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はてなキーワード: 単身赴任とは

2021-02-10

タバコをすい始めたのは15年前冬

大学中退実家で引き込もりついでに

父母叔父叔父総出で単身赴任していて

なんか水浸しになってた台所の衣類の

薄い青色ビニール袋詰めを終えた頃

だったような気がする

タバコをやめたら好き勝手に泣けるのかなとかは現時点では分からない

寝る

2021-02-09

anond:20210209091509

娘が37.1度の微熱と連絡あり。

から?園から?あ、妻からなの?

38度から下がってきたところだから登園に迷うところ。単身赴任中のため近くにいない私は妻にどうするかを聞いた。

自分子供そばにいて迷うから妻に相談した、ならわかるが、近くにいないのになにが「迷うところ」なんだ?妻にどうするのかを聞いてどうすんだ?

何か言いたいならそこで「休ませたら?」「平気じゃない?」とかなんか意見を述べろよ、どうするのか聞いてないで。

返信はない。30分たっても返事がないのでやきもきしていたら・・・・登園時間の直前になって、妻から「どうしたらいいかな?」との返信あり

増田が何にも意見を述べないからどうしたらいいと思う?て聞いてきたんじゃねえの、知らんけど。

そもそも自分ができることがなくて妻の決定を待ってるだけなのにやきもきしてる意味わからん

繰り返しになるが、自分現場で、そこにいない配偶者判断を待ってて動けなくてやきもきしてるならわかるが、その場にいなくてなにもできないくせに30分返事がないからなんなんだ?

このエントリから察するに増田情報伝達能力が低くて妻を怒らせてるのでは。

保育園の登園ライン

子供微熱37.1

娘が37.1度の微熱と連絡あり。38度から下がってきたところだから登園に迷うところ。単身赴任中のため近くにいない私は妻にどうするかを聞いた。返信はない。30分たっても返事がないのでやきもきしていたら・・・・登園時間の直前になって、妻から「どうしたらいいかな?」との返信あり。

微熱からまた熱が上がるかもしれないし、今日はお休みするのが良いと思う」と告げた。

その直後に妻から電話

「もう、保育園に預けて私は仕事場だよ!!今言うんじゃないよ!!」。お怒りである

どうしてそうなった。妻が思っていることをあてるのは難しい。もう死にたい

2021-02-08

anond:20210208161414

まあそうなんだけど出来たら二人(+さらにできれば自分たちの親)で子育てしたいじゃない

自分の親が単身赴任で寂しい思いしてたし、何より一人で子育て何てできる気がしなくてさ(だったら産むなって言われそうだわ)

でもでもだってでごめん。ほんとただの愚痴だわ

聞いてくれてありがとう

2021-02-07

anond:20210207182333

普段はパパがおこるからと多少抑制が聞いているんだからかけたときに困るとしたら、普段はこれよりはいいパパなんだな。

家庭内単身赴任してるような、休日寝てるだけの丸太なパパもいるから。

コロナの子育て、ほんとうにお疲れ様。すいてる本屋か平日の映画館にでもたまには遊びに行けるといいな。

2021-02-01

夫が単身赴任から帰ってくる!

9月から単身赴任中の夫。

3月末まで、場合によっては4月までの予定だった。

3月連休に帰るよ!」とLINEが来ただけだけど、きっと、単身赴任から帰ってくる、という意味だと思う!

嬉しいよーー

2021-01-25

自分で産みたい男の存在無視しないで欲しい

なぜ女だけが妊娠・出産の犠牲になるのか

こういうあたかも男が(パートナーの)女に子供に関する負担全部押し付けてるみたいな言い方、やめろよな

男は負担しようとしてもさせてもらえないんだよ

俺はセクシャリティとして自分が男であることに疑問はないんだが、正直女が羨ましい

何故なら妊娠出産ができるから

うちには二人子供がいるが、こんなに尊い生き物を身籠り、産むという崇高な行為ができる女が羨ましい

これは俺がいくら努力しても絶対に叶わないことだ

「男はいいよね、自分で産むわけじゃないんだから

この言葉がどれだけ俺を傷つけたかわかるか?

願っても産めない男の気持ちわかるか?

もしそれができるのなら毎月の生理妊娠体調不良出産の痛み諸々は喜んで引き受けたいと思ってるのに、「押し付けてる」側だと言われる苦しみがわかるか?

からねーよな

どうせ女の苦しみを甘く見てるとか思ってんだろ



あとやっぱ「赤ちゃんママが好きというのは嘘。父親でも母親と同じように育児できる」とかいうのは嘘だわ

こんなこと言ってるのは育児エアプかよほど特殊環境人間

普通環境ならどう考えても女の方が向いてる

(出にくい人もいるが)母乳が出るという身体アドバンテージも大きいが、何より社会的育児担当者として圧倒的に有利だ

だって子供が産まれ女性に対しては

約1ヶ月の産休に約1年の育休が与えられ、「仕事休みがちになる」という認識が基本だけど

男は「(子供ができたのなら)ますます仕事頑張らないとな!」って言われるんだぜ?

逆ゥーーーーーーーーー!!

子供できたら仕事してる場合じゃないっての!

ひどいとこだと単身赴任させられる場合であるしな

でもって単身赴任先が出世コースときだと

子供できたことだし栄転おめでとう!」みたいな扱いされるしな

逆ゥーーーーーーーーーー!!

育休に関しても女性と同期間の育休がとれる制度があって取得率も女性と同程度の会社ってどんくらいあるんだろうな

少なくとも女性経営層にいる会社よりは少ないんじゃないか

関係ないけどこないだ取引先の小学生の息子と娘がいるシングルマザー社長

従業員が(男のくせに)育休とりたいとか言ってるんだけど困るわーと愚痴られたときはどう反応したもんかこっちが困っちまったぜ


女性特に小さい子供がいる女性なら飲み会なんかのアフターファイブ断っても、まあしょうがないよねとなることが多いけど

男だとそんなの関係いからな

飲み会行くかどうかで評価が変わる会社がクソ?

ハイハイ、そりゃそのとおりですよ

じゃあ今すぐ飲み会出世に一切関わらなくて、男でも時短勤務や一年間の育休とれて、転勤がない安定的家族を養える収入がある仕事、屏風から出してもらえます



特殊な才能もなく、環境に恵まれていない一般人は男が大黒柱を担わなざるをえないのが今の社会だが

大黒柱としての責任が重くなればなるほど家庭から離れていかなければならない矛盾

俺含めこんな状況に苦しんでいる人間はたくさんいるのに

「男に押し付けられている」と女性から理解されない




で、次にお前らは

「でもこんな社会を作ってるのは男でしょ」

と言うんだろ

かに社会を作った「アイツら」の性別は男の割合が多いかもしれない

でもこの社会を作っているのは性別が男の「俺達」ではないんだよ

そこんところちゃんとわかってほしいよ

2021-01-24

美味しい中毒

沢山食べる子どもを見るのはとても幸せことなんだけど、旦那がたまに作る中華料理を食べる時の子ども達のがっつき方がすごい。確かに中国単身赴任の時に趣味研究したという旦那中華料理は美味いんだが、大騒ぎしてた子ども達も旦那がお湯沸かしただけでヨダレ垂らしてて、いざ料理が出てくると目を白黒させながら「うまっ!うまっ!これやばい!とまんない!」とか言いながらおかわりしまくるのよ。「足んなかったら違うの作るか〜」とか波状攻撃かけてくるんだけど、この前旦那が作ったカシューナッツ炒めは子どもも私も食べ過ぎてお腹痛くなって寝込んだからマジでやばいクスリが入ってると思う。このままだと殺されてしまう。

2021-01-08

歳下の姉とセックスしたい人生だった

理想家族

 

40歳 海外単身赴任(死ぬまで)

母 35歳 息子に甘い

17歳 弟に甘い

俺 44歳

妹 15歳 多感な時期 俺に反発しながらも。。?

ウンコしない 抜け毛ない 俺の声かけ無視しない

2020-12-30

anond:20201228161729

私既婚者

相手既婚者。年齢同じ。同じ会社の人だけど海外の子会社駐在員で単身赴任中。初対面。

数ヶ月にわたる長期海外出張先で駐在員が受け入れやらホテルの手配やら手伝ってくれるのだが、独身者は有志で日帰りや週末旅行に出かけてた。その時に出会った。

何回かグループ旅行で一緒になった後、私と相手のみ希望する行先があり、2人だけで旅行することに。行き先は国境を越えるので必然的に泊まり

ただ以前も同室で泊まった事があり違和感は無かった。

個人的には、世代が同じだし生い立ちに共通点があって会話は比較的あったけど、正直好みの顔と体形じゃなかったので、異性として意識はしてなかった。

一泊目はツイン取ったはずなのにダブルだったりとトラブルもありながら何もなく、二日目の夜、二次会の店で2人でボトルを一本空けた後から雲行きが怪しくなって来た。

最初は偶然に体の一部が触れたのがきっかけだと思う。何となく身体の話になり、お互いの夫婦生活の話に。

知り合って間もない人に自分内面を話しちゃってることに興奮し、性的対象として見始めたんだと思う。おそらく相手も。

雰囲気が変わったあとは早々に切り上げた。旧市街レストランから中央駅ちかくのホテルまでの道のりはどちらからともなく手を繋いでいた。ああ、今晩この人とセックスするんだろうなと思った。家族の顔は思い浮かばなかった。

ホテルに着いたらすぐに交わった。

最初はお互い下半身だけ裸で。次にシャワー別々に浴びて全裸で。

相手は脱いでも好みの体じゃなかったけど、不思議嫌悪感はなく、かえって好感を抱いた。

今回はしっかりツインの部屋だったんだけど結局ベッドは1つしか使わなかったのと、朝起きたら部屋のドアの鍵がしっかり閉まってなかったことを発見して焦ったのが印象に残ってる。

出張間中は付き合いたての恋人みたいだった。相手アパートに転がり込んで毎日ヤってた。ホテル不足もありバラけて宿をとってたりしたので周囲に不審に思われることはなかった。

日本家族電話して、その数時間後には平気でハメてたりした。安全日には生中出しもした。

帰国後は、社内ツールweb会議のインビをおくり、自分は個室会議室を予約してイチャイチャ電話会議したこともあったが、仕事環境の変化でそれも難しくなり、時差もあり、3ヶ月ほどでほとんど連絡をしなくなった。

その後相手日本に帰任したが、所属事業所が離れているし、この状況で会うような流れにもなってない。物理的にも時間的にも、距離時間が空いてしまたことで、相手個人に対する男女としての好意は離散してしまったと正直に思う。

けれども、自分不倫してからというもの配偶者とのセックス中に想像するのは、不倫シチュエーションばかり。自分でする時も含め、不倫ネタしかエクスタシーを感じられなくなった。

コメントにぶら下がってる、不倫麻薬、という言葉にひどく共感してこんな長文になってしまった。不倫の罪悪感、背徳感、非日常感、それらがすべて快感を増幅させて脳内快楽閾値オーバーシュートさせたと思う。

アムステルダムコーヒーショップ人生で一度だけ吸った葉っぱもこれ程までまた吸いたいとは思わなかった。仮に機会があっても自制できると感じる。

一方で不倫快感は忘れられないし、また機会が目の前に現れたら快楽に負けてしまう自信がある。

天使のように可愛い息子と娘が寝静まった後、芸能人不倫話題Yahoo!ニュースで見かけると、身体が疼いてしたくなって来てしまうのを止められないのが自己嫌悪だ。

何で書き込んだかというと、自分体験を吐き出したいという衝動に抗えなかったのと、後戻りできるところにいるなら、立ち止まった方がいいと表明したかたから。

一度壊れた身体感覚は戻らない。世の中の忌とされてることは、先人たちが身をもって体験し、倫理的価値観や法に落とし込んできたものなんだなあ、と身をもって感じる。

2020-12-29

共働き子有の夫婦が夫の単身赴任で妻のキャリアが遠のく話

子供養子に出せばすべて解決する話じゃね?

2020-12-26

anond:20201226023551

まじめにやれば見つかるというのは理科系女子は少ないので大抵の場合職場オタサーの姫状態になるし、

男子場合田舎結婚しようとするとオタサーの姫状態になってるから大丈夫って話なんだろうか。

ワイが新入社員のころも希少価値というだけの理由で同期の女子がn割増しでいい女に見えてただろうなと思う。

ワイの地元の話を聞くに、定職に就くのがまず大変だから正社員男性結婚するというのがそもそも難しい。

メーカー勤務の正社員男性は希少価値のある人になるのは間違いないから、ほかの工場本社に転勤になることを許容して、安定した収入のある男性結婚するという選択をする女性もそれなりにいるだろうなとは思った。

まあ、単身赴任とかもあるかもしれんけど。

2020-12-24

東京から父親帰省してくる

自分父親は数年前から地方を離れ、東京単身赴任している。年末年始は決まって帰ってくるがそれ以外まともに向こうから連絡もくれず、交流もない。

長期休みにも一旦家に帰ってくる、しか特に何をする訳でもなく。ただ家で寝転がったり、テレビを観たり。自分としては父親がいない生活が当たり前になっていたので少々ストレスに感じてしまっていた部分もあるのだが。

それでも自分たちが不自由なく暮らせているのは、単身東京毎日働いてくれている父のお陰だ。多少無口でも、何を考えているのか解らなくても、時折理解に苦しむ行動をとる人でも。

自分には出来ない事をやってのけている父を、「尊敬」していた。

しかしこのコロナ蔓延る状況下。自分の中にあった父親への尊敬の念が崩れようとしている

日報道される東京感染者数。帰省自粛、外出自粛への呼びかけ。父親大丈夫だろうかと自分心配していた。

父は過去肺がんを患っている。本人はもう問題はないと言っているが、煙草すらやめられずにいるのにその自信はどこからくるのかと思っていた。こちらがどれだけ禁煙するようほのめかしても大丈夫からと聞いてはくれない。

そして、父親年末年始に向けて家に帰ってくる

こんなに自粛を呼びかけても、こちらがどれだけ心配しても

父親は「俺は大丈夫から」と帰ってくる

何が大丈夫なの

この時期に、新幹線に乗り、人込みの中を歩くのがどれだけ危ないのか解ってないの?

連日自粛をよびかけてる意味理解してないの?

帰ってきて欲しくない訳じゃない。ただただ心配しているだけなのに

貴方は一度ガンを経験しているんだ、今度感染してしまったらどうなるかわからないはずがないよね

なんで「俺は大丈夫」なんて言いきれるの、地方だって感染者出てるんだよ

母親は、「自分ウイルスを持っているんじゃないかと思うと怖くて。年末年始自分の親(祖父)にも会いに行けないのに。なんであの人は気にせず東京から帰ってこれるんだ」と嘆いている

無口で、こっちの意見も聞いてくれない

何を思ってるのか解らない、解らせてくれない

お願いだから、帰ってきて欲しくないなんて思わせないで

2020-12-14

男の産休育休を阻む女性たち

産休取っても家事育児ほとんどしないでウチに居られてもストレスになるからバリバリ外で働いて稼いでくれる方がその時期に共働きをする必要もなくなるし、気持ちも楽になるので、男の産休より、給料アップする仕組みを考えてくれる方がありがたい。(フィフィon twitter

  

これに女性から賛同意見がたくさんついてるの、どういうことなんだろう。男女平等はどうした?

仕事関係の無い事(妻が育児をしている)で給料アップする仕組みって?今まで以上の長時間労働交代勤務単身赴任

若手男性社員の8割以上が育休を希望しているのに取れない現状があるのに、こんなことを言えるの凄いよな。

男性には自分子育てをするという選択をする権利すらないの?

家事はこれまでの実績を見て…だとしたら男性が悪いけど、「産育休を取りたい」という男性育児をしないってなぜ決めつけるんだ?

そんなに信用できない人間子供を作ろうと考える神経もよく分からん

    

これに賛同している女性は、

学生お小遣い稼ぎみたいな気持ち職場に居られても迷惑から働かなくていいよ』とか

パート程度の稼ぎでは家計に貢献出来ないんだから家で家事育児だけしてて』と言われて納得するのかな。

自分人生について、自分意思無視パートナーにコントロールされるってことなんだけど。

男性収入格差があるのは問題じゃなかったのか?

2020-12-13

地方都市はいいぞ(茨城県日立市編)

就職でなんとなく日立市に流れ着いて永住することになりそうな身として、淡々生活感想を書いてみる。

中核市でも農村でもない、日本中に沢山ある人口20万人弱の地方都市の一生活者の記録です。

環境

3年ほど前に建売4LDKを購入。

働き方改革が始まる数年前までは残業して帰る時間に空いている店も少なく、娯楽が少ない環境で、他に使い道もなかったので、20代で新築する夫婦は同期の中で珍しいほうはなかった。

田舎人間は、家を転売可能資産などとは思っていない。

掛け捨てのアパート代よりマシぐらいの気持ちで35年ローンを組む。

マンション…はJR駅の近くに新築分譲マンションが1棟ぐらい出ていたが、駅の近くに何もない街並みなので、価格ほどの魅力は感じなかった。

でも某H社の関係転勤族単身赴任の人も多いので、マンションは主にそういう方に需要があるのだと思う。

客間が在宅勤務の仕事部屋になり、将来の子ども部屋は物置部屋になっている。

もともと私は物を増やす性質で、夫は物持ちが良くあまりものを増やさないので、ほとんど私の荷物占領しているのはいちおう申し訳なく思っている。

アパート暮らしとき電子書籍一択だったのが、紙の本を買えるようになって嬉しい(ほとんど漫画だが)

徒歩5分圏内には、コンビニ24時間営業のチェーン系飲食店が1件。

決して充実はしていないが、孤独を感じるほど何もないわけではないのが良いなあと思っている。

10分歩くと砂浜。

まれ育ったところは海まで2~3時間盆地だったので、移住したての頃はどこまでも続く水平線結構感動した。

今ではすっかり見慣れてしまい、インドア人間なので夏でもいちいち海に行ったりはしないが、それでも晴れの日は通勤中に海が見えるとちょっと爽快な気持ちになる。

オーシャンビューな感じのカフェにもたまに行く。

国道沿いにはスーパーとかホームセンターとかニトリとかチェーン系のファミレスが一通り揃っているので、日常的な買い出しはそこに車で行く。

しかに車がないとかなり不便。

うちは夫婦ともバス通勤なので、車は1台で充分なんだけど、うちも含めて周辺の物件には3~4台の駐車スペースが確保されている。

そのくらい車社会なのだ

私は元々かなり運転に苦手意識があったのだけれど、前職を辞めて1年ほど在宅パート生活をしていた期間があり、時間に余裕があって必要にも迫られていたので、生活に困らない程度には運転できるようになった。

慣れると運転楽しい

あと、夜でも気兼ねなく出かけられるのは、特に女性にとってはかなり大きなメリットなんじゃないかと思っている。

娯楽

市内に娯楽施設らしいものはないが、最近話題公立動物園はなかなか立派なものがあり、子どもが出来たら連れて行ってあげたいと思う。

今にも逃げだしそうなゆるい囲いのカピバラと近距離で触れ合えるのと、珍しいヘビとトカゲがいっぱいいる。

週末何してるかというと、夫はゲームラズパイ開発か資格勉強してるし、私はネット漫画か知り合いのサイト開発などしていて、自宅を謳歌している。

たまには30分ほど海沿いを運転して隣の市のショッピングモール(withシネコン)に行く。

あと、土曜の夜は隔週で、やっぱり30分ほど運転して絵画教室に通っている。

先生が昼は喫茶店マスターをしている気軽な教室で、デッサン楽しいが、半分くらいは先生高校生たちの明るい雑談を聞きに行っている気分。

数年前、インドア人間のくせに、思い立ってSUP(スタンドアップパドルボード)に行ったことがあった。

独身時代に住んでいたアパートの近くに、体験プランをやっているショップがあったのだ

ちょうど今くらいの季節で、めちゃくちゃ寒かった。

そのときは海じゃなく流れが穏やかな川で、インストラクターに促されてボードの上に仰向けに寝そべってみると、川の上に寝ている感じが心地よかった。

川で獲れた(?)という鮭のイクラ載せ放題の昼食と、1日SUP体験合わせて5千円。

かなり満足度の高い体験だったが、当時は趣味に投入する色々な(主に精神的な)リソースが足りていなくて、続けるには至らなかった。

でもまあ、その気になればそういうウォータースポーツができる環境もあるし、釣り好きな人には最高の環境だと思われる。

車に乗れない人や学生は遊ぶところがなくて寂しさを感じるかもしれない。

私はこの町で青春を過ごしておらず、余計なお世話ではあるのだが、そのあたりの寂寥感日立市出身の人気ラノベ作家ヤマグチノボル氏(ゼロの使い魔で有名)の著作からも伺えた。

若くして亡くなった氏の作品には衰退しつつある故郷への愛が込められていて、よそ者の私が後から読んでも、何というか非常にしんみりしてしまものであった。

これも隣のひたちなか市だけど、邦楽好きとしてROCK IN JAPANに気軽に行けるのは最高。

今年はコロナでなくなっちゃったけど。

ネモフィラコキアも良いのだけど、最近は人気で人が多すぎてあまり行っていない。

仕事

ぽんこつプログラマとしてまあまあ楽しく働いている。

某H社様のおかげで市内の同業種求人はいつも需要供給を上回っている印象。

1回辞めた既婚アラサー女の私でも再就職できたし。

通勤バス使ってドアtoドア30分弱。

バス乗車が10分で、公園のカモを数えながら15分ほど歩く。

全部歩いても45分くらいなので、気が向いたら音楽を聴きながら歩いて帰る。

バスは、2005年に廃線になった日立電鉄線路跡をバス専用道路にしたBRTというものが開通して、かなり便利になった。渋滞に巻き込まれないバスは良いものだ。

(ローカル線好きとしては、電鉄に残ってて欲しかった気もするが)

BRTは自動運転試験運行も始まったりしていて、ちょっとクワクしている。

雇用がある町は強いなと思う。私は地元がかなり好きだけど、就きたい仕事の枠が無くて地元を出たので。

正直最初に越してきた頃は、工業都市特有の無機質な景観沿岸部らしい雨風の強さに冷たい印象も受けたのだけど、ここは働くための町なんだと思う。おかげで図書館とか病院とかも新しくて綺麗。

教育

まだ子ももいないので何とも言えないが。

子どもの興味と合致したら将来は茨城大か茨城高専か筑波大に行ってくれたら経済的には嬉しいかな、ぐらいには思っている。

東京に出たとしても、週末気軽に行き来できる距離なのは良い。特急で片道1時間半、高速バスで片道2時間半。

東京(というか上京)に対して北東北民ほどの執着が無さそうだもの

需要全然ないと思うけど、生まれ育った岩手県盛岡市についてもそのうち書きたいと思います

2020-12-10

anond:20201209202741

同じような現象に「地方は素晴らしい!地方子育てを!」と叫ぶ知事

単身赴任、というケースがある。あれ相当問題だと思うんだけどなぜ許されてるんだろう。

2020-12-03

anond:20201203094520

うちの会社場合子供が小さいうちは家族全員で転勤先へ引っ越すのが多いね

中学受験とかすると転校させられないから、それ以降は単身赴任ってのが一般的だわ

2020-11-27

依存心と幼少期の出来事

暑いとか寒いとか退屈だとか、部屋が汚くて不愉快だとか、お腹が空いたとか、そういう原始的欲求

そういう欲求を抱いていることに気づいて、自分で満たすのが苦手なのだと気づいた。


自分の機嫌を取って、常にご機嫌でいること。

重要だと聞いていたけど、話半分に聞いていた。

その言葉がしっくりこなかった理由が、今ようやく分かった。

私は、自分不快環境に置かれていることに鈍い。

不快環境に置かれていることが自分デフォルトであるべきだと思い込んでいる。


理由にはなんとなく思い当たる

子供の頃から、軽いネグレクトを受けていた。

うちは貧乏で、両親は共働きで、父は単身赴任だったので家には母と私だけだった。

母は朝から晩まで働いていたから、怠惰とか怠慢ではなく、単に子供に割けるリソースがなかったのだと思う。

それでも私の置かれた環境は、客観的に見てネグレクトだったと思う。


私の家はゴミ屋敷で、しかも母は私を放任していた。

なので保育園のない日は、床も見えないほどゴミの散乱した部屋で遊び道具を探しながら、ひたすら母の帰宅を待った。

暑いのも寒いのもお腹が空くのも、部屋が汚いのも、退屈なのも、全部母に解決してもらうしかない。

私は母に依存して生きていた。


私の最古の記憶は5歳で、5歳の私は必死に母に縋って生きている。

母は応えられる限りの要望に応えている。

かい家族の絵図だと思う。

でもあの時、母は私に生きるための細々とした知識を教えてくれなかった。


例えば、エアコン操作が分からなかった。

私は母にエアコン付けてとねだる。母はエアコンリモコン黄色ボタンを押しながら、「これくらい自分でやりなさいよ」と言う。

一度、留守番の時にそうしてみたら、部屋が気持ちよくなるはずが逆に息苦しくなった。帰宅した母は驚いてリモコンを見、ダンボウになっていると言った。

ダンボウの何が悪いか分からなかったが、見よう見まねではリモコン操作できないようだった。黄色ボタンの他に、様々な大きさのボタンがあったが、意味は分からずじまい。

母は簡単にそのリモコン操作する。だからきっと操作簡単なんだろう。でも私は理解できなかったし、母が察して教えてくれることもなかった。

そういうものだと思った。母は面倒くさそうに「こんなの自分でできるでしょ」と言うけど、私には何故かできない。でも成長したらできるようになるのかもしれないと思って、ひとまず自分の成長を待つことにした。


それからゴミ分別も分からなかった。生活で出たゴミを母に渡すと、三つ並んだゴミ箱のどれかに放り込んでくれる。何か規則があるらしいけれど、どんな規則か分からなかった。

規則を知るために質問たかもしれない。しかしおそらく、まだ早いからといった感じではぐらかされたのだと思う。教わった記憶がない。

から正しいゴミの捨て方が分からず、いつまでも母を呼びつけてゴミを預けた。これも「いい加減自分でやりなさいよ」と言われた。「でも、どうやって捨てればいいかからない」とある時私は言った(と思う)。すると母は、「そんなの簡単じゃん、こういう燃えないゴミはこの箱!」と言って、三つのゴミ箱のどれかにゴミを放り込んだ。

悲しいことに、どのゴミ箱が燃えないゴミの箱だったか、一瞬では覚えられなかった。しかも、「燃えないゴミ」と「燃えゴミ」の区別も分からなかった。でも多分幼い私はそういう新たな疑問を咄嗟言葉にできなかったし、母は苛立っていたから、質問をやめた、ような気がする。


とにかく耐えれば済む話だった。不快さに耐えて、母に依存し、時に嫌味を言われながらも、「いつか規則理解できる日」が来れば、自分で何でも解決できるようになるはずだった。

しかし、そんな日は来なかった。規則常識は生きていれば自然と肌を通じて浸透するものではなく、どこかでルールとして誰かに教わらなければならないらしかった。

ところが、私の周りにはそうしたルールを親身に教えてくれる人はいなかったので、私はずっとルールを知らず、知らないのを誤魔化しながら生きていたのだった。


なぜこんな話を書いたのか。それはたぶん、ついにその生き方限界を感じ始めたからだ。


きっかけは今取り組んでいる卒論である

今まで人に質問する習慣がなかった私は、大抵の疑問をネット検索して解決してきた。

ところが卒論の書き方なんてネット上に解説されてない。

初めての事態に、私はフリーズした。

文字通りのフリーズで、頭が全く働かなくなった。

空っぽの鍋の底をお玉で何度も引っ掻くように、全く手応えのない脳内に答えを求め続けた。


そうして前のゼミから全く進捗のない週を何度も経験し、自分が情けなくて何度もゼミを欠席した。

すると教授院生さんが私の異変に気づいたのか、どんな些細なことでも質問してくれていいと言ってくださったり、私がやるべきことについて詳しく説明してくださるようになった。

正直、手取り足取り教わるというのは初めてだった。

しかちゃんと手順を教わると、あれ程上手く進められなかった作業ちゃんと進むのだ。

この世はそんなに簡単でいいのか、と思った。


でも、家に帰って一人になると途端にやる気が出なくなる。

私が私のためにできることなんてないような気がする。

お腹が空いても、部屋が寒くても、部屋が汚くても、私にはどうすることもできないから耐えるしかない。

毛布にくるまりながら、あのドアが開くのを待つしかない。

そういうどうしようもない気持ちになって、どうしようもない現実を耐えて過ごすだけの人間になる。


正直この状態になると全くダメで、特に卒論作業が上手くいった日ほど大きなギャップを感じ、次の日以降の作業に身が入らなくなる。

さすがにこのままではまずいので、家にいる時の底なし無力感について考えたところ、幼少期の経験に行き当たった。


質問してもちゃんと答えてもらえなかったり、理解できるようには教えてもらえなかったこと。

教わらなくても理解しているのが当たり前で、理解していない自分人一倍出来が悪いと思ってしまたこと。

自分のやることは間違いだらけなので、自分で考えて行動するなど以ての外だと思っていたこと。

自分自分欲求を満たすような行動を勝手に起こしてはいけないと思ってしまっていたこと。


幼少期の経験から、おそらくこうした思い込みが私の中に芽生え、私をずっと規定し続けてきた。

それがセルフネグレクトや自信喪失に繋がっていたのだと思う。

母と私の関係も、悪くいえば母が私を依存させるよう仕向けるようなものだったと思う。

ただ、自覚してしまえばもう大丈夫な気がする。


卒論によって、私は生まれて初めて誰かに質問したり、頼ったりしなければいけない状況に追い込まれた。

でもそれが結果として、私に質問する習慣を与えてくれた。

人に分からないことを聞き、相手時間をいただいて教えてもらうというのは、こんなに有意義価値あるものかと知ることができた。

人生、どこでどんな発見を得られるか分からないと思う。

本当はくだらない人生だと思ってたし、自殺するために飛行機距離ほど離れた大学に進学したけれど、卒論を書くほどまで生きていたのは結果的に良かったのかもしれない。


結局とりとめのない文になった。

でも、私と似た境遇の人に読んでもらえれば嬉しい。

2020-11-24

専業主婦だったら旦那育児サポート役でしょうがないのか

私の母親世代夫婦正社員共働きでも、母親子供学校行事等のために会社休み三者懇談父親ではなく母親が参加するのが当たり前

たいてい父親の方が年収が高いので、母親育児全面的に担うことで父親仕事に専念できる。育児仕事に支障を来さないので出世もできる

令和の時代母親単身赴任して、父親ワンオペ育児という家庭もでてきた。専業主夫も当たり前。なんらおかしいことはない。

でもでも、そんな価値観はごく一部でまだ母親がメインで育児をして、父親育児サポート役という家庭はたくさんある。

うちなんて私が専業主婦をやっているものから育児のメインは私であり夫は子供の寝かしつけや歯みがきを当然のように拒否する

え?なんで当事者意識がないの?

父親なのにどうしてこどもの歯磨きをしないという選択肢があるの?

不思議

旦那子供歯磨きをしないまま寝てしまっても全然へいき

専業主婦だったら父親子育てサポート役になることが許されるのか?父親なんだからサポートではなく子育ての中心となり母親とてをとりやって育児していくんじゃないの?

あれ? どうやったら母親父親が同じくらい育児するの?

とはいえ専業主婦からしょうがないのか???という気持ちがわいてくる。私がフルタイムで働いたらだんなと同じ立場になるので今までよりギャンギャン育児しろといいことができるが、たぶん変わらないんだろうなーだったら私はフルタイムではなくパートで小遣い稼ぎ程度に働くのが平等せいがあっていいのか?だってフルタイムで働いてるのに旦那が私とおなじくらい育児しないという選択肢をとったら私のメンタルがぼこぼこにやられるから。だったら最初から仕事セーブして逃げ道を作るか

の子供たちが大きくなったら、こんな思いしてほしくない。母親父親もぉなじのように育児してほしい

そう思いつつも旧時代的な価値観から逃れ られない

2020-11-23

結婚記念日に妻への贈り物のアイデアがほしい

ちょっとイレギュラー事態で何がいいかなやんでいます

状況

 *自分の赴任先にくる予定で家を引き払ったところでコロナ渡航できず一時的実家に戻ったまんま

アイデアください

もともとはこっちの赴任先で結婚記念日は美味しいものでも食べるかくらいに思ってたんだけど

上記のように離れ離れなのでそれは叶わず

じゃあお花とか手紙でも送ろうかなとも思ったんだけど奥さん実家だし、実家花束とか送ってもなあと。

手紙もお義父さんお義母さんの目にふれるんのもなんかバツが悪いなーと。

(そんなこといちいち恥ずかしがらず送ればいいじゃんという気もしつつ)

ならちょっといいお菓子とか、なんかちょっとしたプレゼントでも送ってみようかとおもいつつも

何がいいのか全然アイデアがでてきません。

2020-11-20

anond:20201120113145

いや夫がいくら優しくしてもだめだよ~。

単身赴任も、それはそれでいいだろうが、それで孤独になったらダメだよ。

 

夫が単身赴任して、それを心配した実家のお母さんが結構来てくれる。

夫がいないか友達が平気で泊まれる。

これだ!

ムラ社会ならではのご近所育児がヒトの最適。それができないのが都市母親の辛さだ

2020-11-19

みかんコーヒーとオトンの初恋有村架純

「みさちゃんさ、みかん食べる?」

寒い寒いと言いながら、三時のおやつでも食べようかとリビングに降りてきた私に、キッチンから父がボソッと声をかけた。

「いや、みかんはいらん。寒い暖房つけよう」

エアコンなら、母さんが業者呼んで清掃してからじゃなきゃ使わん言ってたから、つけたら怒られるぞ」

はぁ?という顔をしている私に、いらんといったのが聞こえなかったのか、みかんを手渡しながら父が言う。

「なんで寒くなる前にやっとかんかったんだって話よな。そんなこと言ったら、怒られるから絶対言わんけど」

からからと笑う父。手に持つマグカップには湯気の立つコーヒーテーブルに目をやると、みかんの皮が散乱している。

(この人……コーヒー飲みながらみかん食ってるんか)

ソファの背もたれにかかっていたひざ掛けを腰に巻いて、リビングテーブルにつく。渡されたみかんを揉みながら、

わたしコーヒー

頼むより先に父はグラインダーに豆を入れていた。ブィーンという無機質な音が部屋に響く。

「みさちゃん、昨日の夜酔っぱらって、そこまで聞けんかったけど。この後どうすんの。そこらへん、母さんとは話したんか?」

「うーん」

どうしたものかと私は少し考えた。昨夜、久々に帰省した私のために、自宅ではささやか歓迎会が催された(とはいっても少し豪華な寿司の出前をとったくらいだが)。食事を終えて、家族三人テレビを見ながらダラダラとお酒を飲んでいたのだが、父は早々かつ静かにリビングソファに沈んだ。腹に猫を乗せて、スマホバイブほどの小さな音量でいびきをかきながら寝る父をそのままに、母とは今後の話をある程度した。正味時間ほどかかったその話を、今父にするにはまだ話をまとめ切れていない。母からは同姓として理解は得られても、父にはこの冗長な割に何も決まっていない私の現状を伝えても、ただ心配を駆り立てるだけではと不安になったのだ。

「まぁ暫くは休むよ。貯金もあるし。今はまだ動けん気がするし、何より少し疲れたわ」

みかんの皮をむきながら、はぐらかすようにそう答えると、コーヒーを入れる父の手に視線を移した。暫く見ない間にまた年季が入ったなぁと、ふとそんなことを考えた。


ここ数年、私(輝く三十代独身)はアメリカ西海岸の小さな広告代理店仕事をしていた。小資本飲食店小売店なんかがメイン顧客だったので、今回のコロナによる各種制限後はほどんと仕事がなく、一部制限解除後もほとんどの店はコマーシャルを打つ余力はなかった。片手間に作っていた無料情報誌なんかは、コロナ対策コラム等を差し込みつつほそぼそと発行を続けていたけれど、いつしかそれも限界に。結果、私はあえなく「状況が良くなったらまた声をかけるから、必ず戻ってきて」とお決まりコメントと共にレイオフの網にかかったのである。こんな状況ですら私を限界まで雇い続けてくれた会社には感謝しかないが。

解雇後「とりあえず一旦リセットだな」と考えた私は、実家に帰ることにした。異性関係は、現地で交際していた男性と二年ほど前に別れた後はパッタリだったし、行きつけのチャイニーズレストランコロナで潰れたので、かの地に私を繋ぎ止めるものはもう何もなかった。大卒から今までずっと海外でもがいてきたこともあり、このひっくり返った世界を口実に、このタイミング実家ゴロゴロしてやろうと、そういうことであるしかし状況が状況なので、帰国決断した後も、やれ渡航制限だ、やれチケットの予約だと色んなことがうまく繋がらず、なかなか出国することができなかった。ようやく帰国の日取りが決まったころ、

「帰るで」

ポッと送ったLINEに、

「車で迎え行く!楽しみ!おめかししてく!」

還暦も半分過ぎた母はノリノリで返信したにも関わらず、当日派手に寝坊した。私が期待していた、到着ロビーでの感動の再会(BGM青春の輝き/The carpenters)は叶わず。実に四年ぶりの帰国はなんとも味気のなく、一人公共交通機関でと相成ったのである


「あれな、『コロナだし、やっぱ行かん方がいいと思って』って言い訳しとった」

私の分のコーヒーを手渡しながら、けらけらと父は笑った。

「ほんと昔から適当な人。あんなんと結婚した意味分からん初恋の人とか言わんでよ?」

私が次のみかんに手を伸ばしながら言うと、

初恋かぁ……」

ギリギリ聞き取れるくらいの声でボソッと言った後、父は一人モジモジしながら下を向いた。思えば父と母がイギリス出会ったという話は聞いたことがあるが、初恋話となると聞いたことがない。恐らくこの人の初恋は母とは別の人と思うが、どうせ時間もあるし、掘れば面白い話が聞けるかも知れないと思った私は、

「そしたら、父さんの初恋っていつよ?」

別に話したくなければいいですよ、ええ。と二個目のみかんの皮をむきながら、興味なさげに聞いてみた。暫く返答がないので視線を上げると、相変わらずモジモジしながら、父は照れくさそうに顔を上げた。

「お墓に持っていくほどのものでもないし、話してもいいか。母さんには内緒だぞ?」

言うと父はテーブルの上のみかんの皮をまとめてゴミ箱に入れると、ゆっくりと向かいの席に着いた。

(結局話したいんでしょうに……)

いかけた一言を飲み込んで、コーヒーをすする。


「みさちゃん墓参りの時に行った叔父さんの家、まぁあれは父さんの実家でもあるわけだけど、裏手に階段あったやろ。急なやつ。あそこを登ると昔図書館があったんよ。市立だか県立だか忘れたけど、そこそこ立派なやつがね。父さんは大学受験勉強毎日そこでしてたんだ。家だと兄弟たちがうるさいから」

父の実家西日本の某所。坂の多い海辺の町だった。遠方であることもあり、私は小学校高学年の時に祖父母墓参りに行ったのが最後、以来そこには行っていない。

「そこの自習室がさ、海に向かって大きな窓があって。部屋にストーブがあったけど、やっぱり窓が大きかったせいかな。冬場はすごい寒かった。でもそのおかげで利用者が少なくてね。少し寒いくらいの方が頭も冴えるし、父さんはそこを好んで使ったんだ。あともう一つ、別の理由もあったんだけど」

父はそわそわと立ち上がると、コーヒーのおかわりだろうか、電気ケトルに水を入れて沸かし始めた。ケトルがお湯を沸かし始める音が、私の想像の中の自習室ストーブの音と重なる。父はそのままケトルのそばから離れず、窓の外に目をやりながら続けた。

「父さんともう一人、その自習室を使う女の子がいたんだ。とても綺麗な、束ねた長い髪が印象的な子だったよ」

突如文学的表現をし始めた父をみて(これはキモイな……)と思った。初恋話を聞くのにある程度の覚悟はしていたものの、父の口から語られるそれは、なんとも中途半端恋愛小説のようで、

(これは、脳内キレイどころの女優さんでもキャスティングして、程よく補完しながらでないと聞くに堪えないな)

そんなことを考えながら、みかんを口に放り込んで聞いた。

「それが初恋の人?思ったよりチープな感じ」

今にも鼻くそを掘り出さんばかりの口調で茶々を入れると、

最後まで聞けよ。みさちゃんが聞いたんだし、父さんにとっては大切な青春の1ページだぞっ!」

父はムッとした表情で言った。

(だぞっ!って……昭和アイドルかよ)

「隣の高校女の子だったんだ。同じく受験生だった。頭のいい子でね。その部屋で一緒になった最初の数回は会話がなかったんだけど、ある時勇気を出して話かけたんだ。『どこの大学を目指してるんですか』ってね」

「ほうほう。で?」

謎のドヤ顔スルーして相槌をうつ

「目指してる大学が一緒だったんだ。まぁ、彼女は余裕の合格圏内。父さんは相当な努力を要するくらいの差はあったけれどね。彼女英語系の学部に進みたいと言っていた。将来は海外に行きたいと。当時ボーっと生きていた父さんと違って、明確な夢を持っていた彼女はとても輝いていてね。ほら、男って単純だから、一発で惚れちゃったんだ。同じ大学を目指す二人。一緒に勉強する自習室。これは、もう、そういうことだろうってね」

馬鹿なのではなかろうか」

「いや、馬鹿でなくて!」

父は鼻息荒く私を遮り、

「たしか最初一方的ものだったさ。けれど、一緒に勉強……というかほぼ父さんが教わるだけだったけれど、毎日のように、約束して、同じ時間を過ごして、そういう感じになったんだ。『一緒に合格しようね』とか『一人暮らしする時は、近くに住もう』とか、これはっ!もうっ!そういうことでしょうがっ!」

若干の金八先生口調になりながらまくし立てた。

彼女の教え方が本当にうまいもんだからギリギリの成績だった父さんも合格圏内に入るくらいになったんだ。夢の大学生活は目の前だった。ある雪の積もった日、勉強を教えてくれたお礼に、図書館の近くでラーメンを奢ったんだ。温かいものでも食べようってね。その帰り道、初めて手を繋いだんだ。女の子と手を繋いだのは、その時が初めてだ。さっき食べたラーメンが胃から飛び出そうだった。家まで送ると言ったんだけど、ここまででいいと。途中で分かれたんだ。次の日も、いつも通り会えると思った。でもなぁ……」

突然、演技派女優のようにうなだれる父。いや、でもこれは結構シリアスな展開なのでは。私は我慢できず、恐らく一番ビンビンに立っていたフラグを掴むと、

「……し……死んだとか?その才色兼備さんは……事故に遭ったとかで……」

ゴクリと唾を飲みながら聞いた。少しの間、静寂がリビングを包む。父は顔を上げると、

「あっ、忘れてた」

と言って、電気ケトルスイッチを入れ直した。ズッコケる私を一瞥しながら続ける。

「いや、死んでない」

「おい」

「死んでないんだけど、消えた」

は?という私の顔に腕を組みながらうんうんと頷くと父。

「次の日から、もう試験も近いのにパッタリと来なくなった。いなくなって三日後くらいかな、その子高校に行ったんだ。名前は知っていたけれど、家は知らなかったし、当時は携帯なんてないからな。それしか方法がなかった。今ほど個人情報にうるさくないからな、聞いたらサラッと教えてくれたよ」

ケトルからサーっとお湯の沸く音がする。部屋が寒いからか、注ぎ口から湯気が濃く立ち上る。

夜逃げしたらしい。母親がいない家庭で、親父さんがあまり真面目な人じゃなかったようでな。突然いなくなったってことだった。仕事で失敗したんだか、博打なのか知らんが……。家の前にも行ったんだけどな。バラック小屋ってわかるかな?そこまで酷くはないけれども、それに近いような、貧相な家だった。当然、明かりもついてないし、扉を叩いても誰も出てこなかった。家の前には、彼女図書館まで来るのに使っていた、見覚えのある自転車がそのまま置き去りにされてたよ」

そこまで言い切ると、父は黙りこくった。そのまま暫く何も言わず、再び沸騰したケトルのお湯でコーヒーを入れ始める。

大学は……大学はどうなったん?」

私は恐る恐る聞いた。父はいつの間に私のコーヒーが空になっているのに気付いたのだろうか。二人分入れていたコーヒーの片方を私に差し出しながら、

「父さんは合格したよ?」

知ってるだろ?と言わんばかりのとぼけた顔で答えた。

「いや、父さんでなくて、才色兼備さんは?合格発表で奇跡の再会をしたとか」

興奮する私とは対照的に、父は再び、一人冷静にモノローグに入る。

あの日合格発表の日。始発で発表を見に行ったよ。大学は遠かったからな。張り出された番号より先にまず彼女を探した。どこにもいなかった。一通り探した後、掲示板を見た。自分受験番号があった。でも全く喜ぶことができず、父さん、そこでずっと立ってた」

ヤバイ、泣きそうだ)

目の前でセンチメンタルに語られるオジさんのモノローグに、不覚にも目頭が熱くなる。

「当然彼女の番号はおろか、受験たかどうかさえ知らないからね。その日は大学の門が閉まるまでそこにいたよ。掲示板は何日張り出されてたんだっけな、もう覚えてないけど、もしかしたら今日これなかっただけで、明日見に来るのかも知れない。そう思った父さんはなけなしの金をはたいて近くの民宿に泊まって、翌日も一日中待ってたんだ」

「……でも、来なかったんでしょ」

ティッシュで目頭を押さえながら私が聞く。指先についたみかんの酸が目に染みる。

「うん。来なかった。そして大学に入ってからも、彼女の姿を見ることはなかった」

自分の話なのに、ウルウルとなく娘にもらい泣きでもしたのだろうか。ズビッと鼻を一度ならすと、

「きっと、受験できなかったんだなぁ。だって受験してたら、彼女なら絶対受かってるものあんなに行きたがってた大学だったんだから

父はしみじみそういうとコーヒーをスッとすすり、一つ残ったみかんを、テーブルの上のカゴから取り出した。


(なんて切ない話だ……)

還暦もとうに過ぎたオジサンコイバナに、悔しいけれど胸を打たれた私は、鼻水をかみながら劇場を退席しようとした。脳内有村架純あたりを勝手キャスティングしていた才色兼備不憫さも去ることながら、そこにいない初恋の人を必死に探す父の哀れさを思うと、今はすっかり禿げ上がった父にも、そこそこかっこいい俳優キャスティングしてやらねば。そう思いながら、ソファ眠る猫を抱えて二階に上がろうとした。その時。

「でも、この話には続きがあってな」

ニヤニヤとしたり顔で笑いながら、父は私を引き止めるように言った。

「父さん結婚前にイギリス単身赴任したことあるって言ったろ。そこで彼女と再会したんだ」

「えぇ!?嘘!そんな偶然ってあるの!?

私は慌てて猫をソファに戻すと、前のめりになりながら席に戻った。と同時に私は焦った。父と母はイギリス出会ったという話を思い出したからだ。そうすると、有村架純キャスティングした才色兼備の役を再考しなければならない。あの母親は……明らかな才色不備だ。

「ま……まさか……よくある話で、その女性って……」

「あ、母さんじゃないぞ」

私の焦りを察したのか、落ち着かせるように父は釘をさした。

日本人駐在員が集まるパブがあってな。仕事終わりにそこで飲んでいたら、隣に二人組の日本人女性が来たんだ。その片方が彼女だった。一目でわかったよ。向こうもそうだったと思う。『もしかして、○○さん?』って聞かれた時、夢でも見てるんじゃないかと思ったよ」

「うわぁ、本当にそんなことってあるんだ。もうそから話が止まらなかったでしょ」

「いや、お互いとても驚きつつも、一言二言交わしてその日は別れたんだ。向こうは連れがいたしね。翌日は休みだったから、また明日改めて会いましょうと、向こうから番号を渡された。その番号を見て色々悟って、嬉しくなったね」

「なにを悟ったん?」

電話番号だけで、ホテル名前とか部屋番号とかは書いてなかった。つまり定住しているってこと。ちゃんと夢を叶えたんだと」

「なるほどねぇ」

そんなに長いこと話したつもりはなかったが、いつの間にか部屋は薄っすらと暗くなっていた。父がパチッと部屋の明かりをつけると、猫が呼応するように二階へ駆けていった。


「でもさ、そんな感動の再会したら、もうそれは運命の人じゃないの?どうしてその人と結婚しなかったのさ」

話が一周して戻ってきたが、単純にそう思ったので聞いてみた。そりゃあ、今の母と結婚たから私がいてとか、そういう御託はあれど、普通ならそこでくっつくだろうと、そう思ったからだ。

「いや、彼女はもう結婚して、子供もいたんだ」

「あら、そういうパターン

「あの後、働きながら勉強して、渡英して、仕事についたと言っていた。そこで出会った人と結婚したそうだ」

それを聞いて、世の中うまくはいかないのだなと思ったのはもちろんだけれど、ふとその時父は何を思ったのかが気になった。初恋の人との運命的な再会と同時に、自分の恋が終わった時、悲しかったのだろうか。悔しかったのだろうか。私だったらグシャグシャになってしまうかも知れない。しかし、そんな私の疑問は、次の父の言葉ですぐに解消した。

「心からしかった。父さん、みっともないけど、そこで泣いちゃったんだよ」

照れくさそうに笑いながら父は続けた。

「良かった。良かったってね。ずっと心につっかえていたものが取れたような気がした。『ありがとう』っていう父さんに、あの人は『なんで?』とは聞き返さなかった。わかってくれたんだろうね。『こちらこそありがとう』と」

「どういうこと?」

今までの話の中で、父がその人に感謝することはあっても、父が感謝されるようなことがあっただろうか。

「『君が海外に行ったら、そこに僕も必ず行くから、その時はバッチリ英語観光案内してほしい。約束しよう』父さん、そう言ったんだと。全く覚えてなかったけどね」

「そんな約束してたんだ」

「『私が海外に行くことに、きちんと意味を持たせてくれたのはあなただった。約束を守るために、頑張ったから今ここにいるの』と言われた。父さんも、彼女の役に立ててたんだ」

一昔前のトレンディ俳優のようにフッと小さく笑うと、そのまま父はトイレへと消えた。

(お前はすっかり忘れてたわけだけどな)

父の背中に心の中で柔らかく突っ込みながら、私もニッコリ笑った。


それから才色兼備さんとは会ってないの?」

トイレからいそいそと戻ってきた父にそう聞くと、

「ああ。会ってない。連絡先も特に交換しなかったんだ。まぁ色々あってね」

父はテーブルのカゴにみかんを補充しながらそう答えた。

「でもさ、初恋は思い出の中に。そういうものだろう」

キメ顔で答える父に、久方ぶりに(気持ち悪い)という素直な感情が戻ってくる。

「ただいまぁ」

玄関から気の抜けた、疲れた声が聞こえてくる。

「あら。何仲良く話てるの珍しい」

リビングに入ってきた母は、そう言いながら、みっちり膨らんだエコバックキッチンに置いた。それを見て、先ほどまでの話題のせいで居心地が悪いのか、父が二階へ避難しようとする。

「なになに?なんの話してたん?」

トイレに行こうとする有村架純とは程遠い母が、リビングの出口で父に聞く。

「いや?たわいもない話だよ」

父は道を譲りながら誤魔化した。訝しげな視線を投げながら、母がトイレに入ったのを見計らって、

「ちなみにな」

父は私の耳元に口を寄せると最後にコソッっと

彼女と再会したときパブ彼女と一緒に来てたのが母さんだ」

そう付け足して、ニヤニヤしながら駆け足でリビングを後にした。

「えぇー!?なにそれぇ!」

驚く私の声と重なって、リビングのドアがバタンと閉まる。

「ねぇー!何の話なのー?」

母の切ない声がトイレから響いた。


あの人との馴れ初め話は、また後日みかんコーヒーを飲みながらでも聞こうと思う。


暇つぶしにこの話をネットに放流する許可をくれた父に感謝

2020-11-01

anond:20201031112006

正解だわ。

一部上場超有名企業エンジニアが父、社長の娘が母だが、今ではその母の実家会社はなくなってる。

千万円超えの収入があったが、父は教育に金を使おうというスタンスだったために、そこまで優雅生活はした覚えがない。なおかつ、母親の姉が医者に嫁いでいたこととの格差もあろう。

父の会社は転勤があって、遠方に単身赴任してたのだが、その間に色々問題があり、母親霊感商法に入った。

そしてその霊感商法の口添えだろうか、母親はいつも不幸だ不幸だいってて、更に子どもたちの人生について引っ掻き回そうとする。

俺は母親を捨てたし、他の父親兄弟親類も相当縁遠くしている。

優雅生活しかできないやつはそういうやつと結婚しないと無理だって

2020-10-27

anond:20201026161015

田舎地区トップ公立校はそんなんそんなにいないぞ。田舎エアプか?

田舎社長の子供は出来が悪く学費だけ高い私立に行くことが多い(そもそも学歴必要とされてない)

田舎医者単身赴任で来て家族は都会に残していることも多い。開業してても家族首都圏とか珍しくない

そもそも医者実数が少なく、田舎でそんなに医者がわんさかいるなら医療地方格差やへき地医療なんてイシュー存在しないわ

大体が地元企業勤めの家庭。毎年東大複数入ってるレベルでこれ

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