はてなキーワード: 創作物とは
読みづらいけど自分用なので許して
某実写映画に対して鬱憤を募らせていることを、一緒に見に行く予定の友人に告げるかどうかで悩んでいる。
というのも公開が決まった当初は私も映画の制作に好意的だったためだ。実写化される方のコンテンツ(O)も実写キャストの方(S)も私は大好きだったので、この2つがコラボすることを単純に喜んだ。公開したら何度も映画館に通おうという話もした。ちなみに友人はSのファンで、Oのことは多分知らない。
しかし私が悩んでいる理由は、あの時喜んでいたくせに今更愚痴を言って許されるのか、という認知的不協和に苛まれているからではない。
私の葛藤の一番の理由は、このままではSを完全に嫌いになってしまいそうであり、今の私の雑駁アンチスレ状態な心情を整理せずそのまま友人に伝えたら確実に友人は悲しみ、我々の間にも軋轢が生まれてしまうからである。
なのでもし友人に本心を告げるのならば、身も蓋もない愚痴で友人を傷つけることがないようになるべく正当性のある批判をできるように不満の要点を絞らなければいけないし、隠し通す場合は絶対に友人に悟られず気を遣わせないように、そして単に私がこじらせクソ解釈女なだけの問題であると思ってもらえるように(友人がOを知らないのを良いことに)、問題点を整理していこうと思う。
ひとつ、この間解禁された予告動画について。予告動画によって、二者のコラボが決まったときに何となく抱いていた「これってOがダシに使われてるのでは…?」という危惧が確信に変わってしまった。これでも当時は、「実写映画化なんて結局儲けたいの一点に尽きるんだから、利益を重視した企画なのはしょうがないよね」とは思っていた。(あらゆる実写映画が建前で使う「ファンの幅を広げる」「世界観の再現」というきれい事は儲けたいという意図を少しでも隠すための詭弁に感じる)
なのであのAベックス様(両者のスポンサー)が「人気なOとSをくっつければ売れるに決まってるよね!」という安易な発想に至るのも無理はないし、「全くしょーがねぇなAベックスは……まあ不況だしこういう突飛な案にも飛びついちゃうよね」で済む話なのである。
しかし今回、これはもう看過できないぞと思ったのが、予告の半分がSが意気込みを語る時間に費やされているという事実であった。これはもう確実に彼らをageるための映画以外の何物でもないじゃないかと私はひどく落胆した。
それに、それぞれの意気込みシーンでもデカい個人名と小さく目立たないキャラ名と、表記上でも明らかにSメインの画面構成になっている。
そりゃ実写化の時に俳優さんの豪華さ()がピックアップされるのは知ってるしそれはこの際もう仕方の無いことなんだろうけど、それにしてもひどすぎやしないか。Oはアイドルが活躍するための入れ物ではない。
前売り券についてくる特典のグッズの配色も、Sのアイドルとしてのメンバーカラーになっている。Oの6人にはイメージカラーがあるのだが、それはもう完全無視なのである。9人組なのに主演が6人の作品にねじ込むからこういう事になるのだ。
これを前提にすると、これまでかろうじて許せていたあらゆる点が気になって仕方なくなる。
まずそもそも一卵性双生児(×6)であるという絶対的な前提が踏みにじられている。現実に再現することは無理だと開き直るにしてももう少し何か策はあっただろうに。(数年前の別企業とのコラボでは某俳優さんがCGで6人に分裂していた。こういう飛び抜けた演出を東宝配給でやるくらいの気概が欲しかった)
設定を全然気にしていないのは、はじめからSを売り込むのだけが目的だったということに他ならない。出来ないと分かってるので始めからやりません!はあまりにもOを軽視しすぎではないか。色の付いたパーカーを着せておけば役作りOKではないのだ。アニメの実写はコスプレだと言われがちだがこれはコスプレですらないと思う。パーカーを着て適当なウィッグを付けたら誰にでも出来る。レイヤーですらない、その辺にいるアニメオタクだ。2015年の池袋じゃないんだから。
配役もどうだろうか。キャラクターとメンバーの性格がマッチしていれば確かに納得出来るのだが、それを前提にしているということはもう端からSのファンしか対象にしていないということではないのか。
しかも、全てのキャラではないが、キャラの方がキャストに利用されてんなという描写や設定があった。Sのメンバーの特技や個性をOのキャラクターの要素と無理やり結びつけているのだ。これはその対象が私の好きなキャラクターだったから誇張されて見えてしまっただけかもしれないのだが。
(Oはコラボが非常に多く、余所で色々な職業や役柄を演じているのである特徴だけが取り沙汰されるというのは確かによくある。公式ゲームでもそういう風潮があるので理解はできる。しかし今回のはSありきのOなのでどうしても利用された感が拭えないのである)
キャラ改編とも言えるくらいの逸脱は、「ああもうこれは別の作品なんだ」と思わせてくれるのでこの際怒る気にもなれない。そしてそれはシナリオ上仕方の無いことなんだと思うことにした。Sをageるというシナリオのための。
あと、まだ予告やちょっとした映像しか見ていないのでなんとも言えないが、某メンバーの演技が無理すぎて無理になった。私は彼のことを本当に嫌いになりそうである。もとより私は彼にルックス以外の良さを何一つ見出していなかったのだが、今回見た目という武装を剥ぎ取って眺めた時(なんせみな同じ容姿という設定なので)、彼になんの魅力も感じられないどころか日毎に憤りが増すばかりになってしまった。演技が本当にひどいのである。
(映画化が決まった当初、私は友人に「彼は解釈違いだわ」と冗談交じりに言っていたのだが、冗談ではなくなってしまった。)
そのメンバーはドラマの経験もあるしなんならグループ内では俳優枠みたいな扱いなのだが、私から見たら2パターンしか引き出しがない。顔面に物を言わせたクール()な演技か、とりあえず凄んで狂気を見せる演技の2つである。今回のキャラクターはそのどちらでもないので私はついに別の引き出しを開けてくれるのだとばかり思っていたが、予告を見る限りではその2つが巧みに使い分けられているだけだった。あえて役作りをせず自分の引き出しにあるものを使って演じる役者さんがいるのは確かだが、彼の場合はそのレベルにすら立っていないと思う。出来なくてもせめて表面上はもう少しキャラのこと考えてくれてもいいのにと思った。どんな演技をしたってもと原作のキャラクターにピッタリハマるなんてことは決してないけど、だとしてももう少し研究してくれよ。
これでもまだ、本編を見ればきっと何か認識が変わるかもしれないという望みがある。百聞は一見にしかずなので実際に見なければ何も言えない。根拠の無い誹謗中傷になってしまう。しかし現時点でSの中の人ネタがあることが確定しているので本当に憂鬱である。
見なければいいではないかと思うかもしれないがどちらも好きなので(Sのことは無理になりかけているけど)見ておきたいのである。
例えばロケ地はアニメの舞台と同じ場所が使われているだろうからその様子を確認したいし、小道具や舞台装置などの詳細も気になる。シナリオも大元の原作をリスペクトしたものらしいのでそこもチェックしたいのだ。
なのでSをPRするためにキャラや設定がズタズタにされているのはしょうがないのだと割り切って、どこかひとつでもOを感じられる部分を見いだせたら良いのだと思うことにした。
SがOを演じていると思うからいけないのであって、Sのキラキラムービーだと思えばなんとか乗り切れそうである。二者を切り離せるか否かは私の認識の問題である。
この思いを友人に伝える場合でも、Sage要素が強いのは良くないよね、くらいの批判に留めておこうと思う。あとはもう脳みそドロドロお花畑になるしかない。Sが好きな友人の前でSの愚痴を言いたくはない。
……といってもまだ完全に納得できていないので取り留めもない思いを書いて憂さを晴らしておく。
・グッズがここぞとばかりに高額転売されてる上に検索用ワードにSのメンバーの個人名が入っていて非常に悲しかった。そもそも転売するなよという話だし、実写化に乗じて転売するのも姑息だし、それを買うやつもどうかしてる。みんなまとめて滅びよ
・「私は楽しみだけどね」みたいなツイート
・「O界隈の人がJ界隈に来てくれて嬉しい〜」みたいなツイート
・お前は役作り以前の問題だ。本人じゃん
・誰も童貞に見えない
・彼はアラサーではない
・彼はハーフではない
・誰も3.5等身じゃない
・親孝行してそう
・働いてそう
あと今回の実写化に際して自分の中で様々なモヤモヤが生まれていく中で、根本的なことをないがしろにしていたことに気づいた。
すなわち、Oは実際に存在しているのになぜ実写化する必要があるのか、ということだ。確かにOは二次創作的なものだが、Oの原作から時間的な繋がりがあるという点でパラレルではなく同一世界を描いている。そして昭和から令和を彼ら(作中のあらゆるキャラ)はゆっくりと時間をかけながら生きているのであり、Oは彼らの人生の一部分を切り抜いたノンフィクション風のフィクションなのである。つまりOは、キャラクターたちが自分と同じ名前の役を演じてアニメというコンテンツを成り立たせているものなのである。さっきも書いたが彼らは様々な企業やコンテンツとコラボしており、本人たちがファッションショーに出たことだってある。私は彼らのハイタッチ会に行ったし、彼らが声優さんたちとイベントに出ているところをこの目で確認している。
実際にキャラクターたちは存在しているのだがら、わざわざ実写化する必要はない。そもそもアニメというコンテンツで既に実写化されているようなものなのだから。
この疑問に対してどう考えればいいのかと悩んだが、この実写映画化もまた二次創作なのだという理解に落ち着いた。
思えばこの世の中には、実在の人物の任意の設定を借りただけで中身は全然違う人物が活躍する作品が横溢しているではないか。武将しかり文豪しかり……。もともとの武将や文豪のファンの方にも色々な立場の人がいるとは思うが、多くはその二次的な創作物に賛同しているではないか。彼らは「○○は入れ物ではない!」などと激昂することもないであろう。その寛容の態度を私も見習おう。
Oはそもそも二次創作みたいなものだが、この度再度二次創作される。これは多分シェイクスピアが歴史上の人物を用いて作った戯曲をどこかの劇団がアレンジして演じるみたいなことだ。この度の実写化もそういうことなのだ。
はぁ……
えッ⁈
君ちょっと頭悪すぎない?
増田1の感想:「登場人物のカップルがたまたま同性。それだけ。あー、普通なんだ。と思った。」
増田2が「別に進んでるわけでもなんでもない。ただ下衆なだけ」と言っている対象:
増田2の偏見: 増田2が知り得ないのに増田2の主観で断定している部分。
「アメリカ人は先進的ではなくただのレズ好き」で「嗜好を満たしつつ『多様性を重んじてるフリ』」をする。
ちなみに増田1は「アメリカ人は先進的だ」とも「多様性を重んじてる」ともまったく言っていない。
「あー、普通なんだ。」と言っているだけだ。そしてカムアウトしているゲイカップルはアメリカでは実際に普通である。
←君の頭の悪い書き変えには「創作物」の部分が抜けてるから、君1が何を見てこの感想を持ったのか不明。
君2が「別に進んでるわけでもなんでもない。ただ下衆なだけ」と言っている対象:
元々の流れではここは「増田2がアメリカのドラマ制作者と視聴者全般について言ったこと」だが
君の頭の悪い書き変えには「創作物」の部分が抜けてるから、君2が誰を「下衆なだけ」と思ったのか不明だ。
君2が「普通にカムアウトしている日本のペド」が「別に進んでるわけでもなんでもない。ただ下衆なだけ」と言っているなら
元の増田2は「普通にカムアウトしているアメリカのゲイ」は「ただ下衆なだけ」と言っていることになるが、いいのか?
増田2は直接そうは言ってなかったと思うが、「カムアウトしているゲイは別に進んでるわけでもなんでもない。ただ下衆なだけ」と「受け止めるのは偏見の持ち主」かもしれない。そのゲイが「ただカムアウトしているだけ」であれば。
なんで君が「こうですか?」になると思ったのか君の頭が悪すぎて私には分かりませんでした。
ちがいます。
ERでもフレンズでもレズネタが出てきたし、ドラマでレズが出てくる時、圧倒的に多いのは「白人で美人タイプ」でしょ?
統計を取ったことはないけど、「レズのキスシーン」の方が何倍も「ゲイのキスシーン」より多いと思うんだよね、体感的に。
キラキラしたイケメンのゲイキャラは登場しても、性的に描かれるのは断然レズキャラ。
多様性の尊重じゃなくて、本当に単に「美人のレズが見たいだけ」なんだよ。
何せゴリゴリの保守で有名だったFOXのドラマでも、白人の美人レズネタは出てくる。
向こうの有名なネットミームに「gay moment」(gayは同性の意味でレズにもつかう)ってものがあって、それだけレズファンがいる(またはそれを狙った制作者のあざとい展開に「辟易としてる」)ってこと。
後からキャラクターの性的志向を無理やり変えて、それに何の意味があるのか?って。
創作物に同性愛者が出ることが大事〜って理屈なら、グレーなキャラに白黒つけろ(レズにしろ)って要求はそもそも「アウティング」の強要に繋がる考えじゃないの?って。
君たち、セクシュアリティを全然尊重してなくない?って、普通は疑問に思うでしょ。
あれも、実は「レズものが好き」なやつらにとって、エルサってキャラが「ビンビンにレズ妄想に合致した」ってだけの話なんよ。
マイノリティ当事者とかキャラ本人のセクシュアリティのことじゃなくて、自分たちが楽しむためにキャラをレズにしろ、という要求を「ポリコレぶって」無理強いしただけなんだよ。
こんな感じで、アメリカドラマにレズが多いのは先進的だからとか多様性なんかじゃなくて(それも多少あるにせよ)、あれは単なる性的嗜好でしかない。
製作費に出資する側も、そうすれば評価と売上の両方が得られるから、みんなそういう流れになってる。
資本主義は正直だよ。
未だに進化論を否定して「聖書は同性愛を禁止している」って叫ぶ奴が半分いる国だし、国民投票でトランプが大統領になる国だし、黒人への暴力が平然と行われてる国だし。
人権とか根っこの部分で、驚くくらい日本より遅れてることも多い国じゃん。
何でもかんでも「先進的」なわけじゃないんよ。
嗜好を満たしつつ「多様性を重んじてるフリ」ができるから、(美人の)レズは「ポリコレ業界」では重宝されてるわけ。
アメリカのゲームは先進的~とか言う人いるけど、「クィア系の女キャラ」はかっこよくて奇麗な(男からも女からも人気が出る)デザインが多いからね。
エンターテインメントなんだから、本来それが正しいことだと思うけど。
ネタバレになるけど、何を隠そうパーソンオブインタレストこそがそういう「美人のレズカップルネタ」で人気を稼いだ作品なんだよね。
今後、露骨に美人レズ二人の恋愛がピックアップされた話になってくよ。(黒人女警官は、さてどうなるでしょう?)
多様性じゃなくて、BL(の逆)みたいな「嗜好品としてのレズ」なのがよーーくわかると思う。
美人のレズが出たら視聴者としての自分は嬉しいけれど、少なくともこれをポリコレだとか先進的と呼ぶことには抵抗があるし、しなければいけないと思う。
お気持ち表明。別に発信すらしてないクリエイターモドキのたわごとです。たぶん有名だろうから伏せても意味無いのわかってるけど、一応明言はしないでおく。
歌ってみたをメインに、時折可愛くて無垢そうな女の子にほんのり不穏な雰囲気を混ぜた、クオリティの高い3D、2Ⅾアニメーションが売りのチャンネルだった。可愛い歌声に魅了されて、すぐに登録したしコメントも送った。数千再生以下の時代にサブスクした古参と言えるリスナーだったと思う。
それが、久々にチャンネルを覗いたらスキンヘッドの男性とサイケデリックな動画が画面を占めるようになっていた。投稿しているコメントもTwitterも、製作者が心折れていたことを物語っている。私が好きだったあの子はもういないんだな、と一分ぐらい悩んで登録を解除した。
数十万人を相手に創作物を発表する気持ちなんてわからない。どれだけ重圧のかかることか、想像もできない。それでも作りあげたものを壊してほしくなかった。それってみんなに酷いことをしていると思う。あの世界観を作った製作者自身はもちろん、クラファンで「この作品だから」と支援した人にも、彼女を待って登録し続けた人にも。多少の差はあれど、鬱になっていろいろ処方されてた創作人だから、何もかも嫌になる気持ちはわかる。だけどこれは違う。金銭の授受以前の、何かを発表しているクリエイターとしてやってはいけないことだと思う。
言葉にするのがすごく難しい。とにかくショックだった。どうして自分の創作物を踏みにじることができるのだろう。せめて作者だけは愛してあげてほしい。あらため、こうと決められていたのだったら「これはまあ自分が好きなタイプじゃない」で遠ざけられたのに、予告なしで、こんなことをするのはあまりにもひどい。不意打ちだ。歌の動画も、もう健全な気持ちで見ることが出来ない。あんなに好きだったのに。
もちろんこれはお気持ち表明と書いたにふさわしい自分勝手なことなのはわかってるけど、裏切りにしか感じられなくて。あんなに「鳩〇ちゃんみたいなのみんな好きでしょ?」って雰囲気で売ってたのに、あそこまで徹底して世界観を構築してたのに…
AIが自律的に生成した芸術作品などは、「人間の意思」が介在していないので、著作権では保護されないそうな。
すると、AIに有名なイラスト、写真をトレース (線画化) させて、多少のアレンジを加えたものは著作物にはならないから、それを人間がトレースして自分の作品とするのは、著作権法上アリなのかな。
だとしたら、無感情に有名作品のトレースを作り続けるAIと、それを無感情に投稿し続けるSNSボットを組み合わせることで、「有名作品にそっくりな、自由にトレースしてよいイラスト」が大量に作れるのかな。
そしたら、誰がパクった、パクられたなんて争いもなくなって、みんなハッピーだね!
時々、こういう人が出てくるわけだけど漫画やアニメは『あくまでフィクション』なんだって事を理解して欲しい。
どんなにリアリティがあるように描かれていようが、そこに描かれているのは『フィクション』なのでリアルと比べてアレが違うコレが違うという指摘はお門違いな話なんだよ。
それを考えない人が、なぜか現実と同じだと思いこんで勘違いして、違う違うという指摘をしているのは恥ずかしい話だと思うわけ。
例えばなんだけど、俺は俺で専門的な仕事をしているので漫画やアニメで同じ職種が出てくるとつい見てしまう。
で、やっぱりそら無いわ…ってのもあるんだけど、別に『それだけで終わる』のよ。
作家がちゃんと参考書やら様々なものを調べて出した表現がそれであっても、それはフィクションにしかならない。
本人がこれが現実に存在するものです。フィクションじゃありませんって言うなら話は別だけどね。
そうじゃない限り、常にフィクションなんだよ。
それに対して現実と違うなんていう話を持ってくるのは、頭の中に花畑でもお持ちですか?って感じだよ。
前に弓の構え方、射る時の動作が違うなんていうツッコミをしていた人がいたけど、あれもそう。
フィクションなんだから違う所があっても何らおかしくないんだよね。
なんで現実と同じものを求めるの?作家が現実と同じもので作り上げたと説明したのかな?
読者や視聴者が変に現実を求めてるのは、作家からすれば全然望ましくない話なんだよね。
そりゃそうだ。創作物を見てもらうのに現実を見ようとしてるんだから。
なんかね、フィクションのものに対して変にケチを付ける人いるけど、
もう少し創作物ってなんだろうかって理解する所から始めたほうが良いと思うのよ。
実写映画なんかを視聴する時にありえないような跳躍する登場人物が居たら
「あんな跳躍は出来ない、ありえない。本当の跳躍は重量がうんたらー…」なんて言ってしまうの?言わないでしょ。
詳しくは調べてもらえればと思うが、クリエーター目線として気になるのは
何らかの創作をする上で「○○をさせたい」「こういうストーリーにしたい」という思いから科学的事実を無視したとき
専門家や有識者から受ける批判をどう打ち返すべきか、もしくは創作に対する「科学的事実と異なる」「リアリティーがない」という評論や「評論者自身のビジネスに弊害をもたらしている」というコメントにどう心構えしておけばいいかだ。
おそらくタイトルだけ読んだ人は「いやそもそも向き合う必要はない」「そんなツッコミをする人間はこちらからお断りだ! 対象者じゃないんで見なくて結構!」「そんなの自分で考えろバーカ」と言っておけばいいと書き捨てるとは思うが、
創作をする上で専門家や有識者に届いてしまうのがコンテンツ、ひいては情報社会の常でもあるので、そこは抜きにして考えてみたい。
考えてみたいとは言ったものの、前向きに言い返そうとすると労力がかかる。創作に対する批判は古代から行われているはずであり、19世紀以降の○○主義(忘れた)や「テクスト論」のような「作者」と「読者」の関係とか
読書論というような話を持ち込めば、前向きな議論は可能だろう。だが、クリエイターはいちいちそんなことで議論する暇はない。その余暇時間は創作のための知識を学ぶか、創作に当てたいものだ。そこで無視するという心構えだ。
また専門家や有識者が創作を否定するとき、たいていのケースで専門家や有識者はその創作が描くジャンルで飯を食っている可能性が高い。こうした煽りやプロレスを仕掛けることで自分たちのビジネスの知名度を高めたり、
例えば創作物を否定したりした後で謝罪、和解の形に持っていくことで関係性を築き、自分たちのビジネスに引き入れるというような選択肢も取れるだろう。こうした面倒事を回避するなら「無視する」は優秀な選択肢の一つになる。
とはいえ、無視するのはどうだろう?と考える人もいるだろう。少し考えてたが、結局はこの一言に尽きてしまうのではないかと考えられる。創作、とりわけプラネテスのようなSFは科学的事実と演出を織り交ぜたフィクションなのだから、
ウソだとか間違ってるとかそういう批判はちょっと知らないなという答え方だ。これは手塚治虫がブラックジャックの描写について東大医学生から批判を受けたときに似たようなコメントを残している。
本作には、医学的リアリティと大胆なフィクションが並存しているが、これは医学的事実よりも物語性を優先した、手塚の作劇術の一環である。異星人やミイラ、幽霊、感情と自我を持つコンピュータを手術するなどという突飛な設定の話も存在する。架空の病気も登場したほか、ブラックジャックやピノコの医学的設定も現代の医療技術を超越している。ブラックジャックがスターシステムで登場する別作品『ミッドナイト』では、ブラックジャック本人に人間の脳交換手術について「その様な事は漫画だから可能だ」と言わせている。手塚治虫自らが語る所によると、当時東大医学部の学生から嘘を書くなと抗議の手紙をもらったとの事である。それに対して手塚は、東大生ともあろうものが、漫画に嘘があることすら知らないのかとコメントしている。
また今回話題になった評論に対してプラネテスの原作者も同様にウソですよとコメントしている。まさに模範解答といえるだろう。
(もう少し踏み込んで書こうとすればそもそも「創作とは何か」とかプラネテスの件に合わせて考えると「SFとは何か」(19世紀ごろの宗教と科学の歴史を振り返るところから始まると思われる)のだが、それは大変面倒なので割愛する)
初心者向け、中級者向けにもちょっと納得できない人にオススメしたいのが「そもそも世の中の9割は弊害である」という「スタージョンの法則」の応用だ。
スタージョンの法則はSF作家が大学の先生から「やっぱりSFってクソでしょ?」という疑問をぶつけられたときの返しで「そもそも世の中の9割はクソだ」と答えたものから作られた。
「最低の作例を引っ張り出しては叩く」という悪意の攻撃に対して、自分から直接反撃しているのだ。90%のSF作品をゴミカス扱いするのと同じ基準を用いれば、映画、文学、消費材などその他あらゆるものの90%も同様にゴミである。
言葉を変えれば、「SFの90%がカスだ」という主張ないし事実のもつ情報量はゼロである。なぜならば、SFは他の芸術/技術の産物と同様の質的傾向を示しているに過ぎないからである
現代において創作は媒体を通じて消費者に届けられる。創作それ自体もこのプロセスも結局はビジネスの質的傾向を示しているのに過ぎないのだから「創作したものがビジネスの弊害になっているというが、
そもそも世の中の9割はあなたのビジネスにとって弊害でしょ」という正論で攻撃し返すのである。
上級者向けを利用した場合は大変面倒なことになると思うので一般的には初級・中級の心構えでいくべきだとは思うが、出るところは出るべきなので最終手段として上級者向けの考え方を知っておくと良さそうだ。
当方アセクシャル(現実の人間に対する恋愛感情・性的欲求ともに無)です。
非常に分類の仕方が自分と似ていると思ったので、共感を覚えて自分でも書いてみる。
これはよくわかる。
自分は1回抜けば満足するんだけど、抜きたい周期みたいなのがある。1週間に3~4回、1日2回とか抜く周期もあるし、2週間くらい性欲をさっぱり忘れていることもある。
自分は素の裸に対して基本的に性欲を刺激されない(女性の性器とかは寧ろグロくてまともに見れない)ので、肉体よりも記号的表象でエロさを判断している。
顔が赤面している方がエロい、とか、このシチュだとエロい、とか文脈にエロさを感じるという感覚。まさしく猫耳を見てえっちだと思うようなもの。
自分は幼稚園の頃からいわゆるリョナ的なシーンが性的に好きで(アンパンマンが弱ってるとことか)、中学の時にこっそりエロ漫画を読み始めたのも裸ではなく非合意のリョナ的なシーン目当てだった(前述の通り性器は苦手なので薄目で表情だけ見る)。
今裸を見てえっちだなーと思う回路は、生来のリョナに興奮する回路に付随して後天的に会得したものだと思っている。
だから特殊性癖に条件付けが発動するというのもわかる気がする。性的対象と自分は全く関係ないものだから、文脈さえあれば極論なんでも興奮できるんだよね。
個人的にアセクシャルとかって特殊性癖が多いんじゃないかと思っているが、確認する術を持たない。
全くない。現実の裸に興奮できない。
「セクシー」という感覚は理解できるし、好みの顔のタイプもあるが、性的にどうこうとはならない。
実写とか、もしくはドラマとかを見てキャラクターとして妄想したくなった時は、脳内で適当な絵柄の平面に変換されている。現実の人間のまま妄想するということが全然できない。
過去に「好きだな」と思った身近な人は、見ているだけで幸せで、「話したい」という欲すら湧かなかった。ので恋愛感情なのか自分でもわからない。
やはり全くない。性器は苦手だし裸には興奮できないしで、大金を積まれても絶対にやりたくない。
相手のエロさに我慢できなくて誘惑に負けてセックスする系の作品に一切共感できず、萎えてしまうのだけがデメリットだと感じている。
「誰でもいいからセックスしたい」ならば煽情的なラブドールでもいいんじゃないかと思うし、風俗に行くと言ったって初対面の相手といきなり性行為をするのはかなり気まずくないかと思う。
それでも皆が時に理性を捨て、人間とのセックスに拘っているのは、生きた人間の裸からしか得られない本能的な肉の快感、充足感、魔力があるからなのだろう。知らんけど
「性欲」って気軽に使われているけど、正直よくわかっていないので考えをまとめてみた
増田はノンセクシャル (ロマンティック/アセクシャル、つまり恋愛感情はあるけど性的欲求が他人に向かないタイプ) だけど、だいぶ例外かもしれないから一般化しないでね
「触ると気持ちいい」みたいなのや「何にもないけどムラムラする」
これはなんとなくわかる
手慰み的に自慰することあるけど、ホルモンの増減によって気分が全然違う (5分で止める日もあれば1時間くらいやるときもある) から、生理的な欲求っていうのがあるんだなーと認識している
まあ欲求に突き動かされてっていうよりも、半分癖になっている節はある
これはある……というか、見ているうちに植え付けられたのだと思う
猫にエロいと思わないけど、猫耳を見てえっちだ……と思ってしまうように、エロい創作物を見て後天的・条件反射的に①になるようになった
ただ、後述する④セックス欲が湧かないためか、ニッチなシチュエーションや特殊性癖に対して条件付けされてしまったようである 検索履歴がヤバい
BLなど女性向け作品のエロに関しては、エロ創作を読む気分になれるか、ストーリーやキャラクターを楽しみたいかで受け入れられる度合いが変わってくる (後者の場合が多いため、性描写がない作品にハマりがち)
これはおそらく「アニメ見てシコるときもあれば萌える/推すだけの場合もある」的な感じでわかってもらえるのではないだろうか
あるようなないような?
「他者をセクシーだと思う」はあるけれども、「それを妄想してオナニーする」に繋がらない
昔の担任の先生が、腰がほっそいことと、『西洋骨董洋菓子店』の小野 (数々の男を魅了する「魔性」の男性キャラ) にそっくりで「うわ~~セクシーだ~~好きだ~~」とは思ったことはあるが、自分がその人に押し倒されてあれやこれやみたいなことはまったく考え付かなかった
おそらく「推し」に近いのかもしれない
恋愛方面で言うと、好きになった人としたいのは「もっと話したい」「一緒に遊びに行きたい」であって、その人の裸を見たいとかは思わなかった
「セックスしたい」というより、フィクションで見るあれこれって実際やったら面白いのかね?っていう興味しかなく、風俗で1回試せば気が済む程度である
(しかも大金払ってでも試したいわけではないので、ぶっちゃけ生涯未経験で構わない)
なので漫画とかである「死ぬ前に童貞捨てたかった~~」みたいなのはあんまり理解できていない
あとコストもリスクも高いので、欲求もないのに積極的にやろうとは思わない
おそらく③で「この人に性的な魅力を感じる」と思い、①と④の欲求と合わさって「この人とセックスしたい」になる……で合っているのだろうか
「誰でもいいからセックスしたい」という考えがそう珍しくないことから、③の絡まない④が単体で存在するのだろう よくわからないけど