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はてなキーワード: 嘲笑とは

2023-10-14

anond:20231014155724

語学勉強趣味なんだけど、どんな言語でもよその国の文化をこき下ろして嘲笑YouTubeチャンネルあってすごいよ

日本(というか東アジア全般)の没落を嘲笑スペイン語YouTubeチャンネルあるんだけど、たまに正気に戻って「まあ俺ら栄えたことすらないけど」みたいなコメントあって草生える

2023-10-13

anond:20231013231527

逆境を退ける話が好きなだけだよ、詰んだ状況を嘲笑ってるわけじゃないよハハハ

2023-10-12

anond:20231012193628

夢っていうか目標は明言しておいたほうがいいと思うよ。

何の関係もないのにわざわざ嘲笑ってくる喋れるコミュ障みたいなのもいるが、同じ目標を持つ人がコンタクト取ってきて協力してくれるかもしれんし、

知り合いがなんらかの機会をくれるかもしれんし。

2023-10-11

anond:20231009160956

まさにお前が口先だけでワナビー嘲笑って溜飲下げてるアホじゃん。

書籍化してるものは続刊前提でも1巻で一定オチつけてる作品のが多いのにね。

口先だけで読者ですらないアホがこき下ろしてるのがバレバレ

2023-10-09

小説家になろうって凄いよな

先週はゲーム今日マンガと、口先だけのワナビー嘲笑って溜飲を下げるまとめが続けてバズって、そうすると次は小説か?って思うじゃん?

でも小説場合ゲームマンガと違って「まず1作完成させてみろ」って世界じゃないのよね。

今売れてる小説は、一作完成させるのとは真逆で、エタるのが商業成功キモ

から、なろうの終わらせない奴が世に出てくる仕組みは発明だと思う。

なろう以前のラノベは、人気が出てシリーズ化してエタることは多いけど、第1巻では独立した物語として完結するようにできてる。

人気が落ちるまでエタらせるビジネスモデルといえばジャンプとかの少年マンガもそうだけど、漫画業界はまだ完結する読切とかで編集者と読者の評価を得てからじゃないと連載を持てない。

商業成功はエタることにあるのに、エタらせない実力を評価するというミスマッチがあった。

なろうは最初からエタらせて人気を積み上げることで最初から経済的成功必要スキル勝負する。この構造意識的にやってるのは他には韓国縦読みマンガだけ。

2023-10-05

anond:20231005125626

嘲笑されてるんだよ。

主催ジャニーズなんだから、どういう文章が出ても責任ジャニーズにあるなんか分かり切ってる話なんだよ

でも通り一遍の「すいません」「ごめんなさい」って文章ぐらい書けんのか、まあそらそうだろうなあんな会見したんだもんなってクスクス笑われてるんだよ

anond:20231004185146

単にオマエが「リベサヨ最高!ネトウヨ死ね!」ってだけの話を針小棒大にしているだけの増田

具体的に「クルド人共が悪い」ってのは記事になり、動画になり、Twitter(笑)拡散されてる。


俺は目白に住み、池袋ホームグラウンドで30年以上になる(15年ぐらいは西池袋だった)。

正直中国人共の生活態度の悪さは目に余る。告発するまでもない事案ばかりだが、発生すれば苛立つわ。人間感情トリガーが緩いし、俺という人間は損得でしか考えないから引き金を引かない「だけ」だぞ。クソが。

静かで秩序ある町並みだけを願って俺は東京に住んでいる(30年前だとドイツがそれだと聞いて憧れた。でも今はリベサヨ行き過ぎ寛容でゴミカスになってるので反吐が出る)。

地方にいけ? バカ言え。なんで田舎に住まにゃいかん。俺は東京に住みたいの。ゲーテッドコミュニティでもありゃいいのに。タワマンはただのバカの住処だ。


リベサヨ共のくせに国家生産性なんてネトウヨ経済(笑)自民共がキャッキャウフフしているネタを引き合いに出している時があって内心めっちゃ嘲笑してる。

何が寛容だよ(笑) リベサヨ流の奴隷確保、経団連同友会へのおもねりじゃん(笑)

オマエのクルド人擁護にもそれが透けて見えるんだよ、無意味な「その2」まで追記しやがって。


外国人共存しろ

だったらジャップ並みに丁寧に仕事しろコンビニ店員共。食い物を投げつけながらレジするなゴミカスが。誰が許すかよ、バカタレ。

廃材を積載量オーバーで走ってんじゃねぇ。外国人から「無保険だろ、やべー」って思われてるんだよゴミカスが。


嘘でいいんだよ。真面目にやんなくていいんだよ。「ジャップ同様、見えないようにやれ」だけ。

マジで。そういうのが「一般的なご配慮」って奴だ。

ふざけた態度、危険な状況を見せたまま「これでいいんだ!コレに反論する奴は差別主義者!ネトウヨ死ね!」っていうオマエが死ね

「郷に入れば郷に従え」なんだぞ、毛唐の国々だってそうじゃねぇか(笑)クルド人庇って、ジャップ第一主義揶揄してるだけじゃん(笑)

2023-10-04

男性同士で旅行してるの増えたよね

ひと昔前はなんかゲイ認定して嘲笑する、女がいないのはむさくるしくて不幸、みたいなノリがあった気がするんだけど

男2~5人くらいで旅行したり遊んでる光景最近すごく増えた気がする

男性孤独にならずに友達交流して幸せそうにしているのは良いものです

2023-10-03


今、物書きやジャーナリストが何かを語るとしたら、水に落ちた犬に石ころを投げつけることではなく、この出来事本質を探ることであろう。それは、自らの内にある「ジャニー喜多川」と向かい合うことではないか

https://note.com/metakit/n/n6c8617340c65?sub_rt=share_b

こうした構造的な犯罪は、ジャニーズ事務所だけに限らないのではないか。他の芸能プロダクションにもあるだろうし、テレビ局制作現場にもあるのではないかたまたまジャニー喜多川性癖少年愛であったが、他のケースでは、未成年少女たちだったかも知れない。メディアがそれを自己検証しないで、他人事のように堕ちた偶像嘲笑する姿は醜い。ジャニーズ調査した調査委員会に、すべてのマスコミ調査を依頼すべきだ。

2023-10-02

絶壁という概念を知らなかった

いやほんとにしんどいな

赤ちゃんの頭が絶壁だとブス扱いで嘲笑われるとか、ヘルメット矯正をしなきゃならないとか、そんなの今まで知らなかった

そもそも『絶壁』という概念自体を知らなかった

自分は今まで正面から鏡で見た顔のブスさこそ気にしても、頭の形なんて特に気にした事がなかった

https://twitter.com/mina_kan_chan/status/1708059769041269229


何ともまぁ次から次へと厳しいルッキズム基準が新しく表れてきて

これだから子供絶対に産まないと思う女性ますます増えていると思うんだけど

政府の言う異次元少子化対策は相変わらずこういう問題無視だよね

(識者も『価値観多様化』や『女性経済的自立』の話ばかりで、女を蝕むルッキズムについては何故か無視)

https://twitter.com/ukimen_hometown/status/1705542363664511216

おねショタ民はショタで抜いている

下記を見れば分かる通り、明らかにショタへの要求言及が多い。

すなわち、おねショタで抜いてるやつはショタで抜いている。以上。


・主導権は常にお姉さんにあること

ショタブサイクではなく可愛いであること

ショタちんこ包茎であること

ショタちんこ巨根ではないこと

ショタは下の毛がまだ生えてないこと

・お姉さんは下の毛が年相応に適度に生えてること

ショタが仲間を呼んで輪姦しないこと

ショタは性に関して無知であること

ショタは年相応に恥じらいを持っていてお姉さんにちんこを見られることに対して赤面するか涙目を見せること

・お姉さんがパンツを脱ぐのはショタパンツを脱がしちんこを見たりブラジャーを外しておっぱいを見せることより後であること

・お姉さんはショタちんこを見た際に驚いたり恥ずかしがらず可愛いものを見る目で微笑むこと

・お姉さんはショタちんこに対して「大きい」「立派」といった評価はせず「小さい」「可愛い」等と未熟なちんこ嘲笑うか優しく包み込むこと

・性行為の様子はお姉さんとショタの体格差が分かりやすいように描くこと

ショタ描写にもきっちり力を入れキンタマアナルまで描くこと

ショタはまだ精通を迎えておらずお姉さんの手ほどきによって精通を迎えること

ショタチンコが現れる時の効果音は「ポロンッ」「ピョコッ」「テロンッ」等で表現し小ささや可愛さを強調すること

ショタはお姉さんに脱がされチンコを見られ物凄く恥ずかしがりながらも初めて見せて貰うおっぱい股間に興味を持つこと

・お姉さんは包容力と余裕を併せ持っていること

補足として上記に反する場合でも以下のような場合は可とする

・お姉さんが自らショタに主導権を渡しショタ本能に任せて腰を振る

・通常時は頭まで皮被ってるけど勃起時に先端が出る程度の仮性包茎

性的対象として見ていた憧れのお姉さんに優しくリードして貰いながら筆おろしされる

anond:20231002155104

他というのは?

いちいち最後嘲笑意味記号を負荷しなくてもよくってよ。

『チ。』作者の『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』が面白すぎるんだけど話題にならなすぎる

アニメ化決定の大ヒット漫画『チ。』の魚豊の最新作『ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ』。はてブでは第1話だけ新着エントリに入ったがその後はブックマークする人は続かず空気になってる。なぜ?

ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ|裏サンデー

https://urasunday.com/title/2484

今回マンガワンアプリのほうでは第10話が更新され、プロローグ的な最初の章が終わりを迎え、大方の登場人物関係構図が固まることとなった。まだ読んでない人も、1話以降読まなくなった人も、アプリで全話読めるんで読んでみてほしい。最新話の10ラストが神レベルの次回への引きなので、小学館にはこの10話までを単行本第1巻にまとめてほしい。

 

簡単にあらすじ紹介。主人公渡辺くんという高卒派遣倉庫作業員19歳男性性格は悪くないがコミュニケーションに難ありでぼっちなのに承認欲求高めなせいでいつも失敗ばかりしてしまうがスーパーポジティブ論理的思考力でもって反省することないので成長もできない、ネットでは弱者男性嘲笑される部類の人である

もう1人ダブル主人公的なヒロインとして登場するのが飯山さんという私立大社学部に通う19歳女性性格がよく誰に対してもリスペクトを持ち対等な人間として会話することができ、いつも世のため人のために自分が何をできるかを考えているが、その思いが強い分だけ上級国民の親の元に生まれて何不自由なく生活できる自分の状況に複雑な感情もある。

あらすじをざっくり語ると、渡辺くんが飯山さんに恋をして陰謀論にハマってしま物語。こう書くと飯山さんが陰謀論に引き込むような気がするが、そうではなくて渡辺くんが勝手にハマってくだけ。飯山さんはほんとステキでいい子だから勘違いするなよ。

飯山さんは社会もっと良くしたいという夢があって、渡辺くんもそれに感化されていくのだが、飯山さんは恵まれ立場から社会を良くするために努力して勉強して頑張るのに対し、渡辺くんは底辺境遇から社会が悪いのはあいつのせいだ」と陰謀論にハマっていく。

漫画の見どころはとにかく渡辺くんがダメすぎるところで、このダメさも始めのうちはギャグになって笑えるんだけど段々と回を増すごとに笑えなくなっていきハラハラキドキが止まらなくなる。渡辺くんへの共感性羞恥続きを読むのが辛いんだけど、渡辺くんを放っておくとヤバいことしでかしそうで続きを見なきゃいけない気分になる。作品コメントで「部屋に出たゴキブリのような漫画」とあったけどまさにそれ。

読んでて渡辺くんの行動への共感性羞恥が激しく湧き起こるところや陰謀論の話なんかは、ネット民の大好物のはずなのに全然話題が盛り上がらなくておかしさを感じる。

特にはてブ第一話以降、ブクマがつかなくなったのがおかしい。

はてな運営ディープステートと組んでこの漫画の内容が拡散しないように妨害してるということか。

ほんとDSのやつらは油断も隙もならないぜ

2023-10-01

アホな役所の話

III種採用のおばちゃんの受け持ってる仕事を、誰も引き継ぐどころか肩代わりすらできないまま、気がつけば20年経過。

結局、そのおばちゃん専門職椅子を与えて引き留めたと。

それで回るんなら勝手にすればいいと思うけど、アホなマネージメントだなーと嘲笑が止まらない。

2023-09-30

俺がもうとっくに狂って脳みそぶっ壊れて終わってるのに病院行ってない理由が、普通に働いて普通に結婚して普通に家買って普通に育児する正解の人生を未だに諦めきれてないからだと聞いたら嘲笑うか???

呪術廻戦にウンザリする気持ち

読んでる人には説明不要から読んでない人にざっくり説明すると

アニメも絶好調少年ジャンプ連載大人漫画呪術廻戦の展開にウンザリしてるって話。

    

作者の力量やセンスは疑ってないんですけど

なんかこう、大漫画家・岸本斉史提唱した高等テクニック「ずらし」を乱用し過ぎてる気がする。 

    

主人公達に苦しい展開があるとかギリギリの場面があるとかじゃなくて

もうずーーーーっと強制負けイベント連続って感じなんすよね。

友達ツールで作ったクソゲーみたいな感じ。

   

主人公は敵の親玉自分目的のために生み出した装置みたいなもん

主人公人生や苦闘は全部掌の上

主人公の中に九尾の狐的な強力な存在が居るけど

全然制御できないので主人公身体一般人虐殺をする

ナルトにとってサスケに当たるサブ主人公九尾の狐存在に体を乗っ取られる

サスケの唯一の目的は姉を守ることだったけど九尾の狐存在によって殺害される

主人公達の先生で最強の存在サスケ身体九尾の狐存在によって殺害される

日本は完全に破壊されてて敵の親玉による人類補完計画的な何かが進行しててたぶんみんなイデオンみたいになる

サクラちゃん的な存在は顔の半分と脳が吹っ飛んでギリ生きてるらしいけど出てこない

主人公の先輩女子は全身ケロイドで片目失ったうえに親含めて親族を皆殺しにした

・(あとこの倍ぐらいなんかあったけどもう飽和してて覚えてない)

   

  

主人公チームにはずーっとこういう敗北とか喪失とかアンモラルけがぼへーー――ッて続いてて 

一般人普通に虐殺されてて、カカシ先生死んでサクラちゃん廃人サスケの姉死んでサスケ破滅してて

いやこれなんのために戦ってるの?って感じなんだよね。

 

一応まだ人数的には一般人が残ってるけど

設定的にはともかく感情的には一般人守るってことがそれほど重要ミッションでもなくてさ。

人類の為に俺達はあきらめないぜ!」みたいなノリでもないわけ。

   

なんか一個一個は本来もっとショッキングイベントの筈なんだけど

ずーーーーっとそういうイベントばっかだからもう何も感じずにウンザリがあるだけ。

   

  

それでしょっちゅう主人公が色んな相手から嘲笑われてるんだけど

実際主人公はこの戦いの中では無能すぎて「お前なんでいるの?」 レベル

とっくに読者も誰1人として主人公に期待してないわけ。

 

いやーここから覚醒パワーアップされても引くし(ずっと馬鹿にされてたヤムチャが突然悟空より強くなっても寒いだけで燃える人いないでしょ)

このまま最後まで嘲笑われて翻弄されてる主人公でも「一体何を見せられてるんや?」って感じだし

作者のバトルやエモ描写の力量は突出してるんだけど呪術廻戦と言う漫画にはもうかなり前からついていけないというか。

 

あと余談だけどハンターの真似をした頭脳能力バトルしようとするとマジで大惨事になる。

鉄腕バーディーっぽい筋肉バトルしてるときの方が100倍才能が輝いてる。

影響されてるものがわかりやすすぎるので最後エヴァなんだろうけどさあ・・・

2023-09-26

弱者男性デートしてみた感想

まあ私も弱者女性から釣り合うよねと思ったんだけどアレはもう人間性問題だわ

私のスペック

弱小フリーランスデブ

相手スペック

東大とかそういうクラスの院卒、ごめんだけど学歴興味ない 年収900くらい?あんまり興味ないから知らない 身長180くらい?あんまり気にしない 声があんまりきじゃない低さだった 顔は正にチー牛の画像みたいな感じ?私は好きな顔

マッチングアプリ出会って運命的な共通点があって会うことに。私は運命の人だと直感した。

が、実際に会ってみるともう初手タメ口否定から入る会話!嘲笑!そのくせ自分の具体的な意見主体性もない!ただ私より優位に立ちたいだけ!

あー、なるほどねと思った。

数多の男に振られてきたけどこう言うタイプかと思った。スペックはいい、ならプライドが高い故にモテないのか、いや言い換えよう。性格がひん曲がりすぎてモテないんだわ。

一緒にいて全然楽しくない。

素のままの俺を愛してとはよく言う話だけどお互いの気遣いのすり合わせって必要なんだなと思った。

お別れの決め手は私の好きなアイドル(共通趣味グループ)の事をいるだけ邪魔と言った事。

ちなみに私が振ったのではなく相手が私にごめんなさいをした、っていうか返信が途絶えた。私にも悪いとこあるんだろうけど…。なんだかスペックが高くてもモテない人って理由があるんだなと思った。

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

2023-09-25

さだまさしの償いに出てくる

ゆうちゃんの事を貯金趣味のしみったれた奴と

嘲笑ってるのが増田

最初好感度低くて蔑まれていたけど実力で信頼を勝ち取るってストーリー違和感しかない

好感度低い相手に高圧的で傲慢嘲笑かましてくる人間手のひら返して信頼してきたから何だというわけ

こんな程度の低いゴミからの信頼なんざどうだっていいだろ

お前が私を評価するんじゃない

私がお前を評価するんだ

2023-09-22

anond:20230922162607

その美人元彼女さんに本当に一切の蔑視嘲笑差別意識やその他思惑がなかったのであればそうですか不幸でしたねとしか

美人側にメリット無い低レベルブスとわざわざ関わらないでレベル釣り合う美人同士で仲良くしてればいいのにね

それからあなた(というか男性全般)は想像つかないんだろうけどあなた元彼女さんの性格がどれだけ善良であろうがブス相手いつまでも蔑みも優越感もなく友達になれる美人なんて所詮存在しないんだよ

美人がブス相手に「見た目とか気にせず仲良く」なんて絶対あり得ない

顔が醜くない人間理解できる訳がない経験だと思うから分かってくれなくて良いけどブスはそれが経験則で分かってるから信頼できる訳がない人間自己を守る為に拒絶してるだけ

逆に聞くけど元彼女さんは底辺のブスに混ざれない事の何が悲しいとおっしゃってたの?私はそれは別に傷付いたんじゃなくて格下だと思っていた自分よりもレベルの低いブス連中に拒絶されて自尊心を損なった事が不快だっただけだと疑ってるよ

事実そんな奴ばっかり見てきたか

2023-09-21

自分の子供が無条件に可愛いというのは幻想

自分の子供がうざったいという感情否定するのものではない

自分の子供なんだから1~10まで受け入れられるわけではないのは、当然と言えば当然だ

だけどそれを他人嘲笑冷笑ネタにするのは見ていて気持ちが悪い

まして、はてなのように世の中の全てを理解した気になっているおじさん達のオモチャになどしていいはずがない

anond:20230921135651

から無凸でシステム組んで90回ればいいだろwwwwwwww

俺は90++でお前のこと嘲笑ってるからwwwwwwwwwwwwwwwwww

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