はてなキーワード: 美術解剖学とは
Twitterで吐き出すと反感買って議論にならなさそうなのでここに書く
もちろん一目で『あの人の絵だ!』ってわかるイラストレーターもいる、けどそんな人はトップランカーのごく一部だけ
数年前(個人的には中韓の絵師がTwitterに増加して以後)ぐらいからイラスト界隈の画力レベルって全体的に底上げされた印象がある
解剖学を踏まえた人体の描き方とか、乗算や加算レイヤーぽさのない影や光の描き方とか
だから上手い絵は爆発的に増えているけど、その代わりどこかで見たような絵柄ばっかり AIイラストでよく見かけるような感じの
AIは単に既存の画像から学習してるだけだから逆説的なんだけど
別に商業イラストだけじゃなくて二次創作とかでもそう、上手い絵お洒落な絵描く人間は増えたけど一目見て『誰それさんの絵だな~』って思うことが減った
一目見て強烈なフックを持っているイラストがあんまりない デフォルメのやり方が特徴的なんだけどデッサンやパースに狂いがあるのではない、みたいな
まあ二次創作の本質はそこじゃないのでそれでも構わないんだけど
ノウハウが広く周知された結果平均化が起こったのかな
美術解剖学とか色の明暗とか、アカデミックな描き方をイラストに落とし込むのが上手なのって中国の美大出てるイラストレーターだよね
>美術解剖学は自力でやると死にそうになる。有料講座を受けると楽
自分が萌え美少女イラストに目覚めた中学生の時(2003年)はまだ美少女イラストの有料講座などただの一つも無く、また、教科書となる美術解剖学書も、その表題に反してすこぶる難解と評判の「やさしい美術解剖図」しか無かったのを思い出した。
結果的には、「やさしい美術解剖図」を絶対の教科書と崇めて中2〜中3時にガチで勉強し、模写と読解を繰り返して身体中の全ての筋肉と骨の名称と役割と形状を完全暗記できたところまで至ったので、「美術解剖学は自力でやると死にそうになる」は言い過ぎかなと。本気でやろうと思えば中3のガキにもできるレベルの難度でしかないことは申し添えておきたい。
しかしまあ自分が美少女イラストのために色々と勉強してた時代と比べると、2023年現在に新しく美少女イラストに目覚めて勉強始める現在のイラスト初心者はマジで恵まれてると思う。
デジタルイラスト勉強して1年半。どれも受けたことあるから書いておく。かなりお金使った
初級者むけ。ガチの初心者は無理。初心者は少し自分で描いてみる経験を積んでからパルミーやったほうがいい
講座はかなり情報が整理されていて復習も楽。これはほかのサービスよりも顕著で、時間効率は高い
ゴミ講座はほかのサービスと比べて少ない。もちろんあるっちゃある
厚塗り系講座は総じて質が低い
ただし、自分の絵柄を見つけるための講座はない
初級者~中級者向け
おとなしく韓国でも人気ある講座を見るのがよろしい
さすがに韓国でも人気あるだけあって質は非常に高い
Youtubeのプロモーション動画をうのみにしてはいけませんよ
SNSで人気のイラストレーターが「自分はこうやった」とばかり言うだけの、感覚的で再現性のない講義が山のようにある
これを見てうまくなれるかどうかといわれれば明らかにNO
お話ししている人は講師経験もないし、強力な校閲者もいないからなんだろうな
ただしプロのメイキングをみて自分に足りないことを吸収するならここ
イラストを描く技術の開陳というより、イラストそのものの個性が見れる場所が多い
Youtubeとかファンボックスとか、sessaとかココナラとかでやってるやつ。数千円払うと、添削やアドバイスを受けられる。
これについてはチャンネル開設者や添削者とウマが合うかにつきる
私は割と…いい人に会えたかもしれない。運が良かった
添削してもらわないと自分のイラストの欠点には気づかないので、余裕があるならやるといい
答えはYesでありNoでもある
山のようにYoutubeにはお絵描き講座があるので、時間を無限大に使えるのなら必要な情報はどこかで必ず手に入る
また、単発のYoutube動画をいくら見ても、系統立てた知識はなかなか得られない
Youtube動画はTipsの集まりに過ぎないから、基本的知識を前提としたうえでの補強としてならいい
使える時間もお金も有限。自分と相談してどうすればいいかは決めてください
ヒトカクは昔の定番だったが、やっていることは意外と高度。これを読んで描こうとすると逆に難しい
ガールズドローイング入門は表紙で損しているが、初心者が女性描くならまずこれ
美術解剖学は自力でやると死にそうになる。有料講座を受けると楽
動画(メイキング)がダウンロードできる塗り方指南本はおすすめ。塗りのタッチをよく観察しよう
キムラッキは苦行。地獄だが…。やっていくと少しずつ描けるようになる
本は結局、筆の運び方がわからないことが多い。なのでオンライン講座かYoutubeの描き方動画をみないとだめ
自分が描きたいものを描くのが大事だよ、というのは正しいことのようでいて、イラストを志す人を苦しめる言葉だと思う
だからいっそのこと、特定のイラストレーターを完全コピーするくらいの感覚でイラストを勉強していると楽
それかもう、練習をして満足していてもいいと思う
胸より下を描いたイラストといえば50日目のイラストが挙げられますが,あのときはソッカの美術解剖学ノートのイラストを参考にしてポーズを組み立てていました.練習で描いている直立全身のイラストも同書に載っている描き方に従って描いていました.
いや20日であれは天才の粋だろうと思ってたらそういうことか……。
他にも3Dからの起こしも個人的にはイレギュラーとは思ってない。
少しびっくりしたところから胸をなでおろせた。
40日学習して素で全身描きました~、とか言われたら心臓が止まる。
愚直さ(もいるけど)はある意味悪、という機転の良さが光る。
絵師って往々にして見栄があって盛りたがるので、まあそこはあると思う。
でもうまいねえ。こう言うと失礼だけど才能あると思う。
※初心者がゼロから絵を始める話ではなく、中級者が上級者になれないか試行錯誤する話です
※練習は主に人体について
マイナージャンルに長い間いたのだが、唐突に別ジャンルにハマった。新しいジャンルで周りの人を見てみると、みんな絵が上手い。長年描いてきたしそこそこ描けると思っていたが、自分の絵がすごく下手に見えてきて恥ずかしくなってしまった。
※余談でもないですがここ10年くらいで絵の平均レベルがすごくあがった気がします。何冊も優秀な教本が出た、ネットでノウハウの共有がしやすくなった、SNSで自分の絵や他人の絵が数字となって見えるようになった、あたりが大きいのかなと思っています。
長年描き続けてそこそこ描ける人あるあるだと思うのだけど、絵の練習とか滅多にしていなかった。
10年ほど前に「やさしい人物画」を一通り模写してみたり、たまーにポーマニ(ポーズマニアックス)やヒトカク(人を描くのって楽しいね)やポーズ集を模写してみたり、話題の教本があると買ってみたり。もちろん買うだけで積ん読。
趣味のイラストやマンガはずっと描いていて、わずかながら年々上達はしていっているのですが、思うように描けないなという気持ちは常にあり、上手い人と自分の絵は何かが決定的に違うけどその違いがなんなのかはわからない。
骨格や筋肉が全然わかってないというコンプレックスがあり、ルーミスの骨格や筋肉のページの模写から始めた。ルーミス自体は以前一通り模写していることもあり、骨格や筋肉のページのみの模写。
その後買っただけで積んでいたこの本の存在を思い出し、一通り模写してみる。発売当初に良書だと言われているのを聞いて買ったけどたしかに良書。すごいわかりやすい。
全部模写したわけではないですが、「やさしい美術解剖図」「アーティストのための美術解剖学」あたりをメインに参照してました。
練習方法に行き詰まった感もあり、自分の絵のいいところ悪いところ、上手い絵とは何なのか、どうやって練習していくべきかを1日考える。これはわりと意味はあった。
作画量がまだ根本的に足りてない、手癖や思い込みで描いている部分が修正できていない、練習したことが自分の絵に落とし込めていないなどを自覚する。
人体を丸暗記するつもりでマール社の「新ポーズカタログ 男性の基本ポーズ」を1冊模写。
ポーズ集を模写したことで自分の美術解剖学の知識の身についてなさも自覚し、「スカルプターのための美術解剖学」を2回目の1冊模写。
「メール・ヌード・コレクション」(この本男性ポーズ集としては珍しく局部が丸出しです)と「ハイパーアングルポーズ集vol2」の2冊を模写。ポーズ集の模写は楽しい。
男性のポーズ集ばかり模写していますが、女性の身体より男性の身体を描くことに対しての苦手意識が強いためです。
ネットでハウツーを調べていたらこの本の評判が大変よかったので購入してみた。「この本を模写するのは楽しい」みたいなことを言っている人もいたため、どれどれどんなもんだと模写を始めてみたけど楽しくないししっくりこない。なんで…となったけど心当たりが一つあって、これまでクロッキー帳にシャーペンで描いていたのを鉛筆に替えてみたらこれが大正解。鉛筆とシャーペンって全然違うんだなと気づきました。これ以降は鉛筆で練習してる。
それでモルフォですが、たしかにめっちゃいい本ですね。美術解剖学は勉強したけど人体の作画にうまく結び付けられない、そんな人向けか。お手本の絵の鉛筆の線も大変気持ちよく、いろいろな気づきも得て楽しく1冊模写。
アニメ私塾の人の動画を見たりしてたこともあり、手にとって見てみて良さそうだったら買ってもいいなと思ってたら予想外に近所の本屋で売ってた。アニメでの作画技術、ということで動きやレイアウトにもフォーカスされているのが良い。模写だけでなく、本を参考に自分で描く練習に活かすべきだな…と思いつつ次の本が控えていたため読みながらサクッと1周模写。
モルフォ人体デッサンが大変良かったのでミニシリーズも購入。3〜8月は絵の練習だけに時間を使えたのですが、9月に入ってからそれが難しくなったので、この本を1日に1見開き模写することを最低限の目標としました。とりあえず1冊目の「箱と円筒で描く」は完走(この本も良い!)。今は2冊目の「骨から描く」を進めています。
モルフォはほんと良い本なので何周もしたいと思ってますが、またポーズ集模写もしたいしまだ先の話だな。
自分の絵を客観的に見ることも難しいのですが、半年やったこともあり、さすがに少しは上達したかな…と思いたいです。
人体のパーツパーツに対する理解はかなり深まったなと感じます。
何よりやはりこういうのは継続していくしかないなということを強く実感したため、今後も練習を続けていこうと決意しました。
ちなみに練習を始めた当初は「3日ぐらいで劇的に上達しないかな〜」とか甘ったれたことを思っていました。そんなうまい話はない。
〜〜〜〜〜以下その他の話〜〜〜〜〜
Twitterで絵の練習が主体のアカウントをやっている人たちがたくさんいます。私はいろいろ考えた結果練習用アカウントは作成しませんでしたが、向いてる人には良いかと。
ただモチベーション維持用に非公開リストで練習アカウントの人を眺めてました。
あたりです。
イラストレーターのさいとうなおきさんの動画で話題になった練習法です。簡単に説明すると、お手本となる絵描きを決め、(1)その人の絵柄を真似てオリジナルで絵を描き、(2)描いた後はお手本と比較、(3)改善点を見つけたらそこを練習、そしたらまた(1)に戻って繰り返し、を3ヶ月続けるというものです。
これはやったら間違いなく上達するやつ。
ですが私はやっていません。理由はイラストレーター志望向けの練習法だな(まあ応用すれば漫画でもなんでも行ける方法ですが…)というのと、目標とする絵柄を決めかねているということ、私は人体作画のスキルをアップしたいというわりと明確な目標があったので、そちらを優先したためです。
カラーイラストをバキバキに鍛えたい、ってなったらやるかもしれんけど多分やらんな。
クロッキーよりじっくりと形を捉えることを優先したかったのでやっていません。がそろそろクロッキーにも手を付けたいなと思っていますがまだできていません。やろうと思ってはいる。
私は紙と鉛筆の方が集中しやすい、描いたものが物理的な量となって見えることがモチベにしやすいという理由でずっと紙で練習をしています。
iPadとかでやってる人も多いよ。私も練習によってはiPad使ってました。
集中力がないためタイマーをかけて練習していたのですが、1日の平均練習時間、3時間もあるか…5時間練習したら「今日はがんばった!」って感じです(これは練習時間のみで、趣味のイラストを描く時間は除いてます)。
ちょいちょいソシャゲやったりネット見たり本を読んだりと集中力を切らしながらやっていたので、残念ながらそんな長時間はできてません。
半年くらい趣味の話をするTwitterアカウントを運営して、FF比2.5くらいの状態でフォロワー数を4桁いくらまで伸ばして気づいた事である。
アルファツイッタラーのような方々には遠く及ばない車輪の再発明的な気づきだし、こんな煽り文句めいたタイトルには不釣り合いな内容かもしれないが、何かの役に立てばよいと思って記してみる。
第一に、散々いろいろなうさんくさいネットメディアで紹介されているとおり、バズる情報発信(私はTwitterで発信を行っているので以下はツイートと書く)には強い共感が必要である。
趣味の話の場合、それは「こんな面白い・興味深い情報があったなんてすごい!フォロワーにも知ってもらいたい」という感情から来ることが多い。
絵のツイートなら、例えばコスメやコーデのブランドや方法論などをキャラと一緒に詳説したり、美術解剖学の見地から正しい人体の描き方を紹介しているような奴だ。
こういうツイートの情報量は大体、「バカでも分かった気になる程度に知的」なレベルであることが多い。以下、どういうことかを説明する。
まず、専門的すぎる・マニアックすぎる知識は、そもそも「面白い・興味深い」と思ってもらえないことが多い。
ポルシェ911の70年式の内装が、他の年代のポルシェといかに違うかについてアツく語られても、大体は「わたしにはすごさが分からないが、なんだかすごそうだ」という所で止まる。
前提となる知識がないからだ。もちろん分かる人にはRTしてもらえるし、分からない人でも拡散してくれないことはないが、あまり伸びはよくない。
かといってあまりに当たり前・調べればすぐ出てくる知識は、当然ながら言われなくてもみんな知っているので、やはり拡散されない。
あるあるネタみたいなものや、意外と抜け落ちがちな基礎知識なら話は別かもしれないが、あるあるネタを延々ツイートして滑っている人を見るとわりと見ていていたたまれなくなる。
よって「面白い・興味深い」と思ってもらえるようなレベルの知的な情報というのは、多少ググった程度では出てこないが、多くの人に理解できないほど専門的でもないものが望ましい。
その情報自体は知らなかった・身についていなかったが、それを理解するための前提知識はある。なるべく多くの人にそう思ってもらえるような内容が、(個人的には)いちばん手軽にバズる。
このような要件を満たすのが、「バカでもわかったつもりになる程度に知的な情報」ということである。多くの人がアクセスできないものの、理解した気になるのはさして難しくない。そういう情報を探してきてポストすると、大体はいい感じに伸びる。
ひとつ重要なのは、「分かったつもりになればいいので、実際に理解させる必要はない」ということである。分かったつもりになるのは、共感するのと同じくらい嗜癖になる快感でもある。
「人体の正しい描き方!」みたいなツイートに「ふむふむ参考になるなあ〜」みたいな引用RTをしてる奴が、実際にその描き方を参考に練習したり創作している例はほとんどない。
めちゃくちゃマニアックな知識しか持ってない…みたいな人は、それをバカにでも分かったつもりになるよう平易に発信するといいかもしれない。見栄えするよう絵と解説に描き起こしてツイートすれば、大体「なんか理解できそうだぞ」みたいな印象になると思う。
JavaScript って生き物っぽいって思ったのがきっかけだった。
なんか菌?に遺伝子いれてたんぱく質を生産させるやつ? Function は菌の細胞膜で prototype は遺伝子で、だから prototype に全然関係ない違う生物の遺伝子を生きてる菌に入れちゃったり。そうすると全然ちがうたんぱく質が生産されたり。prototype にべべーっとコピーして追加するのなんてまさしくそれっぽい。
だってプロトタイプベースって、生き物しかいない世界じゃない?基本的に。インスタンスってのは生き物じゃない設計図があってそれにしたがって出来た生き物がインスタンスってイメージあんだけど。プロトタイプベースの世界にはそんな設計図も生き物じゃないものもないよね?なのにわざわざインスタンスっていうのに何か違和感?ご都合主義的なもの感じる。クラスは型で、インスタンスを実体だとかなんとかって氾濫してるせいかな。多分この辺の用語が JavaScript をわかりにくくさせてる気がする。
僕の感覚では、オブジェクトってのは生き物で、クラスベースってのは神が設計図に基づいて生き物を生産してる世界で、インスタンスベースってのは生き物が生き物を複製してる世界のイメージだ。多分、原始の生物はインスタンスベースみたいな世界で、海の中にうようよしてたんだろうな、とか。
オブジェクトじゃないものは、生き物じゃない死んでるたんぱく質や RNA の破片みたいな。それだけじゃなにもできないみたいな。それだけじゃ命がないから、生き物の殻に詰めるってのが JavaScript のコンストラクタのイメージ。
Perl の bless したらこれはもう命入ったよ生き物だからねっあとは勝手にしてねってのも、Python の名前空間さえあればなんとかなるよねってのも、JavaScript のハッシュさえあれば世界作れるよねってのも、みんなどこか似ている。ちゃんと OOP を理解できてるかは別としてもこの三つはわりとすぐやりたいことができた。昔 Java の本を買ってきて挫折したのにくらべたら、なぜかずっとわかりやすかった。(bless という命名はすごく洒落てる)
全然関係ないけど、Django の日本語リファレンスは何か萌える。ラクダ本の日本語訳はむかつくのに。
プログラミングを始めたばっかりの時は、なんだか難しい用語の意味を理解しないと OOP がわからないと思ってた。それは僕らの住んでる世界とは全然関係のないプログラミングの技術ってやつだと思ってた。
でも多分違う。
世界が動く仕組みさえあれば、あとは作り手に世界の成り立ちを抽象化する表現力さえあれば、世界は勝手に表現されていくし、動き出してく。たまたま僕らの世界はオブジェクトなもので溢れていて、プログラミング言語が進化すれば世界に似るのも当然だろう。いや逆か。プログラミング言語が世界に似てきたから、オブジェクトなんていう世界に似た概念が出てきたってことか。なんだか難しい用語ってのは、その表現の一部分の技術に名前をつけてるだけなんだな、と。例えば何とか歌唱法や何々画法とか何とかレトリックとかパースの取り方みたいなのと同じ。それは表現を理解する手助けにはなるけど、その意味を知る事がイコール表現力をあげることにはならないんだよね。これに気づくのに遠回りしすぎたなあ。
(知識を得るだけで、100% 還元される人もいるかもしれないけど、そんなのは一部の天才だけだと思う。殆どの凡人はそうはいかない。とはいえ、元の錬度が低ければ、コツをいくつか教わるだけでいきなりうまくいくこともある。ただ、それをまるまんま実力だと思うのは、どんな分野でも危険だ。恋愛テクニックやらを必死に読んでる連中が男女間の深い人間関係を上手くやれてるとはちょっと想像できない!)
プログラミングで表現力を上げるにはどうすればいいんだろう。きっと他と同じだろうな。いい表現を沢山味わって、世界をよく観察して、どう成り立ってるかどう動いてるか、私達はそれをどう認知しているのか、考えることかもしれない。漫画家を志す人が美術解剖学を学んだり、優れた画家が絵筆で世界を生々しく描写するように、優れたプログラマは世界のなりたちをプログラムに写し取ったり、世界の仕組みを作る事が出来るのだと思う。