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2022-02-18

anond:20220218185353

というかあの人都知事辞めた時点でとっくの昔にもう「終わった人」扱いだったからなあ

公職辞めた人間糾弾するのはいいけど、じゃあ何を奪えば気が済むというのだろうか

2022-02-08

賢者石原慎太郎

石原慎太郎はあの時代必要とされていたのは間違いない。

都知事になるずっと前、議員になって最初の頃が石原慎太郎ピークだったと思う。

経済は成長してきたものの、まだ敗戦国意識があって日本人が自信を持てないとき

少々乱暴でも自信の持ち方、強くあり方を示した。それはまた一種の痩せ我慢でもある。

それはアジテーションだけでなく、長身男前作家として芸術的才能があって

実弟映画スターにするプロデュース力や政治家として支持者を集め国を動かす力まで

手に入れられる圧倒的な実績まで示した。

まさに賢人といった風格で、それは自信を見失っている人たちの光明になった。

ただ、ロスジェネを経てみると、そういった強さは害悪の方が目立つようになった。

思想としては雑で荒いものだったから、当時の溺れる人がすがる藁にはなっても

いま冷静にみると時代遅れどころか、なんであんなもんをありがたがったのだろうと不思議に思う。

晩年当人老害ムーブも酷かった。

そしていま賢者モードになった日本人には、石原慎太郎に憧れ期待した時代をもう理解することができない。

2022-02-03

亡元都知事税金無駄使いしたのが事実だったとして

今、それを指摘することに何の意味があるのかわからない

今、あるいは将来の都政について追及するべき

死ななきゃ追及されないんだったら、欲深い奴ほどむしろ「じゃあ死ぬ前にスゲー無駄遣いしとこ」と思うのが普通

2022-02-01

訃報に乗じて石原都知事批判してるブクマカ多数いるけど、いつもあれだけ大阪馬鹿しまくってる民度の高い都民の皆様がどうして死してなお批判したくなるような人を選んだんですか?

anond:20220201160535

ワロタ

今なら炎上案件やん

言い回し昭和面白い

小池百合子について

自由民主党公明党日本のこころを大切にする党から推薦で2016年東京都知事選挙立候補した増田寛也の決起集会2016年7月27日)に長男の伸晃と共に参加した際、「とにかく岩手県行政手腕を発揮した増田さんに任せないとね、やっぱり厚化粧の女に任せるわけにはいかないね、これは」と増田への支援を呼びかける一方、小池に対しては「大年増の厚化粧がいるんだな、これが。これはね。困ったもんでね。」と評した[201]。小池都知事当選した翌日の8月1日次男の良純がテレビ番組モーニングショー』で「おそらく小池先生もご存じだとは思いますけど、石原慎太郎というのはああいう人ですので、たぶん謝らないと思いますので、私がかわりに...」と述べ、小池謝罪した[202]。

石原さんは政治家としてはよくわからなかったが、

文学者文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。

そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き映像監督政治家で違うけども、根本文学者だと思う。

文学新聞メディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。

石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実

2019.2.21 10:12 ライフ 学術アート

ときさし石原慎太郎インタビュー

「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影

DSC_3468『わが人生の時の時』

小説集や文庫に収められた『わが人生の時の時』

 政界引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーヨットダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派作家身体感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)

 この本は不思議きっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議ウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。

 思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。

 《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優裕次郎さんとの別れや霊の存在示唆するような不思議出来事戦時日常も描かれる》

 僕は肉体派からね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷ヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときコンパスクルクル回るのが気持ち悪かったね。

 ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。

 戦時体験も書きました。横須賀から出航する前、家族最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争不条理残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうもの潜在意識にあって書いたんです。

 《26年、衆議院議員最後政界引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在文芸誌に小説を連載する》

 随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。

 ライフワークが一つあってね。仏教徒から法華経現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。

 やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。

 『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮から単行本刊行され、後に文庫化された。『石原太郎文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。

 〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市まれ一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任平成11年から24年まで東京都知事を務めた。

https://www.sankei.com/life/amp/190221/lif1902210022-a.html

2021-12-31

あなたの体に、両親の血は1滴も入っていない」

これこそネットの力が発揮すると思うけどな。

https://nordot.app/844522079794642944?c=39546741839462401

墨田産院の跡地周辺を歩く江蔵智さん=東京都墨田

 下町の風情を残す東京都墨田区の住宅街を、60代ぐらいの男性を探して訪ね歩く人がいる。江蔵智さん(63)だ。生まれた直後、産院のミスで別の赤ちゃんと取り違えられ、そのまま育てられた。両親と血のつながりがないという衝撃の事実を知ったのは約17年前。そこから独りで膨大な行政資料を調べ、取り違えられた可能性のある家庭を1軒1軒回り、生みの親と、自分を育ててくれた両親の本当の息子を探し続けている。(共同通信=典略健佑)

 ▽取り違えの発端

 日本高度経済成長へと歩みつつあった1958年4月10日、都立墨田産院で男の子が生まれた。この子を仮にAさんと呼ぶ。前後して同じ産院で生まれたのが江蔵さんだった。

 

赤ちゃんのころの江蔵さん

産院では通常、母親は1日2回ほど、授乳の際に新生児室のわが子と顔を合わせる。ただ、Aさんの母は母乳が少なく、看護師が代わりにミルクを与えていたたため、わが子の顔を見る機会はほぼなかったという。

 出産から4日ほどたった頃、看護師が「へその緒が取れた」としてAさんの母の元に連れてきたのが、江蔵さんだった。「取り違え」の発端だったとみられる。

 Aさんの母も父も江蔵さんをわが子と信じ、そのまま退院した。父は名前を「智」と決め、出生届墨田区役所に提出。長男として育てられ、その後に生まれた弟と共に台東区暮らした。

 ▽「家族の誰とも似ていない」

 「巨人の王や長嶋に憧れた野球少年で、やんちゃ子どもでした。でも、父とはそりが合わなかった」。江蔵さんがおだやかな口調で幼少期を振り返る。父は都電運転手。厳格な面がある一方で気性が荒くなる時もあり、物心ついた頃から対立した。

 お盆正月に親戚の子どもが集まると、大人たちに「おまえは家族の誰とも顔が似ていない」とよく言われた。江蔵さんにとっては、今も忘れられない言葉だ。「確かに自分だけ顔立ちが違うな」と幼心に思ったが、それ以上深く考えることはなかった。

 中学卒業後は家を出て、浅草おしぼり店で住み込みをして働いた。その後は建設作業員やトラック運転手貿易関係など仕事転々としたが、時代高度経済成長期のまっただ中。食いぶちには困らなかった。

育ててくれた父親(右)と子どもの頃の江蔵さん

 10代の頃からモータースポーツが大好きで、車のレースにも参加していた。好きが高じて30代で中古車流通関連の会社設立仕事に明け暮れ、両親と会う機会も少なくなっていった。

 ▽親子としてはありえない血液型

 転機は1997年、39歳の時だ。病院嫌いだった母が体調を崩し、初めて血液型検査を受けてB型と判明した。父はO型で江蔵さんはA型。親子では考えられない組み合わせだ。念のため他の病院でも検査したが結果は同じだった。

 「ありえないよな」。江蔵さんの問い掛けに、両親も訳が分からないといった表情を浮かべた。当時はまだDNA型鑑定は一般的ではない。鑑定機関に問い合わせたが「300万円かかる」と言われた。その頃見た新聞には「実の親子でも、遺伝子上の原因で血液型が合わない場合がある」という内容の記事が載っていた。

 約7年後の2004年、福岡市仕事拠点を移した江蔵さんは、かかりつけのクリニックで家族血液型について話した。すると話を伝え聞いた九州大法医学者が「研究のため調べたい」と持ち掛けてきた。DNA型鑑定も無料ですると言われ、両親と血液提供した。

 ▽「あの看護婦かしら」

 約2週間後に会った法医学者は、おもむろにこう語った。

 「あなたの体に、両親の血は1滴も入っていません」 

 衝撃を受け、すぐに母に電話で伝えた。電話口で母は「えーっ」と言ってしばらく絶句した後、こんな言葉を口にした。「あの看護婦かしら…」

 母が語った話はこうだ。墨田産院では当時、沐浴などで新生児を運ぶ際、看護師がかごに入れて頻繁に移動させていた。ただ、母から見た産院は明らかな人手不足。どこかで取り違えが起きていてもおかしくはない―。母の話を聞きながら、江蔵さんは頭が真っ白になったという。

 すぐに真相を確かめようと思ったが、都立墨田産院は15年以上前に閉院していた。東京都担当部署電話し、対応を求めたが拒まれたという。墨田区役所や法務局も訪れたが、らちが明かない。江蔵さんと両親は、都に実親の調査損害賠償を求める訴訟東京地裁に起こした。

育ててくれた母親(左)と子どもの頃の江蔵さん(中央

 ▽「過失は重大。人生を狂わされた」

 05年の地裁判決は「真実の親や子を見いだすため、手を尽くしたいとの心情は察して余りある」と理解を示した一方で「請求権消滅する除斥期間(20年)を既に経過している」として訴えを退けた。

 江蔵さんは控訴。すると06年の東京高裁判決正反対結論を導く。「時効は成立していない。過失は重大で、人生を狂わされた」として都に計2000万円の賠償を命じた。都は上告せず、判決は確定した。

 上告しなかった理由について、当時の石原慎太郎都知事は「本当に痛ましい話で、総合的に判断した」と述べたものの、江蔵さんが求めた出生情報の開示については「(取り違えられた)相手方人生にもかかわる。行政としてできることに限りがある」と、事実上の拒絶をした。

 ▽60人の候補者、誰ひとり拒まず

 それでも諦めるわけにはいかない。江蔵さんはその頃、既に自力で生みの親を探し始めていた。自宅がある福岡市から時間を見つけては飛行機東京に通い、墨田区役所で住民基本台帳を閲覧し続けた。区の住人は当時約33万人。そこから自分と生年月日が近い人の氏名と住所をメモした。

 半年ほどかけ、約100人ピックアップし、レンタカーで1軒ずつ回り始めた。事情を伝えた上で「血液型だけでも教えてほしい」とお願いすると、見知らぬ人の突然の訪問にもかかわらず、誰ひとり江蔵さんの調査を拒まなかった。

 反対に「俺も同じ立場なら一生懸命探すかもしれない」「会えることを願ってます」と言われ、励まされた。60~70人分を調べたが、該当する人はいなかった。

 

墨田区が開示した「戸籍受付帳」。個人情報の部分は黒塗り

 ただ、住民基本台帳には限界がある。新たな転入者の情報は随時追加される一方で、転出者の情報は削除されてしまうためだ。江蔵さんが探し始めるまでの四十数年間に転出した可能性は、低いとは言えない。

 ▽該当者は黒塗り100人の中に

 頼みの綱は、墨田区が保管している「戸籍受付帳」だ。自分の生年月日に近い戸籍受付帳を開示するよう請求したが、区はプライバシー理由に、個人情報を黒塗りした上で開示した。それでも、黒塗りされた該当者の人数は分かる。約100人。彼らの戸籍情報さえ分かればたどり着けるはず。江蔵さんはもう一度司法の力を求めることにした。今年11月、都に実親の調査を求める訴訟東京地裁に再び起こした。

 育ててくれた父は、約5年前に他界した。折り合いの悪かった父は常々、実親を探し続ける江蔵さんを見かねて「今更、もういいんじゃないか」と言っていた。だが、死期が近づいた頃には「まだ見つからないのか」と気に掛けるようなことも言ってくれた。

 ▽「産んだ子どもに会えるなら、遠くからでも」

 

東京都に実親の調査を求める訴訟を起こし、記者会見する江蔵さん=11月5日、東京都

 その父と自分の間に立ち、陰ながら調査を見守ってくれた母(89)は、苦しい胸の内を最初訴訟に提出した陳述書で明かしている。

 「私も生んだ子どもがどうなっているか、見届けたいし、会いたいです。でも見るだけで、声はかけられないと思います。向こうの気持ちもあるでしょうから。会えるものなら、遠くからでも見てみたいです。その気持ちには変わりありません」

 母は今、認知症を患い高齢者施設にいる。江蔵さんが語り掛けると、にこやかな顔を見せるが、会話の内容はもう理解できていないという。

 「せめて一目でも生みの親に会いたい。取り違えは東京都責任なのに、なぜ協力してくれないのか。もし判明しても、相手側に面会を拒まれるのなら諦めます。でも、調査さえしないのはおかしいと思いませんか」

 江蔵さんの闘いは終わらない。現在は幼少期に墨田区内にあった小中学校の卒業アルバムや住所録を集め、地道な調査を続けている。

2021-12-14

anond:20211214095448

店舗入り口に「マスク着用による入店をお願いします」みたいに書かれてるのは見るけど

通行中にマスク必要なのって誰が言ってるの?都知事

店の中に入る時だけマスクすれば良いのかと思ってた

2021-12-13

じゃあ激安居酒屋歴史と、新しくオープンした居酒屋10ビール)で殺されかけた話を語ろうか

タイトルそのままなんだけどさ。

結構から都内では「料亭系」といわれる、店構えだけは料亭で、中に入ると激安居酒屋というのが流行っていて。神楽坂の「竹子」とか、渋谷の「バッハ」とか、新宿の「アルプス」とか、三田の「ヨット」とか。

この「料亭系」の特徴としてはとにかく酒が安い。だいたいハイボール100円、生ビールが160円ぐらいで、日によってはプレモル50円だったりする。

ただ食べ物としてはイマイチかつ高く、そこで利益を取っているのだなと納得しつつ、中でもマシな「オムそば」などを食べるのが料亭攻略の定石となっていたんだ。

そして時は流れて2020年コロナ禍の中、これに敢然と立ち向かうチェーン店が現れた。都知事反旗を翻して話題になった伝串?いやいや、あれは大したことがない。

自分言及したいのは「マルヤス酒場」のことだ。ここは料亭居酒屋と同じく、まず酒が安い。ただ相場的には料亭系よりやや高い店もあり、生ビールだと300円ぐらいする場合もある。だから500円で中瓶を飲むのが良いのだが、それはともかく、飯だ。ここの飯は中華オンリーなのだ料亭系の(推測だが)セントラルキッチンから解凍フードと違って、おそらくその場で作られている。そしてコックが中国人からか、これが割と良い線をいっているのだ。さらに、ここが一番重要なのだが、安い!!そして量が多い!!なんと全品300円だ。麻婆豆腐だろうが回鍋肉だろうがレバニラだろうが、どれでも自由だ。百円玉を3枚握りしめていればなんでも頼める。お前は自由だ。だいたい2人で2皿も頼めばお腹いっぱいになることは請け合いだ。その分酒を飲め。ときに脂っこすぎる中華アルコール浄化する。そのぐらいのつもりで飲むのがいい。

...と、マルヤス酒場のことも語ってしまったのだが、この記事のメインテーマはそれではない。おそらくこのマルヤス酒場系列店だと思うのだが、上野広小路にすごい店が登場したのだ。その名も「パンダ酒場」。だが、可愛い名前に騙されてはいけない。なんと、ビール10なのだ

なあお前ら信じられるか。生ビールのジョッキが10円だぜ。センベロという言葉があるな?1000円でベロベロという意味だ。この店で1000円飲んでみろ。100杯だ。ベロベロどころじゃない。間違いなく死ぬ。そう、この店は俺たちを殺しにきているのだ。

で、この店に実際に行ってみたところ、看板に偽りがなかった。まずお通しピーナツマルヤス酒場系列と思ったのはこのお通しだ。マルヤス酒場お通しピーナツなのだ)で、これだけで飲めてしまう。もちろんチャージ料は取られているわけだが。しかし何も頼まないのも申し訳ないので、数杯飲んだところでピータンを頼んだ。一番安いやつだ。あとはひたすら飲み続ける。ちなみに一人で訪れたので、スマホを見ながら黙々と飲む。飲んだら手元のタブレットで注文する。機械のようにこれを繰り返す...。

気がついたら12杯飲んでいた。

だが、これで120円だ。信じられるか?駅で買うジュースが130円だとすると、それより安い。想像してみてくれ。スイカでピピっと精算したら、12杯のビール自販機からゴロゴロ出てくるところを。

さんざん飲んだらお会計だ。長っ尻は嫌われる。中国人店員さんがお通し333円、ピータン111円、そしてビール120円。

そしてその合計額は...564円。

「コロシ」

参ったぜ。やはりこの居酒屋は俺たちを本気で殺しにきているようだ。

2021-12-01

anond:20211201134644

木下都議ボーナス差し止め請求の動き 上田令子都議が12月1日に会見

2021年11月29日 17時34分

東スポWeb

木下富美子前都議めぐり新たな動きが…(東スポWeb)

写真拡大

 無免許運転在宅起訴された木下富美子前東京都議に対して、ボーナス支給差し止め請求の動きが浮上している。木下氏は22日に辞職を表明。小池百合子都知事が〝引導〟を渡したとされていた。

 地域政党自由を守る会」の上田令子都議が29日にツイッター更新。「【木下富美子元都議給与ボーナス支給差し止めを求めます‼】小池知事が突如出てきて、引導わたし美談仕立ての幕引き図ろうとしてますが、多くの都民は消化不良だったのではないでしょうか?」と支給差し止め請求をすると宣言した。

 会見は12月1日。ボーナス支給差し止め住民監査請求について説明するという。木下氏は辞職会見でボーナスについて、都議会を休んでいた分の寄付検討していると話していた。果たしてどうなるのか。

こんなんでました

200万のために全国民からまれるのは割りに合わないよね

2021-11-14

夢日記

海でつってきた魚を飼う。少し目を離したらそいつらが全員死んでて酷い臭いがした。

場面が変わり、古い船の上で謎の会議が開かれている。そこには色んな人が集まっており、話したことはないけど知ってる中学同級生、そして大学先生などがいた。そして不思議なことに、なぜか舛添元都知事がいてよくわからないことを話かけられた。

2021-11-10

anond:20211109132706

沢山書いたやで

 

実名主義

80年代末まで偽名でも銀行口座が開けた。だから複数社会的人格を持って経済活動する事ができた。

職場旧姓を使い続けても問題無かった。1986年米国マネロン規制法、その後1990年までに国際的取決め、日本もそれに倣い口座の実名証明必須になり社会でも実名主義が当然になった。

 

MDMAエクスタシー)の不使用

MDMA非合法化されたのは1991年頃(うろおぼえ)。クラブシーンやレイブパーティでは当たり前に使用されていた。

心臓発作を惹起する為に規制m.o.v.e.のmotsu所属していたMORE DEEPの曲には「エクスタシーをキメていた頃」というフレーズがある。

 

マリファナの不使用

90年代クラブではマリファナ普通に喫われており、自分は使わなくても中に居ると副流煙景色がとろけてくる、肉体遊離感が起きるというのは当たり前だった。また自衛隊員米兵経由で入手する者がおり、除隊後に北海道野生パカロロツアーとかアムステルダム飛びツアーなどを企てる人もいた。

 

・式場での結婚式

1970年代からブライダル産業が隆盛し一般化した。これ以前は神前式キリスト教教会一般的。

団塊世代ロマンチックラブイデオロギーのため。この以前、地方では婚姻自由憲法上の絵に描いた餅であり、親が決めた相手結婚して神前式を挙げるのが当たり前で共同体から排除されないための義務だった。

団塊世代はそこからの逃避の為にフォークソング等でキリスト教式を称揚し、そのニーズに答える産業が発展して定着した。

古い評論を読むと戦中派、戦前派が式場での披露宴に憤っている文章がよく出てくる。

 

公共空間でのマナー

1990年頃まで日本人の公共空間でのマナー先進国ぶっちぎりで最低であり、酔って吐く、道にゴミや噛んだガムを捨てる、タンを吐くなど当たり前であった。終点近くの長距離列車車内はぶん投げたゴミだらけだった。

1990年代に反省の機運が起こり急激にマナーが向上した。

 

外国で旅の恥をかき捨てない

かつて旅の恥はかき捨てで、特に海外での不行跡が酷く日本旅行者特に団体)は眉を顰められる存在だった。

遺跡名前を彫ったり、腹巻で目抜き通りを歩いたり、コンダクター痴漢行為をしたり、名跡で立ち小便したり、売春ツアーをしたり、現地女性に「ハウマッチ」と聞いたりもの凄かった。

これを西洋宗教倫理文化日本恥の文化共同体の外では恥の羈束力は働かないからだ、と説明されていた。

自省により90年代に急速に改善

 

固定電話を初期費用無しで引ける

電話には加入権というものがあり、契約時に設備負担金を払う必要があった。金額は7万円と高い。

この為に電話加入権を売買したり、質に入れるという商売があった。2003年から段階的に廃止された。

 

役所サイトが一日中閲覧できる

森内閣の「IT革命」まで自治体や省庁のホームページは夜には繋がらなかった。これは庁舎内のドメインコントローラWindowsNTサーバIISインターネットインフォメーションサーバー)サービスHP提供していたため。

終業時間になるとサーバルータの電源を落として帰っていた。サイト作成役人趣味みたいな感じで作っていた。

コードレッドワームなどが流行すると当然に全滅。

 

ネットワークプリンタ共有

1998年ごろまでLANを構築していないオフィスというのが結構あった。プリンタパラレルポートで繋がれていたので、このパラレルケーブルを切り替える「プリンター切り替え器」というKVMのような装置が使われていた。

 

・駅のトイレトイレットペーパーがある

駅のトイレにはトイレットペーパーが無く、入口100円の紙販売機があるのでそれを買っていた。

民営化したJRが紙の常置を始め、1990年代前半に他社も倣った。

 

路上駐車車両が無い

90年代中頃まで路上駐車は当たり前に見逃されており、国道などの最左端は駐車車両で埋まっていた。駅近くでは駐車車両タクシー客待ちで二重駐車になっていた。

90年代中ごろに警察取締りを強化して根絶。

 

・TIMESなど時間駐車場

2000年から増える。警察路上駐車取締強化してから10年ほど、駐車場が無いのに路上にとめると必ず検挙という無茶な状態が続いていた。

 

洋室だけの家やマンション

和室は必ず設定されており、末期には3畳の納戸だけが和室なんてケースもみられた。1990年代前半に無くなった風習

 

家電量販店での価格表示

家電量販店が増えて競合で出来るようになると消耗品以外の商品価格は隠され、店員交渉で決めるという風になった。この為に店員電卓を持ち歩き、電卓を叩いて値段を表示した。

客足が減る悪習なので1990年代頃に取りやめられた。

 

スリム自販機

バブル後の都の財政難の打破を喧伝して都知事になった石原慎太郎1999年~)は増収策として無断で道路にはみ出し設置されていた自販機建物看板道路使用徴収を持ち出した。これまで自販機は当たり前に道路にはみ出して置かれていた。

これに対応して既存機の撤去スリムタイプへの交換が進み、他県でもはみ出し設置にならないスリムタイプが標準となった。

 

日本109キーキーボード

以前は富士通系の親指シフト配列を好む人が居たり、電源のオンオフリセットなどの余計なキーが付いている配列があった(誤爆シャットダウン頻出)。

2000年くらいに今の配列に一本化された。

 

プチフリしないSSD

2006年ころに一世を風靡したネットブックSSD一般化したが、最初の数年の製品は数秒に一度ごと動作が止まるなど酷いものだった。

 

会社員就業時間中に中抜けしない

嘗ては電気電話水道など公共料金というのは各社の窓口か郵便局銀行で「公共料金振込用紙」に書いて振り込むものだった。

当然平日3時までしかやっていない銀行会社員が行けるわけがない。

そこで振り込みの為に仕事中抜けするというのが黙認されていた。自動引落設定、コンビニ払いが一般化した1990年代後半頃に消滅

 

飲酒は二十歳から

18才は未成年飲酒できないはずだが、大学生は成人したものと見做され飲酒は黙認されていた。

ゼミ飲み会普通に教授も参加して飲んでいた。警察も何も言わなかった。

 

線路を歩かない

都電ローカル線などでは近道の為に線路を歩いていく人が普通にいた。電車進来時に警笛を鳴らされるが線路わきに避けていればそれ以上の事は何も言われない。トンネルや鉄橋で出くわすと流石に怒鳴られるがそれだけ。ストの時は皆線路を歩いて行く。家の玄関線路に向いている家も普通にあった。引っ越し作業は大変。

90年代中頃に写真撮影する鉄オタの事故連続し、その後厳しくなっていった。

 

飲酒運転絶対ダメ

初代のスーパーカブの取扱説明書などには「ビールコップ一杯程度なら良いが、ウイスキー酩酊するからダメ」と書かれている。

 

・小銭を所持しないで外出

1000円札の読み取り装置一般化したのは1980年代中頃。それまでは鉄道券売機でもバスでも小銭しか使えなかった。

この為、小銭の所持数が足りないとお金が払えないというのが当たり前だった。売店でガムなどを買って両替するのが必要だった。万券を両替する為に少額商品を買うのは喧嘩を売るのに等しく勇気が居る行為だった。常に所持している券種と小銭額の把握は必要だった。

 

一円玉の使用

1989年消費税導入まで物の価格は全て10円刻みになっていて1円玉公共料金以外殆ど使われていなかった。

 

・個室

和風の家の部屋割りは個室という概念が無い為、都会を除いて1960年代までの日本人はプライバシー空間というものが無い生活をしていた。個人あての手紙は親が勝手に開けて読んでいた。

 

個人

家にプライバシーが無く、また会社もイエが準用される社会だった為に「社員プライバシー踏み込む」という感覚が余りなかった。

会社以外の自分」も大事だと言い始めた団塊世代は「個人主義」と罵倒され、80年代世代は「新人類」と宇宙人扱いされた。

オークマンは街で個人空間に浸るものだとして批判対象になった。個人主義はそれ自体罵倒文句だった。

 

大学生勉強する

全共闘運動はあらゆる権威攻撃し、大学の知の権威というもの破壊した。この為その後大学教授というのは学生に対して尊敬されない状態継続。やがて学生は脱政治化したが大学学問には敬意が持たれず、特に文系では学生が誰も勉強せずレジャーランド化した。

90年前後大学改革ICU上智比較文化など厳しいカリキュラムに注目が集まり学生勉強するという当たり前の状態が復活した。

この為に卒業1994年頃を境に知識やモノの考え方で極端な程の違いがある。

 

・様々な塩製品

塩は国家専売品だったので専売公社製造する塩以外の岩塩ミネラル入り塩、胡椒入り塩などは製造販売禁止だった。塩の小売りには国の許可標識の掲出が必要だった。

1985年自由化により今の状況になった。

 

・「メイド喫茶」などの語

メイド」は放送禁止用語だった。基本住込みで働く為、身分制階級制の象徴のような職業であって、戦後身分平等にそぐわないと見做された為。メイドは家政婦と言い換えられ、住込みでなく通勤一般的な「雇用」となった。

一周回ってメイド構造過去帳入りした為に「メイド喫茶」などで使うのが問題視される事が無くなった。2005年頃。

 

・キャノーラ

キャノーラ油の原料は菜種。

米国では菜種油を食用販売することが禁止されている。この菜種油の成分を調整して販売を認めさせたのがキャノーラ油。

米国生産量が増加した後に日本に入ってきたので、一般化したのは1990年代。

 

弁護士事務所広告

過払い金などの広告が出来るようになったのは弁護士法改正された2000年から。それまでは屋号や執務時間などの表示のみ。

但し「勝訴率〇%」のような広告は今でも禁止

 

・夜まで開いてるスーパーデパート

1991年大店法改正されるまではデパート閉店時間はPM6時、スーパー閉店時間はPM7~8時というのが相場だった。更に定休日もあった。

基本的地元商工会意見で決められていた(大店法の定めによる)。これの改正商店街の全滅に繋がった。

 

生ビール

ビール酵母菌により発酵するが、発酵が進みすぎて飲み頃を過ぎると酸っぱくなってしまう。飲み頃に提供するのが生の地ビール

この為ビン缶詰では熱で酵母を全て殺してから詰める必要がある。

1970年代末にサントリーフィルター酵母を除去する製法を開発。飲み屋への営業力を活かしてジョッキ生を広めた。この為初期は生=サントリーだった。後に各社が参入して生戦争が勃発。

から地ビールの生はずっと昔からあったが、全国流通製品生ビールサントリー生が1970年代末、その他の各社は1984年ごろから。因みにサントリー生より生じゃないキリンラガーの方がずっと美味い。

 

サービス残業

バブル期の好景気期に端緒。残業上限規制が導入され36協定があっても残業上限40(80かも)時間/月の行政指導が主に大手企業に行われた。

それまで残業代はフルチャージだったが計算上打ち切るという慣行が発生。それらの会社はタダ働きしてると奇異の目で見られた。

これが平成不況時に残業代は基本支払われずに長時間労働という慣行に変化していく。当初の指導対象外だった中小企業ではずっと残業代フルチャージだったがこれらにも悪習が伝播していった。

 

東京自動改札機

1990年から1970年代にも導入が試行されたことがあるが全く普及せず直ぐに撤去された。例えば地下鉄では1974年開業有楽町線池袋駅だけに自動改札機があり、同駅の入場だけにしか使われていなかった。これも後の1986年頃に一度撤去札幌地下鉄などでは当初より継続して使われていたのと対照的

 

あきたこまちひとめぼれ等の米

1995年以降。それまでササニシキが絶大な人気だったが、冷害に弱く1993年冷夏で全国的な米の不作が発生、大騒動になった。

冷害に強いコシヒカリ系の後継種、あきたこまちひとめぼれが席巻するようになった。

 

バイク駐車違反

駐車違反バイクと車の別はないが、バイク駐車違反2006年まで摘発されていなかった。摘発民間委託してインセンティブを付加し原付まで摘発するようになると店舗駐輪場が無い都心ではバイク移動が不可能になり、バイク市場が干上がる効果となった。

 

大学生の専攻無し

学部でも一部以外では専攻は必ず取るものだったが、1990年代初頭の教育学部ゼロ免課程の流行福祉大などの開学で専攻無しの学生が増加。1990年代後半から

2021-11-07

anond:20211107153627

バージンだと病気だと思われるよ」。キス経験もない20歳大学生富士山麓の別荘に誘い込んだ鳥越氏は二人きりになると豹変したという。都知事候補資質を問う。

https://www.excite.co.jp/news/article/Getnews_1493917/

パヨクの中では無かったことになってるのねww

2021-11-02

anond:20211101150842

わかる。というか東京もんが大阪維新が勝っているのを批判しているのを見ると、おまえら都知事都民ファーストの会じゃろがいと言いたくなる。

ぶっちゃけ小池さん都民ファーストの会で腰を据えて国政に出てたら20議席くらいとってるだろ。

大阪からすると東京の人が小池百合子に何も言わない方が謎なんだけど

遠く離れた大阪叩きに熱心なのに東京で何があっても国のせい、小池百合子スルーなの謎過ぎる

例えば去年の年末北海道大阪が国の判断をまたずに時短要請に踏み切ったのに対して

小池はとにかく国に判断責任を擦り付けることに一生懸命だったよね

コロナに関してまともに責任を負う気も決断も下す気もなく自身責任逃れムーヴに終始してる

小池百合子をよしとしてるのが理解不能なんだけど

東京過去最多の5773人感染確認 自宅療養中の50代男性死亡 | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210813/k10013199211000.html

東京感染ピークの時のブコメ見ても政府首相責任言及するブコメは一杯あるのに

A1riron DaiGoが目指した世界に近づきつつある東京都知事オリンピック後は『自助しか言わないしな。

hamamuratakuo まだだ!勝負はこれからだ!五輪終了後の2週間が運命の分かれ道だ。日本コロナ対策成功したのか?失敗したのか?答えは8月22日感染者数で分かる。失敗だった場合、菅・小池習近平責任を取って月に移住しろ

小池知事言及するブコメはこれだけ


大阪府 新たに1099人感染確認 初めて1000人超える 新型コロナ | 新型コロナ 国内感染者数 | NHKニュース

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210413/k10012971631000.html

第4波の大阪感染爆発の時は吉村知事維新!だったのにね

2021-10-28

anond:20211027164354

前々回の都知事選蓮舫出馬が取りざたされてる段階で、久米宏は「なにがなんでも女性都知事にしなきゃだめだ、これから女性トップにしないと世界から笑われる、政策なんかより女性を選ぶことが重要だ」って言ってたんだけど、

実際は蓮舫は出ず、小池百合子が出ることになったらそれ以降ダンマリ

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