はてなキーワード: cGとは
https://twitter.com/cakari14/status/1380022439413882880
CGがひどくて全く魅力がないんだが。15年以上前のセカンドライフを思い出す。
JTB、バーチャル空間で日本を体験するプラットフォーム構築、アバター操作で観光や地方特産品のeコマースも | トラベルボイス https://t.co/irMh0chQmh pic.twitter.com/xM48NbaIdI— 係長 (@cakari14) April 8, 2021
このバーチャル空間を作った会社はFIXERという会社らしい。クラウドに強い会社のようだ。
https://www.fixer.co.jp/ja-jp/
何か聞き覚えがあるなと更に調べてみると、品質の低さで話題になったCOCOAのHER-SYS(感染者情報を管理する重要システム)連携についてもFIXERは9333万円という再委託費用で関与していたようだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/87051
そんだけ
内容はともかくこういうの観てもCGではシンゴジラが霞むなあと思ってしまったり
昔の韓国映画のD-Warsというクソ映画も、どうやらCGはPuppetworks Animation Studioという会社に丸投げで、
上がってきたCGの動画を適当に韓国側で編集して完成させたようにしか思えない代物で、
その点でグエムルのWetaなんかと比べ物にならないぐらい無責任な丸投げにしか思えないんだが、
LAの翼竜とアパッチの空中戦とか駐車してる自動車がふっ飛ばされて逃げてる歩行者が下敷きになるような描写とか、
十数年後の今になっても観れるというか、
観客側にゴジラとか、それに伴うトラブルによる恐怖を視聴者に与えてほしかったと自分は思うのだけど、
なんか余りにも大人しい演出にちょっとガッカリしたのが否めなくて、
自分は怪獣に興味がない、ビル街に銀色の巨人が立つというのが大事、
ぶっちゃけ、ウルトラマンや怪獣が登場しなくていい、政治家とか地球防衛隊みたいなのが言い争ってるのが撮りたい、
みたいに言い切っていて、それがシンゴジラには確かに反映されている気がするし、
観に行ってないシンエヴァもそういう意図が隠されてるのかもしれない
要は例えばエヴァンゲリオンという巨人も話に説得力を持たせる道具にすぎないわけで、そこに自分は執着はあまりなくて、
自分が撮りたいのはNERV内の言い争いやシンジの周囲の人間関係であって、
だからこそメカやモンスターのデザイン、劇伴などに執着がある人達とチームでやってるわけで、
でも、監督として自分はそこに特に興味はない、ということなんだろうなあと思ったり
そう言いつつも、特撮技術だの怪獣だのにアンビバレントな愛を感じるというか、うそぶいているようにも思えるのだけど、
自分としてはクローバーフィールドとかミストみたいなゴジラが観たかったかなあと思ってしまったり
でも、それはそれで売れないんだろうなあと思ったり
性的尊厳の話に絞って言うと、そもそも、わいせつ規制の総本山は刑法175条(わいせつ物頒布罪)なわけだよ。さらに、この数十年のわいせつ規制の歴史を紐解けば、二次エロへの弾圧は青少年保護育成条例の制定運動として行われてきた。そして、言うまでもなく、この手の政治運動は保守的な家父長制の価値観と大いに関係がある。
もちろん、一部フェミニストの主張が保守的な内容を含んでいる(弱者男性が自身の尊厳を貶める家父長制の価値観を内面化しているのと同様に、女性の側にもそういう面はある。青少年育成条例も、その担い手は男性の保守政治家だけでなく「子どもの健全な成長を願う母親」であることも多かった)のも確かなので、それは表現の自由の観点から掣肘する必要がある。ただ、基本的には「保守」が弱者男性と女性の尊厳を奪っている共通の敵であるという点を再認識した方がいいと思うんだけどな。
猥褻物頒布罪の廃止?…いや、冗談ではなくて、そういう事にしかならんのではないか(そもそも表現の最大の敵は「保守」なのに近年は忘れられがち)。どういうネタで抜こうと自由。一方で男女平等化は粛々と進める。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700814602038291234/comment/Dryad
別のブクマで「弱者男性の尊厳を抑圧してるのはフェミよりも保守だぞ」と書いた者だが、即座に実例が出てきて微妙な顔をしている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4700810613085061794/comment/Dryad
※いちおう書いておくと、僕は実際の女性が被写体になっている三次エロと二次エロは区別すべきであり、二次エロは表現の自由の範囲内という立場。
※追記: 三次エロが表現の自由に入らないとは言ってないぞ。ただ、被写体になってる女性が真っ当な取引や正常な判断ができない状況で出演させられている状況もままあるわけでな。実際に、日本の児ポ規制が実写のみで漫画、アニメ、CGが入らないのはそういう考え方に基づいている。
※追記2: 今や表現規制の主役はフェミやリベラルである、と言わんばかりのコメントがいっぱい来ているが、具体的にフェミ主体の運動で規制法や条例を成立まで持っていった事例の数を数えて教えて欲しい。お前らの好きなファクトチェックだぞ。ちょっと違う話だが、香川のゲーム規制条例を誰が推進していたか覚えてないんだろうか。
今ググったら超映画批評15点とか書かれててやっぱり笑ってしまうんだけど、
個人的には紀里谷キャシャーンはあんまり嫌いではないんだよなあ
超映画批評の最後の方に書いてあるように、美術的な面では自分も嫌いではない
あんな感じのCGが昔のMYSTとかGADGETみたいな静的レンダリング、
単なる静止画3DCGのアドベンチャーゲームがあって、
当たり前だがハリウッドとは雲泥の差が今でもシンゴジラレベルでもあるわけだけど、
ショボい環境もアドバンテージに変えるように画面に一貫性を持たせているように感じられて、
そこが単調と言えば単調だったり、何やってるかよく分からない、
自分のような素人ながら思うのは、あれを制作、編集するのはかなり苦労されたと思うんだよなあ
そこがデビルマンと圧倒的に違うところでw
紀里谷キャシャーンは糞映画呼ばわりされる定番ではあるのだけど、
個人的には観てても色々と惜しいと思うことばかりで、
それをミッチーみたいな役者が救ってる辺りがもったいないというか何とも言えないというかw
個人的には技術的に遥かに優れてる鋼の錬金術師や進撃の巨人の年末芸能人コスプレ大会より、
紀里谷キャシャーンの方がマシにさえ思えてくるんだけど、
うーん、惜しいんだよなあ、ほんと惜しい…
私は就活に失敗した。
3Dの専門学校に進学し、最初はCGの進路に進もうと思っていた。しかし、現実はそう甘くなかった。
2020年4月7日、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言。
就活を始め2か月の私は大きな影響を受けた。1か月半以上が潰れ、就活をまともに再開できたのは5月中旬の解除直前だった。
再開後も10社、20社、40社とエントリーを進めたが、帰ってくるのはお祈りメールの嵐。
ESも履歴書も何度も書いた。ポートフォリオも仕上げた。面接も何十回もした。適性検査も一生懸命勉強した。
運輸、製造、IT、建築、介護、印刷、事務、教育、営業、物流。
落ち続けていくうちに年も明け、同級生も内定を貰っていく中、自分は学校に行く暇もなくエントリーを出し続けた。
6日連続で面接をした。1日に3回面接をはしごもした。圧迫面接だって何度も受けた。目の前で履歴書を破られたこともあった。
そして3月になり、専門学校を卒業した。結局どこからも内定を頂くことは無く、恥ずかしさのあまり卒業式を欠席した。
卒業式後も就活を続けた。そして何の成果も得られないまま31日を迎えた。
今年の就職率は96.1%だったそうだ。私は3.9%側の人間となってしまった。
今後生きていくためには、「コロナだから」と言い訳することはできない。
これから、私はどうしていけばいいのだろうか。
言葉で説明するのが難しいけど、鏡で自分の真正面の顔を見るとして、
大抵の人間は顔の輪郭、顎と耳の角のラインからそれほど離れずに首筋のラインが下に伸びている
これで何が問題なのかというと、下からのアングルを描いたときに頭に対して首が細すぎてかなり違和感があるのである
違和感を感じないためには絵柄を変えるしかなく、例えばイデオンやダンバインの湖川氏のような絵では破綻しない
アニメ顔の原点は少女漫画にもあると思うのだが、最近でなくても松本零士のような絵でも女性の首は特に細すぎるのである
自由なアングルから描けないということは表現が制限されることに他ならない
最近話題のエヴァであれ何であれ、そのへんをどう記号で誤魔化すかというのも腕の見せ所であろう
エロ漫画でも女性が絶頂したときの記号として、顎しか見えないようなアングルを描き、
逆にいえば、中途半端に顎を上げたアングルを描くのは困難になってしまい、
鼻の穴側の面や、眼球も球体として強調しないとおかしくなる、
そして最初に述べたように首が細すぎるため顎と耳の角のラインとの間のスペースが目立ちすぎて、違和感を隠せない
それはバービーやリカちゃんのような人形でもMMDでも同じで、
首を細くすると正面顔は少女漫画的にも記号として成立し可愛く感じられるのだが、
MMDなどでカメラアングルが下からになると、人体としては奇怪に感じられ違和感があるようになってしまう
といっても、人体をリアルに描けば可愛気がなくなり、これはこれで日本では売れない絵になってしまう
どこまでウソを混ぜるか、その混合の比率みたいなのが問題のように思う
例えば、記号としてありがちなのとして、キャラクターの横顔のときは口が横に移動しているというのがある
こういったウソをどう3DCGで描くかは難しく、結局は人間が口の穴を横に空けることなどで対処していたりする
しかし、こういった記号のためにありえないパースのために人体を捻じ曲げたり、すべてのカットでやるのは面倒である
嘘パースは例えば初代ウルトラマンの変身シーンもそうらしく、パースのキツい人形を最初から作って対処している
この場合はカメラ、レンズの問題であるが、アニメはもっと表現が自由である、
どんな現実にはありえないパースだって面白ければありなのである
しかし、こういったアニメ的表現は著しく効率を落とすものであるとも言えるわけで、
そうなると視聴者には少しつまらなく思われるかもしれないが、手描きやCGにおける立体で破綻しないでありながら、
かつ、どれだけウソを混ぜるか、例えば目の大きさを現実よりどれだけ大きくするべきか、みたいなバランス感覚で、
無駄に金をかけて番組を作成するのは国営放送のコンセプトとして間違ってる
大河なんていらない
教育系も子供が見る時間帯の1日5時間分ぐらい用意して残りは放送大学の講義を延々流しとけ
泣ける曲いい曲は山ほどあれど、笑いながら泣けるならこの曲が一番
作中に出てきた色々な面白エピソードを交えつつ、キャラクタたちの未来を語り、そして最後の最後唐突に挿入されるあの一文はブリックヴィンケルなのかアイツなのかセルフなのかSHIFTERなのかと妄想を掻き立てられるアレを思い出しては打越しゅきしゅきになる
あーこめちょききてえ
もうマジでシナリオ90点、絵80点、BGM70点、黒沢ともよの演技1億満点みたいなゲームなので、最後の最後オーラスに流れる黒沢ともよのお歌で感動しないわけがないんすよ。
いやもうマジでストーリーも良いんだよ、良いんだけど、これは脚本がどうのというよりは、黒沢ともよのパワーに持っていかれるんだよなあ
そりゃ辛い別れのお話なんだからこの曲も悲しくて当然なんだけど
黒沢ともよの演技力というか歌唱力のせいで、悲しいのにどこか「せめて自分は頑張らないと」と現実を前向きにさせるパワーがあるんすよ
好き。
システムが不親切だし、明らかに立ち絵やSEが変なシーンはあるし、ストーリーもとっ散らかってるし
家族の、母親と娘の関係値を強く強く抱えてる曲で、聞くたびに野中藍の娘に生まれ変わりたいなあとしみじみ思う
俺はね、この曲は志倉千代丸が掴んだビッグドリーム、それを魅せる曲だと思ってるんすよお
この曲を聞きながら目を瞑ると見えるんすよ? あのマンションが
なんかずっと心の中に残り続けてて、オムレットたべてえなって……
腐ェミに燃やされた
腐ェミに燃やされた
長年かけて築き上げたフォロワー全部パー
現在復旧中(←これ書いてる時に戻った)
理由がクソ
「ゾーニングして下さい」
しとるわ
センシティブ設定にワンクッションも注意書きもくどいくらい入れてる
二次創作もなし
けど飼ってたペットの写真が何故かバズったせいで目をつけられた
数日前の自分を殺してえ
レイプ系がまずかったんか、男の子にメロメロすぎる非現実的洗脳女子がまずかったのか
「このご時世リスクヘッジは必要やね。でも下着の宣伝で生身の女性モデル使うより見れるかなぁ。あれちょっと生生しくて恥ずかしいのよね。絵のほうが個人的には好きかな」くらいの感想で???????????????
もっとまずい人いるだろうが
凍結してほしくないから書かんけど
「こういう漫画があるから勘違いする男が増える」←わざわざエロ描写ありって描いてワンクッション置いて他サイトのリンク貼ってあるのを読むな
言っておくがバズったツイもその他の日常ツイもめちゃくちゃ普通
これだけは絶対に言える
あ、あの時擁護してくれた有象無象のエロコンテンツ支持者ありがとう
人の垢で喧嘩すな!!!!!しね!!!!!!!!!!!!!!!
お前らだけは絶対に許さん
ほーん
その垢をじっくり見て他に好きなんを探す
ほーん
別アカ用意してさっそく描く
あえて検索避けせずに外国人のフリをしてキャラ名をがっつり入れてリリース
センシティブ設定は情けでチェックした
いやお前らRTするんかーい
しかも怒らんのかーい
そのあと別の優しい人がわざわざ英語で「検索避けした方が…」って言ってくれた
数年前のできごと
あのときn※g※受けのホモエロ絵描いてたのワタシですよー!!!!!!!!!!!!!!!
実はサークル参加してる時もお伺いしました。差し入れ食べてくれた???????
そこはマジで気をつけろクソ親
てかあんなクソドエロい漫画書いて自分らはキャラ名ガッツリ出してエロ妄想してんのになんで私のことは燃やしたんですかー?
同じ女ですよー。あなたよりきちんとゾーニングしてますよー。守ってくださーい
それ以来自分ルール腐女子アカウントでフェミやゾーニング語るやつがクソ嫌い
女だからと一様に信頼しているのも謎
なんで同じ女でしかも同じエロコンテンツ描いてる人に燃やされないといけなかったんですかね????
あの時燃やされたエロ漫画家でーす
今度BLも描くから普通の腐女子さんは買ってねー!!!!!!!!!!!!
(釣りだよ)
(まぁ私は関係ないんですけど)
今までのアイカツシリーズの中でもぶっちぎりで新要素が多い、アイカツプラネット。
もし、過去のアイカツシリーズが好きで、かつ「実写」「カードじゃない」「バトルしてる」などの事前情報でなんとなくアイカツプラネットを避けている人がいたら、この文を読んで欲しい。
もう1つはアイカツプラネットと呼ばれる仮想空間的な世界。こっちがアニメパート。
アイカツプラネットでは、誰もがアバターと呼ばれるカスタム可能な外見を纏っている(名前も変えられる)。アイドル達もこのシステムを使って、現実とは違う外見でアイカツを楽しんでいる。
ここが今までのアイカツシリーズと1番わかりやすく違う部分だと思う。
なぜ実写パートを追加したのか、内部の事情は視聴者の自分にはわからない。ただ、これはアイカツだ、とストーリーを見ていると自分は感じる。
アイドル初心者の少女が、努力して、壁にぶつかって、悩みながら成長する物語。素敵な先輩に憧れたり、自分の理想のドレスを手に入れるために頑張ったり、アイドル仲間と競うことで高め合ったりもする。見た目が変わっても、中身は今まで自分の見てきたアイカツだと思わせられる。
アバター設定に関しても、今のところいい感じにそれを活かしたストーリーになっている。先代の中の人がいる主人公の舞桜(ハナ)の話はもちろん、現実世界とのギャップが大きい響子先輩(ビート)あたりの話もわかりやすい。ここは本作独自のおもしろさだと思う。
カードではない。正方形でキラキラしてる。ドレシア(後述する)の力を宿したドレスが入っている。全身コーデ済のアイカツカード(フルコーデカード)みたいなもの。
ドレシアによってレアリティや属性が違う。どのスイングを使うかによってステージの評価が変わる。ドレスは大事。
ドレシアはアイドルのドレスを完成させるために力を貸してくれる精霊的な存在。アイカツプラネット内の森に住んでいる。
全てのドレシアは意思を持っていて、簡単には力を貸してくれない個体もいる。それでもドレシアの力が欲しいアイドルは説得をしたり、崖を登って追いかけたり、アイドルとしての自分を見つめ直したりしてドレシアに認めてもらおうとする。
ストーリー内の立ち位置に関しては、ドレシアは歴代アイカツのデザイナーと共通している部分があると思う。あと普通に人間のデザイナーもいる(ドレシアの力が宿る前のドレスを作っている)。
アイカツプラネットの世界では日常的にバトルステージと呼ばれる1vs1の対決が行われる。そしてその勝負の結果によってアイカツランキングの順位が変動する。
今のところバトルステージでは必ず敗者が出ている(引き分け展開がない)が、アイドル達がそれで落ち込む様子はあまり見られない。それどころか相手に拍手を送ったり笑顔で握手したりする。
かといって、勝負に意味がないのかというとそうではない。第6話「パーフェクトの神様」でそこの話をしている。現在トップアイドルのキューピッドは、先代ハナというライバルの存在があったからこそ今トップに立てている、真剣勝負もまたアイカツのうちという話だ。この「ライバルがいるから頑張れる」的な話は全アイカツシリーズを通しての1つの特徴と言ってもいいのではないだろうか。お互いの足を引っ張ったりせず認め合って高め合う、とても健全な考え方だ。その精神はプラネットにも残っていると思う。
あと、たまにバトルしないソロステージ、ユニットステージを披露する回もある。こちらはじっくりステージを見ることができて個人的に好き。
これまで『アイカツプラネット!』を肯定する文章を書いてきたが、視聴者が何をもって「アイカツだ」と感じるかはそれぞれ違うと思う。TV番組が全編アニメであること、特定のキャラクター、脚本、楽曲、画風、CG技術、ドレスデザイン、カード、筐体システム等々。それでも、もしこの文を読んで少しでも興味を持った人がいたら1度本編を見てみてほしい。
ドキュメント見てると庵野監督は「なかなか決めようとしない」「大きなやり直しを何度もやる」
「締め切りギリギリに脚本を上げる」とかとにかく自分も現場も追い込んでいた。
カラーの仕事は監督自身の金みたいなもんだから何をやろうと自由だとは思うが。
結果時間が無くなって、アニメーション(特にCGまわり)があの出来、ということになったんだと思う。
お話も、考えすぎていろんなパターン出した結果、一番最初の話が一番良かったけど今更そんなことできない、みたいな奴では。
俺は世間的には少数派のシンエヴァ低評価組だけど、あの映像見てると監督は死んでもいいといいつつ前向きな姿勢というものが感じられなかった。
いま毎週録画して見ているのは「進撃の巨人」
ファイナルシーズンから制作会社が変わりましたね 作画が原作寄りになり巨人がCGになり……と変更点がありつつも、前作との違いを良い意味で感じさせるクオリティに毎週ワクワクさせてもらってます
ただ、今作になってからどうしても感じるのが、「間の悪さ」です
これ、長年感じつつもどう言語化していいのかいまだによくわかっていないので、わかる人がいたら良い表現の仕方を教えて欲しいなと思って増田に投げました
「テンポの悪さ」は話全体の進行について言及していると思いますので、それとは違います
ただただ「間が悪い」んです
話を進撃に戻しますが、前作までは特に感じなかった「間の悪さ」が今作どうしても引っかかるんです
そのひとつひとつは魚の小骨より小さいもので、いちいち気にする方が神経質なことは間違いないのですが
全体的なストーリーの流れ、各話ごとの話のボリューム、印象的な場面の切り替わり、それらはとても良いんです あの原作の難しさをよくまとめたなと感心しきりです
ただ、細部がどうしても引っかかります。これが自分の中で言語化できないが故に、もやもやが残るんです
映像作品、特にアニメにおける「物語の間」を何というのか、どう表現したら良いのかわかる人がいたら教えてください
この「物語の間」というのは非常に大事なものだと思っていて、「物語の間」がとてもよければそれだけで作品を成立させることができるとすら思っています
その最たる例がギャグアニメで、印象強いのは「ボーボボ」、他に「ギャグマンガ日和」「カブトボーグ」「カッコカワイイ宣言」「日常」「カニファン」あたりですかね
最悪内容がわからなくても、勢いだけではなく「間の良さ」が完璧で笑いを生み出している、それで成立しているんです
「間の良さ」は場面説明を省く記号的な意味でもよく使われると思いますので、男児・女児向けアニメにもよく見られると思います
また、「間の悪さ」でいうと、最近だと「鬼滅の刃」が最悪だと感じました (disりたいわけではありません、アニメは面白く見させてもらいました)
全てではありませんが、ぼんやり覚えているものをまとめておきます
早稲田大学の庵野氏のインタビューでゲームの開発費高騰に関する指摘があったけど、
2000年時点で見抜いていたのは流石というか、
ただ、庵野氏はコンピュータ業界の知識に疎いというか、そりゃ門外漢なんだから当たり前だろ、というのも見え隠れして、
御大宮崎駿ほどではないにしても、意外とコンピュータに否定的なんだなあ、と思ったり…
2000年だからPS2とか書かれてるけど、まだまだ技術的には先があるというか、寧ろまだまだフロンティアだった時代だと思う
庵野氏はPS2の性能が高すぎて最大限に活かせるゲームが登場しない云々みたいに思われてたみたいだけど、
あと、こういうことを感じるのは老害判定にも含まれると思うんだけど、
いずれにせよ、PS2でゲーム開発がしづらかったのはソニーがまともな開発環境を提供しなかったからだと思ってる
PS2の性能がスゴいみたいな宣伝は実際はかなりハッタリだったと思う
デモで溶鉱炉の火花みたいなのとか、アヒルちゃんが一杯の風呂で物理シミュによる衝突判定とフレネル反射を実演してたと思うけど、
実際はああいうものが比較的楽にできるような環境ではなく、あのデモだけでいっぱいいっぱいだったとさえ思う
なんかあの時期のソニーはPS1が成功したからなのか、独自ハード開発に一辺倒だったように思う
で、独自ハードは開発するけど、ゲーム開発者とか使う側のツールは疎かになっていった
時期的にもIntelのような世界一より技術的に先行しようという狙いが強すぎて、それはそれで成果や功績になっただろうけど、
久夛良木氏が描いたCellで変わるライフスタイルみたいな図は今見ても噴飯もので、
優れたCPUやGPUが人間の生活を豊かにする、みたいに言われても、は?という感しかないんだけど、
今になっても思うけど、あれは後付けの理由であって、
本音はソニーがCPU開発で世界のトップに先んじて成果を出したかっただけなんだろうと思ったり
ゲームの技術的にはこれからはリアルタイムレイトレーシングとかなんだろうけど、
まあ、ゲームの開発費が高騰してる割に回収はショボくて、大規模ゲーム開発って高リスクでしかないというのはそのとおり
コナミが小島組をリストラするのもさもありなんで、基本負け戦というのがつらすぎる
庵野氏が日本映画もとっくに駄目というのも正しくて、まあ、何をもって駄目と定義するかによるわけだけど、
ハリウッドとまともに勝負しようというのは駄目で、少ない予算で国内の客だけを相手にしてペイするのが理想なぐらいになってる
日本の映画がアメリカでショックを与えるほどだった時期もあったとは思う
確認しないで書くけど、モノクロの初代ゴジラはアメリカでもセンセーショナルだったと思う
アメリカでは当時は巨大な恐竜とかレイ・ハリーハウゼンのストップモーションモデルアニメが常識だったわけだけど、
日本のゴジラは着ぐるみであるためスムーズに動き、着ぐるみであるものの背景となるミニチュアや特撮技術がリアルさを補強した
ゴジラが吐く放射能火炎で水飴で作られた送電線が発光して溶けるなど、今見ても面白い
日本はアメリカのように金はなかったが、貧乏人が逆転の発想と創意工夫で勝ってしまった感がある
もちろん、日本が特撮で優位になったのは長続きはせず、段々と特撮自体が幼稚というか注目されなくなっていき、
それがスター・ウォーズのようなモーションコントロールカメラとか、
ジュラシック・パークのようなCG技術で圧倒的にアメリカに追い抜かれて、今に至るといった感じがある
思いつくままにだらだら書いたが、あのインタビューで庵野氏がちゃんと逆算しているのは流石だなあと思った
そういえば、「負債」というものを経営者は肯定的に、技術者は否定的に考えがちという話もどこかで読んだけどそのとおりで、
簿記にあるように「負債」があるのは寧ろ経営として健全というか、そもそも借金ゼロが成立する業態はITぐらいで、
そもそも、銀行から金が借りられるというのは、それだけ信用されている、
これまで経営が安定している、成長しているというのを示せる会社だからこそ借金ができるわけで、
町工場とかで借金ゼロ経営なんてありえない、旋盤やフライス盤を現金で一括で買うのは馬鹿げてると思うし、農業のトラクターとかもそう
庵野氏が自分と同じ技量がある人は下に当然いる前提で考えてるし、
その下の人たちも庵野氏と同じように演出とか監督寄りのコースを考えないと、一生現役で原画コースとかになるわけだけど、
御大宮崎駿は監督というか、演出、絵コンテ、レイアウト、原画、動画、全部現役でこなしてる化け物なので、
彼のような人生モデルを参考にしたら若くして過労死で死ぬわけで、
やっぱり庵野氏は生き方がうまい、貞本氏は生き方が下手というのは言い得て妙なのかもしれない
でも、インタビューに答えてた時期の心境にもよるのだろうけど、
もう駄目だよね、と言いつつもCGでエヴァをリビルドすることに戻ってきたわけで、
まあ、誰だって神様ではないので、先のことは分からない、正しい予言ができるわけではないわけだけど、
まあ、否定的な予想というのは、現在ある手駒だけを見て考えてるからであって、
そこに僅かな希望を抱きながら生きていくというのもありなのだよなあと思ったり
つまり、生きてりゃそのうち良いことあるよ、と意味としては変わらんというか同じなんだけど、
もしかしたら庵野氏の予想を外れて、日本映画なり、大作ゲームの開発費高騰なりだって、
近い未来か、遠い未来か、ビジネスというゲームのルールを変える何かが現れるかもしれないわけで、
まあ、低い確率だろうけど、
週末の予定が全てキャンセルになったので時間つぶしにエヴァを見た。
(断られた人数は10人までは数えたが、その後はよく覚えていない)
映画は序、破、Qとも見ているはずだが、その頃は仕事が猛烈に忙しく、記憶があまりない。
長時間のサービス残業とパワハラで心を病んで、心療内科に通って薬を飲みながら働いていた。
唯一の友人はA山学院を出たが、コンビニで働き30連勤の末過労で亡くなった。
そのころ「残酷なニートのテーゼ」をエンドレスでリピートしていたことは何となく覚えている。
久しぶりのエヴァは正直つまらなかった。CGは安っぽいし、物語は全然わからないし。
第三村で鬱になっているシンジと農作業をするそっくりさんだけが唯一共感できた気がするが、
先週シンエヴァを観た
・旧劇場版2作、新劇場版序破Qは観たがそれぞれ1回ずつしか観てないので細かい設定は覚えてない
【雑感】
・まずは「無事に終わってよかったなぁ」という感慨が何よりも先にあって、シンジ君が成長して声変わりするとかマリとくっつくとかに関しては「そうなんだー」って感じで特に異論はない。無事に終われない可能性だっていくらでもあったんだしそれに比べればなんぼか
・子どもがレイに渡した絵本が『オチビサン』ってそういうとこだぞ庵野お前ホントそういうとこだぞ
・バンダイはワンダースワンとGUNPEYのセットを販売してください(アスカカラーの赤で)
・人間ドラマ苦手なのに無理をするから長台詞になりがちなのはしょうがない
・QのCG(特にヴンダーまわり)がわりとしょっぱいなー、でも時間なかったっていうからしょうがないかなーと思ってたけど9年後のシンエヴァもCGわりとしょっぱかったので時間のせいじゃなかったのかなーって
・後半はまぁ書き割りってことでわざとちゃちい感じの戦闘シーンにしてるのかとも思ったけどどうなんだろうね
・ていうか終盤ほぼギャグだよね、ドクロの顔のエヴァとか首なし白素体がゾロゾロ歩くとことか笑うとこだろ
・ミサトさんは死んだ旦那の名前そのまま息子につけたりしないやいって思っちゃう
とはいえミサトさんがシンジくんを庇って撃たれたら自動的に涙が出るし最終的には「無事に終わってよかった」「おめでとう」「おめでとう」「ありがとう」という感じではあった
なんだかんだで楽しめたので25年分の供養にはなったと思う
人々が好感度や人気のによって態度を変えるのはその通りだろう。
ただしこの件に関して冷笑的な、というより嘲笑的で侮蔑的な態度をとる人々に対する「ご説明」がそれで十分とは思わない。
長くなるのでまず結論から述べると、「サイゲームス社(以下、CG社)は『ウマ娘』の二次創作に対して制限をかける正当な権利を持っている」という当たり前の話である。
本質的に重要なのは、民主的に正当な手続きをへて定められた法とそれに基づいて司法が積み重ねた判例であり、それらに裏打ちされた権利を有する者のみが他者の権利を制限しうるという法治主義の精神である。この文章ではその観点から「ウマ娘」の性的描写を含む二次創作の禁止について整理する。
1. 馬主や競走馬生産牧場等、「もとネタ」としての馬の所有者
彼らはこの件に関して(現行法下においては)直接行使しうる権利を持たないと私は認識している。過去に、競馬をテーマとしたゲーム作品について馬主らがゲーム会社を相手取り、損賠賠償と販売や流通の差し止めを求めて訴訟を提起したギャロップレーサー事件(くわえてダービースタリオン事件)の最高裁判決において競走馬の名前に対するパブリシティ権は否定されている。
2. CG社
結論でも述べた通り、彼らは『ウマ娘』に関する各種知財の権利者であり、そのパロディ作品の公表や流通にたいして制限を課す正当な法的権利がある。
一方で、「ウマ娘における性的表現の禁止は馬主らの意向である」との見解もしばしば耳にする。過去の訴訟等の事例に照らせばその可能性は大いにあるのだろう。ただしこれは馬主らが『ウマ娘』に対して何らかの法的な権利を有していることを意味しない。これは先述した「ギャロップレーサー事件」の最高裁判決も以下の通り指摘するところだ。
競走馬の名称等の使用料の支払を内容とする契約が締結された実例があるとしても,それらの契約締結は,紛争をあらかじめ回避して円滑に事業を遂行するためなど,様々な目的で行われることがあり得るのであり,上記のような契約締結の実例があることを理由として,競走馬の所有者が競走馬の名称等が有する経済的価値を独占的に利用することができることを承認する社会的慣習又は慣習法が存在するとまでいうことはできない
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/332/052332_hanrei.pdf
つまりCG社が馬主らと良好な関係を築くことを目的として、自社コンテンツの翻案権や同一性保持権を行使した、と解釈できる。これは何ら不自然な事でも不当な行為でもない。
正当な権利の行使と、こともあろうに弁護士資格を有する人物が何の法的根拠もないのに触法行為であるかのように言い募ってSNS上で扇動し、ポスター引きはがそうとした行為を混同してはならない。現行法に不足や不備があると信じるならば正当な手続きでもってそれを改正することを目指すべきだろう。
おそらく彼らは他者の、というより敵とみなした集団の一貫性の欠如を指摘したかったのだろうと思う。