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はてなキーワード: 郷土史とは

2020-11-21

anond:20201121164900

マジレスすると、限られた予算をどこに向けるかという点であまり良いお金の使い方と思えないということ。

地方官公庁アート部門ときどき仕事をしていて感じた実感なんだけど、

その地方由来という縛りをもうけると美術的にはあまり一般受けする展示にならない。

一般受けという言葉は安っぽい印象を受けるかもしれないけど、

要はその地方作品に触れて将来作家になるような人を育てるような展示にならない。

予算を投じるなら、長期的に見て文化的に豊かな人が育って文化的に豊かな街になるような使い方がいいと思っている。

正直なところ、奇跡的に偉大な才能が生まれ土地は別として、

一般的地方に住み続ける作家の才能は小粒だし、

才気あふれる作家地方に移り住む場合は尖りすぎてて一般人の鑑賞に堪えない作品になりがち。

郷土史博物学的に、この地方にはこういうことがありましたというアーカイブ目的と割り切るならいいけど

そうじゃないならそこに住んでいる人たちに影響を与えるような作品を、作家出身地に関わらず展示するのがいいと思ってる。

ひとつアイデアとしては、地元作家フォーカスするのではなく、地元キュレーターフォーカスした方が面白い展示になりそう。

もっと予算があれば地方に今以上に美大をつくってほしいというのはある。

anond:20201121164140

作品を楽しむってのは、有名な作品じゃないと楽しめないのか?

郷土史は知っていて損はないでしょ。

自分の生まれ土地ルーツくらい知ってた方が、他の土地に行った時にたのしいし

anond:20201121121429

田舎美術館地元人間すら知らないような無名作家作品の保管庫と割り切るしかないってことなのね

郷土史美術研究をする人のためのもの一般人を楽しませる役割を期待されても困ると

2020-05-19

インターネットストレージを高度な通信システムで繋げたものだ。

世界規模にひろがったそれらはあらゆる情報が蓄積されている。

画期的なことを思いついてもインターネット上で調べてみると既出なのが普通だ。


確率の話なのである

自分が考えることは世界のどこかで考える人がいる。

その一方で、郷土史に関することを調べようとしても全くといっていいほど情報が見つからない。


私の母は隣の町の出身だが、その町は既に併合によって現住所と同じ市になっている。

その程度の近い場所にあるが、方言と呼ぶには微妙すぎる言葉言い回しアクセントで母には出身地の区別がつくらしいのである

母の世代が死んで世代交代すればその知識はどこにも残らずに消えるのだろう。


地元ではあたりまえすぎてどうでもいいようなことでもなるべく書き残しておこうと思う。

確率的には似たような町があるとしてもこの場所はここにしかない。

忘れ去られて消えていくのはあまりに寂しい。

2020-03-31

博物館である前に田舎役場だった」

博物館である前に田舎役場だった」

博物館嘱託職員退職した(事実上解雇)。

それを友人たちに報告するとき自然と口をついて出たのがこの言葉だ。

改めて考えてみても、この一言に尽きるな。

例えば、この市の文化財の一つに折口信夫の碑がある。

しかしこの博物館では「信夫」の読み方がググらないと分からない。

市内で一番詳しくなきゃいけないはずの学芸員でさえ。

それで何の支障もなく誰も疑問に思わないのがこのムラなのだ

折口信夫を知らない学芸員」は、小さくみればその職員力不足と無関心ゆえ。

だが大きく見れば、それが問題視されない、職員にそれを理解するだけの余裕をもたせない、或いは理解してる者をそのポストに就けない行政構造的欠陥でもある。

(初めから学芸員として採用するのでなく、一般採用職員を間に合わせで回すからこういうことが起こる)

ここではムラの偉い老人の顔色をうかがうことが最優先事項となっていて、彼らの気まぐれに多くの職員が振り回される現状では「歴史」もまた顔色の延長にある。

専門家であるはずの学芸員にもさして専門的な知識能力は求められていない。

それよりも根回しや忖度技術の方がはるか重要とされる。(尤も、だからこそ学芸員肩書をつけていられる人もいるだろうが…)

そういう所に自分みたいなのがポンと放り込まれても、そりゃどう使いこなしていいのか分からないよね。

こいつは学芸員の部下のいち嘱託にすぎないくせに、学芸員より学歴が高く歴史知識もある。

おまけに偉いとか老人とかに関わりなく全然顔色を読む気がなく、カギカッコ抜きの歴史しか興味がないんだから

これまでは郷土史家の本を引用して市の公式見解とすればそれでよかったのに、こいつはなまじ原史料(くずし字)が読めるものから、その郷土史家が何の史料根拠としていてどこを読み誤ってるかまで気がついてしまう。

業務命令を与えてもないのに勝手に色々と調べて余計な口をはさんでくる。

おまけに市の公式歴史認識に異を唱えようとする、使えないうえに集団の輪を乱す問題職員

都会から来たよそ者の若僧よりも地元で長年教員を勤めた〇〇先生の方が偉いに決まってるのに!!!・・・てな調子だ。

「言質を取られないように語尾を変えろ」や「私(上司)はそう思わないか研究結果を変えろ」あたりにはじまって、

郷土史家の先生喧嘩を売るつもりか」や「下手したら市長の首が飛ぶぞ」が脅し文句(より穏当に言うなら、行動を制限する説得材料)として投げつけられるあたりに、自分と周囲との認識のズレの大きさがよく表れている。

例えば何か研究論文を書く場合、「先行研究批判」という研究世界ではごく当たり前の用語でさえ、ここでは"検閲"にひっかかる。

「(郷土史家の)○○先生に失礼だからやめろ」ってわけだ。

自分いくら

「これは論証に必要不可欠なステップなんです」

研究における「批判」に、人格攻撃非難というニュアンスはありません」

と口をすっぱくして説明しても、「私はそう思わない」の一点張り却下されてしまう。

結局、そういう言葉狩りを受けてできあがる文章なんてのは、誰から因縁つけられる余地がない代わりに、誰に向けて何を言ってるのかよく分からない玉虫色のお役所作文になりさがってしまう。

なるほど、彼らが求めていたのはこれだったのか。

たぶん彼らは「歴史専門家」を、先祖自慢お国自慢お墨付きを与えてくれる装置町おこし観光ネタ製造機くらいにしか考えていないのだろう。

自分たちの信ずる(しか根拠はない)歴史認識もっともらしい言葉で修飾してくれるロボット、それのみを求めているのだ。

ところがそのロボット主体的意思をもち、自分たちと異なる歴史認識提唱するなど、許しがたい「反逆」としか彼らの目には映らないのだろう。

専門家組織の一員として働くことと権力ロボットに徹することは、似ているようで全然違うと思うのだが、それはこのムラでは理解されなかった。

そりゃ自分にも落ち度はある。いち職員として使えない点は多々ある。

かい不文律を覚えない。事務作業の要領が悪く気も利かない。

(未だに「社会人」の概念理解できないので「社会人なら言われなくても分かるだろ」と言われても分からない)

とにかく解雇した側にも言い分はあるだろう。結果から見て自分がこの職場適応できなかったことは明らか。

だがそれでも言わせてもらえば、

どうしても適応しなければならないのだろうか?

適応してまで居続けるほどの値打ちがあるのかこのムラに?

人間戦争よりずっと大きい」

「その人は家よりも大きく見えました」

戦争は女の顔をしていない』を読んだ時、この言葉が胸に深く沁みこんだ。それに倣うなら、

歴史職業よりずっと大きい」

と言いたい。

仕事からしゃあなしで歴史に関わってます、本当は全く興味ありません、ムラに波風立てないことが一番です……。そういう生き方自分にはできない。

仕事を通じて自己実現ができればそれは素晴らしいことだが、それ以前に適応したいと思える、適応する価値のある場所を見つけることが重要だ。

この檻を出ても、より大きな檻の中であることは変わらない。

だとしても、今は思う存分手足を伸ばして息を吸えるだけの自由を、全身全霊でぶつかるに値する相手舞台を求めたい。

そこでせいぜい良い仕事を、面白いことをし尽して死にたい

2020-02-02

どの街に家買うかを鉄オタの兄に相談してよかった

兄に限らず鉄オタは地価郷土史にも詳しかったりするからいいアドバイスをもらえた。

武蔵小杉二子玉のマンション買うところだった。

2019-07-15

中国語圏SNSで、住んでいる国でのマウンティングってあるのだろうか

日本にいると、アメリカベイエリアに住んでいるのが1番マウンティング力が高く、次はアメリカの主要都市

ネットの主要メディアに毎週載るくらい変化が激しく、変化できるだけのお金が集まっている所ほど、SNSに載せるだけの非日常があるのでマウンティングし易い。


日本国内だと、武蔵小杉だとか港区など、マウンティング力はあっても、SNS上でマウンティング力を発揮すると電凸の恐れとか、

高級住宅地だが変化が乏しいところだとマウンティング力が減る。


地方に住んでいると郷土史地図を見て、欧州で起こってた時代に家の周りではこんなことが起こってたのか、

などを調べるしかないので、たいそう羨ましい。



ようやく本題だが、日本語圏のSNSでも海外情報が激しいのに、中国語圏だとどうなのだろうか。

2019-05-30

現役校正者が書く校正フローとかの話(追記しました)

現役の校正者です。出版社校閲所属ではありませんので、多くの出版社とお付き合いさせていただいてます

幻冬舎見城徹社長インタビューhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12205_1.php)と、そのブコメ拝読していて、いろいろと解説できることもあるかもしれないな、と思いましたので、一般的校正フローがどういうものか、ということについて、増田で書いてみようかなと思います

注意書き


校正フロー全体の流れ(一般文芸小説などの場合

初校ゲラを作る
  1. 原稿が書き上がる
  2. 書きあがった原稿デザイナー(あるいはDTPオペレーター)に渡される
  3. デザイナーによって組版が行われる(よく「流し込み」と言います
  4. 初校ゲラの完成
初校チェック
  1. 流し込みされた原稿ゲラが、関係各所に渡される
  2. 時間をかけて読む
  3. 校正者、ステークホルダの初校戻しを編集者が受け取る
再校ゲラを作る
  1. 編集者が、それらの指摘&自身からの指摘を整頓してまとめ、著者に渡す
    • この段階で、一部の校正指摘は却下されます。一例としては、「誤解による指摘」「著者が過度に傷つきそうな指摘の表現をやんわりしたものに書き換える」などがありえます。誤解なんてないに越したことはないのですが、「意図的な仕込みだとは思うが、ミスだとまずいので念のため伝えておく」というような、杞憂に近い指摘も出てきうるので。
  2. 指摘の一覧を受け取った著者が、「指摘を採用する/しない」の判断をし、自分修正したい部分も書き加え、編集者に戻す
  3. 著者からの戻しを受けて、編集者&著者が最終判断をする
  4. 修正指示=初校赤字校が確定し、デザイナーに渡される
  5. デザイナー修正作業をする
  6. 修正されたゲラ=再校ゲラの完成
再校チェック
  1. 再校ゲラが、関係各所にまた渡される
  2. 時間をかけて読む
  3. 校正者、ステークホルダの再校戻しを編集者が受け取る
完成原稿
  1. 編集者が、校正者・ステークホルダの指摘&自身からの指摘を整頓してまとめ、著者に渡す
  2. 指摘の一覧を受け取った著者が、「指摘を採用する/しない」の判断をし、自分修正したい部分も書き加え、編集者に戻す
  3. 著者からの戻しを受けて、編集者&著者が最終判断をする
  4. 修正指示=再校赤字校が確定し、デザイナーに渡される
  5. デザイナー修正完了する

この段階で、完成原稿扱い(を目指す)というのが一般的です。なお、上記説明では「完成」の判定を誰が責任を持つのか、デザイナーDTPオペレーターの職分の厳密さ、あたりがすっぽ抜けているんですが、そこの解説は省略させてください。パターンがいろいろありますし、枝葉の話かと思いますので。

とても高い正確性が求められる書籍(例えば辞書)の場合や、再校での修正量が想定以上に多かった場合は、さらに「修正指示が反映されているか」「もう一回読み直し」とサイクルを予定している/追加していく場合もありますが、だいたい多くの書籍では「初校・再校」の合計2回まででまとめていると思います

日本国紀』はあのあり方、ページ数などからみて、三校、四校まで実施しているかもしれません。遠くから眺める限り、いろいろと大物な予感がしますので、ちょっと再校まででは済まない印象がします。単なる勘ですけど。そういう意味では、インタビュー内の「通常の3倍以上」というのは、六校、七校まで実施した、という意味かもしれないな、と思っていたりします8-)

剽窃チェックについて

校正作業を行うにあたっては、「リスク認識した場合、そのリスククリアするためのチェックフローを追加する」というスタイルがよく採用されます。実務に沿って言い換えると、まずは「編集者からの依頼としてチェック項目のリストが渡され、それを元に読み進める。そして、実際に校正作業を進めてみて新たに発見されたリスクについては、適宜、リスクに応じたチェックを追加する」という形です。言葉にすると当たり前なように聞こえるかと思います8-)

これを剽窃チェックにあてはめると、「この原稿にはWikipediaコピペが含まれていそうだ」と判断した場合に、「Wikipediaコピペを検知するための確認作業を追加する」ということになります

Twitterで、小池みきさんが「社内校正ときに「ウィキコピペをしてないかチェックする」って作業があった」とお話されていました(https://twitter.com/monokirk/status/1133240351123099648)が、これは、続きの「ネットに詳しくないおじいちゃん郷土史家とかはけっこうやってしまうので」というのが重要ポイントで、リスクが高い状態がすでに認識されていたからこそ、コピペチェックが定型フローに含まれていた、ということだと思います

なので、「『日本国紀』はWikipediaコピペのチェックもしていないのか?」という問いに関しては、「百田尚樹先生文章について、なんらかの剽窃リスクが高く見積もられていなかったならば編集者から提示された最初校正依頼の項目に『コピペチェック』が含まれていなかったとしても、特別おかしいとまでは言えないと思う」という回答です。

そもそもとして、剽窃絶対にしてはいけない・出版倫理にもとる、というのが大前提なので、「著述家として実績を積み重ねた方であれば、剽窃不適切引用はしていないはず」という認識を基本とするのはわりとベーシックです。例えば飲食店において「お客様は全員きっと食い逃げするに違いない」という強いリスク感を持つのがさほどノーマルではない、みたいなことで、「剽窃あるかもしれない」とは考えますが、「剽窃あるはずだ」と強く疑ってチェックを重ねるのはコストが嵩みすぎる、という判断します。「存在する可能性が高いものを探すコストをかける」のと、「存在しない可能性が高い(と考えられる)ものを探すコストをかける」のは現実的には違うのです。校正作業にも締め切りや予算がありますから

ですから、多くの校正作業においては、「この原稿コピペが入ってるのでは? 剽窃かも?」というリスクをどこかではっきり認識したら、その時点からコピペチェックを追加します。「おそらくあるはずだ」に頭を切り替えるからです。「私の場合は」という但し書きはつきますが、おそらく多くの校正者がそうしているでしょう。

では、「最初偶発的に発見するしかないの?」という問いに関しては、「はい。ある程度は偶然に頼ります」というアンサーです。ですが、ベーシックファクトチェック実施していれば、どのみち辞書インターネット・専門書等を駆使して大半の単語記述を見比べながら読むこととなり、「剽窃不適切引用が多数存在した場合、そのうちのどれかひとつ発見する」という可能性はそこまで低くないと思います特にWikipediaからコピペ発見は多少は期待できます。実際、私自身も何度もそのような経緯でコピペ事例を発見したことがあります検索さまさまです8-)

一方で、参考文献のリストそもそも共有されていなかったり、それが不完全だったりすれば、「どこから引っ張ってきたのか」の見当をつけることさえできないので、かなり発見が難しくなります

日本国紀』で校正フロー機能してない問題全体の話

校正作業チェックリストの項目)は追加すれば追加するほど期間と金コストがかかるし、無限時間をかければ当然ペイしなくなってしまます。なので、特に校正フロー最初においては、クリティカルな点や、質への貢献が高い項目を重点的に校正する、というのが多くの場合の実情です。

作品固有の事情として、『日本国紀』がどういう売り方で、どれくらいの期間、どれくらいの利益企画していたか、ということは外側からではわからないので、「通史で全部のファクトを細かくチェックしていけば、校正だけで5年はかかります」というコメントから、「じゃあ5年かけろよ」とだけ言って終わらせてしまうのは、理想的ではあるものの、現実的可能かどうかはわかりません。

2019/05/31追記:「通史で」というところもポイントなんですよね。そもそも日本国紀』を通史相当とみなすのか否かから検討されなくてはならない。一般文芸書と学術書では求められるレベル感が違いますもの

金銭時間が膨大にかかる理想をすべての書籍に一律に求めることはできない実情は既にあるので、「『日本国紀』という作品については、どれくらい理想を突き詰められたのか、突き詰めるべきだったか」という評価判断と合わせての評価のほうが、現場にとっては建設的であろうと考えます。これは単に「校正現場にとっては」という話であって、思想云々、歴史云々の話は学術芸術的観点を含むため、また別枠だと思います。今回の増田でそのあたりを取り扱うつもりはありません。校正作業の話だけをします。

最初お断りしたとおり、私は『日本国紀』をまだ手にとっていないので、どれぐらいの校正コストが支払われるべき作品だったのかについて、特に言えることがないです。もしもこの増田に反応が多ければ、その時は目を通してみようと思っています。その場合見積もりのために数日ください;)

現に剽窃事実誤認誤記と見られる(らしい)記述存在したそうですから、「『日本国紀』において校正フロー全体は正しく機能していなかった」は正しいと言えるとして、ではその原因は何か?については妥当な推測ができません。例えば期間や予算がなかった、あるいは校正者の実力自体の不足で、(作品としての理想、読者の皆様からの期待の両面から)求められる成果にそもそも達していなかった可能性はもちろんあります。また、あるいは部分的に達せられていたとしても、編集の方、著者の方にご確認いただく過程で、指摘が却下されている可能性もゼロではありません。

校正者」という個人さらにその校正力にだけ、校正フロー機能不全の責が向かうとすれば、必ずしもそうとは限らないですよ、ということぐらいは言わせてください。

修正一覧を公開すべき論について

私は見たいです。勉強にもなりますし。

……という感想はさておき、インタビュー内の「版を重ねて修正するのはどの本でも当たり前のようにある」は事実です。また、特段の事情がない場合サイレント修正するのもよくあります

ただ、ごく短い期間で版が何度も更新され、さらに刷りを重ねているとなれば、最新の版以外を「古いもの≒正確でないもの」と認識した上で取り扱ってもらえるのが望ましいでしょうし、その必要性の度合は文芸小説等よりは高いと思います広辞苑記者ハンドブックなどを使用する際に「第◯版を使った」というのが重要視されるように、『日本国紀』第◯版読んだよ、みたいな感じで。

長くなってごめんなさい

増田でこんなに長くていいのかって思いながら書きました。すいません。

2018-08-27

anond:20180826220500

文系学問って、ちょっとかじったくらいでは、いい加減なものとまともな物の区別がなかなか付けづらい。理系学問なら、全体が分からなくても、明らかにこれはおかしいという説明は初学者にも区別付くだろうけど、文系学問では質の悪い新書レベルの読むだけ無駄学問モドキな情報が世の中に溢れてる(たとえば、真面目な歴史学者匿名で書いた歴史学のわかりやすい考え方や新情報も、いい加減でオカルティなおもしろおかし自称郷土史家」みたいな連中の感想日記うんちく韜晦ブログかに埋もれて消えてしまう)から、あまり意味がない。理系学問知は共有によって磨かれるが、文系学問知はどちらかと言えば手垢がついてどんどんゴミにまみれる印象。一言で言って、文系学問集合知と相性が悪い。


それより、もし学ぶ気があるなら、まともな学者良心的に書き、まともな出版社から出版されたまともな哲学入門とか、法学入門とか、経済学史の簡単解説とか、文学研究本とか、教育学解説本とか……図書館行ってそういうのを一冊でも読むべきであるネット上でその代替物を探す行為には、コストに見合ったメリットがない。

2018-08-18

高知県立大学の大馬鹿野郎

図書館の蔵書3万8千冊を焼却処分したらしい。

そのこと自体については多数の方々が問題点を述べてらっしゃるので、そちらに譲る。

高知県民として腹が立つのが、この7月県民市民図書館が合築して新しい図書館「オーテピア」ができていることだ。

その規模は中四国最高レベル

収蔵能力「205万」冊。現在収容数「145万」冊。

もう一度言おう。

焼却処分された本の数は「3万8千」冊だ。

なぜ、なぜ、焼却処分しなければならなかったのだ。焼却処分は2014〜16年度中。なぜあと数年待てなかったのか。

地元紙によると、「同大は本の再利用を具体的に検討することなく焼却」とあり、その理由が「図書館のラベルを貼ったものが(古書店などで売られて)世の中に出るのはいかがなものかという意見が、大学財務担当者から出たため」らしい。

それならば各地の図書館への移管可能性をなぜ検討しなかったのだ。なにより県内新築されるオーテピア存在には誰も思いを浮かべなかったのだろうか。

なんのための教育機関か。郷土史を焼却してなにが県立大学か。

高知県大学の大馬鹿野郎

2017-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20170318021451

天文マニアの見つけた天文学的理論だとか

彗星だとか普通にアカデミック界で考慮されるようなことがあったような気がするけど。

明月記と超新星爆発とかマニアの助言みたいなの関わってた気がするし

郷土史とかだと在野研究家かいるじゃん。

2016-09-10

秒速5センチメートルを観ていて。

栃木県彼女に会いに行くために時刻表線路図にペンを引いている先で、

この映画を当時、映画館で観たときには絶対に気づかなかっただろうことに気づく。

東大宮駅がない!

お隣の土呂駅蓮田駅はあるのに!!

東北本線の長い歴史にあって、東大宮駅は大宮駅の真北なのに、

北大宮駅という三十年上の先輩がいたために"東"にさせられたかわいそうな駅だが、

それでも一昨年50周年を迎えている。

(地名が見沼市、もとい見沼区東大宮に変わったのは駅開業である)

断じて、'80年代開業土呂駅より省いて良い駅ではない。

大宮駅通勤快速に乗り換えたために何度通過したかからないが、

それでも社会人になってから住めば少しは愛着がわくものだ。

名簿に乗る無数の誰かは、皆、今もどこかで生きている。

一触即発地雷マスタを大量のドキュメント誓約書と一緒に触らされて、心苦しさばかり覚えるこの日頃。

郷土史好きの文系として、SF考証に( ´_ゝ`)な顔をしていた自分監督の脇の甘さをこういう形で知らされるとは思わなかった。

2015-06-18

http://anond.hatelabo.jp/20150618221927

ああ、舐められてるなあ、文学部w

史学科なら郷土史の読み書きに役立てるとか、国文学科なら変体仮名踊り字の解読あるいは古典近代文学研究趣味にするとかないの?

まあ実際そこまでやってる人はあんまりいないんですが。

いいとこ読書好きなったりラノベみたいなポンチ文に浸ったりする程度でしょ。

2014-08-04

30年前の夏休みに、幽霊出会ったと思った話。

30年ぐらい前の夏休みの思い出。幽霊に会ったのかも、と思った話し。

怖くは無い。あれはなんだったのか? みたいな。



俺が小学生低学年だったから、1984年前後かな。

金持ちの子の家にはファミコンが入り始めていた頃だったと思う。けど、俺の周りのガキどもは持ってない組で、相変わらず外遊び派。

それにふさわしく、ここはド田舎。周りは田んぼと山ばっかり。西日本、とだけ言っておく。

で、その時のグループに、タカヒロ(仮)というのがいた。俺と特に仲が良かったヤツ。

このタカヒロがある日、「ザリガニエビがたくさん捕れる場所知ってる!」とか言い出した。聞いてみると、少し遠い池らしい。俺はそんな池は知らなかった。とは言え、「おおいいね〜!」なんて言いながら、ちょっと遠征してみることに。なんせ夏休みですから

今だからわかるんだけど、あれは多分古墳だわ。こんもりとしたちいさな山があって、その周りが掘?みたいになっているところ。タカヒロは池って呼んだけど、あれは堀。

教科書に載っている「○○天皇陵」みたいなきちんとしたやつではない。宮内庁管理しているのかどうかよくわかんないけど、何か古びた看板があったのは覚えている。いい天気なのに木が茂ってそこだけ暗くなってて。その中に古びた木の板が立っていて、説明書きが書いてあったような記憶曖昧だけど、そんな光景だけアタマに浮かんでくる。

ま、そんなことは気にせず、俺達はその堀でザリガニ釣りをしたりカエルを探したりして遊んだ

その最中ものすごい大きい魚を見たりね。記憶では、自分より大きかった。多分脳がねつ造しているけど。コイかな。緑色ちょっとトロっとした感じの水の中に、黒々としたシルエットが悠然と泳いでた。ヒザまで水につかった俺たちのすぐヨコを通り過ぎていって、思わず俺もタカヒロも怖くなって後ずさったりして。まああり得ないぐらい大きかった。

堀の角では、船の残骸を見つけた。木で作った、小さな船。ほとんど水の中に埋もれている。公園の手こぎキコキコボートより少し大きいイメージ。今だったらアマゾン漁民が使っていそうな、木で組んだ船。興奮してふたりでその周りを攻めた。……網を突っ込んだりザリガニ釣りしたり、ってことだけど。そういう障害物があるところって、ザリガニとかエビとかが多いんだよな。



そんなことをしていたら、いつの間にか知らないオジイがすぐ後ろにいた。それまで俺たちだけで、人と言えば遠くに陽炎でゆがんだ軽トラが見えるぐらいだったのに。

なんか汚い服を着て、こっちを見てた。とがめる感じでもなく、ただ立っていた。田舎の大人は、子供がいたら声を掛けるよね。でもなんも言わない。うんでもすんでもない。

とは言え、ほら、子どもって、知らない大人のことって気にしなかったりするじゃん。誰かいても、自分が気になっているものしか見えないというか。そんな感じで、急に現れたときちょっとビクっとしたけど、すぐに遊びに戻った。

まあそんなこんなで、タカヒロが言うとおり、確かにエビザリガニ大漁だった。満足してみんなで引き上げた。

「次は池の真ん中の島上陸しよう」とか言いながら。……池じゃねえし堀だし。しかもあの島は墓だし(笑)



問題が起こったのは、次の日。

タカヒロが俺の家の勝手口に来て、暗い顔してる。

もう一回あの池に行こうという。でもなんでタカヒロは暗い顔してるのか。

どうやら親に怒られたらしい。あそこで遊んじゃいかん、もう一回行って謝ってこいって。

「え? なんで謝らなきゃいかんの? 誰に?」つー話しだよね。

タカヒロは、昨日の夜にあの堀のことを親に話したらしい。スゲーでかいコイを見た、自分と同じぐらいの大きさだった、なんて言ったんだろうと思う。

父親はその場所があの古墳だと判ると、血相を変えて怒り出したらしい。それであの池の中の島に謝ってこい、と言われたようだ。

で、そうは言わないけど、ひとりじゃ心細いから俺の所に来たんだと思う。

よくわかんないんだけど、まあ別に用事も無いし退屈してたし、ふたりでもう一度あの池に行った。

昨日の船のあたりに着くなり、タカヒロ神社にするみたいに手を合わせてブツブツと何か言ってる。で、俺に「お前も謝れ」とまあまあの剣幕で言うんだな。

俺もよくわかんないから理由を聞こうとするやん。

そうしたらタカヒロも段々ヒートアップしてきて「いいから謝れ!!」みたいな勢い。

俺もそれに押されて「お、おう……」って感じで謝った。手を合わせて、ごめんなさいごめんなさい、って心の中で言った。

で、タカヒロもそれで満足したらしくて、「帰るぞ」って素っ気なく言う。

「え、なんなん? なんだったん?」と聞いても、「もうあそこで遊んじゃいかん」としか言わない。俺もだんだん腹が立ってきて、タカヒロの服を掴んで問い詰めようとした時。

視界の隅に、何か写って。

ふと島の方を見ると、昨日のあのオジイが島のほとりに立っていた。50メートルは離れていたから、本当にあのオジイだったかわからん。けど、オジイ、と思った。こっちを向いている。

それで急に怖くなって、何も言わずに急いで帰った。

というのは、あの堀には、島に渡れるようなところはなかったハズなんだよね。昨日一周したから判ってる。ボートとか橋とか、無かった。有ったら俺たちも島に渡っていたと思うし。

「なのになんであそこに居るの? もしかしてユウレイ的な何か?」みたいなことを一瞬にして思ったんだど思う。それで、怖くなった。



ユウレイとは思いがたいし、別に何かあったわけでも無いし、その後も無い。謝りにいかなかったやつらにも何もなかったと思う。あるわけない。

あのオジイは何かの調査中(ローカル郷土史家とか、さ)だったのだろうと考えるのが普通だろう。

タカヒロのお父上が言ったことも、単に他人様の墓で遊ぶのはけしからん、ぐらいのことだったと想像する。

ただ、子どもの頃、もしかしたらユウレイ出会ったのかもと思った、というそれだけ話し。

程なく俺は引っ越ししまって、それ以来あそこへは行っていない。その後この事案についてタカヒロと詳しく話した覚えも無い。

この夏休みに、30年ぶりにあそこ行こうと思う。あの古墳がなんだったのか見てくる。今だったらあの看板も読めるだろう。

タカヒロ本人は、成人してから事故で亡くなったと聞いている。だからお父上がもし御健在だったら、なぜ謝りに行かせたのか聞いてみようと思う。もう、覚えてないかな。

2014-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20140429023744

消費じゃなくて作る方になれば飽きないよ

小説でも裁縫でも動画でも絵画でも写真でも郷土史でもなんでもいいから

2012-08-30

20歳以上っぽい(一部除く)女性キャラの年齢調べてみた

連載開始時は年上だった主人公が今ではすっかり年下に…なんてことはよくあるけど、

ふと、有名どころのアニメにでてくるお姉様方って何歳の設定なんだろうと気になったので調べてみた。

フグサザエサザエさん

27歳(アニメ版では24歳)、専業主婦。夫はマスオ32歳(アニメでは28歳)、会社員係長

3歳になる息子、タラオがいる。

磯野フネサザエさん

48歳(アニメでは52歳)、専業主婦。夫は波平54歳、会社員課長

長女サザエ、27歳(アニメ版では24歳)。

長男カツオ11歳。次女ワカメ、9歳。の母。

高齢出産ですね。

野原みさえ(クレヨンしんちゃん

29歳、専業主婦。夫はひろし35歳、会社員係長

21歳の時にひろしと出会い結婚(時期不明)。

24歳で長男第一子のしんのすけを出産、29歳で長女第二子のひまわり出産

野比 玉子(ドラえもん

38歳、専業主婦。夫はのび助36歳、会社員課長補佐

10歳の息子、のび太がいる。

姉さん女房なのか。

さくら すみれちびまる子ちゃん

40歳専業主婦。夫はひろし、40歳

長女さきこ、11歳か12歳。次女ももこ、8歳か9歳。の母。

草壁靖子(となりのトトロ

年齢不明。夫はタツオ32歳、非常勤講師

長女サツキ12歳。次女メイ、4歳。の母。

サツキ誕生時、タツオは20歳ということは、学生結婚

おソノ(魔女の宅急便

26歳。パン屋の奥さん。

本編ラスト子供生まれる。

月島朝子(耳をすませば

43歳、社会人学生。夫は靖也45歳、図書館司書本業郷土史家)。

長女汐、18歳。次女雫、14歳。の母。

ドーラ(天空の城ラピュタ

50代前後、空賊頭領。

長男シャルル、30歳。次男ルイ、25歳。

三男アンリ20歳。の母。

バタコ(アンパンマン

年齢不詳ジャムおじさんの元でキャリアを積む日々。

自分の年齢に近いと親近感わきますね。

サザエさんとか意外と若いな…

2012-01-19

フランダースの犬にまつわる救われない話

オチが救われない話」というまとめサイトを読んでいたら、こんな救われない話を知った。

フランダースの犬』は、アニメとして日本人によく知られている。

しかヨーロッパではほとんど知られていなかった。

もとは1872年発表のイギリス童話だが、原作者女性ベルギー風俗イギリス人の目で偏見的に描いている。

なにしろ、帝国同士の争いが激しかった19世紀。

イギリス人の心の奥底には、ヨーロッパに対するかすかな敵意が潜んでいる。

「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」

こんなことをずらずらと書いているのだ。

ベルギーを始めとするヨーロッパで人気が出るわけがない。

その上、本家イギリスでは、運命に抗わず教会で死ぬという内容がアングロ・サクソン的に受け付けられなかったようだ。

結局欧米では、誰も見向きもしなくなったというわけだ。

ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得する。

80年代から海外旅行ブームでは、ベルギーフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。

もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。

地元人間すら誰も知らないのだから当然か。

日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりパターンだったとか。

ところが、1982年、大きな転機がやってくる。

ベルギーアントワープ観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、運命を変えた。

日本人観光客からフランダースの犬』という物語存在を聞いたことが発端である

生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼には浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。

地元を愛し、それが故に地元観光局に勤めた彼。

そんなオタク青年の彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかった。

だが日本人観光客に詳しいことを尋ねても、

アニメをやってたんだけど、もしかしたら原作があったのかもなぁ」

というだけで『フランダースの犬』について、はっきりとしたことが分からない。

今と違ってインターネットがない時代

日本語情報はそう簡単に手に入らない。

街の誰に尋ねても、何もわからなかった。

しかし彼はあきらめない。

「この地方舞台にしているのなら、図書館にヒントがあるかもしれない」

そう考えた彼は、地元郷土史などを調べ始める。

図書館であらゆる資料をあさり、……そしてとうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけたのだ。

欣喜雀躍たる、彼の喜びが想像できるだろう。

……だが、読み終えた彼はがっかりした。

感動するほどの物語ではないからだった。

実は原作には、最後ネロ天使に救われて天国へと召される……というシーンはない。

ただただ暗いだけの作品なのだ

原作者は夫に捨てられた後、犬の保護に尽力していたが周囲に相手にされなくなり、晩年は30匹の犬に見守られて亡くなっていた。

そんな原作者厭世観が反映された作品でしかなかった。

(この原作日本人の感動との間の乖離は、いったいなんなのだろう?)

日本人からアニメの素晴らしさを聞いていた。

しかしたら、それがヒントになるのかも?

彼は、日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオ童話集を取り寄せてみた。

その結果……感動したのだった。

彼は、今のジャパニメーションギークの先駆けだったのだろう。

情熱は、いよいよ膨らむ。

一年半かけて調査を行ない、原作舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。

原作に描かれた運河がスケルト川だったことも分かった。

ついには風車の跡も発見する。

変わり者のコルテールのその姿は、周囲から嘲笑を受けていた。

当時の日本なんて、極東の島国で、ドイツに加担して負けた挙句に少々景気を持ち直しただけの国、というイメージだったから、仕方ないだろう。

だが、彼の熱意は次第に周囲を突き動かしはじめた。

ルーベンス以外にこれといって観光資源のないこの街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。

そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年ネロパトラッシュの小さな像が、ホボケ情報センターの前に立てられた。

除幕式にはアントワープ州知事市長、在ベルギー日本大使らも参席、盛大なパーティーが開かれたという。

風車観光客向けに作り直された。

ネロパトラッシュが共に埋められた(ことになっている)街の教会は、観光コースとなった。

ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。

その地域観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。

フランダースの犬ベルギーで放送され、80%近い視聴率をとったという。

ヤン・コルテールは『フランダースの犬研究家として知られるようになる。

その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになった。

研究のために日本へ何十回となく訪れるようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性石井ヨシエと結婚した。

彼は妻と共に、今でも地元でつつましやかに幸せ暮らしている。







……はずだった。

2008年、彼が妻を殺害した容疑で逮捕されるまでは。

なぜなのか?

コルテールが日本人の妻をもらい、日本ベルギーの架け橋として活躍していることまでは、いろいろなサイトで詳しく取り上げられていた。

ところが、彼が犯した殺人についての続報をいくら調べても、日本語サイトでは何一つその理由が分からないのだ。

英語サイトで調べても、アメリカ人などが『フランダースの犬』に関心がないためか、まったくヒットしない。


仕方ないのでグーグル先生の力を借りて、オランダ語サイト日本語に訳したり英語に訳したりしながら調べた。

その結果、驚くべきことがわかった。

コルテールが妻を殺したのは、妻の浮気のせいだった。

コルテールとヨシエが結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。

だが、次第にヨシエは旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。

彼女帰宅する時には、職場にまで迎えに来る。

もっと自由にさせて欲しい、自由にいろいろな場所に行きたい、というのがヨシエの欲求だったそうだが、コルテールはそれを許さない。

異国の地にやってきて、海外しか味わえない自由を満喫したい日本人女性

彼女を大切にするあまりに、彼女の全てを管理したいと願うベルギー男性

だんだんと、二人の間には溝が生まれるようになった。

二人の間はギクシャクし始める。

その時に彼女の前に現れたのが、口が堅いという噂のピエールだった。

「夫とは長いこと話してないの。夫は頑固でさ」

秘密を守れるピエールへの心安さからか、ヨシエは彼へ愚痴をこぼすようになった。

「彼は変わり者だからね。我慢さ」

愚痴を聞いてもらううちに、ヨシエがピエールに親しみを感じ、やがて二人が愛しあうようになるまでに時間はかからなかった。

ピエールの口は固かったが、ヨシエの下の口はゆるかった。

ところが二人の仲は、コルテールに最悪の形でばれてしまう。

二人がバスルームで愛し合っているところを、コルテールが発見してしまったのだ。

口がゆるい上に、脇も甘かったというわけだ。

だが、そのときヨシエは豹変した。

日本女性のおしとやかさはどこへやら、情事発見したコルテールを怒鳴りつけたという。

「あんたさぁ、男としての魅力がないんだよ!!」

彼女の口は、悪かった。

その時に、コルテールは、彼女のことを深く深く愛していたことに改めて気づく。

何があろうと、彼女の気持ちが戻ってくればそれでいい、というのがコルテールの偽らざる気持ちだった。

彼は、離婚を迫るヨシエに対して、仲を修復したいと取りすがった。

しかし、彼と別れてピエールと一緒になりたい、というヨシエの気持ちは変わらない。

コルテールは、一つの提案をする。

それは、最後のお願いとして、彼女日本を一緒に旅行することだった。

二人が出会った日本で過ごせば、彼女の気持ちも戻ると思ったからだ。

……これ、男にありがち。

男の浮気は「名前をつけて保存」だが、女の浮気は「上書きして保存」

他の男に気持ちが移った以上、振り向くわけなんてないのだ。

日本でヨシエは、両親にコルテールを引きあわせたという(この辺りは女性特有の図太さといえよう)。

それでいながら、彼女の気持ちが変わることはついぞなかった。

ベルギーに帰国後「自分を自由にして欲しい」と迫るヨシエ。

それを拒むコルテールを、ヨシエは罵った。

そして、決して犯してはならないラインを越えてしまった。

彼女は、職場ベルギー人の同僚達と彼とを一人ひとり比較して、いかコルテールが劣ったオタク野郎なのか、痛罵したのだ。

……こと、ここにいたっては、どうしようもない。

この時のコルテールの失望は、いかばかりであったのだろうか。

その時の衝撃は、彼の行動が示している。

コルテールは逆上し、ヨシエをナイフで22ヶ所切りつけて、殺害したのだ。

リアルは、『フランダースの犬』以上に救いようのない話だった。


※プライヴァシー保護のため、一部を仮名にしています

2011-04-09

日本復興への課題3/3

http://anond.hatelabo.jp/20110409170039からの続き)

安心と不安
情報統制という妄想

上杉や広瀬は、政府東電対応についてこうも批判している。

事故発生当初から「東電は事故に関して隠している、嘘を言っている」、「政府は騙されている。メディア記者クラブは、東電が最大の広告主、クライアントだから遠慮して言えないのではないか」と、自分の出演しているメディアラジオ番組で言い続けていました

いま再び、70年前(太平洋戦争末期)の大本営発表と同じことが、起こっているんだなと思います歴史教科書をみて「こんなことがあるわけないだろう」と思っていたことが、実際に、目の前で起こったことに、びっくりしています。まさか自分がそんなことの当事者になるとは思わなかったので(苦笑)。

日本人は小さい頃から新聞テレビは正しい。雑誌インターネットは嘘ばかりだ。と思い込まされているんですよ。ただ、新聞テレビ情報は、政府の発表を記者クラブとしてそのまま報じる。彼らが独自に取材した情報と内容が違っていたとしても政府の発表を採用する。だから新聞テレビは正しいと思っている国民は常にその情報を信じるから、今回も同様の洗脳が起こっている。ただ、これまでとちょっと違うのは、若い人たちを中心にインターネットを通じて「あれ、何か違うんじゃないか?」とわかって来ていること。私のツイッタータイムラインも今朝ぐらいから「新聞テレビの言っていることと事実が違うぞ!」と結構大変なことになっています。まるで、エジプトとかチュニジアたいに。明らかにそこが変化して来ていますね。

大本営発表の再来という誇大妄想と、自分が時代を動かすんだという自己陶酔で完全に正気を失っている。

だが、科学誌『Nature』は上杉などと全く逆の見解を示している。

JS: 〔…〕私としては、現在データの量と質は、満足できるものだと思います。でも、ご質問のとおり、計測方法なんかの情報が抜けてたりして、データ解釈かしずらいのは事実です。これは、ひょっとしたら、翻訳の問題なのかもしれません。もしかしたら、日本語データレポートは、もっと関連情報がしっかり網羅されてるのかもしれません。

JS: 私もGeoffと同感です。難しい状況を鑑みても、日本側のデータ収拾の努力を批判するのはどうかと思います

GB: 私がひとつ言いたいのは、報道側がこの危機をどう報道していったかは、結構問題だったと思います報道は、最大値ばっかりをレポートする傾向にあります。とくに、放射能汚染の場合は、最大値じゃなくて、ある一定の時間内での積算値が問題なわけで、最大値は、それだけじゃ、あんまり関係ないわけです。実際、低レベル放射線長期間続くほうが、ほんの瞬間の最大値よりもあぶなかったりするわけで。

すでに紹介した早野龍五と辰巳創一も、これを支持している。

また、辰巳はこうも呟く。

さきほどのツイートに関連して,こうした抑制的,かつ整理された情報発信を日本の信頼出来る科学コミュニティーから出来なかったことは,今回の本当に大きな反省点だと思う.少しこんな話をするのは早いけど,望まぬ”次”が来た時,きちんと役割を果たせる体制を作ることは我々の世代の使命だと思う.

門外漢ながらこれには同感。今回の震災で、日本の学会学会誌は何とも頼りない。下手に東電を擁護しようものなら石を投げられそうな現状には同情するが、それでもバカなマスメディアとバカなネットユーザーに好き勝手させず、学会や有志が連名で声明を出すくらいのことはして欲しい。

煽られる不安

TBSの松原耕二は、震災発生当日から報道特番で「政府不都合な真実を隠しているんじゃないでしょうか」と明言し、「「念のための避難命令」という政府の説明はどうも納得できませんね」と連呼していた。

僕らは不安であっていいんだ。それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。自分で量りきれない恐怖があるときに僕らは不安になるだろう。そして、僕らは今存在する危機に対して、その可能性の正確なサイズや輪郭をつかめいでいる。その不安は僕らのものだ。警報を切ってはいけない。

不安を増幅してはいけない、というのは、政府既存権力が望むことだ。なぜなら、不安は人々を駆り立て、秩序を破壊することがある。けれども、今、政府が恐れていることは、人々がどこかに殺到して怪我人や死者が出ることではない。暴動が起きることでもない。そうではなくて、原発政策が根本的に覆されることだ。今すぐ原発を止めろ、という人が増殖することだ。彼らは事故に寝るヒマもなく対応しながらも、今もそこを必死に守ろうとしている。

不安を煽るということを許さない自警的感情は、すぐに不安であることを許さない、という事態につながっていく。しかし、全員の心をそのように一つに塗り込めていくことは危険である不安は自然であり、この危機に不安を持たないことは不自然である不安はない、ということを強制すれば、その感情はいずれなんらかの形で暴発する。あるいは一人一人の心がこわれ、あるいは集団的な行動を誘発する。

どこかの気持ち悪い物書きの文章。

風評被害」というのは「悪いことでも異常なこともなく」、情報不足した時に起こる「正常な人間社会活動」ということです。だから、風評被害をなくすには、一にも二人も人間自分を守りたいという本能に適した「正確な情報を提供する」ということなです

中部大の気持ち悪い教授の文章。

最近、このような主張が散見される。その理由はきっとこうだ。「政府東電原発行政を守るために偽りの安全を強調するに決まっている。だから安全だと強調されればされるほど不安になるのは当然だ」と。

では、何故不安を煽ってはいけないのか。それは、人は不安になると冷静な判断ができなくなり、誤った衝動に駆られるからだ。注意を促すことはよいが、不安を煽ることは絶対にすべきでない。

また、正確かつ十分な情報を人は必ず判断できる、ということもまた大いなる幻想だ。「自分が安心できないのは政府東電からの情報が不十分だからだ。何故そうだと分かるかと言うと、それは自分不安いるからだ。自分不安でいる理由は、それ以外に考えられない」。このような自己欺瞞責任転嫁はもう止めてもらいたい

群衆の行動や心理について詳しい新潟青陵大大学院の碓井真史教授社会心理学)は「現在自分が普段と違う心理状態だと自覚する必要がある。一部の極端な行動で多くの人が脅かされる。そういうことを皆が理解し、協力しようとすれば、パニックは避けられる」とアドバイスする。

「落ち着いてください」「安心してください」と言われれば言われるほど落ち着かず不安になるのは、政府東電が悪いのでない。それはそうなる人の心理が異常を来たしているのだ。「情報や説明が不十分不正確だ」と思うのは、ただそう思い込んでいるからではないだろうか。

東電魔女狩り

人災論批判

東電の武藤栄副社長は25日の会見で「連動地震による津波は想定していなかった」「(貞観地震に対する見解が)定まっていなかった」と釈明。東電対応に、岡村さんは「原発であれば、どんなリスク考慮すべきだ。あれだけ指摘したのに、新たな調査結果は出てこなかった。『想定外』とするのは言い訳に過ぎない」と話す。

震災の発生以後、殊に原発事故の発生以後、「1000年に1度の大地震を想定していなかったのは怠慢だ」「これは天災でなく人災だ」という声がよく聞かれる。こういった東電非難の意見が、私にはよく分からない。

もし国や地方自治体東電以外の企業などがすべて1000年に1度の大地震を想定していたのならば、今回の原発事故は人災と言ってよい。だが、そんなものを想定していた団体はどこにも見当たらない。東電だけを非難するのは全く不公平だろう。

仙台に巨大津波が押し寄せる恐れがある」と16年前に警告を発していた郷土史家がいる。津波の歴史研究し、対策の充実を訴えていた仙台市宮城野区の飯沼勇義さん(80)。東日本大震災大津波を目の当たりにし、「行政も住民も危機管理が不十分だった」と悔やんでいる。

飯沼さんが暮らす宮城野区蒲生アパートも津波で壊滅的な被害を受けた。身を寄せる避難所で飯沼さんは「歴史は繰り返す。震災を教訓に、津波対策や避難誘導のシステムを早急に構築するべきだ」と語っている。

仙台への大津波を警告していた郷土史家もいたが、その本人のアパートでさえ津波で甚大な被害を受けるほどの、つまり想定以上の大津波だった。

WSJ:東電は甘かった?

米倉氏:甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電全然、甘くはない。

GB: 原発は、すべて、ある程度のリスクはこえられるように設計されてます。ここで留意しておきたいのは、福島原発は、設計段階で考えられていた最大の災害よりも何段階も上を行く大災害にみまわれたにもかかわらず、一応は、破壊されずに、まだ残っているわけです

今回の震災では、2万数千人が大津波の犠牲になった。筆舌に尽し難い被害だ。しかしこの被害について、「国や地方自治体が1000年に1度の大津波を想定し、沿岸から数km圏内の住民に立ち退きを命じていれば2万数千人は死なずに済んだ。だからこれは天災でなく人災だ」と非難する人は誰もいない。沿岸に原発は造っちゃいけないが人間は住まわせてもよい、などということにはならないだろう。

しかも今回の原発事故では、将来を悲観して自殺した農家を除いて、まだ誰も死んでいない。これは事実だ。まだ誰も死なせていない原発事故は2万数千人の津波被害と比べて軽微だ、などと言うつもりは毛頭ない。原発事故によって多くの福島県民の生活が破壊されたことも、また事実だ。しかし、東電のみを非難して国や地方自治体を非難しないのはどう考えても不公平だ。

「津波が想定を大きく超えた」という。早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(いけい)が足りず、結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。天災が暴いた人災である

東電に「地球や自然への畏敬(いけい)が足り」なかったのであれば、庁舎ごと津波に飲み込まれた南三陸町なども同然なのではないか

ここぞとばかりに反原発を唱えてる人へ

警鐘を鳴らしていた(キリッとか知った事言ってるけど

今回の津波は日本最高新記録なんだけど予想できたの?

あ、予想してた?

こんな津波来るって予想できたなら

先に堤防が無い町に警鐘を鳴らしてやってくれ

放射能汚染は元に戻るまで長い年月が掛かるから次元が違う、という意見もあるかも知れない。しかしそれだったら、犠牲者の埋葬は1年も掛からないから大したことはない、ということにならないか。死者はもう二度と元には戻らない。

そして、妻は自分にいい聞かせるように、こういった。「これは天災だからね。天災に勝てる者はいないよ」

ただし、「私は東電を許します」という発言は記事に見られないので、そこは印象操作かも知れない。

東電への迫害

上記のような東電非難を口にする人は、そもそも原発が嫌いな人が少なくない。また原発いでなくとも、こういった大災害では誰もが怒りや悲しみの捌け口を求める。東電は格好の悪玉候補だった。しか理不尽不公平な非難は決してよい結果を生まない。

原発事故処理最前線は如何に苛酷な環境かが報道されても、聞かれるのは「やっぱり東電は酷い企業だ」「国はちゃんと東電監督しろ」といった非難ばかり。「現場作業員のために、みんなで食料や寝袋を送ろう」なんて応援活動は全く聞こえてこない。

激励慰問の手紙を送ったアメリカ小学生の方が、人としてよほど真っ当だと思うのは私だけだろうか。

危険な状態が続く東京電力福島第一原子力発電所国民不安といらだちが募る中、東電社員への苦情や脅迫嫌がらせが目立ち始めた。東電社員の安全を守るため、社員寮の表札から社名を消した警視庁も警戒を強める。

護憲反核薬害問題に対する活動をしている女性・星アカリさんが、インターネットコミュニケーションサイトTwitterで「東京電力社員子供を全員がボイコットしなさい」などの発言をし、インターネット上で炎上状態となっている。

社員やその家族が身の危険を感じるほどの東電叩き。なのに流石は糞っ垂れのガジェット通信

果たして現在国民政府東電を正しく冷静に評価することが出来ているだろうか。

今、国民がすべきこと

冷酷な減点法からの脱却

こうした政府対応について、災害時の心理に詳しい広瀬弘忠東京女子大教授災害リスク心理学)は、「パニックを恐れて、余計な情報は出さないという心理が透けてみえる」と話した避難指示の範囲が拡大された理由の説明も遅れた。広瀬氏は「わかること、わからないことをはっきりさせて、説明するのが危機管理の基本だ。大変なことが起きているのは、すでに皆がわかっている。私たちのリスク観はもっと成熟しているのにバカにしている」と批判した

週刊現代も同様のバカ記事を書いている。

政府東電対応情報公開に問題があることは事実だ。これらの記事は、不適切な対応情報公開はすべて故意や怠慢によるものだと決め付けている。だが、このような冷酷な減点法こそが不適切だろう。

1000年に1度の大震災が発生した時点で、すでに満点の対応を期待することは出来なくなった。譬えるなら、100点満点のテストマイナス数十点のハンデ付きで受験するようなものだ。政府東電さえしっかりしていれば何も問題は起こらなかった、などという仮定は成立しない。

しかも、政府東電もまた被災者だ。負傷者がより深刻な負傷者を手当てしているようなものなのだから、対応に不備があったからと言って叱責するのは余りに冷酷で不当だ。

原発内にいる人達は、みんな命懸けです。きっと、報道されてること以上にやってることもあると思うし、報道されてほしいことが報道されてなくてってこともあると思う。私は、東電社員だったことを誇りに思うし、今原発内にいる東電社員の方々を本当に誇りに思います。予想外の津波がきて、原発での事故が起こってしまった。でも誰も悪くない。東電が悪いわけじゃない。誰も悪くないんだよって思う。色々な批判や、文句がある。でも今も寝ずに国民の安全の為に、一生懸命原発内で戦ってる東電作業員がいることを忘れないでほしいと思います

WSJ:当局への不信が国民にみられる。東電責任問題情報公開問題はどうか?

米倉氏:一生懸命やっている。考えられていないが、東電自体が被災者だ。従業員が津波に流され、機器も津波に流されているところがある。そういったなかで一生懸命努力をしている。

これらを関係者による身内贔屓などと切り捨てるべきでない。

GB: 〔…〕あと、付け足しておきたいのは、今の状況は、計測するにしても、かなり難しい状態だ、ということです。日本側の行っている計測やサンプリングいちゃもんつけるのは簡単なことですし、まあ、そうやって、批判的に事態を見つめていくことも、大切だと思います。でも、特に震災の直後は、計測用の計器もままならなかったし、交通網もやられて、原発の周辺へ近づくことも、簡単ではなかったんです

政府東電とも一つに

震災以前において、菅政権を信頼することは明らかに狂気の沙汰だった。それは同意しよう。私も数年前から一貫して、民主党などに投票するのは狂気の沙汰だと考えてきた。しか震災以後、政府はかなりよくやっている。完璧ではないが、それでも国民から糾弾されるべきほどには酷くはない。

サッカー試合で観客がすべきことは、「ドリブルで繋げ」「ディフェンスを上げろ」などと指示を飛ばすことでない。そんなことをしても大歓声で掻き消されてしまい、監督選手たちの耳には届かない。たとえ届いたとしても、観客一人ひとりの指示に従っていたら試合を戦うことは出来なくなる。また、味方の監督選手たちにブーイングを飛ばすことはもっと間違っている。もし味方のチームに勝って欲しいなら、観客は声援を送るべきだ。それが選手たちの士気を高め、勝利を引き寄せることになる。

現在の日本には、政権交代どころか、与野党国会で議論している余裕すらない。国民はもっと政府を信頼すべきだ。政府東電を信頼し、激励し、慰藉すべきだ。それが問題解決の何よりの手助けとなるだろう。

また、マスメディアは徒に政府への不信や不満を煽ってはならない。政府東電の説明に不十分なところがあれば、その意を酌んで誤解のないよう報道しなければならない。政府東電を叩いて足れりとするような報道は厳に慎むべきだ。

政府は日本の政府であり、東電は日本の電力企業だ。日本が一つになって頑張るために、今は政府東電とも一つになって頑張ることが求められている。文句があるなら試合が終わってから伝えればいい。

2008-12-22

http://anond.hatelabo.jp/20081222174448

思ったのだけど、

中学校歴史の授業で学ぶのは、日本史だけでいいのではないか。その代わり、高校では世界史だけを学ぶ。

世界の広さは順々に知っていったほうがいいと思う。

小学生のころ、市→県の順に郷土史を学んだ記憶があるのだけど、俺のいた県だけかな。

2008-09-08

http://anond.hatelabo.jp/20080908062334

アーカイブ機能ならどこの図書館にもあるよ。たとえば郷土史なんかは代表的。

何かそういうね、特権的な思い上がりでしか擁護出来ない時点でダメだよね。

そういうのは設立時に言えよ。そういう目的で立てられた施設なんだから。

そりゃ盗撮されても文句言えんわ。

馬鹿って言われても文句言えない発言だと思うなあw

http://anond.hatelabo.jp/20080908061815

アーカイブ機能ならどこの図書館にもあるよ。たとえば郷土史なんかは代表的。

何かそういうね、特権的な思い上がりでしか擁護出来ない時点でダメだよね。

そりゃ盗撮されても文句言えんわ。

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