はてなキーワード: 文学部とは
それが取り除かれたとして
それでこれを採るか? と問われたらちょっと苦笑い浮かべるかもしれない。
家族はたくさん私のことを愛してくれたし、友だちもみんな優しくて大好きな存在である。来世もまた私として生まれたい。それくらいに、幸せな日々を送っている。
でもひとつだけ、もし叶うのなら次の人生で中学受験はしたくないと思っている。私の人生のなかでいちばん苦しい記憶だからだ。
先に言っておくと、塾の先生たちも、両親も、みんな私のことを想ってくれていたと思う。そこに在るのは確かに愛であって、その他のなにものでもなかった。ただ、小学生の私には分からなかっただけ。すれ違ってしまっただけなのだ。だから誰も悪くないし、私は両親のことがずっと大好き。
でも、似たような気持ちを抱えている人もきっといる。だからせめて、ある程度の言葉の整理をつけられるようになった自分が残しておきたいと思う。
小学四年生のわたしは、中学受験というものをあまり理解していなかった。それまでもたくさん習い事をしていたし、いずれ塾に通うことは聞かされていたからなんとなくそういうものなんだと思っていた。
そして入ったのは、某大手中学受験塾。狙うは日本屈指の名門校。そのために毎日たくさん勉強をした。テストの点数が悪かったら怒られてしまうから、放課後は急いで帰ってすぐに塾に行って、テストが始まるまでずっと机に齧り付いて勉強していた。
小学校での成績はいちばんだった。先生に褒められて嬉しかったし、誇らしかった。友だちにすごいねって言われるたび、私は皆とは違うんだと思っていた。多分、周りを見下していた。世界は私を中心に回っていると思っていた。
同時に、朝学校で友人たちが「昨日は楽しかったね」って笑い合ってる会話についていけないことが悲しかった。前述の通り、当時わたしはだいぶ性格が悪かった。その自覚もそれなりにあって、だからこそ私にも屈託なく「次は一緒に遊ぼうね」と言ってくれる友人たちのことが本当に好きだった。本当に、大好きだった。当時は塾や家が(強制的に)勉強をさせられる場所だったからこそ、余計に。
そして小学六年生になった。
受験勉強が本格化していく。友だちと遊べる日なんて1日もなくて、土日は塾に12時間以上拘束されている。家に帰っても勉強、息抜きといえばご飯を食べながら観るテレビアニメだけ。そんな毎日だった。
でもそれは私だけじゃない。同じ塾に通う子たちもみんなそうだった。テスト中、何度も何度も鉛筆を腕に刺し続けている同級生がいた。テスト中、ずっと髪を抜き続ける同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、大きなもみじ型の跡を頬につけてやって来る同級生がいた。テストの結果が悪かった次の日、当時流行っていたDSを半分に折られた同級生がいた。もう勉強したくないと言って喧嘩になって、そのときいちばん大好きだった漫画をびりびりに破られたことがあった。私の部屋の壁にいくつかの穴があいた。私の部屋の壁が私の足型にへこんだ。生徒を集めた決起集会で、先生が教壇にマイクを投げつけていた。
そのひとつひとつ、すべてが誰も悪くない。何も悪くない。いまの人生への影響なんて、何ひとつない。たぶん皆そう言う。そんなこともあったなあって、しみじみ言うだけと思う。そこに在るのは、ただ、愛だった。
それでも、それでも。たぶん、そのひとつひとつの光景を死ぬまで忘れないと思う。あの時、いつも私はきっと同じ時間、公園で遊んでるのであろう大好きな友人たちのことを思い浮かべていた。目の前で広がる現実を、一歩後ろに下がったような場所で見ていた。なんで私はここにいるんだろう、そんなことをぼんやり考えていた。
そして私はついに我慢ができなくなって、中学受験したくないと親に言った。受験の総本山である夏を乗り越えた、11月のことだった。もちろん大喧嘩になった。このままいけば、確実に志望校に受かる。あと数ヶ月頑張れば終わるのに、ここまでやってきた努力に報いるためにも、あとちょっとだけ頑張ろうと言われた。それでも、当時のわたしはもう限界だった。いちど口に出してしまえば、止まらなかった。友人たちと同じ学校に行きたいし、少しでもみんなと遊びたい。そう思う今が大事なのであって、未来のことも過去のことも、どうだっていい。
そう泣き叫びながら家を飛び出して、塾をサボる日々が始まった。でも遠くに行くのは怖かったから、隣の家との塀の間にずっと隠れていた。屋根と屋根のあいだから見えた突き抜けるような青い空が綺麗だったことを今でも覚えている。当時の私は、自分の意思でもないのに、ここまで苦しい思いをして入る学校に何の意味があるんだろうと思っていた。それは実際、今でも思っている。
ただ昔と違うのは、今の私は、子どもの将来のためにレールを敷くことの大変さも分かるつもりでいる。朝6時に家を出て、夜11時に帰ってくる父親は、そのあと私に勉強を教えてくれていた。土日も、私が家にいるあいだはつきっきりでずっと。社会人になった今、それがどれだけ大変なことだったか、分かるようになった。母親は、塾のお弁当にいつも私が好きな食べ物をたくさん入れてくれていた。成績には厳しいけど、代わりに良い成績を取ったらたくさんたくさん褒めてくれたし、友人たちの誰よりもたくさんの物を買ってもらっていた。服も、本も、文房具も。不自由なんて何ひとつなかった。いつだって私は愛されていた。ずっと、愛しかなかった。でも当時の私は、その愛を目一杯享受して利用しながらも、見ないふりをしていた。
名前欄に自分の名前を書かないこともできたはずだった。でも、しなかった。わたしは名前を書いて、見直しもして、解答用紙を提出した。結果は合格だった。それが確かに自分の意思なのか、既に私の道は最初からまっすぐ一本道しかなかったのかは分からない。でも合格発表のとき、母親と抱き合って泣いた。たぶん、色んな感情があったと思う。こうして私の中学受験は幕を閉じた。
この話を通じて、中学受験の是非を問いたいわけじゃない。ただ、あの日々が健全なものだったとは今も思わない。大好きだった漫画がびりびりになったときに、一緒に破れてしまった何かはきっとあったと思う。私にも、親にも。仄暗い恨みみたいなものも長年消えなくて、中高時代は嫌なことが起こるとすべて親のせいにしてしまっていた。嫌なことが起こるたび、私にレールを敷いたあなたたちのせいだ、とずっとずっと詰っていた。今から思えば、まだ親の責任下にある「子ども」に対して与えられたひとつの逃げ道だったのに。私の言葉は、親をたくさん傷付けていたと思う。その後の大学受験では、わたしが100%自分自身の意思で選んだ進路を一切否定されなかった。そして私は私の意思で、文学部に進学した。ずっとずっと昔はいずれ医学部に行ってほしいということを言っていた親も文学部に賛成してくれた。
中高時代のわたしにとって「勉強」は、小学生時代の苦い記憶と共に在るものだった。閉塞的で、強制的な、苦しいものだった。でも大学で、自分の意思で選んだ学問は楽しくて仕方なかった。そして、不意に思い出した。ずっとずっと昔、まだ塾に入る前の小学校低学年のとき。図鑑や百科事典を読むのが楽しかったこと。いつの間にか、そうしたものが苦しい記憶と結びついて蓋をしていたけれど、たぶんいちばん初めは、わたしも勉強が好きだった。
文学部を卒業して、わたしはずっと夢だった仕事に就いた。他の誰でもない、わたし自身の選択の果てに辿り着いた。そのことを親もずっと喜んでくれていて、今は離れて暮らしているけれど、わたしの仕事を一番応援してくれている。親はめちゃめちゃわたしのことが好きなんだろうなと思う。そうやって私が自分の夢を叶えることができたのは、たぶん親がわたしの選択肢をたくさん増やしてくれたから。その始まりは、中学受験だった。中学受験してなかったら今、夢は叶えられてないかもしれない。だから、わたしはこれで良かった。中学受験が苦しかったことも、たくさん喧嘩したことも、その果てに自由な選択肢を与えられたことも。その過程はきっと健全なもので、まるごとひっくるめて正しかったと思う。でも、それでも。もしいつか自分に子どもができたとしたら、わたしは子どもに中学受験させないと思う。もちろん、本人が自分の意思で中学受験をしたいと言ったらそのときは全力で一緒に頑張るけれど。
中学受験をして得たものはたくさんある。今の私の人生、幸せだから。でも、たくさんたくさん苦しかった中学受験の記憶から救われるには、いまのわたしが幸せになることでしか報われないという意地のようなものも強かった。たぶん中学受験をしていなくても、わたしはわたしの力で、幸せになれてたと思う。もちろん、あくまで空想でしかないけれど。わたしは小学生の頃のわたしが、みんなともっと沢山遊びたかった気持ちをずっと覚えていてあげたい。世間一般から見たらわたしはめちゃめちゃ恵まれていて、小学生時代の悩みなんてたぶん本当に本当にちっぽけで、贅沢すぎる悩みだったのかもしれないけれど。それでも、わたしだけは、覚えていたい。あの日々のなかで見た光景のこと。確かに悲しかった記憶たちのこと。そうすることでしか、あの頃、家と家の隙間で泣いていた自分をひとりぼっちにさせないことができないと思うから。
途中までしか読んでない(ざっとは目を通した)外資系勤務の理系卒だけど、文学部的素養があるの本当に大事だぞ。例えばな、きみがかいたみたいな文章が必要な場面、たくさんある。自社のドキュメントをちゃんと日本で育った日本語しかわからない人にわかるような日本語で書けるの、誰でもできると思ったら大間違いだ。英語がわかる外国の大学卒の日本語、ビジネスの場でとんでもないものいいをぶっ込んでくるし、技術職の書く日本語、レベルが高い人もいなくはないが汎用性のない書き方しかできない。
その前は製造系にいたけど、社内のウェイな営業という名の文章書けない奴や、人事というやつの文章書けない奴、本当に本当にたくさんいる。
ノリだけで楽しいとか、おかしなことやって楽しかったとか、許されない場面でもそいつらはノリを突っ込んでくるけど、そんな浅いレイヤーはどうでもいいんだ。ちゃんとした文章を、いろんな場面で多角的に書くスキルは本当に重要。
今くらいの年齢だと、法学部の奴も医学部の奴も同年代で面白い文章が書けていて、きっと打ちひしがれているのかもしれない、でもね、蓄積したものの薄さでダメになる人たくさん見てきた。技術力とか専門知識で乗り越えてるかもしれないけど。
その点、文学部は文章力とみんなの生活に一番近い言葉を使う学問だよ。絶対損はない。20代では損しか見えないかもしれないけど、その後をどう生き抜くのかは自分次第だよ。
頑張れ!
はじめに
想像以上に燃えてた(笑) https://anond.hatelabo.jp/20230609153447
残りの学生生活を楽しみながら有意義に過ごし、皆様のように自立して生きていけるような社会人になれるよう頑張ります。
文学部でよかった!
文学部行きたいと思って入ったよ〜!
おもんない、つまんないってブクマ?でコメントするのなんで?笑
最終的に自分の意思やで!文学部意思があるならいいと思うよ!私は文学部で個人的にはありがたいことに満足就活できました!のポジティブで締めたつもりでした。宗教論争を増田でしちゃダメだな〜って思いました。文系云々に関するトピックというか学部叩きはタブーぽいですね。
今まで思ったことネットに放ちたいな〜と思って書いたものを匿名性の高いここにしたのですが、記事に対するリプ?だけじゃなくブクマでもご意見書けるのですね(^^)
以下いただいて印象に残ったご意見
→すみません(><) 諸先輩方の意見たいへん参考になりました。これから頑張っておもしれ〜大人になれたらなと思います。
○長い、読みづらい、読まない、途中でやめた
→ワードで書いたものをそのままコピペしたので増田での1行の長さとかわからずに読みづらくなってしまいました。初めて書いたのではてな技法?とかも初耳でした。大幅に改編するのは恥ずかしかったのでちょっとだけ改行入れたりしました(><)チャットGPTで今北産業みたいにしてくれた人ありがとうございます。著者属性とか文章の雰囲気で辞めた人は正解ですよ〜。無料で読める文章のいいところですから。有料記事だったらどんだけキモくても最後まで読んじゃいがちですよね。
○学んだことや就活での経験を活かして簡潔に書けるとよかったね
→あなたがベストオブハイパーちくちく言葉第1位です!これから頑張ります!!!!!
○(涙)で説明した気になってる
→すみません(涙)
→ごめん(><)
→私が会社を決められたのはなんとなく将来の夢を高校生の時に持った上で学部を決定してブレずに勉強できたからなのかなと振り返って思いました。この学部で大学を卒業してから就職したいと高校の時に思ったので就職と学部を結びつけるような学部選びになりました。
→ごめん(><)文学部やめとけ→文学部考えてる人は読んでね的な意図でしたが真面目な高校生は増田なんて読んでないなとネットに放ってから思いました。文学部生の数だけ人生があるもんね。みんな偉いです。
○この人他学部でも変わらなさそう
→わかる〜心の声をネットでクソデカ声でぶちまけてる時点でお察しですよね^_^
○その文章(笑)だから就活うまくいかない/社会性に問題あるからうまくいかない
→ESは広告/マスコミ/映像はウケがよく(通過できて)、歴史の長いメーカーはダメダメでした。そこでメーカーは向いていないんだなと思いました。/好きな授業を好きなだけとって、学校遠いのでサークル・部活入らずだった結果授業やグルワでは話すけどそれ以外では他人みたいな関係しかできなかったです。インターンで知り合った人や高校時代の友人と楽しくできたので困ったことはありませんでした。出席も課題も自分で全部できる人だったらこういうタイプ意外にいそうだけどな〜。
→たしカニ〜〜。
○お前は実家都会だし大学行ってるからじゅうぶんに上位、スペック高いよ
→どうしてもTwitterの就活界隈や受験界隈を見たり自称進出身の背景があったり、高学歴・ハイパーガクチカが集う業界を志望していたりしたのがあって自分のことを上位層だと認識していなかったです。生まれた家はすごく恵まれているなと感じています、進学先に文句を言わず大学に行かせてくれたことも含めてこれから親にたくさん優しくしていきたいです。
→現在大学を卒業されて社会でご活躍のことと推察いたします。先輩方のように自分の力で生活できるようにこれから頑張ります。私の代わりにいいとこ書いてくれた人もありがとうございます。文学部でよかったな〜とより思います。
○別に読めるよ〜って書いてくれた人
○木簡読める?
→読めないです。木簡をはじめくずし字の文章が読めるのは文学部の中でもさらに国文か歴史専攻で、その上で中世らへんを専門としていないと読めないと思います。米主さんは相当努力されたのですね。
さいごに
文学部哀れ増田は私の怪文書とブクマコメントと記事へのリプを合わせて完成すると思います。ピークが終わった頃に本来読んで欲しかった受験生とかそのパパとママが読んで進路決定の一助にしてくれればと思います。色々なコメントがつくほどに進路を考えるヒントが増えるんじゃないでしょうか。不快にされた方がいたらごめんなさい。
「就活を経験したくらいで文学部は止めとけとかクソ浅いはてな増田読んで共感性羞恥でしにそう。いやー、これくらいの経験で語っちゃうよね分かるー。
文学部でいいよ。俺は文学部の新卒でエンジニアだしとくに不自由ない。文系とか理系とかはCSやってから言え」は米欄で言え!!!!!!!!!!!!!!!!!数弱からしたら文学部卒SEはかっこいいし私には絶対できないすごい仕事だと思うから仕事頑張ってな(^_−)−☆
文系なんてほとんど大学でやったこととは関係ない仕事に就くのがほとんどじゃない?
文学部の就活事情が死んでるのは学問の中身より就活への意識の低さだと思う。とにかく文学部生は就活に真剣なのをダサいと思ってるからなかなか波に乗れず出遅れる。
ちゃんと調べたことないけど、文学部が隔離されて周りの影響を受けない早稲田文学部、文化構想学部あたりは他学部との意識の差凄いことになってそう
思いのほか反応あってオモロいです。読んでくださってありがとうございます。
モチ爆笑面白ヤバコラムみたいに書けなかった私の文章力が足りないのもありますが、文字数やスクロールにオエってなってしまった人はそもそもこの記事のターゲット層ではなかったのだと解釈していただけると幸いです(^ ^)
文学部やめとけ論を文学部サイドから書いていますが、私自身は文学部でよかったと一環して思っています。なんとなくで選ぶと詰むかもね〜気をつけてね〜の「文学部やめとけ」ニュアンスです。
みんなにいいことありますように(^_−)−☆
国語学の教授?の2010年代までの見解もそれはそれで参考にはなるけど、2020年代はダイレクトに文学部の知識がビジネスに結びつく時代だよ。
例えば、ディズニーのリトルマーメイド、カプコンのスト6、ネトフリのクレオパトラなんかの作品。
同じくMARCH文学部24卒 文学部の勉強が楽しいとか興味持ってるから文学部に行くのであって就活まで考えて文学部に行くっていうのは選択肢としてないよね。経営とか商とかの人の話聞くと大学テーマパークな雰囲気だからその雰囲気に染まらなくても人権ある文学部で良かったと思ってるよ。
自分も文学部だったけど、文学部なんて趣味で行くとこだと思うよ
大学で好きなことを学びたいという気持ちがあって、その好きなことが文学部の学科にあるなら行く価値はあると思う
就職?
文学部を選ぶことは薦められぬ。止むを得よ。何故ならば文学部の授業においては、熱意を持てば自ら調べ、書物を読むことによって身に付けることが基本とされるからである。特に国文学や歴史学の分野においては、新たな事実が滅多に加わらず、既に整理された知識を、その科目の愛好者である教授が楽しげにお話ししてくれるのみである。言い換えれば、博識なることはできるが、生計を立てる能力は授業だけでは身に付かぬかと思われた。
よもや文学部というものは汝に勧めざるべし。此を断念せよ。何が故かと申さんか。文学部の授業において聴くことは、いかなる場合も熱心さによって調査したり書物を読んだりすることにより得られるものなればなり。特に国文学や歴史学なるものは、新たなる事実の追加はほとんどなく、既に構築せられた学問の体系を、其の科科目の熱狂的なる教授が楽しげに饒舌するばかりなり。要するに識者となることは許されんとも、食物を得るための能力は授業のみによって身に付くものとは思わず候。
切れちゃったので続き
クリエイティブやマスコミがしたいならば美大枠のデザイン採用や理系での技術採用の方が倍率が少し落ちたりします。日芸や上智・日大の新聞学科も検討してみてください。日芸は結構ブランドとして名乗るだけで周りの就活生や面接官を「おお〜」と思わせることは可能だと思います。MARCHくらいの文学部に入って早慶以上の院に進んで学歴を上げるのも有効的だと思います。文学部で院に行くのもなかなかキテレツな感じがしますがね・・・。
まずは「文学部で何がしたいの?」と聞いてみてください。ちゃんと将来のビジョンなど確固たる信念があるのならば背中を押してあげてください。シンプルに傷ついたり人格否定になってしまうかもしれないので「文学部はやめとけ」「頭おかしい」「就職できないよ」というのは一度飲み込んで欲しいです。確かに社会にでて役立つことは勉強しません。確かにおかしいところも多少はあると思います。ドイツのおとぎ話とか全く授業しない哲学のおもしろおじいちゃんの話とか昔の裁判の古文書を読まされたりとか、会社では役に立たないことばかりです。けれど文学部を志望しているということはそういう役には立たないけど人生に彩りを与えてくれる学びに価値を感じているのかもしれません。きっと優しくて、物事をしっかり判断できるような大人になれると思います。まずは話をしてみてください。
実績を上げるために穴場学部として文学部を進める担任や進路指導へ
◯ね。
文学部に行きたい・考えている友人がいる人へ
この記事を教えてあげてください。各大学の華々しいパンフレットに書いてある人たちは一握りの成功者です。現実をみましょう。
私は文学部に入れてよかったです!先生たちが本当にその分野のオタクなのだということが学生にもよく伝わってきます。質問したら丁寧に答えてくださってありがとうございます。私がトピックに関連して紹介した漫画やアニメ、小説をチェックしてくださりありがとうございます。先生たちの授業のおかげでうんちく人(うんちくんちゅ)に少し近づけたと思います。ご自愛ください!
この文章は24卒の文学部に所属している私が書いたもので、同じ文学部の人たちや学部を悩んでいる高校生、その親御さんとかに向けて書いているつもりです。キャッチーなタイトルにはなっていますが私は文学部が好きだしここで勉強できて良かったなと思っています。主に文学部での大学生活と就職活動について正直に書いていきます。進路選びの参考にしてください。構成を決めず、思ったことの羅列なので読みにくかもしれません、すみません。読んでいるうちに私の所属にピンとくる方がいるかもしれません。その時はおすすめの東京のご飯を教えてください。
24卒私文。都内近郊生まれ都内近郊育ち、中高一貫からMARCHへ。やや厳格な家庭だが進路や普段の学習・成績ついて厳しくは言ってこない環境で育つ。
サークルなし、体育会なし、大学に友達(と呼べる関係の人)マジでゼロ、長期インターンなし、普通のバイトと特殊なバイト
一言でいうと文学部はおすすめしません。やめておきましょう。なぜなら文学部の授業で聞くことは基本的にやる気があれば調べたり本を読んだりすることでみにつけることができるからです。特に国文系や史学系は新しい事実が追加されることがあまりなく、すでに体系化されたものをその科目のオタクの先生が楽しい感じでおしゃべりしてくれるだけだからです。要するにうんちくマンにはなれますがご飯を食べていくための能力は授業だけでは身につかないかなと通って思いました。いつか忘れましたが阪大の文学部(?)の卒業式で部長っぽい人が言っていた「文学部の学びは金にならないけど人生の節目節目で生きてくる」(意訳、ググって読んでください。これを読んでいる人には刺さると思います)の通りだなと思います。うんちく(笑)がたくさんあるに越したことはありません。けれど考えてみてください。あなたが面接官だとして、マーケティングを学んできて神話や文学の知識にも明るい商学部の人とレポートの文字数を稼ぐのが異様に得意で国生み神話を事細かに話せる文学部ではどちらの方が欲しいですか?(泣)私はこのことに大学4年の春に気づきました。「イザナミとイザナギが空からぐちゃぐちゃにかき回したらできた島が淡路島なんですよ〜!」っていう知識が会社で顧客の獲得に大きく貢献するでしょうか(涙)。あなたの文学部での研究が面接官にまったく刺さらなかったらどうでしょうか(涙)。私は広告に関する卒論を書いていますがマーケ的な視点ではなくシンプルに趣味で調べましたみたいな内容なので全然ウケないです!
なので今進路に迷っている高校生はよっぽどの確固たる動機がない限りは文学部を選ばない方がいいと思います。理由は①やる気さえあれば本やネットで十分に学習できる、②会社で直接役に立てる知識が身につきにくいからです。数学ができるなら商学部や経済学部、そうじゃなくても文学部以外だったら基本的に会社の仕事に直結できるようなスキルが身につきやすいのではないでしょうか、知らんけど。たとえば法学部とかだったら薬の会社の法務職とか、マーケ勉強してたらマーケターの採用もあるので学びと結びつけやすそうだなと就活して思いました。
では私には確固たる動機があったのでしょうか。ありました。高校生時代のある経験から「広告をつくりたい」という強い思いができたこと、その経験から文学部で勉強するという動機がうまれ進学を決意したのです。今思うと大学入学時にすでになんとなく行きたい業界(広告)が決まっていて、かつ広告に関係することで卒業論文を書こうと決めていたのでなんとか納得のできる就活ができたのかな、と思います。結果として行きたい業界で満足できる会社の内定をいただけました。ふわふわした感じで「歴史が得意だから」「源氏物語が好きだから」「神話をもっと詳しく知りたい」みたいな趣味ベースで行ったら苦労すると思います。その好きや趣味の先に「こういう仕事、業界で働きたいから文学部で〇〇を勉強するんだ」というビジョンがない限りは文学部は選ばない方がいいと思います、マジで。文学部で就活に成功するのは基本スポ薦でゴリゴリ体育会ウェイか授業最低限で長期インターンハマり奴か公務員になろうという意思を持って1年から公務員就職に関する勉強や情報収集をしている奴です。何も考えずに大手受けても普通に落ちます(笑)パンフレットに載っている大手や勝者で活躍している先輩の紹介はマジのマジで一握りです。各大学が出している学部別の「就職先企業データ」をみましょう。何も考えず王手を受けるのはMARCHの文学部では心もとなさすぎます。運動部全国大会系ガクチカ、長期インターンガクチカなどが作れない(作る気ない)けど文学部で趣味の延長線上みたいなことがしたいならとにかく上位の文学部に入りましょう。
教員志望は学芸大学とか早稲田の教育とかとりあえず知名度とか偏差値の高いところに行くべきだと思います。理由は周りの(っていっても友達がいないので雰囲気でだが)教職履修者は大体途中で履修をやめているからです。文学部というのはおそらくどこの大学も専攻がわかれていて、国文とか史学とか色々あってそれらの必修をなんとなくとっていれば教員免許に必要な選択単位が自動で取れるのですが教職のための科目を取らなければいけません。教職科目は履修人数が多くてテストありきで(レポートや出席点がない)落とす可能性があったり、土曜だとか平日の遅い時間か1限に授業が入っていて「とりあえずとっとくか〜」のノリでとった人は大体やめます。教職は保険代とかであまり課金せずに取れる資格課程なので辞めるのもハードルが低いのでしょうね。教職履修者で残るのはマジの教員志望と親が教員でとりあえず受け続けている真面目なやつくらいです。なので「1年の時は教員になろうと思っていたけれど3年になってやっぱ一般企業にしよ」とか言う人も多いと思います。なので高偏差値の教育学部に行っておけば教員という道をやめても就活市場で戦える可能性が高くなるのではないかと思いました。
ここまでできれば文学部はやめとけの路線で行きましたが、文学部でできること(いいところ)をいくつか挙げておきます。
文学部は経済や法と違って知識の定着を問う試験はあまりありません。(もちろん試験ある科目も一定数ある)基本的に14回分の授業を通して考えたことやそこから発展して自分で決めたテーマに沿ってレポート(最低2000字くらい)を書くことのほうが多いです。文学部はどちらかというと知識や体系を詰め込むところではなく「ここまで色々話してきたけどじゃあ貴方はどう思うの?」と問われることが多いところなのかなと思います。文学部に入学するということは基本的に中高時代に作文などで苦労したことが少ない人が多いと思うので元からある程度の作文スキルがあるでしょうがそれがより強くなります。難解な表現やカタカナ語を駆使して中身がないのに文字数のある文章を書けるようになったり、参考文献を読む機会が多いので要約する力や全然関係ない学部の他校の友達のレポート代筆ができるようになります。多分3年生くらいになると最低2000文字のレポートを課されても「ツイート15個分カァ」くらいになると思います。授業の感想を毎週数百文字で求められる授業も多いので文字数を稼ぐ文章力や考えを整理する力、あとはブラインドタッチができるようになります。(逆にこの力を4年かけて400万で欲しいですか?笑)
②ずっと日本史とか世界史の教科書の端っこのコラムみたいな話が聞ける。
文字の通りです。その分野のオタクの先生がコラムみたいな話を100分盛りだくさんで話してくれます。考えてもみてください、文系(人文社会学)で院行くだけでもかなりのキテレツなのにそこから大学教員で研究者になるってよっぽどの厄介オタクですよね。先生に質問とかすると基本ニコニコされるし気に入られます。中高の頃先生と仲良くなるのが得意だった人(仲良くなりやすい人)は中高の延長線上みたいな授業になるのではないでしょうか。
③一般教養科目がめちゃくちゃある。
どこの大学の文学部でも大体当てはまると思います。専攻や専門以外の文学部の授業がたくさん取れます。国文系でも哲学や歴史、心理、宗教など幅広く授業をとることができるので(めちゃくちゃ偏見だけど)楽単度合いで選ぶよりも内容で取りやすい、しかも大体が出席とレポートで簡単に単位が取れるのでおすすめです。あそ文学部の所以ではないでしょうか。
パッと思いついたのはこれくらいです。基本的に高校時代までの趣味嗜好がそのまま勉強になるみたいな感じなので授業そのものは満足できると思います。
就活について
就活は広告、テレビ、出版、映像などクリエイティブ系を見てました。また好きな商品やサービスを宣伝するのも楽しそうだという思いからメーカーもいくつか受けました。メーカーは全て「ES落ち」でした(笑)。保険などの無形商材と不動産と金融、コンサルなどは「私如きが人様の人生に口出しできない」という思いとウェイ系が多そうということで受けませんでした。文学部は大学によっては教員・公務員志望がほとんどで大3の夏になってもサマーインターンの話が全く出ないみたいなこともザラなので仲間が欲しいとかなら他のコミュニティに入るか文学部はやめましょう。就活を始めたのは大学3年生の春で、といっても春は片っ端から興味のある会社のマイページを作って本格的にやっていたのはサマーインターンの応募からでした。ちなみによくtwitterとかでみるサマーインターン経由の優遇・内定を勝ち取れるのはごくごく一部です。期待するのはやめましょう。また、twitterでゴリゴリサマーインターンを勝ち取った報告をする人がいますが病む必要はありません。意識が高いからtwitterをしているのです。いい結果の時しか呟かないでしょうし、心配する必要はありません。夏インターンに参加できたのはテレビ局(単日開催→上級参加)と誰でも参加できるキモいベンチャーのふたつだけでした。キー局と電博、読広、D2C、NTTとかの大手をミーハーで出してました。インターン参加しなくても本選考が始まると説明会や座談会がたくさん組まれるので大丈夫ではあると思います。20社参加した!とかいうのもあまり気にしないようにしましょう。
私が就活を終えたのは6月に入ってからでした。ありがちな秋〜冬の大手に落ちまくってバリ病んでいたところ、たまたま行きたい度が高かった会社の選考がとんとん拍子で進んで内定をいただくことができました。大手だけ見るのはマジで精神を病みます。行きたい業界の大手と業界10位以内くらいまでの会社をとりあえず出して、あとは駒を増やすために逆オファーサイト(オファーボックス、ABABA、ネオキャリアなどなど)を登録するといいと思います。逆オファーは有名な(かつブラックである)飲食チェーンとレバや某ハウスみたいなウェイベンチャーと零細意識他界ベンチャーしかないので、逆オファーサービスメインでの就活はやめましょう。
あとは話せる人がいるって大切だなと思いました。学校の環境が就活モード低そうであれば夏秋冬のインターンに参加して居合わせた学生とインスタなり交換して情報交換できるようにしましょう。私は大学での友達がマジのガチのゼロでしたが夏インターンで出会った子と励ましあったり情報共有をしたりしていてメンタルが保てました。有名かつ人気の企業のインターンに「選抜」されているということはそれだけである程度優秀なのでぜひそこの繋がりも意識してみてください。大学が違う方が僻んだり妬んだりしないのでなるべく違う環境で生きている子の方が精神が安定するしモチベも保ちやすいです。
ESや面接のガクチカは特殊なバイトをしていたことと特殊なゼミに入っていたこと、地元でのボランティアでの活動を出す会社によって分けていました。これらの活動をしていたのはサークルなどに入っていなかったのでガクチカ代わりになると思ってやっていました。ゼミの方は結構ウケて、特殊なバイトの方は広告・エンタメ系ではウケました。結果として行く会社に内定をいただけたのは特殊なバイトを面白がってくれたからだと思っています。文学部の人は学部に華がないので大学+自分にしかできないような経験が必要じゃないかなと思います。商とか経はよくゼミ大会とかゼミでコンペに出すこともあるのでゼミがガクチカになりうると思いますが自分の趣味を発展させただけの文学部でのゼミの活動は「で、なんか役に立った?(笑)」になってしまいがちです。クリエイティブ系を目指すのであれば変なバイト、特殊なバイトをしましょう。特殊なバイトというのはタピオカ屋やスタバ、高級焼肉などある程度のハードルが必要な飲食もいいですがライター、特殊清掃、ラブホ、街ゆく人の数数えるなど人とのコミュニケーションや人間観察ができる、価値観に影響しそうな仕事を選ぶといいと思います。私は上に書いたようなバイトを経験しました。話すと結構興味を持ってもらえました。SNS運用インターンもいいですが、特殊な経験をうまく話したり表現することができると食いついてくれる(おもしれ〜女・男認定される)のではないかと思います。
ガクチカについては「これまでの学生時代」や「いつでもいい」などがない限りは基本大学での活動にしていました。高校時代のを話すときは文化祭でのリーダー経験でした。ガクチカを「作る」のはお勧めしません。せめて経験を「盛る」くらいにしておきましょう。周りの話や感覚としては「サークル活動」は弱いです。圧倒的に「体育会」が強くて次点で「長期インターン」です。行きたい業界に関連した会社のインターンがおすすめです。おそらくその長期インターンはベンチャーが多いと思いますが間違えてもそのベンチャーに魅せられて就職したりベンチャーで就職するのはやめましょう。
個人的ヤバい(ヤバそう)会社の見分け方は①20代で人事、②HPや会社説明文をみて一発で何をしている会社かわからない(成長・やりがい・仲間みたいな単語で内容が薄い)のは要注意です。特に①で外したことはないです。(D◯M、〇―〇〇〇〇〇、すか〇〇―◯など飲食全般)ベンチャーはベンチャーでも出資元が老舗企業だったりキャリアのある中途が多い人は結構印象よかったです。(タクシー配車アプリの会社とか)
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございました。文学部の受験を考えていた方は考え直してくれたでしょうか。推薦で文学部を考えている人も私の文学部での生活をぜひ参考にして自分でもイメージしてみてください。教員や公務員志望の方は文学部でいいと思います。結局文学部だけに限らずどこでも大学では「自分の意思」が非常に大切です。周りに合わせていたら詰みます。一緒に行動している友人が就活を始めるのが4年の4月だったらあなたもそうしますか?面白くなさそうだけど友達がとるからその授業をとりますか?ぜひ自分の意思で行動してみてくださいね。
文学部に行きたいと思っている後輩へ
考え直してみましょう。〇〇について詳しく知りたいな〜くらいの動機だけじゃないですか?大学の文学部ではその〇〇を知った上で何か新しい視点をみつけなければいけません。自称進に通うあなた、先生に穴場学部として文学部を勧められていませんか?早慶くらいならまあいいかもしれませんがMARCH以下ならやめておきましょう。MARCHで文学部に滑り入るくらいなら勉強して文学部以外に入れる成績に持っていくかランクを落として法学部に入ったほうが就活楽そうに思います。(個人の感想)旧帝以上なら学歴に箔がつくと思うので文学部でもいいと思い Permalink | 記事への反応(30) | 15:34
文学部B4 就活も終わり卒業要件単位を満たしたので卒論の下準備の傍ら学費がもったいないため他学部の面白そうな授業に潜っている。
商学部の授業に潜っているのだが、授業のレベルがとても低い。まず私語がうるさい。なんでこんなにうるさいんだというか大教室だから声が響く?先生の声よりも私語の方がうるさい。そして授業内容もこんなものなのかと呆れた。3、4年生向けの授業であるが一から大きな政府、小さな政府、レーガノミクス、サッチャリズムについて説明。それぐらい前提知識じゃないの?
そして極めつけは授業の評価方法。出席点はポータルから授業の感想を一言入れるだけ。出席の確認にもなってない。期末レポートは500字以内。リアペでももっと書いてるよ。
「ゼミでアンケートやってるので協力お願いします!」とインスタのストーリーにGoogleFormのリンク貼る、卒論書かなくても卒業できる。この学部はなんのためにあるのかって思ったよね。授業真面目に受けて、ゼミで文献調査や現地調査やって、卒論書いて、それなのに「遊ぶん学部」と言われる始末。就活での文学部に対する反応は芳しくない。遊んでるのは経済とかそこら辺の学部かカタカナ学部じゃないの?
当然でしょう。
慰安婦をさんざん食い物にしてきた。
https://www.kibotane.org/our-mission
在日朝鮮人「慰安婦」サバイバー・宋神道さんの裁判過程をまとめたドキュメンタリー『オレの心は負けてない』を見て、ある学生がつぶやいた言葉です。日本軍「慰安婦」問題が日韓の外交課題として浮上した後で「慰安婦」問題を知った世代には、この問題が日韓の摩擦問題としてしか見えていないのだということを、気付かせてくれた言葉でした。サバイバーたちの四半世紀にわたる闘いが、「慰安婦」問題を外交課題にまで押し上げたのだという事実が、すっぽりと抜け落ちてしまっている。宋神道さんをはじめとする日本軍「慰安婦」サバイバーたちの闘いを目撃してきた者として、被害事実と共に、その闘いと、それが獲得したものについて、伝えていかなければならない責任を感じています。
韓国の日本軍「慰安婦」サバイバー・金福童さんは、日韓合意の最大の問題点は「歴史を売ったことだ」と言いました。「慰安婦問題は歴史なんだ。歴史はお金で売ってはいけないものなんだよ」と。
戦時性暴力の被害者が名乗り出て、加害国の責任を問うて国際世論に訴えるという、人類史上初の試みをおこなった女性たちは、二度と同じことが繰り返されない平和な世界をつくらなければならないと、自らの存在をかけて訴え続けました。その姿が、他の戦時性暴力被害者たちに勇気を与えたこと、世界の人権専門家たちの心を動かして重大人権侵害被害者の被害回復に関する国際基準を打ち立てる上で大きく貢献したこと、闘いの過程で自らが変わり周囲の人々を変えていったことも、私たちが記憶し、伝えていかなければならない歴史です。その歴史が見落とされ、あるいは歪曲されたまま、「解決」や「和解」を唱えても、「解決」と「和解」を手に入れることはできません。
日本軍「慰安婦」問題は私たちに多くのことを気付かせ、学ばせてくれた問題でした。その気づきや学びを、さらに多くの人々、多くの若者に伝えていくことで、「慰安婦」問題は「終わらせる」べき問題ではなく、平和な未来を拓く礎となる問題であることを伝えたいと思います。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動共同代表 1990年から日本軍「慰安婦」問題に関わる。1993年提訴の在日朝鮮人「慰安婦」被害者宋神道さんの裁判支援をおこない、2007年にドキュメンタリー映画『オレの心は負けてない』製作。現在、韓国ソウル「戦争と女性の人権博物館(WHR)日本後援会」代表、「YOSHIMI裁判いっしょにアクション」共同代表。通訳・翻訳、語学講師。 "
じっくり実らせよう、一粒の種 旧日本兵によれば、司令部や大隊本部の側には慰安所を設置した。本部を守る配置の200名規模の各中隊には慰安所の「慰安婦」が巡回した。最前線の小隊には慰安所も「慰安婦」の巡回もない。それで、女性を拉致し順繰りに犯し、「合意」と見せかけるため金を握らせた。真摯な反省も再発防止策も示さず日本政府が締結した「日韓合意」は70年以上前、最前線の兵士が編み出した犯罪隠蔽のため金を被害者に握らせた手法と同質だ。
日本政府は「日韓合意」の一条件とした平和の少女像の撤去にこだわる。韓国の若者は厳寒のソウルの日本大使館前にテントを張り、夜中も少女像を守った。釜山の総領事館近くの少女像は若者が資金を集めて設置した。日本の若い世代が韓国の同世代と交流し確固とした非侵略・平和を築く、そんな一粒の種になることを応援したい。
ノンフィクション作家。在日の慰安婦裁判を支える会、戦争と女性の人権博物館日本委員会所属、日本の戦争責任資料センター共同代表。沖縄に残された裴奉奇さんの半生を記録した『赤瓦の家――朝鮮から来た従軍慰安婦』(1987年)をはじめ、在日、日本、インドネシア、中国など日本軍「慰安婦」・性暴力を受けた当事者の人生を記録。
私たちの社会が「希望」という言葉を見失ってどのくらい経つのだろうか。希望の喪失度(という言い方があるとすれば)は、安倍内閣になってから急速に進んでいる。私たちは絶望感と閉塞感に苛まされてきた。そこへ「希望のたね基金」である。私はすっかり忘れていた言葉に再会して、ひそかに心躍らせている。この基金が、若者たちをターゲットにしていることが、とりわけ嬉しい。日本軍「慰安婦」とはなんであったのか、なんであるのかを若者たちが理解するときが来ることで、日本と韓国の関係は大きく変わるだろうし、それは必ずや日本の若者たちに生きるに値する未来をもたらすのではないかと、期待が膨らむ。自分の国の歴史を学んでこなかった日本人にとっては、若者だけでなく、新しい時代に生きる手がかりになるはずだ。
弁護士 2017年5月1日現在 1975年弁護士登録。以後、東京弁護士会及び日本弁護士連合会の両性の平等委員会の委員を、2001年4月よりはNPO法人「女性の安全と健康のための支援教育センター」の代表理事をそれぞれ務めている。2004年4月より2013年3月まで、明治大学法科大学院教授。第2東京弁護士会所属。主な著書に「性と法律」2013年岩波新書など。 "
国境を越えて人と人とが直接出会い、直接交流することは、国際関係で最も楽しく、最も核心的な要素だと思います。友達が一人でもできれば、自然に相手国や相手地域に対する関心が生まれてきます。日本で韓国の大衆文化が根付き始めたている現在、関心を持ち始めた若い方々に、一人でも多く朝鮮半島の友達と出会う機会が提供できればという願いを込めて、希望のたね基金の事業におおいに期待しています。
立命館大学文学部教授 / 強制動員真相究明ネットワーク共同代表 専攻は朝鮮近現代史、日韓関係史。主要論著に、「朝鮮における総動員体制の構造」『岩波講座東アジア近現代通史 第6巻』岩波書店、2011年1月(共著)、庵逧由香「植民地期朝鮮史像をめぐって-韓国の新しい研究動向-」『歴史学研究』No.868、2010年7月、などがある。
91年に金学順さんが声をあげたとき、私は大学生だった。当事者が声をあげた以上、解決しないわけにいかない、すぐにきっと解決できるはず。そう楽観的に信じていた四半世紀前の私に言ってあげたい。「甘すぎるよ」と。「慰安婦」問題は、この国のアキレス腱だ。国は力尽くで、この問題を忘れさせようとしてきた。「そうはさせない」と、急所に正面から切り込んでいった当事者と支援者の運動は、どれほど過酷だったことだろう。性暴力被害者が声をあげれば叩かれ、なかったことにされるのは、今も同じだ。だからこそ私は、この運動に関わりたいと思う。女性たちの無念を記憶するために。次世代に声と記憶をつないでいきたい。
作家 1996年、フェミニズムの視点で女性向けセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」を立ち上げる。フェミニズム、ジェンダーに関する著書多数。「アンアンのセックスできれいになれた?」(朝日新聞出版)「毒婦。」(朝日新聞出版)「奥様は愛国」(朴順梨との共著著、河出書房新社)「性と国家」(佐藤優との対談、河出書房新社)他。
「慰安婦」問題は昔起きたことだから自分とは無関係」「国家間の問題だし、日韓合意で解決済み」。そんな声をよく聞きます。日本のメディアやネットでは「慰安婦」問題否定論が溢れ、日本政府が歴史の否定や忘却を後押しさえしています。でも、「慰安婦」問題を真に解決し、二度と戦時性暴力の被害を起こさないためには、「慰安婦」問題の事実やサバイバーの声、そして支援運動の歴史について学び、記憶し、それを継承していくことこそが重要なはずです。「希望のたね基金」の取り組みを通じて日本の若者たちが学んだ成果は、私が住むアメリカなど、世界の若者にも影響を与えていくことでしょう。皆でこの基金を育てていきましょう。
モンタナ州立大学准教授 文化人類学・フェミニズム 日本の社会運動、特にフェミニズムや右派運動の調査を進める中で「慰安婦」問題にも取り組む。共著に『社会運動の戸惑い—フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題 右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店)ほか。
セクハラにの定義を歪めて水着までセクハラにしたインチキババア。
理事 柴洋子(しばようこ)
1990年から「慰安婦」問題は過去のページに閉ざされた歴史の一つではなくなりました。さらに金学順さんが名乗り出たことを機に多くの被害女性が名乗り出、日本政府に対して謝罪と賠償を求めました。私たちは彼女たちの勇気に支えられて、それぞれ各国の裁判支援を始めました。私は縁があって台湾の被害女性たちと裁判を通して交流してきました。そして30年近くが過ぎ去った今、台湾の被害女性たちは亡くなり、現在お元気な阿媽は2人です。台湾では2016年にAMA Museumを開館し、阿媽たちの歩んできた道を記憶し、記録するようになりました。韓国は「慰安婦」問題解決運動の先駆者です。ハルモニたちの声は国境を越え、現代の紛争下で性暴力被害を受けた女性たちにも勇気を与えています。日本にいる私たちも各国の被害女性たちの声を記録し、若い世代に伝えていく努力が必要です。しかし、どうやって? そういうときに「希望のたね基金」の活動は、まさしく私たちの希望となるものだという確信に至りました。私自身は模索しながらの参加になりますが、希望の道へ連なることができることを嬉しく思っています。
1990年代から始まった日本軍「慰安婦」問題解決運動が30年目を迎えようとする今なお、被害者が望む解決はなされず、その間に多くの被害者が亡くなられました。日本政府は歴史の事実をなかったことにしたいという欲望を隠そうともせず、「日韓合意」で終わった問題と公言して憚りません。忘れさせようとする権力に対し、サバイバーの生き方に学び、記憶することは抵抗であり、未来への一歩です。誰一人その生を再び踏みにじられることのない、性暴力や人権侵害を許さない社会の実現を共にめざします。「希望のたね基金」の取り組みを通じて次世代へとバトンをつなげ、あるべき社会の未来像を形にする一助になりたいと願っています。
原因は尹美香
映画「主戦場」で日本の若者がみな「慰安婦」問題は知らない,と言っている事に衝撃を受けました。しかし1991年に初めて金学順さんが名乗り出てすでに30年近く経っていることを考えると当時生々しい感動を受けた世代も記憶が形骸化しています。ましてや直接被害事実を聞いた事のない世代はこの言葉を知っていても被害者の苦痛を自分の事として想像するのは大変です。「希望のたね」の活動が,こうした問題に正面から取り組んで下さっていることに敬意を表しつつ,これに参加できることを幸せな事と思っています。
日本軍「慰安婦」制度や日本の植民地支配・侵略戦争は、数え切れない人びとの人権と尊厳を踏みにじった国家犯罪です。これらに対する批判的認識を確立し、真に人権が尊重される社会をつくりだしていくことは今を生きる私たちの課題です。マスメディアやインターネット上では、日本軍「慰安婦」問題に対するデマや、朝鮮半島をはじめとしたアジア諸国に対する不正確な情報が溢れています。こうした中で、若い世代のなかには「何が本当のことかわからない」と感じる人も多いでしょう。キボタネを通じて、歴史の真実を学び、東アジアの人びとと交流を深めていくことは、大きな力となっていくはずです。ともに学ぶ仲間の輪を拡げていきましょう。
私は、戦時性暴力は、戦時という特殊な状況下で起きる特殊な態様のものだと以前は思っていた。しかし、戦時特有の事情もあるにせよ、本質においては、どうもこの社会で日常的に起きている性暴力と地続きのものであるということを、日本軍「慰安婦」だった女性達の言葉と、それに対して向けられる偏見と罵詈雑言に接して、感じるようになった。
逃げられない権力構造下で起きた凄絶な被害がどういうものだったのかを直視することは、この社会から性暴力を無くすために何が必要かという本質的な問いのために避けられないだろう。必死な性暴力告発の声を「あなたは合意していたのに今更何を言うのか」と押し潰す暴力性の背後にあるものはなんなのか見極め、それと闘いたい。これが、不勉強と微力を承知で理事就任の打診をお引き受けした理由である。
弁護士 明日の自由を守る若手弁護士の会(「あすわか」メンバー)。「怒れる女子会」呼びかけ人。取扱分野は離婚等の家事事件、一般民事事件等。性暴力
医学部の学費は高い!普通の家の子供ほ医学部の学費を払えない!と言っている人に、国立大学の場合は、医学部も文学部も全学部学費が同じで、年間50万円代なんです、国立大学医学部ならサラリーマン家庭の子供でも入れます、と伝えても、実習代がー教科書代がー塾代がー、とわーわー言って、お金がなければ医学部に行けないという認識を改めない。
同様に20代の高学歴に、90年代は京大理学部は東大理1より偏差値が高かったし、東工大一橋と阪大を比べても、同じくらいか阪大のほうがわずかに高いくらいだったと教えても、頑なにそれを認めようとしない。