まず、靖国の本来的な意味は、
先の大戦で亡くなった人々、軍人のみならず市民の犠牲者、
間接的に亡くなった労働者や農民、
そうした人々を弔うものだと認識している。
このような祈りの行為に国境は関係ない。
政治的な意義づけをしているのは後世の人間の傲慢であり、死者の冒涜である。
政治とは利得権益の最大化であり、祈りとは対極のものである。
したがって靖国に参拝するというのは完全に個人の思想に依拠すべきであり、
総理大臣だろうと同じである。
それに対して他人が意見できるものではないし、またすべきではない。
その時点で、先の大戦への反省と祈りは消えているのである。
Permalink | 記事への反応(1) | 10:12
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ひとくちに靖国に参拝するといってもみな軍国主義を肯定しているわけではなく、平和への誓いを目的としている人はいるし、実際そういう発言もある 文脈読めないの?(笑)
読めないよ
靖国=軍国主義とさわいでるやつらへのピンポイントのメッセージだから文脈はむしろ見事に読めてると思うが