はてなキーワード: 青島とは
最初は「大貧民ゲーム」「貧民ゲーム」あるいは「階級闘争ゲーム」などと呼ばれており、おそらく「大貧民」よりも聞こえが良い「大富豪」という呼称が後から使われるようになっていった。
Wikipediaを確認すると、「大富豪」と類似したゲームとして、
などが挙げられている。
このうち「大統領」「グレートダルムチ」「ティチュ」「アーシュロッホ」といった欧米圏のゲームはわりあい新しく、日本の「大富豪」や中国の「闘地主」「鋤大D」から派生したものなので除外できる。
残りの「争上游」「闘地主」「鋤大D」「ティエン・レン」のうち、「大富豪」と関連が深いのはどれなのだろうか?
「大貧民 起源」などでググると以下の記事を見つけることができる。
大貧民のルーツはベトナム戦争にある説『トランプゲーム大全』 - エキサイトニュース(2/4)
日本の大貧民は、“日本起源説も十分あり得ます”が、“ベトナム戦争などを通じて、ベトナムから米軍を経由して伝わった可能性もあります”と書かれている。
この記事で紹介されているのがベトナムの「ティエン・レン」である。
まずはこの記述を取っ掛かりにしていこう。
英語版Wikipediaでルールを見ると、「富豪」「貧民」といった階級がないこと、スートにも強さがあることを除けば、確かに大富豪と似ている。
A standard 52-card deck is used. The ranking of the cards from highest to lowest is: 2 A K Q J 10 9 8 7 6 5 4 3.
標準的な52枚のトランプを使用する。強いカードから弱いカードへ並べると「2 A K Q J 10 9 8 7 6 5 4 3」となる。
ただし、ベトナム語版のWikipediaを見るとティレン・レンは「1980年代に登場した」らしいので、残念ながら大富豪よりも後発になってしまう。
英語版Wikipediaではティエン・レンの原型となったゲームが挙げられている。
It is derived from Chinese card games Winner, which uses a specially printed deck of cards, and Big Two.
というわけで、次はこの二つを見てみよう。
ジョーカーの次に強いのは2であり、3が一番弱い。
また「上位を争う」との名前どおり、大富豪とよく似た「階級」要素が存在している。
この点においてはティエン・レンよりも大富豪に近いと言えるだろう。
争上游の起源についてググってみると、そこから派生した青島の「够級」というゲームについての記事を見つけた。
揭秘青岛够级:起源于沧口广场“争上游” 青报网-青岛日报官网
够级的起源和演变过程有好几种说法,据沧口一带的老“够级”们回忆,它的产生和形成,是在五十年代末到六十年代末的那段时间。那会儿,打扑克已经有了“争上游”的玩法。
「够級」の起源と変遷についてはいくつかの説があるが、滄口地区の古い「够級」のプレーヤーたちが記憶するところによると、1950年代後半から1960年代後半にかけて生まれ、形成されたものであるという。当時、トランプゲームには「争上游」という遊び方が存在していた。
この記述が正しいなら、争上游は大富豪に先行して存在していたことになる。
日本語版Wikipediaを見るかぎり、「階段縛り」と同じ要領で「ストレート縛り」「フラッシュ縛り」「フルハウス縛り」みたいなものがある大富豪、という理解でいいだろうか。
「大老二」の他に「鋤大弟」「鋤大D」といった異称があり、いずれも「2が最も強い」という特徴に由来していると思われる。
「鋤大D」(「鋤大弟」とも書く。「鋤D」とも言う)の名称は広東語に由来する。「D」とはトランプの2のことを言い、広東語の変音で「di2」と発音する(普通の広東語では「弟」は「dai6」)。
大老二の起源は香港にあるらしいが、どのくらいの時期に生まれたのかはわからなかった。
Google Booksで検索してみても80年代以前に遡れないので意外に新しいのか?
最初に「類似のゲーム」として挙げられていたもののうち、最後に残った「闘地主」についても触れておく。
ルールとしては、一人の「地主」とそれ以外の「農民」とに分かれて戦うあたりに特徴がある。
ジョーカーの次に強いのは2であり、3が一番弱い。
という条件はやはり満たしている。
中国の文化大革命における階級闘争では、黒五類や臭老九のひとつに区分された地主の人権を農民が冒すことを権威づけられたという。闘地主の名前はそこから来ている。
という点では、かつて「階級闘争ゲーム」と呼ばれていた大富豪と共通しているようにも思える。
ただし、闘地主自体は文化大革命期に作られたわけではなく、1990年代にネットゲームとして広まったものなので、比較的に新しいゲームと言える。
以上からすると、中国の「争上游」が(とりあえずは)最も古く、それが日本に伝わって大富豪ゲームとなり、あるいはベトナムに伝わってティエン・レンとなった、と考えるのが自然に思える。
ただし、「2」がもっとも強いというルールの起源が「争上游」にあるのかというと(おそらく)そうではなく、そもそも中国のトランプゲームでは全般的に「2」が最強であるようだ。
原先最小的2被規定為最大的牌,有如國家由平民做主,但其實Ace本身就是這個意思。
国家が平民を主とみなすように、最小である「2」が最大のカードと規定されている。実はトランプの「エース」自体が同じ意味を持っている。
この「エースが同じ意味を持っている」という話は以下のとおり。
15世紀後半の時点で、一部のゲームでは「エースが高い役」という民間伝統が存在した。例えばポーカーの前身となったブラグ等である。この昇格(エースが低い役から高い役に変身を遂げた事)が起こったのはフランスのデッキだけでなく、ドイツのデッキを使うゲームでも2のカードを最も高い役のカードとする事が発生した。フランスのデッキでエースを最も高い役のカードとして使用する事は、フランス革命の結果としてより広範囲に受容される所となった。(中略)エースの昇格は、貴族階級(特にルイ16世)の排除と平民の地位の向上を象徴した。
つまりヨーロッパでは、市民革命を象徴させるために「最も弱いカード」を「最も強いカード」とするルールが広まった、ということらしい。
中国でもそれと同じことが起こり、「最も弱い農民(2)が最強の皇帝や資本家(KやA)に勝る」といった発想で「2」がいちばん強くなった、ということか。
なんだか大富豪における「革命」のルールとの相似性が感じられる。
あるいは「スペードの3でジョーカーを返せる」といったローカルルールも想起されるだろうか。
「最も弱いカードが最も強くなる」という現象はさだめて普遍的なものなのだろう。
というわけで、「なぜ大富豪では2がいちばん強いのか?」という問いの答えとしては、
中国のトランプゲームでは一般的に「2」がいちばん強く、それが争上游を通じて大富豪に影響したから
ということになるのではないか。
こないだ夜帰り道で定期入れを拾ったので交番に届けたら留守でさ
誰もいないのよ。
そんで、
カウンターにあった
留守時ならこの電話使ってね!ってのがあったので、
出前頼もうと思ったけど、
ボケれなかったわ。
ここは真面目に
落とし物を拾ったんですけど交番が誰もいないのでカウンターに置いて帰りますね!って
そうすると
とのこと。
私はそれなら別の交番に行ってもいいですか?って言うと大丈夫とのことで、
私の最寄りの駅のみかんの花咲く丘公園駅前の交番に持って行ったの。
そしたらそこも留守なのよ。
いったいどうなってるのかしら?
落とし物はパトロール先で落ちているんじゃないの!現場で落ちたいるの!って青島さんばりに私は言いたい気持ちを我慢して、
そしたら、
声が似ていたから、
さっきの人ですか?って私が言うと、
ほら警察の人がよく言いたがりがちな
管轄が違うんです!って私まともに食らっちゃったわ。
それはともかく、
私は足労して落とし物を届けたのに
2件とも交番が留守ってそううこともあるのねーって
結果私は2件目の交番で小一時間ほども取ってくるのを待ったのかしら?
とにかく真夜中に交番1人で待っているのは物騒だわって思ったけど、
なんとなくここは安全地帯なのかワインレッドなのか玉置浩二さんなのか
よく分からないけど、
そんで、
さっきの本部の人がすぐに誰かをよこしますのでっておっしゃってて
合計パトカーが2台来て、
2台のパトカーに包囲されたの。
もちろん私は善良な市民でただたんに落とし物を届けに来ただけなので、
包囲されるいわれはないけど
さすがにパトカーが2台同時にやって来て大事か!って思っちゃうわよね。
ただたんに本当にしょうもないことをくだらないことを言うと
現行犯逮捕されそうなので、
本当に心から真面目に
拾った場所と拾った時間をちゃんと調書を書くのに答えて無事届けることが出来たの。
ここはいたって真面目に事なきを終えて、
私はくだらない面白くないことを言った現行犯逮捕は免れたってワケ!
まあウケたらきっと逮捕されなかっただろうけど、
いつものように増田のように書いてあることないことを吹聴しまくったら、
だから私は至って真面目に落とし物を届けたの。
名前も書いてあることだろうし
すぐに見付かるといいわね!っていって
お礼のペロペロキャンディーをもらったので、
もとい!
いいでしょ?
でもさ、
中に人が常駐しているのかって分からなかったので
コンビニ強盗もわざわざコンビニ併設の交番を襲撃しないでしょ?
そんなことを考えたけど口にしなくて本当に良かったと思うし、
これは心の中に仕舞っておくことにするわね。
うふふ。
って最近グルメチャンネルやら食レポシーンではハーモニーってあんまり使わなくない?
なんかみんなマリアージュって言いがちよね。
ミントを仕上げに添えての
暑くなりがちなので、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
その艶めかしい姿を見て、僕は思わず生唾を飲み込んだ。誘うように光る粘液、突けば弾き返すようなその肉感。薄い衣の上からでも、その肉質が伝わってくる。
早くその全てをこの口の中で転がし、存分に蕩ける蜜を味わい、歯を立ててみたい…
無意識に鼻から大きく息を吸い込む。芳しい、なんとも言い難い独特のあの香りが鼻腔をつく。
昂る欲望を抑え込むように、先ずは供された緑の瓶から、秘薬をひと口。瞬間、泡立つような感覚が喉を通り抜け、僕の胸の奥に熱い火が灯った。
もう我慢できない…
『もう、いいかな?』彼女の返事を待たずに、気がつくと僕はその塊を口に含んでいた。
想像したよりも遥かに潤んだその蜜が、僕の唇を汚し、口内を蹂躙する。官能的な香りに後頭部が痺れるような錯覚を起こす。
蜜を丁寧に舐め取り、秘肉にそ、っと歯を立てると彼女の口から思わず声が漏れた。
『あっ…は、早く…私の口にも頂戴…っ!』
普段の彼女からは想像できないようなだらしない表情で、ぬらぬらとした舌を出して口を開け、待ち構えている。
『いいの?少し熱いよ…』
『いいっ!もう我慢できないのっ』
正に海老反りとしか形容できないほどに反り返ったそれを、ゆっくりと彼女の口に含ませてゆく。
『あっ…ん、ん…こんな大きいのはじめて…!それにすごく弾力があって…あっ…』
『どうしたの?ちゃんと言わないと分からないよ。最後まできちんと言ってご覧。』
興奮を抑えつつ、彼女を視姦しながら優しく尋ねる。
『あっ、あ、…お、美味しいですっぅ、ぅう!』
『何が?何か美味しいのか言うんだ!恥ずかしがらずに言わないと駄目だよ。もっと欲しいですってきちんと言って。ほら』
『ぅっ、ぅ ぁああ、あっ!なっ、南粤美食のエビチリ、美味しいれすぅう!もっと、もっとこのだらしないお口にくださいぃ!』
『よく言えたね。ご褒美だよ。』
そして僕はまた新たな肉塊を、彼女の口に押し込むのだった…
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『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
毎日の餌やりやお世話は紙本さんを中心に行われ、病院に連れて行ったり
ツイ廃なので猫の島があると知った時にツイッターで 猫 青島 で検索した。
「猫の島 青島」がトップに出てくる。何の気なしにフォローした。
例えば、ある猫の名前をSとする。Sの生い立ちを事細かく仕立て上げる。
他の猫に虐められている不幸なSをあたかも事実の様に話を作り上げる。
実際の所Sは別のOさんと言う名前で不幸でもなかったらしい。
別の猫はJと呼ばれている。本当は猫のお母さん事、紙本さんはSKと付けている。
「猫の島 青島」の中の人の作り話に俺はすっかり騙されていた。
と言うのもこの方が写真や動画を撮る時に缶詰パーティーなるものを開催してる。
俺は餌やりボランティアさんだと思っていたのだ。
ツイッターで人を寄せて「長くなるのでブログへ」と誘導しているのも憎い。
悪質なのは撮れ高を作る為に大量の猫缶を猫達に振る舞い、食べさせる事だと思う。
猫たちは食べ過ぎてしまい、吐いてしまっていたらしい。※目撃者談
「青島猫を支援する会」のツイッターでは猫缶を食べ過ぎて肝臓悪くし入院せざる得ない猫もいるので過剰に餌を与えないで欲しいと喚起している。
YouTubeで別の保護猫団体が事の重さを伝える動画をアップしてるので興味がある方は一度見て欲しい。
このおっさんは餌やりボランティアでもないし、青島猫を商売のネタにした上に猫の健康を阻害する虐待行為を繰り返している。
過去にはソーセージパーティーも開催。そんな塩分高いもの上げたらSAN値直葬。
どうやら紙本さんとボランティア団体とは決裂しているらしい。
おっさんの創作ツイッターを眺めるとしょっちゅう猫を抱いたりしている
紙本さんの姿がアップされているのだけれど、これって盗撮か?と疑っている。
7年間お世話を続けてきたボランティア団体のSNSが10月末から本格的に可動。
11月に入って猫風邪が島の猫達に流行し出し掛かってしまった猫達は餌場に現れなくなった。結果として廃屋で休んでいたそうだ。
ボランティア団体はSNS上騒がず情報出すことは控えていたのだが、おっさんが猫が神かくしにあったとツイッターに上げたものだから
内容は不明だが、紙本さんは日テレの取材で受け答えが出来ないほどメンタルをやられていたらしい。
さぞ、不特定の見ず知らずの方々からの電話は応えただろう。気の毒で仕方ない。
「猫の島 青島」の中のおっさんが、猫は全頭元気になって戻ってきました!記事を投稿した。
ボランティア団体のツイッター「青島猫を支援する会」からの投稿は残念ながら数頭なくなってしまいました。とのこと。
この両方投稿の食い違いに気がついたフォロワーがおっさんに尋ねた所ブロックされたそう。
自分に都合の悪い事はブロックないし関わらない。それどころか、あたかも公式かの様に振る舞う投稿ばかり。
このおっさんにもし寄附金託した人は名乗り出て欲しいところだ。恥ずかしいことではない。
良心が痛まない方々はこれからも「猫の島 青島」の作家 小野先生の創作話を楽しんでもいいだろう。
あと、毎日投稿しているけど撮り溜めたの小出しにしてるだけだと思う。
情報としてはそんなに新鮮じゃないと思うよ!と言う意味ですよ。
コロナで休日の予定がなく、撮りためた写真を整理していたら思い出がよみがえってきたので備忘録的に書く。
今じゃ考えられないが、ここ数年中国のLCCの春秋航空が片道\1,980とか異常に安い値段でセールを連発していたので土日+有給1日つけて中国旅行に行きまくっていた。
訪れた都市は上海・合肥・蘇州・南京・広州・深圳・西安・敦煌・ウルムチ・カシュガル・成都・東チベット・天津・青島・大連・丹東・ハルビン・瀋陽・香港・マカオ。
その中でも印象的だった4つのエリアについて、思い出話を書きたいと思う。
■ 丹東
国境の町。大河鴨緑江を渡るとそこは北朝鮮。中朝貿易の拠点として知られていて北朝鮮とのヒト・モノ・カネの連結点になっていると聞いていたのだが...
2019年に訪問した時には経済制裁の影響かほとんど人の往来が見られなかった。2つの国を結ぶ道路を歩いているのは巡回の兵士のみ、鉄道も全然動いていなかった。
北朝鮮レストランはまだ営業していたが、客足はまばら。冷やかしで入り口まで入ったが店員さんは塩対応。英語は話せるっぽい。
結局、中国人経営と思われる店で冷麺を食べて北朝鮮のビール、大同江ビールを飲んでみた。冷麺の味は可もなく不可もなくというところで、ビールは普通にまずかった。
大同江ビールは北朝鮮の主要な輸出品目らしいが、東南アジアのビールのように暑くて湿気の高い日に合いそうといったこともなく、無個性でただひたすらにまずいという印象だった。
ウイグル自治区。少数民族の弾圧が報道されている昨今だが、外国人の俺でも普通に自由旅行ができた。ただし、公安の警備の目は他の町よりも厳しい。
中国では地下鉄に乗るときにセキュリティチェックがあるのが普通だが、ウルムチではこれに加えてホテルやショッピングセンターの入り口でもセキュリティチェックがあった。
地元住民は中国の他の町と比べて彫の深い顔立ちで、ウイグル語表記の看板と合わせて異国情緒が強い。
町の中心部は中国語の建物が立ち並んでいるが、バスで郊外に向かうと昔ながらのバザールや家畜市場も残っており、意外に少数民族の文化が温存されているように思われた。中国政府としても(国内向けの)観光資源として金になると踏んでいるのかもしれない。
余談だが、ウイグル人のタクシードライバーは普通にぼったくってきた。この3年間、中国旅行でぼられたのはこの一度だけ。抑圧されているマイノリティといえど、常に善良というわけではないのだ。
ウイグルと違って、チベットエリアはガチで少数民族の抑圧が強い。最大都市のラサは一人旅で入ることができないため(政府公認のツアー参加必須)、成都からバスで10時間以上かかるという東チベットエリアに潜入した。
時期によって外国人の入境が出来たりできなかったりするので、ネットの旅行記を見て行けたという報告の上がった翌週に1週間休みを確保して飛んだ。多分今はもう行けない。
東チベットは山がちで人口も少ないため発展著しい都市部に比べるとインフラ整備は遅れているのだが、ここにも開発の手が及んでいるようで、日本の首都圏で言うと圏央道くらいの規模の立派な道路が建設中だった。
果たして採算は取れるのだろうか? それとも採算無視で鉄鋼の過剰生産解消のためにオーバースペックなインフラ整備をしているのだろうか?
現地の町ではヤクが放し飼いにされており、そのバターを使ったチベット料理を堪能した。いたるところでマ二車が回され、宗教が生活に根付いているような地域だった。
途中タクシーで修行僧と乗り合わせたが、日本人とわかるとフレンドリーになった。ネットで調べておいた簡単なチベット語のあいさつをすると上機嫌になり飲み物をごちそうしてくれた。
同じタクシーには家族連れも乗っており、小学生くらいの子供が、おもちゃのガラガラのようなマニ車を回していたのがとても新鮮だった。面白そうなのでお土産に1つ買って帰った。
いつか政治的抑圧がなくなって、自由に旅行に行けるようになると嬉しい。
■ 香港
デモの渦中の2019年に訪問。公安とデモ隊の衝突に巻き込まれないか不安だったが、twitterでデモ情報を見ながら移動したので幸か不幸かデモに巻き込まれることはなかった。
主要道路沿いにはデモ隊の落書きが残っており生々しさを感じた。こんな情勢でも地下鉄や船等の公共交通のセキュリティチェックは無く、ネットの接続制限も体験した限りでは見られなかった。
Google, Twitter, Facebook, Line, Fanza。すべて問題ない。アメリカや日本のWebサービスを自由に使える。なんて開放的なんだ。素敵!最高。今後もどうか香港の自由が保たれますように。
3/9
慶北慶山に住む70歳の男性1人がコロナ19で8日、死亡した。国内51人目の死者である。慶尚北道によると、この男性は先月26日、経産でコロナ19確定判定を受けて安東医療院に入院した。以後4日、東国大レース病院音圧病室に移送され、治療を受けたが、8日に死亡した。
大邱でコロナ19に2人追加死亡した。これ国内の死者は計53人である。保健当局によると、9日午前2時20分頃、嶺南大病院で75歳の男性が呼吸困難で死亡した。普段肺線維症を患っていたが、男性は1日、咳や呼吸困難の症状を示し、8日嶺南大病院の緊急治療室で治療を開始した後、確定判定を受けた。同日午前6時15分頃には、啓明大学東山病院で69歳の女性が死亡した。先月24日に発熱の症状を示し29日大邱医療院選別診療所を訪れたが、女性は1日確定判定を受けた。基礎疾患はないことがわかった。
19:45大邱でコロナ19 1人追加死亡...大邱36人・国内54人目
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。これにより、大邱地域の死者は36人、国内の死者は54人に増えた。大邱市は慶北大学病院で治療を受けていた82歳の男性が、この日の午後3時54分ごろ、死亡したと発表した。この患者は、基礎疾患に食道がんを患ったことが分かった。
3/10
10日大邱でコロナ19確定者4人が追加で死亡した。大邱地域死者は40人で、国内の死者は58人に増えた。大邱市によると、62歳の男性が9日午前、死亡した後、コロナ19確定判定を受けた。彼は7日、検査を受けたが、当時は音声であった。 76歳の女性は、慶北大病院隔離病棟で治療中に死亡した。普段糖尿病を患っていた。先月22日に確定判定を受けた59歳の女性は、啓明病院で嶺南大病院に電源れ治療を受けて死亡した。基礎疾患はなかった。慢性気管支炎を患っていた71歳の男性は、5日確定判定を受けて、集中治療室の治療中に死亡した。
大邱でコロナ19死者が1人より出てきた。 10日、大邱市によると、死者は83歳の女性である。去る2日発熱、下痢の症状で、大邱医療院で検査を受けて、次の日確定判定を受けた。以後肺炎所見で音圧病床で入院治療を受けたが、この日の午前10時43分ごろ死亡した。患者は基礎疾患として高血圧を患っていた。これにより、大邱地域の死者は計41人で、国内の死者はすべて59人に増えた。
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。これにより、大邱地域の死者は42人、国内の死者はすべて60人に増えた。大邱市は3日コロナ19確定判定を受けて、翌日、大邱医療院音圧病床に入院して治療を受けていた80歳の女性が10日午後3時55分に死亡したと発表した。この患者は、基礎疾患として高血圧と糖尿病を患ったことが確認された。
3/11
大邱でコロナ19による61人目の死者が出た。保健当局によると、10日午後8時ごろ、慶北大病院音圧治療室で79歳の女性Aさんが死亡した。 8日発熱と呼吸困難の症状を示していが、病院の緊急治療室を訪れたAさんは、すぐにコロナ19確定判定を受けた。 Aさんは普段、認知症を患ったし、高血圧があった。
11:02益山で治療を受けた大邱確定者が死亡...国内62番目
大邱地域コロナ19確定者1人が益山円光大学病院で11日死亡した。国内62人目の死者である。全羅北道によると、円光大学病院で治療を受けた84歳の女性Aさんが午前8時20分頃に死亡した。 Aさんは、先月22日、コロナ19確定判定を受けて大邱嶺南大病院で診療を受けて29日圓病院に運ばれた。 Aさんは、移送時に肺炎や呼吸困難などで重症の状態であり、多臓器不全で透析を受けてきたことが分かった。
大邱でコロナ19による死者が追加発生した。国内63番目、大邱地域では44回目だ。死亡者は87歳の男性で、11日午前8時20分頃、大邱医療院で死亡した。この男性は2日峡ャ保健所でコロナ19の検査を受けて4日確定判定を受けた。 6日、呼吸困難と全身衰弱症状で漆谷慶北大病院の救急室に来院した。 7日大邱医療院に移送され、診療を受けて、11日に死亡した。
20:30慶北でコロナ19 2人追加死亡...慶18人全国65人
慶尚北道でコロナ19確定者2人が死亡した。慶北死者は18人、全国の死者はすべて65人に増えた。慶尚北道は11日、コロナ19確定判定を受けて入院していた90歳の患者と74歳の患者が、この日死亡したと発表した。去る4日確定判定を受けて金泉医療院に移送された90歳の患者は、この日の午前9時58分、肺炎で死亡した。この患者は、基礎疾患に糖尿病、認知症、血圧、退行性関節炎を患った。同日午後1時30分、国立中央医療院で敗血症で死亡した74歳の患者は、通常、糖尿病、高血圧、狭心症を患っていたことが確認された。
21:40大邱でコロナ19追加死亡...大邱45人全国66人
大邱で国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者1人追加で死亡した。大邱死者は45人に増え、全国の死者は66人になった。大邱市は11日、基礎疾患に狭心症、高血圧などを患っていた84歳の女性が、この日の午前8時ごろ死亡したと発表した。
3/12
京畿道城南市盆唐私の考え、病院で確定判定を受けた新型コロナウイルス感染症(コロナ19)患者1人が死亡した。 12日ウン・スミ城南市章Facebookを介して「昨日(11日)午後10時ごろ、毎分私の考え病院感染者した方が死亡されました」と述べた。死者は龍仁市に居住する82歳の男性で、6日毎分私の考え、病院で確定判定を受けてミョンジ病院に運ば隔離されて治療を受けたが、終了死亡した。基礎疾患としては、肺癌を患っていた。この男性の奥さんも同じ日に確定判定を受けて、現在城南市医療院で隔離治療を受けている。
3/13
08:44毎分私の考えの病院感染者1人が死亡...全国68人目
試合城南でコロナ19確定者1人が死亡した。首都圏では3番目、全国68番目の死者だ。城南市は毎分私の考え、病院でコロナ19確定判定を受けて城南市医療院で隔離治療を受けていた77歳の女性が13日午前6時38分頃、死亡したと発表した。肺がん患者の女性は、集団感染が発生した毎分私の考え、病院本館8階81病棟に入院したが、5日に確定した。
大邱でコロナ19確定者1人が死亡した。これ死者は合計69名である。大邱市によると、13日午前2時頃、大邱医療院で85歳確定者が死亡した。高血圧などの持病を患ってきたが確定者は、3日にコロナ19確定判定を受け、入院治療中だった。
13:29大邱でまた1人死亡... 70人目の死者
大邱でコロナ19で治療を受けていた確定者が13日に死亡した。この日の大邱で発生した2回目、国内70人目の死者である。大邱市によると、同日午前8時40分頃、啓明大学東山病院で入院治療中の75歳の女性が死亡した。この女性は4日峡ャ保健所でコロナ19確定判定を受けて5日発熱・呼吸困難の症状を示してい啓明東山病院音圧病室に運ばれた。基礎疾患として高血圧と糖尿病を患っていた。
慶北東国大慶州病院でコロナ19国内71人目の死者が出た。慶尚北道によると、東国大レースの病院で治療を受けていた77歳の女性が13日午前11時35分頃死亡した。この女性は、コロナ19集団感染が起きた青島対南病院の介護者に21日確定判定を受け金泉医療院に移送されたが、症状が悪くなって、25日に東国大レース病院に移された。基礎疾患として高血圧と糖尿病を患っていた。
16:22大邱・慶北のみ4人... 72人目の死者出
13日大邱でコロナ19死者1人追加しました。大邱・慶北地域で、この日だけ4人死亡、国内の死者は72人に増えた。大邱市によると、この日の午後1時15分頃、慶北大学病院で入院治療を受けていた86歳の男性が死亡した。この男性は、挙動不便と左側股関節部位の痛みの悪化で2日慶北大学病院の緊急治療室を訪問した後、コロナ19確定判定を受けた。高血圧、認知症、脳卒中などを患っていた。
3/14
釜山でコロナ19確定者1人が死亡した。釜山で発生した最初の死亡者であり、国内の73回目だ。釜山市によると、13日午後10時40分88歳の女性患者が、釜山大病院で死亡した。慶北青島対南病院近くの居住者であるが、患者は3日清道郡選別診療所でコロナ19の検査を受けたが、「音声」の判定を受けた。以後、症状がひどくなり、12日、病院を訪れたが、確定されて入院した。普段心臓病・高血圧・脊椎狭窄症を患った。
3/16
大邱でコロナ19で治療を受けていた80代の男性が死亡した。大邱で52番目、国内77人目の死者である。 16日大邱市によると、先月28日に発熱と呼吸困難に慶北大病院の救急室に来院したA(84・男)氏は29日、確定判定を受けた。去る1日音圧隔離病床に入院して治療中だった。
大邱ファティマ病院でコロナ19確定判定を受けた後、病院で治療を受けていた71歳の男性と64歳の女性が死亡した。国内の死者は79人に増えた。 16日、慶尚北道助け大邱市によると、70代の男性Aさんは化学療法を受けている間、過去15日確定判定を受けた。 60代の女性は、高血圧など基礎疾患を患っており、過去12日確定判定を受けた後、入院治療中だった。
コロナ19確定判定を受けた81歳の女性が16日に死亡した。国内80人目の死者である。高熱・悪寒の症状を見せたが、女性は今月5日確定判定を受けて金泉医療院に入院した。以後肺炎が悪化して国立中央医療院に電源たが、この日に死亡した。基礎疾患に糖尿病と高血圧を患っていた。
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定判定を受け、治療中だった65歳の男性が16日、死亡した。大邱地域死者は54人、国内の死者は81人に増えた。大邱市は慶北大学病院で入院治療中の患者が、この日の午後12時35分ごろ死亡したと発表した。先月21日、コロナ19確定判定を受けたが、男性は先月28日、心停止が発生して機関の挿入と心肺蘇生治療を受けている。この男性は、基礎疾患に糖尿病と食道がんを患っていた。
2/25
コロナ19確診者のうち、9人目の死者が発生した。去る24日漆谷慶北大病院で死亡した患者1人が死後にコロナ19陽性判定を受けた。この患者は、23日腹部膨満症状などを訴えて来院した音圧病室で治療を受けていたの急性呼吸不全で死亡した。
17:00確定者84人増え、合計977人... 10人目の死者が発生
コロナ19の中央防疫対策本部が25日午後4時の基準国内10人目の死者が発生したと発表した。確定患者は、午前60人、午後84人が追加され、合計977名である。一日に確定者144人に増えた。現在の検査を進行中の人は1万3888人である。
18:00 11人目の死者、35歳、モンゴル人の男性···外国人初の事例
新型コロナウイルス感染症」(コロナ19)確定判定を受け、京畿道高揚ミョンジ病院で隔離治療中だったモンゴル人男性(35)が25日、死亡した。国内11人目の死者で、外国人初の事例だ。保健当局によると、この男性は慢性肝疾患と末期腎不全を患っ南楊州市別耐凍家で療養していたし、24日午前6時病状が悪化し、病院に運ばれた。ミョンジ病院の関係者は「この男性の死亡原因がコロナ19と関連しているか調査中」としながらも「(サインは)持病のためだと見ることが合理的だ」と明らかにした。
2/26
国内コロナ19確定者のうち、12人目の死者が発生した。大邱で3番目確定判定を受けた患者で新天地信徒に伝えられた。糖尿病と高血圧を患っていたが、男性は20日、大邱医療院選別診療所を介して入院した後、啓明大学東山病院に移送され、呼吸器治療を受けてきた。 24日連鎖球菌ショックが発生して集中治療を受けて26日午前1時ごろ死亡した。
2/27
27日、国内の新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者のうち13番目の死者が発生した。死亡者は74歳の男性で、新天地信徒全数調査の過程で確定判定を受けた。腎臓移植に基礎疾患を患っており、この日の呼吸困難の症状で救急搬送中に心停止が発生して死亡した。大邱地域でコロナ19死者は計4人に増えた。
2/28
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)検査後が隔離中の患者が死亡した。国内14人目の死者に自己隔離の死亡2番目の犠牲者だ。死亡者A(69・女)氏は、この日の午前5時39分ごろ、呼吸困難を訴えて救急室で緊急搬送した。彼は心肺蘇生法(CPR)を受けたが、病院に到着して1時間後に死亡した。大邱市は、彼の死に関連ブリーフィングを29日午前にする予定である。
大邱英病院で女性A(63)氏が死亡した後、コロナ19確定を受けた。続いて、大邱医療院で23日確定を受けた女性B(94)さんが死亡した。これ国内コロナ19死亡者数は、合計16名である。
2/29
12:05大邱でコロナ19確定77歳の男性死亡... 17番目
大邱地域でコロナ19の17人目の死者が出た。大邱市によると、29日午前7時20分ごろ、漆谷慶北大病院音圧病床で治療中の77歳の男性確定者が死亡した。この感染者は普段糖尿パーキンソン病を患った。
3/1
14:24コロナ19国内18人目の死者が発生... 82歳の男性
国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者のうち、18人目の死者が発生した。疾病管理本部の中央防疫対策本部は1日午後行われたブリーフィングで大邱で18人目の死者が出たと述べた。ジルボンは「18人目の死者は82歳の男性で基礎疾患に脳梗塞、高血圧、糖尿病などを患っていた」と語った。
大邱でコロナ19確定者のうち2人が死亡した。この日一日の間に3人が相次いで死亡し、死者は20人に増えた。大邱市によると、同日午後2時25分漆谷慶北大病院に入院していた80歳の男性と午後4時18分大邱カトリック大学病院に移送された86歳の女性が死亡した。 80歳の男性は、28日コロナ19確定判定を受け、高血圧を患っていた。 86歳の女性は、去る28日コロナ19確定的にあることが判明され、この日の午後、呼吸困難で病院に搬送されたが死亡した。
大邱で1日コロナ21度、22人目の死者が発生した。この日の午後6時30分頃、大邱寿城区した家庭で確定判定を受けて自宅で入院を待っていたA(77)氏が亡くなったことを警察が確認水性保健所に通報した。これ進ん1日午前1時40分頃には、前日ファティマ病院に入院した77歳の女性Bさんが死亡した事実が一歩遅れて確認された。これにより、大邱では、この日だけ5人コロナ19に命を失った。
3/2
大邱確定者のうち、追加死亡者4人が発生した。 2日、保健当局によると、ファティマ病院の緊急治療室で冷えなどの症状に移送された80歳の男性、慶北大学病院で隔離治療中だった71歳の男性、嶺南大病院で入院中だった64歳の男性、啓明大学東山病院音圧室から分離されていた86歳女性が死亡した。死者のほとんどは、糖尿病・高血圧などの持病を患っていた。これ国内の死者は26人に増えた。
大邱でコロナ19確定者のうち死亡者2人が追加で発生した。これコロナ19国内の死者は28人に増えた。大邱市によると、この日の午後1時13分ごろ、79歳の女性が肺炎症状で啓明東山病院に運ばれたが、心停止がと死亡した。この女性は、事後検査でコロナ19確定者が明らかになった。また、この日の0時46分ごろ、大邱カトリック病院で入院治療中の78歳の女性が死亡した。この女性は、高血圧などの基礎疾患があり、死亡後陽性判定を受けた。
大邱確定者のうち死亡者1人追加された。 3日、保健当局によると、同日午前3時ごろ啓明東山病院で確定者A(78)氏が死亡した。 Aさんは、先月29日の緊急治療室を介して、この病院に入院して内科集中治療室で隔離治療を受けていた。コロナ19確定判定は入院した日の午後8時40分頃出てきた。 Aさんは、基礎疾患に糖尿病と肺炎を患っていた。これ国内の死者は29人に増えた。
17:16 43日で5000人を超えた。確定者5186人・死者31人
中央防疫対策本部は3日午後4時の基準国内新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者の合計5186人と発表した。この日0時と比較して374人増え最初確定者発生後の43日目に5000人を超えた。死者は大邱で3人追加で発生して31人に増加した。保健当局によると、同日午前11時47分ごろ、啓明大学東山病院で呼吸困難の症状に見えたA(83)氏が死亡し、同日午後2時37分ごろ、慶北大病院で確定者B(75)さんが死亡した。
大邱でコロナ19死者が1人追加で発生した。まだ確定番号が付与されなかったが、大邱では22回目だ。大邱市などによると、この日に死亡した78歳の男性は、2日コロナ19陽性判定を受けて自己隔離中倒れた。 119救急隊が到着し、当時心停止状態だったが、患者はファティマ病院に移送された後、死亡した。高脂血症と高血圧、前立腺肥大症、心筋梗塞などの基礎疾患があった。これ国内コロナ19死者は32人に増えた。
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10:30基礎疾患のない大邱60代の女性が死亡...死者33人
大邱で基礎疾患のないコロナ19確定者が死亡した。 4日大邱市によると、死者は67歳の女性で、先月25日に大邱カトリック大学選別診療所で検査を受けてコロナ19確定判定を受けた。特別な基礎疾患はなかった。以後着実に人工呼吸療法を受けたが、この日の午前1時50分に死亡した。これ国内の死者は計33人である。
大邱でコロナ19死者1人追加で発生した。これ国内の死者は34人に増えた。大邱市によると、同日午後4時23分ごろ、大邱医療院で隔離治療を受けていた87歳の女性が死亡した。この女性は、先月24日、南区保健所でコロナ19検査の後、確定判定を受けた。この女性は、心臓肥大と高血圧、認知症、不安障害などの基礎疾患を患っていた。
22:51大邱でコロナ25人目の死者が発生...国内総35人
大邱でコロナ19死者が追加で発生した。大邱市はこの日午後5時25分ごろ、啓明大学東山病院音圧病床で治療を受けていた72歳の男性が死亡したと発表した。この男性は先月22日、大邱(テグ)医療院でコロナ19の検査を受けた後、24日確定判定を受けて大邱東山病院を訪れた。当日呼吸困難の症状を示してい啓明東山病院に電源た。糖尿病、高血圧などの基礎疾患があったと伝えられた。国内累積死亡者は合計35人になった。
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08:51慶60歳の男性1人が死亡... 36番目
慶尚北道でコロナ19確定者1人が死亡し、国内の死者数が36人に増えた。慶尚北道によると、4日午後3時16分頃、順天郷大欧米の病院で60歳の男性Aさんが死亡した。 Aさんは1日、脳梗塞の症状に欧米の病院に移送されCT撮影検査をした。この検査で肺炎の症状が現れコロナ19の検査をし、3日陽性判定を受けた。保健当局によると、Aさんは、高血圧・糖尿病・高脂血症などの持病を患っており、肺炎の症状が悪化して死亡したとみている。
コロナ19による死者が慶北2人・タラ1人が追加され、死亡者数が39人に増えた。慶尚北道によると、青島に住むA(84・女)氏と城主に住むB(81)さんが5日午前、安東医療院で死亡した。 Aさんは、心不全・脳梗塞など基礎疾患を患っていたが、Bさんは何基礎疾患がなかったことが分かった。この日の午前7時34分頃には、大邱ファティマ病院でC(77)さんが死亡した。 3日発熱と呼吸困難の症状を見せたC氏は4日、ファティマ病院に移送され、コロナ19確定判定を受けた。保健当局は、Cさんが普段糖尿病を患ったことが確認された。
5日大邱でコロナ19確定者60代男性が死亡した。保健当局によると、この日の午後1時24分頃、慶北大学病院では、A(67)氏が死亡した。先月27日、確定判定を受けたAさんは、糖尿病などの持病を患っていたことが分かった。これ国内死亡者は40人に増えた。
17:12確定者322人を追加されて6088人...死者は41人
新型コロナウイルス感染症(コロナ19)確定者が5日午前0時以降322人追加された。これにより、累積感染者は6088人になった。慶尚北道では、患者1人より息ながら死亡者も41人まで増えた。慶尚北道は4日午前10時頃、清道郡立老人療養病院で認知症を患っていた86歳の女性が死亡したと発表した。この患者は3日検体検査を依頼して死亡した後の5日コロナ19確定判定を受けた。
19:40今日だけ死者7人増え42人...メールス記録破られた
大邱で新型コロナウイルス感染症(コロナ19)死者1人追加で発生して、5日午後7時50分あたりの国内死亡者数が42人に増えた。この日一日だけ大邱・慶北で7人の死者が出ており、全体の死亡者はメールス死者39人を超えた。メールス感染者2015年5月20日、初めて発生した後、同年12月23日終息まで総186人出た。
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大邱でコロナ19確定者1人が追加で死亡した。大邱では29番目、国内全体では43人目の死者である。大邱市保健当局によると、6日午前2時35分、大邱漆谷慶北大病院音圧病室で80歳の男性患者が呼吸困難に死亡した。この患者は、先月28日コロナ19の検査で確定判定を受けて入院した状態であった。基礎疾患として高血圧と糖尿病があったことが確認された。
19:30奉化て性病願書亡くなった90代の事後」コロナ確定」...国内44番目
慶北奉化分解病院に入院中死亡した90代の胃がん患者が死後検査でコロナ19確定判定を受けた。保健当局によると、4日に亡くなった患者の死後コロナ19検査結果陽性判定が出た。正確な死亡原因は調査している。これにより、国内コロナ19による死者は44人に増えた。
3/7
11:20永川で70代のコロナ19に死亡...国内死亡45人
慶尚北道永川でコロナ19確定者1人が死亡した。これにより、国内の死者は45人、慶北死者は14人に増えた。 7日慶尚北道は永川に居住する78歳の男性が、この日の午前、自宅で119救急車で病院に運ばれ中に死亡したと発表した。去る5日、発熱、悪寒などの症状を示してい病院で検体を採取した後、帰宅したが、男性は6日、確定判定を受けた。男性は心臓病や脳卒中などの基礎疾患を持っていた。
11:55基礎疾患のない確定者大邱でまた死亡...国内死亡合計46人
コロナ19確診者のうち、基礎疾患のない患者が、また死亡した。国内46人目の死者に大邱で発生した。 7日、保健当局は前日の午前10時36分ごろ、大邱の漆谷慶北大病院で78歳の男性が死亡したと発表した。この患者は、死亡後、コロナ19確定判定を受けた。保健当局は「この患者は基礎疾患がないことがわかった」と述べた。先に4日と5日にも基礎疾患を持っていなかった確定者2人が死亡した。
12:30喘息患っ大邱80代の女性が死亡...国内死亡47人
大邱でコロナ19追加死亡者が発生した。国内の死者は47人に増えた。 7日、保健当局によると、同日午前11時22分ごろ、大邱慶北大学病院で83歳の女性が死亡した。先月22日に確定判定を受けた患者は、同月26日、大邱(テグ)医療院に入院したが状態が悪化して1日慶北大学病院に運ばれた。この患者は、基礎疾患として、喘息を患ったことが分かった。
大邱でコロナ19(新型コロナウイルス感染症)を追加死亡者が発生して、合計33人に増えた。大邱で33番目に死亡した91歳の男性Aさんは、この日の午前9時18分、大邱医療院で死亡した。Aさんは、先月29日、パーキンソン病に文星病院入院中の病院苦労コロナ19の患者発生的に検査を受け、1日確定判定を受けた。以後2日大邱医療院に移送されたが死亡した。Aは、パーキンソン病のほか、高血圧を患っていたことが確認された。
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09:38奉化青い特別養護老人ホームの最初の死亡...死者50人
慶北奉化青い特別養護老人ホームでコロナ19確定判定を受けた70代の女性が死亡した。 8日慶尚北道によると、死者は大邱居住者である78歳の女性である。コロナ19が集団発症した青い特別養護老人ホームで確定判定を受けて金泉医療院に移送され、治療を受けて昨日の午後2時5分ごろ、死亡した。この女性は、心臓病や認知症、痛風などに苦しむことが分かった。これ国内の死者は計50人に増えた。