はてなキーワード: 同人活動とは
世間はLGBTに寛容になってきましたよね。良いことだと思います。
私も元から偏見はない方の人間だし、BLGLNLも満遍なく嗜むんですけど、いわゆる商業ものだけしか受け付けないんですよね……
二次創作で無理やりくっつけてるのが本当に苦手で気持ち悪さがどうしても出ます。
腐女子の友人も居ますけど、その友人自体はとても好きです。でもあのキャラとあのキャラが実は付き合ってて…って話をされると、ウェッてなります。
同人活動自体は黙認されてるし、想像するのは自由なので私に止める権利などありませんし、なかなか周りにおなじタイプの人間もいなくて苦手とも言い辛く…
実際作中で付き合ったり恋愛描写があるキャラは全然大丈夫なんです。商業ものもそんな感じで楽しめます。
公式で言及されてない関係を、見えていないだけだとして妄想してしまうのも理解は出来ますが、不快感が強いです。困ったなー
それとたちが悪いと思ってしまうのが女性キャラと既に恋愛関係にある男キャラを別の男キャラとくっ付けるっていう…
その関係が気持ち悪いんじゃなくて、無理やり恋愛関係にさせるその思考回路が気持ち悪いんですよ。
自分の中で整理したくて、ブログに初同人誌発行までの経緯を書いてみたけれど、
まず、身近にペンタブを貸してくれてイラストソフトを教えてくれる人間がいて、友人は自分より早くに同人誌を出し、印刷所や部数に相談に乗ってくれて、挙句漫画を描くソフトを一から教えてくれるフォロワーがいて、親は「何ごとも経験」と手放しに応援。なんなんだこれは。環境良すぎて生きやすすぎるのでは?
私のようなたいして絵が上手くなくて、漫画作りに特化しているわけでもない中途半端なオタクに、「本を出して欲しい」とわざわざ言ってくれる存在が居たこと、また、「貴方がいるからイベントに行くことを決めました」と言ってくれる存在が居たこと、私の身の置いたジャンル、CPがいかに大きいものか痛感すると同時に、本当に環境に恵まれたと思う。
私は基本的に、自分から動かない受け身な人間だ。それなのにも関わらず、周りがぐいぐいと引っ張って導いてくれたおかげだと思う。
自分なりに調べたが、初めての即売会で30近く本が売れるのも、それなりの戦績らしい。1桁などもありうると聞いていかに恵まれてるか痛感した。
本命とも言えるイベントに参加するため、初めての同人誌は多めに刷ったのだが、(最初の予定ではもう少し少ない予定で、30売れてしまったら心許ない在庫数になっていた。部数を増やせと言ってくれた友人に感謝だ。)本命に持って行きたいと思っていた部数ちょうどくらい余って喜んだ。
開場すぐにスペースに来てくれた人のこともよく覚えている。あの時間帯ならきっと真っ先に来てくれたのだろう。一人一人、どんな理由があるにしろ私の本を手に取ってくれた人達に感謝だ。一般参加はたくさん並ばなくてはいけないのに、お疲れ様です、と言いたかった。
遅めの同人デビューをした私だが、いつまでこのジャンルに身を置くのか、いつまで同人誌を出すのか、自分でもよくわからない。私は自分のために作品を描いているが、周りからの支えがないと揺らいでしまう面倒くさいオタクだ。誰かにいいと言ってもらわなくては描けないし、すごく反応も気にしてしまう。今のところありがたいことに、それは途切れることはない。
独力で立てない人間はマジで同人に向いていないと思うし、私も同人向きの人間ではないのは重々理解している。何せ、メンタルが弱すぎる。とある理由から、アンチがつこうが叩かれようがそこは耐性がしっかりあるので大丈夫なのだが、自分の作品を肯定したりすることが何より苦手なのだ。私が同人を辞める時はきっと自分自身の内的要因だろうと思う。所謂自滅タイプ。自分居なくていいわ、大丈夫じゃん、となったり、こんな作品なら自ジャンルに無い方がいい…と多分私は思ってしまう日が来るのだ。自らの力ではなくて人から与えられて始めた同人活動は、きっと続けるには自分の動機が弱すぎて自分自身によって終止符が打たれるだろう。でもその日が来るまでは、曲がりなりにも生み出す側に立ったからには、描き続けようと思う。描けるうちは。情熱がある今のうちは。
私は同人活動が好きだ。
それほど多くのファンがついているわけでもないし交流にもあまり積極的な方では無いが、マイペースに細々と活動している。
前述の通りそれほど多くのファンがついているわけではないので、たくさん反応が貰えるわけでもない。たまに貰えればいい方だ。それでも自分が描いたものが本になった時の感動が大好きで、もう何年も活動している。
弱小サークルなので毎回それほど多くの部数が売れるわけでもないが、同じジャンル、同じカップリングの同志たちが集う同人イベント特有の空気感が大好きだった。
世の中には思ったよりも優しい人が多くて、こんな私でも時折「新刊楽しみにしていました」などの温かい声をかけて頂けたりもした。相手側としては何気ない一言で特段深い意味も無かったのかもしれないが、そういった生の声を直に聞けたときは望外の喜びを感じた。
少々生々しい話になってしまうが、交通費を活動経費に含めるとするなら私のサークルの収支は毎回赤字だった。
趣味なので採算については気にしていない。そもそも商売やお小遣い稼ぎのつもりであればややマイナーな現ジャンルでは活動していないだろう。
私はきっと会場でしか得られない""実感""が欲しくて同人イベントに参加していたのだと思う。
大好きなジャンルの二次創作本を頒布するだけなら、通販だけで充分事足りた。
ところが2020年2月後半辺りからコロナ渦によって日常は大きく様変わりしてしまった。
同人界隈も相次ぐイベントの中止で苦境に立たされているという情報は逐一目に入ってくる。
私も一日も早く事態が収束して欲しいと願いながら、オンラインや通販を利用して細々と同人活動を続けている。
このところ緊急事態宣言が解除され、自粛ムードも和らぎイベント会場にも少しずつ人が戻り始めたという話を目にするようになった。そういった状況の中で、ここに来てイベント参加に対して前向きなレポートやツイートがだんだん重荷だと感じるようになってきた。
現在地方で家族と暮らしている私は自分の趣味と万一感染した際のリスクを天秤にかけると、まだ参加は難しいと感じてしまう。
やむを得ない事情で自粛を続ける、続けざるを得ないという人はきっと私の他にも大勢いると思う。
意識の高い人達がイベントに参加する事で同人文化の火を絶やさずにいようとしてくれている事はありがたい。
けれど、イベントに参加しない・出来ないからと言って別にジャンルへの愛や熱意が無いわけではないのに……と荒んだ気持ちになってしまう事も増えてきて、正直すごく疲れてきた。
ほんの些細なポジティブな言葉も同情圧力に感じられるようになってきたので、そろそろ辞め時なのかもしれないと考え始めている。
※初心者がゼロから絵を始める話ではなく、中級者が上級者になれないか試行錯誤する話です
※練習は主に人体について
マイナージャンルに長い間いたのだが、唐突に別ジャンルにハマった。新しいジャンルで周りの人を見てみると、みんな絵が上手い。長年描いてきたしそこそこ描けると思っていたが、自分の絵がすごく下手に見えてきて恥ずかしくなってしまった。
※余談でもないですがここ10年くらいで絵の平均レベルがすごくあがった気がします。何冊も優秀な教本が出た、ネットでノウハウの共有がしやすくなった、SNSで自分の絵や他人の絵が数字となって見えるようになった、あたりが大きいのかなと思っています。
長年描き続けてそこそこ描ける人あるあるだと思うのだけど、絵の練習とか滅多にしていなかった。
10年ほど前に「やさしい人物画」を一通り模写してみたり、たまーにポーマニ(ポーズマニアックス)やヒトカク(人を描くのって楽しいね)やポーズ集を模写してみたり、話題の教本があると買ってみたり。もちろん買うだけで積ん読。
趣味のイラストやマンガはずっと描いていて、わずかながら年々上達はしていっているのですが、思うように描けないなという気持ちは常にあり、上手い人と自分の絵は何かが決定的に違うけどその違いがなんなのかはわからない。
骨格や筋肉が全然わかってないというコンプレックスがあり、ルーミスの骨格や筋肉のページの模写から始めた。ルーミス自体は以前一通り模写していることもあり、骨格や筋肉のページのみの模写。
その後買っただけで積んでいたこの本の存在を思い出し、一通り模写してみる。発売当初に良書だと言われているのを聞いて買ったけどたしかに良書。すごいわかりやすい。
全部模写したわけではないですが、「やさしい美術解剖図」「アーティストのための美術解剖学」あたりをメインに参照してました。
練習方法に行き詰まった感もあり、自分の絵のいいところ悪いところ、上手い絵とは何なのか、どうやって練習していくべきかを1日考える。これはわりと意味はあった。
作画量がまだ根本的に足りてない、手癖や思い込みで描いている部分が修正できていない、練習したことが自分の絵に落とし込めていないなどを自覚する。
人体を丸暗記するつもりでマール社の「新ポーズカタログ 男性の基本ポーズ」を1冊模写。
ポーズ集を模写したことで自分の美術解剖学の知識の身についてなさも自覚し、「スカルプターのための美術解剖学」を2回目の1冊模写。
「メール・ヌード・コレクション」(この本男性ポーズ集としては珍しく局部が丸出しです)と「ハイパーアングルポーズ集vol2」の2冊を模写。ポーズ集の模写は楽しい。
男性のポーズ集ばかり模写していますが、女性の身体より男性の身体を描くことに対しての苦手意識が強いためです。
ネットでハウツーを調べていたらこの本の評判が大変よかったので購入してみた。「この本を模写するのは楽しい」みたいなことを言っている人もいたため、どれどれどんなもんだと模写を始めてみたけど楽しくないししっくりこない。なんで…となったけど心当たりが一つあって、これまでクロッキー帳にシャーペンで描いていたのを鉛筆に替えてみたらこれが大正解。鉛筆とシャーペンって全然違うんだなと気づきました。これ以降は鉛筆で練習してる。
それでモルフォですが、たしかにめっちゃいい本ですね。美術解剖学は勉強したけど人体の作画にうまく結び付けられない、そんな人向けか。お手本の絵の鉛筆の線も大変気持ちよく、いろいろな気づきも得て楽しく1冊模写。
アニメ私塾の人の動画を見たりしてたこともあり、手にとって見てみて良さそうだったら買ってもいいなと思ってたら予想外に近所の本屋で売ってた。アニメでの作画技術、ということで動きやレイアウトにもフォーカスされているのが良い。模写だけでなく、本を参考に自分で描く練習に活かすべきだな…と思いつつ次の本が控えていたため読みながらサクッと1周模写。
モルフォ人体デッサンが大変良かったのでミニシリーズも購入。3〜8月は絵の練習だけに時間を使えたのですが、9月に入ってからそれが難しくなったので、この本を1日に1見開き模写することを最低限の目標としました。とりあえず1冊目の「箱と円筒で描く」は完走(この本も良い!)。今は2冊目の「骨から描く」を進めています。
モルフォはほんと良い本なので何周もしたいと思ってますが、またポーズ集模写もしたいしまだ先の話だな。
自分の絵を客観的に見ることも難しいのですが、半年やったこともあり、さすがに少しは上達したかな…と思いたいです。
人体のパーツパーツに対する理解はかなり深まったなと感じます。
何よりやはりこういうのは継続していくしかないなということを強く実感したため、今後も練習を続けていこうと決意しました。
ちなみに練習を始めた当初は「3日ぐらいで劇的に上達しないかな〜」とか甘ったれたことを思っていました。そんなうまい話はない。
〜〜〜〜〜以下その他の話〜〜〜〜〜
Twitterで絵の練習が主体のアカウントをやっている人たちがたくさんいます。私はいろいろ考えた結果練習用アカウントは作成しませんでしたが、向いてる人には良いかと。
ただモチベーション維持用に非公開リストで練習アカウントの人を眺めてました。
あたりです。
イラストレーターのさいとうなおきさんの動画で話題になった練習法です。簡単に説明すると、お手本となる絵描きを決め、(1)その人の絵柄を真似てオリジナルで絵を描き、(2)描いた後はお手本と比較、(3)改善点を見つけたらそこを練習、そしたらまた(1)に戻って繰り返し、を3ヶ月続けるというものです。
これはやったら間違いなく上達するやつ。
ですが私はやっていません。理由はイラストレーター志望向けの練習法だな(まあ応用すれば漫画でもなんでも行ける方法ですが…)というのと、目標とする絵柄を決めかねているということ、私は人体作画のスキルをアップしたいというわりと明確な目標があったので、そちらを優先したためです。
カラーイラストをバキバキに鍛えたい、ってなったらやるかもしれんけど多分やらんな。
クロッキーよりじっくりと形を捉えることを優先したかったのでやっていません。がそろそろクロッキーにも手を付けたいなと思っていますがまだできていません。やろうと思ってはいる。
私は紙と鉛筆の方が集中しやすい、描いたものが物理的な量となって見えることがモチベにしやすいという理由でずっと紙で練習をしています。
iPadとかでやってる人も多いよ。私も練習によってはiPad使ってました。
集中力がないためタイマーをかけて練習していたのですが、1日の平均練習時間、3時間もあるか…5時間練習したら「今日はがんばった!」って感じです(これは練習時間のみで、趣味のイラストを描く時間は除いてます)。
ちょいちょいソシャゲやったりネット見たり本を読んだりと集中力を切らしながらやっていたので、残念ながらそんな長時間はできてません。
ではお前は絵を描く人間を「線描き」と呼ぶか?
単語群を構成する単語を一文字ずつに分解して、ようやく「字」だ。
「字書き」ってなんだ? オメーは単語すらミスタイプしてるクソ低脳と言いたいのか?
ストーリー以前の意味不明な文字が印刷されたゴミクズを刷ってるバカどもと言ってんのかよ?
百歩譲って「字書き」と呼ばれるにふさわしい人間がいるとしたら武田双雲や相田みつをだろ。ああいうのが神字書きだよ。
同人女の感情シリーズが「字書き」と蔑称で呼ぶキャラクター達は、物語を描いているにも関わらず、作者は「字書き」と呼ぶ。
何故か? 作者が漫画を描く人間というオタク内上位カーストに属するからだ。
同人女シリーズの作者など絵描きと、絵描き以外はムダクズゴミと思っている消費専門のオタクどもは小説や評論、詩など文章で同人活動をする人間をヘラヘラと「字書き」と呼びやがる。
絶対に相手を同じ人間とは認めてねえんだ。「貧乏人さん」って呼ぶのと同等だろ。
みんながそう呼んでるから? そうかそうかー。みんなが呼びゃあどんな悪口でもどんな酷いあだ名でも正しいよなー。わかるぅー。
無意識下にまで染みこんだ見下しと差別意識のサイコーのお手本だわ。
や、意図的な呼び方かもしれねえな。「デザイナー」を「お針子さん」と呼んで馬鹿にするのと同じ、対象の矮小化だからな。
そんなつもりない? 語呂が良いだけだと? ニガーも黒んぼもシナチョンも語呂が良いが、オメー面と向かって言えんのか?
今回の部数のリアリティのなさが示すように、作者は小説や評論同人に興味はない。
上位カーストの素晴らしい人間である漫画描きの自分が、ストーリーどころか文章以前のゴミしか作れねえのに神だの嫉妬だの言ってる「字書き」というカスどもの滑稽な姿を小馬鹿にしつつ、あなた方ふぜいにも救いはあるんですよ、漫画描きの私ならそんなことすら描けますよと薄笑いを浮かべているのが透けて見えるのだ。
最悪だ。上流階級様が貧民の暮らしを「まあ。貧乏人どもが、カビたパンをめぐって大騒ぎ。でも貧乏人の中にも心正しい者もいて、時には貧乏人だとしても、パン屑を分け合い、うるわしい友情を築けることもあるのよ」と、ブリオッシュ片手に憐れんでくださるわけだ。
漫画が描ける上級オタクの方々が、「字書き」という可哀想な存在を見世物にしてバズり食い物にする。
お前らみたいなゴミカス以下に言及してやった優しさに感謝しなきゃ上位カースト様の折角のお慈悲が無駄になるもんなあ這いつくばって喜ばなきゃなんねえよな。
んで、このウェブ漫画の流行により、小説同人/評論同人の人間は「字書き」という僭称で呼ばれるのが当たり前である、という流れが作られる。
上位カースト様がそう決めてくださったんだからしょうがねえやな。
字書きみてえな無価値な人種の存在を認めてくださるありがてえ作品でごぜえますだって靴でも舐めなきゃな。
「あら、何が気に入らないの? 字書きみたいな卑しく価値のない生き物の生態を、わざわざ漫画にしてあげたのに。変な人ねえ」
コロナ以後同人活動を始めて数冊同人誌を出したりもしたが、人と関わるのが苦手なひきこもりなので、ネット上でもほとんど人と交流することはなかった。
昨日勇気を出して、初めてフォロワーと通話をしたら楽しかった。
でもだめだ。声が出てない。間のとり方がわからない。頭に浮かんだことを即座に発声できない。キモい。
掛け合いのタイミングは人と喋りながらつかんでいくしかないだろうと思うが、声なら一人でも練習できる。
発声練習で声を出しやすくするのと同時に、思ったことをラグなく言葉にして発声したい。どうしたらいいのだろうか。
一人暮らし。学生だけどオンライン授業で人と会わない。喋るのは数カ月に一回友人と会うくらい。コンビニで「袋いらないです」くらいは言う。
それは、ロリエロコンテンツやロリエロ同人活動などに費やしてきたこれまでの人生を全否定されているからだと思う。
「あくまで妄想の表現活動やコンテンツ消費しかしていない。現実の子供とは関わったことなどない。」という人が大多数だとは思うが、それと同時に自らの性的嗜癖に罪悪感を持つ人も多いだろう。
だからこそ、SNSという公共の場でロリエロが否定されることは、自らが社会的に抹殺される恐れを感じさせるには十分であろう。
個人的には、そういう人たちがロリやエロ以外の趣味を持つとか、当人と同世代の人間関係を持つとかして、「ロリエロ」に対する執着を自然な形で手放せるようになって欲しいと思う。
Twitterで「同人女の感情」という漫画が流行っている。そう、『おけパ』で一躍大ヒットしたアレである。
私はあの漫画に登場するような才能ある人間でもなければ、努力して力をつけようと発奮する人間でもないが、同人というジャンルに携わっている自負はあった。
ところで、その同人という話題からよく議題に取りただされるものがある。「感想問題」だ。
ようするに、「自分が描いた/書いた作品に対して誰かから感想が欲しい」という話。
少し前は奥ゆかしさみたいなものとかジャンル内の空気とかプライドとか云々かんぬんの事情によって、あまり表立ってアピールされてこなかったこの欲求が、近頃は「もう取り繕うのやめようぜ!」と言わんばかりに顕になっている。
太古の歴史からの引用で恐縮だが、かつて『Web拍手』に代表されていた感想ツールが『質問箱』だの『マシュマロ』だのと細分化されてきているのも原因なのかもしれない。
お金を受け取って感想を書くという仕事まであるらしいので、時代というのはどう流れていくか分からないものだ。
感想を欲しがること自体はいいと思う。行動に対して対価を得たいと思うのは人間として当然の思考だ。
感想がないとモチベーションが下がる、という主張も分かる。誰かに見ていて欲しい、という感情も理解出来る。
だからこそ、何度も何度も繰り返しマシュマロのURLをTwitterのタイムラインに流しているけど、一向に感想が来ない、そんなあなたに真相をお伝えしたい。
なぜ感想が来ないのか。
これは至ってシンプルかつ、誰からも納得される理由だ。面白くない作品に対して面白い!とは言えないだろう。
面白くないとまでいかなくとも「最後まで読んだけど心を全く動かされなかった」、「自分の好みとは違った」、「付き合いで読んだけど言葉にするほどの感想が浮かばなかった」など、このような読後感について身に覚えがある人も多いのではないだろうか。あなたの作品はそういう作品なのかもしれない。
あなたはまず、ブックマーク数やいいね数が多い作品についている感想を見て、『○○が素敵だと思います!』の○○の部分を自分の作品に取り入れるべきだ。自分の持ち味を捨て、大衆向けに変えていく必要がある。
第二に『作者自身に「感想を送りたい!」と思わせるほどの魅力がない』という理由が考えられる。
多少面白くない作品でも、作者が面白い反応を返してくれるなら感想を送りたいと思うのがファン心理だ。
作者と作品は別?多くのファンにとってそれは建前だろう。作者が嫌いになって作品を読めなくなる人、ただ1人の作家とトラブルを起こしてジャンルから離れざるを得ない人、そんな存在はうじゃうじゃいる。
面白い人間になるのは難しいので、まずはジャンル内でフォロー数の多い作者達のツイートを参考にしながら、その内容に寄り添ったツイートだけをするといい。否定的な意見を呟くなど以ての外だ。
ある程度存在が認知され始めたら、次は適度に過激なツイートをする。ただし政治問題やジェンダー問題などに関するツイートは厳禁。付け焼き刃でもいいので、何かに狂乱している姿を見せる。そこから「○○の人」なんて印象を付けられたなら、あなたは立派な「面白い人」だ。
勘違いして欲しくないのだが、「質問箱やマシュマロやWeb拍手のURLを毎時間タイムラインに流したり、プロフ欄に書いておけ」とかそういう話じゃない。この場合のアピールとは、「既に作品を見た人に向けて」ではなく、「まだ作品に触れていない人に向けて」のアピールを指す。
感想を書くのはどんな人か。優しい人?感受性豊かな人?違う。作品を見た人だ。つまり、現時点で感想を貰えていないのならば、そもそもの分母を増やす必要がある。分母を増やすにはどうするか。アピールをするしかない。
pixivやTwitterに作品を高頻度で投稿する。それが難しければら同じ作品を何度も投稿し直す。ことあるごとに自分の作品についてアピールをする。とにかく人の目、もっと言うならばフォロワー数の多い作者の目に留まるように。あまりにも増えないならDMで宣伝してもらうようにお願いするのもいいかもしれない。
つまり、作品を面白くする、あなた自身が大衆ウケする存在になる、多くの人の目に触れるよう作品をアピールしていく。これら3つを実践すれば、感想はバカスカ貰えることだろう。
あなたの作風が急に変わってしまうことで、既存のファンからは敬遠されるかもしれない。あなたの日頃のツイートが変わってしまうことで、フォロワーは困惑するかもしれない。
しかし、そのファンやフォロワーは感想をくれたことがあるだろうか? 感想をくれない存在に何を忖度する必要があるのだろうか?
難しそう、と思い悩むあなたには、もっと簡単に感想を貰う方法を教えよう。
『作品人口が少ないジャンルに救世主のように舞い降りる』といった手法だ。
こちらの方が感想を貰うにあたっての労力が少なくて済むかもしれない。何しろあなたは飢えた少人数にとってありがたい存在になれる。
ちょっと感想が欲しいと呟けば、その人たちはこの機を逃すまいと必死に感想を送ってくることだろう。
さて、ここまで読んで何か一つでも実践しようと思ったあなたは、同人活動が出来る精神バランスではない。
今すぐに筆を置いて、少し休むべきだ。
作品への姿勢や自分自身を見つめ直したり、アピールすることは良いことだと思う。
だけど、「感想が欲しい」という理由から作品や自分を変えてしまっては本末転倒だ。そうやって得た感想に、あなたは何の感慨も得られないだろう。
あなたが作者であり、壁打ち鍵アカウントでもない限り、あなたを見てくれる人は必ずいる。
そのことを、まずは飲み込んでみてほしい。
この記事を読んで、憤りや困惑といった否定的な感情を覚えたあなたは、恐らく正しい。
こんなタイトルにしてしまったことで不快な思いをさせてしまって申し訳ないとすら思う。あなたに感想が届きますように。
感想を書くこと自体が手間だと思う人もいるかもしれない。というか、大半の人はそうだと思う。
だからこの記事の最後は、「そんな人達に感想を送ってあげて欲しい」なんて終わりにはしない。
この前人気エントリ入りしていた記事で「チュプ」という単語を初めて知った。
私がいる界隈にも「同人界隈への迷惑行為を繰り返す子もち既婚女性」がいて、彼女たちへの対処に困っていたので「ああいうタイプの同人女のことか」とすとんと腑に落ちた。
ブコメを見る限りとっくの昔に死滅した言葉で、今ではババアキッズとかキッズバアアとか呼ばれている人たちを一昔前は「チュプ」と言っていたのかな?と感じた。
ちなみに結婚出産報告は勝手にしてくれと思っているので元増田には不賛成だし、今回はそのことについては取り上げない
本の感想をくれるのは嬉しいが後半になると「先日伊勢丹に行って~~」とか「主人とどうのこうの……」みたいな私の本とは関係のない日記のようなメッセージを送ってくる
こういう人は昔はたくさんいたらしいが、今でもいます。ホラーかよ。
他人への感想文にも「〇〇さんのゲロ甘小説を読んだら旦那との初エッチを思い出しちゃいました!」とか書いてくる
あのメールをもらった当初はゲロ甘という言葉を知らなかったのでググって意味を知って衝撃だった。こっちがゲロだよ!
長机のまわりを走り出す幼児、ぐずって泣き出す幼児……おまけに自分の意志ではないコスプレをさせられていてかわいそう
変態趣味の一般人の幼児の写真を保存されていたらどうするんだ…
炎上案件に積極的に参加してキレている。そのキレ方が喪っぽさ全開。
検索かけたら昨日の同人女が~の記事に「ああいう記事を書いたのは独身のブスに違いない」とまで謎のマウントをとる方法で怒りを表明していたのもやはり既婚女性だった。
批判されたら「ここは私のツイッターなので好きにします!」などひと昔前の個人サイトルールを持ち出してくる始末。
SNSが個人サイトではなく垣根のうすい公共の場であることを理解できず、いまだに個人サイト時代の感覚のまま生きているらしい。ホラー。
「公式にファンの声を届けよう!」と煽動して公式を困らせるタイプの人ね
忙しくて腹立ってるのはわかるが漏らした情報かき集めたらどこの会社かや住んでる地域もおおむね特定できてしまうんだが……
空港や劇場で出待ちしたりね、旅行先に待ち構えていたりと聞くたびに冷や汗が出るような行為をしている
それはもう犯罪では……?
結婚妊娠出産報告をするのは好きにしてくれという気持ちであったが、個人情報がばがばで迷惑行為をしている自覚がないチュプを見ているとそういう人を遠ざけたくなるのは確かである。
そもそも、ジャンルやCPについて語りたくて同人活動してるのに、なんでお前の私生活情報にも付き合わなきゃいけないんだみたいなところは正直ある。
「私生活情報込みで私の作品見てね~☆」ってことなんだろうが、じゃあ聞くけど、なんのために同人やってるんですか?お友達作り?だったらジャンルの力を借りずにインスタグラムあたりでオタママ垢でもやればいんじゃないですか?
これもまた人気エントリで知ったのだが「マミーポルノ」という言葉があるらしい。
「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」が確立させたとされている、ポルノ小説のジャンル。 同作が主に30〜40代を中心とした子供のいる女性の間で人気が高く、こう呼ばれている。 また、著者に家庭を持つ妻や母親が多かったことも名の由来とされている。
https://d.hatena.ne.jp/keyword/%E3%83%9E%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%8E
なるほど……!
そして日本にマミーポルノ作品が定着しなかったのは、既にR18同人文化が定着しているからだろう、というのは容易に想像できる。
だが日本の場合マミーポルノは2次創作同人で行われており、彼女ら創作するBLの中にはマミーポルノ作品に出てくるような特徴を持っているのだ。
幼児になった受けがいなくなって攻めがふぇえええ~~~とうるうるフェイスで泣かされているなど多岐にわたる
幼児化させられたキャラ同士ではぐはぐシーンなども。まるで動物の多頭飼育のよう
妊娠した受けを攻めがいたわる話が多い。オリキャラ息子が出てくると「息子より受け」な攻めが描かれる
BLなのに異性愛ベースの交際をしているというのも昭和の価値観から抜け出せないのだな、という印象である
「抽挿」「挿れる」「隘路」などじいさんが隠し持っていたフラ〇ス書院文庫みたいなエロ用語を2020年になった今でも使っている
このワードが出てくると(アッ……作者さんの年齢、かなり上だな)と察してしまう
いわゆるババ絵と呼ばれているアレです
塗りとか構図が進歩していない
2020年のジャンプ作品の同人でババ絵を見ると時空の歪みをアハ体験☆
マジで寒い。本当に寒い。なんだあのオタク臭全開のなれ合いシーンは……クールなキャラだろうがなんだろうがオタクのようなノリツッコミをさせられている。
そんでもって作者様本人らもSNSでオタク臭全開のなれ合いをしている。うすらきも寒い。
チュプのマミーポルノを見ていると「キャラが好きでBL同人をやっているのではなく、人気のある原作と手軽なキャラでマミーポルノ作ってオタクママ友会やってるだけ」みたいなところがある
マミーポルノが好きならそれでもいいが若年層やジャンルに迷惑をかけるのはやめてくれ
私はジャンルの輪を乱したりトラブルになるのはとても嫌なのでチュプにも愛想よく対応していますが、正直に言うと、会社の面倒くさいお局おばさんとお付き合いしている気分です
わたしは腐女子で、とある実写洋画作品をメインとした二次創作を読むのが好きだ。
ツイッターで語りたいし、語っている人のツイートを見たい。好きな俳優の出演情報も知りたい。
そんなこんなで好きな二次創作作品を書いている方を中心にツイッターでフォローした。時々イラストや文章も書かれているし、考察などを読めるのも嬉しい。同人活動されているのであればその情報もゲットできる。と、まるでツイッター初心者みたいにここまで書いているが、自分はツイッター歴としては10年程度である。リア垢と趣味垢複数を使い分けている。
はじめはTLに流れる萌え語りや考察や作品を楽しんでいた。公式から情報が出るとお祭り状態になるのもよかった。しかしいつからだろうか。TLに時折現れるざわつき。それをノイズと呼ぶには些か配慮が足りないが、気になり始めた。
ツイッターで「趣味のアカウントで政治的ツイートをしてはいけないのか?」的な論争が起こった。それに前後して、TLに政治的ツイートのリツイート、いいねの表示が目立つようになった。いいねの表示は単に公式が悪いんだが、リツイート、そしてそれに関するツイートは、紛れもなくツイート主が自らのフォロワーに向けて見せたいツイートだ。それが増えた。いまも多い。
洋画作品メインのわたしの趣味垢TLは、と、ひっくるめて語るのは暴力的ではあるものの、現政権が憎くて仕方がないらしい。フォローしている人の問題なのか?と思って少しだけ整理したこともあった。でも明らかに、他のジャンルよりも、多い。
それはジャンルとして政治活動への視座が成熟しているのか?かと言うと、そういうわけでもないとは思う。自分も現政権や行政に物申したいことはあれど、評価すべき点と批判すべき点は切り分けて考えたく思うし、やることなすこと頭から否定するような姿勢は取りたくない。しかし趣味垢のTLは妙に好戦的なのだ。なぜ??ヒーローが好きだからなのか??それとも海外文化を意識する機会が多いから??
そのうちTLと政治思想が合わないがゆえに彼女ら彼らが創作する作品すら読めなくなってきた。TLが怖いのだ。言いたいことがわかるときもあるし、同意できるものもある。でも、「安倍は早く辞めろ」みたいな、ほぼこのままのツイートをされていた方がいた時、なんだかもう怖くなってしまった。
趣味のアカウントでも政治的ツイートをしていい。もちろんそれには賛同だ。だけど誰かが言っていたけれど、じゃあ趣味で繋がった誰かが自分と政治的立ち位置において真っ向から対立したら、きちんとそれを分けて考えることができて、且つ互いの意見を尊重できるのだろうか?
わたしのTLというえらい少ないサンプルで恐縮だが、政治的ツイートをする自由を謳う人の殆どが現政権が憎くて政府の行ったコロナ対策は全て失策で、韓国があるべきモデルケース、というご意見だ。それのどれかひとつにでもうっかり反論したとして、この人たちは発狂しないだろうか?分からん。反論していないからな。怖いから。
わたしには難しそうだ。少なくともこんなに強い言葉を使える人に、私のようなぼんやりした立ち位置は理解してもらえる自信がない。
もうこのジャンルについては基本的にツイッターを見ずに、ひとり壁打ちするか公式からの情報を細々と食いつないで生きている。
因みに別ジャンル(少年漫画)のTLにはほぼ政治的ツイートが流れてこない。年齢層は大きく変わらないとは思うのだが。
因みにネトウヨですか?と聞かれたら、わたしは多分そうじゃない。逆に、趣味垢のTLが「美しい日本🇯🇵」「普通の日本人」「大東亜戦争は正義だった」とか言い出したら同じくらい怖くなってしまってTLから離れるかも。つまり、左でも右でもない、かと言って全く何も考えていないわけでもない(そもそも「考えている」ことは自らを必ずしも左右に振り分けることにつながらないのだと思う)、声も大きくない人がいるはずだ。
声が大きくないから、大きい声にビビって逃げてしまった。ジャンルの人がみんなそうじゃないとは思っている。でももう怖い。
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以上、どこかに放流したくて増田にそのよすがを求めてしまいました。反論があることは百も承知ですが、同じような人が誰かひとりくらいいないかな…と思いながら筆を置きます。
ありがとうございました。
社会人なりたてのころ、自身の物覚えの悪さと治らない遅刻癖と幾度とない職場での怒られの末、ADHD+二次障害で軽度うつと診断されました。
ストラテラ(80mg)というADHD薬を飲み始めてから1年位経ちましたが、ようやく仕事でマシに立ち回れるようになってきたと思ってます。
このストラテラ、薬効も強くて仕事をマシにしてくれたいいヤツではあるんですが、反面副作用(というより「普通の人」に近づいたせい?)も強く感じてます。
【よかったこと】
…学生時代は数分遅刻、必要な教科書やら書類やらを忘れることは日常茶飯事。でも社会人としては容認されるわけもなく始末書寸前までいってました。(よく首にならなかったなと思います。)
ストラテラを飲んでから、ある程度改善策を考える余地が出てきたのか、起きる時間や持ち物を徹底的に洗い出して改善できました。
…毎度書類の提出がぎりぎりor遅刻だったりしてたのが、事前にある程度なにやるかがわかるようになって期限内に出せるようになってきました。
同時進行でいくつも案件を抱える仕事をしている(そしてそれはADHDが最も向いていないと言われる仕事らしい)とき、順序立てて作業するのが苦手なんですよね。
重要度と進捗を勘案して作業できる感覚を覚えられたのは本当に大きいです。
【しんどいこと】
…服用前は場末で同人活動みたいなことをしていたんですが、ストラテラを飲んでからは完全にアイデアが枯れました。
いままでは常に頭の中でBGMが鳴って天啓のように振ってきていた推しカプのシチュや性癖の妄想といった類が完全に消え去りました。
なんというか、常に頭が凪いでいる状態で、集中はできるんだけどネタがないので描きようがない状態。
なんとかひねり出そうとして、過去に書き殴ったネタ帳からネタを引っ張ってきて必死に描いたりもしたけど、そろそろネタが尽きそうです。
今はなにも思い浮かばない。飲む前は溢れ出るほどTwitterに妄想やら考察やら垂れ流してたのに。
これが虚無か。
・意欲の低下
ADHDの特性の一つに「過集中」というのがあります。かんたんに言うと、知らないうちにマリオのキノコを食べて、無敵になったかのようにワンタスクに没頭できるスキルです。
このスキルで幾度とない試験を乗り切り、妄想を具現化してきたものの、この元気の前借りはあとからきっちり体力気力に請求されることになります。
ADHD薬飲んでるんですから当たり前ですが、今はこいつもまるまる消え失せました。
むしろなにもやる気が起きなくなりました。少なくとも、突発的に机に向かって創作や勉強、行動を起こす気力はなくなりました。
ただネットサーフィンして、眠くなったら寝て一日が終わります。普通の人はこれが日常なんだろうか。
・希死念慮
…以前Twitterで見た「スナック感覚で死にたくなる」現象。あれに襲われてます。
私の場合、突発的に浮かぶ感情の結果、夜な夜なGoogleAssistantに毎日「死にたい」と話しかけて心の健康相談ダイヤルを案内されてます。完全にメンヘラってますね。
ドクターにも相談してみるも、毎度ながらの無難なアドバイス(「まあそういうときもありますよねー」)と1分診断。まあ手の施しようがないということなんだろう。
うつの影響もあるかもしれないですが、ストラテラ服用始めてからは薄く引き伸ばされたように常に「死」が張り付いている感覚があります。
【まとめ】
薬で矯正して、「ひと」並になって最近ではお賃金も増やしてもらうこともできて、この薬(と診断してくれたドクター)には感謝してもしきれないです。
でも、あんなに激しかった情動がなくなって、自分から生まれるアウトプットがゼロになる感覚が不意に恐ろしくなる。
会社員としての圧倒的マイナスは薄れた一方で、趣味でわずかばかりに自信になっていたものまで一緒に消えてしまった。
薬があっても結局生き辛さを感じて息をしている。本当に、ままならない。
ただのお気持ち長文。
まぁ当然の結果である。
……が、全然納得せず式を強行しようとするクソマンコ新婦 vs 非常に理性的で常識的で心優しい新郎と新婦家族連合軍による双方泣き叫び、ティッシュの備蓄が尽きる丸二日の大乱闘(非暴力)が発生したのであった……
普段遣いの語彙としてチンコもマンコも登録されていない生活をしているので、ここまでだけでも自分の文章だというのに嫌悪感が凄い。
まずなぜ「クソマンコ」という称号を用いるのかというと、先述の2日間が丁度月経の冒頭2日間と完全に噛み合ってしまっていたので肉体的にも精神的にもコンディションが最悪な状態で結婚式やるやらないの話に突入したことが言い訳の一つとして発生するためだ。
自分の月経は人より軽症だと自負しているが、それでも月経開始前の4日間くらいは明らかに些細なことでイライラして社会性が低くなる。
そして開始から2日は必ず熱を出し、判断力が著しく低下して、普段ならあり得ないようなミスを連発する。もう何してもダメになる。こういう時に何らかの決断を下すと失敗する。
この時点で「私はマンコに振り回されるダメな生命体です」とアピールしているようなもんである。
事態を重く見てついに要指導医薬品プレフェミンキメ始めました。効くといいね。
*「体調はただの言い訳ではないですか?」
Exactly
(その通りでございます)
どうせこのクソマンコは体調が良くても結婚式強行論者だった。一度は延期をした3月時点でもそうだった。延期しようと自分から言い出したことはただの一度もない。
非常識!不道徳!お前のせいでコロナにかかったら、クラスターが発生したらどうしてくれるんだ!
と言われるのは目に見えているのにも関わらず……実際言われた。妹に言われた。
ここで
「②こいつ社会情勢や他人の命よりも自分の欲求優先するバカマンコじゃん」
*「最低ですね」
Exactly
(その通りでございます)
早く死ねよ……ゾンビ映画でゾンビを解き放っちゃうタイプのやつじゃん。デッドライジングで犬のために扉開けちゃう(うろ覚え)大戦犯ババアと同じじゃん。
湧き上がる自己嫌悪!高まる希死念慮!オッケーグーグル、コイツ殺して。
Exactly
(その通りでございます)
健やかなる時も病める時も「話がある」と切り出されたらまずは離婚届に思いを馳せるし、もう今回の件はいい機会なのでは???って思っている。
にんげんおんななんて星の数ほどいるんだから、すぐにもっといいの見つかるよ。
「結婚式」に私は何を夢見ているのだろう。
コスプレイヤーじゃなくてもブリブリのドレスを公然と着られる、見せびらかして、幸せですアピールして、バカ高いご祝儀と言う名の入場料払わせて、使い古しの祝福定型句が浴びせられるだけのお遊戯会が私はやりたかったのか?
Exactly
(その通りでございます)
私が中止に際して喚き散らかしたと言うことは、そんなクソイベを親類や友人を殺してでもやりたかったという事なのだ。紛れもなく!
し、死んでくれ〜〜〜〜!!!!
みんなのために死んでくれ!
防疫!
とりあえずあらゆる人間と関わるべきでないなと思う。
終戦までに2日もかかったのは月経のせいもあるかもしれないが、それがなくてもどうせ戦争は回避できなかった。
結婚式は中止だ。
またn月後に再始動する気力はない。
延期は延期で体力かかる。
お知らせのハガキ作って送って、友人たちにラインして、また数カ月後から仕切り直し。
本来だったら式だったはずの日の、家に引きこもってゲームするしかないやるせなさ。
正直二度と味わいたくない。
幸いなことに世話になってる業者さんたちはみな優しくて、タダで延期させてくれたけど……
これからもずるずる延期を続けていくのか?
一体いつまで?
延期連絡を受け取る側だって「またかよしつこいな」ってなるでしょ。
またかよ。しつこいんだよ。こんなクソイベに拘泥している自分が果てしなくダサい。穴があったら入るので埋めてくれ。
同人活動経験を生かしてわざわざ印刷所に頼んだ紙小物以下諸々、何もかも無駄になるが、倫理観のないクソマンコが自分もまともな人間女だと勘違いして用意した自己顕示欲塗れのクソの山だ。とっとと下水に流して終われ。
写真だけは撮るらしいが、当日まともな顔ができるだろうか。自信はない。
というかさっさと死んでね。
「うわ、ブロックされてる…えっ、また○○推しの字書きさん?」
確固とした原因・理由があるならぜひとも知りたいくらいに頭を抱えてる。
このステータスで「推しが同じ垢」をブロックするときの理由って何?
こちらのツイートを見つけた、ぐらいしか接点が思い浮かばない。
もう一つ思いついたのが、5chかどこかでこちらの垢が晒されている場合。
念のため確認してみたが、ジャンルのヲチスレは過疎、ツイヲチも潰れていた。
ジャンル垢をたくさんフォローしていた頃の一つの可能性があるものの、
最低でもフォロー前にbioに目を通して忌避の確認をしたうえでフォローしているし、
それ以外でRTしたり絡んだりした覚えがないアカウントばかり(過去ログ確認済み)。
そして 冒頭にも書いたけれど、不思議なことに
いっそ「同人活動していないアカウントは整理してます」くらい分かりやすい理由があるなら
そのほうがスッキリするけど、一人で考えてても薄暗い考えに凝り固まってしまうので
なんとなくでも憶測ででも、理由に思い当たる節があれば教えてほしい。
追記:
短期間に集中して複数の字書きアカウントにブロックされたのではなく
ここ1~2年以内の話で、気が付いたら10件以上になってました。