「勝敗」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 勝敗とは

2018-08-15

ブラックジャックのベッティングストラテジー覚書

前提

ブラックジャックにおけるベッティングストラテジー(コインの掛け方)には幾つか条件がある

連敗(連勝)確率

ギャンブルは幾ら勝っても良いが負けが連続すると資金が無くなる可能性があるため、ある程度負けが込んでも続けられる賭金、戦略必要になる。

一説によるとブラックジャックを最適解でプレイした場合勝率は47%。

勝率47%での連敗確率は以下の通りである。(最後一桁は四捨五入)

連敗数確率
153%
228%
315%
48%
54%
62%
71%
80,6%
90,3%
100,2%

ちなみにパチンコで置き換えると

319の台で1000回ハマりがおよそ4%。

五連敗はそう多くないが、無いわけではない現実的数字

せめて1%である七連敗位は常に起こるものと想定して戦術を組むべきだろう。(そして連続十敗以上も起こり得る)

よくない賭け方

いわゆる「負け(勝っ)たら倍賭けにしていく手法

負けたら賭金を倍額にする場合、初めが100円でも

100,200,400,800,1600,3200,6400,12800円となる。

128倍賭けを行うリスクを抱えるならそれまでに対処したほうがよほど精神的にも楽である

要するに毎回同じ金額を賭ける方法

毎回同じ金額を賭けた場合カジノ控除率(取り分)の確率収束していくので長く続ければ続けるほど負けていく。

上記二つはそもそもほとんどのギャンブルに適さない賭け方なので儲け目的なら行わない方が良い。

推奨する方法

最初金額を1単位とし、負けた場合金額を据え置き、勝った場合は1単位上げる方法

賭金を上げすぎて負けると大敗するため、勝利した場合の儲けを1単位程度に留めることが重要

なので負け分を取り返したら1単位で賭ける、といったやり方になる。

回戦賭金勝敗収支
111
212
311
410
51-1
61-2
71-1
821
912

連敗→勝ちと負けを交互に繰り返す→賭金の肥大化を防ぐためにプラスマイナスゼロになるポイントへ賭金を調節する必要がある。

計算が面倒くさいなのでメモを取りながらプレイしたほうが良いかもしれない。

5ドルを1単位とした場合、負ければ+1、勝てば-1して賭けていく手法

連敗しても連勝しても資金の移動が緩やかなので長く遊べる。

1,1,1,2,2,4,4,8,8という単位で賭ける手法

負けたら右の単位で賭け、勝ったら賭金を「1→2,2→4,4→8」のように移動する。

2連勝した場合最初の1へ戻って掛け直し、8単位まで負けた場合も同様に1へ戻る。

全て負けたとしても31単位分の負けで収めることが出来、どのタイミングでも2連勝すれば収支がプラスになる。

ラ・プーシェルキャンレーションなど様々な名前がある方法

少し計算方法特殊

最初いくら勝ちたいかを想定し、その数を分割した数字を書く。

例えば10単位勝ちたい場合

2,3,1,2,2

と書く。

そして両端(2,2)を足した数(4)を賭け、負けたら右端に書き足す。

2,3,1,2,2,4

そして勝つまで繰り返す。

勝った場合両端を消す。

3,1,2

そして繰り返し、最後に残った数(1)で賭ける。

最後まで勝てば目標金額を達成することが出来るようになっていて、賭金を細かくしたり多目に張ったりと自分で好きなように設定できる。

(1,1,1,1,2,4で10単位分の勝ちを狙っても同様の効果がある)

勝ち額を決めて行うことが出来る(可視化)出来るというメリットがある反面、負けが続いてもコントロールできないというデメリットがある。

なので損切が大事

2018-07-28

anond:20180728175815

牡馬女体化してる時点で「血統」は無理あるやん…百合属性ある人ならいいかもしれないけど

競争勝敗」の方も、それぞれ活躍時期が違うし

更に「エロ禁止」も加わると、男性向けより一般向け或いは女性向けに適したネタだと思うんだよね

大体有名馬の殆ど牡馬(男)な時点で美少女化するしかないがそれ自体どうなのか

動画見ただけだけどスペシャルウイークが美少女で出てこられても違和感しかないわ

歴史だったら女体化ものはあり触れてるから違和感ないだろうけど

anond:20180728175239

当たりうる要素があるかないかで言えばあるんだよ一応

要するに美少女キャラ関係性やら世界観を補完するための情報が大量にある元ネタならありていに言って何でもいい

(ゼロ年代擬人化ネタの走りが缶詰とかOSとかだし)わけで、その点「血統」や「元ネタ同士での競争勝敗」ってネタが使える競馬比較ネタとして優良な方

 

初めから公式から大資本を投下して鳴り物入りで始める類のものじゃないってだけで

 

アプリリリースもしてないうちからメディアミックスバリバリで進めた美少女コンテンツだとバンドリとかもあるけど、

あっちは一応リアル声優でのライブとかの部分は先行してやっててある程度めどが立ってたからな

2018-07-23

anond:20180723001424

話を単純にするため筋力と書いたが、より正確にスポーツへの適性と訂正する

とにかく、世の中には身体を動かす系がどうしても苦手な奴はいくらでもおるんや

そら体格が小さく筋力の小さい武道の達人もたまにはおるやろ、何万人かに1人は

俺が面識のあった日本拳法の有段者は「格闘技じゃ体重差が20kgあったらそんだけで勝敗は決まる」言うてた

2018-07-20

ヒプノシスマイク怖い話

ヒプノシスマイクというジャンルを知っているだろうか。

H歴。武力による戦争は根絶された。

勿論、そこには多大という言葉ではくくれない程の犠牲を払ったのだ。

野蛮な男に変わり、女性覇権を握ることになる。

中王区と呼ばれる、男性を完全に排除した区画で政は行われるようになった。

そこで新たな法が制定された。その名もH法案。人を殺傷するすべての武器製造禁止、及び既存武器の廃棄。しかし、それだけでは愚かな男性の争いは根絶されない。

なので、争いは銃ではなく人の精神干渉する特殊な【ヒプノシスマイク】にとって変わった。

言葉が力を持つことになったのだ。

そして争いに親和性のあるラップを使い、優劣を決する世界になった。

男性は中王区外のシンジュク・ディビジョン、シブヤ・ディビジョン、イケブクロディビジョン、ヨコハマディビジョン等の区画生活をすることになる。

ディビジョン代表MCグループがバトルをし、勝った地区は決められた分の他の領土を獲得することができる。

これは、兵器ではなく言葉が力を持つことになった世界で紡がれる男たちの威信をかけた領土バトルなのだ

公式サイトより引用

有名なライターダイツイート新譜の影響で今かなり注目されている新進気鋭のジャンルだ。要はいわゆるオトメイトありがちなキャラクター個性の強いイケメンたちの話なのだが、今までになかった「オタク向け×ラップバトル」という所が独特である

現在アニメ小説ではなく、オーディオドラマキャラクターラップの収録されたCD主体コンテンツになっていて、このラップパートにかなり力が入っている。藤森慎吾サイプレス上野新譜にはラッパ我リヤやAvecAvecが参加していて、どれも中毒性の高い曲に仕上がっている。

正直、結構ハマっている。新譜更新された日も、日付が変わってすぐに聴きに行った。前述の通り曲もかっこいいしかわいいし、ドラマパートも思いもよらない掛け合いや、思いもよる掛け合い、オタクなら妄想した展開が起きたりしていて、5年前の自分なら「マジ公式が最大手wwww病気www」と呟いていたと思う。

だけど一方で、このジャンル、かなり危険なんじゃないか、とも思っている。完全に馬鹿にされて乗せられているんじゃないかと感じてしまう。

女尊男卑のH歴では男は女の10倍の税を貸されていて、中王区を囲む高い壁と厳重な門は税金で作られている。男と男のディビジョンを巡るラップバトルの際は許可を得てその門をくぐって中王区に入り、そのバトルは恐らく放映なり中継なりされて、女性の巨大エンターテインメントになっているらしい。しかもかなり人気があるようで、次の日に初バトルが控えているキャラクター女性に追い回される、という展開もあった。

この「女性に消費されるエンタメとしての男」という在り方は完全に女性向けジャンルの在り方と一致している。イケメンが出てきて、カッコイーだの顔がいいーだの個性強すぎだの言って話題にする。物語の中でもラップバトルの勝敗女性が付けるようだけど、CD投票券が付いているので、これはリンクというより完全に重なり合っている。

これが例えば「女性アイドル露出過激サービス男性に消費されていることへのアンチテーゼ」とか「流行り廃りの早い女性向けジャンルの在り方へのジョークで笑い所」ならかなりブラックだとは思うがまだいいのだ。けれど、設定の基幹、何度も繰り返し強調される部分で行われている。

体制側に女性を置き、打倒すべき相手として設定することで、今の社会なら「クソ女」と言えば差別蔑称になるのを、不満や怒りの発露、当然の悪口のようにしてしまう。逆に「所詮お前も男ということか」というセリフが出てくるが、これは侮蔑として受け取れるし、そう発する女性に対してキャラクターたちは唇を噛む訳だ。

私にはこの置き換えがホモソーシャルにおいて女性排除する事への正当化しか思えない。

オトメイトレーベル女性向けなのもあって女性キャラクターほとんど出てこない。そこに正当な理由があるんですよ、としたいがための設定に過ぎないんだと思う。それを元に作り込むような丁寧な世界構成とは言い難い。

言い訳にしては、女尊男卑世界観はあまりにメインターゲットに失礼ではないか

本当に女尊男卑が貫かれているならいい。税金10倍、手取りも悪くて、がんばってもマトモな仕事につけない。女性からは常に舐められる。正社員なのにお茶汲み、ものを頼めば「ほんと生意気、やっぱ男だから仕方ないか(笑)」と言われる、そういう世界観なら確かにキャラクターに肩入れして「このクソみたいな世界を変えてくれ!」に素直になれる。

しかヒプノシスマイク世界観はそういう訳でもない。

ホストはもてはやされ、お客の女の子を「子猫ちゃん」と呼ぶ。別に上から目線営業、という訳ではなく、むしろ紳士的な営業タイプだ。

サラリーマンと同じ職場には女性もいるし、その友達(ホスト)が職場に来た時にナンパしまくった、という描写から、少なくとも声を掛けられるような関係だとわかる。

警察官という官職にも、医者にも男はなれる。それがとても恵まれ特別なことというような描写はないし、そういう仕事権力の弱い男に押し付けるということでもないようだ。

ヤクザは「権力・金・女に酒」と歌っているから、少なくとも世の女がほとんど皆男に対して高圧的で支配的な訳ではなく、むしろ逆の立場女性もいるということがはっきりわかる。

別にこれらだけを抜き出せば女性差別すぎるという訳でもない。現代と変わらないレベルだと思う。

あるいは女性だけのクラス壁の中だけ異常に差別が強いのか、と思えば、レストラン店員女性生意気な口を訊いても追い出されるわけでもなし、道で女に声を掛けても「キャー!」と黄色い声を上げるだけで、デリカシーのない発言は返されない。

そのような実状の描写がありながら、ストーリーの旨みのために「覇権を女ばかり握る間違った世の中」としてしまって、巨大な壁を描写して、わかりやすい敵として女性全体を想定することはおかしいのではないかと思うのだ。それならもっと徹底すればいいし、あるいは燃えやすジェンダーへのdisは避けるのだって定石だ。

しかも元々ラップヒップホップというのはかなりミソジニー文化である。FSDではラッパー女性に「おまえもいつか妻になる 妻になり母になり、そのあと『なんでお母さんあんなことしていたの』っていわれないように」と向けられたほど、女性スタンス地元、これまでのバトルよりもジェンダーdisに上げられてしまう。

それが問題視され始め、ジェンダーフリーなヒップホップをと少しずつ声が上がり始めたまさにその今、こういう性差別コンテンツが出て来た意味は、偶然というには出来すぎている。単に商業的にいいフィールドだったとしても悪趣味だ。

ヒプノシスマイクというジャンルが怖いところは、ポップでキャッチーキャラクターや、「ラップ回復精神干渉・防御する」というコメディチックでバカバカしい、笑ってしまうような楽しいジャンルとしてパッケージングされているところだ。twitter検索をかけても、ヒプノシスマイクミソジニーを指摘している人はいるにはいるがそう多くない。みんな楽しんで考察二次創作をして盛り上っている。

こういう時、「あなた皮肉られているかもしれないんだよ!」とファンに言っても無駄だ。女性向けジャンルソシャゲトレス疑惑が騒がれた時、ファンは指摘する側を非難して意見を潰そうとした。ましてやはっきりいけないことという訳でもない思想の話、騒ぐ方が野暮だといえば黙って頷かざるを得ない。

けれどここで不快ジャンル無視しよう、になれないのは、私もまたファンの1人だからだ。好きなキャラクターもいるし、新曲はかっこよかった。投票結果がどうなるのかも楽しみにしてしまっている。ここでとりあえず文字にすることで、あるいは盛り上がりの中心まで届くんじゃないかと思うのだ。

創作物現実はもちろん違う。しかし、創作物行間においてこそ現実常識意識が反映される。行間を埋める努力が足りないままセンシティブ問題をただ面白みとして利用するのは軽率だ。純粋ファンにしてみればうるさいだけだとしても、世に出した以上、世間の流れと切り離すことは不可能だ。

先程書いたように、ヒップホップジェンダーフリーを目指すべきだ、という転換期に来ている。勿論、ヒップホップ以外も世間全体が性別に囚われない個人評価時代になってきている。ヒプノシスマイク女性権力を握る社会への単なる下克上ストーリーではなく、ジェンダー立場が縛られる価値観への一石になることを願ってやまない。

2018-07-17

https://anond.hatelabo.jp/20180405215300

逆に言えばJK痴漢するおっさんにもJK相手に命をかけた西部劇をする度胸はないだろうよ。

持って生まれた体格の優劣ではなく度胸の優劣で勝敗を決められるという点で平等という話をしてるんだよ。

2018-07-12

国際大蹴球連盟世界選手権大会 2018露西亜場所

勝敗番付西勝敗
独逸●2勝4敗9休横綱伯剌西爾11勝4敗
伊太利亜全休横綱亜爾然丁○9勝6敗
西班牙10勝5敗大関和蘭全休
仏蘭西○15勝大関宇柳具11勝4敗
英蘭12勝3敗大関
白耳義○13勝2敗関脇葡萄牙○9勝6敗
哥倫比亜○9勝6敗小結克羅地亞○14勝1敗
瑞典10勝5敗前頭墨西哥○9勝6敗☆
韓国●6勝9敗☆前頭波蘭●4勝11
露西亜11勝4敗前頭米国全休
日本○8勝7敗前頭巴奈馬●1勝14敗
殊勲賞小結克羅地亞14勝1敗
敢闘賞前頭露西亜11勝4敗
技能賞関脇白耳義13勝2敗

※☆は金星

anond:20180712222954

海外ならあるかもしれん。

日本だったら、(勝敗レベルでは)心当たりは無い。無いとは言えないから、誰か知ってたら教えて欲しい。

anond:20180712222315

サッカー勝敗外交事案につながった例とかありそうだけど、だれか教えてください。

anond:20180712151927

在学中に自分高校甲子園に行っても一切興味なかった程度には野球に興味ないけど、思うに、人々が欲しているのは「野球」そのものではなく野球媒介とした「物語であるのだろう。特に高校野球みたいなものだとその傾向が強いだろう。人々は高校球児のプレーの背景にある青春様相を消費しているのであって、そのためには「真夏炎天下に汗だくになってプレーする球児」とか「ユニフォームを泥だらけにして走り回る球児」などの演出必要不可欠だ。勝ったり負けたりして涙を流す球児とか、肩を故障しても気力で最後まで投げきる球児とか、そういうものこそが人々の求めているものであって、野球技術のもの試合のもの勝敗優先順位が低い。とかく日本人は何かにつけて「物語」を好む民族だな。エモーショナルと言えばまあそうだが、思考という概念そもそも向いてない性質なのではないかという気がする。

2018-07-11

イカのチーム運営がつらい

身バレが怖いのでフェイクは入れている。


自分は今、巷で大人気()の、例のイカゲーでチームの運営をしている。

2の発売日前から募集を始め、今は100人を超える規模になっている。

イカナカマのチーム一覧でも常に上位に入る、よく管理されたチームだと思う。

毎日メンバーの誰かがDiscordでリグマやプラベを呼びかけ、それに集まる。

また、自分企画を考え、例えばチーム内ドラフト杯を行ったり、活動は多岐に及ぶ。

笑い声が絶えないVCには常に人がおり、メンバーにとって居心地がいいチームであると感じる。

最近ではオフ会もよく行われており、自分も数回顔を出している。

大きな問題はほぼ起こらず、メンバーに恵まれた良いチームになったと思っている。

それでもつらいと思う原因は3つだ。

====

特定メンバーのin率が悪い

うちのチームでは3週間、絡みがないメンバーは脱退処理を行っている。

ただ、脱退については複数人いるサブマスターとの合議制だ。

そこで意識差が生じる、例えばあの人はあまりインしないけどお子様がいるから、など理由をつけて脱退処理が出来ない。

自分としては、チームの役に立っているメンバーに関しては少々in率が悪くても残す。

ただ何の役にも立たず、人がいいからだけでチームにいる人は、必要ない。

100人超えはしているものの、アクティブは30人程度だろうか。とても悲しい、つらい。

メンバーとの意識差が大きい

自分は昔からオンライン対戦ゲーム活動をしてきた。

昔は様々なゲーム日本代表として、運営の金を使って海外渡航したり、ユーザ主催大会で優勝をもぎ取ってきた。

RTSが主で、シューティングゲームイカが初めてだ。ついでにいうとゲームパッドなどほぼ触ったことがなかった。

それでも、日本代表とまでいかなくとも強くなりたいという気持ちは、自分根底にある。

しかし、ほぼ全てのメンバーは、真剣に強くなりたいと思ってはいない。

そこを変えようと必死で頑張って企画を考えたり、大会に出ないかと誘ったりしてきた。

何故なら対戦ゲームにとって最終的に残るのは勝敗からだ。

勝敗にこだわるからこそ、楽しみが見える。ヘラヘラしているだけではいけない。

結果、変えることは無理だった。それはわかってる、強くなりたいと本気で思っている人は1人でもやる。

これが正直1番つらい。何のためにゲームをしているのかわからなくなる。

・実力のあるメンバー向上心が見られない

メンバーの中でもしっかりとした実力を持った人が数人いる。

しかし、そのメンバーが他の実力のないメンバー意見スタイルに流されている。

それを見るのはつらい。せっかくの実力が、無駄になっている。

よく言うのは、うちのチームよりやりがいがあるチームいっぱいあるよ?って。

でも抜けない。自分はその人のためを思って、お節介だと思っても言ってるのに。

ちゃんとした実力を持っている人が、周りの環境に流されて潰れていくのを見るのはとてもつらい。

ここ1ヶ月、メンバープレイしているのはサーモンランだけだ。

楽しくなくなってしまった。あれだけバカ騒ぎしてたリグマやプラベが。

なまじ実力が自分につくにつれ、もうヘラヘラした環境は耐えられなくなってきた。

1年半を境に、自分はチームリーダーを降りようと思う。

シャドウバースに殺されました

私は先日、シャドウバースアプリアンインストールしました。

理由はシャドバをやる気力がなくなり、BGM聴くだけで苦痛を感じるようになったからです。

私はダークネスボルブ期からシャドバを始め、すぐさまロイヤルというクラスに心を惹かれました。ロイヤルと聞くと、何だお前も結局脳死グロ使いかよと言う人もいると思いますが、私が愛したのはコントロールロイヤル(以下、コンロ)です。

その頃の私はスタンダードパックからあるレオニダスを軸としたコンロで戦うことに快感を覚えていました。その時からエイラなどの強いデッキに負けることはありましたが、その都度デッキ見直し試行錯誤を重ねることで勝ったり負けたりを繰り返しながらシャドバを楽しんでいました。

しかし、私にはどうしても許せないカードが二つありました。それは「次元の超越」と「リノセウス」です。

これらのカードを軸とした「超越ウィッチ」と「OTKエルフ」に私は長い間苦しめられてきました。

そもそも超越というカードは「自分のターンをもう一回追加する」というカードゲーム全否定する糞カードであり、その発動条件の容易さから「超越は猿以下」と呼ばれるほどでした。

そしてリノセウスというカードも低コストかつ疾走持ちのフィニッシャー型のカードで、盤面にうじゃうじゃと湧いて出てくることからゴキブリ」と称される害虫でした。

いずれも盤面を取り合うというカードゲームの基本を否定した糞デッキであり、相手無視したオナニーでありました。

そしてこれらのカードを使う人に共通するのは、とにかく考える時間が長いということです。

なぜ簡単な足し算さえも出来ないのか?超越使いとゴキブリ使いには2秒で十分なのでないか?そんな疑問が私の頭から離れませんでした。

私の愛したデッキを散々待たせた挙句、結局リーサルかよ、という相手に対して敬意の欠片もない彼らの行動に怒りを感じていました。

この状況で自分の愛するコンロの勝率はみるみる下がり、どれほどデッキをいじっても勝てなくなり、むしろ改造すればするほど勝率が下がるという悪循環に陥りました。何十回、何百回と負けました。しかし、私には「自分の愛するカードで勝つ」という信念がありましたので、ひたすらデッキをいじりながら試行錯誤を繰り返しました。

正直言って、デッキをいじる作業も好きでした。どうやったら勝てるようになるか?まだ誰も知らない戦法があるのではないか?そう考えるとワクワクしてくるという感覚はあの時の自分にはありました。

次の新弾で強いカードが来ればきっとコンロの時代が来るぞ、そう思っていました。

しかし、一向にコンロは強くならず、ドロシー、ヘクター、昏きといったパワーカードたちの餌にされていきました。

この頃からシャドバをやめる友人が増えていきました。理由は「自分の好きなデッキで勝てないから」でした。彼らは自分の愛するデッキで勝てない現実に耐えきれなくなってしまったのです。また、超越とゴキブリに対抗してアグロデッキが台頭してきており、先攻を取ったアグロデッキが勝つというゲーム内容にネット上で「本格スマホじゃんけん」という蔑称をつけられてしま事態となっていました。

そんな状況下でも私は「好きなカードで勝つ」ことを諦めませんでした。自分の好きなカードで戦うことこそが自分にとってのシャドウバースだと信じていました。負けてばかりでしたが、運営から下方修正があり、なんとか戦えるくらいには改善されました。

そしてついに目標であったマスターランクに到達することができました。私は心の底から嬉しく思いました。辞めずに続けてきて良かった、自分は間違っていなかったと確信することができたのです。

それからしばらくして、運営は「ローテーション」と「アンリミテッド」の導入を発表しました。ローテーションでは新弾を含む最新5パックのカードのみで戦い、アンリミテッドではすべてのカードで戦うというルールが新しく追加されたのです。

まりローテーションルールで戦えば、初期のカードである超越とリノセウスに出くわすことは100%ない、という画期的な発想でした。

私はこれを聞いて「ああ、ようやく自分の好きなカードで戦えるんだな」と安堵しました。長く続いた暗黒時代がようやく終わる、もう超越とリノセウスを見なくていい、そう思っていました。

しか現実は違いました。ローテーションとは「新弾で追加された強いカードを使って、先攻で殴るげーむ」と化していたのです。ローテーションは私の期待を裏切りました。信じていました。自分の好きなカードで戦える時代が来ると、運営ユーザーの願いを叶えてくれると。

またレオニダスをはじめとするコンロで使われる一部のカードはローテーションでは使用禁止となっており、そのこともコンロ弱体化を加速させていきました。

私の生きる道はアンリミテッドしかありませんでした。しかし、そこは超越使いとゴキブリが行き場を求めてさまよう地獄絵図でした。私のコンロは為すすべもなく、敗北を重ねました。まるでゴミクズのように彼らは私のデッキを痛ぶりました。それはさながら暴力でした。

私は運営馬鹿にされているように感じました。「お前まだそんなデッキ使ってんの?wwww」「ローテーションは新カードを使う場所から大人しくアンリミで超越に負けてろよwwww」「好きなカードで勝つとか笑わせるわwwww」

こういう声が画面の向こうから聞こえてきました。

もう私の心は限界でした。疲れたのです。シャドウバースというカードゲームに。勝っても負けてもどうでもよくなったのです。

それでもログインミッションだけは続けていました。一年近く続けて情が沸いたのです。しかし、それも先日ピリオドを迎えました。

きっかけはリーダースキン人気投票結果発表でした。この投票では某配信者が声優を務めるカード、「トイソルジャー」が候補にもなったことで話題を呼びました。

残念ながら多くの票を集めたにもかかわらずトイソルジャースキンになることはありませんでした。多くのネメシス使いがこう言いました、「ランクマで使うことのない雑魚のトイソルジャーリーダースキンになったらたまったもんじゃない」と。

なるほど、その理屈は正しい。勝つためにシャドバをしている人にとってトイソルジャー必要のないカードであり、それよりも構築に入るオーキススキンになるべきだと。その言い分は十分にわかる。

ではなぜビショップブローディアが一位になったのでしょうか?ブローディアランクマで一度でも見たことがある人がいるでしょうか?あんな8コス守護で大した効果も持たないゴミカードがどうしてスキンになれたのでしょうか?

ドラゴンスキンにも疑問がありますスキンに選ばれたのは今まで長い間ランプドラゴンを支えてきたアイラではなく、ぽっと出のフィルレインであったこと。ドラジのみなさまは彼女への恩を忘れたのですか?古くなったカードは用済みですか?新しく強くて可愛いカードの方が好きですか?

私は新しく強いカード優遇され、昔からあるカード馬鹿にされていると感じアンインストールしました。

今のシャドウバースは「好きなカードで戦う」のではなく、「新弾の強いカードを好きになれ」という押し付けをしてくるカードゲームです。

二周年を迎えカードの種類は増えましたが、戦えるカードの種類は減りました。

今後のシャドバはごく少数のtier1デッキとアグロデッキがローテーションを支配し、超越とリノセウスがアンリミをさまよい続けるでしょう。

トップランカーが大会専用の特殊デッキを開発することがあってもそれはランクマで勝てる訳ではありません。あくま大会用なのです。

カードゲームとは勝つためだけにやるものではありません。先攻を引くものでもありません。

誰もが自分の好きなカードで戦うべきなのです。カードゲームとは勝敗以前に楽しむものからです。

みんな同じデッキ、同じカードしか戦えない今のランクマッチ環境カードゲームとして間違っています

自分の愛するデッキで戦えないシャドウバースは間違っています

この問題解決しなければ数多のカードゲーム同様、シャドウバースもまたパワーインフレの末に忘れ去られていくでしょう。

2018-07-04

日本はハリル監督を維持するべきだった

日本ベルギー善戦したことで、ハリル解任を是認する人が多い。

しかし、結果は問題ではない。W杯勝利するかどうかはどうでもいい。

一次リーグは3戦全敗でもよかった。

決勝トーナメント進出してベルギー戦で健闘したことなど、まったく意味がない。

大事なのは、正しいことをするかどうかだ。スポーツで大切なのは勝敗ではなく、正しいことをすることだ。

ゆえに、日本はハリル監督を維持して、ハリルと心中するべきだった。一次リーグで3戦全敗こそと、日本サッカーにとって正しい道である

 

田嶋を辞任を追い込め。間違ったことをして勝利することなど、邪悪以外の何物でもない。これでは世界に示しがつかない。

それは、ポーランド戦で卑怯な戦い方をして、世界から非難を浴びたことでもわかる。

繰り返す。スポーツでは勝敗関係ない。正しいことこそ、何よりも大事なのである

 

田嶋を辞任させよう。そうすれば、次期監督としてハリル監督を再任することができる。そうすれば、次期 W杯は3戦全敗になるだろうが、それこそ正しい道である

邪悪勝利など、何の価値もない。正しいことをなせば、敗北などは何ら問題ないのだ。そのことは昔の日本軍が証明している。美しい敗北こそ、至上である

2018-07-03

anond:20180703055028

まあ勝って欲しくはあるけど本当の所は勝敗なんてどうでもいいからかなと思う。

泥臭く生き残った姿も力の限り戦ってそれでも勝てなかった姿もどっちも感じ入るものがあった。

行ける所まで行くのがみたいのであってその結果はGL敗退だろうとベスト16だろうと優勝だろうと別に構わない。

スポーツ少年思考って割とそういう所だと思う。

勝負が好きなんであって応援チームの勝ちだけが絶対じゃない人もいるって言うか

anond:20180703055028

弱いチームに過度に期待するのは余計なプレッシャーを与えてしまい、のびのびプレーできないと思う。

なでしこジャパンが優勝したのは決勝までどこも報道してないし誰も期待していなかったのも一つの要因ではないだろうか。

負けたことを大々的に報じるメディアや、予選やトーナメント序盤の勝敗でいちいち一喜一憂するのはプレイヤーとしてかなりの負担だと思う。

また、注目されていなければ勝つための合理的選択が取りやすい。

2018-06-29

anond:20180629225759

同率2位がいた場合試合しないでPKで決着?今回の場合は、日本セネガルが別日程でPK勝負しろって?PK自体勝敗を決める為のやむを得ない措置なのに。それだけで勝敗を決めるとか本末転倒もいいところだろ。

ひとくくりに「スポーツ」と呼ばれるが、別個の概念に思える

運動競技紳士競技、ショースポーツ

適当に名づけるとしたらこんな感じかな

最初はただ身体を動かしていただけ

木製の籠にボールを放り込むこともあれば、

さらに遡れば、処刑された罪人の頭部を蹴飛ばしてたとか

もっと原始的もの、これが運動じゃないかなと

んで、それだと余りにも弊害が多いと

ルール無用運動だと怪我人が出るだろ

何より見ていて胸糞悪いしな

そこでルールを決めてジャッジすることにした

これが競技

競技として大分マシにはなったが

まだ、名士がそれをプレイするのは憚られる

そこで紳士的、という概念が取り入れられる

サッカーラグビー経験ある人はこの概念を聞いたことがあるはず

これで、名だたる名士が名誉を賭けて戦うようなものになったわけ

紳士的なスポーツ紳士競技って呼んでおこうか

んで、最後がショースポーツ

プロレスなんか分かりやすいし、メジャーリーグもそうだね

野球競技臭いのは、日本人スポーツ歴史を知らんからだろう

真剣さと楽しさの両立を良しと出来ない、日本の文化的土壌もあるけどな

勝ててもショーとして成り立たなきゃ興業としては失敗ってことだな

負けて楽しくはなりづらいので、勝ちながら楽しませなきゃならない

んで、日本アメフトだかラグビー運動なんだわ

スポーツとも競技とも呼ぶのもおこがましい野蛮な遊び

から人が死ぬだって原始時代の遊びだもの

今回のW杯はどうだろうな

少なくともショースポーツではない

競技ではあるが、紳士競技かは分からない

面白くない場面ではあったけれど、それが悪かと言われると難しい

ただ、毎度思うけどW杯ってレギュレーション微妙だよな

あとサッカーのもの勝敗の不確実性がやばすぎる

順当に勝ち上がるか大番狂わせか、つまらない展開か分からない

これを正当にあるべき姿にするなんてこと出来るのかね

紳士的かつ日本的な誠実さを重視したプレー

これは10年、20年前の日本サッカーならあったと思う

決勝トーナメントどころか緒戦敗退を繰り返していたね

その時代日本サッカーに戻したいってなら、良いけどさ

そんなことないんだろ?

正しく楽しく勝利しろ戦犯は徹底的に断罪する

なんだ?日本戦時中か何かなのか?どうした?

って感じ

2018-06-27

第二内くるぶしが痛くて辛い

私の両足には第二内くるぶしがある。

「あーアレね」と共感できる方、
全く意味が分からない方、
両極端に分かれると思う。

第二内くるぶしというのは私が勝手にそう呼んでいた名前であり、正式名称は「外脛骨」というそうだ。

足の側面内側、土踏まずのアーチの上辺り、通常の内くるぶしのナナメ爪先寄り下側あたりにグリグリとした骨の出っ張りがあるのだ。
日本人では1〜2割ぐらいの人が生まれつき持っているらしい。

この第二内くるぶし、歩くとめちゃくちゃ痛い。
歩くだけではなく、1分以上しゃがみっぱなしになったり立ちっぱなしになったりしても痛い。
整形外科先生によると、余分な骨に筋肉が引っ張られて痛みを起こすそうな。
外脛骨の中でも痛みを伴うものは「有痛性外脛骨」という名前で呼ばれるらしい。

思春期頃に発症テーピングサポーターなどで対処するケースが多いそうだが、私はこの痛みを病気(怪我?)と思わず数十年を生きてしまった。
さないまま大人になってしまったので、完治するということはなく、「多少はマシ」というレベルにしながら一生付き合っていくという選択肢ベストだそうだ。

小学生の頃、遠足で長距離を歩いて帰ってきて、やはりこの第二内くるぶしが痛んだので
「足めっちゃ痛い」と母親に伝えたところ
運動不足だね」と返ってきたので
『第二内くるぶしが痛むのは自分運動不足のせい』と思い込んでしまったのだ。
実際インドア寄りな子供だったし。

体を動かすのは好きではなかったが、小学生ながら運動不足は良くないなと思ったので、一念発起して少年団のスポーツクラブに入り、中学では運動部に入部した。
それでも第二内くるぶしの痛みは消えなかった。
安静にしてテーピングしとくのが本来の療法なので当然である
無理に動かすほど悪化するのだ。
しかし当時の私はとにかく自分の鍛え方が足りないのがいけないと思い込んでいて、筋トレを頑張ったりしていた。

社会人になっても第二内くるぶしの痛みは消えないままだった。
基本はデスクワークなので痛むのは通勤と買い物くらいになったが、時間が短くなった分痛みは濃縮されたように感じた。
自分では運動量が減って筋肉が衰えたからだと思っていた。

ある日友人と美術館の展示を見に行った。

美術館とか博物館とか、ああいう少し歩いて少し止まるような、スタートストップを繰り返す場所特に第二内くるぶしへの負担半端ない
鑑賞を終え、カフェに入って一息ついた私は友人に
美術館とかでゆっくり歩くのって第二内くるぶしめっちゃ痛くなるよね」と言った。
いわゆる『あるあるネタ』のつもりだった。
友人はスポーツ経験がなく私より一層インドア派だったので、同じ運動不足仲間ならこの痛みを分かってくれると思ったのだ。

意に反して友人からは「は?」と一言だけ返ってきた。

「え、内側の2個目のくるぶし痛くなるでしょ?」
「いや2個目のくるぶしって何?」
「かかとにあるのが1個目じゃん、そのちょっと斜め下にさあ」
「ないよそんなん」
と噛み合わない会話をした後、
埒が明かないと思った私は
「触ったらわかるって!コレだよ!」と机の下でそっと友人に第二内くるぶしを触らせた。

「何これキモい
第二内くるぶしを持たぬ者が、初めて第二内くるぶしを触った感想である

その言葉にショックを受けた私は半ギレになりながら友人の足を触り返して、第二内くるぶしのないその足に重ねてショックを受けた。

そしてどちらが正常な足なのか多少の問答をしたあと、勝敗グーグルに決めてもらうことにした私たち
「内側 くるぶし 2個目 痛い」などのワード検索して冒頭の事実を知ったのである

それからというもの、歩く度に生じる痛みが一層辛くなった。
病院に通って、ダサくて高いオーダーメイドサポーターや靴を作って、痛みそのものは軽減してないとおかしいはずなのに、前よりもしんどい
世の中の運動不足人間は全員同じ痛みに耐えていると信じていたのに、そんな事実はなかったことが耐え難い。

私以外にも第二内くるぶしが痛む人はいること、
第二内くるぶしどころじゃない辛い持病を抱えて生きている人はたくさんいること、
親はただ無知だっただけで嘘を教えたつもりではなかったこと、
全部理解しているつもりだが、
足が痛む度に「本当は感じなくてもいい痛みなんだよな」と悲しくなってしまう。
人目がないところだと歩きながら泣いてる時もある。

たぶん周りで似た症状を持つ人がいないことが悲しみの原因の一つなので、
みんなの持病しんどいエピソードが聞きたい。

2018-06-24

藝大ミスコン中止に伴うはてな界隈馬鹿

美を追求するコンテスト廃止するなんて美を賞賛する事もダメなのか!

知識量を決める事と何が違うのか!

みたいな知性のかけらもないブコメ並んでてブクマカって馬鹿しかいねえな〜と思った次第。

馬鹿には分からんかもしらんが、一応説明すると人の外見において、何が「美しい」ものなのかってのがもう人に決められるもんじゃないって時代に来てんのよ。

自分の美、の基準自分で決めよう、自分ありのままの姿を自分で認めよう。

他人が優劣をつける事はやめようって話ね。

背が低くても足が短くても、美人

ニキビがあっても、肌がきめ細かくなくても、お尻にセルライトがあっても、それも美しいじゃない、って話よ。

もちろん建前でもあるよ?

でも建前から始めずに何から始めるんだよ。

大っぴらに

肌がきめ細く色白でニキビもなく足が長く髪がサラサラで艶があって額が狭すぎず広すぎず姿勢が良くてお尻が垂れてなくて二重で目が大きくて鼻が高くてどこかに気になるアザも大量のホクロもないって子

を、美人として優劣をつけ評価する事は、そういう美の基準を作るって事になるんだよ、分かる?

それから外れてる事は美人ではないって決める事なんだよ。

持って生まれたアザやチリチリの髪や短くて太い手足を否定して、その昔ながらの美の基準を目指そうって価値観自体がもう古いって話。

そしてそれこそそうした価値観から遠い人が傷ついて苦労して来たって話ね。

これを藝大みたいなとこがちゃん推し進めるのは必然よ。

もちろん芸能みたいな商売はまだまだ利用すると思うけどさ、それとこれは違うやん?

あん人間を売り物にするような業界自体普通じゃないんだからさ。

知識とか運動みたいに明らかに多い少ない速い遅い強い弱いで優劣がつくもんじゃねえんだよ、美ってのは。

誰かが勝手に決めてきたもんなんだ。

んで苦しんできたもんなんだよ。

デブ自己擁護とか言うけどさ、そうじゃねーんだよ。

ウィニーハーロウって知ってるか?

まだら肌のモデルだよ、水原希子とも共演してる。

その水原希子もケツのセルライト修正せずに出して一部ではなんで汚いものをって言われたんだよ。

でもありのままで良いはずって言ったんだよ彼女は。

それが美だよ。

まあ水原希子だって顔小さいし足長いけど、そうじゃない子だって少しずつモデルとして活動出来てきてるじゃん。

それを認める事なんだよ。

何であんなのが、って言うのは間違ってんだ。

それなら誰だってモデルになれる、と思うじゃん?

そうなんだよ、もはやモデルって何って話で良いんだよ。

いやそれでもそれなりに色々あるだろうけどね。

もちろん整形を希望する女の子はこれからも増えると思うよ。

リスクがあってもね。

それを否定は出来ないよ。

でもな、そうして整形願望を持つ子たちの根っこには、過去形成されてきた画一的な美の基準があって、それに伴う世間評価存在してるからなんだよ。

ありのままの姿でずっと評価されて認められてきてそれが世間で当たり前になってりゃそんなリスクさないんだよ。

鼻が高いのが可愛いよねって価値観が男女共になければ、そんな事しなくて良いんだよ。

よくよく考えるとさ、健康を害してまでウエストを締め上げたコルセット時代からまだそこまで進歩しちゃいねーんだよ人類

から少なくとも大っぴらな美の基準固定化する行為否定されて然るべきなんだよ、わかる?

ちなみに俺は高校生の時に学校ミスターコンテストで優勝した事あるけど、この流れは素晴らしいと思う。

これは冗談で言うけど、おまえらブサイクブスばっかのくせになんでルッキズム片棒担いでんだよ。

というかそこにコンプレックスあるやつほど執着すんのかもな。

あれだけ従わされてきたルールが突如変更になるって、俺私のこれまでは何だったのって。

ももう楽になろうぜ。

そんで自分の子もの代では過去の美の価値観から解放してやろうぜって思わんのかね。


追記:アノニマスでもなんでもないけど読んでくれてあざす。

だいぶ煽ったおかげで読まれた気がするけどもその部分の反発やご指摘は仰る通り。

自分の云々は蛇足だしどうせ僻みだろみたいな反応への予防線なんか張る必要なかったし馬鹿だったと思う。

多分自分ブコメするほうでもそこ一言嫌味入れると思うしのっけから馬鹿だなんだという部分で不快になった人には申し訳ない。

ただ揚げ足取りや内容への言及なしなものが大半になっちゃったのも否めずなんつーか諸刃だった感もあって。

全部いちいち注釈入れて全方位配慮型で中庸に仕上げた文章読まないでしょ?という気持ちは今もなくはない。

重要なのは美の基準の話だけど、生理的レベル好き嫌いに関しても俺は後天的ものだと思うんだよね。

まれた時から周りに自然にいる人に対して自発的生理的嫌悪は起こさないんだよ。

いわゆる顔面うんたらみたいな障害持ってる人とかも、出会たことがなければ衝撃を受けるのは自然な事だけど、仮に身近に当たり前にいれば生理的嫌悪も起きないわけよ。

現代美的感覚西洋文化から受け売りのものが多数であって、心理的ものですら必然的な現代生活刷り込みあっての後天的環境要因あってのものだと思うわけ。

現代文明に触れてないジャングルの奥の少数民族が同じ美的感覚持ってると思うか?って話。

からそれらも刷り込みであって、その土壌を作ってきた1つの美の様式を小さなとこから解体していくべきと俺は解釈してるわけ。

それはある種文化を壊すことにもなるけどそれがあるべき人間進歩には間違いないわけよ。

海外の流れがそういう考えを元にしてるとは思わんけど、自分の美の基準自分で決めるべきってところを掘ってくとそういう話にもなるわけ。

今までの基準を壊していく事、刷り込まれてるものを一旦全部リセットしてっていう。

ファッションだって黒人ヴィトンのショーを数日前にやって、ストリート手法がどんどんラグジュアリーにも本格的に受け入れられて、まあそっちはマーケットベースで動いてるけど、そういう一連の流れと多様性価値観進歩は全て共鳴してんのよ。

藝大みたいなとこは、って言ったのはアートとかそういうのは価値観を先に進め時代を牽引するものであって、だからこそ表のミスコン?にはそういう意図があった中、保守的な従来型のミスコンをやるってのがそりゃ違うでしょってなるのは必然って話。

あと運動能力知識量は明らかな勝敗がつけれるものであって、生まれ持ったものに左右されるのは確かだけど、美の基準後天的に作られてるっていう前提からすると同列には語れない。

それも比較するな、となったら努力否定する事になるってのは分かるけど、運動能力知識量は目指すべき方向性が決まってる。

それに対して美への努力は何を持って美とするか、を誰かが決めるものではないって話。

ミスコン結果的に目指す基準を作る行為になるって事ね。

あと芸術点のある競技の話に関して鋭いツッコミあったけど、これは競技に限らず芸術作品、文芸ファッション音楽とか全てにおいて権威評価を決める事への反発の動きもあって時に変動するからこそ基準に対して流動性があって良しなわけ。

それにそれらは人が作った競技から基準を人が作っても良いわけよ。

でも美人基準流動性がなく(ほんとは若干あるけど、流行りの顔とか。でも生理的ものとか言われるくらいだから根底あんまずっと変わってない)、なおかつ人の外見なんか人が生み出した競技ではなくその美の基準だけ人が生み出して、それで苦しむ人がいるわけやん。

んでミスコンはそんな外見の優劣なんて競技に参加したつもりもない人間判別する基準を制定する事になる行為だって話。

から取りやめる事は必然であって、他の競技も出来なくなるとかつまらない時代とかって批判おかしいっしょっていう。

この辺が話の本題で本質ね。

ブコメ本質の話にあまり至ってないのは俺の責任でもあるけど、少しでも気にかかった人はこの追加まで読んでくれると真意は伝わると思う。

再追記:タイトル煽りで損してるのも分かってるけど敢えて改変はしないつもり。

キモい、とかそういう内容に言及しない批判はどうでも良いし、的外れ批判を取り上げて持論を補強する卑怯なやり方もしないっす。

でもブコメ意見がめちゃくちゃバラバラでそれは良いのかなと。

勢いで書きなぐったのでまとまってないのは申し訳ない。

誤解を生むのも自分のせいかなと思うけど、未だに「黄金比みたいな美の基準は決まってる」みたい論は、それ後から決まってきたものであって、例に出してる現代文明に触れてない人間には通用しないんじゃない?=文明の影響で黄金比を感じる土壌が出来てるのであって後天的なもんだからそれを普遍的な美だと決めつけて人様の顔に当て込んで評価するのやめようぜって話。

で、そうした美の基準は多様で良いって前提なら従来型の画一的な美の基準に照らした評価継承するミスコン無用過去価値観を補強し定義する害悪って言ってる。

美以外にも努力否定してないし、ただ美の努力方向性勝手に誰かが決めてくのは終わりって話よ。

肌が綺麗とかどーとかよ。

ありのままでええやん、が本旨。

何回も言うけど、他の運動芸術などのコンテスト競技競技自体を作ったのが人間であり、何かを行ったもの、を評価するものから評価基準を人が作って良い。

一方、顔やスタイルなどの造形は生まれた時にある程度決まっており、何かを行ったもの、ではなく存在する外見そのもの評価する事でもあるから評価基準を人が作るべきでないって事。

努力っつっても外見に関して何に向かって努力すべきかを他人が決めるなって話。

そこからデフォルトで遠い人間ネガティブ評価を受けるから、以上。

ミスコンは中身も〜の議論は無毛なので話しません。

だったら中身だけでやれって話になるので。

余談だけど俺はめちゃくちゃ性格悪い自覚はあるから言及しなくて良いっすよ。

あと普段ブクマカなのでトラバ見方がむずくて見れてないす、ごめんなさい。

今チラッと見たけどトラバの方が建設的で内容に言及してくれてるっぽいのであざます

2018-06-15

anond:20180615103253

勝敗がついちゃう競技はできないんだから廃止だね(脳死

ごめんな、俺そもそもスポーツそんなに好きじゃないから考えるの面倒くさくなったわ

変な絡み方してほんとごめん

2018-06-11

弱い人をターゲットにするのは悪いことじゃない

ぶつかり魔などが明らかに弱い相手だけターゲットにしていることが卑劣と叩かれているのを最近よく見る。

・罪もない人を攻撃すること

自分より弱い相手を選ぶこと

この2点がごっちゃになって両方叩かれているわけだ。前者はもちろん悪いことだけど、後者は当たり前のことで良いも悪いもない。自分より弱い相手を選ぶ当然の判断を責めるのはヘンだ。

「力なき正義無能」という格言がある。逆に言えば自分の力より弱い相手を選べということだろう。例えば子供ゴミポイ捨てしていたら注意するけど、怖い人がゴミを捨てていても注意しない。それは正しい判断だ。

弱い相手だけ選んではいけないというすり込みがあると、誰それ構わず注意して酷い目に遭う危険性がある。あるいは逆に相手子供だろうと見てみぬふりして注意を避けるようになるかもしれない。

からこそ自分より弱い相手を選ぶのは正しいと肯定したい。勝敗も考えずに動くことを推奨するのは危険だ。繰り返しになるけど悪いのは「罪もない人を攻撃すること」であって「自分より弱い相手を選ぶこと」は正しい。

2018-06-10

anond:20180609235659

いや常識的に考えて後攻ガン有利だぞ。特にDH無しの場合は。

例えば両方のピッチャーが6回まで1失点、そして互いのチームともに7回にチャンスで投手打順が回って代打を出した場合、先攻チームの投手は六回でマウンドを降りる事になるが、後攻チームの投手は七回まで投げきる事ができる。実力のある先発ピッチャーを1イニング多く引っ張れたり、中継ぎを一枚温存出来るのは接戦の場合勝敗に大きく影響する。

2018-06-08

プロレスは芝居」ってのも幅の広い話だよな

試合の流れはだいたい決まっている(試合時間勝敗など)

・技を避けない/防がないことが多い(相手の技に協力する)

・受け身を取れるように技をかける

あたりのことなんだろうけど。

2018-06-06

anond:20180606210527

認識粒度が違うんだろうな。

FPS」とか「RTS」とか「格ゲー」っていうくくりなら同じなんだろうけど、同じジャンル内でもタイトル毎に勝敗を分けるポイント違うだろ?

それが新作がたくさん出るゲームの良さでもある訳じゃん。

でも、眺める側からしたら面倒になってしまう。

だったら、ほかのもっと歴史の長いスポーツでもいいわけじゃん。

そして眺める人たちをたくさん囲おうとすると今度はもっと大事にすべきプレイヤーが飽きちゃう

同じタイトルをずっとやり続ける人は確かにいるけど、多数派ではないわな。

そういうジレンマをどう解決するか、ってことが重要なんだと思うし、

人口が右肩下がりで減っていく日本ではなおの事重要になってくると思うのよ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん