はてなキーワード: インカレとは
大学と地方自治体が連携して、地域の課題解決とか、地域づくりに取り組むことを「域学連携」という。
大学生と大学教員が地域の現場に入り、地域の住民やNPO等とともに、地域の課題解決又は地域づくりに継続的に取り組み、 地域の活性化及び地域の人材育成に資する活動
活動にかかる費用はほとんどの場合税金で賄われるわけだけども、地域は大学に発注するより、その地元に関わりのある中小企業とか、個人事業主に投資する方がよっぽど成果が出るんじゃないかと思う。
まず、一番の問題として、そもそも学生はそんなに働かないということ。
もちろん、労働力にはなるけども、知的労働としてはほとんど期待できない。
そりゃ勉強している最中なんだから、そもそも期待しちゃいけないんだけど。
域学連携をしようとしてゼミや研究室を探す場合、まず目につくのはその教授が有名だったり、結構講演に呼ばれるような人の場合がほとんどなのだけど、そういう教授はめちゃくちゃ忙しいわけ。
講演やテレビ出演で忙しい。
そうなると、学生の指導は手薄になり、議論のレベルや活動のレベルが著しく低い、大学生の自己満な活動しかしなくなる。
「これに200万かけたの?!」みたいな話になる。
大学生が見知らぬ土地に入って、タブーを犯して現状を打破してほしい、という期待なのであれば、結構クリアーする。
仲悪い住民同士を同じ班にしたりするわけで、「なんか変わったことやってる」という雰囲気を出したいのであれば、域学連携はぴったりだ。
ただ、若年層の交流人口の増加、とか、公営施設のPR施策、とか、購買意欲の向上施策、とか、大学生がコンサルレベルの提案とか出来るわけない。
それから、大学の人脈ネットワークを期待する場合は、上記の通り教授が忙しい場合、人の紹介もあまりされないだろうし全然出来上がらない。
地方の場合、「首都圏の大学生は、それぞれの大学に知ってる人がいて、それぞれ繋がってるんでしょう」みたいな冗談を言う人も結構いるけども、パリピかインカレのテニサーくらいで、普通の大学生は絶対にそんなことはない。
いちばん問題なのは、役所がいちばん動けるとき、動かざるを得ないときに、学生は休みであるということ。
だから連絡しても全然返事がなかったりするし、各所に報告する期日に間に合わないことも普通にある。
それに無理やり間に合わそうとして、とんでもないレベルの報告書が大学から送られることもある。
言ってしまえば、こんなくだらない問題点があるのだから、そもそもこういう問題が起きないところに頼んだ方がいい。
大きい会社はお金がかかって無理なのであれば、少し会社の規模感やレベルを落としてでもいい。
実現可能性が高い提案をしてもらったり、きちんとしたPRツールを整えてもらう方が絶対にいい。
ただ、何を期待するのか、はっきりさせてから、域学連携に取り組んだ方がいいし、大学側も真っ当な仕事ができる環境を整えてから受けた方がいい。
という感覚があった、というか今でもある。
オタメゴカシを抜きに言えば、大学というのは就職のために入る場所だ。
つまり、就活ウケしなければどこに入っても意味が無く、だからこそ就職率の良い大学だとか、難関大なんかをこぞって受けるわけだ。
そりゃあ各々の適性に合った場所に入るのが一番だろうが、大抵は偏差値とか景気を見ながら「これなら就活で困らないかもしれない」とか考えて大学や学部を選ぶ。
そんな調子で選んだ本命大学にも落ち、浪人の末、そんな調子で選んだ滑り止め大学に入った。そこで強い学歴コンプレックスを抱えた俺は4年くらい鬱屈していた。
バイトはやらず、サークルは就活ウケしそうな電子工作関連のサークルに入った。(ろくに活動はしなかった。どうせ面接じゃ嘘八百が通ると分かっていたため。事実、就活では通っていた。)
講義でオートマトンだとか増幅回路なんかをやっている中で、俺は「結局就活じゃ大学名しか見られないのに、今更何しても無駄、評価されない。終わりだもう…」という思いで一杯だった。
TOEICを頑張っている連中を見ては、「いい会社に入ろうとでも思っているのか。どうせ就活じゃ難関卒が優良企業の内定ガッポリ攫っていって、俺たちにはクズみたいな求人しか残らないんだぞ。」と思っていた。
「インカレにでも入ったら」とか言ってくるとしあきを見ては、「インカレなんて難関大の人間と難関大の彼氏が欲しい女と財布役しかいないんだぞ。」(偏見だが…事実だろう)と思っていた。
「向こうで友達は出来た?」と聞いてくる親には「全然。行きたかった大学じゃないし、毎日つまらないよ」と答えていた。
そんなわけで、タイトルのようなことを常々考えていた。4年間。
実際に就活が始まると、英語を頑張っていた奴が速攻で楽天から内定を貰った。(あんな会社に???ナンデ???とか失礼なことを考えていた)
一方で、誰よりも早く就活を始めていた俺は、半期留年の末、誰よりも遅く内定を貰った。
思い返せば…何も思い返すことはなく、本当に無駄な日々を送っていたな、とか、かと言ってこんな大学に入った時点で何をしてもどのみち無駄ではあったな、とか考えていた。
結局就職したのはよく分からない会社でCOBOLを内製する仕事。今どきCOBOLだぞ。笑えるな。
はっきり言ってつまんねー仕事。30年も前のプログラム弄ってる20代なんて日本でも俺くらいのもんだろう。
やりたい事見つかったら即転職してやろうと考えていたが、何も見つからず…給料は少ないもののハラスメントが無い環境だもんで、なかなか辞められずにいる。
求人を見りゃ分かる。「実務経験」が要る。つまるとこ、「勉強しました」だけの奴はいらないってわけだ。
ネットじゃしきりに「日本のリーマンは勉強しない」とか「日本の大学生は勉強しない」なんて煽ってくる。
だが、現実としてどうせ今更なにを勉強してもムダで、結局学歴コネのある奴が全部持っていくわけで…だから誰も勉強なんかしない。
だから人生や仕事が好転しない。だからといって勉強したところで誰にも評価されず、何も変わらないという現実も確かにある。
書いていて本当に徒労感しかない。
俺の人生は一体なんだったんだろうな。
http://anond.hatelabo.jp/20170606005748
昔の自分に似てる部分が多いと思ったから、この人の役に立ちそうなことを列挙
・お先真っ暗に思えるだろうけど、顔が良いだけでなんとかなることも多いから、あまり悲観的にならずにね。
・美大に通ってんなら、やりたいことがあるんでしょ。もうすぐ夏休みなんだから、その期間を使って、大学卒業後の夢と目標をちゃんと考えなよ。心からやりたいと思えること見つけなよ。それを決めたら、あとはそれを達成するために頑張るだけ。まだ大学2年で、就活まで時間あるから、今からなら大抵のことは間に合うよ。芸術の道でもいいし、芸能界にまだ興味あるなら、そっち目指してみてもいいし。大人になってから芸能活動始める人も多いし。ここで、親の目を気にしちゃダメだよ。親なんか言いたいことだけ言って、責任とってくれないんだから。
・友人や恋人が欲しいなら、今のリスペクトできない美大の友人らは捨てちゃえばいいんだよ。そして、他のコミュニティに所属するとか、とにかく数を打つんだよ。出会いの数を増やすんだよ。Twitterでもマッチングアプリでもなんでもいいから使ってみて。恋人に限定した話なら、大学生向けの恋活パーティーとかもあるし。そうやってたくさん初対面の人に会うというのを続ければ、ちょっとずつだけど色んなタイプの人ときちんと話せるようになると思うし、いつか合う人が見つかると思う。
・独親育ちだから暗い気持ちになるのはわかる。「アダルトチルドレン」とか「機能不全家族」に関する本を読んで、自分の辛かった過去とその原因を理解して乗り越えるってのもいいと思う。
・インカレサークルが合わなくてやめたって話だけど、そのサークルが合わなかっただけだと思う。本当にサークルに入ってみたいと思うなら、2年から入れるサークルはあるし、探してみればいいよ。ガクサーとか言う全国のサークルを調べられるサイトもあるし、ツイッターでだって色んなサークルの募集あるし。合わないと思ったら辞めればいいし、合うサークルが見つかるまで頑張ってみたら?個人的には、サークルに時間取られすぎたのは失敗だったと思うけど(サークルしかしてないから、就活で話すネタがなかったwww)、男女でワイワイ、サークルで遊ぶのが憧れなんでしょ。それなら一回思う存分やってみなよ。多分やらなきゃ一生「サークルとかやってみたかった」って愚痴るようになるよ。
・居酒屋ってか飲食のバイトは、向き不向きデカいから、向かないと思ったら辞めて正解だよ。いいんだよ、それで。自分を責めることない。居酒屋バイトができなくたって、社会で生きていけないなんてことは絶対ない。そして、バイト採用の件だけど、バイトでも意外と落ちるよ。なんでかって、長期でやれないとか毎日入れないからとか、そんなもん。大抵シフトのせい。違かったらごめんね。でも、人間性見抜いて落とすことって、バイトではあんまりない。バイトを雇ってるとこなんて、だいたい人手不足だから。自分の社会不適合者感にうんざりしてるんなら、派遣のアルバイトに登録するといいよ。採用選考はないし。自分でもお金が稼げるんだって少しは自信持てるよ。てか、サークルの話と似てるけど、そのバイトが合わなかっただけで、合うバイトはどっかにあるよ。色んなバイトに挑戦してみて、合わなかったら辞めるを繰り返してみるといいよ。
・友達がいないのは寂しいね。でも、こういう恥ずかしいことだけをぶちまけるツイッター垢とかブログを作ってみたら、それに共感して集まってきた友達ができるかもよ。
・知り合いにこういう話を隠してしまうというのは、ある種才能だと思うよ。自分はぶちまけちゃうもん、自分一人で抱え込んでいる辛さに耐えきれなくて、打ち明けちゃう。隠せるってことは、自分で辛い過去を背負う強さがあるってことだと思う。そういう辛さを創作に繋げられたら、凄まじい作品が出来上がると思うよ。
・あと、すねがじり一人暮らしって書いてるけども、実家から出て一人暮らししてる人で、すねがじってない人は今の時代、少ないと思う。自分で学費稼ぐみたいなさ。だから、卒業するまですねかじりのことは気にするな。親が「せっかく金を払ってやってるのに〜」みたいにプレッシャーをかけてくるかもしれないが無視に限る。
・一般大学に通った者だけど、自分は美大に生きたかったから、美大に行けてるあなたが羨ましい。飲み会行くとか遊ぶとかオシャレなことするとか、美大でもできる。でも、美術学ぶのは、一般大学ではできないから。一般大学に夢見すぎ。あなたのような地味な生活してる青学生も多いから。自分の行きたかった国立に行けなかった、せめて青学だったら行けたかも…と思うかもしれない。でも、美術好きでも美大通える人なんてわずかなんだから、自分の大学とその大学に入った自分にもっと誇りを持って欲しい。
・あとは、海外に行ったり、本を読んだりしたり、視野を広げるようなことをすれば、カーストだのマウンティングだのから解放される可能性が高まると思う。試してみて欲しい。
3km走るのがほんとに辛くて、夏が終わって大会に合わせて作られた駅伝部の活動が休止した時かなり嬉しかった。
中学1年の冬、何故か駅伝部の顧問に目をかけられていた僕は朝6時半に集合させられ30分ほど走るようになった。
辛かったけど先生が怖くて辞めたいと言い出せず言われるがまま走り続けた。
中学2年の夏になり、また駅伝部が設立され、当然のごとく僕は招集された。
1年生の頃はゴールした時「よくがんばったね」と教師陣に拍手されながら迎えられたドンケツの僕は、誰よりも速く3kmを走りきった。今度の拍手は心地よかった。
その年、一つ上の先輩と自分の力で県大会に進出することができた。東北大会の出場も圏内だったが、6区最後を走った先輩が失速し4位。東北大会に進めるのは3位まで、僕らの夏は終わった。
また冬が来た。
去年と同じように指導者に流されるまま朝から30分校庭をジョギングした。
「凄く速い生徒がいるらしい」と今年の活躍が口コミで広がっていたのか、ちらほら見学する生徒が現れていた。
真冬で太陽も出ていないのになぜかサングラスを掛けている顧問は何人かに声をかけ朝練習に合流させた。
一人で走り込んでいた僕に仲間ができた。
県大会に駒を進め、前年度の雪辱を果たす機会を得た。
僕が三区で襷を受け取った時順位は3位だった。
東北大会に進めるのは3位までの学校で、全国大会に進めるのは1位だけだ。残念ながら東北大会から全国にはつながらない。全国を目指すならこの県大会で優勝するしかない。
勾配の強い山道を駆け抜け、中間地点となる1.5kmを突破すると一気に下りとなる3区。
僕は前半2位との距離が極力開かないようにペースを抑えて走り、1.5kmを過ぎた時点で勝負をかけた。
ストライドを狭めて脚への負担が大きくならないよう気を付けながら、ピッチを上げてペースを速める。
2位を抜き、襷を受け取った時点で1分近い差のあった1位の後ろにつけて4区に襷を渡した。
そこからの流れは疲れ果てて休憩しているうちにレースが終わったので分からないが、僕らの学校は1位を取った。
設立から何十年と経つ学校だったか、特段スポーツに力を入れているわけではないので全国大会に運動部が出場するのは初の快挙だった。
僕らは涙を流しながら抱き合った。
顧問は「当然だ」とだけ言い拠点を黙々と片付け始めた。いつもはこういった雑務をしない人なので多分照れ隠しなのかなと思う。
数ヶ月が経ち、東北大会でのレースを済ませた僕らは全国大会の舞台に立った。
1区を出走することになった僕は、正直自信過剰だった。
実際3kmの持ちタイムは9分を切っていて、全国でも上位を争えるレベルだった。
全国大会当日、会場であった山口県は小雨の降る肌寒い日だった。
詳しくは知らないがまるでゴルフ場のような芝生とタータントラックのみのコースだったので7mmピンのスパイクで大会に臨んだ。
だがこの判断が間違いだった。
ほとんどスパイクで走ったことのない僕はスパイクの引っかかりの強さが予想以上に強かったことに焦った。対応できなかった。
下りになるたびに引っかかりのせいで止まってしまい、体力を無駄に使った。
集団に揉まれながらゴールへとたどり着いた時には全校50近い内20位ぐらいだった。
僕が入賞圏内でタスキを渡し、後半逃げ切りという作戦を立てていた僕らはそのままズルズル順位を落とし入賞県外で終わった。
僕は泣きながら仲間たちに「ごめん」と謝った。
仲間たちは僕のおかげでここまで来れた、むしろ僕らがもっと速ければともらい泣き?していた。
自信に満ちていて、いつも問題があれば僕らを叱った顧問は「この結果はすべて俺の責任だ」といい腕を組みながら謝っていた。
同級生たちが受験勉強に明け暮れる中、僕は色んな所からきた特待生の勧誘やらを前に迷っていた。
「これから先でも戦えるのだろうか」
全国大会で天狗の鼻はボキボキに折れていて、地元の友達皆が行く近場の学校に入学しようと考えていた。
そんな話をどこから聞きつけたのか駅伝部の顧問が僕を放課後呼び出し、スポーツ科の存在する学校への入学を促してきた。
僕はなんだかんだ付き合いは長いけれど、まだ顧問のことが怖く、流されるままスポーツ科のある学校へと進学した。ただ迷っていたのもあったのでこの言葉は当時嬉しかったと思う。
正直有名すぎるのでマニアにはバレるため詳細な情報は伏せるが全国大会3000mで異常な成績を残したとだけ書いておく。
結果を出さなければ殴られ、結果を出しても褒めることはせずもっと行けただろと怒られる。自尊心はボロボロだ。
それでもなんだかんだタイムや実績を残してきた僕には優しい方だったが、やはり大分精神的に消耗していた。
前述した僕より速いやつは相当に人間ができているやつだったし、他の部員たちも僕のことを知っていて仲良くしてくれた。
色々ありながら高校1年の夏を終え、雪が降る季節になった頃事件が起きた。
僕の身体は厳しすぎる練習に耐えきれず、股関節が剥離骨折した。
この事実を教師に伝えた所、「お前は逃げるのか?迷惑だから走れ」と練習を強制された。
当時はつらすぎて逃げ出したかったがスポーツ科だったため、部活を辞めれば学校もやめなければいけない。
僕は言われたとおり痛み止めを投与しながら練習を続けた。
そして怪我はよりひどくなり最終的に歩けなくなった頃、「もう限界です、休ませてください」と伝えたところ毎日誰よりも早く来てグラウンド整備をすれば許可しようと言われた。
今思えばおかしい条件な気がするが、当時は「ありがとうございます!」と心から感謝していた気がする。頭がおかしい。
歩くのも痛かったが処方された痛み止めを飲めば我慢できたし、走るよりはマシだったので頑張って毎日グラウンド整備をしていた。
この剥離骨折は結局治るのに1年近くかかった。
1ヶ月ぐらい経つと教師に「もう治っただろ走れ」と言われるので走り、また悪化させるという繰り返しがこれだけ怪我を長期化させた原因だと思う。
ようやく治った頃にはもう高校3年生で同級生や後輩に大きく実力差を付けられていた。
それでもなんとか自分なりに練習を重ねた結果冬場の駅伝には出場できた。3kmの高校生にとって繋ぎの区間だったが。
少し時期は前後するが3年の夏頃、僕は進路を迷っていた。
怪我はなんとか治っていたがこれ以上走るのは明らかに限界だと感じていた。
それでもなんだかんだ高校1年生の頃に5kmを14分台では走れていたので、タイムだけで弱小校ならスポーツ推薦が可能な状況だった。
僕は迷った。
でも中学生の頃卒業文集にも書いた「箱根駅伝出場」を諦めきれずスポーツ推薦を選択した。
少し走れば足首が、膝が、股関節が、どこかに痛みが出てしまい練習ができなくなる。
救いなのは大学はある程度自由にトレーニングメニューを組めたので、怪我をすれば悪化する前に休息を取れたことだろう。
ただこんな練習頻度で化物揃いの大学陸上を勝ち抜くことはできず、関東インカレの出場はできたが成績はダメダメで、結果は出せなかったし、箱根駅伝のメンバーに選出されることなど夢のまた夢だった。
県大会で全国出場を決めた時の高揚感、あれをもう一度でいいから味わいたいんだと思う。
正直箱根駅伝のメンバーにもなれない人間は実業団に進んだところで伸び悩み3年以内に首を切られるの分かってる。
でも頭ではわかっていても感情が走ることを求めてしまっている。
まあ意識高い系? ちょっと前から増えてる国際なんたら学部系の元祖? みたいなイメージしかない
例えば女子大の学生にしたって、そう顔の広くない学生だと全く接点なんかなくて、
かろうじて見聞きする存在がインカレのテニサーイベサー運動部のマネージャーぐらいなものだから、
国際基督教大学、International Christian University、ICU。
私の母校だ。
2人の卒業生の婚約で日本(の一部)が盛り上がる中、ただただ一卒業生として発信したいことがあるので、筆を取った。
"過剰な一般化"かもしれないし、統計的なデータがあるわけじゃない。
だから、これは私の主観や経験によって構成された文章となっているはずだ。
ーーーーーーーー
結論から言うと、彼らが知り合ったきっかけとされる"意見交換会"が"合コン"だったということは非常に考えがたい。
(学校の規模が小さすぎて、自分の"友達の友達"でほとんど全員にアクセスできるため、学内合コンなどほぼ有り得ない。)
他の大学の方からすれば信じられないかもしれないが、ICU生の大多数は学内にしろインカレにしろ合コン未経験である。
ICU生はだいたい「他の大学と"違う"」という理由で、ICUを選んで入学している。
ICUは、上京を目指す若人が一般的に憧れるような"キラキラ"した大学ではない。
すごい地味な大学だ。
周りに学生街と呼ばれるようなものはないし、キャンパス内にスタバはもちろんない (武蔵境駅前にはあるけど)。
では、みんな何を求めて、ICUに入るのか。
ある人にとってはそれが、英語教育だったり、リベラルアーツ教育だったり、特定のメジャー(専門分野)だったり、学校の雰囲気だったりする。
何を求めて入学したにしても、ICU生は何故か批判的思考を知らぬうちに身につけていく。
そんなICU生の大多数が共通して敏感に反応するのは、"性"が関わるトピックについてだと思う。
それが、ICU卒業生や在校生が、意見交換会=合コンに対して、異論を表明している理由でもあるのではないだろうか。
合コンというのは、良くも悪くも"社会的に押し付けられた性へのイメージ"の結晶と言える。
(男性が〜〜すべきとか、女性は〜〜するとか、そういう類のこと)
ICU生の大多数はぶっちゃけ、この"性へのイメージ"に超批判的である。
くだらないと思ってるし、押し付けられたくないと思ってる。
だから、合コンにも無関心/批判的だし、実際行っても"需要"はないと思う。
だって、相手側から求められる"性へのイメージ"を体現し(て)ないから。
こんな感じで、ICU生は合コン未経験を貫くのではないだろうか。
勉強で忙しいとか色々な主張があると思うけど、私はそう思っている。
てか、書いてて眠くなってきたので寝る。
起きてまた気が進めば編集しよっと。
中学、高校と田舎の公立で過ごしてきた。昔から勉強はできたが、運動が苦手で異性には好意を寄せられなかった。
中学の頃はただ好意を寄せられないだけだったが、高校では担任の教師が昔からの体育会系で、運動ができない僕は格好のおもちゃだった。学内テストや模試の結果が返ってくるたびにこの教師はクラスメイトの前で、僕に向かって「勉強しかできないやつはつまらない、もっと運動をしろ」と言い、しまいには女子クラスメイト複数に「勉強しかできないこんな男嫌だろ?w」と投げかけ、僕をクラスの笑いものにしていた。
こんな底辺の人間と関わりたくないと一念発起し、更に勉強を頑張ることで東大に入ることができた。しかし、この高校の頃の出来事が軽いトラウマになっているのか、女子と話すときに「どうせこいつも内心では僕のことを馬鹿にしているんだろうな、気持ち悪く感じているんだろな、見下されているんだろうな」という考えが離れず、どうしても距離をおいた付き合いしかできないでいた。この考えが間違っていることはわかっているのだが、サークルなどに入っておらず、触れ合う女子が東大女子に限られる場合、ある程度当てはまってしまう。彼女らは容姿がいいわけでも勉強が平均よりできるわけでもないのだが、プライドが高く、そして東大という女子率の低い環境にいるため、リア充的な東大男子にちやほやされているからだ。
話がそれたが、要するに女子に対する嫌なイメージが払拭できないでいたのだ。
この状態のまま2年を過ごしたが、ここで転機が訪れた。簡単な話、友人にピンサロに連れて行かれたのだ。天国だった。かわいい女の子が僕のことを一人の男として(客としてだが)見てくれ、しかも性的な好意を許すような関係になれるのだ。女の子に認めてもらえるということがとても嬉しかった。ピンサロに通うことで女子への嫌なイメージが薄れ、なんだか彼女が欲しくなってしまった。
今年から大学三年、どうすれば彼女を作れるのだろうか?知恵をお借りしたい。
同じ大学の女子は嫌で、他大のウェイウェイしたインカレサークルも自分には空気が合わないことがわかりきっているのでどうすればいいかまったくわからない。
もう手遅れなのだろうか?
フェミニストはどうしてネット上の女尊男卑指摘などという、くっそどうでもいいものと戦おうとするのだろう?
例えば明大集団昏睡事件や慶應インカレレイプ事件など、毎年のように習慣的に繰り返されている大学サークル内における強姦事件を予防する為の取り組みとか、
西原理恵子が期せずして暴露してしまったいまだはびこる芸能界での枕営業強要とか、
それらに象徴されるような女性の尊厳をすさまじく損なうような事柄というのは、まだまだ溢れていると思うのだけど、
なんでまた表現規制だの男性憎悪だのといった果てしなくくだらないことに躍起になるのだろう?それって女性の権利を擁護する為に必要な事?
と言っているから、いまフェミニズム的な言動が男を苦しめているという実感があるみたいだけど、例に挙げたような真の女性蔑視者たちは一切苦しんでないと思うよ。
苦しんでいるのは女性とあまり縁のない弱者男性だけだろうね、一体なんでフェミニズムは弱者男性蔑視の別称になってしまったのやら。
友人にとても美人な女の子がいるのだけど、彼女はセクハラについてこう言っていたよ。
どういう事かというと、別にセクハラされても何も気にならないという意味ではなくて、もちろんセクハラは嫌だし気持ち悪いが、
いざ本当に気に食わない場合は訴え出れば自分は"被害者"という有利な立場に立てるし、
平素はそれさえ我慢しておけば女の子としてチヤホヤされ、大抵のことは大目にみられるので楽である。って。
私は、なんて意識低いんだろうこの子は、と思ったけど、でもこの男女差別的な社会で生きていくには正しい処世術なのかもな、とも思ったね。
フェミニストってそういう世の中を変えたくてフェミニストやってるはずだったよね?でも実際はこの子とやってること変わってないんじゃない?
『夫のちんぽが入らない』を読んで、ちょっとしてから思い出したこと。
自分はほんの6ヶ月付き合った彼女と別れて、あの子は3年以上付き合った彼氏と別れて。
自分とあの子はインカレサークル的な所で出会って、2年くらいの友だち付き合い。
お互いフリーだし、って吹っ切れてたのか盛り上がったのか。
ジブリ美術館にデート行くことになって、その後吉祥寺でちょっと飲んで。
ちょっと飲んでじゃ物足りなくて、彼女の部屋に行くことになった。
いや、その前にその話をしたかは良く覚えてないけど。
あの子はそんなことを言った。
「一度も?」
「結局無理だった」
「元カレと俺とどっちが大きい」
「元カレ」
「…お、おう」
でもまあ、がんばってがんばって、
「今までここまで入ったの初めて」
って所まで入った(あの子申告)。
「いたいいたい…」
とか言う中で挿入を続けるのはなかなか緊張を保つのが困難だったように思う。
結局、あの子とはもう一回のセックスでも入らなくて、普通の友だちに戻った。
旦那さんと付き合う付き合わないの相談から知ってたからおめでたいのだけど。
旦那さんのちんぽは自分のより小さいのか、どうしても聞いてみたいのだ。
絶対聞けないけどさ。
がどうも気に入らない。
女子大に通う高校時代の友人がみんなドヤ顔で「うちは東大とインカレでえ〜」と自慢してくる。
だから何なの?
私の高校は進学校で女子大(私立)に行った子達は言ってしまえば受験に失敗した組だ。
つまるところ、東大とインカレというのは彼女たちからすれば「(私は女子大だけど)東大とインカレ(なので実質あなたよりも学歴で勝っている)」という自慢なのだ。
「MARCH?早慶?(笑)東大はねぇ〜」とか言われて、いやお前は女子大だろ!!って言いたくなる。女子大を馬鹿にしたい訳では無いけど、下に見られると違うだろって思う。
しかし、コンプをこじらせて虎の威を借る狐となって他者に勝った気になるのは良くない。
以上。
当たり前のことが言いたい。
まともな女子学生なら、インカレだのイベサーだのは、昔のスーフリのこともあるし警戒するはずだ。
でもチャラいのが好きなんだろう? イケメンが好きなんだろう? 慶応の育ちのいいのが好きなんだろう?
女子アナになりたいから、わざわざミスコンなんかに出てきたんだろう?
もちろん、男が圧倒的に悪いのは前提で、でも女もそんなのに好き好んで近づかなきゃいいのにと言いたい。
ところが、そういうのをちょっとでも口に出そうとすると、はいそれセカンドレイプ! と一蹴されるわけである。
広島県に藤田雄山という県知事がいた。土建屋の一族の出身で、今でも評価はあまりよくない。
米兵によるレイプ事件が起きた際、「朝の3時ごろまで、盛り場でうろうろしている未成年もどうかと思う」
という発言をやらかしたせいで、当時この人はずいぶん叩かれたようだ。
しかし、そこまで責められなきゃいけないことだろうか?
当たり前だが、夜中に盛り場をうろついている未成年はレイプしてよろしい、とは誰も言っていない。
未成年が真夜中に盛り場でうろついているという、わずか1%ほどの落ち度を指摘するだけで、
まるで全責任を負わせようとしているかのごとく非難されるのだ。これはいったいどういうことだろう。
まともな親なら、子供が遊びに行く時、「暗くなる前に帰ってきなさいよ」ぐらいは言うはずだ。
ところが、あるケースにおいて、その当たり前のことを言うのが許されなくなる。
若い女が被害者だった場合に限って、とにかくその女は何があろうと責めるべきではない、
というタテマエが突如として現れるのだ。
他ならこうはいかない。
中東で捕まった人がいた時には、自己責任だの税金の無駄だの散々言われたものだ。
首を切られてもバッシングがやまなかった。
殺人事件の被害者が、そうなるに至った経緯について、ことごとく晒されるということも珍しくない。
先に言っておきます。これは一人の「オタサーの姫」の壮大な愚痴です。
当然愚痴ですので、不特定多数の人を傷つけてしまうような言葉もあるかもしれません。
それでも、誰かにどうしても聞いて欲しいと思ったところでこのブログの存在を知りました。
いささか不慣れな箇所もあるかと思いますが、どうかご容赦ください。
専攻の都合上大学のゼミにも女性はあまりおらず、サークル活動にも頻回で参加するわけではありませんが、女性は多くありません。
もともと興味があった分野が女性よりも男性寄りで、学部を選ぶ時も、一も二もなく今の学部を選びました。
入学して少し経って大学に馴染んできた頃、久々にあった高校時代の知人に、不思議な事を言われました。
「XXちゃんって、オタサーの姫ってやつだよね?」と。
当時の私は「オタサーの姫」が何を指すのもわかっていなかったので、軽く笑ってはぐらかして、
しかしそれからも、高校時代の知人たちや、大学の同期の女子、先輩の女子やインカレのサークルの友人などに、
何度も同じように「オタサーの姫」と言われることが続き、次第に自分は何か悪いことをしたのだろうかと思うようになりました。
ネットで調べてみたら、「オタクの男性たちにちやほやされる女」、「ちやほやされたいと思っている女」、「媚る女」果ては
「ちやほやされる事に慣れきって、不特定多数と肉体関係を持つ女」、などと、正直思ってもみなかったような言葉が並んでいました。
確かに、学部の性質上いわゆるオタクという感じの男性は身の回りに多いと思います。
アニメの女の子のカバンやTシャツを身につけている人もいますし、作品を勧められたこともありました。
私自身は、小さい頃はゲーム(ポケモンなど)が好きでしたが、今は友人が貸してくれた漫画などを多少読むくらいで、
あまり彼らの話題には着いていけませんが、彼らがアニメの話で盛り上がっていて楽しいならそれでいいのかなと思っていました。
話を戻します。
男性に媚びているという気持ちも無いし、ましてや不特定多数と関係など、絶対に考えられません。
大学に入ってから私に好意を持ってくださった方も(本当にありがたいことに…)いましたが、
お付き合いしている大事な人がいるので、誠実に断ったつもりでした。
ネットに出てきたオタサーの姫ファッション?(フリルがいっぱい付いているスカート等)もしていません。
美容やファッションは趣味として好きですし、何よりも身だしなみは大事だと思っているので、
だらしのない格好はしないように気をつけています。
どうして私は「オタサーの姫」になってしまったのでしょうか。
私は、そもそもこの学部を選ぶべきではなかったのでしょうか。
私は本当に「オタサーの姫」なのでしょうか。
そんな気持ちがグルグルと渦巻いて、あんなに好きだった勉強をするのが辛くなっていきました。
「オタサーの姫」という呼称に伴って、ひどい噂も耳にしました。
私があまり女性慣れしていない人たちをたぶらかして、その気にさせて捨てるという話を聞いた時は、
もう怒りよりも呆れと、ただただ悲しいという気持ちしかありませんでした。
私は「オタサーの姫」という言葉をぶつけてくるのが、毎回女性だということにも、妙な引っ掛かりを覚えていました。
本当に仲の良い友人たちにはもちろん言われたことはありません。
毎回、そう呼んでくるのは微妙な距離感の女性たちで、彼女たちは、私を「オタサーの姫」にすることで、
鬱憤を晴らしているのだと気づいて、いつの間にか彼らのことが大嫌いになってしまいました。
自分自身は、取り立ててフェミニストというわけではありませんが、日本の女性たちが、男性社会で心が折れてしまう
サイクルの根底には、この「オタサーの姫」呼びのような、女性による女性蔑視が根深く蔓延っている事実があると思います。
もちろん、その程度で折れる自分のメンタルが弱いということも承知の上ですが、誰だって人の悪意を受けるのは嬉しいことではありません。
私情ですが、来週海外に旅立ちます。向こうでは、今度こそ「オタサーの姫」という風評なしに、集中して勉強したいです。
心ない人たちに「オタサーの姫」と呼ばれたたくさんの女の子たちが、どうか心折れずに夢を追っていけるように願っています。
そして、身近な人を「オタサーの姫」と呼んでいる方、今一度、その言葉が本当に相手を傷つけていないか、少しでいいので考えて
あげてください。もしかしたら、彼女は今笑っていても、すごく、すごくあなたを傷つけてやりたいほど怒っているかもしれません。
東大女子は入れないサークルや東大美女図鑑 ジェンダー論が専門の東大教授はどう見る - 東大新聞オンライン http://www.todaishimbun.org/gender20160805/
に対しての回答が全く想像でしかない。「女子的役割を積極的に引き受けようとする他大女子と、そんなつもりはないという東大女子の間に亀裂」という点に思い至ったのは偉いと思うが(前述のように幻滅したのでウエメセでいくぜ)、サークル勧誘の面からみると、ある大学のメンバーが一定数いることが女子の安心につながるので、複数のサークルに分散しすぎることは、各サークルでの女性の居心地を低下させるとかもあるだろ。言葉レベルのセクハラをする男子学生が研究室にいたときに、もちろん大学の相談機関を使うのも大事だけど、女子会が相談の場として機能するのと同じ理屈な。
もし、東大女子を参加させないサークルが so stupid だというのが問題の本質なら、東大女子を受け入れる2つのサークルはまともなサークルとして東大女子を多数受け入れ so smart な地位を確立するはずだろ。でも、そうはなっていない。そりゃ誕生日研究会とかいうサークルのあんなクソ事件が起こるほど東大生の統計的なレベルが so stupid だし(あれは極端だけど外れ値ではないからな)、2つのサークルだって別にジェンダー的観点からまともってわけじゃないんだよ。
20中2という数字についてだけれど、(1)テニサーが出会い系としてのレッテルを張られている存在であること(2)東大の男女人数比 の2点を考えるとそこまで編ではない。むしろ、どちらもセレクのあるサークルだったと思うけど(2って数字はJOKER含まずTOMATOとスポ愛だよね?)、顔選な部分があるとかの実態も問題だろ、定量しにくいから問題にしにくいだけで。別に女子だけじゃなく男子も顔がある(イケメンいたほうが女子集まるし)。また、これら2つは大きめのサークル。弱小サークルがコート取れないので、Alternative 育たないよね。
こういうこというと、Aが問題だって言ってるんだから、BやCの問題を持ち出す前にAの解決策をって言うのがお決まりなようですが、わざわざ別問題持ち出してきてるのは、本質はジェンダー観が云々とかじゃなくて、リア充提供機能の部分なわけで、その点において大学のサークルにリア充提供機能を求めている学生たちに別の観点であるジェンダー問題持ち込んでるのが元記事だからな。
先進的なジェンダー観を持った人々がリア充になれる仕組みを考えることが、東大生男子の家事情をくさすよりずっと意味があるだろう。
中規模のインカレノーセレクションサークルで東大女子を受け入れて、この問題への対処を謳ってみたら(絶対社会運動感出すなよ、ダセーから)トマトやスポ愛から新歓奪えるのではないか。結果、女子比率が高くなればサークルの活性化にもつながる。ノーセレクでリア充ブランディング維持するのはノウハウいるから、もとからノーセレクで中規模。
東大生女子はなんとなくリア充をめざしてテニサーだけを選ばないで欲しい。これは就活でも婚活でも言えることだけど、初めのお試し期間のうちにいろいろ試して絞っていくこと。そもそも女子の比率が低すぎる問題はあるので、テニサーに限らず居心地の良いサークルは少ないだろう。POLAのCMでも見て奮起するしかない。あと、サークル以外にも、アルバイトとか、NPO参加とか、ビジコンとか、インターンとか、キラキラした出会いの機会は存在する。主体的な女性で、特にそれまでテニス部だったとかじゃなければ、テニサーを積極的に選ぶ理由は少ない。ジェンダー系の記事を見て「そうだそうだ」と思えるならば、なんとなく流されるのはやめて、ちゃんと選びましょう。
相当顔がいいなり、悪知恵が働くなりすりゃ別かもしれないけど。
胸の高さまでしかない壁で仕切られた1畳半の空間。ここでは踊れない。
「9番さん、十分前です」競り師のような言い回しが耳に入る。
箱に詰められたマグロが並ぶ魚市場にいる。視界に映るのは壁に囲まれた天井だけで、ふと自分がマグロなのだと気づく。
「初めまして。」化繊のブラウスとチェックのスカートを履いた女の子が立っている。
僕はピンサロにいる。
ソープランドに一度だけ行ったことがある。待合室で肩をすぼめた年配者に囲まれていると病院にいるような心持がした。それに比べてピンサロに来る人は様々だ。いかつい革ジャンに片耳ピアスのお兄さん。隙のない髪形をしたサラリーマン。もちろん影の薄いおじさんも。彼らが隣の箱の中で下半身だけ服を脱いで体育座りをしていると思うと、そしてドアを一枚隔てれば代わり映えの無い日常が続いていると思うと、愉快な気持ちになる。
初めてピンサロに行ったとき、僕は18だった。俯きながら初めて来たことを伝えると、じゃあまずキスしてみよっか、と2つ年上の女の子は応じた。まだ靴紐を上手く結べなかった6つの僕の代わりに結んでくれた6つ年上の女の子を思い浮かべながらキスをした。
吉祥寺のピンサロで会った女の子はキスがとても上手だった。ベルトを緩めることなく30分が過ぎ去った。また会いたいと囁いても応えは無かったが、最後に手渡してくれた営業用の名刺には彼女のアドレスが記されていた。
ちょうど1週間後の新宿駅東口で彼女と再会した。ルックスはただ凡庸でどこか垢抜けなかった。それでも気合の入ったメイクと一番のお気に入りだろう花柄のワンピースに身を包んだ彼女はとても綺麗だった。
駅に近くて夜景の見れる、そして料理は酷い、個室居酒屋で食事をした。
彼女は栃木から出てきた、都内の女子大の2年生だった。慶応とのインカレサークルに所属していて、慶応生の彼氏がいた。家族仲も良く友達が少ないわけでもない普通すぎる女の子、この子があのミラーボールの下で男のペニスを咥えていること、それが僕には信じられなかった。
自己紹介代わりのありきたりな会話が終わって数秒の沈黙が生まれた。
大学ではみんなお互いを値踏みし合っていて、あそこで本当の友達を作ることなんてできないの。彼女は言った。お店で働く女の子の方が私は好き。
僕は何を言ったらいいかわからなくて、絹豆腐を掬うときのように、多分そんなふうにして言葉を返した。
あなたは面白い話をしてくれるわけではないけれど優しい目で聞いてくれるから好きよ。彼女はそんなことを言ってくれた。それからキスをした。横目で新宿の夜景を見ながら、ここには何でもあるけど何もないのだなと思った。
それから歌舞伎町のレンタルルームでセックスをして、そして別れた。
長期休みにはアジアに行った。パスポートと航空券とお金と数日分の服と石鹸、それと地球の歩き方だけバックパックに詰めて。いつも入国したその日に3ドル以下でサンダルを買い求めた。
初めの頃はむこうで何を見るか前もって決めていた。そして地球の歩き方のページの角を折った。
ガイドブックに載っている名所を見て、食べ物を食べた。それがオリエンテーリングでしかないと気づいてからは日本を離れるまではガイドブックを開かないようにした。道に迷ったら拙い英語で尋ねて、宿で会う日本人に勧められた場所を訪ねた。
どこに行っても異邦人であるということが楽しかった。誰も自分を助けてくれない場所で、自分の直感だけで行き先を決めること。自由だと思った。その全能感も回数を経るうちに、旅行者に与えられた選択肢の中から選び取っているだけだとわかり、失われた。
つまり、僕の財布の中では福沢さんが微笑んでいて、何でも買うことができた。ただし、コンビニでしか買い物をしていなかった、ということだ。
それでもアジアに行き続けた。
コルカタで、俺の車に乗れと馴れ馴れしく触ってくるタクシー運転手の汗ばんだ手。
雨に降られて入ったルアンパバーンのカフェで、まとわりつく湿った服と少し粉っぽいコーヒー。
ホーチミンの信号の無い横断歩道で、自分の周りを通り過ぎていく原付の騒音と顔にかかる排気ガス。
ただ、それだけのために。
そこでしか得られなかった何かがあった。
肌に触れる感覚があった。
増田で学校ネタをこんな朝早くからはじめるとは相当の手練だな…。
自分は首都圏私文→ベンチャー→歩成で上場企業 企画職、国際営業職だが 多分皆それぞれの経歴で色々釣られていると分かっていてもコメントしてくるかもしれんけど、自分の居た所では国公立の方が概して真面目、優秀な人が多かったし就職も強い(もちろん業種、職種、学科など全てに相対的なので答えは一つではない)傾向があったので勉強できるのであり、教師が見る素質があるのであれば、それを分かっていて、我々も税金払っているのだから、国公立の大学で安く賢く勉強してもらって、人生の選択肢増やしたほうがいいとは思うけど。勉強して選択肢が増えることはあっても減ることは無いし、同い年ぐらいの子が就職して金やもて得る経験なんて、あっという間に追い越しちゃうので気にならんよ。
後、モテるかどうか関しては、仮に首都圏でモテるのはどっちにしろ大学デビューじゃ無理だと思う。自分はインカレをしていたけど小学校から系列校にいる子たちが別格で金持ち、且つモテまくる感じで地方出身者はそれなりに努力したり、仮に地元であってもそういう属性に居ない子たちは普通で特にモテたりとかはなかったよ。
綾香とつきあっていたのはいつのことか、と思い返してみると、もう20年も前だった。普通の奴なら大学を出て就職し、結婚して子供が生まれ、何なら出世街道を歩み始めていてもおかしくない時間が経っていることに愕然とする。俺はと言えば、綾香と別れた時点、つまり大学を中退した時点からこっち、何も変わっていないのだ。
綾香は高飛車な女だった。無理やり参加させられたインカレサークルの新歓コンパで、女王様のように君臨していたのが綾香だった。細い眉毛にシャギーの入った茶髪。ミニスカートにブーツ。田舎から出てきた俺には、テレビの中のタレントがそのまま飛び出したかのように思えた。とても手が届かない女性だと遠巻きに見ていたが、何が気に入ったのか、綾香は俺をからかうようになった。慶應のボンボンとつきあっていたんだか広告代理店のおっさんと不倫していたんだか知らないが、こっちが一生懸命に選んだ店やプレゼントをけらけら笑いながらけなし、そして最後には「何も知らない、可愛いボーヤ」と頭を撫でるのだった。
青山、恵比寿、銀座。俺は綾香とつきあう中で、様々なことを学んでいった。金はいくらあっても足りず、講義にはほとんど出ないでバイトに駆けずりまわった。世の中では暗いムードが漂っていたが、そんなことは俺たちに関係なかった。綾香は同じゼミの男子学生に書いてもらった論文で単位を取り、おっさんのコネで不景気をものともせず就職していった。俺は綾香に置いて行かれたくなくて必死だった。
綾香の三軒茶屋のマンションで、一度だけ夢を語ったことがある。世界に通用するノンフィクション作家になりたい。文学部を選んだのだってそれが理由だ。きっと笑われるだろう、むしろ笑ってほしいと思って目を上げると、そこにはいつになく真面目な顔をした綾香がいた。それ以来、少しずつ綾香は俺から距離を取るようになっていった。俺は何が原因かわからず、綾香と離れたくなくて、デートに誘い続けた。
「昔のあたしを見てるみたいで嫌になる」――それが別れの言葉だった。俺は綾香との思い出から逃げるように大学を中退した。バイト先の一つであった小さな出版社に拾ってもらい、無記名や偽名でインチキな記事を書くようになった。やがてインターネットの大波に飲み込まれてそこも潰れたが、相変わらずインチキな記事を書くことで生計を立てている。
俺の書く女性はいつも綾香がモデルだ。高飛車で、美味しいものと綺麗なものが好きで、物を知らない男を小馬鹿にしている。編集には「また『アヤ』かよ」といつも笑われているが、20年経っても、きっとこの先も、俺が書けるのは綾香だけだ。この前ふとFacebookで綾香の名前を検索してみた。プロフィール写真では、年相応に落ち着いた綾香が、二人の子供とおそろいのボーダーシャツを着て笑っていた。俺にはユニクロにしか見えないが、きっとあれも名前のあるブランドなのだろう。
的な。