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2023-08-02

anond:20230802113038

俺も老眼めちゃ怖かったけど老眼鏡すれば本は読めるんだよな。ならええわ。

要するに老眼で大騒ぎしてる人って元々の目がよくて眼鏡に慣れてない人じゃね?

アニメーターでも目がダメになって廃業かと思ってたら宮崎駿にお前それ老眼から眼鏡作れって言われて眼鏡作ったらまだ働ける!ってなった

とかtweetしてる人が居て当人は切実だったんだろうけどずっこけるわ

anond:20230730110445

老眼とは何か?

ピント調整力の衰え、基本的にピントが合う距離が一点しかない。

これはもう眼鏡矯正する以外ない。

遠くのものを見る時専用、40cm 先を見る時専用、その2つは不可欠。

眼科に行って、40cm先がみやすくなる度数を調べてもらうと良い。

※40cm は私が読書ゲームする時の最適距離なので、人によって距離は要調整。


楽しむ気力が長続きしないのはなぜか?

それは既に人生経験を積んで、知識豊富になっているから。

やってる途中で結果が予測できてしまったら楽しみようがない。

から、今までやってこなかったことをやるんだよ。

2023-08-01

the first take「新しい日本リーダーズ」に眼鏡不審者が映り込んでる

昔、笑っていいともでも

一般観覧者が舞台に上がってきたり

演説会で社会党書記長が10代のテロリストに刺殺されたりしたけど


コロナ後は一般観覧番組減って

腕のない芸人はせいせいしてるんだろうね

2023-07-26

国民よ、集団ストーカー被害者慟哭を聞いてください。

世の中には様々な苦しみがありますが、誰かが私に言ってくれました。

集団ストーカー被害者の苦しみというのは、測り知れない底無しの奈落」だと。

加害側は慎重で冷徹であり、現在の諸影響力の及ばない範囲の人数に留めているのです。

真の被害者を知れば日本国民は全員怒り心頭になることは明らかです。

増田の皆さん、被害者実態を知ってください。

日曜の終わりに

山田君のもの持ってきて!」

かしこまりましたー」

 赤モジャと手下の手により、メンバー銃火器無造作に配られる。

 困惑するメンバーに白眼鏡が薄ら笑いを浮かべて言う。

「今から皆さんには武器をもって殺し合いをしていただきます

 瞬間、乾いた銃声が後楽園ホールに響いた。

 ピンクの頭が石榴のように破裂する。緑の手に握られたAK47銃口から白煙が立ち上る。

 それが笑点デスゲームの開幕の狼煙となった。

 驚いた黄色椅子から泡を吹いて倒れた。すでに絶命していた。

 隣のオレンジが「お爺ちゃん、撃たれる前から死んだらだめでしょ」と黄色を介抱するふりをして、黄色に与えられた手りゅう弾を密かに紋付の袖に忍ばせる。

野郎ッ!」

 紺が叫び座布団から飛び上がる。ついでに途中の水色の頭を足蹴にして白眼鏡に殴りかかろうとした。

 しかメンバーと白の間にいつの間にか設置されていた厚い防弾ガラスに阻まれた。坊主頭をしたたかガラスにぶつける。もちろんびくともしない。

山田君

 白が冷徹に告げる。

「紺から2枚持って行って!」

「ああッ!? 俺だけこんなものでどう戦えってんだ!」

 防弾ガラスを叩きながら紺が訊いた。

 ガラスを叩く手にはアンテナがついた無骨リモコンが握られている。

 水色が踏まれた頭を左手で撫でながら、 右手を伸ばして紺の座布団の上にある足のはえた四角い箱をくすねている。

「押してみたら?」

 白が告げると、紺は握られたリモコンボタンを見つめ、思い切って押してみた。

 轟音が後楽園ホールつんざき、舞台を揺らす。

 水色が肉片になり四方八方に飛び散った。くすねたクレイモアが爆発したのだ。

 爆風を浴びて紺とオレンジも吹っ飛んだ。座布団を運んでいた赤も巻き込まれ緑へ向かって宙を舞う。

 オレンジの袖に入っていた手りゅう弾に誘爆し、さらに爆発音が響く。

 防弾ガラスに叩きつけられた紺の首がありえない方向へ折れていた。

 血しぶきと黒煙がもうもうと舞台を包む。その黒煙からオレンジのちぎれた腕が客席へ飛んだ。

 最初から判断が早かった緑は、己の貯まった座布団を盾にすると、爆風と木の葉のように飛んできた赤を躱した。

 四散した水色と反対側の端にいたことも幸いした。

 ラストワン。

 彼こそがこのデスゲームの勝者だった。ガッツポーズを決める。

 それを見届けて白は宣言した。

「といったところで笑点お開き。また来週のお愉しみ。なお来週は地獄から腹黒紫や骸骨緑を含めた敗者復活の公開大喜利生放送です」

 スネアドラムの連打からおなじみのテーマ後楽園ホールに鳴り響き、ショーの終わりを告げた。

 日曜ももうすぐ終わる。

ブスがほんのちょっと垢抜けた位が一番エロいと思い

最高に奮ったオナニーが出来ると悦に浸っていた。

もう何十年も。

しかし、ブスがちょっと垢抜けたとは中高大学位の女の過渡期を愛でるロリコンではないか?とキャバ嬢に指摘を受けてから、俺はロリコンなのか?と自問自答し始めてしまってなんか死にたいくらい落ち込んでいる。

別に狙ってちょい垢抜けを好んでいただけで、それが子供であるという自覚は全くなかった。

俺はロリコンじゃない。

単純に整ってない垢抜けはじめが好き。

一重で黒髪おかっぱの眼鏡が、ほんのちょっとおしゃれをし始めたくらいが最高に好き。

俺はロリコンじゃない。

ブスが好きなんだ。

2023-07-22

anond:20230721190226

虫歯なし、正しい姿勢や物の持ち方をはじめから習得、ガムを噛む、定期的に行ける歯医者歯列矯正口呼吸を早期に直す、視力検査をして早期に合った眼鏡を作る、5歳までの食生活脂肪細胞の数を……やり直したいことたくさんある

歯の割合高いなうける

同じ環境で生まれ直しても同じことになるだろうしやっぱ転生がいいな……

校則を増やしたがる子供たち

「言っていい言葉言ってはいけない言葉リストを作って欲しい」「靴下の色を指定して欲しい」「眼鏡の形を指定して欲しい」

「授業を受ける時の姿勢指定して欲しい」「「読んでいい本を指定して欲しい」「やっていいゲーム指定して欲しい」

学校教師だが、上記のような要望はここ2、3年ほどで実際に言われたこである

しかも、親ではなく、子供サイドから言われたことだ。

最近子供たちが校則を増やしたがっている。

私は32歳で、教職の中では若い方だ。ジェネレーションギャップなく、『子供気持ちが汲める』サイドの人間であったと言っていい。

デジタルネイティブだしね。ゲーム漫画話題も、大分近い距離で出来る。

だが、上にあるようなルールを決めてくれ、とにかくルールを、という考え方には戸惑いを覚えている。

ルールを減らしてくれ、だとかこのルール理不尽だ、大人の言う事は間違っている。子供気持ちを知らないで、勝手な指示をしやがって。

そういった感覚子供時代を過ごしてきたし、ちょっと前の世代までは実際、共通認識としてそういう感覚を共有出来ていたと思う。

だが、最近はとにかくルールで決めてくれ、というのだ。委員長気質の子だけでなく、普通の子も、学力の低い子も、不良っぽい子も、そう言うのだ。

地域性なのだろうか、と考えていたのだが、研修で会った別の地区教師たちも、「言われてみると確かに」という認識であった。

軽く、『ルールなんてない方がよくない?』といった旨のことを子供たちに聞いてみたことがある。

子供たちは、「ルールがあった方が便利」とのことを笑って言っていた。

便利とはなんだろう。ルールとは、行動を縛り、不便を感じさせるものではないだろうか。

基本的に、『決まりは守りなさい』と指導しなければならない立場からこそ、ガチガチルールを増やすようなことはしたくない。

自由に伸び伸びと育ってほしいと思うのだが、私の考えは間違っているのだろうか。

それ以上に、どうしてこういった風潮が生まれてきているのか、気になっている。

2023-07-21

誕生日プレゼントネタ切れ

結婚して6年、妻への誕生日プレゼントアイデアが尽きた。

妻は倹約家で、用途が重複するものは持たないし、物は使える限り5年10年直してでも使う。だから一度あげてしまった種類のプレゼントはもうあげられない。かばん、財布、眼鏡エプロン過去に俺があげたものをずっと使っている。

服やアクセサリーは「管理が面倒だから」と増えるのを望んでいない。1週間分の衣類があれば十分らしい。

便利家電は「今あるもの生活は回ってる」と断られてしまった。

食事旅行に連れていくのも考えたが、まだ小さい子どもがいるので難しい。

エステ美容院は苦手だと言っていたので候補にならない。

自分の中の女性サンプルが姉と母しかいから、女性ブランド化粧品かばんで喜ぶと思っていた。妻は真逆なせいで何をあげていいかからない。

リクエストを聞いても「今は欲しい物がない」「じゃあ子どもの⚪︎⚪︎を買ってあげて」などと言われてしまいとりつく島がない。

何をあげれば喜んでもらえるんだ。妻の誕生日まであと2週間しかない。

2023-07-20

anond:20230720214303

職場体重100kg近いクッソ性格の悪い豚女や推定80kgの陰険を絵にかいたような眼鏡豚女にもどっちにも彼氏いるって聞いて心の底からビビったわ

弱者女性とかどこにいるんだ?

21女子大学生のマチアプ条件

https://anond.hatelabo.jp/20230717163854を書いた時、私の理想が高いのではないかと言われた。

自分では高いんだか低いんだかわからないし、実際異性と話す機会がさほどなかったので、原因の一つかもしれないと思った。他人意見を聞いてみたい。

条件として、

•22〜27あたりであること

弟がいるので年下はなんか嫌だった。30近くなるとちょっと無理だった。冷静になった時に、こいつ30なのに学生に手出してるのか…ってなる。男性からしたら若い方がいいってのは理解はできるけど年離れすぎているのは嫌だった。パパ活みたいだし。

•あまり太り過ぎていないこと

やべーデブでなければいい。ズボンに肉が乗るくらいなら気にしない。体重身長とか筋肉量にもよるからなんとも言えない。

•肌がきれいなこと

アトピーとかなら仕方ない。気にしない。ただできればそこそこ手入れとかしててくれたら嬉しい。してなくても綺麗ならいい。自分が力入れてるのもあるし、相手も気にしているなら私がスキンケアとか凝ってても文句言われないのでは、という打算もある。

普通の服を着ていること、髪型普通なこと

普通とか言ったがよっぽどトチ狂ってなければいい。V系とか一昔前のホストみたいな盛り髪だとちょっときついかもしれない。そのくらい。

真正面斜め下、あからさまに適当に今取りましたみたいな自撮りでないこと

おっさんに多い。なぜそれを選んだのか。他にあるだろ。最初は気にしてなかったが、20代でこれを採用してる人は大体会話がヤバかったので後から追加。

ここまでマッチング成立までの条件。

ここからは会ってから判断してた。

•急に怒鳴らないこと、気分の上げ下げが激しくないこと

自分の機嫌は自分でとってほしい。親が昭和の感じで急に怒鳴るタイプだったので嫌だった。ある程度メンタルの落ち着きのある人がいい。何回か会ってる時に判断してた。

•返信が遅くても気にしない人

人によっては昼頃のメッセージに夜返したらキレる人もいたので。そんなに早くは返せない。

電車で足開いたり投げ出したりしてない人

マナー的に。シンプルに見てて不快から嫌い。閉じろ。

•既婚でない人、ヤリモク丸出しの人

意外と既婚者もいた。やるな。判明次第ブロックしてた。遊び目的、って書いてある人やメッセージで送ってくる人はお断りしてた。別にヤリモクでもいいけど多少は隠した方が成功率あがるのではないだろうか、いやめんどいのかもしれないけど。

大体こんな感じだろうか。

クリスマスとかのプレゼント交換とかはする前に別れてた。

フリーターとか高卒年収とかは気にしない。私も誇れる学歴はしていないしまだ働いてないので年収かにとやかく言える筋合いはない。

食べた分とか自分映画チケット代はだしてた。炭酸が飲めない故に酒がほとんど飲めない人間で、大体の人とかかる費用が違ったので自分の食べた分が1640円なら2000円とかで出してた。酒なしのとこなら割り勘してた。ぶっちゃけ一人暮らし社会人より実家住み大学生のが余裕あるし、他の大学生より稼いでる自覚もあったので多く出してても気にしなかった。

顔は肌以外なら気にしない。他人の顔の区別全然できない人間で、中学時代毎日話してた友達眼鏡を変えただけで誰かわからなくなるレベル人間である。いまだにネタにされている。菅田将暉とかの芸能人区別できない。大体眼鏡髪型のパーツ、声で人間判断をしている。刑事ドラマとか誰が誰だかわからなくなるので見れない。私よりiPhoneの顔認証の方が精度が高い。他人の顔にとやかく言える人間ではない。

実際お付き合いまで行った二人は一人は大学院生23歳、もう一人は社会人21歳である。入らないからとセックス途中で辞めても怒らず(むしろ気を遣ってくれた)、マチアプで会った関係なのに優しかったなと思う。ここで言っても仕方ないが申し訳ない。

男性から意見立場の違う女性から意見も見てみたい。実際私は結婚とか考えてないからこの価値観なので、それを視野に入れている人はかなり変わると思う。

2023-07-19

anond:20230719015014

そもそも何も見えない状態の人は眼鏡忘れんやろ…視界がぜんぜん違うのに

anond:20230719014133

かわいくない男だったら眼鏡を忘れても困るだけで終わりでしょうねえ

「好きな子めがねを忘れた」について

俺は、今までずっと視力が悪いということを性的に消費されるということは考えてなかった。

今になって連想すると、女性自分の「エロい」という特性性的に消費されるということについて考えてなかったように思う。

エロい」ということは性的に消費されても仕方ないということだ。と、思っていたかも。

だが、今になって、視力の悪さを雑に消費されて思う。

これは酷いっつーの。

眼が悪くて出席して人の教科書に顔を付ける奴なんているかよ。

眼が悪くて自分の靴がわからなくて人の靴を履く奴なんているかよ。

視力が悪いってのはほぼ障害なんだよ。眼鏡障害を解消する補助具なんだよ。

じゃあなんだ、世の中には片足を失って義足を付けてる人がいる。

義足を忘れた女がよちよちしてるのを「かわいい~」って思うのがエンタメかよ。

義足そもそも忘れることが無いというのもあるけど、それを見て可愛いって思うのもひでえだろ。

それと同レベルの話なんだよ、眼鏡を忘れるってのは。

まあ、これは「女性の可愛さをアピールするアニメ」と同レベルの話なんだろうな。

俺が自分にお鉢が回るまで気付かなかったってだけで。

からこうして匿名ダイアリーに吐き出してるだけにするが、本音を言わせてもらう。

これは酷いっつーの。

2023-07-18

掃除のコツは眼鏡を外すこと

部屋の掃除を始めると気づいたら1時間以上経っていることが多い。一度やりだすとどんどん新たな汚れが見つかって止まらなくなるからだ。だけど自分スマホトイレの便座より汚いとか聞くし、結局目に見えないだけで身の回りには汚いもので溢れている。だったらどうせ完璧にきれいにするのなんて無理だと諦めて、見える汚れの量を減らしていった方がコスパはいい。眼鏡を外して、都合の悪いものはなるべく目に入れず、最低限自分障害になるものだけ排除する。なんか人生の考え方にも生きる気がしてきたな。

臨時収入があったらやりたいこと

婦人科健診をちゃんと受ける

美容院で伸びっぱなしの髪を切る

眼鏡を買い換える

2023-07-17

宮崎駿君たちはどう生きるか」の検証にもならない独り言/ジブリ映画感想レビュー

大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋普通に並んでる様な文化人解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。

さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。

ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨投稿をしている人は何人もいた。

果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。

特にメモをとってわけでもないので、ディテール齟齬がある部分は勘弁いただきたい。

1、話の骨子

真人空襲(?)で母親を失くす

その後、母親の妹が新しい母親となり、母親実家疎開(?)をする

亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親真人は心を開けない

金持ち仕草抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMA能力があったため圧倒する

帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う

亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2

その後成長した少年は新しく生まれた弟と家族と共に東京に戻る

ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。

2、おしいれのぼうけんなのか否か

いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。

今回は後者の説をとらせて貰いたい。

真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。

この原著小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので

あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤かに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙である

うっすら覚えている内容も、格差によるキャズム父親金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。

聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由言論活動抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学見出したようだ。

吉野源三郎ニーチェの対比については東洋哲学視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。

そういった意味では吉野源三郎日本ニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。

なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。

3、これは大事ものから

庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事ものから」と新しい建築物で囲った。

ここで思い出すのは聖書の一節である

「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。

健全なる精神健全なる身体に宿れかし」

と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。

さておき。この大叔父の言っている「これは大事ものから」は絶対的価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したもの戦前、戦中に世に溢れていた「常識なのだろう。

この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観真人少年に届けることに成功する。

✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合はいくつかの齟齬生まれる。

4、アオサギの指すもの

本作でトリックスターとして描かれるアオサギ古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。

混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。

全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!

という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。

敵か味方か、友人かわからない存在

見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在相対的価値観象徴としてこの上ない。

ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。

アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者キリストとしても解釈をされている。相対的価値観象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。

嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるものスタンスでその答えが変わるだろうアオサギトリックスターに据えたのは、アオサギ不死鳥火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?

5、ペリカン反戦

わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。

出雲大社をはじめ、神道結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎新婦螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。

この「螺旋」という存在は、永劫回帰もつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのもの平等に無価値で、それぞれが相対的価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。

下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。

ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人であるアウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿フラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルメタファーではないだろうか。

ペリカン第二次世界大戦でも輸送機爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である

6、インコがよくわからない。

インコ軍団の描かれかたは、当時の日本軍部の急進派やポピュリズム扇動された国民イメージとさせる。

ところが、インコアオサギペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。

あえて言えば、ポピュリズム扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。

これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。

1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。

何故、インコなのかは本当にわからない。

まとめ

本作は極めてシンプル構成少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本バックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。

ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやす理解が困難であるところが極めてわかりやすい。

現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカ宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的宮崎駿である

なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念しかないだろう。

よっぽど忙しい人や、ジブリ宮崎駿が嫌いな人も最初10分で良いから見てほしい。

そんな狂気に溢れた作品であった。

おまけ 

昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。

宮崎駿引退するまでに一回で良いか柏葉幸子作品監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。

2023-07-16

その服本当にいるのか?

最近ずっとSHEINでしか服買ってなかった。欲しい。

見た目が最高にかわいいワンピース


一生リモートワークで平日はまず外に出ない。出るとしてもスーパー行くだけ。

すっぴん眼鏡なのでそれに相応しい服装しかできない。かわいいワンピース着るにはメイク髪型を相応にする必要性あり。

まり着る時は近所ではなくある程度街に行く時。

街に行く用事は、舞台コンサート行く時くらい。友達はいない。

月に1度か2度。

そのために買う。いや良くない!?

すんごい可愛めワンピなのであと何年着れるか。

世代の女はまず着ないだろう趣味。ずっとそういう服を着て生きていくつもりだったが、ほうれい線やたるみが出たらもうさすがに無理かもしれない。

メイク髪型が服にあっていないのと同じで、顔が服に合わなくなるので。

今はまだギリギリいける。

いけるうちに買っていけるうちに着とけ!

でもSHEINで買った服、まだ一回も着てない服多い。

一体いつ着るんだ。

そもそも外に行く用事が少ないのが悪い?

外に行くと異常にお金かかる。

交通費と食べたくもない食事。何もやることないのに。

もっと美術展とか行くか。

いや真夏だぞ。日焼けしたくないし疲れるし。

服を着る機会を増やすために外に行くのは本末転倒

いや何で転倒前提なんだ?

楽しくお出かけすりゃいいだろう。

何のためにお金稼いでるんだ?

稼いでるって言っても稼いでないんだよなぁ。

金はない。

でも月に3回くらい遊びにいくのはよくない?

いやほんとうに遊びにいきたいか

外に行く暇あったら絵と漫画を描きたい度が正直高い。

最近漫画レベルあがってきた。楽しい

早く完成させたい。

一生外でないやん。

バランスよく生きたらいいのに…

何の話だっけ?

ワンピース買うか買わないかか。

いや、もうそれは買えばよくないか

家で着るか?

絶対嫌だな。

部屋着、かわいいのを買えばいいんじゃないか?

そうかも。

ワンピも部屋着も欲しいな。

そんな服にばかり物欲を向けてどうするんだろう。

でも、かわいい服を着るの幸せからな。

うーん。

どうしようか。結論出ないけど、感情的にはもう8割欲しい。

ちゃごちゃ考えてないで買うか。

感情の前に理性なんかいらんやろ。

前にsister janeの欲しかったワンピ売り切れて泣いたしいまだに後悔してるもんな。

後悔引きずるくらいなら買う。買え。買うぞ。

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追記

買った!!!!!!!!!

2023-07-14

視力の上げ方を完全に理解した

眼鏡がいらなくなったので嬉しい

立体視凝視を繰り返し行う。

これで視力が良くなった、

やり方は2つ

暇を見つけて立体視凝視をする

これは飯食ってる時や風呂入ってる時

トイレする時などなど。つまんないけども。思い出したらやる。一時間くらいにはなるんかや。いや1日一時間やるんじゃなくて思い出したらやるんよ。飽きたらやめるの。

もう一個は日々の成長を実感する

たとえ

文庫本前に置いてぱっと見文字が読めなくなるまではなす。そこから立体視凝視を繰り返す。しばらくやって凝視で見えたらおしまい

目を良くしたいんだから繰り返す時に

立体視時間を長くとる。1たい2でやってた。気分によって1たい10とかな。立体視の方が長くなるようにがんばっていこーって感じ。

日に日に視力が良くなって楽しかった。いま2.5あるから上がりにくいけどな。

2023-07-13

anond:20230713132314

逆もまた然りだな~

女性ってだけでまず女性っていう色眼鏡がかかっちゃう

2023-07-12

赤ちゃん返りではなくいたずらガールになった

の子が産まれからの子必死大人の気を引こうとしていたずらばかりする

わざと怒られて自分に注目させようとする

赤ちゃん沐浴してたらそれをうらやましがって、でも上の子沐浴してもらえないかベビーバスの中のお湯を飲んだり、親が赤ちゃんの世話をしているあいだに全身ずぶ濡れになってみたり

赤ちゃんのものをほうりなげたり、親の眼鏡を奪ったり親を叩いたりしてる

注目をあびてかまってもらおうとした結果の行動だと思う

トランスジェンダートイレ利用の判決について、一当事者が思うこと

性同一性障害トイレ訴訟最高裁判決がでました。悪い予感しかしませんでしたが、メディアで大きく取り上げられ、さらインフルエンサー達も取り上げてインターネット上では大騒ぎになっていて、一当事者として思うことがいっぱいあるのですが、少し気持ちの整理をしながら投稿を書こうと思います

まず、トランス当事者意見がなかなか世に発信できず申し訳ない気持ちがたくさんあります。一部の過剰な活動家の声が大きいことについては本当に残念なのですが、トランスの人たちは、トランスしたことを悟られず生活している人たちがほとんどです。カムアウトやトランスバレによって色眼鏡で見られてしまうことも陰口を言われることもたくさん経験した結果、 生の声を挙げづらい現状にあること、申し訳なく思いつつ、匿名での発信にご容赦ください。

先に立場だけお伝えしますが、裁判全面的に支持、女湯はもちろん女子トイレ不審男性を見たら即通報するべき、です。

最初にお伝えしたいのは、国内トランスジェンダーである当事者、少なくとも私はトラブルなく目立たず社会に溶け込むことが一番の目標だと思っています相手に思わせるのではなく自然トランス先の性と認知されることが、最終的なトランスのゴールです。(その手段として、見た目、ホルモン、声、整形、性適合手術、戸籍変更などのステップがある、という形です)

男性に見える状態女子トイレに入るということはトラブルになるため、非常識批判を受けて当然だと思います。 万が一捕まっても診断が下りていれば大丈夫だと思いますが、当人的にはこれが一番怖いですしショックが大きいので、わざわざリスクを負いたくはないです。 警察騒ぎは嫌ですし、男性として認知されるなら男子トイレに入ることが自然なことだと思います多目的トイレもありますし、男子トイレには個室の便器もあります

ですから、私は怪しい人を見つけたら即通報店員相談で何も問題ないと思います。 その人は99%トランスではないですし、もしそうだったとしても不審者に違いないんです。同じように、性適合手術をして、見た目も女性になっていない状態で、女湯や完全に脱衣するような脱衣所も脱いだら大騒ぎになりますのでこれも非常識です。 社会に溶け込もうとする気がない人、人の平穏を乱す人は、女性にとってもトランスにとっても、もちろん男性施設管理者にとってもただの不審者だと思います

一方で裁判を支持する理由ですが、ぜひ全文を読むとわかる通り、個別事案に対する判決からです。全文はこちらです (ハフポストソースというのがちょっと...ですが)

https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_64ad02a3e4b0b641763940e3

ホルモン歴、女性としての生活歴が長くなっていくほど、元の性がバレることがなくなっていきます。 バレないというより、男子トイレに入れば慌てて静止され、男湯に入ろうとすると本気で怒られて毎回ちょっとしたトラブルになります。何も言わないと女湯のロッカーの鍵を渡されますし、面倒なのでもう何年も公衆浴場には行けていません。 それぐらい我慢しろ、と言われたらそうなのですが、トイレ行くたびに呼びかけられて、わざわざ自分セクシャリティ事情説明するのも案外辛いものです...。 とにかく、そこまでトランスが進むと、実際に目の前で下着を脱ぐとか戸籍上の性別バラされない限り、本当の性はわかりません。 世論的に性器の有無、身分証明書で白黒つけろという気持ちはわかりますが、見た目でわからない以上全ての人が公共トイレに入るたび、銭湯へ行くたびに身分証明書確認必要になってしまますので机上の空論なのです。

そして、この状態で異性(元の性)トイレ強制されると、上の通りにトイレに行くたびにプチトラブルに遭ったり、噂になって色眼鏡で見られたり陰口を言われたり、それなりに辛い環境です。 トランス先の性別として認知されるなら、その性のトイレに入った方がトラブルもなく、実際に何も起きないんです。

多目的トイレがあればできるだけ使うようにしていますがない場所も多いのです。数が少ないから、ストーマ車椅子を使ってる方、お年寄り、長時間休息を取られている方で埋まっていることも多いです。 お手洗いは入浴と違い生理現象ですので、社会生活100%回避は難しいです)

この裁判をされた方は、埋没して隠れていたい気持ちを抑え、辛いことも承知の上でカミングアウトして説明責任も果たし、勇気を持って裁判をされたのだと思います

長期的なホルモン治療は精巣に不可逆的なダメージを与えます。定期的に血液検査も行い数値はカルテに記録されています。 この方は、医学的にも、血液検査結果的にも、そして長年の振る舞いの履歴を見ても問題がなくて、しかも別階では認められていたこと、説明責任果たしていたことで、個別に認められるに足るとされたようです。(記事中では●●●とされていましたが、男性ホルモン量を大幅に下げる睾丸摘出か、声帯の手術ではないかと思います。どちらにしても不可逆的で費用も体力的にもダメージがあります) こういった細かい個別事情個別に認められたのであって、ぽっと出の変態男が偽装したり悪用することは不可能です。 この判決をどう読んでも、炎上で言われている変態男達を是認するものでもないです。 当たり前ですけど、女子トイレに無制限男性侵入を許すものでもなく、ましてや女湯への侵入への布石になる判決でもありません。

繰り返しですが、女湯やトイレ更衣室で怪しいと感じる人を見かけたらそれは100%不審者です。それ自体差別ではないです。 もし未熟者のトランスだったとしてもなんとか立ち直りますし、診断書などで対応できますので、問答無用通報してください。女子トイレに怪しい男がいたら怖いのは当たり前です。 女性自認の人かもしれないか施設から排除できない、というのは実態に則さない誤った拡大解釈です。 トランスの人は、自分にとって適切なトランスの進行度を、お金健康人生世間と折り合いをつけながら、自分責任で決めなければいけないんです。 現実的受忍限度を超えていれば我慢必要で、トランス先の性の片隅に住むためには必要なことです。

それを前提に、認知ができないぐらい自然な埋まり方をしたトランスが、なにもない日を過ごすためにスペースを少しお借りすることを許して欲しいです。

ここ最近LGBTに対する性急な法整備については正直私もよくわからずついていけていません。 多くの人にとってセクシャルマイノリティー像が未だ想像の域を出ていないこと、また過激活動家の印象が強まる中で、トップダウン差別をやめようと言ってもヘイトが強まる一方です。うっかり目に入って、嫌な気持ちで夜を過ごす日もあります

現行の法制度に思うことはありますが、性別変更や名前変更、一部の手術の保険適用化など色々と整備していただいてきたのも事実で、感謝もたくさんあります。 何の説明もなく自然百合ENDする作品話題作になる国で、上から命令による強行的な差別解消はふさわしくないです。 「そんなのもありだよね」って言ってもらえるような空気のなか、自然に溶け込んでいきたいな、と思うばかりです。

ともあれ、今回の一連のLGBT法案騒ぎにはもううんざりです。自認の権利主張の前に共生真剣に考えて欲しいし、思春期前にホルモンしてないならスポーツ大会に出ないで欲しいです。

だらだらと長い投稿になってしまいました。読んでいただいてありがとうございました。

2023-07-11

私自

最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分直視することから逃げてきた。

幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベル胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しか祖母毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。

私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎人間としてはかなり)知的好奇心教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。

祖母は80歳を過ぎるまで苛烈自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。

物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい名前を挙げられた女の子たちに向かい祖母を止めない母親に向かい自分にも向かった。

はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格容姿趣味人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。

肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。

私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。

土地二束三文で買える田舎町にある実家敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室ひとつ風呂台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。

母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。

母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分不手際が契機となり、怒鳴られ人格否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。

小学校5年から学校いじめの標的になった。担任女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道いじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。

家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校いじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動いちばん盛んな頃に短大に進学して、父親警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。

それから長い年月が過ぎた。

祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。

母は合わない職務鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。

私は中年になった。自分と向き合うことから逃げ続けたままで。

この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。

脳内には14歳の私が世界万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれ規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。

ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。

私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。

それは、世界でただひとり私にしかできないことだからだ。

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