はてなキーワード: 鬱屈とは
昨日の深夜にリストのみ投下したが、再掲する。人間は深く先のことを考えすぎたり、コミュニケーションの中で他者にどう思われているかを考えすぎたりすると神経衰弱気味になることがある。現に自分も大学の頃そうなったし、サラリーマンになった今でもよく破滅的な思考になることがある。特に夜。自殺を試みたことも2回ほどある。しかし、そういう時は一旦現実から離れ、距離を置くことで新しく見えてくるものもあるし、希死念慮も軽くなることがある。そのため、世の中の自殺志願者に向けて、手軽にできる現実逃避方法をここに記しておくことにする。
ベタだけどけっこういい。個人的なおすすめ記事の例は以下(教養のなさがバレたらごめんなさい)。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/なぜ何もないのではなく、何かがあるのか
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/技術的特異点
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/事象の地平面
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/哲学的ゾンビ
・寝る
夢という名の究極の現実逃避
・散歩
ややパンチは弱いが、いい場所があるならまあまあ効く。ただ疲れるので元気のない時はあんまり。
・外食
・読書
おもしろい小説とかがあればいいけど、そうじゃないなら読む気にならないことも多いが…青空文庫のアプリを入れてランダムに読むのも割とおすすめ。
聴覚はごまかせるが、視覚が暇になってしまうという難点がある。youtubeはその点一石二鳥。
・風呂に入る
これもかなり効く。タブレットやスマホを持ってネットサーフィンと組み合わせればより効く。ただ、のぼせるから注意。
他人を使うという点でハードルは上がるが、しゃべるとストレスが圧倒的に軽減されるのを感じるだろう。
・日記を書く
書くまでにめんどくさい病を克服しないといけないけど、書き始めると過去の分まで補充して行きたくなる不思議。
・部屋の掃除
掃除作業自体もいいし、部屋が片付けばそれによって気持ちがすっきりするから、一石二鳥である。
・服の洗濯
洗濯して干すまではいいけど、たたむのは実際面倒という難点はある。そしてたたまなければ部屋が汚くなるという諸刃の剣でもある。
そもそも興味のある音楽が一切ない場合は無理なので、ラジオとかネットとかで気になった曲を頭のなかでリストアップされている時にほぼ限定される。
・映画館に行ってひとり鑑賞
これはかなりいい。ただ唯一の難点は、時間が合わないと1時間とか2時間とかつぶさなければいけないこと。その間にやることがなくなってしまい、散歩という体力を消耗する手段に出てしまう場合も多い。
・一人になれる場所へ
ただし、人があふれている東京ではなかなか難しい。都会だとマンションの建設予定地などが意外とよかったりする。
・はてな匿名ダイアリーに思いの丈を投稿する
本webサイトは民度が低く、実際上はなんの役にも立たないが、馬鹿がたくさんいることを確認して人類の中での自分の立ち位置が意外に上位であることを知れる点でメリットはある。
・青春18きっぷで旅に出る
男なら意外にも割と誰でも興味持てると思う。店員も、意外と無駄に話しかけてこないので快適。
寝転がって読めたら最高なんだが、手がつかれるし首も疲れるのが難点。ハードルを感じる時は短編集がおすすめ。村上春樹の短篇集は引き込まれるような奇妙な魅力があるので一度試してもらいたい。
・歯を磨く
すっきり!これが意外にいい。
・過去の思い出にひたる
日記とか写真とか昔の記録とか何か書いたりしたものとか材料があれば、それを見てのんびりする。夢日記をつけていれば、それを読むのもあり。
・勉強
ザ・現実逃避。最近は映画のストーリーを丸々10分程度にした動画も大量に出回っているので、それを見るのもアリ。また、「movie clip」で検索すると、過去の名作映画の名場面ばかりがたくさん見つかるのでこれもおすすめ(ただし日本語字幕は基本的にない)。
これは完全に個人の見解だし、匿名でここに書いても何も変わらないとは思うけど、こういう見方もあるんだなと知ってくれる人がいたら。
正直チラシの裏だし無駄に長文なので、あんまり読む必要もないです。
なんだか最近、これは自分のタイムラインの激選が間違っているだけだと思うけど、よくツイッター上で喧嘩しているのを見かける。
その最たる例がやっぱり政治なのだけど、なんだか見ていて疲れてしまった。
色々と自衛策はあるけど、好きでフォローしている人がそういう発言をしていると結構ツラい。
ツイートなんて自由にすべきだと思うけど、やっぱりそういうのを見て、あって思ってしまう自分にも凹む。
結構、こういう些細なストレスから病んでいく人は多いんじゃないかなぁ。
そもそもそのくらいで病む人間がツイッターなんてするなって話かもだけど、ツイッターは議論アプリじゃないんだから、みんなもっとしょうもないことたくさん呟けばいいのに。
イラストレーターなんかでR18作品とかを投稿する人は、センシティブ設定だとか名前に🔞とか付けている人が多いから、嫌ならブロックなりなんなりで避けやすいけど、変な人は趣味垢とかでも唐突に現れたり噛み付いてくるから本当に怖い。
どうせ拡散するなら好きなアイドルやらお笑い芸人やらそういうのを拡散していったほうが絶対有意義だと思うし、本人の心の健康にも良いんじゃないかと思う。
心当たりある方はぜひ、一週間だけでも好きな話題だけ呟くとか試してみてください。
リプで喧嘩したりするよりも嫌な気持ちになることは少ないんじゃないかと思います。
「地獄への道は善意で敷き詰められている」みたいなことわざがあるけど、今のツイッターの状況はまさにこれで、それぞれ主義主張が違うのは当たり前なんだけど、意見がぶつかるの過激な言葉で罵り合ったり晒したり粘着したりなんてことが日常茶飯事に起きている。
コロナ禍でのストレスもあるのかもしれないけど、そのコロナ関係でも色々と経済or人命だとかでしょっちゅう戦っている。
こういう話に自分も思うところはあったけど、もう逆に思考を放棄したくなってしまうんですよね。
政治でもコロナでもそうだけど、なんか人が争っているのをずっと見ていると、もうどうでもいいというか、議員でも専門家でもない一般人はもう馬鹿みたいに推しがどうだのメシが美味いだの言っといた方が幸せなんじゃないかと。
あまりに極論だしそれじゃダメなのももちろん分かるけど、けど、最近のツイッターは特に鬱屈としている気がするし、そうも思ってしまう。
結局何が言いたかったのかというと、もしリプで喧嘩してたりして嫌な気分になる人は一度そういう話は控えてみよう。
興味本位でアンガーマネジメントの本を手に取った。
自分の怒りを制御しようというのが、「アンガーマネジメント」だ。
怒るのを禁じるのではなく、むやみやたらに当たり散らすのはやめましょう、という趣旨だ。
怒りをライターの火に例えて、物が燃えるのは、ガスと火花が必要だと言う。
そもそも酸素が必要じゃないかとモヤモヤしたが、それは流した。
とりあえず、きっかけと普段の鬱屈が合わさって、怒りの炎が燃え上がるのだ。
なるほど?
12問の質問に答えるもので、まず回答させたあと、点数を振り直させる。
ページをめくった先に、点数づけをしろと書いてたから、先んじて点数づけもできない。回答の時点で点数振れば2度も考える必要がないのに。
そして、点数が高いというより、2問の合計点数が高いものが当てはまってると言われる。
どちらかというとYES、どちらかというとNOでも、4点と3点だったためか、全部似たり寄ったりの点数になって、6項目のうち3項目同じ点で高かった。
タイプ別詳細は別ページにあるという。
複雑な気持ちになりながら、そのページに移った。
詳細説明のページをめくると、あなたは迷惑な人です!と書かれていた
カチンときている私がいた
仕事と買い出し以外は基本外出せず、たまに一人で
趣味の外出をするが誰とも楽しみを一切共有できず、
コミュ障気質の人間には殆ど無理と言ってしまっても過言ではない。
では、どうすればいいのか。
「今更飲みニケーションで草」と侮るなかれ。
でも、そこに酒が介在することで人の警戒心は簡単に緩む。
酒の勢いを借りて話し込むことで通常とは比べ物にならない
速度で親密になることができる。これはマジ。
2時間同じ席で飲めば知人、2回会えばもう友人だ。
連絡先を交換してもいいし、しなくても良い。
また会いたければ同じ時間帯に店に行けばいい。
今日はこもりたい気分なら店に行かなければいい。
店が合わなければ二度と行かずに他の店へ。
一杯だけで帰っても良いし、閉店までズルズル居座っても良い。
精査すればそこまでの浪費には繋がらない。
事ある毎に自分の趣味を吹聴して回れば、そのうち必ず見つかる。
その場で見つからなくても知り合い経由とかでね。
おまけで良縁もあるかもね、なんて話です。
「主体性のない女性こそイイオンナ」な世界で鬱屈した青春を過ごしてきた身としては
近年の「主体性のない女性こそイイオンナ」を全面に押し出した広告に私はNO!!!と言いやすい世の中は
最高に生きやすいんだなぁ
昔だったらブスの僻みとか、お前は間違っているというレッテルを貼られて更に辛くなるだけだったからね
私はNOと言ってもいい、それだけのことで、本当に心が軽くなる
逆に「主体性のない女性こそイイオンナ」であってほしい、ありたい人は面倒くさいでしょうね
この鬱屈をはらすため、後世に残さないためには私はNOと言うよ
あんまり変わらないと思った。まあ、厳密には駅じゃなくて、電車だったんだけど。
以下、独り言。
ここのところはいつも時差出勤で、9時半くらいの電車に乗れば十分間に合う生活が続いていた。
その気楽さが雰囲気に出ていたのか、席がちらほら埋まった電車の中をふらふら歩いているとき、突然、座っていたおじいさんが「なんや、お前はこんな時間に遊んでいるんか」と発話した。
ちょうど空いている席がその人の前の席しかなかったので、どうしようかと思ったが、(まあ、架空の人に話かけているかもしれないし。仮にこっちに話しかけているとしてもどうでもいいしな )と無視して、座ることにした。
座ったあとも、おじいさんのお話は続いていて、「これから遊びに行くんか。こんな時間に電車乗ってからに。どうなってるんや。ちゃんと働かなあかんぞ。わしの息子やったらどついてるぞ」等と話していた、一人で。
(いや、スーツ着てる奴に対して、遊びに行くと思うわけないし、やっぱ架空の人と会話しているのかな。というか、ご自慢の息子さんは結構暴力的なのかな。なんにせよ、ヤベー奴だな)とは思ったが、どうでもよかった。
なぜなら、出社したら課長協議をするべき事項が二つほどあって、どんなロジック・順序で話を展開するか頭の中で復習しつつ、課長がどんなことを気にしそうか、それに対して係長がどんな頓珍漢な返しをしそうか、さらにそれをどうフォローしようか、考えを巡らせていたからだ。
昨日、日付が変わる前まで資料を作っていて、でもまだ山場は終わっていなくて、仕事で頭がいっぱいだったのだ。
おじいさんは、飽きることなく話を続けているが、言っていることはループしていた。
課長協議のシミュレーションが大体終わったので、僕はスマホで株式市場を眺めていた。
どうやら、eSIM関係で日本テレホンが急騰しているらしい。さくっと買って、後場が始まる12時半には上がっていようと上がっていまいと売るか、と考えた。
まだ、おじいさんの話は続いていおり、ホームレスのような匂いも漂っていたが、特に気にはならなかった。
おじいさんはあらゆる人に無視されており、 近くに大学生くらいの女性の二人組がいて、至極なごやかに楽しそうに会話していた。
(というか、さっきのは、もしかして、僕がこのおじいさんの息子だったら、教育的意図で殴っている、っていう意味だったのか?)とふと思ったが、まあ、どうでもよかった。
スーツを着て遊びに行くわけがないし、時差出勤を理解できなくても、出張帰りとかいくらでも可能性があるのに、それがわからない、年だけとった世間知らず を哀れに思った。
それに、どうせ、あと五分で目的駅に着くのだ。本質的に自分の人生には関係がない人だった。
トンネルを抜けて、目的駅に着いたので席を立ったら、「〇〇駅か」とおじいさんが発話した。
(マジで僕に話しかけてたのか)と少しおじいさんに興味がわいたが、面倒くさいという気持ちが勝ち、背格好等を観察することもなく、さっさと降りた。
課長協議の一つは無事に終わり、もう一つは課長に急用が入ったため流れた。
21時くらいまで残業して、帰り道、まあまあ仕事が上手くいったな、と思い返しているときに、ふと今朝の出来事の意味を考えた。
あのおじいさんは、なぜ突然通りすがりのアラサーのおっさんに説教をはじめ、全く聞いてももらえなかったのに、それを延々と続けたのか。
一つは、自分の常識に照らして不道徳な行いを目にしたと感じ、それが気に入らなかったから。
もう一つは、自分は知性に優れ、適切なアドバイスができる人間であると認められたい、という承認欲求があるから。
さらには、そもそも鬱屈したものを抱えており、それを解消する話相手もいないから。
大体こんなところだろうか。
こういった動機で、求められてもいないのに無関係な人に話しかけ、誰も聞いていないのに、それをやめない。
なんか、最近のニュースに対する僕のはてブのブコメもそんなに違わないなと思った。
過剰でずれた正義感と知性を見せびらかしたいという自己顕示欲求、さらには承認欲求。
誰かを馬鹿にしたい(=自分がその人より優れた存在であると思いたい)といマウンティング欲。
それだけではないにせよ、絶対そういうものが混じりこんでいるよな、と思った。
一週間前くらい前、「進撃の巨人が最近また面白さを盛り返している」という趣旨のスレのまとめをみて、そのまとめサイトのコメ欄も絶賛一色だったので、なんか違和感を感じ、異論を唱えた。
「作者はなにがしたいのか、もうファンタジーでもなんでもなくて、迷走しているだけじゃないか。テーマもクソもない」という趣旨のことを書いたら、レスがついて、面白さを熱く語ったあげく、「その面白さに感じるところがなく、そもそもテーマがどうとか気にする奴はお呼びじゃない」という言われた。
で、そこでふと醒めて、(まあ、確かに、そもそもアンチスレではなく、面白さを語り合うスレだし、そのまとめだし、自分が場違いなだけだったな)と反省した。
なんでもかんでも一言モノ申すマンになってるの、自分でもおかしいと感じた。
ちょっと前にツイッターで見かけた「Twitterとかいう全員が低い方向へ流されていくどうしようもない川。」というツイートを思い出した。
少し、いろいろと過剰だよな、と思った。
そんなことを考えていると、家の最寄り駅についたので、ココイチによって晩御飯を食べることにした。
いつもの習慣でなにか漫画を読もうとすると、『進撃の巨人』が目に入ったので、それにしようかと思ったが、今はまだ余計なものが自分の中に残っているように思われたので、またにすることにした。
いつか、心が落ち着いたときに読み返せばいいし、そのときにまとめサイトでのやりとりを思い出してもいいし、思い出さなくてもいい。
どちらでもいい、と思った。
いや、大抵は他人の頑張りを知ってるし(それこそテレビでもネットでも見てれば嫌でも分かる)、井の中の蛙であることも自覚している。
それでもなお自分は賢いと思っていないと自我が保てなくて、下手すりゃ何かするたびに鬱の沼に嵌る地雷原を歩いているようなもんなんだよ。
そうやって卑屈を内包しながら精神的に日々戦い続けることを強いられる。自分は無価値だという認識を受け入れてしまえば自死への圧力に押し負けて、お終いだから。
社会経験が乏しいというのは、立派な社会人からすると自己責任や気力の問題で、行動すりゃいいだけじゃんと思いがちだが、現実には環境的・構造的な問題で「動けない」状況に陥っていることがほとんどなのだ。
ある意味で不運、不幸な人だと言える。そして自分たちを非難してくる人々が己の幸運さに無頓着であることも感じている。それでも社会を責めることなく、ただ自分を尊大だとみなすだけで済ませているのだから、それがいかに健全な精神であるか伺い知れるところだろう。
君はそのような鬱屈のなかで日々を過ごすあらゆる人々の心情について、想像力が足りていると胸を張って言えるかね?
言えるとしたら、それは「自分を賢いと思い込んでいる」のとどう違う?
人生のあらゆる問題に対処して、あらゆる人に苦痛なき人生をもたらさねばならない。
……みたいなこと考えるの、文系リベラルの陥りがちな間違いだと思うんだよな。
一切衆生を救うのは、仏様のすることで、人間や思想家の所業じゃないんだよ。
所詮は科学者の一種である文系思想家は、まずは社会において人生に苦しんでいる個人が存在することは許容範囲内であることを認めねばならないよ。
別に救われないやつが居てもいいよ。鬱屈したやつがいてもいいよ。そいつの人生はそいつ自身が救うんだよ。
それについてどうこうできると考えるのはおこがましい。
もっと即物的に考えるべきなんだよ。例えば、モテないってことは老後の世話を見る子供が居ないことだから老人ホームの建設が今までより一層必要ですねだとか。
言葉では「嫌じゃない」って言われるんだけど、実際にしようとすると手でガードされる。
嫌じゃないことを再度確認の上で、胸とか触っても「くすぐったい」と言って嫌がる。実際に笑ってるからそれはある意味で本当なんだろう。
もちろん濡れないし、そうこうしてると、もう寝るねって言って自分の部屋に行ってしまう。
まだ結婚して一年も経ってないのに、セックスに誘うのが怖くなってきた。結婚してまだ一度しかしてない。
言葉では好きだなんだ言ってくれるけど、すごく空虚だ。普段の生活ではお互いに慈しみあってる感があるんだけど、この一点だけが辛い。
「その欲がないのに誘われる」のも辛いと思うし、自分ばっかり求めてるのって恥ずかしさもある。だから、誘うときも本当はその時にしたいのに、「今度しようね」とか、逃げ腰の誘い方になっている。相手が拒否しやすいように、かつ、自分が今否定されないように、という欺瞞だ。しんどい。
巷のセックスレス解消法は、「トキメキ要因」を作るだの、「ミステリアスな女を演じる」だの、不安感を煽るようなものばっかり。そういうの正直、嫌だと思う。そんなの恋人だったときでもう沢山だって思う。夫婦になってまでそんなことしたくないと言うのが正直な気持ち。だって不貞行為はもう許されないわけだ……お互いに。そういう覚悟があるから結婚したっていう気持ちがある。
こういう鬱屈した理想と現実とのギャップが行き過ぎると認知的不協和を起こして女叩きとかに走ってしまいそう。ネットでよく見る夫叩き、嫁叩きなんてくだらないって思ってたのに、そういうくだらないものになりつつある。
辛いなぁ……
普通の業界でやったら社内処分レベルのこと平然とやるキチガイでも仕事回してたらなあなあで済むからなこの業界
元々アスペや発達障害が多い分、犯罪に対しての心理的な閾値が異常に低い上に学生時代はチー牛陰キャだった分、違法行為に手を染める率が異常に高い
Web系じゃインターンでJDをいじめて精神的に疲弊させてセックスに持ち込んだりする性犯罪者や
経営者自身が集団痴漢の元締めで捕まってフォーカス飾ったなんていう超弩級の危険人物がゴロゴロいるし
日本初の警察にサイバーテロ仕掛けたサイバーテロリストのゆうちゃん事件のゆうちゃんもプログラマーだし
スパコン詐欺で国から巨額の費用を詐欺って捕まった社長もテック系ベンチャー
こやつら学生時代鬱屈して、ちょっとITに強いって選民思想があるから、平然と性犯罪や警察に対して喧嘩売ることもいとわないマジモンのキチガイ揃いで
しかも自浄作用なんか働かないので女性なんか特に近寄らない方がいい
就職したかと思ったら上司からしまかぜとかレムみたいなアニメのコスプレさせられて緊縛スカトロSMアナルレイプなりきりプレイとかさせられかねないし、そんな狂ったチー牛キチガイの変態web系には腐るほどいる
人間はゴルゴ13ではなかったけれど、背後に人の気配を感じるといつも攻撃的な気分になった。
大抵、電車を降りる時とか、スーパーのレジ待ちのタイミングで、
ただその人物が立ったということ自体、その認識の瞬間に怒りが燃え上がる。
分別のない中高年に多いが、男女問わずそのまま押し退けようとぶつかってきたり、
連れと大声でお喋りに夢中になっていたり、後はベビーカーで靴のかかとを押されたら、
怒りのクッションが深く沈み、そこから跳ね上がって振り返って睨み付ける。
(ベビーカーを使うのは構わないが、大きなスーツケースと同じように、人にぶつけたらちょっと頭を下げるくらいの振りはして欲しい。)
一度若い男に駅のショッピングモールでぶつかられた時、明らかにわざとだったので振り返って睨みつけた。
男は睨みつけられた苛立ちから、なんだよお前が悪いんだろと怒鳴った。
言い返さずに罵声を聞き流し、右手の中指を立てたところ、ますます男は燃え上がって、
歩きながら何度か振り返って親指で首を切る真似をしていた。
真似した手技で反論してくるのは創造性がないので、この勝負は人間の勝ちだった。
人間は自分の中に、決して上品とは言えない暴力的で乱暴な一面があることを自覚していた。
それは月並みな暴力性だが、持ち合わせている人間は他にもたくさんいる。
中指を立てるのは舌打ちの代わりだ。舌打ちをすると美しくないという美意識も少しはあったので、
アメリカ産のドラマで頻繁に見かけたジェスチャーで代打することにした。
それは我慢だった。
冗談まじりでルートを変えて欲しいと告げたら、怒鳴り散らされて驚いた。
中学生の頃、教室に入ってきた蜂をやっつけてと先生に冗談まじりで告げたら、
なんで俺がやらなきゃいけないんだと怒鳴り散らされて、やはり驚いた。
電車から降りてきた老人に突然手首を掴まれて憎々しげに引きずられた時もびっくりした。
それから車内で降りようとする見知らぬ男に何度もわざと突き飛ばされるという暴力を振るわれた時もびっくりした。
何故自分が暴力をあからさまに他人から振るわれるのかわからなかった。
謝ったり、一歩引いたりして小さく謝罪すれば終わるようなことなのに、彼らは一様に拳を振り下ろした。
人間はホームや、電車の中で、誰かが怒鳴ったり、窓を乱暴に叩いたりしていると、この鬱屈とした怒りを思い出す。
弱い惨めな気分のまま終わって、後から泣いたり悔しがったりして、消化することはできなかった。
人に聞かせて面白い話でもなく、相手の顔を写真に撮ってSNSにあげるようなこざかしい真似もできた試しがない。
せいぜい中指を立てるくらいだった。
だから人間が望むのは、今度こそこの、自分に対する暴力の生じた瞬間に相手をブチのめすことだ。
今度こそ、顔や腹に拳を打ち込んで、向こうが鼻血を出している間に吐くほど痛めつける。
相手が死ぬとか、怖いとか、やめろということをやる。暴力は理不尽なのだ。
晒されて精神に残った暴力の痕跡は消えない。暴力は感染する。暴力は強いからだ。
そうしないと、いつまでも暴力の記憶から自由になれないと分かっている。
いつかやるつもりで今日も電車に乗っているし、ホームを歩いているし、街を歩いている。
今までは暴力を振るわれるかもしれないと怯えていたけれど、
宗教家の毒親、借金まみれの男と駆け落ち・出戻りして実家に金をせびる姉、半引きこもりの自分。
そうしたコンプレックスを強く抱えていた10代後半の私が辿り着いたのが8年前のTwitterだった。
最初の頃は鬱屈した人々がこんなにもいるのだと、仲間はここにいるのだと喜びフォローをし、私も彼らと同じように「死にたい」「消えたい」を書いては誰宛でも無い文章を空に投げた。
フォロワーが増えると☆がよく飛んでくるようになり、返信もたまに来るようになった。
ちょうどそのころ、世間はLine黎明期であり、日本中の若者が挙ってアプリをダウンロードした。
現実で「友達」が居なくても、Twitterで見つけた「フォロワー」は「友達」として登録され、私たち日陰者同士としての絆は更に強くなると思っていた。
しかし、Lineはメンヘラの思想とは相性が良く、しかし性質との相性は最悪と言って良かった。
当時のコミュニケーションツールといえば、Skypeのようにログインしないと文章が読めないとか、金を払わないと声を出して話せないとか、メールセンターに問い合わせをする必要があるとか、必ず何かしらの「返信が遅くなる理由」があったが、Lineはそれらの「不便」を一様に取り除き、あまつさえ「既読」という機能を標準装備していた。
「読んだのになぜ返信をしないのか」
「信じてたのに」
遠く離れた顔も名前も知らないメンヘラに、寝食に費やす時間を奪われ、私もまた誰かの時間を奪い続けた。
傷の舐め合いとは、痛みを持った人同士であれば理解できるという意味ではなく、返報性の原理を負の方面で遺憾なく発揮した地獄を指していると、身を以て知った。
そうしていつの間にか限界が訪れ、現実もネットも関係を断ち切った自分にあるのは独りの時間のみ。
必要に駆られて外に出て金を稼ぎ飯を食うようになったが、当時の彼らも自分と同じように、病んだ過去を過去として扱っていると良いなと思った。
下記の増田で書いたけど、「表現規制」は、フェミニズムだとか個々の思想のリクエストというよりは、社会そのものが求めてるんだと思うよ。
物語にうつつを抜かす奴らを、何でもいいからとにかく難癖つけて、現実に引き戻そうという教育ママ的な社会の要請が、「表現規制」というメタフィールドからの「行きて帰りし物語」という形を取っているんだと思う。
社会では、物語に耽溺してる時間があったら、その時間分だけ、労働や家庭活動など社会に役立つ行動をしろと思われているわけで、
物語という無駄な存在から人々を引き剥がす「表現規制」は、その個別具体的な内容に関わらず、社会では、方向性として正しいものと認識されてるんだと思う。
だから要は、「表現規制」って「マンガばかり読んで!」という親の叱りを社会化しただけなんだよね。フェミニズムとか個々の思想は単なる理由付けであって、それを敵視しても全く意味がない。
だから、「正しい物語」の不当性を述べる増田の方向性は筋違いに感じる。物語が「正しい物語」を目指しても目指さなくても、そういう理由で「表現規制」は全く止まないと思う。
そうじゃなくて、物語自体が「行きて帰りし物語」の構造を取り戻す、つまり、物語を一時的な甘えとして表現し、永続的に物語を読むような人間にさせない構造を取り戻すまで、「表現規制」は続くと思う。
読み終わった時点でその物語から離脱できるような物語を創ること、最終的に「覚める」物語を創ること、それだけが社会からの「表現規制」を回避する手段だと私は信じている。
つまり、増田の危惧する「正しい物語」じゃなくて、「覚める物語」こそ社会の要請に沿うものだと思う。
「覚める物語」とは例えば、鬱屈した思いを抱える読者が共感できる妄想をなるべく具体的に膨らませた上で、結末で「罰」として、登場人物にひどい目に合わせるとか。
そういう、個人の妄想を奪ってできるだけ膨らませて最後に壊すというスタイルであれば、物語に予防的効果としての社会的意義が生まれ、「表現規制」で妨害されることも無くなるだろう。
しかし、そういう「覚める」構造は、創作者にとって自分のパイを捨てることになることになるから、増えてしまった創作媒体を維持していくには、まあ難しいよね。
だから、「行きて帰りし物語」は最近流行らないんだよね。だから、社会も動いたんだよね。
まとめると、一時的な甘えとして存在の許された「物語」が、常続的に人々の心に巣食うようになった結果、社会がそれを排斥しようと難癖を付けたのが「表現規制」の本質。
増田の言う「正しい物語」も個々の思想も関係無い。必要なのは「覚める物語」。しかし創作者はそれを望まないので解決は難しい、ってとこかな。
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非モテだった。
しかし、人並みの価値観を持っていた。だから、結婚して子供を育てることが幸せの一つの形だと思っていた。そう信じて生きて、そう信じて結婚し、そう信じて子供を作った。
人生で2人目の彼女と結婚した。美人ではない。別に可愛くもない。25歳過ぎて非モテの俺と付き合うくらいだから当然である。
でも、数年続いてそういう話になったから結婚した。それが幸せにつながると思っていた。
プロポーズしたとき彼女が喜んでいるのを見てうれしかった。義理の両親は特に反対もせず結婚を喜んでくれた。あのときは思った通りの幸せを感じていた気がする。
ちなみに自分の両親はもういない。結婚式で訝しんだ人もいたと思う。
ここで気付いた。
幸せじゃない。
もしかしたら、自由が無くなっていくことに不安や寂しさを覚えているのかもしれないと思い込み、感情と向き合うことを流した。家庭を持つ幸せを実感するためには必要な段階だと信じた。
子供の成長にとにかく興味が無い。生まれたときも全然うれしくなかった。妻の憔悴の方が気になった。夜泣きをあやしていた時期は殺意が沸いた。(これはさすがに皆同じ感情を持っていると思う)
成長に伴って幸せになるかと思ったが違った。
手をつないで散歩してみても何も感動が沸かない。
家で動いているのを見ると感情が消える。
これから先、この動物に金をかけ、責任を負わされることになるのかと思うと鬱屈とした気分になる。
はやく独立してほしい。
妻に文句はない。家事も仕事も話し合いのうえで分担できている。できた人間である。
子供にも文句はない。そもそも罪がない。文句を言う筋合いがない。
宇崎ちゃんを撲殺した絵を描いたのがオタクであった事が一部で議論になっている。
「描いたのはオタクだから差別じゃない」「フェミのせいにするな」「ポリコレの行き着く先だ」「アメリカの不謹慎なジョークだ」などなど。
しかし、本人のツィートを見れば宇崎ちゃんに対する明らかな憎しみが存在し、単純なジョークではないことはわかると思う。
次に世界のオタクの置かれた状況を見れば、別に不思議でもなんでもない。
世界の、アニメ好き、オタクというのは日本が抜け出したオタク差別の何倍も過酷な状況に現在進行形でさらされていることを前提にして欲しい。
断じて違う。30代後半、40代前半のオタクならば見たことがないと言えないはずだ。
同胞のオタクを生贄として差し出すことだ。「こんなオタク許せない。こんな作品があるから」と一時でも差別する側に回って、安全を買うのだ。
そういう地獄から日本はなんとか抜け出せた(抜け出せていない変な人もいるがそういう人はかわいそうな老害扱いされている)。
しかしながら世界は、そういう差別をあえて容認してきたし、リベラル派も堂々と差別している。
世界のオタクが、突如狂ったように萌えキャラをバッシングしたり、本当は好きなの萌えキャラをポリコレ棒でぶん殴らなければいけないのは、現在の世界のオタクは日本がかつて体験した以上のオタク差別を受けていることを前提にしないと理解できない。
日本のオタクは解放されたが、世界ではオタクはいまだに被差別階級なのだ。
思春期に、「アニメ好きだと学校でカミングアウトできない中学生高校生」がたくさんいる。それが世界だ。だから、オタクが鬱屈して宇崎ちゃんを撲殺して「萌えキャラ許せない」と奇行を起こしてもむげに責める気にはなれない。
スガシカオが鬱屈した内面を吐き出したり風俗嬢について歌ったりこちら側の人間のカタルシスをファンクに昇華してくれていて大好きだったのに、結婚したあたりから愛とか希望とか歌い始めて絶望したの思い出した。
もともと教育に関心がある家庭ではなく、「高校を出ればすぐ働くべきである」みたいな家庭で、なんの疑問も持たず高校も親が決めた工業学校に通った。
高校卒業後はそのまま地元の工場に就職した。毎日単純労働を繰り返して、「つまんねえなー」と考えたこともあったが、「仕事なんてお金を受け取っているんだからつまんないものだろ」という認識もあって、それになんの疑問も持たなかった。
数年そんな生活を送ったのちに、趣味つながりで友人ができた。彼は生まれも育ちも東京で、いわゆる高学歴の部類に入る人間だった。
話してみて驚いた。彼にとって数学は娯楽で、休日もほとんど数学のことばかり考えているらしい。仕事はその専門的知識を生かす仕事をしており、俺はそこで教育の意味を知った。あと仕事は我慢の対価ではないということも。
彼に勧められて、数学を勉強し始めた。彼の教え方がうまいのだろうが、理系の高校数学の範囲程度までは理解することができた。公理というルールから発展させ、問題を解いていく事はとても楽しいと思った。
俺ののめり込み具合を見て彼から進学を勧められた。今なら授業も楽しいと思えるかもしれないし、進学したかったが、今更親に頼みこめないし(頼み込んでも理解してくれない気がするし)、自力で働きながら通えそうな夜間大学に進学することにした。
授業は楽しい。数学に興味があるだけだろう、と思っていたが、他にも面白いと思える科目は多かった。仕事をしながらの学習は時間もお金もなくなるが、楽しいからいいか、と考えていた。
しかし歳をとり、周りは結婚や転職、色々な変化が起きている。自分だけ取り残されているような気分になった。働きながら勉強している話をしたときに「今から勉強してなんになるの?」と聞かれたことが心にきた。
それまでもたまにふっと考えることがあった。周りには「やりたいこともないしとりあえず進学することにするわ」という人が大勢いて、他の人が当然のように持っているものを自分だけ必死に手に入れようとしている気がして、なんとなく惨めさを感じることもあった。
正解は多分周りの声や状況など気にせず、好きなことを勉強するべきだろう。しかし、できることなら勉強した好きなことを仕事にしたい、という思いも生まれているし、それを実現させようと思ったときに、卒業した時点で30オーバーの学部卒業生(夜間)を採ってくれる会社はあるのだろうか。と不安になる(卒業するまでにそういった仕事に転職しようかとも考えたが、そっちの方が難しいかな、と思った)。
どうすればいい方向に進めるのかな。
【追記】
沢山反応してもらえて嬉しい。鬱屈した気分で深夜に殴り書きしたような感じだったから色々と答えてもらえてありがたい。貴重な体験談を書いてくれた方もありがとう。
かなり救われました。全部のコメントに目を通して、後ろ向きでいる必要がないと思えた。この機会を大切にする。