はてなキーワード: 屁理屈とは
「旅行が別に好きじゃない人をそのままにしておいてくれ」って、その追記の仕方では屁理屈こねて「旅行が好きな人」に喧嘩を売った形になっているのが理解できていないのではないか?
まず「旅行が好きな人をそっとしておいてやれ」。そっとしておかなかったのなら、自分もそっとしておかれないことは計算に入れておかないと。
「旅行が好きじゃない理由」として挙げられた事をを取り除いたものが提案されても「嫌いだ」っていうのは、「挙げた理由が間違っている」って事になるよ。そこで「自分が挙げた理由はたぶん全てではない」という説明をしておかないと、「難癖をつけたかっただけだろ」とか取られてしまう。
自分の頭で30秒もろくすっぽかんがえてもいないゴミゴミクズのくせに、
脊髄反射で自分にとって心地いい方向に他人を捻じ曲げようとするサイコパスっぷりを発揮しつつ、
言語化した自分によって自省することなしに絶頂に達してるとこなんですよ。
そこから進化して自分にとって心地いい方向に他人を捻じ曲げるために
知識や屁理屈や、統計を元にして相関から因果関係を導く誤誘導などで誤魔化すクズことはてなブロガーの記事を見て、
自分にとって心地よけりゃ同意してそれが結論であるかのように思い込むし、
自分にとって心地悪けりゃ殺す勢いで否定しまくってスッキリするし、
おまえ情報を得てなんにも変化する気ねぇなら意味ねぇから死ねよという感想しか湧かないんですよね。
自省したことのないクズは自分の発言がどういうところから出てくるのか考えたこともないのだとよくわかるな
しかもなぜか俺が捻じ曲げられる側の人間に違いないという脳内妄想全力で振りかぶっちゃう論理性のなさね
他人に影響を与えようとしてないならどうぞさっさと非公開にしてくださいね
他人のコメント見たらそれが全部他人の意見を捻じ曲げるためだと判断するとかどんだけ感受性豊かなんだ
「私はコメントを見たらそれがすべて他人の意見を捻じ曲げるためだと判断している」とはどこにも書いてないんですが。
論理性がないアホは脊髄反射でコメントするから命題を踏まえた意見を述べられないんだとよくわかるな。
ネット上の意見なんて指向性ないもの腐るほどあるし
はてブの話をしてるんですけど?
30秒もろくすっぽかんがえてもいない脊髄反射でコメントして言語化した自分に酔って自省することなしに絶頂に達してるということや
小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から「受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。
それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。
そもそも自分は中学受験の必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲に私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離の私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。
通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生がバイクで走り回るなんてことはザラにあった。
力の強いやつが偉い、という暴力的な世界ではあったし、自分はクラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。
その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学も東大・京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。
自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブなイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。
私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間が私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである。公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的に比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。
4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分は公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。
先に述べた通り自分は田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。
息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。
最終的に私立中を受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。
しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親は絶対私立派、父である自分は公立肯定派ではあるが私立も別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな。
仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?
当時の息子の塾での成績からすると、その学校はちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。
聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校の東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しかし自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大に合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生が東大に合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。
「中学に合格した直後が自分の人生のピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校に合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。
本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というものは一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずにはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。
人生のピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験ごときで限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。
息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭を見学して自由な雰囲気が気に入った」ということらしい。しかし文化祭や体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である。
だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初に見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれた学校観を友達に披露するような子もいたのではなかろうか。
いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である。
しかし公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値やステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である。
息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校を自分で見極めることにした。
6年生の春になってから、候補となりそうな中学の学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分が中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。
正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しかし校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的なカリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。
なるほど、これが私立か。
確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。
さあ、本人を説得だ。
仕事でクライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングのテレビに映して、自分の気に入った学校に誘導するプレゼンを行った。
学校選びに関する様々な観点を提示し、各候補校のメリット・デメリットを説明した。内容を正しく理解すれば、自然と自分の勧める学校が第一志望になるはずの渾身のプレゼンである。
そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来からの御三家校の名前を挙げた...。自分のプレゼンは何の効果も発揮しなかった。
説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後の最後に説得が成功すればいい。
夏休みが明けると生活は受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。
しかし、塾以外での勉強時間は特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリの時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。
テレビやマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)
ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。
しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月頃からは御三家校を完全に射程に捉えた。
その後は概ね合格圏内をキープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分の見立てた通りのシナリオだった。
第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分のお勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。
この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。
が、残念ながら不合格。
さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事。
「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功に必要な過程のひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」
午後に受けた学校は当日夜にインターネットで合格発表があり、めでたく合格!この学校も自分の評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である。
父お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ。合格発表は翌日朝。
受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校の合格発表の時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...
うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。
実のところこの学校、偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問をちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。
午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校の合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである。
緊張の一瞬。
遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。
合格。
父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。
そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝の言葉をもらえるとは思ってもみなかった。
また、自身の合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。
自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。
それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分の人生を自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。
自由な校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。
(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)
来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものはほとんどない。
息子の受験は成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針や戦略はあくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。
あえて言うなら、
以上、長文乱筆失礼致しました。
そういうケースもあれば、最近のクリエイティブな採用担当みたいに「ワケわかんねぇ自分ルールを作って勝手にそれが正しいと決めつけて相手に押し付ける」場合も屁理屈っていう言葉で片付けられる場合が多いけどね……
最近のホッテントリを見ていて急に思い出した。子供の頃、屁理屈って言葉が大嫌いだった。
私は、ただただ自分の考えを伝えようとしているだけなのに、大人からは「屁理屈を言うな」と一蹴されていた。
その言葉の意味がまったくわからないから、屁理屈って何なのか、どういう意味なのかとしつこく問いかけるんだけど、「子供にはわからんよ」とか「お前の屁のような理屈のことだ」とか、全然答えになっていない返事しかされなかった。
挙句の果てには、「可愛げがない」だの、「頭でっかち」だの散々なことを言われていた。
年を取ってから分かったことだけど、「屁理屈」って言葉は、自分の頭で理屈を組み立てられない人が、議論から逃げるために使う言葉なんだね。
相手が言っていることが気に食わない、だけども自分では明確な反論ができない。そういうときに、思考を停止したまま相手を攻撃し、自分の身を守る。そんな用途で使われる、暴力的な言葉が「屁理屈を言うな」だったんだ。
パンズ・ラビリンスって作品は結末の捉え方が2つあるんだよね。
それでまあどっちの結論が正しいのかは監督がコメンタリーで語ってくれてるわけなんだが……。
なんとネットでは間違ってる側の考察を強気に語るアホが後を絶たないんですわ!
正しい方の考察を強気に語ってる人がたくさんいるならまあ理解できるよ。
たとえそれがどんなに自分の思考過程に対して自画自賛の嵐で自分以外の意見を認めないような断定口調でも、それが正解ならまあそんなもんかと思うよ。
でも間違ってる意見語っておいてハイこっちが正解!これが真実!僕は正しい観察眼の持ち主!とかやって反対意見を小馬鹿にするような態度を取って大間違いとか……
マジさあお前ら恥を知れよって思うわ。
ある種逆説的に、間違ってる方の結末を支持するのならばロジックに穴が開いてしまう部分があるのでこれは一見正しくなさそうにも見えたとしてもこっちが正解なのだ、って。
じゃあ間違ってる方の意見はどう導かれるかって言うと完全に感情論ね。
「この映画はこういう映画だ」って自分の頭のなかで決めつけてそれを疑いもせずにその結論ありきで結末を決めて反証になりそうな部分は「妄想!」「妄想!」って連呼して押しとどめる。
もうね、アホ。
お前らみたなのが偉そうに映画を語らないでくれる?
そう思わざるをえないね。
もしも合ってたのなら、まあお口が悪いのね、で済むのよ本当。
でも間違ってるんだから、あらまあそんなに頭が悪いのならもう文章を書くのなんてお辞めになったら、としか言い様がないじゃん。
うん、軽くショック受けた。
世の中にはこんなに自信満々なバカが溢れてるのかって目眩がした。
バカほど自分が正しいと思って喚き散らす世界じゃ、賢い人間はアホらしくなって口を閉じてしまう。
そうなったらもうそこはバカの言う合ってるか正しいのかも分からん感情論だけが吹き荒れるよ。
それが常に間違ってるのならそれは"確率0%の天気予報"として役にはたつ、
でも馬鹿の意見ってのは完全にランダムでサイコロ振り回してからその出目に屁理屈くっつけるスタイルだから何の役にも立たない。
http://anond.hatelabo.jp/20170119182049
この増田は「本当は成人だが、未成年に見える人物が飲酒しているのが問題」
と捉えているようだが、それは問題ではない。
このクレームをわかりやすく言えば「アニメは子供が観るものであって、アニメで酒のCMを打つというのは子供に酒を飲むよう勧めていることと同じだ」というものだ。
つまり、クソ老害が「アニメはガキのモノ」と決めつけた上で、意味不明な屁理屈を喚いたのに酒メーカーが屈しただけだ。
このクレームを出したのは「アルコール薬物問題全国市民協会」という団体だ。
これは禁酒団体といって、「酒は覚醒剤以上に人体に有害である!即刻販売を中止せよ!」と大声で喚く健康オタクしかいないキチガイ団体だ。
こういったキチガイ禁酒団体は他にもいくつかあり、近年こういう禁酒団体の声が年々でかくなってきており、喚くたびに報道されることが増えてきた。
なぜこんなに禁酒団体の声が大きくなったのか元をたどれば、タバコに行き着く。
最近は、ちょっとタバコを吸うだけでまるで親の仇かとでもいうほど世間から攻撃される世の中になって久しいが、世間をこう煽動したのは禁煙団体だ。
禁煙団体もまた、タバコが死ぬほど嫌いな健康オタクか、医者か、製薬会社の人間しか所属していないキチガイ団体だ。
まず、2000年代前半に、禁煙団体は「受動喫煙」という珍論を世間に浸透させることに成功した。
「タバコを吸っている本人よりも、その周りの人のほうが健康を害する」という珍論としか言い様のない珍論だ。
タバコの煙を吸うのはもちろん体に悪いが、どう考えたってタバコで一番健康を害しているのは喫煙者本人である。
しかし、「喫煙者本人はフィルターを通した煙を吸うので周りほど健康を害さない」のだそうだ。
タバコ吸ってもフィルターがあれば健康を害さないなんて知らなかったよ!
そんな珍論を鵜呑みにした世間は、「喫煙者本人は健康を害さずにのうのうと喫煙しているのに、喫煙していない周りのほうが不健康になるなんて許せない!」と、一気に「喫煙者は殺人鬼」として扱うようになった。
世間の後押しを手に入れた禁煙団体は、更にタバコを悪者に仕立てあげようと大声でいろんなことを喚きだした。
一番有名なのはジブリ映画「風立ちぬ」に喫煙シーンが出てくるので上映中止しろ!と抗議したことか。
これには流石に世間も呆れた意見のほうが多かったが、とにかく「タバコは悪いんだぞう、我々は怖いんだぞう」とアピールできればいいのだ。
そう、この「風立ちぬ」へのクレームも、今回の氷結CMと同じように「アニメはガキのモノなのに、喫煙シーンを描くとはガキにタバコを宣伝しているのと同じだ」という、「アニメはガキのモノ」と決めつけた上での老害極まりない意味不明なクレームだった。
このクレームを出したのは「日本禁煙学会」という禁煙団体だが、そもそもこのクレームがおかしいのは、「日本禁煙学会」は毎年「無煙映画大賞」というイベントを行っており、日本で上映された映画を「タバコが登場しないか」だけで逐一チェックし、喫煙シーンがある映画は「喫煙シーンを描くだけあってお安いお涙頂戴もののクソ映画」などとボロクソに貶し、タバコが一切登場しない映画には「素晴らしい映画だ!」と大絶賛するという、キチガイここに極まれりといった感じの常人には理解し難い奇行の中で「アニメは審査対象外なのでチェックしない」としていることだ。
なのにちゃっかりアニメ映画に喫煙シーンが描かれると大声で喚いて上映中止を求める。タバコさえ攻撃できればなんでもいい、という様子が全面に出ている。
また、日本禁煙学会は「タバコの登場する作品は全てタバコ会社から金を貰って宣伝しているステマ」と思わないと頭がおかしくなる病気にかかっており、例えば喫煙シーンが一切登場しない映画でも、背景にちょっとでも喫煙所が映り込んだり、コンビニのシーンでレジ横に陳列されたタバコがちょっと映っただけで「これは酷いステマ映画だ!JTから、いくら汚い金を貰っているのか!」と大憤慨する。
他には、絵本に描かれたおじいさんがパイプをくわえていただけで「子供の本にタバコを描くとは何事か!」とクレームを出して回収させたり、
「渋谷にある『塩とたばこの博物館』は文化的価値が皆無なので今すぐ廃業しろ」とか言い出したり
、メチャクチャだ。
2011年の東日本大震災の際は、日本禁煙学会が緊急記者会見を開くというので何事かと思いきや
「タバコは原発以上に放射能を振り撒いている!火の着いていないタバコがあるだけで被爆する!つまり、タバコが販売されているコンビニに入店するだけで健康に甚大な被害を及ぼす被爆になる!原発より先に、タバコがある場所を全て立ち入り禁止区域に指定し、タバコを残らず地中の奥深くに埋めろ!」と喚いたのである。
作り話でもなんでもなく、マジの話である。
さすがにこれには各メディアもポカーン状態で、大手メディアで報じられることはなかった。ニコニコ生放送で中継されたくらいだった。
最近はこの「タバコde被爆」論を「受動喫煙」の進化系として広めようとしている。「サードハンドスモーク・三次喫煙」といい、過去に喫煙された部屋の壁紙やカーテンにタバコの煙が染み込んでいて部屋にいるだけで常に受動喫煙している状態なので部屋に絶対入っちゃいけないし、
喫煙者はタバコを吸っていなくても口から常に煙を吐き出し、髪の毛や衣服からもタバコの毒を放出し続けているので喫煙者に近づくだけで受動喫煙になるので
喫煙者は会社で働くな、人に近づくな、隔離しろ、というものだ。
なぜここまで躍起になるかというと、儲かるからに他ならない。
禁煙団体はキチガイ健康オタクだけではなく、医者、製薬会社が所属している。
タバコを辞める人が増えるほど、「禁煙外来」に人が集まり、「禁煙薬」が売れるのだ。
一時期、一日中テレビで「今すぐ!禁煙外来」とCMしていたのも、それほど儲かっているという証拠だ。
ただ、この禁煙薬には「悪夢で魘される上に鬱病になる」という副作用が報告されているのだが、この副作用のことを一切説明せずバンバン処方しまくっているのが現状だ。「チャンピックス 副作用」でググればその副作用に苦しむ人の声がたくさん見つかるだろう。
面白いのが、禁煙団体もまた3つほどある。「タバコ撲滅」という共通する目的があるのだからそれぞれ協力すればいいものを、派閥争いになってお互い権力を奪い合っている状況だ。
これと同じように、禁酒団体も禁煙団体のような権力と金が欲しくて今回のような行動を近年多々繰り返しているのだ。
今回の氷結CMの件だって、アニメをガキのモノと決めつけている上に、「海外では酒のCMを禁止している国がある。酒のCMは打ち切って当然だ」と意味不明な主張をしている。
日本には酒のCMを禁じる規則はない。ごく少数の外国の話を持ち出されても、関係のない話だ。
実は、日本だけではなく、いま世界中で酒を「第二のタバコ」に仕立てあげようと動いている真っ最中だ。
2009年頃に、WHOが「タバコはもう大体やりつくしたから、次のターゲットは酒な。酒を規制しねえ国には圧力かけるからな」との声明を発表し、
店頭での酒の販売禁止、酒の割引き禁止、居酒屋での酒の飲み放題禁止などの法律を作る国が次々出てきた。フランスなんかは「一日一杯のワインがあなたをガンにする!」というロシア的倒置法みたいなスローガンを打ち出して国家レベルで禁酒キャンペーンをしている。
一応日本はまだまだ「飲酒は食文化のひとつ」という認識なので、タバコほど嫌われるものにはなっていないが
WHOの圧力を後ろ楯に、年々声のデカくなる禁酒団体に日本の各酒メーカーはガクガクブルブル状態だ。みんな一様に「タバコにだけはなりたくない」と言う。
しかし、世界的禁酒キャンペーンが海外で浸透してタバコ並みの悪者になる日も近い。日本も他人事では済まされない。
娘がすっかりアニメおたくになってしまった関係で一緒にアニメを見る機会が増えたんだが。
なぜに最近のアニメはこうも屁理屈をこねた駄文長文セリフの羅列垂れ流し系が多いのか??
自分たちで作った設定世界観を都合よく解釈させるためだけのセリフの羅列、垂れ流し。
お粗末な作画、キャラ設定脚本。声優が歌ってBL臭がすればそれでオッケーみたいな風潮。
粗悪品の乱発。それでも一山当てればデカイから、乾いた雑巾を絞るように周辺の人間含めリソースを消費し疲弊させていくだけの大量生産。
特に海外で一定の評価を得るようになってから、一攫千金を夢見ての乱発がより一層ひどくなってきたような気がする。
チンコの皮剥いてる状態で生活してるとなんかあると擦れて感じたりするし前の日オナニーしすぎてヒリヒリしてると今度は擦れたら痛いじゃん。
でも皮被せておけば擦れて感じるとか痛いとか無いわけよ。
チンゲ巻き込んでダメージ受けることはあるけど擦れる頻度に比べたら問題ない方じゃん。
思うんだけどチンコって皮があるのが正しい姿なんだよね。
野生の世界だったら木の枝にチンチン擦ったりしかねないって事考えれば皮あった方がいいに決まってるじゃん。
でもそれが時代の変化で必要なくなってそこで唐突に今まで虐げられてきたズルムケ族が屁理屈こねて復讐を始めたんじゃないかなって思うわけよ。
たとえば奴らがいう蒸れて変な臭いするとかあんなのソイツがそもそも朝晩ちゃんと洗ってないだけでしょ。
前の晩オナニーしたのを雑にティッシュで拭いてそのまま寝て朝シャンもせずに家を出たとかどうせそんなのでしょ。
虐げられてきた側の反乱って実際歴史の中でたくさん起きてるしね。
政治は言わずもがなだが、何せ最近まで無意味な規則があったり、道路交通の発展がやたら遅れていたり、大都市の癖に私鉄がしぶとく残っていたり、座高検査というものが無意味とわかっていて最近まで続いていたり。
それでも、私はこれは変わったといえることがある。それは、「ブラック企業」バッシングが良く作用できたということと、「バイクバッシング」がほぼ衰退したということ。
前者は日本の社会・経済的発展において止むを得ないからあの電通叩きが酷かったのはそのためだと思うんだけど、後者についてはやはり「無意味かつ全時代的価値観な叩き」というものが廃れたので良かったということ。
自転車は生活必需品で、オートバイは贅沢品という印象が大きいが、近い将来これが逆転するんじゃないの?日本なんぞこのご時勢に「日本のグローバル社会化成功を願う!!」をスローガンにしていて、日本の隣国はアメリカとロシアを除いて、自転車とオートバイの比率が日本と逆になっているし。
オートバイがらみの話が出てきたので云っておきたいけど、不良・珍○撲滅への感謝は権力だけに云ってはいけない、不良抜きに社会を楽しめるようにした社会と経済に感謝しろ。
「日本死ね」ならぬ「天皇制つぶせ運動」というものが広まっているから、次は何らかの屁理屈でそれが正当化されるんじゃないの?共和制移行が時代の要請であったとかなんだかんだでね。
反基地と違って反オスプレイは少しでも基地を弱体化してやろうと言う意図しか感じない
どうせ反オスプレイが通ったら次に槍玉にあげる機体もあるんでしょ
他の航空機と比べて事故率が突出してるわけでもないのにこの現代で墜落したら怖いからなんて屁理屈に過ぎない
今回の事故も誰も巻き込まれてないし死者もいないのに謝罪しろとか舐めてるとかゴリ押しで盛り上がってるし
しかし少しでも弱体化を狙っている反オスプレイは別の勢力を感じる
だいたい南シナ海でまた戦争の火種となってもおかしくない不穏な動きがあったのにたかが輸送機で盛り上げてるとか、中国にとっちゃメリットのある展開ですね、色々と
色々言ったけど間違っても沖縄県民の方々に向けてこんなこと言ってるわけじゃない
その感情を煽り立てたりして利用してやろうって言う沖縄ナショナリズムの扇動者をつまみ出したい
親のことでしんどい
http://anond.hatelabo.jp/20161215004851
の元増田です。親から逃れるべきだという意見が多かったので、虐待の記憶を辿ってみます。虐待だと認められれば、逃れられる確率が上がるそうです。公開することを許して下さい。
暴言編
・「血がつながってないっていうのは忘れるなよ」
【状況】引き取られた当初、小学校低学年時
【補足】この後、血がつながってないという言葉を知った増田は、妹に「でも血がつながってないし」という発言をする。母から教わったとおりに振る舞っただけなのだが、この後、ここで増田が妹に言ったのが全ての発端という扱いを受け、事あるごとに「お前、血がつながってないって言ったよな?ヒドいやつ」となじられる。小学校低学年に「血がつながっている」という概念があるわけないのだから、親世代から教わらない限り、発言が出てくるはずがない。
・「私の娘と恋愛状態になったら殺す。お前も殺すし、娘も殺す。一方的に恋愛感情を抱いても殺す」
【状況】引き取られた当初、小学校低学年時
【補足】ちなみに、姉に関して父が「年齢の割に色気がある」と言ったことを発端にして、母は自分の娘が美人だという誇りを得ていた。そこでやってきた義理の息子によって貞操が脅かされる危機を感じたようである。どう考えても警戒すべきは父の方だった。(実際、父は性的虐待をしていた)
【補足】増田はアスペルガー気味なので、変な訂正を入れることがよくあった。来た当初も、妹が「豆球」と言ったのに対して「豆電球だよ」と言ってしまった。それ以降、「豆電球とか言ったけどな、そんなのどうでも良いんだよ。屁理屈ばっかり」としつこく言ってくるようになる。それこそどうでも良いだろうが。まあ、エピソードとしてはまだ笑える方だと思う。
・「こっちがこんなにやってんのに、お前は心を開こうとしない!!」
【補足】やはり増田はアスペルガー気味なので、相手との距離感が分からない。それを心を開こうとしない、と取られてしまった。なお、「こんなにしてやっている」という発言は子に対しては基本禁句だと聞いている。
・「感謝しろよ。お父さんはお前を引き取るつもりはなかった。私が可哀想だと言ったから引き取ったんだ」
・「お前算数しかできんよな。算数とか、答えが一つしかないんだから、出来ても何も偉くない」「私は子供の時、国語が出来た。国語は解答が一つじゃないから、国語が出来るのは凄いことなんだ」「娘達は国語が得意だから凄い。お前は国語が苦手だから凄くない」
【補足】ぶっちゃけた話、別に兄弟が国語を得意としていたわけではない。なお、国語も基本的に解答は一つにしか定まらないということを高校受験の辺りで知る。
・「お前だけ、生まれた年が偶数だな。やっぱお前仲間はずれじゃん。血で見ても仲間はずれだし、どうやってもお前は仲間はずれ」
【補足】この後、泣いてしまう増田に対して、「何泣いてんの?事実を言っただけじゃん」と続く。
・「この猫は3年前から飼ってるのよ。お前がこの家を出ていったのは2歳のときだから、お前はこの家にいる年数が猫よりも短いことになるな。自覚しとけよ。お前はこの家においては猫以下」
・「もう出て行けや!今やってる母をたずねて三千里みたいに本当のお母さん探しに行っとけや!!」
【補足】このときに出ていった方が良かったのかもしれない。
・「何でお前、お父さんが帰ってきたらすぐに居間に来るわけ?お父さんがいないときに居間に来ないの何なん?」
【状況】父がいない状況で増田の部屋にて
【補足】引き取られて半年ほどで、父がいる前では上記のような人格攻撃がないことに気づいた増田が取った行動。ちなみに母はこの言葉の後、「お前がお父さんとずっと過ごすわけじゃないだろ?私が一生過ごすわけ。」と続ける。
・「お前が家に来たせいでな、姉に一人部屋が与えられんようになったんだけど。分かってるの?」
【補足】子供用に出来る部屋は2つ、同性同士じゃないと同部屋には出来ない、18歳で家を出ていかないといけないという約束(これは実子も)によって、姉は一人部屋が得られないと母が気づいた結果出た言葉。しかし、この4年後に姉は一人部屋になり、増田と妹が共同で部屋を使うことになる。もちろん謝罪や発言の撤回は一切なし。
・「お前は私の実家には連れていけない。後から引き取ったなんて、恥ずかしくて言えるわけない。だから、お前は私の実家から見ると存在してないの」
【補足】なぜ「存在してない」という言葉を使う必要があるのかは不明。なお、実家に言っていないのだが、祖母には伝わっていて、彼女はいつも小遣いを実の孫でもない増田にくれた。何度か会ったが、この人は良い人だった。
・「こっちはあんたに対してな、腫れ物触るみたいに接しないといけない!!」
【補足】上記を鑑みる限り、外科手術で取り除く方の腫れ物である。
・「こっちが親切心からお菓子買ってやってるっていうのに、兄弟に渡すなボケ!!!」
【状況】買ってもらった4個入りのお菓子を兄弟に分けていたとき
【補足】以降、どんな他人に対してもおすそ分けをするのが怖くなる。
・「紅白饅頭をなんで一人で食ったんじゃ!!常識がないのか!!姉はちゃんと私らに配ったぞ!!!」
【補足】上記の発言と完全に矛盾するがお構いなし。もちろん、殴られながらである。この後、増田は「饅頭でそんなに言われるのはおかしい!」と泣きながら抗議したが、「食い物の恨みは恐ろしいんじゃ!!!」とまた何発も殴られる。恨みって、饅頭もらえると思ってたのが裏切られたってことだろうけど、別にあげる宣言もしていなかったし、紅白饅頭によって飢えたわけでもないので意味不明。以降、紅白饅頭が苦手になる。
・「こないだのフラワーアレンジメント教室にあんたのお母さん来ていたよ。女の子連れてて新しい人生歩んでるみたい」
【状況】母がフラワーアレンジメント教室の講師をしていたとき、家に帰ってきてから
【補足】実母は他に子供がいないし、隣の県のフラワーアレンジメント教室に参加して、寄りによって元夫の現妻が講師をしているところに遭遇するわけがない。増田を支配したかったのだろう。
・「お前が修学旅行で家を空けてるときに、皆で一つの部屋で雑魚寝したの。お前も、こういう家族の絆を確かめること、したいよな?」
【補足】別に雑魚寝をしたいと思ったわけではないが肯定してみた。以後、母が父に雑魚寝を提案したということはなかった。ただの嫌がらせである。
・「お父さんには私が蹴ったって言うなよ。階段で転んだと言え」
【状況】模様替えで服を運んでいた際、増田が母に「遅いんじゃ!!もっと早く歩け!!」と後ろから不意に蹴られる。そこで勢い良く倒れた増田が犬歯で口腔内の肉をえぐってしまい血が思い切り出たとき
【補足】その口腔内の肉は今も少し盛り上がっていて、舌で触ると自分では分かる。ちなみに、母はもちろん謝らなかった。
・「私とか姉はな、皆に注目されてるから転けて怪我したら絶対にみんなが大丈夫か!?って心配してくれる。お前は誰も注目してないから転けても誰も気付かない」
【補足】確か、ここで妹の名前は出ていなかった。
・「お年玉まだあるだろ?家計が苦しいから全員お年玉の残り出せ」「隠してた場所に無い?無いって言ったらくれるとでも思ってるんだろ?」
【状況】中学生の時の2月くらい
【補足】増田は自分で隠し場所を移したことを忘れていた。この時は増田は意地汚ったため、母からこの手の発言が多かった。
・「テレビ見たら分かるけど、料理人は全員男だろ?だから男は料理できないとダメ。弁当?自分で作れよ。私はしんどいから毎日起きるのは無理」
【補足】専業主婦の発言である。自分の存在意義はありませんという宣言とも取れる。
・「ブサイク」「なんでお前そんなブサイクなん?」「ブサイクで応募とかやめてくれない?姉なら良いけど」
【状況】前二つは事あるごとに、三つ目は、姉が芸能プロダクションに応募したいと言ったときに増田が便乗したことに対して
【補足】自分でも送って受かってたとは到底思えない
・「お前の習い事で大会がある度に隣の県に連れて行かないといけない私の身になってみて」
【補足】妹の習い事は同一県内で完結していたので文句を言わない。父にはこの愚痴を言わない。
・「模試とか受けるな。塾から勧誘の電話かかってくるだろうが。迷惑考えろ」
・「お前は本当にご飯のおかわりをよくするよな。メシ代考えろや」
【補足】ご飯を2杯食べることが多かった。いくらでも食えと言ったのは母である。
【補足】小学校の時は低かった。中学で平均より少し低い程度になった。
・「お前クサい」「この部屋クサいわ」
・「お父さんに聞いたら、あんたのお母さんワキガなんだってさ。だからお前がクサいのも納得だわ」
・「私は子供の時に入院してて、病弱なんだ。娘も私に似てか弱いところがある。本当に心配しないといけないし、お父さんも心配してる。可哀想に。お前は健康そのものだな。可哀想でも何でもない」
・「○○をしたら100万円払えよ。誓約書書けや。拇印も押せ。よし、これは私が保管しておくから」
【状況】小学校のとき。○○の内容はよく覚えていない。何か、行動が制限されるものだったと思う
【補足】半年ほどしてから、内容を破らなかったということで、誓約書が破棄された。「社会の勉強になっただろ?」なんて言ってきたが、こんな脅迫の関係を知りたくはなかった。
・「お前は血液型O型だから自己中心的」「私たちは全員AB型だから、気配りがあって几帳面で~~~~」
【補足】小学生相手に大人がレッテル貼りをすると反論できない。
【補足】母によると、増田の食事の時には「ポコポコ」という音がするらしい。空気の音だとか。どう気をつけてもポコポコ音がするらしい。なお、自分では一切聞こえない。咀嚼のときに口の中から空気を出来る限り追い出しても全く変わらないらしい。母は、毎日「ポコポコ言わせる」と言ってくる。しまいには、わざとその「ポコポコ」音を自分で再現する。それを毎日、毎日、毎日繰り返す。ポコポコ音とは一体何なのか、どうすれば消えるのか、それが一切わからないまま、ポコポコ言わせている自分はテーブルマナーのない非常識な人間だということを自覚させられるため、夕食は苦痛だった。
・「私は出かけるけど、一人で遊んでたら裸にして手足縛ってベランダに放置してやるからな」
暴力編
・クシで股間を何度も突く
【状況】何かで「お前それでも男か!!!」と怒鳴りながら
・竹刀で何度も叩く
・家の中で父の前科を馬鹿にしていたのに、増田が外でそのことを話したのに対して「家の者の恥を他人に言うな!!!!」と折檻
【補足】増田がイジメをした(本当はしていない)のに対して、母には「増田が傘で殴ると脅しつけた」というように改変されていた。その話を母は友人その他に電話で何度も言っていた(部屋が隣なので聞こえた)。その度に、「卑怯だろ?やるなら自分の手でやれよな」などとコメントを付けていたが、上記二つはこの言動と完全に矛盾する
・殴りつけた上で水を入れている途中の浴槽に叩き込で怒鳴りつける
【状況】小学生である増田の風呂掃除が甘く、水垢が一部落ちきっていなかったため
【補足】母は専業主婦であるが、風呂掃除は子供がローテーションで行っていた。
・子供の食事が遅いと、その子供の箸と茶碗を掴んで、口の中に無理やり掻き込む。子供は噛めないまま口の中に次々と入ってくるので、反射的に吐きそうな動作をしてしまう。そうすると、また怒鳴る。
奇行編
・毎日馬鹿みたいに酒を飲んでいる父親に腹を立てて、栓を開けたビール缶を逆さに持って廊下を往復する。
【補足】そのまま不貞腐れるので、濡れた廊下を拭くのは子どもたちの役目
・夏休みの日記をつけていなかった増田を叱る(これは普通)→増田の夏休みの日記帳に「毎日付けるのが面倒だからって先に書くのかボケ!!」と殴り書きをする
【補足】ちなみに、「先に書いた」のではなく、前年の夏休みの日記帳であった。もちろん、自分の勘違いに関して謝罪しない。消しゴムでは消えないレベルの強い痕だったが、あれを提出させるつもりだったのだろうか
・増田に贈られてきた「実母からの誕生日プレゼント」と、母が買った誕生日プレゼントを「どちらか」選ばせる
【補足】増田も扱いが全く分からなかった。年賀状に罪はない(お年玉キャンペーンもあるわけで)。
http://anond.hatelabo.jp/20161204095016
驚いた。全く真逆の感想だ。アメリカといっても、サンフランシスコのイケイケスタートアップからウォール街のクオンツからシカゴのコンサルまで、全く違うだろうけど、5年以上東海岸の米系企業に籍をおき、向こうの地でもそれなりに働いてきた自分からすると全く同意できなかった。あくまで個人的な感想であるけど、いくつか反論してみたい。
俺が米系企業の日本支社に就職したとき、最初に「会議で発言しないのは存在しないのと同じだ」と言われた。少なくとも俺の5年以上の経験で、会議に出て黙ったままただメモを取っているアメリカ人は見たことがない。
誰かが発言しない会議があると「君は何も喋ってないけど、この会議はそもそも必要なのか?」と言われる。真顔で。
これは、日本とアメリカのコミュニケーションの違いも大きい。例えば、日本人が「お世話になっております。表題の件ですが…」と書いているうちに、アメリカ人は「ok」の二文字だけで返信する。件名が「ok / EOM」で本文なし、なんてメールも多い。
必然的に報告だけの会議というのは少なくなるし、会議というのは発言をする場であるということが意識として徹底されている。
本国から来たマネージャーは、日本人が会議に出席していながら全く発言しないことに驚く。日本人は、会議という場が意見をぶつけ合う場にも関わらず異常に萎縮しているように見える。間違ったことを発言したら怒られるのではないか、と。俺自身はどんな馬鹿な質問をしても怒られた記憶はないが、発言しなかったらマネージャーに呼び出されてアドバイスされたことがある。
元増田はアメリカの大学のディベートを見たことがあるのだろうか?ディベートというのは、(悪い言い方をすれば)いかに黙らずに早口で屁理屈を言い続けるかを競うスポーツだ。イエールでもハーバードでもエリートが日々「どんな論点をどんな立場でも」ディベートに勝てるかを検査し続けている。(チョムスキーは、深い思索のないディベートがリーマン・ショックを引き起こしたと言っていた)アイビーリーグ卒業生が多い会社はそういうディベートの文化が根付いていて、会議のスピードが異常に早い。
アメリカ人はちゃんと主張する人を好む。給料上げてください」って言うと結構上がる。言わないと上がらない。大抵の企業では「1/1」という、マネージャーと一対一で話してアピールする場が設けられていて、そこの場でどれだけ自分が頑張ったかを語らされる。
それは、年功序列が薄いことと裏表だ。アピールできるやつはずんずん登っていくし、うだつが上がらなければそのままか、クビになる。だから、ボスにアピールすることはむちゃくちゃ重要なポイントだと考えられてる。
日本人のように「頑張っていたらいつか認められる」なんていうことは考えないし、キャリアというのは自分でアピールして掴み取るものだという意識が徹底している。
これはもう匿名ブログの宿命上、想像でしかかけないのだけど、元増田はあくまで「日本人」として接してもらっていたのではないかと感じた。それも日本人が多い多国籍企業の。
アメリカ人(特にサンフランシスコとかシアトルあたりの)は英語できないやつには慣れているので優しいし、日本人が入るような会社なら、シャイなのも知っているから話も振ってくれる。カリフォルニアなんか白人が4割しかいない。インド人の聞きづらい英語に四苦八苦し、イタリア人のコーヒーブレイクには付き合う。多国籍企業とはそういうものだ、と割り切っている。
そして、文化が違うこと、ネイティブじゃない言語で話す人との仕事の仕方をきちんとわかっている。だから、口ごもる人にはちゃんと時間をくれるし、わかりやすい英語を使おうと頭を捻ってくれる。それはポリティカル・コレクトネスに近い。(日本人だって日本語が下手な外国人がいたらじっと聞かないか?)
日本人が考えずに喋っているとは思わない。むしろもっと怯えずに発言すればいいと思う。どだい、会議というのは話すためにある。ただ単にボスの報告を聞くだけならメールでいい。わかっていないことがあれば空気を読まずに質問すればいいし、気になったことがあれば深く考え込まずに発言すれば良いのだ。
いささか乱暴な言い方ではあるけど、日本人はもっと適当でもいいからどんどん発言するべきだ、と言うのが個人的な結論である。発言することが時間の無駄になるようなメンバーが会議に居る事自体がおかしいのだ。
素晴らしく有能で深い思考を持っている日本人が、発言しないために低い評価に甘んじているのをよく見てきた。とてももったいないと思う。少なくとも、米系企業で働こうとしている人は、とにかく何でも良いから発言する癖をつけたほうが良い。わからないことがあれば聞く、考えていることがあったら意見を言う、適当でも良いから改善ポイントを言う。発言量を増やすだけでキャリアが変わる。