
2
https://softether.hatenadiary.org/entry/20070326/p2
https://esdiscovery.jp/knowledge/japan/tsuredure012.html
https://esdiscovery.jp/knowledge/japan/literature_ja02.html
.
3
自分で思っているより、あなたは頭が良いことを示す13のサイン
https://www.lifehacker.jp/2018/12/18176213_signs_businessinsider.html
.
4
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/45761_39095.html
古文の読解が苦手だった。
赤点は取ったことがないし、センター試験も「これは絶対にありえないだろう」というのを消去法で排除していって残ったのをマークしていたので、それなりの成績は取れたのだけれど、古典の文章を美しいものとして楽しむまでには至らなかった。
だが、数日前からずっと昔に自分が父親の本棚から持って行った、現代語訳付きの「枕草子」を読み始めている。これは積読を崩したかったからでもあるし、図書館から本が届くのが遅れていて、通勤時間に読む本がなくなってしまったからだ。(本当は自分が予約ボタンを押し忘れていたため。図書館は悪くない。)
読み始めると、読み継がれてきたものだけあって結構面白い。「お坊さんはやっぱりイケメンがいいよね」みたいなガールズトークっぽいのもあれば、「閉めなきゃいけないドアを開けっぱなしにするやつマジむかつく!」みたいなあるあるネタもある。清少納言自身のキャラが立っているので、身近に感じられるのだ。
ただ、困ったことがある。長い文章を読んでいると、意味が取り切れなくなることが結構ある。「春はあけぼの」くらいの長さなら、原文→現代語訳の順で何の問題もないのだが、何ページにもわたる長い文章を読むと息切れがしてしまって、現代語訳→原文の順にしないと、原文を楽しめないのだ。
どうしてなのだろう、と考えた時に、次のような理由なのだと気づいた。
高校で習ったはずの知識がすっかり抜け落ちている。「さうざうし」とか「けざやか」といった言葉も調べないと思い出せなかった。
どこで文章が切れるかわからず、ひどいときには語彙が少ないのでどこで単語が切れるかわからない。さらに敬語が現代文と比べてややこしい。
これは英文読解でいうとディスコースマーカーが省略されてるってやつだと思う。清少納言が普段話すようにつづったためか、「ところで」「しかし」などが略され、論理的つながりが文章を読んだだけでははっきりしない。私が普段話すときも、そこまでわかりやすく話しているわけではないけれど。
会話文にいたってはもう何が何だか。原文でも、鍵かっこの前に誰の発話かわかるように、注釈として小さな文字で書いてあるくらいだ。
「狩衣」「衵」なんてことを言われてはっきりとイメージできる人は少ないんじゃないだろうか。そういう見かけ上の問題だけじゃなくて、単純に清少納言が自分の身の回りをつづった雑記的な段の、話の明確なオチというか、何でこんな話をしたのかがよくわからないこともあった。面白い話だけれど、あなたは何が言いたかったの? みたいな。
短い段ならそうでもないが、何行にもわたる文章を読んでいると息切れがして、重要な事実を読み飛ばしてしまう。目が滑り、大意をつかむことも難しい。
【追記】現代文の文学・エッセイではそうした現象はほとんどない。理系なので、ノンフィクションも大丈夫だが、法律関係の文章を読解するのは苦手だ。
とまあ、こうやってまとめていると、「結局はお前がまじめに古文の授業を受けてかなったからだろ」って話になってしまう。じゃあ、何でこれをまとめたのかっていうと、これって、「どうして英語の苦手な人が長文読解が読めないか」という問題と、ほぼ同じ原因がリストアップされているからな気がするのだ。
ついでに言うと、日本語を読むのが苦手な人も、似たような問題があるんじゃないかって思う。そういうわけで、何らかの参考になるかなと思い、記録した次第だ。
ところで、「枕草子」と比べると「徒然草」や「平家物語」のほうが、ずっと読みやすかった。私にとっての最大の問題は、平安時代の宮廷文化に対する理解の浅さにあるようだ。
スペイン語を勉強したらポルトガル語・イタリア語・フランス語・ラテン語あたりの意味もボンヤリわかるようになった
英語の知識だけでわかろうとするのとはかなり精度がちがう たとえば「いつ」の疑問詞はスペイン語だとcuando、イタリア語だとquando、フランス語だとquand こういう基礎文法みたいな部分がかなり似通ってるんで絶対便利 ちょっとでもわかる部分があると結構違ってくる
日本古来の文化ガーとか言いながら係助詞とかを学ぶのは絶対ムダだ
枕草子とか源氏物語、大鏡とか徒然草なんかを多少読むのは全然構わないし、教養として大切だっていうのも頷ける でも古典日本語の動詞活用なんて覚えてどうするんだよ それならスペイン語の前置詞と定冠詞でも覚えたほうがまだしも役立つだろ