はてなキーワード: 単身赴任とは
女性を置いておきたい部署に、何らかの事情でその部の女性がいなくなったとき、他の地域の女性に異動のお願いが来るが、既婚女性は「絶対に嫌です、旦那も子供もいるのに」と全員拒否し、いつも泣くのは未婚女性
会社にいる数人の未婚女性は、既婚女性が断った異動の話が最終的に回ってきて、何回も転勤している
未婚女性は、「家族もいないんだから可能でしょ?」となって断れば辞めるしかないから、辞めれば旦那もいないから生活できないし泣く泣く頷く
家族がいるから、転勤できない、ドヤア!って既婚女性が言う度に、未婚女性がババを引いている
「昇進の条件に合理性のない転勤を入れる事は違法にしよう」なんて話が出てきてるんだが
昔みたいに妻を退職させて転勤同伴させればいいと単純に考えるのが減って
男性であっても転勤族じゃ結婚出来ない(女性に敬遠されるし結婚出来たとしても当然共働きだし新婚からずっと単身赴任は嫌だ、って認識)ってなりつつある
21時27分、単身赴任中の父親から電話があった。実に1年半ぶりの着信。
野球中継が盛り上がっているときになんだよと思って出ると、普段と変わらない口調で「落ち着いて聞いてほしい」と言われた。
父親が一人暮らしの自分にわざわざ連絡してきたのには理由があるとは思っていたが、何やら様子がおかしい。
「母さんが癌になった。乳癌だ。9月の末にCTを取って転移していないか確認をして10月に手術が……」
頭が真っ白になった。目がチカチカし、前も見えなくなった。とにかく頭がグルグル回る感じがどんどん加速していく。
割と進行しており全摘出が確定していること、手術前に何度か今まで以上に会ってやれと言われたことは何とか思い出した。
何も言えず電話を切り、頭を整理する。と言ってもすぐにできるわけがないが。
まず頭によぎったのは、今すぐにでも会いに行くべきかどうか。
自分は医者でもなんでもないし、会って何かできるわけでもない。残念なことに自分の貧相な頭ではこの状況でどんな声をかけていいかもわからない。
つらいことを思い出して書いてくれてありがとう。
>元増田さんのケースはまた違う事例だというのは重々承知ですが、離婚せずに家族を続けていくのなら、どうか生まれてくる赤ちゃんには父親の不倫を愚痴ったり父親悪口を言わないであげて欲しいなと思いました。
これは絶対そうしようと思っています。不倫じゃないけど、自分も両親が不仲で、父が単身赴任で普段家にいないということもあり、母からずっと父の不満を聞いて育ちました。
だからこそ、自分が感じた寂しさを子どもには味わわせたくないと思ってます。
今はまだ許せそうにないけど、夫婦を続けていくなら、そこも乗り越えていかなきゃなと思ってます。あなたのコメント絶対忘れないです。
大学生になったあたりから生まれてきたことが申し訳なくて、その罪悪感から「死ななければ」という気持ちになる。
父は単身赴任で普段は不在、母は仕事をしながら子育てをしていた。
母は仕事で明確にやりたいことがあり、そのための勉強を欠かさなかったことを知っている。
母は努力の人であったから、きっと子供がいなければキャリアを中断することも、あんなに時間に追われることも、追い詰められながら日々を送ることも無く、もっと努力の成果が得られていたのではないかと思う。
私は母の人生で荷物だったのではないかと気づきらじめてから生まれたことも生きていることも申し訳なく、生まれるべきではなかった≒死ななければという考えから抜け出せない。
私は駄目な人間で、父にも母にも孝行していないし苦労をかけた自覚がある。それでも父も母も私が好きであることを知っていて、邪魔だとか思ってないだろうし生まなければ良かったとも思ってない(と思う)。
でもやっぱり私を生まなかった方が良かったんじゃない?って思う。生まれた罪悪感から早く死ななければと思う人生が生きづらい。ずっと私が私に死ねと言っている。
こういう人ってどれくらいいるんだろう。みんな言わないだけで結構当たり前にいたりするんだろうか。それともこんなこと考えないんだろうか。
あくまで予定ではあるが、1年経たず復職するつもりでいたので、まず自身の補填に正社員の方が入ってくることに軽いショックを受けた。
この時点から、私の中で「復職した時にこの職場に居場所はあるのか?」「私はそもそも必要のない人材だったんじゃないか?」というずっと疑念が拭えない。
もちろんこういう日がくることは理解していたつもりなので、職務に必要な資格や知識の習得、できる業務の拡大には可能な限り努めてきたつもりだったし、心を込めて接客もしてるつもりだった。
「会社にとって必要な人材」になりたかったし、5年程働いて徐々になれているつもりだった。
その状況下なら、いつか産育休を取ることになっても快く送り出してもらえると思ったからだ。
でも現実は違った。
私の前に産育休を取った人が復職しないで辞めているせいか分からないが、「本当に戻ってくるの〜?」と疑われる。
旦那が単身赴任になるということを打ち明ければ「一緒の方がいいんじゃないの〜?」と煽られる。
5年もかけたつもりだった信頼獲得は全くの無駄だったし、ありがちなマタハラもどきな言葉を投げかけられるだけだった。
せめて産育休くらい快く送り出してもらえて、復職ができる人材として認められていたかった。
考え直してみると、どうやら知識の習得より、飲み会好きな上司ともっと交流を持って仲良くすることがこの職場で居場所を得る手段だったらしいし、私にはそれが欠けてたようだ(でもどうしても資格が欲しかったので勉強に時間を充てていた。=私は「付き合いが悪い」人らしい)
無能なりに頑張ってきたつもりだったけど、心が折れつつある。
魔法使いと副店長を読んだ。泣くわ、こんな話。物語における光と影の対比が終始絶妙で鮮やかな物語だった。
作者の越谷オサムは、似たような話として陽だまりの彼女を書いているけど、それより今作の方が面白かった。
冒頭、単身赴任中の中年男性のアパートに、見習い魔法使いのアリスが飛び込んでくる。続く、出会いのあれこれを描写した一連の流れは少々ありきたりで、事実を受け入れられない主人公の葛藤がわずらわしく感じられた。けれど、そこを乗り越えてからはするすると話にのめり込めたし、何度か目頭が熱くなった。
魔法界では落ちこぼれで、言動がいちいち幼稚すぎるアリス。武者修行のために、人間界にホームステイしに来た彼女が何者であるのかは早々に想像ができたし、物語の中盤では呆気なく明かされてしまう。けれども、それゆえに終盤での精神的な成長や、彼女が触れ合った人々との関係性が生きてくる。現代の社会が抱えている影を絶えず漂わせているキャラクターがいるからこそ、彼女が起こす魔法の数々がまばゆく映るお話だった。
エピローグには物悲しい雰囲気が静かに広がっていたように感じられたけれど、同時にこれからの人々の幸せを願う希望に満ちた終わり方でもあったと思う。
これは一種の備忘録であり、すでに忘れかけている出来事についてまとめたものである。
ほかの人々もこのような生き方をしてきたのかを知りたいが、わたしの周りの人間にはとても恐ろしくて聞くことができない。
そのため、このように匿名で、画面の向こう側のあなたに向けて発信する。
具体的に言うと小学校4年生までの思い出が一切ない。
4年生までは海が近くにある田舎に住んでいた。学校は、なぜか山の上にあったので、頂上まで続く階段を毎日登り続けていた記憶はある。
わたしが覚えていないことは、わたしにまつわる人間関係であったり、日常でわたしがどのように過ごしていたのかだ。どんな友達がいて、わたしはどんな性格で、学校ではどのような役割を担っていたのか。また、自宅では家族とどのような会話をして、なにを考えて生きていたのか全く思い出せない。
小学校5年生以降はどうなのかと考える。
わたしは5年生になるときに県内の比較的都会な街に引っ越してきた。
もちろん小学校も転校したため、また一から人間関係を築きあげなければならなかった。
わたしは転校初日、とても緊張していたことを今でも思い出せる。緊張のしすぎて腹痛になり、登壇した際に倒れたのだ。今のところ、これまでの人生で、あの瞬間ほど緊張したことはないだろう。おそらく、それ以来、よほどのことがない限り緊張もしなければ、度胸もついた気がする。
職場でも「あなたはいつも冷静で度胸がありますね」と上司に評された。
それはわたしが常に俯瞰的に見ていて、全てを他人事だと思っているからなのだが、その話は置いておく。
話は長くなったが、端的に言ってしまえば小学校5年生以降の記憶は保たれている。
今になって考えてみれば、わたしは転校先の初日で大恥をかいた。
しかも全校生徒の前で。
当時はここまでの考えには至っていないが、失うものが既に無いわたしは陽気なドジキャラで通していた。クラス内では明るくムードメーカーとして振る舞うが、肝心なときにミスをして級友たちの笑いを誘う。
このキャラ設定は楽だった。
今でもこれで通用している。
話は変わってしまうが、あなたは両親に言われたことがあるだろうか。
「お前は人間じゃない。お前は複雑だ」
おそらくは10代にまだ入っていない頃だと思われる。
わたしはよく嘘を多用している。
聞いたことのある話でも初めて聞くようなフリ。覚えているのに忘れたフリ。知っているのに無知なフリ。無垢なフリ。
出来ることでも出来ないフリ。
目の前の人物がAを好きと言えばわたしもAを好きだと言う。Bが嫌いだと言えばそれに控えめに同意する。別の人物がBを好きだと言えば控えめに同意する。
矛盾がないように嘘を重ねていくと、他者から見るわたしが形成されていく。
そもそもわたしはAにもBにも興味がない。だから好きでも嫌いでもどちらでもいい。わたしの好き嫌いはあなたが決めてもらっても構わない。その方が楽だ。
だいたいはこれに通ずる。出来ないフリをすることは友人たちから好感が良い。好きなものや嫌いなものが同じだと共感性が得られやすい。
わたしはどこにいても聞き上手だと言われるが、上手なのではなく、聞かないとわたしが形成されないからである。
相手より優れないフリが人間関係を長続きさせるのだと小学生の頃に気づけてよかったと思う。
しかしまだ嘘をつくことや出来ないフリをすることに慣れていない時期に、知らないフリをしていたことが母親に気付かれてしまった。
なぜ知らないフリをするのか問われるも、なにひとつ答えられなかったことを覚えている。どのように説明すればいいのか言葉が見つからなかったからだ。
だが、わたしはこれを特殊なことだとは思っていない。人間誰しもが、わたしと同じことをやっているではないか。
わたしはただ、みんなと同じことをやっているだけだ。辛うじてそう母親に伝えた。
そのあと、母親はこのことを父親に伝え、両親は揃って先ほどの言葉をわたしに述べた。
わたしのなにが母親を悲しませてしまったのだろうか。母親は泣いていたが、わたしはそれをじっと見ているだけだった。気味が悪いと言われ、さらに出て行けと言われたから、雨が降るなか外に出た。
母親は昔からみんなが好きだった。みんなと同じようにしなさい。みんなと一緒になりなさい。わたしはただ母親の言いつけを守っていただけであったが、どうやらわたしは母親の期待に応えることが出来なかったようだ。
それ以降、母親はわたしを捻くれているとか我が強すぎるとかの内面に対する評価をよくするようになった。わたしは言われている意味が理解できず、たびたび母親を悲しませてしまった。
わたしには2つ下の弟がいた。母親は彼を普通に育ってくれてよかったとよく褒めていた。
母親に褒められる、そんな弟がわたしは誇らしかった。弟がいれば、わたしはいなくても大丈夫だと思った。弟よりも出来ないフリをしていてよかったと心の底から思った。
話が結構逸れてしまったが、わたしの家族の話などどうでもよくて、本筋はなぜ小学校4年生までの記憶がないのだろうか。
とりあえず昔のわたしは一つの結論を出すことでわたしを納得させていた。
わたしは、わたし自身にも他者にも興味関心がなかった。それは今でも変わらないことであるが、ある程度の着地点は見つけている。
転校してからは陽気なドジキャラを演じることで、なにを言えば友人たちは喜ぶのか、なにが出来なければ友人たちは喜ぶのか。また、どのように反応すれば心を揺さぶることができるのかを理解するために人間をよく観察した。
最初は演じていたことであるが、10年以上も続けていくと、もはや呼吸のように行える。今ではわたしを形成する人格のひとつだ。
流石に母親に人間でないと言われてからは、わたしのこの生きた方を悩んだこともあった。
しかし、これは所謂、気遣いと呼ばれるものだから、人間誰しもが行なっていることであるため特殊なことではないと納得した。
前向きになれた。
登場人物たちを画面の向こう側であったり、文字の向こう側から俯瞰的に観察することができる物語が好きだ。しかも登場人物たちの内面を描いてくれるから勉強にもなる。
わたしはこの世界が物語の世界のうちのひとつだとたびたび考えている。
こちらの世界にも物語があるならば、逆説的にその物語の向こう側にも物語があるわけで、それはお互いに鑑賞しあっているのだと考えている。
画面の向こう側であったり、文字の向こう側の世界に存在する物語はきっと、わたしが存在する世界の物語が紡がれている。
きっと自我が形成されていなかった頃のわたしは、その物語の登場人物にすらなれなかった。
紡がれなかった物語の描写が無いように、わたしの記憶もわたしが生きた記録もない。
それは仕方がないことだろう。
だから、わたしが陽気なドジキャラと言うキャラクター設定を獲得することで物語の登場人物のうちのひとつになれたのだと考える。
どうりで記憶もあるはずだと思う。
そんな考え方をするとさらに生きることが楽に思えた。
演じているわたし、他の人間から言葉を借りるわたし、本当は空っぽなわたし。
その本質が明るみに出る恐怖に耐えきれなかった。
でも人間は誰であれ嘘をつく。
演じることだってある。
それとわたしは変わらないはずだ。
だが、そのことを家人や友人、職場の人間に聞くことはできない。確認することもできない。
なぜならわたしがわたしとして生きることができなくなってしまうからだ。
あの時のように人間じゃないと言われて、気味悪がられてしまったら、誰もわたしを知らない土地で人間関係を一から構築しなくてはならない。
それは正直めんどくさい。
だから匿名を名乗って、ここまで読んでくれたあなたに問いたい。
みんなになりきれているか?
【追記】
わたしが予想していたよりもはやく反応を示していただいて感謝しています。
こういった匿名の場を借りてみたのも、ここ数年、自分の考えを発信する場が以前よりも増えてきており、そこに投稿する人々も多くなってきていると気付いたからです。さまざまな文章をとても興味深く拝見させてもらいました。
そういえば、自己紹介的な部分がなく簡素な文になってしまったのではないかと考えに至り簡単ながらまとめさせてもらいました。
20代前半までは人間のなり損ないか病気なのだと思って過ごしていたが、これも個性なのでは?と思い始めてきているところ。
10代前半時代に祖母からとある医療職についてほしいと言われ、現在はその職種で病院に従事している。入れ替わりが激しい部署のため、その部署内では経験豊富な立場になってしまっている。現在は新人教育と比較的重要な業務を任されるようになってしまった。
(現在、上司から職場内の人間関係や職場のシステムについて相談されており、人間のなり損ないのような自分が、アドバイスしてよいものか悩んでいる。そのため、匿名の立場を借りてこのような文章を発信させてもらった。)
現在、わたしとふたり暮らし。明るくてとても優しいがとても寂しがり屋のため、単身赴任の父親が帰ってくるまではひとりにさせられない。
わたしが母親の理想とする子供像が掴めてきたので、関係は良好だと思われる。
弟
弟とはこれまで喧嘩などは一度も行ったことはない。わたしが母親に咎められた時は必ずフォローをいれてくれていた。母親曰く、わたしを尊敬してくれているようだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2020070600343
中の情報が手に入るので、少し補足しておく。
一部の人間はうまくやって儲けてるかもしれないが、実費精算と変わらん。
月に数百円だが通勤費として取られてる。というのが今まで。
緊急事態宣言が出るちょっと前からテレワーク主体にはなっていた。
でも定期代の支給は変わらず。
速攻で定期を解約したやつは、それなりに居たはずだ(多少だが、儲かる)。
定期代の支給に手を付け始めたのが5月の末だったか、6月の頭だったか。
つまり遠隔地に居住して居てのリモート勤務も対応するつもりらしい。
独り暮らしで家に光回線なんか引いてねーよ、みたいなのもこの騒動前から対応されてる。
あと会社の補助というのとはちょっと違うのだけれど、年に2万までは補填してもらえる制度がある。
今年は範囲が拡大されて、マスクや消毒用のアルコールも対象になってる。
その通り。というか、それがあるからこそ動いたんだろうとは思う。
というか、リモートワーク中心にならざるを得なくなって四半期の間、定期代を支給し続けていたわけだから、やっと動いたかという感じ。
通勤費を事後清算にするか定期代の支給にするかは一応選択できるようになってる。
独り暮らしだと自宅より事務所の方が集中できるという人は一定数いるし、他の意見についてはお察しな感じで、新型コロナに関係なく。
とりあえず、こんな感じ。
熟年離婚って言葉を聞くようになってどれくらい経ったか、社会人2年目のぺーぺーだけど会社の還暦近い人たちの話聞いてたらそりゃそんな言葉も定着するわ、て思うことが多くて辟易する。
専業主婦の奥さんに稼ぎは全部渡す、奥さんがパートをしたとしてもその稼ぎは全て奥さんのものって約束でどうにか結婚してもらった人
夫婦仲悪さに単身赴任をしたくてずっと他県に異動願いを出している人
嫌いだから旦那の分だけ夕飯は作らないしいい歳して隙あらば若い人と出会いたいって豪語してるパートのおばさん
もちろん普通に家族仲良い人もいるし、自分の家もそうだからこんな人たちがいるなんてって思った
そもそも誰でも結婚できた時代なんて怖すぎ、結婚に向いてない人はいるって思うんだけど、でもそれを言い出すと優生思想になるんだろうか