はてなキーワード: ベットとは
SNSではみなキラキラ輝いて見えるこのご時世。なかなか狂っている。
幼いころ6歳の時父と生き別れた。
カルトな母にDVされ続けた。飛び交う家具、怒声、ひっくり返される私と妹の机。破壊される壁たち。
表向きは女手一つで育て上げた立派な母だが、占い師でなんでもかんでも幽霊のせいにして責任を逃れていく。
喧嘩が起きるのも幽霊のせい病気になるのも幽霊のせい。問題解決の議論などさらさらない。助けを求めようにも学校のみんなにも気味悪がられ毎日居場所がなく憂鬱であった。
4回も5回も変わる男にある日セクハラされた。マッサージと称して体中を触ってくる。
夜はベットのわきになぜかずっと立っている。
セクハラのせいで自分の体が嫌いになった。性に対して直視するといまでも違和感が残る。
その男はある日大地震が来ると10人ほど人を集めて予言して外れて恥ずかしさのあまり消えた。
おとなになって母元から逃げ、上京して生活してて私は人に恵まれ事業も軌道に乗ってきたある日のこと、
夜の仕事をしながらOLをして同じく上京していた妹がストーカーにあったり男問題やいろいろと大変そうだったので
仕事が忙しいときいきい言い出し、自営業で動いてる私がニートみたいに見えると怒りだし、
精神的にくるっていて破壊しだし、結果妹は逃げて音信不通なってしまった。家賃やあの子が壊した損害は私持ちになっている。
笑って、全部許して、自分がお金持ちになって全部解決できる人になるのだ。
自分の代で責任を負って家族の心を幸せにしなければどこの代までも不毛な戦いが続く。
最近転職した会社に手やハンカチでなく、内肘でくしゃみを受け止める同僚が居る。
これが思っていた以上に気持ち悪い。袖で青っ洟を拭いてるような幼児性を感じる。
つばがベットリと付いたらその都度ティッシュで内肘を拭いている。
なら最初からティッシュでくしゃみ本体を受け止めろやボケ!と言いたくなる。
約2年くらい同棲している彼女(26)がここ半年、めまいがする、身体が重いなどと言って仕事を休みがちに。
付き合ってる当初から身体が弱い感じだったが、転職後は特にひどい。めまい、くらくらする、肌荒れがひどい、あと体重がみるみる減っていってる。いつも俺より多く食べてるんだけどね。なぜか減る。
職場から帰ってくると、僕からしたら別に大したことない上司の発言が自分への当てつけに感じるといつもイライラしていた。あと自分にプレッシャーかけて、結果何もできないみたいなことも多々あったらしい。
最近は家に帰ると会社を休んでずっとベットで寝てる彼女の姿がある。部屋の雰囲気はどす黒いかんじ。テーブルを見ると食べたあとの食器はそのままだし、本、下着、トイレットペーパーの芯が床にころがっている。その光景を目にして心を無にしながら片付ける。腹減ったから夕飯の準備にとりかかる。すると彼女がベットから起きてきて、僕にありがとう!好き!とか言ってくれるが何も感じない。でも俺も好きだよと機械的に答えてしまう。
先週は起きれないと言って会社を4日休んでいたが、休みの日は妹と普通に買い物にでかけたり、ティンダーでマッチした男と遊んでて楽しそうだったな。
先々週も同じ感じ。デートしたけど元気そうで、まぁ大丈夫かな。と思ってた。
ここまでの顛末を先日、友人に相談したら「非定型うつ」じゃなかいか?と指摘された。ネットで見ると、休日は元気だけど、平日は気分が沈んでいる。などの特徴がみられると。
あ、これかと。彼女は病気だったのかと納得したと同時に、この人との結婚は無理だなと一気にシャッターが降りてしまった。他の男と遊んで芸の肥やしというか会話のネタが増えればいいじゃんと思ってたけど、
メンヘラは無理なんだよな。不幸な将来しかないかと思ってしまう。
だけど、メンヘラ状態のまま同棲解消するのも酷だな、治ってから別れたほうがいいのかと葛藤している。一刻でも早く逃げたいけど、どうすればいいのか。
見たアニメ全部レビューする体力無いからレビューしたいのだけやる。
ソリティア激しくてたまに何やってるのか把握しきれないけどデュエルにケレン味があって結構好き。主人公の性格が遊星をマイルドにした感じで歴代の中でもかなりの安心感がある。にしても”カードは作った”をスキルという形でゲームルールに組み込んでしまうヤケクソっぷりは凄いね。ネットとかで散々突っ込まれてきた要素が最後はこういう形になるとはね。
「気持ち悪いよ」って本人の台詞じゃなくて他人から言われてる台詞だったんだね。知らんかった。物語が物凄い動いてる最中に終わってるんだけど原作の販促効果高めすぎでしょ。
主人公女の子で良かったんじゃねーかな。もっと課金して良かったんじゃねーかな。とはいえグラン君主役でメインキャラ中心に進めた方が物語にノイズは少ないのは事実なんだよね。多分スタッフもその辺考えて色々頭ひねってあの最終回になったのかな。あれテレビでやってくれたのは感謝だな感謝。普通なら円盤特典でしょ。
武装少女
『このアニメは女の子のかわいさをお楽しみいただくため邪魔にならない程度のさし障りのない真剣勝負をお楽しみいただくアニメです』とぼくの目には映りました。女の子かわいかったなー。マツコを始めとしてオカマもいいキャラしてたね。自分はさとりちゃんのこと最初好きじゃなかったけどデレたら凄い可愛くてビックリ。女の子ってのは変わるもんだね。最後の方までずっと解説要因だった月夜ちゃんが以外にキレッキレなキャラしてたのも驚いた。お友達になりたい。
エロマンガ先生ルートを攻略して終わると思ったら実は共通ルートだった。勝負はとっくに付いていると思っていたがそうではなかったんじゃ。いうなればこれまでの勝負所は全てプリフロップ(テキサスホールデムポーカーの4回あるベットタイムのうち最初の1回)じゃったんじゃよ。そして全員が降りることを選択せずにレイズ(掛け金上乗せ)をかました所でアニメは終りを迎えたのじゃ。ここから先が本当の勝負なんじゃ。一見ゲームに参加してないように見えるファッションビッチも、おっぱいの大きな同級生も、ホモじゃない宣言したはずの国光先生さえも、同じテーブルの上で二回目のベットタイムに備えているんじゃ。なんということじゃ。俺達の戦いはこれからだにも程がある。だがそれが心地良い。勝者は既に決まってい共通ルートには二度と戻ってこれないと思っていのに、その共通ルートがこれからまだまだ続くのじゃ。エロマンガ先生たちの楽しい楽しいエロマンガみたいな日常がこれから始まるのじゃ。これってある意味エロマンガ先生ルートすら越えるトゥルーエンド。時よ止まれ、共通ルートは美しい。
相手は男の子だけど、心は男の子にも女の子にも当てはまらない、俗にいうXジェンダーだ。だけど性転換願望はない。
セクシュアルも私が今まで聞いたこともないようなもので、初めて名前を聞いた時はびっくりした。
外見は男の子だが、綺麗な髪の毛や肌は男性のものとは思えない。
性格も、誠実で真面目な一面もあれば、時々精神を病み、訳も分からないまま泣いたりする。
私は相手のことを「彼氏」呼びや、「彼」呼びにも違和感を感じる。
だから私は第三者に話すときには「付き合ってる人」という言葉を使ってる。恋人だと恥ずかしいからね
だけど、恋人の男性的な部分に好意を持っている訳じゃない。そんなの当たり前か…
むしろ女性的な部分に惹かれているかも、と思うくらいだ。もしかしたら私が男性的な性格だからかもしれないけど。
先週末、私は体調を崩した。平熱35.5ほどなのに38以上まで上がった。
付き合ってる人にこのことを連絡したら、夜中なのにもかかわらず看病に来てくれるという。
だけど、乗り換え途中で私の家の最寄りに止まる列車の終電が無くなってしまった。
どうしようという付き合ってる人に対して、私は「私は大丈夫だから、ごめんね」と謝って、帰らせようとした。
そしたら10分後「タクシー乗っちゃった、ごめん、迷惑だよね」と連絡が来た。
この連絡を受けてちょっと泣いた。
さらに10分後、相手が私の家のドアをノックする。私がドアを開ける瞬間に外から開いて、家に入ってくるなり私を抱きしめた。
5分くらい抱きしめられた。私はフラフラだったので「んは〜〜〜〜」みたいな音出してたかもしれない
また、ちょっと泣いた。
おそくなってごめんねと言われて、そんなことないです…と返した。
5ヶ月付き合って来てこれまでしっかりと男性っぽい逞しさというか、頼もしさを感じたのは初めてのことだったから、少し嬉しかった
身長が私と同じだから対面した時の目の高さが同じで、向き合った瞬間が幸せだったりする。
ベットに入ったあと、「今日行ってあげないと君がどっか行っちゃう気がして怖かった」と言われて、
「そんなことある訳ないでしょ!!!!」と反論しながらも、こういう少し弱いところも好きだなぁと感じてたし、この人とならやっていけそうだなと思った。
一度セックスレスになった二人が
夫とは付き合って6年、結婚して1年。
すごぶる仲良しで、動物のように戯れあって、
それはとても安心する。
むしろ、思春期以前の男児と女児が、犬っころのように遊んでいるのによく似ている気がする。
楽ちんで心地いいこの状況に、深刻な名前を与えるは何か違う気もするけれど
まあ、紛れもなくセックスレスなんだろう。
そんなこんなで3年間、とりわけ問題なかったのだが
ふと最近、発情期なのか、ああセックスしたいなあと無性に思うようになった。
しかしこの発情を、犬っころのように仲の良い夫に手向けるのは、
30代男、10代の頃から定期的に風俗を利用している。全国だいたい回ったと思う。
30分3,000円のバケモノから130分140,000円のいい女まで各ジャンルは体験している。
ちなみに、俺は控えめに言ってもイケメン。
アダルトビデオでも本番じゃなくて腋舐めシーンで抜いてるくらい。
ツルツルの無味無臭の腋じゃないとだめで、あとはブスもだめ。
■第3位
タイトルと、最近ガサでお店がなくなったといえば分かる人には分かるかな。
生中3回戦の店。
ここは別の女の子に入ったときに、上がり部屋でたまたまお見送りが終わって引き上げてくる女の子を見かけてしまった。
あまりにもかわいいからボーイさんに名前を確認して、翌日指名してみた。
近くで見てもやっぱりかわいくて、腋を舐めたいと思った。
服を脱がせたらベットに押し倒して、腋フェチ宣言をしてから両腕を持ち上げてみたけど、特に嫌がる様子はなかった。
一発目は腋を舐めながら中出しした。腋は若干苦かった。
二発目は特別な椅子を使ったプレイで、特筆すべきところはないので省略。
三発目は鏡の前で立ちバック、両腕をバンザイする形で鏡について、また腋を舐めながら中出しした。
この子は最後まで俺のフェチに付き合ってくれたし、最後までエロい女を演じていた。
話しても頭の良さを感じたし、すごいいい娘だった。
翌月に予約しようと思ったらもうこの娘はいなかった。
■第2位
用事の帰り、通り道にラブホ密集地帯があって、その付近のコンビニにタバコを吸うため立ち寄った。
その近辺はデリヘルの待機所があるんだけど、おそらくデリ嬢と思われる女の子がこちらの方に歩いてきた。
ものすごく可愛かった。
声をかけて「どこのお店?」って聞こうかと思ったけど、さすがにやめといた。
その日の夜に、ふと今日の女の子をデリの情報サイトで探してみようと思った。
でも記憶を辿っても、その娘の服装は覚えているんだけど、具体的な顔が思い出せなくて困った。
当日の写メ日記を片っ端から確認して、それっぽい子は見つかった。ちなみにこのレベルの女の子がいるお店は限られてるので、事前にある程度は絞り込まれた状態。
遅い時間ならいけるそうなので、早速予約してその時を待った。
女の子が着いてドアを開けたとき、思わず小声で「よっしゃー」とつぶやいてしまった。
実は昼間にあった女の子かどうかは未だにわからないけど、努力してよかったと思える綺麗な女の子だった。
ちなみに昼間コンビニにはいったかもしれないし、いってないかもしれないそうだ。
その子はプレイ前に丁寧に爪をきってくれた。普段だったら「時間稼ぎしやがって」と思うところだけど、その日は不思議と心地よかった。
プレイが始まるとまず驚いたのが肌の綺麗さ。
こんなに白くて全身すべすべなのはあまり見たことがなかった。腋も快く舐めさせてくれた。
シルクのような肌触りの美しい腋で、このレベルの腋はそうそう出会えないだろう。味がしなくておいしかった。
この子は追加料金で最後までさせてくれるスタンスだったので、腋をなめながらハメるというベストポジションでフィニッシュした。
■第1位
綾瀬はるか似(おっぱいは小さい): 地方都市のJK系デリヘル
JKの制服でプレイする、"基本的に"脱がないし手コキだけの店。可愛い子が多いのでよく利用していた。
ある日お店のHPを見ていると体験入店の女の子が目に止まり、なんとなく気になって予約してみた。
しばらくして女の子が到着し、ドアを開けるとそこにはびっくりするくらい可愛い子が・・・
年齢はたしか19っていってたかな。セーラー服に全然違和感がなかった。
女の子(以下はるかちゃん)がお店に電話している間、スカートの中を覗いてた。
で、プレイが始まるとまずはお店のルールどおり俺だけ全裸ではるかちゃんは制服のまま手でしてくれる。
とりあえずおっぱいタッチのオプションを追加。だけど服の上からだそうだ。
ここまでがお店のルール上限界。もちろんそれで帰る気はさらさらないから、いろいろ交渉してパンティー一枚にした。
服を脱いだあと彼女が笑顔で抱きついてきたときにぐっときた。それから「...チューしようか」って言ってくれてさらにぐっと来た。
その後フェラから69の体制になったときに、パンティーをずらしてみた。
「い、いいの?」だって。そりゃ喜んでむしゃぶりついたよ。味がしなくておいしかった。
それから俺が上になって腋を舐めようとしたら、ものすごく拒否された。
お○んこはいいのに腋はだめな女の子が多くていつも不思議に思う。なんでだろ?
どうしてもってお願いして腕をあげさせたら、すべすべのきれいな腋だった。
"嫌がる女の子の" + "ツルワキを" + "舐める" という、俺の3大チンピク要素を満たした瞬間だった。
最後に「今日でお店はやめるんだ。お兄さんが最後のお客さんでよかったよ。一番かっこよかった。」と言ってくれたのが印象的だった。
また会いたかったけど、その後二度と会えることはなかった。
■雑記
私にはまだ人生でやりたいことがある
具体的にやっていることもあるし、まだ行動に移していないこともある。
上手くいってないこともあれば、上手くいっていることもある。
楽しいこともあれば、楽しくないこともある。
いい人もいれば、分かり合えない人もいる。
他人から見ると、私の人生は最高ではないがお先真っ暗には見えないだろうし、自分でも決して絶望ばかりではないと思う。
家は裕福ではなく、むしろ貧困層ではあったが、様々な環境上の問題が致命的なレベルに達さなかったことや、
持って生まれた性格が、歪んではいるものの生存にはある程度向いていたという運もあった。
だが。それでも。
周囲の人と談笑しながら、――もしかするとそれは談笑している擬態なのかもしれないが――同時に息苦しくて、早く死にたいと思ってしまう。
仲間と一緒にプロジェクトの成功を喜びあいながら、やはり死ぬしかないのだろうなどと頭の片隅で思ってしまう。
異星人の如く共感できない原理で動作するフツーのヒトビトと呼ばれる者たちに埋め尽くされたこの社会の向かう先では、私は淘汰されるべき存在なのだ。
時期が悪かった。場所が悪かった。そういう意味では運がなかった。
この今、この時代において、私を取り巻く小さな世界は、必死に擬態し存在をかき消そうとする私を、それでも尚異物としか認識しないだろう。
外の世界はどうだろうか。外に世界はあるのだろうか。少し程度が違うだけで、同じ世界の延長線上なのだろうか。
走り出したことはあっても、逃げ出せたことがない私には、どちらにせよ私の足では今の世界から上手く逃げ切れそうもない。
だから、死んで消えるしかないのだ。私が私を解き放つには、死ぬしかないのだ。
正直死ぬのは怖いし死にたくもないが、死ななければならないのだ。
死ななければこの息苦しさからは逃れられないだろうという確信めいた感覚が、気付いてしまったその時から、ずっとベットリと心にへばりついている。
やりたいことがあると言って、希望も目標もあると言って、義務や責任で自分の命は無価値ではないと屁理屈をでっちあげて、なんとか死なないように抑えつけている。
絶対にバレない方法で事故死にみせかけて莫大な保険金がおりるという話があれば、一も二もなく飛びついて、笑って跳ねられるだろう。
ビタミン剤でオーバードーズごっこをしながら精神の安定を保って生きながらえる精神が健全と言い難いだろうことは理解しているが、
発達障害にとにかくまとわりついてくる生き辛さは、私にとってはこんな感じだ。
「北朝鮮はどう出るかダービー」絶賛開催中のようなので、時流に乗って一口ベットしておこう。
爆弾かBC兵器かは知らんけど、そこそこ死人のでるようなやつを同時に起こす。
状況から考えて犯人が誰かは明白であっても、日韓政府が公式に声明を出すまでには必ずタイムラグがある。
日本と韓国ではビビった小市民と頭に血が上ったタカ派が喧々諤々の議論を繰り広げて大混乱が生まれる。
アメリカは表向き両国の同意になしに攻撃はしないというスタンスを取っているので、両国政府が動揺している間は手出しできないだろうというのが北朝鮮の狙い。
そうやって、アメリカにブレーキが掛かっている隙に、間を置かず、いつもの「人工衛星」の打ち上げを強行する。
体面は守れたとばかりに、あとはひたすら沈黙を貫き通してアメリカが痺れを切らして撤退するか、中国が良い感じにとりなしてくれるのを待ち続ける。
とまあ、こんなところでどうでしょう?
偉い人、採点よろしく。
18歳になったから出会い系サイト使えるようになって、初めて知らない人と会ってホテルに行ってきた。
キスすらしたことないのに、知らない人とセックスの予定、簡単に決まってしまった。別になんのきっかけもなかった。バスの時間まで家で一人で缶チューハイ飲んでなんとか気を紛らわせようとした。
身分証入ってるのとか持ってくの怖かったから駅のコインロッカーにカバン入れて、コインロッカーの鍵だけ入った小さいカバンと携帯だけ持って待ち合わせに向かった。
二重に整形するお金がほしくて、でもセックスしてみたかったのもある。
部屋入ったらいきなりベットでビックリした。ほんとにベットしかなかった。一緒にシャワー浴びて、洗いっことか正直したくなかった。どうでもいいから。好きじゃないから。気持ち悪いとかはどうでもいいけど、その人の前で裸になるのも、おっぱい触られるのも、キスするのもなんとも思わなかった。
ファーストキスとか処女とか、そんな概念しょうもないと思った。
してる最中、こんな思いするなら1日中立ちっぱなしで働いて疲れて同じ値段もらう方がマシだと思った。放心状態で駅前で相手と別れて、地下街を彷徨ってた。
カバンを入れたコインロッカーの場所がわかんなくなって、とりあえずドトール入って、アイスラテ飲んで、また彷徨って、マックでポテトを食べて帰った。
諸君の中には「喘ぎ声をだすのは、男の沽券にかかわる」なんて思っている人も少なくないだろう。
「男の子なんだから我慢しなさい」と言われて育ってきた我々日本男児
我慢もせずにあられの無い声をだすなんてとんでもないと思っても仕方がないだろう。
「ベットではあんなに喘いでいたくせに」などと罵られようものなら、切腹ものだ。
しかしだ。
私の矮小な人生経験からで申し訳ないが、男でも喘ぎ声を出した方がいいという結論に至った。
■自分の声に興奮する。
日本では古来から言葉には力が宿っていると信じられてきた。いわゆる言霊だ。
「俺はBIGになる」と毎日言っていた青年が、将来人気ミュージシャンになったなんて話もある。
モノは試だ。これを呼んでいる諸君
「はぁはぁ、気持ちいい、ああ、気持ちいい」と繰り返し言ってみて欲しい。
これと同じように喘ぎ声を出すことによって、喘ぎ声を出すくらい気持ちいい気がしてくるのだ。
最初は演技でもいい、ワザとらしいと思えるくらい喘いでみよう。
「なんで私の気持ちをわかってくれないの!」なんて女がいたら、張った押したくなるだろう。
相手が気持ちをくみ取ってくれるなんていうのは怠慢で烏滸がましい。
結局のところ自分の気持ちを伝えるには、相手と向き合って話しかないのだ。
それと同じように、自分が攻めれれて気持ちいところを相手に分かってもらうためには、
きちんと口に出して伝えるしかない。
しかし「あ、耳弱いんで、耳攻めてもらえます」なんて言い方は無粋だろう。
恥ずかしがらずに「ああ、だめ!耳は弱いんだ。あ、ああ、あああ~」
■なんだかんだでパートナーもノリノリ
性の違いこそあれ、結局のところ同じ人間だ。
若干の違いこそあれ、同じように喜びを感じ、同じように怒りを感じ、同じように哀しみを感じ、同じように幸せを感じるのだ。
◯スペック
30歳 男
妻、子
持ち家35年ローン
まあまあ高学歴
◯状況
ここ数ヶ月、仕事が辛くて、職場に行くと手汗がびしょびしょになる。時々、息苦しくもなる。風邪が2週間くらい治らない(内科に行っていて、原因不明なので次は血液検査を予定。)
そんなこんなで、仕事が辛くて、今週の土日、ずーとベットで寝てた。辛い。会社行きたくない。
◯原因
あんまり英語ができないのに、すげー英語を使う場所に配属されたこと。今までの業務は意外と持ち前の器用さのらりくらりやって良い評価を得ていた。でも、今の場所ではできる限り勉強してるが、周りの人(海外勤務経験者や外資系から転職)には追いつかず、仕事がものすごくできないやつとして認定。せっかくできるやつ引き抜いてきたのにって。
なおかつ、仕事ができないからか馬が合わないからか直属の女の上司に完全に嫌われ、毎日怒られに怒ららて、しまいには無視とかされるようになった。プライドとかどこに行ったのって感じでズタズタ。
で、仕事できない(英語ができない)から、仕事が遅くて終電まで残ったりする。そうすると、その女の上司に無駄なことに時間使わないでって言われたりして、もうなんだか。
はぁー。明日会社行きたくない。本当につらいけど、行かなきゃ行けない。今も会社のこと考えたら、手汗がびしょびしょになった。
本当つらいです。どうしたらいいのかわからん。
自分の記録用を兼ねて、初産を控えたママのためになればとメモ。
2/18 土曜日 (39w1d)
アマゾンtvで、[結婚できない男]を夫と深夜12時まで視聴中、弱い生理痛のようなものを感じる。
前駆陣痛か?!と思いつつも念のため間隔を図ってみる。6-10分おきとバラバラ。痛みは強くなる一方なので、入院準備を開始。玄関付近にカバンを用意したり、夫にやって欲しいことリストを作成するなど。夫はすでに熟睡。
2/19 日曜日
土曜深夜から寝ようとウトウトするも完全には眠れず徹夜で朝を迎える。今までは前駆陣痛らしきものがあってもとりあえず寝てみたら朝まで爆睡というパターンだったため、痛さで起きてしまうこの時点で前駆陣痛じゃないかも!との思いが強くなる。陣痛間隔は7-11分とまだバラバラ。(これは今思うと、測り方がよくわかっていなかったのも一つの原因。子宮がきゅーと収縮開始した時だけアプリで陣痛を開始する。収縮の合間にあるちょっとした痛みとかまで入れてしまうと間隔が変になる)
14時頃病院に電話。様子を見てくださいとのことで、間隔が五分おき、持続時間が1分なるのが目安ですと教えてもらう。
夕方あたりから、痛みが更に増してくる。陣痛の間は歩くことすら出来なくなる。立ってる時に陣痛が来るとうずくまってしまうほど。そのため基本ベットで横になって休む。家事、食事は何もできない。寝れるなら寝ようとしてみる。一方で陣痛間欠時は比較的平常モード。話もできるしテレビも見れる。
夫はこの日あまり事態を把握していないようでのほほんとテレビを見ている。夕食の買い出しと作成、茶碗洗いをお願いするがなかなかやってくれない。陣痛が来ている時にソファに寝ている私にピタリとひっついてちょっと寝るとかいってきたため、痛さとイライラでキレてしまう。泣いて寝室で寝ていると買い出しと買い物をした夫がよびにくる。夫、ごめんね。夫が買ってきてくれたイチゴを少し食べる。
このままじゃ体がもたん。このまま出産になっても体力がもたない。日付が変わった瞬間に病院にもう一回電話しようと強く思う。
上述の理由、および12時を超えれば入院費用が一日分かからないというせこい理由でとりあえず日付が変わるまで様子見していたが、am一時に早速病院に電話。
声の感じ的にまだ大丈夫ですよーと言われる。え?結構痛いときはマジで痛いんだけどな...とちょっとイライラ。言われた通りの陣痛時間なんですけど...と弱めに主張してみると、「若いし、体重増加も大きくない。28週の検診内容から見てもまださほど進んでなかった。声の感じからもまだ大丈夫だと思うよ。」と丁寧に教えてもらう。とこうなれば朝9:30の診療開始まで待つか、と腹を据える。その方が安いし。(せこい)
ただ、これから病院に行くまでは結構きつい時間だった。今思うと大した痛さじゃないけど、痛み逃しの呼吸をしないとぷちパニックに収まりそうな程度には痛かった。バリの人形を見ながら呼吸法を続ける。ちなみに増田は普段から瞑想をしているので呼吸法は得意。間隔も5分間隔を切っており、持続時間も1分になっていたためこれ以上痛さが強くなったり間隔が短くなれば移動自体が困難になるなと判断。9:00になったら病院にテル。まだ来なくていいよー!という感じだったが、どうしても今から行きますと強く主張してそんなに言うなら...という形でオッケーが出る。今思うと、この判断を下した私グッジョブ!
読書に限らず、何か行動を起こしたいときには抵抗の順番に環境をコントロールするとよい。
電車の中で読書が捗るという人は、恐らく本を開くことよりスマートフォンを眺めることのほうが抵抗が強いのだろう。
人によっては本を持ち歩いて鞄から出して両手を塞ぎながら読むということのほうが抵抗が強い場合があるので、一概に電車なら捗るというものでもない。
テレビやゲームなどの抵抗なくできるものが沢山ある自室内で読書を選択することは、他にできるものを我慢するストレスと戦う必要があるので、よほど読みたい本でない限り無理だと言って良い。
人間は誘惑の奴隷だ。そして誘惑は満たしても満たしても次から次へと生み出されるものでもある。
その中で必要な行動を選び続けるには、誘惑との距離という制約を自らが能動的にコントロールする以外にない。
ただ、この原則を理解できればかなりのものに応用することができる。
勉強、筋肉トレーニング、英会話、ダイエット、仕事、宿題、etc
いままで諦めてきたもの全ては、適切なタイミングを選べていないだけだったのだ。
ベッドの上、トイレ、朝食中、通勤通学の徒歩、自転車、バス・電車の車内、学校・職場のデスク、昼食中、帰宅途中の寄り道、外食、夕食、お風呂タイム、就寝前
次に、それぞれにおいて、自分の周囲にどのような抵抗感が発生しているか、その中でどんな行動なら取りやすいかを突き詰める。
その中に自分に必要な行動を適切に配置することで、無理をせずに行動をコントロールすることができるようになる。
ただし、スマートフォンというものがとにかく厄介で、ほぼすべての場面に抵抗なく潜り込んで来てしまう。
その場合は、持ち込み禁止や取り出し禁止の制約をかける、抵抗なく開いてしまうアプリを削除する、身につけたい習慣に近いアプリをホーム画面の目立つ場所に設置するなど、ちょっとしたテクニックが必要だ。
以下、私自身が習慣にしているものとタイミング、制約を列挙しておく。
・就業中。ダイエット対策。間食にポテトチップス、小麦粉菓子禁止。ナッツ、チョコのみ。
・帰り道。自宅近くの公園で3分筋トレ。帰宅後すぐにシャワーを浴びるので汗をかくことに抵抗がない。
・夕食中。制約なし。音楽聞きながらネットブラウジングやゲーム、漫画、映画を見る。
・翌日の朝食・夕食の仕込み。ダイエット対策。明日食べるものをお腹が満たされているうちに予め決めておくことで暴食を防ぐ。
・お風呂中。英会話シャドーイング。浴室内なので発音することに抵抗感がない。
・就寝前。読書タイム。テレビ、スマートフォン禁止。夜更かし良くない。
実はほとんどが5分から10分程度の時間しか使えていない。しかし、総合すれば一日に1時間近く、何かしらの習得に時間を割いていることになる。
30分、1時間といったまとまった時間がとれたほうがよいと思うかもしれないが、現代社会においてそれだけの固まった時間を捻出することは困難といっていいだろう。
かと言ってやらなければいつまでたっても身につかない。
大切なことは抵抗なく続けられる時間やタイミングを見極めることだ。
1年も続けば、どれにおいてもある程度の結果が出せるようになるだろう。
出来ないことを嘆き続ける人生か、少しでもできることをコツコツと積み上げ続ける人生か、その選択ができる自由は、まだ人間にも残されている。
先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。
ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。
そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。
「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、
母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。
興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。
日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、
一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。
母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。
父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、
「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。
たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。
夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、
母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。
そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃
別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、
「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。
しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、
母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。
専業主婦だった母は別居後、販売員の仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。
そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。
余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。
ある日、私の学校の開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?
という話になり、離婚調停の最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。
再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め
自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。
中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に
なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。
対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。
私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。
しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。
母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。
仕事上での人間関係のトラブルの話は祖母としょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。
その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、
次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。
しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、
しばらくは家族や親族の誰もが病気の可能性であることを疑う事はなかった。
就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、
近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからないから一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが
自分の性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家に生活費を払う事をしなくなった。
近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。
母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。
しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり
あまり会話をすることもなかった。
しかし、あれは確実に症状が進行し言動がおかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。
私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、
落ち着いて説得することができず感情的にしか対応できなかった。
その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。
弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。
おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障で体育大学を中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、
兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。
そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、
弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。
彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。
その頃私は都内の仕事が好調で彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。
その後も自営業や再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると
上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。
幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由がさらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。
しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。
この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。
何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。
普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。
しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、
支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人でしかなかった。
徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。
ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報や派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は
しょっちゅうだった様だ。たぶん地域の警察官の中でもやっかいな有名人であったと思う。
その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。
仕事とはいえ私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。
バラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。
母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。
彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。
そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。
これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、
本人に自分が病気だという意識(病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。
そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」
という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。
入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。
私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活は可能、しかし治療を拒む状態だと、
いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間にお金が無いとどうにもならない状態だった。
そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。
いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。
また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。
そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。
はらはらしながらの受診だったが、精神科医に統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。
母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、
回復はほとんど見込めない旨。どこも満床でベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。
入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。
今ならわかるが、この医師からはケースワーカーの存在を紹介されることもなく、国立や県立病院の可能性を教えてもらう事もなかった。
自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。
それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。
薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。
僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。
飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、
毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費が対象であること。
医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担の対象者であること。
今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。
また、通院と同時に市役所への相談で介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、
ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。
まず、加齢により体の不調があることも理由に介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患は介護認定の判定要素に
大きく加味されることが無く、介護度2となった。
ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。
母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。
そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。
そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、
実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)
そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。
結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。
そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。
過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、
今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民に迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。
どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女の人生で登場した嫌な奴をののしったり、
幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供の危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。
以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察に通報したり、私たちに電話をし、
一方的にしゃべり続けたりする大事な必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。
近隣のトラブルはついにアパートの不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパートの契約更新を一方的に拒否され、退去を迫られた。
ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を
入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。
要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。
親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。
さらに警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。
これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである。
しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。
トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域の高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ。
この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間も
長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、
家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。
長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。
母が病気になってから知り合った人間の名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。
そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科の受診させることもできた。
しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、
かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、
入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。
でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイを提案してくれた。
何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。
まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。
けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。
怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。
老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。
しかしホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。
また、本人の意思を尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。
また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。
ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能。
しかし殺人の容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。
こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、
その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から、
県立の精神病院の存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。
アパートの引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷の引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産にアパートの引き渡しを済ませた。
殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。
翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。
事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。
状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。
そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。
電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日の入院がキャンセルになった関係で、
母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。
正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。
最初に誰かが県立の精神病院の存在や制度や費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、
こんな苦労はしなかった。私自身、最初は問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性が
間違っている事に気付けなかった、しかし、役所、介護、福祉、医療、警察、の現場であった人も親類も、
これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。
正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、
自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。
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あと少しだけ以下に続きます。