という感覚があった、というか今でもある。
オタメゴカシを抜きに言えば、大学というのは就職のために入る場所だ。
つまり、就活ウケしなければどこに入っても意味が無く、だからこそ就職率の良い大学だとか、難関大なんかをこぞって受けるわけだ。
そりゃあ各々の適性に合った場所に入るのが一番だろうが、大抵は偏差値とか景気を見ながら「これなら就活で困らないかもしれない」とか考えて大学や学部を選ぶ。
そんな調子で選んだ本命大学にも落ち、浪人の末、そんな調子で選んだ滑り止め大学に入った。そこで強い学歴コンプレックスを抱えた俺は4年くらい鬱屈していた。
バイトはやらず、サークルは就活ウケしそうな電子工作関連のサークルに入った。(ろくに活動はしなかった。どうせ面接じゃ嘘八百が通ると分かっていたため。事実、就活では通っていた。)
講義でオートマトンだとか増幅回路なんかをやっている中で、俺は「結局就活じゃ大学名しか見られないのに、今更何しても無駄、評価されない。終わりだもう…」という思いで一杯だった。
TOEICを頑張っている連中を見ては、「いい会社に入ろうとでも思っているのか。どうせ就活じゃ難関卒が優良企業の内定ガッポリ攫っていって、俺たちにはクズみたいな求人しか残らないんだぞ。」と思っていた。
「インカレにでも入ったら」とか言ってくるとしあきを見ては、「インカレなんて難関大の人間と難関大の彼氏が欲しい女と財布役しかいないんだぞ。」(偏見だが…事実だろう)と思っていた。
「向こうで友達は出来た?」と聞いてくる親には「全然。行きたかった大学じゃないし、毎日つまらないよ」と答えていた。
そんなわけで、タイトルのようなことを常々考えていた。4年間。
実際に就活が始まると、英語を頑張っていた奴が速攻で楽天から内定を貰った。(あんな会社に???ナンデ???とか失礼なことを考えていた)
一方で、誰よりも早く就活を始めていた俺は、半期留年の末、誰よりも遅く内定を貰った。
思い返せば…何も思い返すことはなく、本当に無駄な日々を送っていたな、とか、かと言ってこんな大学に入った時点で何をしてもどのみち無駄ではあったな、とか考えていた。
結局就職したのはよく分からない会社でCOBOLを内製する仕事。今どきCOBOLだぞ。笑えるな。
はっきり言ってつまんねー仕事。30年も前のプログラム弄ってる20代なんて日本でも俺くらいのもんだろう。
やりたい事見つかったら即転職してやろうと考えていたが、何も見つからず…給料は少ないもののハラスメントが無い環境だもんで、なかなか辞められずにいる。
求人を見りゃ分かる。「実務経験」が要る。つまるとこ、「勉強しました」だけの奴はいらないってわけだ。
ネットじゃしきりに「日本のリーマンは勉強しない」とか「日本の大学生は勉強しない」なんて煽ってくる。
だが、現実としてどうせ今更なにを勉強してもムダで、結局学歴コネのある奴が全部持っていくわけで…だから誰も勉強なんかしない。
だから人生や仕事が好転しない。だからといって勉強したところで誰にも評価されず、何も変わらないという現実も確かにある。
書いていて本当に徒労感しかない。
俺の人生は一体なんだったんだろうな。
20代で人生を振り返るとか早すぎ。 今までは色々言い訳して何も始まってなかっただけでしょ。 今からでも何だってできるじゃん。
すごいどうでもいいけど 金融系はまだまだCOBOL現役だからCOBOL書いてる20代なんていくらでもいるよね
勉強のために勉強しろ