はてなキーワード: 鬱屈とは
いじめられっ子に報復したり、社会的地位や職業、あと技術で見返したりなんて話はネットでよく見るし、創作の題材にもされる
有名人や芸能人にも元いじめられっ子がいて、あのときの悔しさをバネにここまでのし上がれた!って言ってるけども
それは本当に極一部の話か、あるいは運が良かっただけで、実際にはみんな泣き寝入りか底辺人生真っ逆さまだ
考えても見ろ、新庄市や大津市のいじめ事件はどうなった?有耶無耶だろ?いじめた側を学校が守り、いじめられた側は人権を奪いつくされた
多少のネットリンチで「禊は済んだ」といじめた側は今日も人生を謳歌し、そのうちいずれそこそこイイトコで働き、それなりにタイプな異性とつながってガキをこさえるのだろう
一方でほとんどのいじめられっ子は死ぬか、死なずともすっかり人生を悲観しこどおじこどおばニートと化したり、不登校といじめで勉強出来なかったりしたせいで良いところにも行けずに、鬱屈した人生を終えることになる
何か根底が歪みきってはっちゃけてしまい、奇行を「エンターテインメント」として披露する危ないヤツになる例だってある
現実はそうなんだ、強いやつは社会でもうまくいき、過去の罪なんて「無かったこと」になる
だから、そいつに報復してみろ、そもそもそいつは何も覚えちゃいねえ、「昔の事」だからな
もちろんすべてが成功するとは限らないけれど、自分や周囲ではこういうことをして脱出したり状況が変わったって話を聞くよ。
「証拠集めて警察に」みたいなのは残念ながら自分の周囲にはいなかったかな。証拠集めしてる、みたいな話は聞いたことはあるけど、結局警察に提出する前に退職するか、そもそもそこまでしなきゃならんようなタイプの上司は勝手に自爆するケースも多い。
会議に呼ばないとかそういう増田が受けているようなタイプのパワハラに嫌気がさして相談窓口にメールを送ったら即座に調査チームが立ち上げられて、パワハラした上司が左遷された。
ただ、これは外資系勤務の友人のケースなので、日本企業では少ないかもしれん(少なくとも俺がいるようなド零細ではありえない気がする)。
なんだかんだコロナ禍の中でも求人活動はしているところがあって、そういうところってITに力を入れてるところが多いので、IT志す人にとっては逆に就職しやすい、みたいな環境だってのは聞いたことがある。
ただ、「パワハラ辛いんで転職します」みたいな、前の会社のネガティブ情報を転職活動で語っても良いことはないので、そうするとそれっぽい理由をでっちあげなきゃいけないので、精神状態が不安定な時に転職を考えるならちゃんとこの辺相談できる人を頼らないと辛いと思う。
なんだかんだパワハラって周囲の同僚がフォローするしかないわけじゃん。
例えば仕事に必要な指示をしない等のタイプだったら、代わりに情報を伝える人か、ソイツの仕事を代わりにこなすヤツが必要。
大声出すようなタイプのパワハラだって純粋に職場環境によって最悪だし。
そういうところから、実際にパワハラのターゲットになってない同僚も迷惑を被っているので、「こういう業務上の弊害があるので何とかしてほしい」ってのを同僚たちが相談窓口にメールを送ることで解決したケースもあった。
某中小企業では、専務だかなんだかの身内として縁故採用した人がパワハラしてたケースがある。
この場合、相談しても「専務の身内だから」って理由で取り合ってもらえないことも多くて、なかなか解決しない。
ところがある日、その上司の不倫が発覚して、専務から「もう守れないから」って言われてクビになったって言う事件があった。
ほかにも警察沙汰になるケースとかあるね、ニュースでたまに40代/50代のオッサンが痴漢等のわいせつ行為を働こうとして逮捕、みたいなニュースやってたりするあれ。
社内のパワハラを無視するような会社って、会社の外側で起きた問題には無駄に迅速に対応することが多い。
某中小企業ではある日中途で入ってきた部長がめちゃくちゃパワハラして、当該部署だけ離職率が他に比べて倍近いという時期があった。
ただ、そいつが部長になってからは年々売上が上がっていたため、会社としては見過ごされていたこともあって、部内には結構鬱屈した空気が漂ってた。
そんなころ、なんかの流れでうちの部署専属の営業として色々頑張ってた営業課のAさん(女性)をうちの部署の忘年会に呼ぼうって話になったんだけど、その忘年会で部長がぐでぐでに酔っぱらって、ここに書くのも憚られるようなセクハラを大声でそのAさんにやってAさんが泣き出してしまった。
自分のことで恥ずかしいことだが、朝から考えることがあったのでつらつら書いてみる。
先に結論言うと、ゲームより大人の理屈のほうが子どもに有害なんじゃないか。というお話です。
気になってリビングに行ってみると、妻が学校の先生に授業中寝るわ先生の話を聞かないわで困り果てていると言われたらしい。
それは今に始まったことではなく、もう、何年も前からなので、正直またなんか気持ちが落ち着かなくてやっちゃったかと思った(あとで書くけど、私はその理由は私と妻にあると思っている)
そのときに、フォートナイトを家で長時間していることが挙げられてフォートナイトは有害だとか中毒性があるとか、学校でもやっている子どもは少数だとか。しまいにはフォートナイトをやめさせろとか、今どきの学校教育ではありえない結論を校長先生や担任が言ったとのこと。
学校再開するまで子どもは自宅待機、大人はリモートワークでデスクから離れられず、暇を持て余してちょっかいを出してくる子どもに大人の都合でSwitchをずーっとやらせてたツケじゃないか。
当初、息子がフォートナイトをしたいといった時、基本TPSの撃ち合いゲームなので教育上どうなんだろうかとか血が出る描写とかどうなのかとか、オンラインで良からぬ人とつながって犯罪に巻き込まれないかとか、不安な点はいろいろあった。
なので私はYouTuberの実況を見たりパソコンにインストールしてプレイして試しにやってみた。
すると、これが良くできてるんですよ。
CoDとかのリアルな描写は省略されて、殴るアクションも省かれて、キャラクターはコミカル。
自分の位置とパーティーの位置を確認しながらビクロイを目指す明るいTPS。ただ心配なチャット機能だけは使わないようにすれば良いし、こりゃ子どもも楽しいよね。
マインクラフトとスプラトゥーンが良くてフォートナイトが駄目な理屈が説明がつかないので、プレゼントすることにした。
やり始めて3ヶ月たった頃、息子がYouTubeでプレイ動画を公開したいと言ってくる。
よし、やろうということで、ヘッドセットをつけてプレイする様子は楽しそうで、まぁよくしゃべりながらやるねー。と微笑ましく見ていた。私も熱くなってあーだこーだと下手なのに指示して「うるさいあっち行って」と言われる始末。
普段、帰りが遅く、また夫婦仲も最悪な家庭の中で息子からすると、普段の鬱屈した気分を紛らわせるユートピアになってるんだなと思った。
そんな中でコロナ襲来。妻からの要請でプレイ時間を増やし(ほぼ無制限)前述の通りゲーム時間が増え、ひたすらゲームに没頭する息子。息子の目の前では昼間っからすごい剣幕で罵り合う夫婦。
息子がゲームばかりしているのを怒鳴り散らす妻。
ユートピアというよりもディストピアな感じでこりゃまずいぞ。ってなときに自粛緩和で息子は学校が始まり、私は出社するようになった。
息子とは「すぐに元の時間に戻るのは無理だと思うけど、徐々に元の時間に戻そう」と言う約束をし、1週間ごとに1時間ずつ減らしている。
私は小4のときに与えられたMSXで、くさるほどイーアルカンフーやハイドライドやブラックオニキスをしていた。父も母も厳格な学校教員だったのでゲームをやるルールは決められていて、そのルールを破ったらカンカンに怒られたもんだが、パソコンゲームをすることを頭ごなしに否定しなかったし、ただただ見守っていた。おかげさまで大人になってパソコンを使うことが苦にならず、適当にやってたBASICプログラミングも何か役に立っている気がする。
私もだけど、大人になると、子どもの文化や行動が理解できなくなるときがある。
私も聖人ではないので、目についただめな行動をつい大声で怒鳴ったりすることもある。
でも、活き活きと目を光らせてゲームをしたり、ときには悔しそうにリモコンを投げつけようとしたり、戦果を自慢する息子が、ゲームの達成感や敗北感の中で自分の感情をコントロール出来るように、まずは自分が息子の目線で理解したいと思っている。
最後に。。
望まぬ形での二次創作や、商業的利益の関係上あまり強く声を上げられないことによる鬱屈、無遠慮な言動による苛立ちに関してはお察しします。
私自身はどちらかと言えば古い人間ですので最近の二次創作関連の流れは少しオープンすぎやしないかと思うこともあります。
ですが、二次創作、その中でもBLコンテンツを中心に消費する人間全てが「原作を嗜んだ後に当然のように何かしらのCPに所属する」というような事実はありません。
少なくとも腐女子に属するであろう私は、今まで触れてきた作品の中に異性CPや公式で恋愛関係にあるCPにしか興味を抱かなかった作品が両手では数え切れないほどありますし、恋愛的な妄想そのものをしなかった作品も少なくありません。
単純にあなたの知人や観測範囲にいた方々が個人単位で少々無遠慮であったということかと存じます。
人気のある作品であればあるほど、知人が多ければ多いほど、母体が多ければ多いほど問題行動をする方の数も増えますし、属性に関わらず閉じたグループは次第に先鋭化してしまう人間心理もあります。
そこをまとめて「同人女」とするのは少し主語が大きいのではないかと感じますし、個人的には同人女という言葉そのものにあまり良いものを感じません。
ただの愚痴であると言われてしまえばそれまでではありますが、「同人女」に呼びかけるかのような形で書き込まれていたので、現状を少しでも変えたい、相手に呼びかけたいと思われているのではと読み取りました。
私の受け取り方がもし正しかったとすれば、現在の文章では余計な反発を招きかねませんし、せっかくの正論も埋もれてしまいます。
もう少し主語の範囲を狭め、文章から見える嫌悪感を抑えた方が伝えたい相手に声が届きやすくなるのではと愚考します。
また、このような話は釈迦に説法であるとわかった上であえてひとつ付け加えさせて頂けるのであれば、二次創作に関しては作者や権利元によって歓迎しているところも、あまり歓迎していないところも、公式見解が一切ないため外から判断ができないところも様々で画一的な判断が不可能であるのが状況です。
そのため「同人女」が周囲にもう少し大人しくした方がいいのではと声をかけても作者は(公式は)何も言っていないと言われてしまえばそれ以上は第三者からは何も言えないのが現状ですし、それ以上のことはしてはいけないと思っています。
その結果として権利元が黙認することができなくなり公式に禁止などされたとしたら、それはそれで権利元の判断なのだから仕方ないと諦めますが、耐えきれなくなる前にガイドラインなどを提示された方がご自身の負担が軽くなる可能性もありますので、もしも万一最初から諦めて相談などもされていないような場合には一度周囲の方と何かしらのアナウンスなどはできないかお話しされてみてはどうかと存じます。
個人としては好きな作品に関しては極力露出を抑えつつ、公式からのアナウンスがあればそれに則り、金稼ぎが目的にならないようなファン活動ができればいいなと思う次第です。
初めに、僕は同性愛者ではありません
同性愛者ではありませんが、以前精神的BLのTS作品で主人公の同性愛蔑視と思われるモノローグに非常に強いショックを受けた事があります
作品名は伏せますが 『……元男なのに野郎を好きになるとか、オレも頭がおかしいな。それでも、もっともっと一緒にいたかった。』(原文ママ) という物でした
恐らくこの作品を書かれたのは女性であると僕は思っていますし、内容も「女性になってしまった元男性の主人公がその事実を隠したまま一人の男性と恋に落ちる」という精神的BL作品の変種?みたいな感じでした
僕はBLやGL作品で「俺は男なのに(私は女なのに)同性を好きになるなんて変だよね…」という台詞が人気があって使われる事がある、という話を聞いた事があります
なので『精神的には同性という障害を乗り越えてそれでも愛しあう二人』という二人を描くために自分の事をヘテロセクシャルだと認識している男性にこういう台詞を言わせる事が必要だったのかもしれないとは思います
ですが、差別的な意図は恐らく全くないそのお約束的な台詞を、女性の作者がBLを描くために男性主人公に言わせてしまった事に上手く言語化出来ないのですが…何て言うのか、とてもモヤモヤした物があります
言うなれば身長などの身体的なコンプレックスを持っているキャラクターにその事を気にしている台詞を言わせるような物で、それが一種の「萌え」みたいな物である事は分かるのですが…
やっぱりBLを嗜む人も『同性愛は異常な事であり同性愛者は異常者である』という認識の下でBLを愛好しているのでしょうか?どうなんでしょうね…僕はBLを嗜まないので未だに良く分からないままです…
そう思ってしまうのは増田が同性愛者だからである、と安直に決めつけて見ると、なんか鬱屈感がスッキリする。決めつけは楽しい。やめよう決めつけ
というブコメをいただきました。まあ本当に同性愛者なら同性愛嫌悪的な描写にショックを受けても仕方ない…という気がします。
僕も「BLを嗜む人は同性愛を異常に思った上で愛好しているのではないか?」とある作品を読んで疑問に思い、ここで吐き出した結果不快に思った人は居るかもしれません。申し訳ありません。
僕は女性が好きだと自分で認識しているので、やっぱり誰かに決め付けられると鬱屈感はありますね。よし!やめよう決めつけ
【追記】
少しBLとホモフォビアに関してBLを愛好している人達がどう思っているのか調べてみたんですが
「俺はホモなんかじゃない!」はホモフォビアかもしれないな…これはいけない、段々減らして行こう。と思った人達が大勢居ていつの頃からか徐々に減っていったみたいです。これはとても凄い事だと思います。
中にはBLへの批判=ホモフォビアという理論でBLを批判する事は同性愛者差別だぞ。という考えを持っている人も居ましたが、僕が見た限りでは少数で多くの人はBLのホモフォビア表現を気にしているようでした。
今回僕が読んでショックを受けた主人公の同性愛蔑視と思われるモノローグがある作品はそういう意味では少しノリが古い作品だったのかもしれませんね。
家族愛に近く微笑ましい関係の二人だが、諸事情で公式からの供給が途絶えて今春で丸3年、X推し界隈は完全に干上がっていた。昨年暮れにデジタル環境を入手して以来人知れずほそぼそと絵の練習をしていた私は、コロナ禍で暇を持て余す4月半ば、急に思い立った。「Xを描いてTwitterにあげよう」。
その時点で、コンスタントにXの創作をしている人は多分ひとりもいなかった。誇張抜きで。どちらか片方を描いている人は割といたものの、Xセットでとなると、半年に一枚更新があればいい程度のものだった。そのぶん気楽に描けたというのもある。
その日のうちに、2時間ほどかけて描いた2ページの漫画を軽い気持ちで投稿した。これは今見ると本当に拙くて恥ずかしい出来のものだが、当時の解釈すべてを込めた。投稿したあとしばらく落ち着かなくて立ったり座ったりしていたのを覚えている。
半日くらい経って初めて通知が来た。RTされていた。思わずホームに飛ぶとものすごく好意的な反応をもらっていて、いやもうめちゃくちゃにびっくりした。
私は3歳の時から毎日10枚ずつくらい絵を描いているが、ずば抜けてうまいというわけではない。才能がないんだと思う。美大に行くのも悩んだけれどやめた。それに重ねて言うが最初の漫画は本当にひどい出来だった。
それを見て、顔も名前も知らない人が「これを求めていた」とまで言ってくれた。なんなんだこれはと思った。
軽くXの話をするけれど、Xはかなり可愛い系のコンビで、Xが所属するグループの中では癒し要員である。ほのぼのした会話が魅力のふたりだ。しかし実はふたりともかなり暗い過去を持っている。
私はこの過去を掘り下げる創作をした。ふたりの抱える鬱屈や不安、後悔や嫌悪を、ひたすら表現した。漫画はほとんどすごく暗かったし、会話が多くて地味だったし、それでいて言いたいことが全然まとまらなかったりもした。ほのぼの系コンビとしてXを捉えていた人からすればハァ?というものだったと思う。でも私は奇をてらってそういう創作をしていたわけではなく、心の底から真剣に描いていた。
それが伝わったんだと思った。
2日後に4枚の漫画を描いて投稿し、その次の日に一枚絵を投稿した。そこでひとりフォローしてくれた方がいた。X推しの方で、それ以来投稿してから5分以内にいいねしてくれたりして、もうものすごく励みになった。最初にRTしてくれた方にも事あるごとに話題にしていただいた。私を神絵師とか呼ばわるのは後にも先にもこの方だけだろうと思う。
7月頭までおおよそ3ヶ月間Xの創作をしていたことになる。大学がオンライン授業になったこともあって時間があったので、その80日間で150枚ほど描き、そのうち80枚ほどをTwitterにあげた。もうずっと描いていた。本当に馬鹿だった。すごく楽しかったけれど。
ただ、6月に入って、ぱたりと筆が進まなくなった。まあ端的に言って燃え尽きたんだと思う。描いては投稿し、ごはんを食べて、描き、投稿し、寝て、起きて、描いていた。表現したいことがいくらでもあった。優しいけど仄暗い会話とか、過去とどう折り合いをつけて未来へ歩むのかとか、周りの人との関係とか。しかしそれも尽きてきた。3年間溜め込みつづけていたものを全部出しきって、もうカスしか残っていないと思った。
私はかなりネガティブな方で自分の絵をいいと思ったことは一度もない。私のアカウントを知っている友達が一人だけいたのだが、1ヶ月間その子と顔を合わせるたびに筆を折りたいと愚痴っていた。いかに私の絵が下手で、表現が拙く、ゴミであるかというのを、LINEでも長々と愚痴った。相当しつこく面倒臭かったであろうにも関わらず、その子が辛抱強く励ましてくれたので、私は創作を続けていた。
最終的に、梅雨が終わった頃、思いつきで描いた一枚絵を最後に、私はアカウントを消すことにした。
私は本当にXが好きだし一生好きだと思う。でももう描くことが何も無かった。ずっと表現したかったものをすべて出し切った。我ながら情熱的だったと思う。絵はほとんど1〜10いいね、フォロワーだって10人もいなかったけれど、全然かまわなかった。とにかく追い立てられるように描いて、それが終わったので、消そうと思ったのだった。
私が求めていたのは、言葉は悪いがデトックスみたいなものだったのかなと思った。多感な高校生の時期にずっと大好きだったXを、それに費やした情熱を、あらかたアウトプットし終えて、その次にはそれを消さないといけなかった。そうでなくても私はSNSのアカウントは放置しない方だったけど、とにかくそういう儀式的な側面があった。
午前1時に「今日アカウントを消す」とツイートした。べつに前もって宣言するほどのことじゃないだろうとは思ったが、まあ自分へのけじめというのもあった。そしてなんなら寝る前に消してしまうつもりだったのだけど、なんとリプライがきた。二つも。
で、それが最初にRTしてくれた方と最初にフォローしてくれた方だった。私の創作のこんなところが好きだった、解釈が合ったのは初めてだ、おかげでXがもっと好きになれた、という内容がとても丁寧な言葉で綴られていた。
あの嬉しさをなんて言ったらいいのかまるでわからない。単純な自己顕示欲や自己承認欲求ではなくて、なんだろう、わかりあえた感って言ったらいいのかな。それとも許された感かな。そしてものすごく申し訳なくなった。底が浅くてすみませんという感じだった。長いこと創作をやっている他の人みたいに無尽蔵に表現したいことが湧いてきていくらでも描き続けられる人だったらよかった。もちろんそれは私のせいじゃないんだけども、謝れるものなら謝ってもよかった。そのくらい申し訳なかった。
私はそれぞれにリプライを返して(かなり抑えた文面にした。よくがんばったと思う)、昼を待ってアカウントを消した。
なんかもう空っぽになってしまって今は何も描く気が起きない。来し方20年近く続けていた、絵を描くという行為を、ここまで遠く感じたのは初めてだ。一旦冷却期間を挟んで、また何か描きたいものが生まれたら少しずつ描いていこうとは思っている。
ただとても清々しい気分である。やりきった感があって、もうこれ以上何もないというところまで走り終えたような。そういうスカッとした気分の中でひとつ心残りなのが、私の底の浅さのせいで誰かを惜しませたという負い目であって、私はそれを放流するためにこの文章を書いた。
私はたぶん変わらないと思うし、今後Xと同じくらい好きなものができて何かを表現したいと強く感じ筆をとったとしても、全て出しきったらまたアカウントを消してしまうんだろうなと思う。更新しないアカウントを放置するのはやっぱり嫌だし、かといって、長期的に描き続けられるほどアイデアがない。変なこと言ってるなあと自分でも思うのだけど、とにかくストレスのない方にいこうとするとこうなる。
まあそんな面倒くさいことはおいといて、今はただ満足感に浸っていたい。そんなわけで2週間ぶりに買い出しに行き1ヶ月ぶりに冷蔵庫をいっぱいにし、メロンを半玉買ってきた。おつかれ私。本当に楽しかった。みなさんのおかげです。ありがとうございました。
思えば、2020年7月9日が、この鬱屈とした時代の始まりだったのだ。
平成から、令和に変わって17歳の新星が次々とタイトルを獲得していく。そう、最初の頃は、皆んな新しいスターの誕生に湧き立っていた。
しかし、それが20年、30年と続いたらどうだろう。タイトル戦を注目して見る価値があるだろうか?
藤井8冠と言えども勝率10割ではない。だが、いったい誰があの藤井8冠相手に番勝負で、勝ち越すことができるのだろうか。
思えば、平成の時代のタイトル戦が羨ましい。タイトルを1人ずつで分け合っていたなど、今からは、想像もつかない。
藤井8冠の絶対覇権が続いてから将棋人気の凋落が著しい。 恐らく、彼も年齢からくる衰えには、勝つことはできないだろう。数年後には、タイトルを返上して引退するだろう。しかし、それは彼が誰がに負け続けて引退するわけではない。単純に年齢からくる体力の衰えが原因なのだ。
今後、新しいタイトルを取った棋士が、現れたとしても、彼を超えたことにはならない。
創作意欲というのは不思議なもので、ひとたび無くなってしまうとそれが滾っていたころの気持ちというのはどうにも思い出せないものです。
そもそも、創作意欲というものがあったのかさえ分からなくなる。それはとても不思議な感覚で、毎日のように絵を描いていた右手がぱったりと何も描けなくなります。
それが創作意欲の枯渇なのか、もっと根本的な問題があるのか私には分かりません。そういう、新鮮で鬱屈とした日々を半年ほど過ごしてきました。
元々絵を描くのは好きで、それこそ子どもの頃から絵を描いていました。クラスでも1番か2番みたいな、特別上手くもなく不快なほど下手でもないという程の画力でした。
同人誌も作ったし、お金をもらって絵を描いたりもした(もちろん少額ですが)。そういう経験はとても楽しかったし、自分の絵で人が喜んでくれるなんて初めての経験だったのでただただ嬉しかったのを覚えています。
それが、ここ半年くらい全く絵が描けなくなってしまいました。それだけなら良いもの、今まであまり抱かなかった鬱屈とした感情を大いに抱くようになりました。
それまでは上手い絵を見ても良いな~と思うくらいで、お手本にしようと思っていました。何か月でここまでう上手くなりました!みたいなツイートを見てもすげぇ自分も頑張ろうと思えていました。
最近はそういうものを見ても、どうして自分にはこんな絵が描けないのかという自責の念を抱くばかりです。また、常に作品の粗を探すような見かたをしてしまうし、自分にそんな能力ないのに批評家気取りの感想を抱いてしまいます。
今までそういう感情が絵を描くことによってうまく発散されていたのかなーなんて思ったりします。これからはこうやって文章でも書こうかな、これを書いてて楽になってきたし。
どうして絵が描けないのか、というか創作的なアイディアが浮かば無いのかの原因はいくつか候補があります。
1について。私は現在就活目前といった感じで、ほんとは絵を描いてる場合ではありません。その準備、果ては卒業後に生きていけるのかという漠然とした不安がやばいです。
調べても調べても果てが無いし、もう卒論できて内定貰うまでこの不安は消えないしどうしようもない。
2、ずっと家にいて友人も数日に一回通話するだけ。一人暮らしなのでマジで一生一人で考え事する時間が多い。前から一人より人と話すほうが好きだったので割とつらい。
3、絵を描く理由の一つに絵で食うというのがありました。ここ数か月で自分にはそういうのは向いていない、というか、絵を描く上で何を表現したいのかみたいなことを考えるようになってしまいました。
それが無いとこの先絵を描き続けられそうにないという。そういう考えが先行して、前みたいにパッションだけで絵が描けない。べつにおっぱいが大きいだけの絵でもいいんです。頭では分かっているけれど自分が描く意味が分からない。
好きなアニメのキャラをただ描くという、簡単にできていたことが今となってはとてつもなく難しい。
これが一番大きくて、自分が描かなくていいんじゃないかという考えがどうしてもよぎって手が止まります。前みたいに自信満々に描けるようになるといいんですがね。
取り合えず、毎日のように絵を描いていたのに、何か分からんが突然描けなくなった話でした。こういう日々が初めての経験なので、このスランプみたいなものから復活できるのか、筆を置くことになるのか分かりません。絵を描かない自分が想像できないのです。今がそうなのに。
なんか新しい趣味を始めようか、小説でも描いてみようか。就活しなきゃとか色々考えて課題やって一日を終える日々を送っています。5000兆円とは言わないけど内定貰えればとりあえず不安は一つ無くなるのでそれをめざすしかないのかな~。
たしかにとても興味深い。
一言で言えば、拗ねているのかなと思う。
毒親やら学校やら職場やら、とにかく今まで生きてきた中で散々バカにされ惨めな思いを味わってきて、鬱屈した思いを抱えて生きているんだろう。
誰も助けてくれなかった、優しい言葉をかけてくれなかった、理解されなかった、寄り添ってくれなかった。死にたい消えたいと思うときもありつつ、なんとか生きてきた。人それぞれ濃淡はあるだろうけど。
そこにきて、苦しいあなたを助けます、って言われると「うるせー!」って反発してしまう。ずっと根底に抱えている「誰も自分を助けてくれなかった」という怒りや悲しみが湧き出すから。これは、自分のことを直接知る生身の人間とのプライベートな付き合いの中で癒していくしかない。直接一対一の関係を結ぶわけではない政見放送や街頭演説では癒されないし、期待する気になれない。
自分がもう諦めたこと(助け合ったり、寄り添われたりすること)なのに、それを蒸し返されているから辛いし、そういうことをまだ求めていられる人たちが能天気に見えて余計に腹が立つんだろう。
(左派の助けますアピールが、そういう人々に届かない程度のものであるとも言えるだろう)
そういう人々の深い懊悩にまったく寄り添う気の無い安倍自民党みたいなのは、だからこそそんな反発は呼び起こさない。皮肉なことに。
安倍的なものが、これまで自分をバカにしつつ食い物にしてきたやつらの権化みたいなものだと思うんだけどね。
感想って嬉しいから欲しい人も、自分の思考に水を刺されたくないから欲しくない人もいます。ただ実際感想欲しくてやってる人は一定数いても、根本的には同人ってそのジャンルが好きでやってる人がほとんどだから、感想のためにやってる方は永遠にこの鬱屈を感じ続けると思います。目的が違うから齟齬が生まれるのは当たり前です。
本当にそのジャンルのこと好きですか?同人が好きですか?ただのコミュニケーションにおける媒介でしかなくないですか?
さすがは感想を責務と思ってる方なので感想貰うことに感謝と敬意が無いですね。私が送る側なら作品が好きでも送ることをためらいますよ、責務で送ったなんて思われたくないので。責務の感想を貰って嬉しいのか疑問ですが、送るほうはそう思われるの心外ですよ。
自分の作品が感想が来て当たり前のクオリティと思ってるポジティブさは良いですが、長いだけで理論的じゃない人の文章って書けば書くほどオブラートに包むはずだった本心が透けて見えてますよ。
何らかの刑事事件が起こり世の中が騒ぐと、その事件に対して「ありふれている」とか「珍しくない」とか言い出す鬱屈した酔っぱらいのような人間が往々にして出てくる。
まぁそれ自体は客席で酒呷ってる奴の言葉でしかないので、格としては豚の放屁程度のものだ。
おそらく普段から重大事件だけを集めた伝記やwikipedia記事ばかり読んでいて、その影響であたかも世の中で起こる刑事事件のほとんどがその手のものであるかのような偏倚な見解を形成しているのだろう。
あるいは小説・マンガ・映画といったフィクションでの事件と現実世界で起こる事件とを混同していて、後者が発生したとき無邪気に前者を参照しているのかもしれない。
もしかしたら事件発生を受けて動揺した自分を落ち着かせるために、または憤りを覚えた自分の溜飲を下げるために、当該事件を矮小なものであると思い込むための呪文をつぶやいているだけなのかもしれない。無力な者ほどよく強がるので。
そういう人たちが自らの生い立ちを書くことが多いこのはてなをいろいろ見て思ったんだけど、ネットで明らかに異常な思想に陥ってる増田やネット民たちって
温室育ちのまま、いきなり社会に放り出されて自己実現に失敗した人達が多いんだよな、なまじ単なる弱者じゃない場合が多い。
だから自分たちも、中には非定型の人間たちさえいるのに、そいつらは自らを弱者と規定してるのに他の弱者や底辺や、発達障害者たちを自己責任だとかマウントで病的なまでの攻撃性を発揮し始める。
よっぽどリアルで鬱屈や鬱憤溜まってんだろうなって思う、普通に考えて20代や30代で年収500万円も稼げるならそれってもう凄いじゃない、彼女や彼氏いなくてもいつかいい人できそうじゃない、そんな身を焦がすような大恋愛とか、周りがうらやむようなパワーカップルとかって、ならなくてもいいじゃない。幸せの形なんか人それぞれなのに。
でも、そういう人たちは、自分がヒーローやヒロインでなければいけないっていう、病的な強迫観念に近く、そんな人間存在しうるわけがないくらい意識を高みに向けて非現実な目標がかなえられなくて狂気に陥ってるような場合が多いんだよね。
そういう増田がネットに向けて他者に向ける怨念や憎悪っていうのは「自分たちを救ってくれ!」っていう悲痛な叫びなじゃないだろうか、なまじ周りの悪影響はおいといても、金稼ぐ能力自体はあるが、私生活では福祉では救うには漏れてしまう、そういう増田みたいな健常者とギリギリの精神障害者って、どう社会が救えばいいんだろうか?
先日久しぶりに図書館へ行った。
施設内は無音と言っていいほど静かで、薄暗くてカビ臭く鬱屈としていた。数年前に訪れた時とはまるで別の空間だった。
自分以外に利用客はおらず、司書の方が4人いた。施設の入り口で司書の一人が消毒液をかけるために待機して他はカウンター付近で仕事をしていた。本当にこの人たちは必要なのか?全部今のテクノロジーで賄えるんじゃないか?直感的にまずそう感じた。
受付で借りたい本を予約したいと伝えると、1冊ごとに紙に書いて申請する必要があるとのこと。PCやスマホからならネットのみで完結できるシステムなのに、なんで直接の場合はこんなに手間なのか。検索端末も故障しており、在庫の確認も直接聞かなければならなかった。カウンターの端末で検索して結果を教えてくれるが、前述の理由と閉館が近かったためネットでやってほしいと言われた。
入り口の消毒液係の司書は、ただ消毒液をかけるためだけにそこに立ち続け微動だにしなかった。コロナ対策のため透明なサンバイザーとマスク、手袋を付けており異質なキャラクターを醸し出していた。消毒液と注意書きを置いておけば、図書館に来る人ならばほぼ指示に従うのではないか?超余計なお世話だけど、その働き方でいいの?それ続けるの?って思った。
全部自動化して、本に電子タグつけて専用端末で検索/貸し出し/予約を全て完結させればいいのに。最終的にAMAZON GO化しちゃえばいいのに。そうなってくるとデジタルアーカイブとかの話になるけど、データ化して制限なく読めるようになったらそもそも本売れないか。国会図書館のように全国的に著作権切れの本はデータ化、公開するとか。今よりもちょっとだけ借りやすいシステムにならないかな。
...結局あの空間はなんだったのだろうか。異世界に迷い込むとはこんな感じなのか。本借りるのめんどくせー。この馬鹿な私にもっと知に触れさせてほしい。
日本社会において競合他者がいない職業で、かつ平和な社会においては攻撃できる側の存在になって、金や女や権力や社会から一目置かれたいってのが大体の増田の根本的な願望なわけじゃん
他にできそうな手段がITエンジニアしかないからそれに固執してるだけで、フリーランサーでなんでもやりたいなら、今はネットだって発達してナレッジベースの技術も図鑑や回想録とか書籍で手に入るし自主学習できるんだから、自分で勉強してスキル身に着けて、諜報技術や戦闘技術などを独学して自分で売り込んで仕事すればいいじゃん
プログラミング言語が、まったく別の技能に置き換わっただけだから、何ら問題ではないし、ヘタすりゃ自主学習に必要な費用よりも費用対効果安いかもしれないじゃん
増田が邪教の信徒の如く恐れる、DQNや半グレや暴力団などの裏社会の住人だって怖くはないだろ、そいつら返り討ちにできる技能を保持できる仕事なんだから
元スパイやテロリストや傭兵なんて肩書で、講演会や書籍書くだけでめっちゃ儲かっててさ、チャンネル桜やオタク向けミリタリー講演会とかで、おっぱいデカいコスプレイヤー芸能人とかにチヤホヤされながら番組出てる奴らや事例日本でもいっぱいいるじゃん
今や世界中でとんでもない競争倍率があり、法規制に縛られた故に自分のやりたい仕事がなかなかできないIT業界で、できもしないことに鬱屈して向精神薬飲みながらネットで害悪論喚くくらいしかやることがない空しい人生送るくらいなら
残念ながら、ショッカーやブラックサタン、BF団や鷹の爪団といった秘密結社を答えた人は、ハズレである。
ブラックユニオンとは、企業からの金銭搾取を目的とした反社的ユニオン(合同労働組合)である。
普通のユニオンは労働者保護を目的としているが、ブラックユニオンは労働者保護を建前に金を巻き上げることを目的としているのである。
https://ironna.jp/article/6666
私も、自分が被害を受けるまではブラックユニオンを知らなかった。
その存在は認知していたようだが、それがブラックユニオンとは知らなかったというのが正確な表現だろう。
恐らくみんなも、ニュースで目にしたことがある程度に有名なユニオンもブラックユニオンだったりする。
私が、そのニュースを見たときは、凄いユニオンがあるんだなと感心していたが、今から見ると、実は報道されないイロイロが裏にあるのではないかと勘繰ってしまう。
ちなみに、ブラックユニオンをググると、ブラック企業ユニオンという組織が出てくるが、こういうところはブラックユニオンではないはずだ。
本当にブラック企業から労働者を守るために努力しているユニオンはブラックユニオンではない(と思う)。
事例はいくつもあるみたいだが、私の体験したブラックユニオンについて説明するのが一番伝えやすいので、私の体験談を書いてみる。
もちろん、身バレは怖いので、ところどころ情報を変えているのはご承知おき頂きたい。
ブラックユニオンの迷惑活動に、2代目社長が屈服し、会社の利益をBさんと、ブラックユニオンに不当に搾取され続けることになった。
Bさんは、初代社長のお気に入りだったが、仕事のミスも多く、やる気も無いため、仕事が出来ず、社内での評判も悪かった。
社内での評判が悪かった理由は、Bさんのために様々な手当や福利厚生制度が作られ、主にその手当や福利厚生制度を利用するのがBさんだったからだ。
じつは、私は給与計算に関与していたのでBさんの給与を知っていたが、Bさんの給与は(Bさん専用)手当で膨れ上がり基本給の2倍になっていた。
しかも、会社経費を使った横領らしきこともしていたようであるが、なかなかしっぽが掴めないでいた。
まぁ、オーナー会社あるあると言えばそれまでなんだろうが、普通に働いている社員から見ると、Bさんは不当に優遇されていたから、当然他の社員は強い不満を持っていた。
そこで、初代社長が引退するにあたって、この不満を解消するために2代目社長がBさん専用となっていた手当や福利厚生制度を廃止したのだ。
この2代目社長の英断に、Bさんは慌てふためき、私たちは拍手喝采であった。
のんきな私たちは、これでBさんも改心してまじめに仕事に励んでくれるのではないか、とか、もしかしたら転職するのではないかと考えていた。
そんな浮かれた私たちの前に、嵐は突然やってきた。
手当・福利厚生制度の廃止が発表されて2週間後に、いきなりBさんがユニオンを引き連れて会社にやってきたのだ。
ユニオンは団体交渉を要求すると言い、その日は大人しく帰っていった。
「オイオイ、Bさん、えらいこと始めたなぁ」なんて、少し引きつりながら驚いていた私たちであったが、引きつった表情がなおらなくなるのは、それからしばらくしてからであった。
Bさんが連れてきたユニオンは、2代目社長と顧問弁護士との間で何度か団体交渉をしていたらしいが、進展が見れられなかったらしく、ある日ユニオンが会社前で拡声器を使って、街宣活動をし始めたのである。拡声器から響き渡る怒鳴り声は、けたたましく会社に響き渡った。来客中に街宣活動をやられたときには、お客様に平謝りであった。
近所からはうるさいからやめさせろというクレームの電話が会社にかかってくるが、我々がやめてほしいといったところで、街宣活動をやめるユニオンではない。
街宣活動の際にはビラも配って、会社の不当性を喧伝していたが、どう見てもBさんからの一方的な解釈を拡大させ、ユニオンが悪意に満ちた文章で飾ったものであったが、うちの会社の評判を下げさせるのには見事な攻撃だったと思う。
2代目社長も、ユニオンとの交渉を粘り強く続けるつもりであったようだが、毎週数回の街宣攻撃で、近所から寄せられるクレームと会社の評判が下がることに疲れ果て、ユニオン側の提示した解決案を受け入れることにしてしまった。
和解金としてBさんに数百万円を支払い、廃止したBさん専用手当を復活させるということで話はまとまった。
ここからがブラックユニオンのブラックユニオンたる理由となるが、弁護士によるとブラックユニオンは、この和解金や、復活した手当分から、手数料を2~3割程度貰うことになるらしい。
だからユニオンは他人のことなのにあんなに必死で、街宣活動をしていたのかと納得した。彼らは、ビジネスとして法的に守られた恐喝を行っていたのである。
ちなみに、対ユニオンでは警察は頼りにならない。うちの会社も何度か警察に相談したが、彼らは介入できないの一点張りであった。
今後、私たちの会社はBさんが定年退職するまで毎年、所定の2倍の給与を支払うことになるらしい。
しかも、Bさんは自分のバックにユニオンがいるからと、今まで以上に仕事をさぼるようになった。
私が貰うことが出来たかもしれない給与の一部が私に支払われず、働かないBさんに払われるために使われることになると思うと、非常に鬱屈した気分になる。
2代目社長は私から見ると、リーダーシップもあって公平な社長なので、Bさんさえいなければ良い会社なのだが、寄生虫を抱えた会社に残り続けるのは、自分のメンタルと、会社の経営ともに悪化するのではないかと思うので、転職したほうが良いではないかと考えている。
Bさんの立場から見てみると、Bさんの生存戦略としては正しい戦略なのかもしれないが、社会全体としては間違っているのではないかと思う。
このような不正義を正すことが出来ない、今の法律、行政は間違っているのではないだろうか。
もちろん、ブラック企業に苦しめられる労働者を助けるために、ユニオン自体は必要であると思うが、一方でブラックユニオンに搾取される普通の会社や普通の従業員は誰が救ってくれるのだろうか。
皆さんも、勤めている会社に満足しているようであれば、ブラックユニオンの餌食にならないに気を付けてほしい。(気を付けていればどうにかなるものなのか分からないが・・・)