はてなキーワード: 下腹部とは
私には5つ上の兄がいて、小さい頃はいつも兄の後ろをついてまわっていた。小学校1年生のある時、いつものように兄とその友達に遊んでもらいたくて、一緒に近くの公園についていった。同じ公園内にいたけど兄は友達と遊ぶことに夢中だったんだと思う。1人のおじさんが私に近づいてきた。「お腹が冷えちゃうよ」と言い、シャツをズボンの中にしまってくれた。私はそのおじさんにお礼を言ったかもしれない。おじさんはすぐ去っていった。当時の私には言語化できなかったけれど、何かの違和感が残った。少し大人になってから分かった。
あのおじさんは、私の下腹部を触っていた。シャツをしまう動作とは違う肌に触れる感触や、深く入れられた手の不自然さ、違和感の正体がわかった。
当時の私は自分に何が起こったのか分からなかったので、このことを特に誰にも言わなかった。分かった今でも周りの人間には言っていない。振り返ってみると、子どもって他人がどんな魂胆で近づいてきてるのか判断がつかないのかもしれない。危ない人だ!と悟る能力も自分にはあまりなかった気がするし、危ない人と分かったところで適切な行動をとれる能力もなかったかも。他人を疑う習慣もなかった。
15年も昔の記憶なんてほとんど覚えてないけど、この時のことは思い出せる。時々思い出す。というか消えない。しかし幸いなことにトラウマという程ではない。自分が被害者だったと認識したのが年取ってからだったのが理由だと思う。だからこそ、今回被害にあった女の子とご両親を思うと心が痛い。被害届けをださなかった理由の1つに、女の子の記憶に少しでも事件のことを残さないよう配慮したのかなと勝手に考えてしまう。女の子に今回の事件の記憶がどうか少しでも残りませんように。助けてくれる優しい大人もいるからね。
のほほんとしてる休日前にこんな記事ごめんね。もし反応してくれるなら。私は運が悪かった、だから外へ遊びに行くことを許した私の親は非難しないでくれると幸いです。
夏場のストッキングは蒸れる。
ちょっと汗ばむと、ストッキングがぴっちり肌に吸い付いてきて、不快なことこの上ない。
そこで快適に夏を過ごす方策を考えてみた。
そこでストッキングを履かずに出社してみた。
結果、ストッキングが吸い付いてくることはない。また、露出も少ないのでストッキングなしでの違和感も少ない。
が、しかし、普段ストッキングで守られている下腹部が冷房で妙に冷え、一日中寒かった。冷気が足元から上がってくるため、生足では避けようがない。
また、少しといえど生足が出るので、毛の処理が曖昧だと思わぬところでレッドカードをくらう。
1日外にいる日などであればいいかもしれないが、電車の冷房も強く感じる昨今。
冷房が苦手で、冷え性と戦うOLにとってノーストッキングはリスクであった。
ガーターベルトはエロいアイテムなだけではない。太ももまでの靴下状のストッキングと、それを固定するベルトからなるため、股の部分が蒸れずにストッキングが履けるのだ。
これはまさにイノベーションだった。
蒸れて不快なのは主に股部分だが、そこはストッキングがないため開放感がある。
まさかセレクトショップのメンズのボトムに、タックが大々的(?)に復活するとは思わなかった。
太いのは苦手なので、細身を探す自分には困る流れだ。
男がスネ毛見せんな?そんな毛深くないから勘弁してください。暑さには代えられません。
カプリとかサブリナとかの、膝下まで足にピッタリフィットする、ユニセックス的なやつが中々見つからなくて正直難儀している。
一番細いのでも、ロールアップで裾をすぼめてどうにかOKという感じ。
膝下の裾がダブつくのは正直困るんだよね。ロールアップはトップスでもボトムでも良いアクセントになるんだけど。
ちなみに自分のスペックは176/64。BMI的には標準の範囲だが、問題はその体重が下腹部と太ももに集中していること。
Yシャツが38/85なのに、デニムは31インチ未満が入らないと言えば想像つくだろうか(ちな靴のサイズはオールスターだと26.5cm)。
基本的に骨そのものが細いのに、腰骨と大腿骨だけがやたらと大きい感じ?
なので、経験的にあらゆるアイテムがタイトかつジャストフィットじゃないとキマらない。ルーズなシルエットはだらしなく見えたり、アイテムによってはオラついているように見えてしまう。
結果、メンズの定番アイテムであるテーラードジャケットは、タイトでもキツさを感じないジャージ素材が最高だったり。しかし、ずーっと2つボタンで推移しているのは何とかなりませんかね。2つボタンを1個だけ留めるとボタン飛びそうになるし、2個とも留めるのはイレギュラーな着方なので、いつまでもボタンを留められない。3つボタン早く復活してくれ。
シャツの柄は気がついたらギンガムチェックだらけになっていた。当然これもタイトじゃないといけないのであまり快適な着心地にはならない。
その点パーカーは、あんまりタイトだと変=多少ゆったりでもおかしくないので、シャツよりもお気に入り。
チビTやピタTは大好きというか、Tシャツはそういうのしか着れない。ヒョロいお陰で乳首が透けることもなくジャストで着れる。
あとはニットソーのアンサンブルとか着てみたいけど売ってないんだよ。流行ってないからだとすると恨めしい。
そして春夏は、どれも七分袖が一番上手くキマる件。
ボトムはスキニーばっかり。これだと冬場ヒートテックを下に着れないのが辛い。そこは妥協してスリム買うしかないのか…という感じ。
靴は軽めのスニーカーで済ましてきたけど、流石に年齢的に子供っぽくなってきたので、今はデッキシューズしか履いていない。
体型の悩みは色々あるだろうが、細いのは細いなりに悩ましいのだ。
スクール水着が好きなので、去年の秋頃にスクール水着を買った。
着て致したり、それで扱いたりと、それなりに有意義な使い方をしていた。脚の毛を剃った状態で着て、内股になって下半身だけ自撮りをしてみると、まあまあ女の子っぽかった。その写真はすぐに消した。
初めて着たときはかなり興奮したのだけれど、時とともにその気持ちも冷めていった。今でも興奮はするけれど、やはり初めての高揚感は超えられない。
ある休日の朝、洗濯するためにパジャマを脱いだついでに、なんとなくスクール水着を着てみた。特段気持ちいいわけではないけれど、これでしか得られない締め付け感を全身で味わう。
雨が降っていて少し肌寒い日だったので、上にTシャツを着た。ちょうどいい。
しばらくはその格好で、ゲームをしたりYouTubeを見たりしていた。
お昼過ぎ、尿意を催しトイレへ。用を足すには脱がなければいけないことに、ここで気づく。スクール水着を着てトイレに行くのは初めてだった。
少し面倒だなと思ったその瞬間、あるアイデアが頭をよぎった。
僕はスクール水着が好きであるのと同時に、おもらし物も好きだ。スクール水着でおもらしをする作品も当然好きだ。
ならば、自分でやってみたらどうだろう。
後処理を考えれば浴室でするのがベストなので、浴室に入る。お気に入りのイラストを真似して、和式トイレみたいにしゃがんでみる。しゃがむとちょうど鏡の高さなのだが、鏡は絶対に見たくないので、逆方向を向く。
しばらく待つも、なかなか出ない。当たり前だ。日常生活の中でおしっこをするときは、
・トイレで
・パンツを脱いでいる
・浴室で
・スクール水着を着ている
また、ある程度は性的興奮をしていたため、それがちんちんにも反映されてしまい、それもおしっこが出るのを阻害していた。
なんとかならないものかと、水を飲んだりチョコレートを食べたり(カフェインの利尿作用を期待した)したが、なかなか出ない。
そうこうしていると、ふと便意に襲われた。これは厄介だ。浴室でうんちをするわけにはいかない。トイレでうんちだけ出してしまおう。そう思いスクール水着を脱いでトイレに座ると、今度は溜まったおしっこが、出して出してとちんちんに集まる。
普段うんちをする際は、あまり溜まっていなくてもおしっこを出してからうんちをするものだから、今試みている「おしっこを出さずにうんちをする」という芸当はなかなかに難易度が高い。
「たぶんこうした方が出づらいだろう」という判断のもとちんちんを上に向けた。前側を避けてお尻の方を、慎重にきばる。上に向けるのは効果薄だったのか、おしっこが涙のようにわずかに漏れた。トイレットペーパーで拭き取って、力の入れ方を工夫する。
そうしているといつのまにか便意が引っ込み、尿意が優勢になっていたので、「おもらしができるのでは」と思ってスクール水着を着直して浴室へ。
しかし、いざしゃがんでみるとおしっこは膀胱へ引き返しており、さっきまで静かだったうんちが存在を強く主張し始めた。
浴室でおしっこをしようとするとうんちが出たがり、トイレでうんちをしようとするとおしっこが出たがる。これではいたちごっこである。
この後10分くらいだろうか。出せないものを出そうとして、トイレと風呂場を行き来した。
うんちは、溜まっていたすべてではないものの、結構な割合を出すことができた。
しかし本来の目的であるおしっこは未だに出せていない。このままトイレで普通に排尿をしては負けだ。
そこで思いついたのが、「水の音を流す」というアイデアである。キッチンで洗い物をしているときに尿意を催したりするし、効果はあるはずだ。
入浴中にラジオを聴いたりする用に浴室に置いている無線スピーカーで川のせせらぎを流してみたが、心が少しばかり落ち着くだけで、おしっこは出なかった。
ではこれでどうだという気持ちで、シャワーを出してみた。世の男性はみんな、シャワーをあびるとおしっこが出てしまう。僕も当然その一人だ。これで出ないはずがない。
浴室でしゃがんで、足首あたりにシャワーをかける。1分くらい続けていると、待ち望んでいた感覚が下腹部に訪れるのを感じた。
これは、出る…!
かくして、僕はスクール水着を着ておもらしをすることに成功した。
毎日のようにしているのに、そんなことは意識したことがなかった。
おまたから漏れ出したそれは、スクール水着を伝ってお腹やおしりの方をじんわりと温める。おしっこは予想よりも広範囲に広がり、おへその辺りまで熱が伝わってきた。
おもらしをしている最中の僕は、女の子みたいな、声にならない声を小さく上げていた。
浴室の反響で直接音が少しぼやけるのも手伝ってか、そこまで不快ではなかった。いや、むしろ少し気分が上がった。
おしっこの出方としては、ぴゅー、、ぴゅー、、という断続的なものだった。「ちょろちょろ」とか「ぶしゃー」と出るエロ漫画よりは、少しえっち具合で劣る気がする。
ここに至るまでに結構な量の水や牛乳を飲んでいたので、1、2分間くらい、途切れ途切れに出続けた。
出し終わると、そのまま水抜きからちんちんを出し、こんなこともあろうかと用意しておいたオナホールとiPadを使って致した。もちろん参考資料はスクール水着のおもらし物だ。濡れているとやはり滑りが良くて気持ちよかった。
感想としては、結構気持ちよかった、というのが正直なところだ。えっち的な意味というよりかは、単純に温かいのと、しちゃいけないことをしている背徳感が大きい。興奮してしまうとちんちんが固くなっておしっこが出なくなってしまう関係で、興奮できないというのもあるだろう。
またやりたいかと問われれば、まあ、やりたい。今回は試行錯誤があって時間がかかりすぎたけれど、次はもっとスムーズに漏らせるはずだ。
惜しむらくは、僕が男性であるゆえに、女性のおもらしとはおしっこのルートが異なるということだろうか。スクール水着は当然ながら女性向けなので、ちんちんの置き場所など考えられておらず、僕が着るとなると上向きにして収納せざるを得ない。
つらいし、面倒なんだよ。
つらさを分かってほしいから書いてみる。
(あと改善策を聞きたいこともあるので書く)
まず、胸が張る。触っても無いのに痛くなる。
パンパンで何もしなくても痛い。マッサージすると本の少し和らぐ。
私の場合は生理前にギューッとおなかが痛くなる。たった数分だけど痛い。
生理中は、ただの腹痛。我慢できるレベルだし、「あー、うんちでるかなー?」程度の腹痛。
4日間、血を流しっぱなしになる。
男性で例えるとしたら、4日間、微量の下痢を続けるみたいなもの。
「生理は臭くないだろ!」とは言えない。血だし、鉄の臭いするし臭いよ。
垂れ流しになるのって、本当に面倒。時々出ている感じもするんだよ。ドロッと。
座っていると生理の血が前のほうに行き、膣からクリあたりまで全部血まみれになる。
股全てが血まみれになると思ってもらえれば良いかな。
トイレに行って、股を拭こうとすると前側まで血がついているから拭くの大変なんだよね。
ふと思い出したんだけど、今から数年前、常磐線で通勤してた時、本当に足が浮くようなレベルの満員電車で毎日しんどかった。
その日も後ろの人に押されなだれ込むように電車に詰め込まれて、肩にかけてた鞄が人と人に挟まれ自分と少し離れたところで浮いていた。かろうじて持ち手を握ってたら、腰というかもう下腹部の辺りに硬いものを押しあてられてるのに気づいた。
最初は鞄か何かだと思ってみたら、オッサンがぴったり向き合って密着している状態で、瞬時に察した。
男性のこういうのはコントロールができないみたいな話も聞いていたので、何かこう不可抗力で相手も悪気はないのかもしれない……と思いつつも不快は不快だし、鞄から荷物はみ出そうだし、その内オッサンが電車の揺れとは別に揺れ始めて(?)もう本当に泣きそうな気持になってきた。
そしたら私が変な顔してるのに気づいたのか、近くにいた女子高生が「大丈夫ですか?」とそっと囁いてきた。私はオッサンも近くにいるのになんて返していいかわからず、あいまいな顔して大丈夫~というつもりで頷いた。もしかしたら間違いかもしれんし。
すると女子高生が突如「すみません」と割と大きな声を出して、私とオッサンの間にちょっと強引に割り込んできた。ぐいぐい体を押し込んで、私とオッサンの間に入る。それから私の手をしっかり握って、私の目を見て「大丈夫」と言うようににこっと笑った。私は泣きそうになりながらもう一度頷いた。
まもなく駅について、人がわっと流れ出て、それに流されるよう私も女子高生もホームに吐き出された。一言だけでもちゃんと「ありがとう」と言いたかったのに、その流れに押されて私と女子高生は離れてしまい、彼女は彼女で一度ちらっと私を見て笑った後、人ごみに紛れてわからなくなってしまった。ものすごくかっこよくて勇気のある女子高生だった。もしまた会えたら絶対にお礼にちょっといいケーキを奢りたい。
初投稿、下書き無しなので文に乱れがあったり読みにくかったりすると思うけど許して欲しい。
友達と「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメか?」と言うことを話していて考えたこと。
個人的な性と半生の話が出てきてあまり公には話せないのでここに書くことに。もしかしたら似たようなこと考えている人がいるのかなって希望も少し。
性の目覚め
最近、どうもエロいので自分の中にあるエロのかたちを一つ一つ考えている。
その体験っていうのが幼い頃見た夢なんだけど、その説明のために一応当時のことを書いておく。
当時保育園の年長組だった僕は、おゆうぎかいで確かダンスを踊ることになっていた。男女別で、女子はモーニング娘。の「ラブマシーン」だった。衣装は黄色いフリフリの服だった。
夢の内容は、その「ラブマシーン」を自分が女の子に交ざって踊っている夢だった。
そしてそれを見る両親を僕が見ている夢だった。
「あれ、○○(僕)じゃない?」と母が言い「そんなわけ無いだろ。○○は男の子だよ。」と父が言う。それを僕が見ている。
そんな夢。
あまりに強烈だったので起きてからも夢の内容を覚えていて、そしてその事を考えているとなにかドキドキすることに気がついた。
何となく床に下腹部を擦り付けると言い様の無い快感があって、そこからは特に話すこともない。
ともかく、学校で性教育を受けるまで、僕のエロのすべてがその夢だった。というわけでもない。『ぷよぷよ』の「アルル」も、『ワンピース』の「ナミ」もエロい!と(感覚的に)思えたし、事実それらの女性キャラクターでオナニーもした。なんなら同人誌を調べるために新しいマンガに手を出した。乱暴だがその辺から性教育を受けたと言えるだろう。行為や言葉の意味はわからないけど何となくおっぱいはエロかった。
小学生のころ「オナニー」とか「セックス」の意味を辞書で調べるノリがあった。自分の「オナニー」とは違ったのでピンと来るのに時間がかかった。自分のしている(た)「オナニー」がおかしいと感じ、“あの夢”は悪夢になった。
時は流れて大学生の頃の話。
親元を離れて独り暮らしを始めた僕は、おそらく多くの童貞がそういう道を通っているように、ただれた性生活を始めた。片端からエロサイトを見て、pixivと2ちゃんねるとTwitterを行き来した。エロ本やオナホールを買ってきては友人たちにレビューを聞かせた。よくいるエロいやつだ。多分普通と少しだけ違ったことは、いくつかの特殊性癖にも精通したことだと思う。
ケモノ、男の娘、ペドフィリア、みたいなある程度メジャーな特殊性癖でヌけるようになったところで、大学の先輩から「なんでそんなもんでヌいてんの?」と聞かれた。
しばらく先輩の「なんで?」が引っ掛かっていた。先輩には悪いが、遅効性の毒みたいだった。最初はただの好奇心とちょっとした虚栄心だったと思う。自分の知らないエロの世界に触れて、粋がりたかったのだろう。男の子の世界には「面白いやつとエロいやつが強い」という不文律がある。特殊性癖は「エロくて面白くなる」上で大きな武器だった。
「なんで?」の毒が回りきった頃、自分の性癖の分析を始めた。その性癖を初めてエロい!と感じた画像や動画を覚えている限りもう一度インターネットから探してきた。そしてそれらの要素を抽出して、どこがエロいのか?を考察していった。
すると大学に入ってから意図的に開発した性癖に関して興奮のポイントに二つの共通点を見つけた。
・犯される側に感情移入している
・弱さ、危うさを無意識に感じている
心理学とかはやってないので精神分析とかではないけれど、当時はただドMなだけだと思っていた。
ふと思い出すと“あの夢”は女装と両親との関係の崩壊を“エロく”感じる夢だった。
「女体化」にであったときに強い憧れに似た興奮を覚えたのも、露出・赤面した少女の画像ばかり集めていたのも、当然の成り行きみたいにMに目覚めたのも多分深いところであの夢に繋がっているような気がした。
今思えばエロくなろうとしたのは仲間内の地位をあげるためじゃなくて、あの夢から逃げていたんだと思う。でも結局お釈迦様の手のひらの上で飛び回る孫悟空みたいに、僕は“あの夢”に囚われていた。良くも、悪くも。
まとめ
性癖に故郷があるなら僕は女装とか羞恥とかの村に生まれたんだと思う。少し一般から外れてはいるが“なんとかなる”部類だ。
これが食人とかスカトロの村だったら、多分とっても大変だったんじゃないかなって感じる。
最近は同性愛が認められててうれしいけど、性的指向と比べ性的趣向は未だに犯罪者枠だ。
性被害を受けた人や性癖を持たない人が訳のわからない性癖を気持ち悪く思うのも理解できるし、特殊性癖をもろ手をあげて歓迎しろ!なんて言うつもりはない。だって気持ち悪いし。
でも痴漢の村に生まれたおじさんはお金を払ってイメクラに行くべきだし、ネトラレの村に生まれた兄ちゃんはエロ本を買うべきだと思う。それだけじゃなくて彼らが村から出ようとするなら恋人がそれを助けてあげてもいい。でもその努力って絶対隠れてするし、なんなら持ってることすら気づかれたくないから「エロ本を買った」「風俗に行った」だけが表面に出て崩壊しちゃうんじゃないかな。
普通にグラビアのおっぱいで目覚めて、部活のマネージャーと付き合って、大学の後輩と結婚するタイプの友達には理解されない話だけど、僕みたい(いわゆる「普通」の)異性愛者の村に上京することができた、そこ以外の村の人ってけっこういると思うし、「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメだ」という人は一夫一妻の異性愛者村に生まれた人の価値観なんじゃないかなぁ。
これは考えれば考えるほど自分を痛めつけている。
ではどうすればいいか?
まず思考の回転に気付く。
次に思考を止める。
どうやってそれを実現すればいいか?
瞑想だ。
ただしxevraとは関係がない。
はっきり言えばxevraは瞑想をやっていない。
彼の軽口を参考にする必要はないし、瞑想をしたらxevraのようになるというのも間違い。
やり方を説明する。
まず椅子に座って背筋を伸ばす。
手は膝の上などに楽に置いて。
背筋は絶対に伸ばし続けておく。
それが終わったら動きを止める。
したいになったつもりで徹底的に動かないこと。
呼吸以外の動きは止める。唾すら飲まない。
姿勢を整えて動きを止めたら、
下腹部は呼吸につれて、息を吸うとき膨らみ、息を吐くとき縮んでいる。
これを意識の集中ではっきり感じる。
呼吸は自然に任せること。
次に下腹部が膨らんでいくとき「膨らみ、膨らみ、膨らみ」と心の中で言葉を念じる。
下腹部が縮んでいくとき「縮み、縮み、縮み」と心の中で言葉を念じる。
掛け声にならないように注意して、ちゃんと膨らみと縮みを心で感じて、念じる。
これをやるとどうなるか?
なんとちゃんと出来ない。
ふと気付けば余計なことを考えていて「膨らみ」「縮み」が中断されている。
これに気付く。
気付いたら「雑念、雑念、雑念」と念じてまた「膨らみ」「縮み」に戻る。
恐ろしいほど頻繁に勝手に余計なことを考える脳の習性に気付けるが、これが第一の進歩。
めげずになんどでも「雑念」と念を入れて勝手な思考をカットし、また膨らみ縮みに戻る。
これが第二の進歩。
勝手な思考の回転に気付き、すかさずカットすることを訓練する。
この繰り返し。
逆に言えば瞑想をしていないとたいていの場合精神病は進行する。
でも治ってしまう。
なぜ思考を止めるのか、
どうやって思考を止めるのか、
休んで居る間も脳の中で思考・妄想が回転していればそれは休めていない。
脳を休めて正しい方向へ開発するのは瞑想だけ。
座る瞑想(30分)と歩く瞑想(1時間)に毎日取り組んでみて欲しい。
騙されたと思ってやってみても大した辛抱はかからない。
歩きながら、左右それぞれの足の裏の設地を感じて「左足」「右足」と念ずるだけ。
念じながら歩き続けるだけ。
集中力が高まってきたら、
「右足」「持ち上げる」「運ぶ」「触れる(地面に)」
「左足」「持ち上げる」「運ぶ」「触れる(地面に)」
と歩行に伴う足の感覚を感じて念じていく。
これはちゃんとやれば大変忙しい。
脳がくたくたになる一方、脳を痛める無駄な思考は完全にストップする。
自分の立った今の行動にピッ!ピッ!と気付いてく。
疲れないし、記憶が抜けることもない。
数日前から、左金玉あたりの下腹部内側が「ジワッ……」とわずかに痛くなる時がある。痛みはすぐに無くなるが断続的に続いている。気になってネットで調べたけど、症状の内容的に睾丸捻転とかのクリティカルなやつではないっぽい。腫れやしこりも無い。陰嚢を揉んでも痛みは起きない。何もしてない時や射精が近くなった時に小さく疼く。痛みの種類としては金玉を強打した時の苦痛をかなり薄めたような感じ。一体何なんだろうこれは。近頃、男性不妊に関する増田を続けて見たので自分も気になってしまって、病院に行くべきだろうと思ったのだが症状を何と説明していいのか分からない。グーグル先生によれば実際、金玉系の痛みを訴える患者は要領を得ないことが多く、泌尿器科医も困惑するケースが多いようだ。そもそも金玉が関係ないケースもある。困った。自分なりに痛みが発生する要因を特定しようとオナニーの回数を増やしたりしてみたが、何となく、精巣が活動しているときに痛みが発生しているのではという気がする。でも完全に素人の推測に過ぎず、それをどう説明したらいいか分からない。泌尿器科自体行ったことがないし、いきなり飛び込みで行っていいのかどうかも分からない。そのうち何事もなかったかのように痛みが消えたりするのだろうか。様子見をするべきか。まだ独身だが、生殖機能は維持しておきたい。同様の状況になったことがある人がいたら教えて欲しい。
こんなドリンクバーあったら良いなって話を書いていこうと思う。
前提として女性のおしっこは飲みたい。けれどいざ飲むとその強烈な味で結構萎える。これはイメクラの放尿オプションで経験済みだ。
そこでまず女性におしっこを全部出してもらい尿道カテーテルを使い生理食塩水を注入しこれも排泄してもらい膀胱を綺麗な状態にする。
その後に尿カテで膀胱に好みのドリンクを注入すれば理想のおしっこドリンクバーの完成だ。膀胱ドリンクバーかもしれない。
ドリンク台には 新垣結衣、ホラン千秋、中条あやみ、内田真礼、橋本環奈、芦田愛菜 とそうそうたる顔ぶれが全員全裸M字開脚で並んでいて、下腹部には「コーラ」「烏龍茶」「ジンジャーエール」「POPメロンソーダ」「カルピス」等ドリンク名が書かれている。
「環奈ちゃんから直飲みしたいけど烏龍茶か、POPメロンソーダが飲みたい気分だからガッキーにするか」みたいな葛藤も楽しい。
人気があまりない女の子だったりドリンクだったりすると膀胱に入ってから時間が経って尿成分が混じってちょっと苦みが出ちゃったりするのも乙というもの。
膀胱に液体をそんなに入れられる物なの?って疑問は「極悪非道なザーメンマニアの勝手なリクエストに七瀬ななみが笑顔でお応えしました」って映像作品で尿道口から尿カテで精液を膀胱に注入して排泄してもらうってプレイを見たからきっと大丈夫。
痛い、お腹が痛い。
痛いので痛いしか言えない。
ありとあらゆるポジティブシンキングが敵。
労れ、私を労ってくれ。
女だから生理だからと毎月当然のように少なからず痛む私のお腹を労ってくれ。
病院に行こうとか薬を飲もうとかホルモンバランスを整えようとか、わかっている。しかしそれもタダじゃない。
女にしかこの痛みはわからないというけれど、正直女でも他人の痛みはわからない。
毎月全く同じように痛むわけでもない。ちょっと楽な月と、最初の二日ぐらいが特に痛いときと、最初から最後まで死にたいほど痛いときと。
先月と今月の自分でさえ違うんだから、性別が同じくらいで痛みの共有などできるものか。
効果の出る対処法が人によって違うのなんて、ここまできたら説明しなくてわかるでしょ。
だからもう当てにならない聞きかじりのポジティブメソッドを教えてくれるよりも、水と痛み止めとカイロをくれ、労って、お願いします。
自分の思う解決法を実践してほしいなら、最初の一ヶ月分の費用をくれ。
だって毎月じゃん。薬よりは安いけど、一週間で必要な分買うと1000円は越す。肌に優しいやつを選ぶと2000円かかるかも。
一年で最低12000円、そこに対策費とか治療費とか足すと泣きながら道行く生理のない男からカツアゲしたくなる。しないよ。
相手が女でも、生理中じゃなければ攻撃したくなるかも。しないよ。
とにかく今、痛くないのが羨ましい。
ナプキンのCM見ても「生理の日でも大丈夫!」「大丈夫じゃねーよ!」ってキレる。
普段綺麗な女優さんが顔を真っ青にしながら布団でうずくまってゾンビのようにうめいているのが理想。こういうのがいいんだよ、こういうので。
あとナプキンの値段と一週間でどれだけ必要かも伝えて。一日に必要な野菜みたいなノリで。
一ヶ月、一週間分で1080円!一年契約で11000円!お得~!みたいなCMを流して。
当社の痛み止めとホルモン調整剤も合わせて、月々3500円から!一年契約で38000円!みたいなCMでもいい。
年間でいくらかかるのか、せめて世間に浸透させてほしい。そして国の補助が欲しい。
男女平等参画社会にしたいなら、女を生理期間中も働かせたいのなら、数字だけでも社会に理解させるべき。
どれくらい痛いとか不調とか、平均値は実測できないからもういい。
結局金か、って言われても「金をもらえば少しは負担が減るんだよ!」って今なら怯まず返せる。
痛くて気持ち悪くて不調の上に、年間12000~の出費が義務づけられてるのだから泣きっ面に蜂だよ。
予定を立てるのだってなるべく生理とかぶらないように気を遣う。しかし生理開始が一週間早くなる遅くなるは自然な誤差の範囲。ばかやろう。
そういったことも踏まえて「生理、お腹が痛い、つらい」と言うと「豆乳がいい、イソフラボンが~」って言い出す男は血濡れの二日目ナプキンを見るがいい。
豆乳飲んだってどうにもなんねー感じするだろ、二時間足らずでこの惨状。
イソフラボンが今痛んでるこの腹に効くのか、ノーです。次回からならワンチャンありますけどね。
風邪を引いてつらい、って呻いてるときに「うがい手洗いでかかりにくくなるらしいよ~」って言われても「ちっげーよ!」ってなるでしょ、ならない?
「痛むんだね、大変だね」って痛み止めとか命の母ホワイトとか渡されたら個人的にちょっと嬉しい。身近な人間に限るけど。
会社なら生理用品、薬のレシート出したらその分支給してくれたらもっと嬉しい。国が出してくれるのが安心だけど。
痛む、痛いよう。
でも書いたらちょっと気が楽になった。
お腹は痛い。誰かが下腹部を面白半分に混ぜてる感じする。イメージ。
匂いが気になりにくいナプキンに改良を続けてくれてありがとうメーカーさん。
お尻の肌荒れも減ったよ……。
男は男で云々~、つらいんだぞ。
そうなんだろうな~って思う。女が大変だと思う分、男も未だ可視化されてないつらい!があるんだろうな~。
秘めずに教えてくれよな~、そうするともっと女も言えるからさ~。
誰かが秘めてても辛かったら言っちゃうんだけどさ~。
誰かが秘め続けた結果、今の私はこうして文句垂れてんだからさ~。文句垂れて少し楽にならせてもらってんだからさ~。
……いややっぱり変わらず痛いよ。
私はそれなりに生理が重い。
比較したことがないから分からないが、大体2回に1回のペースで重たい生理痛がくる。
2日目は大抵地獄だ。
あ、生理痛きた、と最初は優しめで少し辛いかな、まぁ我慢できるかな、くらい。
下腹部がズキズキ痛い。便秘なのか生理痛なのか頭の中が混乱してくる。ひたすらお腹が痛い、腰が重い、もう辛い、とりあえず横になりたいしか考えられなくなる。
それがまだ室内で座っていられる状況ならまだいい。
外出中で座れる場所のないところなら、もう、足は震え始め、フラフラし、精神的にもやられる。
座れない、横になれない、でもお腹は痛い。早く薬飲みたい。
これらは鎮痛剤で大体よくなる。
薬を飲んで1時間ほどすれば、笑って話せるくらいには回復する。それでも薬を飲むことで、頭はぼうっとし、体の動きが鈍くなる。
生理痛がなくても、何かが出ている感覚を常に感じるのだ。あ、今個体が出たとか、うわっなんか止まらないとか、ひたすら気持ち悪い。自分の意思に関係なく経血は出ていくからだ。
ただドロドロ漏れていくだけならまだマシだが、次はパンツに漏れてないか、スカート、ズボンにまで達してないか、そういった心配もしていなくてはいけない。
中にはタンポンをすればいい、という人もいる。
高校の時にプールの授業があった。もともと水泳は苦手だったが、たまたま生理と被らず、それなりに快適にプールに入れていた。それでも一度生理と被ってしまった。サボりをなくすために、私の学校では一度プールの授業を休むたびに補講と称して昼休みか放課後に25m×4を泳ぐことになっていた。
私は、わざわざ水泳のない日に水着を持っていくめんどくささや昼休みに入るとなると慌ただしくなることは目に見えていること、放課後に補講となると部活に出られなくなること、それらを考えてタンポンをつけて入ることにした。
初めてタンポンをつけることになって、まぁ簡単に入るだろうと思っていた。それでも、自分で膣の中に異物を入れる感覚やタンポンの容器と自分の指が真っ赤に染まるのをこの目で見なくてはいけないこと、本当に入ってるのかよくわからないし、変なものが入ってて何となく気持ち悪いなど、不快と不安でいっぱいだった。説明書には長時間入れてるとショックで死ぬこともある(詳しいことは覚えていない。検索もしたくない。)と書かれていて、焦りも生まれた。正しく使わないといけない、と無駄に緊張した。それから4本ほど無駄にして捨てたのも覚えている。なかなか入れられない自分に苛立ち涙も出てきた。
最初は慣れないとか、うまく入ったら違和感はないなど説明書には書いてあったが、私のことは私にしかわからない。誰がこれは違和感がない状態だとか判断してくれるのか。どうしてこんな思いまでして泳ぎたくもないプールに入らなくてはいけないのかと本当に辛かった。
プールに入って、試験を受けて、そのあとは自由時間になった。タンポンに気を取られていた私は先生に言って、自由時間の時点で着替え始めた。今日生理でこれ以上プールに入っていたくない、とか何とか言った覚えがある。
早く抜きたいと思って、トイレで抜こうとした。思ったより吸ってしまっていて、スムーズに出てこない。まぁどう出てくるのが正解なのか知らないが。
このまま紐が抜けずに中に残ってしまったら死ぬのかとか思いながら、きつめに引っ張るとずるっと出てきた。その感覚が気持ち悪くて気持ち悪くて忘れられない。自分の経血で真っ赤になったものが出てくるのだ。抜けた安心感と気持ち悪さで、あまり清潔感のないタイル張りのプールの更衣室のトイレで1人で泣いた。
この文章を書いている今も、その時の辛さや気持ち悪さを思い出して涙が止まらない。
もちろんタンポンを有効に使えている人が多くいるのは分かっているが、私にとってはどうしても無理なのだ。私があれは無理だと言ってるのだから、それ以下も以上もない。私のことは私にしか分からないのだから黙ってろとしか言えない。
使いたくないものは使いたくない。
話がずれたが、生理の時に辛いことはまだある。ゆっくり眠れないことだ。
寝るときは夜用で大きめのナプキンをつける。それでもオムツを履くわけではないから、寝返りをしたら当然漏れる可能性は上がる。うつ伏せになんて寝てしまった日は終わりだ。パンツの前側が真っ赤になってることは請け合いだ。
生理の日、特に2日目は仰向けになって、不安な日はバスタオルをひいて、寝返り打ちませんように。シーツ汚しませんように。と思いながら寝る。
これが大体28日おきにくる。
5日くらい続く。
終わったと思えばまた28日後にこの辛い日々がやってくる。
結局何が言いたいかと言うと、もっと生理に対して寛容になってくれ、ということだ。自分の知らない痛みに対して親身になれとは言わない。私も私よりも重い症状の人の気持ちはわからない。
それでも、少しだけ自分に置き換えて考えてみてほしい。
大体1ヶ月に1回、目がくらみ、足が震えるほどの腹痛に襲われる。トイレに行って治るものじゃなく、薬を飲まなければならない。その薬を飲むと体が重くなって思うように動かない。
常にどろどろ何か出ている感覚があり、寝るときですら心休まらない。
生理の重い女性が会社休んだり、学校休んだり、デートをキャンセルしたり、遊びに行くのを朝になってドタキャンしたりすることに対して何も言わないでほしい。
生理を言い訳にするなとか、ピル飲んでずらせとか言わないでほしい。
とりあえずもっとオープンに休みたい。言いふらしたいとかじゃなくて、もっとみんなに理解してほしい。触れちゃいけないことじゃない。男は知らなくていいことじゃない。本当に生理だから休むって言うことは恥ずかしいこと?はしたないこと?こんなに辛くて不安なのに?
くぇぉぅぇぁぁ。ぼやける視界を押し広げると、月明かりでぼんやりと浮かび上がっている天井が見えた、夜らしい
左腕が疼く。見てみると、記憶にない無数の、正確に言うと17本の切り傷の上に固まった血がこびりついている。知覚が起動し始めるとこれまた記憶にない下腹部の違和感が出てくる。前と後ろも
時刻は1時17分。外が暗いから午前なのだろう。空腹が胃壁に針を刺し始めてきたのでコンビニに行くことにする。月明かりを頼りに空っぽのカップ麺と卵(卵?なぜここに卵があるのだ?)をどかし、(触感からおそらく)下着と(大きさからおそらく)ジーンズとなんかのTシャツを探り当てる。ちょっとしめってるけどまぁいいやと着、鏡を見ずに外へ出る
神僕と大森靖子が鳴り終わり、女王蜂が流れ始めるとセブンについた。塩おにぎりと焼き鳥パック、セブンプレミアムの担々麺にいいちこをチョイス。空白に視線を落としながら佇む男の子はレジを打ち、寝起きの女は代金を渡す。帰り道は時雨にした
電気ポットから熱湯を担々麺に注ぎ、3分後に液体スープ、塩おにぎりと串から外した焼き鳥を入れてかき混ぜると完全食の完成。グラスに注いだいいちこと一緒に
死生観の話。死、つまり無はこれまで自分にとってすぐ隣、すぐ裏、すぐ前、いつでも簡単に手にとって眺めることのできる位置にあるものであり、死と生という二つの選択肢のうち、生の方を偶然、たまたま、思いがけず、強制的に、否応無く、止むを得ずやっているという感覚と過ごしてきた。実際にやったことはないのではっきりとはいえないが恐らくやろうと思えば人を殺すことのできるタイプの人間であるし。実際にやったことはないのではっきりとはいえないがこの世界から居てもいなくても特に問題のない人間のうちの一人である
とにもかくにも、今は死の方に行ってみたい気分なのだ。ひっくり返してみたい気分なのだ。すぐそこにあり匂いただよう死へ
いいちこを飲み干し、窓を開け、ベランダの鉄格子を、8階の鉄格子を、一切の躊躇なく、流れるように、前からそうと決まっていたかのように飛び越え
7階 6階 5階 3階 ほら簡単
タイトルのとおりなんだけど
彼女は黒木華に似ているのでここでは華ちゃんって呼ぶことにする。
華ちゃんはうんちがいっぱい出るらしい
大きい方は2回に分けるらしい
何回か見せてもらったんだけど、60cmくらいのソレが
気になってしまった。そしてノリでお願いしてみたわけ
なんでそんなにでるんだよw今度目の前でだして見せてよって
最初はやだよ恥かしいって言われたけど
ことあるたんびにマジな感じでお願いしてたら、ついに折れたみたいで
細目の華ちゃんが目をまんまるにして「本当に見たいの?」
なんて聞いてくるから僕は二つ返事で頷いた。
大人しそうな顔とは裏腹に身長170、お尻が100センチ近く?の寸胴で安産型。
その大きな体を動かすためか僕の二倍くらい、いや下手したら三倍くらい。朝からご飯三杯とかほんとうによく食べる。
それに加えて、一般の人より腸が長いとかなんとか(医者にすこし驚かれたらしい)。まさに快便の申し子?
食費にすごく持っていかれるけど、ご飯を食べてる時の華ちゃんは
僕は華ちゃんにうんちを見せてもらう代わりに焼肉をたらふく奢ることにした。
華ちゃんが遠征でハワイに行って帰ってきてからなかなか時間も取れなくて
何かしてあげることもなかったのでいいタイミングだったかもしれない。
せっかくなので、華ちゃんには申し訳ないけど大食いの効果を見たくて
一日大きい方を我慢してもらった。(消化には24時間かかるらしいので)
土曜の朝に起きた頃になると嘘のようにすっかり引っ込んでいた。
噛み砕かれてすり潰されて胃で溶かされたあと、腸でこねくりまわされて
栄養を吸い尽くされるなんて、まあいつものことなのかもしれなけど
考えれば考えるほど何とも言えない気持ちになる。
毎食後に当たり前のように催す華ちゃん。朝食後が一番きついらしい。
なぞの負けん気で夜まで我慢したけど、30分おきにおならをしてて
夜になるにつれ悪臭だけのすかしっぺをぷしゅ..ぷしゅっと。よく頑張った華ちゃん。
そして日曜の朝、華ちゃんのお腹はうっすら腹筋が見えるほど、そんなには出てないけど
苦しいみたいけど起きたほんの直後は催してないみたい。
朝食を手につけ何分かすると華ちゃんの手が止まった。
それと同時にぎゅううううううというすごい音が華ちゃんのお腹から響く。
「ああああやばいやばいやばい出そうだわ」なんてそわそわして言う。
僕は苦しそうな華ちゃんの下腹部に手を当てると、腸がうねうねと蠕動してるのが手に伝わった。
留まることを知らない華ちゃんのおなか。
納豆の強烈な匂いに刺激されて、胃腸が全力で動き出した様だった
今まさに朝食を消化を始めようという時に下半身では一晩置かれたうんちが邪魔している状態だろう
僕はリビングの壁際に昨晩敷いておいた新聞紙とその上のペットシートに
自宅のトイレは絶対詰まるし狭い。華ちゃんには思いっきり出してほしいし僕はそれを見たかった。
その間に華ちゃんにはおしっこだけ出してもらった。(飛び散りそうだったのでw)
華ちゃんは上はブラだけ下半身すっぽんぽんのままトイレから出てくると椅子に片足づつ乗せてしゃがみ込む。
朝の日差しがまだ眩しいなか、完璧なうんこ座り、ウンチングスタイルの華ちゃん。
目の前でむき出しになった100センチ近いお尻は日焼けで見事な白と褐色のツートンカラーになっていた。
まるで皮を剥きかけた巨大な桃だった。
その大きな桃と身長を支える鍛え上げられた足腰はサーブを打つのでもレシーブを受けるのでもなく
僕のためにうんちを排泄しようとしている。
華ちゃんと一週間近く致してなかった僕はその身体を見ただけであたまがいっぱいいっぱいになってきた、
おそるおそる桃の下部中心を覗きこむと肛門様のお出まし。、華ちゃんのお尻の穴をまじめにちゃんと
見たことがなかった僕は大きいお尻の奥にこんな窄まりがある事自体意識してなかった。
奥の茂みとは対象的にほぼ産毛に囲まれた感じの色素沈着した薄ピンクのそれはエロ漫画とかネットで見た画像で見たより
遥かに皺の数が多く、分厚い気がした。遺伝なのか快便に鍛えられたのかはわからないけど。僕が華ちゃんのお尻に見とれているのもつかの間、
「そんなにじろじろ見ないでよ、出すよ」という声が聞こえてきて僕はお尻に返事をしてしまった。
華ちゃんがいよいよ力み始めると奥ゆかしく窄まってた肛門がレンズの絞りを開放するかのごとく
皺が伸びていくと逆さに隆起した富士山のようになると、華ちゃんの息に合わせてまた窄まったりを繰り返す。
何度か繰り返すたうちにおちょぼ口のようになった直腸の赤みの中心をググーッと押し広げるように茶色い塊が現れる。
紛れもなくそれはうんちだった。
華ちゃんの息む声とふるえるでっかいお尻、そして肛門。僕は童心に帰ったような感覚で見ていた。
緊張してなかなか出ないのか、華ちゃんは力がさらに入るように一度しゃがみなおして、
少しつま先立ちながらまえのめりに壁に手を付くと、再びいきみ出した。
するとついにお尻からうんちの頭がにょきにょき出てきた。うんちの先端は我慢してたこともあって
水分を失ってチョコクランチのようになっていた。お尻ばかり見ているとケツだけ星人じゃないが
別の生き物のようにも見えてくる。缶コーヒーより一回り小さいくらい開いた肛門からフリスクケースの長辺
くらい硬い部分が出ると、そこから色が変わり健康的なうんちがゆっくりとズルズルと聞こえるように出始めた。
華ちゃんの大きなお尻から尻尾のように垂れ下がり始めた立派なうんちは、表面がつるつるしていて不思議と汚さより気品があった。
苦しそうだった華ちゃんの表情も和らぎ始め、本当に気持ちよさそうだ。
しかし力いっぱい引っ張られた弓のように張り詰めた腹筋と震えるお尻は
うんちを押し出すために物凄いエネルギーを使ってるんだという感じだった。
華ちゃんのいきむ声が強くなるとお腹が少し凹み、お尻の張りが増すように全身で呼吸してるような感じ。
椅子の高さが50センチ以上あるのに華ちゃんのお尻からでた繊維が手綱のようになった
うんちはついにペットシートに着地してもなお出続け、60センチほどの大蛇を産み落としたあと
ズサッという音とともについに切れ落ちた。
華ちゃんの肛門はぱっくり口を開けたままゆっくり窄まりにもどっていく。
と思いきやけたたましい爆音がギャグ漫画さながらブウウウッ!!と響き渡る。
栓をされ溜まっていたおならが一気に放出されのと同時にうんちにほぐされた腸が震えているようだった。華ちゃんは顔真っ赤。
いっぱいでたね、すっきりした?と聞くと華ちゃんは「まだ残ってるみたい・・・」と表情を曇らせる
僕は華ちゃんのお腹を円を描くようにマッサージしてあげると返事をするかのようにくぐもったお腹の音と申し訳なそうなすかしっぺがでた
相変わらず顔は赤いけど華ちゃんは嬉しそうだった。何分かしてると華ちゃん「おーきたきたきた、出そう」と言って再びしゃがみ直すと、
また力みだす。華ちゃんのお腹を擦ってる僕の手がぐぐっと収縮する腹筋を感じた。
みたび、いや何度目かのずっと見ていたくなるような肛門の収縮。今度はスムーズだった。
さっき出した一本目のうんちは繊維がぎっしりで重みのあるまさにうんち、一本糞wといった感じで
二本目は太さは同じくらいだったけど柔らかめで黄土色がかってた上、臭いが強烈。(やわいから?)
多分できたてホヤホヤのさっき固まったうんちという感じだった。
柔らかくスピードのあるその新人はぎゅううぅというすかしっぺと相まって、ゆっくり姿を現す気迫のある一本目とは裏腹に、
そこはかとなく下品な破裂音で直腸を滑り降りては、さっき出したうんちに積み重なっていく。
最初の羞恥心なんて屁と一緒に飛んでいったのか恍惚の表情で色っぽい声で息む華ちゃん。
しかし二本目だと言うのに相変わらずの大量だ。でる途中で何度か切れたが少なくとも60センチ近くあったように
思える。
キレがいいのかほとんど拭く必要もないお尻を何度かティッシュで拭いた華ちゃんは
出し切った達成感か、ご満悦の様子。すごい、ほんとうにすごかった。
山盛りになった華ちゃんのうんちは新聞紙ごと丸めて家庭ごみに捨てた。
その後ファブリーズを死ぬほど使ってにおいを消したけど。さっきまで華ちゃんのお腹にあったものだと考えると
なんか不思議な感じ。
前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。
その頃のことを思い出したのは元増田の記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かに読まれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。
今回の猫は心臓の悪化?から肺機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。
そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。
細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。
前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。
選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。
バックヤードに入って声をかけてから、就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそばの椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後からは酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。
しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫からの最後の要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。
その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ。
死も病も生きとし生けるもの、代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別な運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。
安楽死は想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚がストンと理解できた。通夜をするのだと決めた。
猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。
この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクトな姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。
やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手な欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。
寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分の状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。
翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来の香りは一切しなかった。発症してからの口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。
その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。
私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。
最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。
例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分で体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものだからだ。
だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。
その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触を仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる。
時間が解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。
猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。
猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手な解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。
一匹目の猫は乳癌で死んだ。
腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。
最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。
最後の日、私が居間でインターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。
学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。
風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。
あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。