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はてなキーワード: 依拠とは

2021-10-25

anond:20211025195921

東大生依拠した理論が、それほど有効ではなかった、というのは明らかでは

2021-10-19

anond:20211019122250

社会的合意強制力を持たせたのが法律やって言ったやろ。

国民代表である議員たちが議会議論する過程のものが「社会的合意形成プロセス」なわけやし、

たとえ法制化までいかなくても「これはよいね」「これはよくないね」という判断はそこでされるもんやろ。

司法のほうも、単に法律だけに依拠するのではなく、

裁判での議論を通して社会的合意判決に反映され、それが判例として残るやろ。

そうやって議論を重ねて積み上げていったもの社会的合意なんやで。

2021-10-17

靖国問題がなぜ陳腐と感じるのか(個人意見

まず、靖国本来的な意味は、

先の大戦で亡くなった人々、軍人のみならず市民犠牲者

間接的に亡くなった労働者農民

そうした人々を弔うものだと認識している。

このような祈り行為国境関係ない。

政治的な意義づけをしているのは後世の人間傲慢であり、死者の冒涜である

政治とは利得権益の最大化であり、祈りとは対極のものである

したがって靖国に参拝するというのは完全に個人思想依拠すべきであり、

総理大臣だろうと同じである

それに対して他人意見できるものではないし、またすべきではない。

その時点で、先の大戦への反省祈りは消えているのである

2021-09-25

女性表象をめぐる問題というフェミニズムにとっての”鶏肋

1. ある程度既に議論されているかもしれないが、今回の件が今まで問題視された公共空間広告における性的女性表象への批判と決定的に違うのは、Vtuber身体は今まで問題とされたような二次元キャラクターのような意図をもって製作された純粋な”デザインのもの”なのではなく、中の人と結びつけられた疑似的な肉体でもある点だと思う。今までであれば、女性の描かれ方、デザインに関しての作り手の意図という点に着目して、性的に扱う意図をもってデザインされたもの公共空間公共広告で扱われることを問題視する事に理があったように思う。描かれ方・デザイン(その意図)の問題であって単純に胸が大きいとかい問題ではないという話だったからだ(だから宇崎ちゃんの件も現実の胸が大きい人への逆差別”ではない”というフェミニズムを支持する側の理屈にもなっていた)。

 それが今回の件に関しては、Vtuber身体デザインでもある一方、中の人間の動きと外のガワが一体になって(今回の件では)3d空間で動いているVtuberという存在にとっての肉体そのものでもあるというのがややこしいというか、議連批判が今までのフェミニズムから公共広告における性的女性表象への批判と比べて明らかに大きく反発を受けて逆に批判を受けた部分だったなと思う。

 議連の人たちはVtuberを3Ⅾアニメーションぐらいにしか認識していなかったのだろう。そして、今までの広告で扱われる性的女性表象問題においては、その作品がどういう作品なのかという文脈を知る必要はない、その作品を知らない人も目にするのが広告であるから広告それ単体で女性表象がどう扱われているかのみが問題であるという理路が使われていたように思う。それはそれが二次元にとどまる話であれば正しかったように思う。だからこそVtuberがなんなのかよく知らなくても批判するという事が当然の帰結として起きた、今回の件は起こるべくして起こったと思う。

 今回の件はフェミニズムという思想依拠した批判炎上問題の中でもとしてかなりフェミニズムに分が悪い出来事だったなと思う。Vtuber身体とは何かという話は正直自分もきちんとした答えを持っていないし、この文化が今後も発展していけば学術的な議論も深まっていくんだろうなと思う。そんなまだ学術的な議論も深まっていない分野でフェミニズムの名を冠した人々が理論構築の甘い批判をしてしまった(少なくともそう思う人が過去の似た事例に比して格段に多かったと思う)。私はVtuber好きな人間でもあるが、フェミニズムに興味がない人間だったとしたら、フェミニズム自分の好きな文化にとっての敵だとしか思わなかっただろうなと思う。

 Vtuberはなりたい自分になれる文化というのは特に2018年ぐらいの初期の頃のVtuberとは何かという話においてはまさしくその通りだったと思うし、今も個人VとかVRチャットとかの文化ではそうなんだと思う。この世界観Vtuberに親しんでいる人が共有しているというのも議連への批判が大きい点だろう。ただ、企業Vは必ずしもそうじゃない。デビューした後の別の新衣装とかは本人の意を汲んだものになることが多いけれど、最初は既にデザインとしての肉体(ガワ)は決まっていて、そこにオーディションを経て中身が決まっていく流れだと聞く(個々の企業によって差異はあるかもだが)。なりたい自分の姿を選んでいるとは限らない。

 でもさらにややこしいのは、中の人間のプロポーションとガワの肉体のプロポーションをある程度同じにしている企業もあるらしいことで。胸が大きくてすごく揺れるVtuberがいて、そして更に中の人も胸が大きくて、中の人の動きをガワたる3dモデルに反映させている以上、3dモデルの胸の動きも中の人の胸の動きとある程度リンクしているとする(モデルと中の肉体で動き方が同じとは勿論限らないというか多分違うと思うが正直詳しくない)。そしてこのVtuber警察とのコラボのような公的広告に出ることがあった場合、今回と同じような批判フェミニズム立場からそれになされて、企業Vの中の人自分モデル不適切だと批判されることは自分の肉体に対しても差別だと抗議した場合自分は正直フェミニズムから批判を支持できないなと思ってしまう(起きていない仮のケースを想定して支持できないと述べるのは不誠実だとは思うが、起こり得ることだと思う)。今回議連批判している人にとっては、私が例に出したケースと今回の事はほぼ同じだろってなりそうだけど(私にとってはそうではないが)。

 Vtuber文化は今後も発展して警察のような公的機関や催し事とのコラボも増えていく事と思う。そしてそれに付随して、公的ものに相応しくないという批判から炎上も今後も目にしていくのではないかと思う。オリンピック小山田氏やラーメンズ小林氏のような過去不適切発言での問題が、もしVtuberで起きて、そしてそれがVtuberとして活動する前の、Vtuberたるその人ではない純然な中の人間としての過去発言だった場合、それはVtuber〇〇としての問題として扱われるのかどうかとか、そういった事を最近考えている。Vtuberの肉体とはなんなのかというのも、もっと議論必要な部分だし、容易に結論がつくものでもなさそうだ。だからこそ、もし批判するなら真剣理論を立てないといけない分野だと思う。普段思想が近しい人同士でも、Vtuber世界観(個々のVの世界観ではなくVtuberという文化認識の枠組み)を共有している人とそれを知らない人の間で今回かなり意見の相違がある話だったと思うのだが、オタクの内輪の論理Vtuberを知らない人には分からない世界観認識)を持って来られても困るというのは一理あると思うが、この内輪の論理を共有する方が多数派になってしまったら結局そんな言葉もかきけされてしまうんだろうなと思う。知ろうとしない方が悪いとか言いたいのではなく、ただそういう未来がありそうで嫌だなと。

2. 現代日本にはフラワーデモが起こったきっかけでもあった性犯罪判決や、知識の不足や劣悪な環境に置かれたことでやむなく堕胎も出来ず病院にも行けずに一人で出産して赤子を死なせてしまった女性犯罪者となり父親は何も責任を問われないような司法での女性の扱われ方に関する差別問題がある。医学部受験における差別措置記憶に新しい。女性政治家の数は少ないし、女性総理大臣も0だ。ジェンダーギャップ指数世界ランキングなんて参考にしなくても、日本には是正されるべき男女差別があり、その為にフェミニズムという思想がまだまだ必要である事は前提として認められる社会になってほしいと私は思っている。

 公共空間広告における女性表象の扱われ方の問題は勿論大事問題であるし、フェミニズムにとってなおざりにしてよい問題であるとも思わない。だが、先に挙げたような女性差別問題に比べると、人それぞれ色んな価値観があるし、フェミニズムを支持する人間の間でも一番意見バラバラに感じるトピックだと思う。私としては女性表象問題フェミニズムという思想にとっての”鶏肋であると常々思っている。鶏肋とは三国志で有名なエピソードが由来の言葉で、意味は「大して役に立たないが捨てるには惜しいものである

 私は少なくとも今までの女性表象に関する問題フェミニズム立場から批判側に理があると思っている。しかし、一連の女性表象批判は繰り返す度にフェミニズムを嫌う人間を増やしこそすれ、フェミニズムを支持しようという新しい賛同者をそこまで増やしているようには、少なくとも嫌われる人数を上回る程には新たな賛同者を増やしているトピックには思えない。思想政治的勝利するためには賛同者が増えなければいけない、いくら理論で勝っていたとしても民主主義においてはその賛同者の数が力になる、政治で勝つためには賛同者を増やす戦いになる。批判する側が悪いと言いたい訳ではない。これを批判する人々自体必要であるとすら思う。女性表象に関する事で傷つけられた人も過去現在存在していて、その人たちの事を考えたら決して役に立たない問題なんかではない。ただ、女性表象批判賛同者の増減に関しては基本的に分が悪い戦いで、基本的に負け戦を強いられるものだなと見ていて思う。女性表象批判フェミニズムを敵視する人間の声が大きくなる風景がどんどん広がるばかりだ。嫌われるから批判をやめろという話ではない。嫌われるのだからこそ、理屈で負ける批判をしない事が大事だと思う。フェミニズムに興味のない人間にとっては、娯楽への批判なんてのは繰り返せば繰り返す程嫌われるものだ。いかに損害を出さずに負けるかという負け戦なのだと思う。今回の件がニュース番組新聞など今までに比べて大きくメディアで取り上げられているのは、今回の件が華々しい(無惨な)負け戦だからだ。フェミニズムを嫌う人間にとってはこれほど溜飲が下がる事はないであろうし、メディアフェミニズムが叩かれている所が人々の耳目を集める格好の餌だと分かっているから宇崎ちゃんラブライブ!アツギタイツとは比較にならない程大きく取り上げる。自分は今回のメディアの取り上げ方にも不信感というか、怒りというか、やるせなさというか、とにかくいやな気持がした。

 楊脩は”鶏肋”との言葉を聞いて「鶏のあばら骨は捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほどの肉はついていない。この戦もそれと同じだ」と解釈して軍を撤退させた結果、曹操に首を切られた。私は自分を楊脩になぞらえるような真似をしたい訳ではないが、上記自分意見フェミニズムを支持する人から批判されるだろうと思うし、それは甘んじて受けるつもりだ。正直言って自分が正しいかどうか自信がない。でも、この表現をめぐる問題で一致が見られなくても、社会是正すべき女性差別があるという点で一致できれば連帯していく事が出来ると思う。もっと言えば、件の青識氏とおぎの議員に関しても、表現をめぐる問題議連批判する立場であっても、他の部分でこの社会女性差別があり、それは解消されるべきで、そのためなら議連とも連帯していきたいというメッセージがあるのであれば彼らを支持するのも全くやぶさかではないと思う。私が彼らを支持しないのは、差別是正して社会を良くしたいという動きに対して、方法論の違いで衝突しているのではなく、敵対者としてその理想のものを腐し足を引っ張る為に、自分が支持していない敵対者思想論理だけを借りて相手批判し、批判に使った論理の元の思想フェミニズム)が目指す理想のもの唾棄して見もしないような輩だと思うからだ。今回の件で彼らの影響力が増しても彼らはそれを上記女性差別の解消には向ける気はないだろうし、そんな人間フェミニズム論理フェミニズム議連批判し、そしてフェミニズムに興味のない人間からは彼らの方がよっぽどフェミニストだと思われるであろう現状が死ぬほど馬鹿馬鹿しい。

 山田太郎議員のようなオタクというアイデンティティナショナリズムのようにくすぐって、あおって、票にしていくスタイルは、おぎの議員の登場により今後アンチフェミニズムと結びついて、それだけでシングルイシューとしてオタクから票を集められるような政治勢力に発展していくのだろうなと思う。「フェミニズムから表現を守るオタクの会」なんて党が出来て議席を得るのも時間問題だろう。今後この問題アンチフェミニズム立場から定期的に引き合いに出されるだろうことも想像に難くない。Vtuberという若い文化が今後発展していけばいくほど、この文化若い人間が参加していけばいくほど、「フェミニズムとは僕たちが愛する文化排除しようとする敵なんだ」と先輩オタク達が後輩に囁く風景が見られることだろう。暗澹たる気持ちだ。どうしようもない負け戦だった。

2021-09-22

障害者の描いた絵に数百万の値が付く奇妙な時代

というよりも、社会的弱者の絵にバブルが起こっている。

まなみ工房という障碍者福祉施設があってそこに通う人がリハビリがてらに描いた文字を羅列しただけの絵に100万だかの値がついてる。

割と時間をかけた力作もあるがそれでも300万とか400万とかいう値がつくのは行き過ぎではないか

他にもNFTだかい技術の波に乗って小学生Windowsペイントで描いたようなクオリティの絵が万単位で売れていく。

その小学生は数か月で300云十万稼いでいる。どうにも海外有名人の目に留まりSNSアイコン作品の一つが使われたことによって価値が爆上がりしたらしい。

俺はなんでも鑑定団をよく見るがあの番組では芸術文字通り生涯を捧げた人達が紹介される。

画材などに財を全てなげうって、食べるものも切り詰める清貧生活の中で芸術家として大成していく様が伝えられる。

そんな人が描いた絵なのに、たとえ本物でも「150万円」という鑑定額だったりする。

前はそれを安いとか思ったことはなかったが今の風潮に照らし合わせると過小評価な気がする。

あるいは逆か。障害者の描いた絵が数多の芸術家達の歴史を踏まえず評価されすぎているきらいがあるように思える。

なんで芸術家と比べてしまえば本気度が低いに決まってる人たちが悠々自適に描いた絵に悠々と大金をかっさらっていくのか。これでは芸術家が報われないのではないか

別に障害者が作り出すものは劣っている」とか言いたいわけじゃない。障害者どころか健常者の平均的な画家と比べても、なんでも鑑定団特集される芸術家の芸術に捧げる熱量は、比較にもならないだろうが。

まあ作品一品物だからということもあるわけで、たまたま金持ちがその障害者の絵を気に入ってそういう金額が買い取ったというだけの話かもしれない。

まりそういう金額は一個人にとっての価値であるだけで、客観的価値を反映したものではないのかもしれないというわけだ。

客観的」という言葉を途端に胡散臭く感じるだろう?「『客観的価値』ってなんだよ」と言いたくなるだろう?

脱線するがアレイスタークロウリーなる魔術師自称した実在人物は法の書という出版物のなかで「真の意志」という概念について説いている。

「真」という言葉も、客観性と同じようなうさん臭さを持っていると思う。

たとえば惰性で好き勝手振る舞うことを真の意志とは異なるというようなことが書かれている。でも見方によっては、好き勝手振る舞うとは何かしら律するものの影響下にないということで、そこで発現されている行動はありのまま意志の反映なのではないのか。

ありのまま「真」という言葉で言い替えれるとするなら結局それはそのまま真の意志という概念に対する反論になる。

それを退けるためにはこのような「ありのまま」が真というものに対する言い替えとはならないわけとともに、では真という言葉は具体的にどのような性状を指しているのかを説明する必要がある。

真とか客観かい言葉を使う人たちは往々にしてそこらへんを「当たり前のもの」として、分かっているものとして論を進めてしまうから胡散臭いのだと思う。

とはいえ、こうも当たり前のように客観かい言葉が飛び交っていると、その中身は素人にはブラックボックスながらも客観というもの自体幻想ではなく確かに存在すると思うことこそが妥当健全生き方なのかなとも思えてきてしまう(こういやって長いものに巻かれる感じで客観や真などのような概念存在を信じることにしたのは俺だけだろうか?)

俺は気象学が好きでその勉強をしているなかで「予報精度はモデル計算の不確実性に依存する」という文言が出てきたのだが、まあ不確実性って言葉もまた客観とか真という言葉と同等なあいまいさ、抽象性を帯びているったらない。

そりゃ人間が作ったモデル現実物理法則に完全に依拠したものではないだろうことはわかるが、不確実性って単語一つで言いくるめられてもしっくりこないわけよ。それでもまあ「モデル計算の不確実性」が在るものとして、そらんじれるぐらいに自分にとって真実になるように努力するわけ。科学的な文脈で語られていることまでいちいち無いものとして疑ってかかるよりも、とりあえず丸呑みにする方が妥当な態度な気がするから学術的な文脈でも「客観」という言葉をよく見るから、とりあえず客観というもの存在するものとして妥協しておくというのと同じ。

話を戻すが、たとえば俺がモナリザとかひまわり価値ないといったところで、それらの絵画価値には微塵も傷がつかないだろう。

そう言うとき価値客観的価値だ。逆に言えば、一人の人間いくら熱狂的に特定の絵を愛して大枚を叩いたところで、ただちにその絵の客観的価値がそれに相当する客観的価値もつものとして裏付けられるわけではない。個人好き嫌い客観的価値はいうまでもなく独立したものであるはずである

ダヴィンチとかピカソみたいな大芸術家、あるいはバンクシーも含めてああいう人たちに作品の絵の価値客観的価値を反映しているといえる。

それは同じ絵が(何度も)オークションにかけられるという過程を経てその経済的価値民主主義的に固まっていっているからだ。これを実勢価格ともいう。

一方で障害者の絵に対するにわか景気はある個人にとっての価値の反映でしかない。それを指標としても客観的価値は見えてこない。

からまあ結局、このような状況は五体不満足障害者にせめて富がもたらされる機会が作り出されているだけであって、芸術家より評価されているというわけではないから、まあ誰も(故人も含めて)実体的そして精神的な被害者はいいからこのままでいいかなと思う。

フェミが増えたのは画力と画質の向上のせい

CLIP PAINT STUDIOというツールが普及し、デジタル絵が簡単に描けるようになった。

多少絵心のある人間であれば美少女を高精細に描くことは簡単時代になっている。

また、ハイビジョンビデオ編集ツールの普及によって、美しいものはより美しく、醜いものはより醜くなる時代となった。

その結果、8割を超える平均以下の女性たちはいわゆるルッキズム(眉目秀麗主義)に反発を覚えるようになった。

いうまでもなく現実世界ではほとんどの女性は平均的またはおぶすであり、

イラストドラマのような美男美女世界など存在しようがない。

それゆえに数万人・数十万人規模の熱狂的なフェミニストを生み出すことになったのである

これは個人的テクノカルチュアリズム思想依拠するもので、他にも視点があったらご教示願いたい。

2021-09-17

レイシズムに限らず全ての差別構造根底には、無知がある。それは「自分所属しているグループ特別に素晴しいものだと主張」していることに他ならないから。

要するに知性がないかレイシズム実施する。科学を表層だけさらうと「分類」が出来るような気がするから、それに従って分類をしはじめる。本当の意味での知性があるとこの世界境界線なんてもの本質的にないことがわかるからレイシズム実施できなくなる。

この意味での境界線の主張は平和主義ではない。個々人を隔てる絶望的な境界線以外にこの世にそれはないという主張であるレイシストは知性が乏しいだけではない。要するにこの世界にたった一つの実存としてすっくりと立つ覚悟がないほどに幼稚なのだ自身はなにもせぬままで、誰かと何かを共にしている幻想に縋っている。

たった一人、裸で生まれて、そしてそれをスタート他者と生きていく覚悟のない幼稚で無知性な人間の言い換えがレイシストであるのだ。

君は国に属する人間ではない。君は君だ。君であることが最初にあり、その上部構造共同幻想として国家は浮かんでいるだけだ。そこに自身アイデンティティを一欠片でも依拠するのは弱者ですらなく、幼稚で知性に乏しい愚者だ。国家とは制度総体である以上、それは制度以上の意味を持たない。そこに意味を見出そうとするのは、たとえば恋心のような下らぬ幻想である

そうです。本日ベネディクトの命日。

2021-09-11

anond:20210911121146

インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言日銀総裁がしている

下記は西田昌司委員自民)の質問黒田総裁が答えたかたち

黒田総裁は「指摘の通り現在金本位制採用しておらず通貨供給量などは日銀保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ

https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1

 

MMT」は暴論にあらず 消費増税は凍結せよ!(西田 昌司 氏 自民参議院議員)

財務真理教」のプロパガンダ

 

――財務省は財政制度等審議会に62ページに及ぶ反論資料を提出し、「異端」の理論として切り捨てようとしています

 

西田 MMT異端でも暴論でもない。ガリレオが唱えた「地動説」のように、やがて目から鱗が落ちる日が来るでしょう。アベノミクスによる「異次元金融緩和」は、本来民間企業投資拡大が目的だったが、政府国家の長期ビジョンと、それを実現するための財政出動を怠ったため、民間には国の先行きが見えず、投資をためらっている。そもそもデフレ危機から脱出には、政府財政出動による民間需要創造が不可欠なのに、財政再建しか頭にない財務官僚は「これ以上国債の発行残高が増えると、いずれ返済不能になり財政破綻する」と言い続けてきた。特に問題なのは国家財政問題家計にたとえて危機を煽る手法です。収入以上の生活を続けた家計破綻するように国家破綻すると、財務省は言うが、税収以上の予算を使っても、国家は決して破綻しない。なぜなら政府には、国家経済状況に合わせて通貨を発行したり、租税徴収したりする超越的な権限があるからです。一方、国家から通貨発行権を保証された日銀も、いくら国債を買っても、破綻することはない。要するに、通貨発行権を持つ主権国家が、自国建ての国債を発行し過ぎて返済不能に陥ることなどあり得ないのです。それを、いつの日か国家財政破綻し、国債暴落すると喧伝するのは、国家一般家庭を混同させる詐欺プロパガンダと言わざるを得ない。財政再建至上主義財務省は、国民経済無視する本末転倒の過ちを犯している。私は「財務真理教」と呼ぶが、マスコミや識者の中にも、何と信者が多いことか(笑)

 

――財務省の反論資料には諸外国における財政危機の事例が縷々紹介されていますハイパーインフレになりませんか。

 

西田 予算が伸びる一方で税収が伸びず、その差が広がっていく折れ線グラフを、財務省は「ワニの口」と呼び、このまま「ワニの口」が広がると、財政破綻すると警告する。さら国債を発行し過ぎて国債の信認が失われると、円レートが暴落し、エネルギー食糧海外依存する日本国内生活必需品が暴騰し、ハイパーインフレに陥ると、真顔で脅すのです。仮に国債投げ売りされても、通貨発行権を持つ日銀買い支える限り、国債暴落などあり得ない。だいたい中央銀行に対して、円建ての国債を売り浴びせることなど、誰が想像できますか。

 

第2次安倍政権の発足当時から、私は京大藤井聡教授評論家中野剛志さんと3人で総理を囲み、政策提言をしてきました。我々が申し上げたことは、まず公共事業費などデフレ脱却のために必要予算国債発行で賄うこと。日銀政府と協力して、市場から購入する国債を増やせば、民間投資市場から締め出すクラウディングアウトに陥ることなく、民間投資を増やすことができ、短期間でデフレから脱却できると訴えてきた。

 

アベノミクスは、新自由主義に基づくマネタリズム論に依拠するものでしたが、我々の主張は、政府需要創造民間投資を呼び起こし、それが通貨発生量を増やすことになるという、似て非なるものでした。金利ゼロでも融資が伸びない状況は、銀行収益力を極端に悪化させ、この状態が続けば、金融破綻が続出するハメになる。間違いなく危機が迫っています。そうならないためにもアベノミクス進化しなければならない。

https://facta.co.jp/article/201907020.html

2021-09-10

anond:20210910173951

バカから考えてないとか言うより、自分に都合の良い意見しか学んでないか知識がなくて、自分側が正しいと確信しちゃってるんだよね。

相手依拠してる知識がないので、相手無知だと誤認してる

2021-08-14

MMTの是非は横に置いといて、増田のその認識も少しおかしい

自民党別にMMT全否定じゃないぞ

MMT」は暴論にあらず 消費増税は凍結せよ!(西田 昌司 氏 自民党参議院議員)

財務真理教」のプロパガンダ

 

――財務省は財政制度等審議会に62ページに及ぶ反論資料を提出し、「異端」の理論として切り捨てようとしています

 

西田 MMT異端でも暴論でもない。ガリレオが唱えた「地動説」のように、やがて目から鱗が落ちる日が来るでしょう。アベノミクスによる「異次元金融緩和」は、本来民間企業投資拡大が目的だったが、政府国家の長期ビジョンと、それを実現するための財政出動を怠ったため、民間には国の先行きが見えず、投資をためらっている。そもそもデフレ危機から脱出には、政府財政出動による民間需要創造が不可欠なのに、財政再建しか頭にない財務官僚は「これ以上国債の発行残高が増えると、いずれ返済不能になり財政破綻する」と言い続けてきた。特に問題なのは国家財政問題家計にたとえて危機を煽る手法です。収入以上の生活を続けた家計破綻するように国家破綻すると、財務省は言うが、税収以上の予算を使っても、国家は決して破綻しない。なぜなら政府には、国家経済状況に合わせて通貨を発行したり、租税徴収したりする超越的な権限があるからです。一方、国家から通貨発行権を保証された日銀も、いくら国債を買っても、破綻することはない。要するに、通貨発行権を持つ主権国家が、自国建ての国債を発行し過ぎて返済不能に陥ることなどあり得ないのです。それを、いつの日か国家財政破綻し、国債暴落すると喧伝するのは、国家一般家庭を混同させる詐欺プロパガンダと言わざるを得ない。財政再建至上主義財務省は、国民経済無視する本末転倒の過ちを犯している。私は「財務真理教」と呼ぶが、マスコミや識者の中にも、何と信者が多いことか(笑)

 

――財務省の反論資料には諸外国における財政危機の事例が縷々紹介されていますハイパーインフレになりませんか。

 

西田 予算が伸びる一方で税収が伸びず、その差が広がっていく折れ線グラフを、財務省は「ワニの口」と呼び、このまま「ワニの口」が広がると、財政破綻すると警告する。さら国債を発行し過ぎて国債の信認が失われると、円レートが暴落し、エネルギー食糧海外依存する日本国内生活必需品が暴騰し、ハイパーインフレに陥ると、真顔で脅すのです。仮に国債投げ売りされても、通貨発行権を持つ日銀買い支える限り、国債暴落などあり得ない。だいたい中央銀行に対して、円建ての国債を売り浴びせることなど、誰が想像できますか。

 

第2次安倍政権の発足当時から、私は京大藤井聡教授評論家中野剛志さんと3人で総理を囲み、政策提言をしてきました。我々が申し上げたことは、まず公共事業費などデフレ脱却のために必要予算国債発行で賄うこと。日銀政府と協力して、市場から購入する国債を増やせば、民間投資市場から締め出すクラウディングアウトに陥ることなく、民間投資を増やすことができ、短期間でデフレから脱却できると訴えてきた。

 

アベノミクスは、新自由主義に基づくマネタリズム論に依拠するものでしたが、我々の主張は、政府需要創造民間投資を呼び起こし、それが通貨発生量を増やすことになるという、似て非なるものでした。金利ゼロでも融資が伸びない状況は、銀行収益力を極端に悪化させ、この状態が続けば、金融破綻が続出するハメになる。間違いなく危機が迫っています。そうならないためにもアベノミクス進化しなければならない。

https://facta.co.jp/article/201907020.html

インフレ2%になる(近く)までは幾らでも国債買うぞとも取れる発言日銀総裁がしている

下記は西田昌司委員自民)の質問黒田総裁が答えたかたち

黒田総裁は「指摘の通り現在金本位制採用しておらず通貨供給量などは日銀保有する実物資産の量に制限されていないが、買い入れる資産の量は物価の安定を図る観点から決まってくる」と強調。「2%の物価目標実現が近づく際には、日銀国債を買い入れる量を適切に調整する」と述べ

https://www.newsweekjapan.jp/amp/headlines/business/2020/04/269838.php?page=1

安倍前首相は次のような内容を述べていた。

  

「『国債発行は子供たちの世代にツケを回す』という批判があるが、その批判は正しくはないんです。なぜかというと(略)政府日本銀行連合軍でやっていますから政府が発行する国債日本銀行がほぼ全部買い取ってくれています。皆さん、どうやって日本銀行が、この政府の出す巨大な国債を買うと思います?どこからお金を借りてくると思っているんです。それは違います。紙とインクでお札を刷るんですよ。20円で1万円札ができるんですから」。

 

 

あと左?の分類でいいかはよくわからないがとりあえず野党なら山本太郎MMT賛成派だぞ

古賀茂明山本太郎の『MMT理論アベノミクス本質は同じ」

https://dot.asahi.com/wa/2019072900063.html?page=1

2021-06-08

anond:20210607231624

申し訳ありませんが、私には国語力なるものはないようです。

オッカム氏の主題なるものが「衝撃と畏怖」にあることと、そのツイートがその主題とは別の角度・視点から読解しえる事はそこまで矛盾するように私は思えません。あなたにとっては大事なのはそこなのだとしても、別の人間からすると、なぜ誤解を生みうるとしても、結婚という事象も絡めてその話をせざるを得なかったのか、それ抜きでは語り得なかった、それを一般化する余裕もないほど差し迫った衝撃と畏怖の背景にあるものとはなんだったのかと思う訳です。国語力という話があった通り、オッカム氏の文章国語教科書に出て来るエッセイのような自身経験に裏打ちされた、小説のような修辞的な良い文章でしたから、他の古今東西小説と同じく、作者の意図も超え得る裾野の広い解釈が出来る文章であったなと感じました。私はその意図で書いていないという話をされても、文章としてそれ以外の解釈が通る可能性があるなら(言語的に間違った字義解釈をしているのでもない限り)、時としてその解釈を書いた人間意図とは離れた解釈をされうるし、そして本人の意図埒外に見えてくる姿や批評性もあるというのが文章面白さでもあり、怖さでもあると思います

今回の件は私はオッカム氏を研究者の方だと思っているので、ご自身主観的経験文学的な修辞で飾る事よりも、社会構造に基づくものを語る際の姿勢として一般論を期待してしまっていた所があります。それはこちらの落ち度でした。申し訳ありません。

ただ、”トロフィーワイフなんて悠長な話をしている余裕は、彼にはない”というのはオッカム氏本人にしか分かり得ない事ではあると思いました。オッカム氏の”キャリア志向のない女性”の話と同じことですね。ご本人が直接同時通訳の方からキャリア志向はないんです」と打ち明けられたのか、あるいは”「〜から明らか」とか「〜以外には受け取りようがない」と主観依拠”して判断したのかは分かりません。同じようにあなたがオッカム氏にそんな余裕はなかったんだと打ち明けられたのでもない限り、もしくは”「〜から明らか」とか「〜以外には受け取りようがない」と主観依拠”したのでないなら、それは分からない事だと思います(オッカム氏はたくさんツイートされているので私がこれにまつわるつぶやきで何か重要な見逃しがあったらすみません)。

私が一連の話で思うのは”キャリア志向はない”とオッカム氏は何をもって判断されたのかということで、そこにジェンダー的な観点から語りうる問題があるように感じます

そして、「衝撃と畏怖」という話で言うなら今回のTwitterでオッカム氏に来ている批判主題もまさにそこにあるような気がします(これは主観依拠しています)。それは女性通訳者をはじめとした色んな方々の、ご自身境遇がこう見られているのかという「衝撃と畏怖」だと思います。オッカム氏にとっては批判者の主題なるものは”主観依拠”した事実誤認かもしれません(私は批判した方々本人ではないので分かりませんが)。

しかし、オッカム氏とは逆に、批判者にとっての大事なことというのは、「想像もできなかった」の前にある「迎えることは」の方だと思うのです。それはなぜか。というのは寄せられているジェンダー的な批判が答えだと思います

私はオッカム氏が故意ミソジニー発言をしようと思ってしたとは思っていません。しかし、寄せられた批判国語力のない誤読と一蹴できるほどのものなのかという点と、短時間でその人に対して人生設計の行く末と意志の事を話す気にさせるほど胸襟を開かせるような驚くべき特異な好人物エスパーでもない限り、通訳の方に対して”キャリア志向がない”と判断された事の背景にはジェンダー的な視点で語りうるべきもの存在していると思われる点、この二点はやはり思う所でありました。

先の文章といい、長文ですみませんでした。返信を下さって嬉しかったです。

2021-06-07

anond:20210606000447

そもそも「迎える」という言葉に「知り合う」なんて意味はないんですよ。

研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかもしれない。しかしあの高学歴語学力キャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった。つまり僕は絶対に勝てない」という文章における「迎える」を「知り合う」の意味にとってほしいのであれば、「迎える」ではなく「知り合う」と書く以外にないでしょう。そういう女性と知り合う事・知り合える環境境遇以上の意味(=結婚)をこの文章で想定していないのであれば、”高学歴キャリア志向のない”女性と知り合う機会がない事のみが勝敗を感じるポイントであって、結婚関係ないのであればわざわざ結婚の話をしなくてもよろしいし、文章中の言葉も”彼女らの旦那”と”妻”ではなく、もっと広く”「高学歴語学力キャリア志向のない」女性”と、”そういう女性と知り合える男性”に置き換えて文章を書けば良かったのです。結婚関係ないのだから

そして、そもそも知り合うという事だけでいいならオッカム氏はまさにそういった女性と知り合えている訳です。勝てているではないですか。仮に東京でないとそういった女性出会えないのだと仮定しても、現にオッカム氏は同時通訳派遣を通じて実際に知り合うという勝利が出来ている訳です。地方東京環境の差があるとしても、オッカム個人が知り合うだけの問題なら、オッカム氏は勝っているのです。「専業主婦」「同時通訳仕事は安い」と本人の口から聞けて、他人に対して”キャリア志向はない”と断定できるほど(それがオッカム氏の”「〜から明らか」とか「〜以外には受け取りようがない」と主観依拠”したものでないなら通訳の方がオッカム氏に人生設計の想定を偽りなく吐露できる程の関係)の交流ができた、そういう女性と知り合う事が出来る環境になれたのに「僕は絶対に勝てない」とはどういう事なのでしょうか。

2021-06-06

オッカム(@oxomckoe)氏への誹謗中傷

追記0】

誹謗中傷批判の違いは「事実に基づいているかどうか」で判断されるべきだと考えます

氏を「ミソジニー(女性嫌悪)」「女性蔑視」と断言する批判事実に基づかないもので、かつ人格否定するものです

b:id:nitino 氏、事実に基づいていないのにミソジニー女性蔑視レッテルを貼って回る行為、それも正当な批判だと言えますか?

重要なのは「それが事実かどうか」に尽きる訳ですよ。

で、反論するなら下の追記1に書いた、その理路について反論してほしいと思う。

ちなみに「〜から明らか」とか「〜以外には受け取りようがない」と主観依拠したり、

氏のツイートにない文脈(大学非正規職員ガーとか)を勝手付与したりしても、それは反論の体をなさない。

(ちなみに「専業主婦」「同時通訳仕事は安い」はオッカム氏が同時通訳の方本人から聞いた言葉です。お間違いなきよう。

https://togetter.com/li/1725725?page=8 )【追記ここまで】

看過できないものをいくつか。

b:id:vanillayeti

意図は違ったとしても気づかずに女性蔑視してますし、気づかないのもやばいですよという指摘なんですけどね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4703593191158935938/comment/vanillayeti

三毛招き @mikemaneki

ジェンダーは専門ではない」というのをミソジニーを垂れ流す言い訳にすんなよ。通訳仕事をやってる時点で「専業」主婦じゃない。

https://togetter.com/li/1724936#comment

フラクタルな煮凍り @ribsleftrurs

何度でも書くが氏の文章ミソジニー女性蔑視トロフィーワイフのような背景思想がなければ書けない文章であり、読解力云々以前に氏と同じ色眼鏡をかけていなければそのようには読めない文章しかなってない。 本当にそれが内在していないのであれば壊滅的に日本語が下手糞という目も当てられない結果に落ち着くだけ。 むしろ自称するように海外価値観で物を見れるだけの環境教育仕事をしているのにも関わらずここまで根深く染み込んでいる「田舎価値観」というのは本当に恐ろしいなと思うよ。

https://togetter.com/li/1724936#comment

b:id:cleome088

打ちのめされ余裕のないときにこそ、人間の本性が現れるという話もございましてだな。女には俺より無力であってほしい、俺よりできる女を「モノ」にする都会の男が羨ましいって話は充分に浅ましく差別的だよね

https://b.hatena.ne.jp/entry/4703593191158935938/comment/cleome088

cleome088氏の「俺よりできる女を「モノ」にする都会の男が羨ましい」は酷すぎるな。

オッカム氏の発言のどこに、そんな話があった?

読解力のなさは、誹謗中傷免罪符にはならないよ?

追記1】

研究者としては、彼女らの旦那(が研究者だった場合)を凌ぐことができるかもしれない。しかしあの高学歴語学力キャリア志向のない妻を迎えることは想像もできなかった。つまり僕は絶対に勝てない」という氏のツイートを、

「俺よりできる女を『モノ』にする都会の男が羨ましい」、

あるいは「自分はどんなにがんばってもこんな嫁をもらえない」

曲解して憚らない人がいることが、驚き。

高学歴語学力キャリア志向のない」女性をそれまで知らなかった、衝撃と畏怖だったと書いているの、敢えて見落としているのかな。

能力では分からないけれど、そうした女性と知り合うことすらなかった『環境』を比較して「旦那に勝てない」と思っただって、分からないものかなあ。

何のために「東京は恐ろしい所だ」から書き始めてると思ってんの?

そもそも存在を知らないのだから「妻に迎えるなど想像もできなかった」という発言は当たり前の感想で、トロフィーワイフと全く無関係だよね。

追記2】

araikacang氏、でもさ、たったこれだけの昔語りでも、もし「大学教員Twitter女性蔑視発言」とか間違って報じられたら、本人は職を失いかねない訳でね。

そうでなくとも、もう十分名誉毀損レベルだと思うのよ。その指止めようはとっとと仕事しろよと思う。

最近の、お母さん食堂炎上なんかを見ていても、ジェンダー議論が『消毒』の方に向かってるの、リベラリズム観点からは相当やばいと思うんだよね。

お母さん食堂のネーミングがジェンダー固定化をもたらすなんてエビデンスはどこにもないのに、「その可能性/恐れがある」って理屈でやめさせようとする(ファミマがやめてないのはあっぱれだが)。

その可能性に触れたらアウトってのは、リベラリズムの対極にある発想なんだが、どうしちまったんだろう。

追記3】

take-it氏、「強姦された女性が『男は獣だ』と発言」て、そんな犯罪性の高い案件ですか?

本気で言ってます

その雑な例えが通るなら、主席批判したら「お前は強姦魔だ」と紅衛兵に吊し上げられてる様の方がよほど近いと思うけど。

「その批判は過剰攻撃ですよ」という批判は成立しませんか?

ポジションの話だけに持っていくのは、やめましょうよ。

追記4】

b:id:aquatofana

元ツイは「自分はどんなにがんばってもこんな嫁をもらえない」で終わってるので、やはりミソジニーど真ん中なんだよなあ。加えて性別故に安定キャリア拒否された女性の苦しみに無頓着無意識差別

https://b.hatena.ne.jp/entry/4703692319054135618/comment/aquatofana

自分はどんなにがんばってもこんな嫁をもらえない」と氏は言っていない、ということを追記説明しているのだが、読んだ上で反論してほしいものですね。

高学歴語学力キャリア志向のない」女性をそれまで知らなかった、衝撃と畏怖だった

能力では分からないけれど、そうした女性と知り合うことすらなかった『環境』を比較して「旦那に勝てない」と思った

という解釈おかしいということなら、具体的に指摘してくれませんかね。

「やっぱりミソジニーど真ん中!」では、主観による印象論以上に、何も言ってないのと同じですよ。

追記5】

(突っ込まれたので補足)

https://anond.hatelabo.jp/20210607231624

2021-05-17

anond:20210516165131

どれだけあなた成熟していようと、それを法律個別に認めることはできない。

たとえば未就園児18禁を見せたら、明らかに誇張された価値観認識を植え付けてしまうから禁止されるのは納得してもらえるだろうか。

庇護されるべき未成年」としてその適用年齢が拡張されているだけ。

適用年齢を引き下げるように主張するのは自由

対象年齢の妥当性が何に依拠すべきか、自分は答えを持たないが。

しかし少なくとも、幼い我が子が18禁を目にするのは、もっと分別がつき、男女の違いや尊厳理解してからにしてほしい。

そのために、社会として幼い者から隠すことはずっと続けてほしいな。

2021-05-13

西洋人狩猟民族

かいうのを見るたびに、雑な議論するんじゃないよ、って思う。

典型的ものでは、以下のようなものネットで見つかる。

https://www.tut.ac.jp/prestige/takenaka/04.html

https://www.jscore.co.jp/column/lifestyle/2017/agricultural_tribe/

生活狩猟依拠するのか農耕に依拠するのかは、文明の発達段階によるのであり、ヨーロッパだも日本でもざっくり言えば、旧石器時代以前は狩猟採集新石器時代以降は農耕牧畜をしている。

その意味で、より正しい表現をするなら、ヨーロッパ牧畜民族、日本人は農耕民族、とかいうのならまだわかる。(その上で、そのような成り立ちが民族性に影響しているのかとかはまた別の問題である)

2021-05-11

テクスト論的な読解と作家論的な読解について

anond:20210511091241

ありがとうございます情報、非常に助かります

 

私の増田と、あなた増田でやっているそれぞれの読解を大雑把に分類すると、

あなたの読解は、作者や筆者の背景や個人史というテクストの外部から情報を参照して読解の手助けとする作家論的な読解で、

私の読解は、あくまで当該テクスト内のみで完結する情報のみを参照して構築するテクスト論的な読解だと言えそうです。(実際には文中にも書いている通り、テクスト外の情報も一部参照してしまって居ますが)

国語テスト」という例えをしたのはまさにその意図で、国語テストは(よく誤解されるように)「作者の気持ち」や「作者の意図」を探ろうとする作家論的な読解ではなく、テクスト内の情報で完結するテクスト論的な読解を要します。

何が言いたいかと言うと、これらは相反したり排他的ものではなく、どちらも大切だねという事を言っておきたいのです。

 

作家論とテクスト論はそれぞれ長所短所があり、相補的なものです。

作家論はテクストの外部の情報特に実際に起きた事や事実)を参照できるため、より「事実」に近付ける、という利点があります

一方テクスト論は外部情報必要としない為、(今回提供頂いた他のnoteの様な)外部の前提知識を持たない人とも認識を共有できます

今回は件のnoteに対して「何故女性フェミニストに言うのか」と疑問に思われている方が居たので、(他のnoteの様な外部情報ではなく)あなたが読んだそのnoteの文だけを手掛かりにこういう読解が出来ますよ、という事を示したかったのです。

もっとも、より深く理解するために今回示していただいたような作家論的な外部情報が助けになるのは言うまでも有りません。

 

作家論とテクスト論の違いは、極端な例えをすると、例えば件のnoteを実はAI自動的に出力した物だった場合

AI意図個人史を持たない為作家論的な読解は困難ですが、テクスト論的な読解はテクストのみに依拠するため可能である、という点にあります

また、筆者自身意識していない(が、文章としては成立している)理由根拠等を探る手助けになるという事も有ります

今回あなたが示したように、恐らく筆者の方の意図としては「キモい」に関わる個人史的な経験比重が大きいのだと思いますが、

一方でそれだけに終始してしまうと、「キモい」と言った事がない女性フェミニストの方にとっては他人事、と解釈される可能性が有ります

しかし私のしたようなテクスト論的な読解であれば、それ以外の(例えば私の増田の「誰もが抑圧者になり得る事」「「差別正当化」の主題化」「フェミニズム言説への応答として」のパートで示した様な)作者が必ずしも意図しない部分も補完できる、という訳なのです。

 

長くなり、また話が大幅に逸れましたが、作家論とテクスト論、どちらもあったほうが良いよね、という話でした。

2021-05-08

貞操逆転世界フェミニズム入門とか言ってる腐れマンコがイたけど

マジで本当に全くわかってなかったんだな。

主人公市川は、貞操逆転後の世界基本的に馴染めず、良いとは全く思ってないんだよ。

ただ戸惑いながらも順応しようとしてでもダメだー!というのが面白キモなわけで

2巻のアオリなんて「女としての自分価値がどんどん暴落していく」という表現があるわけで、

要は女の性的魅力は貞操観念に依存してて、そして自分の女としてのアイデンティティ貞操観念に支えられた妄想産物依拠している部分が多分にあるのでは、というのが主題なんだよね。

少なくともフェミマンコどもが言いたくてうずうずしている「男の抑圧がない!『サイコー!!』」ではまったくないということ。

たまに男の性的視線を逆転させるとどれほど滑稽かってのがあって、フェミマンコはそこにだけフォーカスしたがるけれど、

まあマンコでものを考える女の浅はかな見方、ってことなんだろうなー。

女のマンコにどれだけ価値が置かれているのかってことを客観視させるための道具立てなんだよこの漫画は。

もともとエロ本でズリネタに利用されていたのだが、

そのズリネタあくま男目線

男のチンポに価値のある世界だったらウヒョー!!となる。

男目線ならズリネタになる。

これは女目線

女目線だと、貞操観念が逆転しても、女はウヒョーにはならないよねということ。

ってことは、今の世界がウヒョーなんじゃね?って反問が想定されるわけで。

まあもちろん漫画からね、女の実社会の不利な要素なんて排除してるただの娯楽なわけだから

女=即ウヒョーなわけねーだろってのは百も承知

だが、そんな単純で表層的で一面的な娯楽に過ぎないこの漫画フェミ教科書とか言っちゃうバカマンコって、

どれだけ単純で表層的で一面的なモノの見方しかしてないんだろ、って話になるわけなんだよねー。

そもそもフェミ価値観によって貞操逆転世界を作っても、

娯楽にも社会作品にもならないだろうな。

単純で表層的で一面的しかいから、物語面白みや厚みを加えることなんて絶対できないもの

ま、…そういう意味じゃ、単純で表層的で一面的価値観一本槍で、よくぞここまで権力拡張できたなってところだと思う。

進化袋小路にハマった文化には、ある意味ここまで粗雑でも利用価値が見いだされるということなのかもしれないね

2021-05-05

anond:20210505102805

今の死亡率はまだ重症化した人がICUで手厚い治療を受けて死なずに済んでいる状態重症化≠死)

死亡率低いよ増田が言っていることは定量的数字依拠した議論のように見えて

「俺たちは医療先進国日本に住んでいるか安全」っていっているのと同じ。

日本感染爆発もまだない状態オリンピックをやろうと言っている人たちがいるくらいだから

もう少し感染者が増えてくると病院自体入院できない状態相転移する(重症化=死)

から国内数字でなくてインドブラジル欧米数字をみないと病気のものの「死亡率」は評価できないよ

男女はどこで半々ではなくなるのか?

以下、便宜上、男:女で表現するが、男女差別意図はないことを断っておく。

(そこで突っかかるやつは勝手にしてくれ)

出生 

↓ およそ105:100(1.05)

義務教育期間※卒アルベース地方都市

↓ およそ21:19(1.11

高校進学率

↓ 男:96.3% 女:96.9%

↓ 係数掛けると

↓ 20:18(1.11

高校

↓ ※男子校だったのでデータなし

大学進学率

↓ 男:55.6% 女:48.2%

↓ 係数掛けると

↓ 11.1:8.6(1.29)

大学ヒアリングに基づく

↓ 東大理Ⅰ たぶん10:1(10.00)

↓ 京大経済 感覚的に3.5:1(3.50)

↓ 早大政経 感覚的に7:4(1.75)

↓ 早大教育心理) 他は半々くらになのに4:6で驚いた(0.66)

↓ 上智文学 3:7他も女子多い(0.43)

↓ 明大法学 7:3くらい(2.33

↓ 立命経済 7:3くらい(2.33

↓ 立命産社 3:2くらい(1.5)

↓ 立命文学 4:5だったはず(0.80)

↓ 日大法学 7:3(2.33

↓ 甲南経済 7:3(2.33

社会人ネット調べ

↓ 丸紅 7:3(2.33

↓ NTT東 2:1(2.00)

↓ 関西電力 6.5:3.5(1.86

↓ ベネッセ 4.5:5.5(0.81)

↓ 日販 3:2(1.5)

↓ 楽天 3:2(1.5)

↓ 三井住友銀行 7:3(2.33

大概の企業では女性比率は3割以上をめざす、としているが、その目安の根拠は応募割合が概ねそのあたりであることに依拠している。

大学ボリュームゾーンであろう経済学部の比率を見れば妥当感はあると思うが、ではなぜ経済学部は7:3におさまるのか?

男子はとりあえず進学、女子自己実現志向が強いなどということがあるのか?

2021-04-04

anond:20210404025232

社会的スティグマ化や車だったら営業妨害に当たるだろうし、もう少し感情自身だけの経験依拠せずセンシティブに扱うべきことなんだよな。よくない兆候だよなって感じ。

2021-03-18

anond:20210317213139

ポリコレは「人権的に善である」という一点にの正当性依拠しているので、自由主義文化相対論・反権力・善が負けるような過酷現実、に弱い。

弱いところをつかれると、逆切れするしかなくなるし、ネットでしばしばみられるのがそれだな。

今回は宗教がらみなので文化相対論にひっかる。

 

逆に強いのは、人権を守ることと社会全体の利益イコールとなった場合

ヘイトスピーチなんかがそれだった。

 

エロ表現規制では、メディア影響論に疎い人たちがエロ表現規制社会全体の利益になると信じているせいで強気に出てくるが、実は全然違うので、軋轢が発生しやすいね

2021-02-27

政治をつきつめると利権になる

都知事政治的に一匹狼で小泉首相かいろいろ渡り歩いて権力つかんだ、とか

橋本大臣森元首相だけに庇護されて出世した、とかそれで北海道オリンピック誘致なんちゃらとかいゲス記事をみたけど、

なんかつまんないことやってんなーと正直思ってしまう。

もちろん地元有権者の期待に応えるという責任からくるものだと思うのでそれは立派だけど、

つきつめていくと「一部」の人間の「利権」の最大化を求める行為政治だと思ってしまう。

といっても共産主義肯定するわけでもなく、貨幣経済である以上はしかたないのだが、

農本主義というか二宮尊徳ケネーのような時代利権土地みたいなとこがあってシンプルだったと思う。

つまるところ金融経済システム根本的に騙す・騙されるのゲーム依拠しており株なんかはまさにそれだと思う。

金という共通ルールを使って利権ゲームを勝ち抜く=現代政治みたいなところがあるなあと感じた。

ゲームからそういうのハマる人はハマるんだろうけど。

2021-02-23

anond:20210223030855

>しかし、如何に愚かな政府と言えども、最初からそこまで馬鹿な行動を取るとは考えにくい。

読んでたけどこの時点で願望に依拠した論じゃんこれ

馬鹿な行動とったらどうすんの?

2021-02-12

anond:20210212150334

いや実際にゲイから性犯罪被害を受けたノンケが多いからさ…

現実にあるホモセクハラや掘られた被害無視して、

男どもは仲間内ゲイへの嫌悪を表明し合うことで自分が正常な男であることを証明して結束を深めているのです。こういうホモソーシャルが根拠無きホモフォビアの根源なのです。

とか言い出すからフェミとか男性学はクソなんだよ。

被害者とちゃんと向き合え。

ゲイフォビア、ホモフォビアは、かなりの部分を宗教的社会的文化依拠しているとみるのが一般的

anond:20210212145352

ゲイフォビア、ホモフォビアは、かなりの部分を宗教的社会的文化依拠しているとみるのが一般的

それはつまり個人の中の偏見だとか好みだとか愚かさだとかに依拠して考えるのは、不適切(とおもわれている)ということだ。

 

過度にシンプル理解をすると、多くの場面で取り落とすことが多くなるぞ。

例えばオカマ嫌いの男が、マチズムに染まり切っているからこそ、そこらへん歩いている女を守るために命を捨ててしまうとかはマジで考えられるわけ。

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