はてなキーワード: 信頼関係とは
相手のマウントにも気がつかない方なんだけど、それをここで書くとコメントに被害妄想だろうとかいい人アピールとか書いてある。
マウントする人がいるってわかったのは、やたら人の話に『それって嫌味ですか?』と言う人が出てきたから。私は心の中で(嫌味ってなんだろう?考えた事もないし。どんな上手い言い方をすればこの人が癒されるんだろう?)とか考えているうちに、相手が勝手に『無言でいることは、マウントだったんだな』とか言われてた。
だから私はどうしようかと考えた。
相手が嫌味と言ったことは私は親切、もしくは普通のセリフだと思う。でも私と同じ言い方で嫌味を言った人がいるということでしょ?
まさか『嫌味じゃないです』『ごめんなさい』くらいじゃ納得しないと思うし、どんな言い方が相手は納得するんだろ?とまた考えたんだよ。
前には『嫌味っぽく話してごめんなさい』と心の底から反省して謝ったりしてた。だけど相手は『反省してないなら謝らなくていい』とか言ってくるようになるんだわ。
それで考えたのは『なんでそんな嫌味っぽいんですか?』と相手に返してみたんだ。正直、私は仕返ししてたつもりはなくて相手が話してた話し方を真似しただけだった。それがその人にとってわかりやすい話し方なのかと思ってたし、その逆の話し方は私にとって嫌味っぽかった(慇懃無礼だと思う)
もしくは『あなたもそう言う話し方してますよ』『あなただってやってるじゃない』とか。そうしたら、相手は何も言ってこなくなったわ。
人間って不思議で相手が小さい声だと、自分が大きな声で話しているとわからなくなるんだ。大きな声で話している相手には大きく、小さな声で話している相手には小さく話して初めて相手の脳にちょうどよく聴こえる。
そのことに色んな人と話している時に気がついた。私は生まれつき自分の声は低く聴こえて、周りの人も低くて小さくて聴こえづらい。そのことは言わなくても周りの人は気がついていると思ってた。だけど、周りの人と話すとキンキン声だと言われる。それを私は『なんであなたは私が嫌いなの?』と話すと、『別に嫌いじゃないよ』としか言ってくれない。それでどんどん話していくうちに、私以外の人は私の声や相手自身の声が高めに聞こえている事がわかったの。
人によって聞こえ方見え方が違うんだな、とその時初めて気がついたんだよね。私は相手がいちいち説明しないから自分の見え方や聞こえ方が、他の人も同じだと思ってた。
だからこそ、私は頭の中で想像できる事、相手と自分が同じだと思っている共通点は言語化できなかったんだよね。それを全部言うのは日本語的に自慢とか嫌味になると思ってたから。
他の人がマウントと感じられるのは正直、羨ましい。私は全くわからないから。確かに分かったらそれなりに苦痛もあるんだろうけど、怒ってる顔とか真剣に話している顔の違いもわかるってすごいじゃん。私にはまったくわからない。
『厳しめにお願いします』『口うるさくしてください』って。前は『なんでそんなに優しくないの?』って言ってたけど、口うるさくするのが優しさだと思っている私の言葉が、口うるさくしないのが優しさだと思っている人には伝わらないから。
あと話している相手も『嫌味ですか?』ではなく、『どうして怒った顔をしてるんですか?』とか『声が大きいです』と言われたら分かった。
なんとなくしかわからないけど、マウントをされるのはマウントをされたと思われたからってことかなと今はおもってる。全く嫌味のない話し方はないし、ほとんどの人は嫌味と悪口で話している。信頼関係や好感度で変わるだけなんだろうな。
僕は、精神障害を持ちながら、精神科の仕事に関わろうとしている人間だ。メンヘラがそんな仕事をするなとか、そもそも精神障害者は害悪だとか、逆にそういう人だから患者さんの気持ちを汲めるとか、いろいろな意見があるが、取り敢えずそういうのは一旦置いておくとして、僕が仕事に関わる時に心がけていることをここに書き記していこうと思う。後で読み返してまた気付きが得られるようにという目的も含めて。
一番注意していることは、患者さんの前では僕は医療職の一人であるということだ。僕がいくら手首が傷でズタズタで、パニック発作を抗不安薬OD気味に飲んでなんとか抑え、今にも道に飛び出してトラックに轢かれるか目の前にあるビルの屋上から飛び降りようかしそうな希死念慮とどん底の鬱がある身体を引きずって歩いているとしても、患者さんの前では僕は一人の医療職であって病者ではない。僕の具合が悪いからって医療の提供の質を下げることは許されない。僕の状態がどうであろうとその事実は変わらないのでそこは忘れてはならない。最近、抗不安薬を飲み足し飲み足し行っていて、自分のことで精いっぱいでこれを忘れそうになる。自戒。
注意していること2つ目、自分の苦しみと患者さんの苦しみが同義であると勘違いしないようにすること。患者さんが僕と同じ病気にかかっていたり僕と似たような逆境(虐待、いじめ、不登校、無職など)を体験していたりすると、安易に「あ~それわかります、つらいですよね」と共感してしまうことがある。いやもちろん患者さんの苦しみに共感的傾聴をすることはとても大事なのだが、安易な共感は危ない。なぜなら同じ病気の人が同じ苦しみを抱えているとは限らないし、似たような逆境体験だからといって全く同じ体験をしてきたわけではないからだ。僕の生い立ち、家族関係、友人関係、問題の背景、経過は患者さんのそれとは違う。患者さんの話をしっかり聞かないと、僕の体験を元にその人に介入してしまうなんてことになりかねない。簡単に共感できてしまう患者さんのケースこそ、自分との距離を意識的において扱わないといけないのかもしれない。
そして注意していること3つ目は、自分のことをよく理解しておくことだ。自分と患者さんとの境界が曖昧だとたいてい良くないことが起きる。まず、僕が患者さんの感情に引きずり込まれる。自殺未遂して入院してきた患者さんを診た時、ああ僕もああやって自殺したいなという思いが頭から離れなくなり、かなり調子を崩した。患者さんとの間には必要十分の距離をとらないといけないのだ。そして、自分のことをよく理解しておかないといけないのは、お互いの間に望ましくない感情が生起した時に最善の対処をできるようにする必要があるからという理由もある。患者さん→医療者に生じる感情としては、いつも優しい言葉をかけてくれる医療者を患者が好きになってしまったり、逆に患者さんが医療者にトラウマティックな人(虐待してきた親、DVしてきた恋人など)の像を投影して医療者を攻撃してしまったりというものがある。まあこれはよくあることなので医療者側も容易に気が付くし、やんわりと「恋人の関係にはなれないことになっているんです、ごめんなさい」と諭したり、時間を要するが医療者は敵ではないことを伝え続けたりできる。厄介なのが医療者→患者さんに生じる感情である。とある患者さんの言動が僕に不快感を与えるものだったりすると、たとえそれが精神疾患によるもの/生い立ちからどうしようもないこと等をわかっていつつも患者さんの言動が嫌いになってしまうことがある。しかもこの感情は自分ではなかなか気付きにくいときている。医療者側から「あなたのことは嫌いです」「あなたのやっていることは悪いことです」という姿勢が患者さんに伝わると、治療・信頼関係は崩落する。だからこの気持ちは自分でもしっかり気付いていないといけない。僕は患者さんと向き合うと同時に、自分自身とも向き合う必要があるのだ。
でも、精神疾患を持った精神科領域の医療者ってどうなんでしょうね。許されないことなんですかね。迷惑なんですかね。僕にはわかりません…
生理的現象としての精子だすのはTENGAでも足りるし、セックスだけならぶっちゃけお金出してサービスを受ければいいわけで、結局非モテ達がほしいのは愛と承認なのにそれをちゃんと欲しいと言うか行動で示さなきゃどうしようもないよね。人は相手に愛と信頼がなければ愛と承認なんて出てこないのでほしいと宣言したとて愛と信頼関係の構築のために心を砕き行動するしか無い。人間には無償の愛など存在しない母親ですら無償の愛じゃない。無償の愛に解脱できないなら、見返りを求めて愛を配り歩くしかない。女が男にも女にもそういう意味で警戒されにくいのは、ジェンダーロールとして子供の頃から訓練して身体に染み付いてる人が多いから。努力と辛抱の賜物の行動を軽んじて逆恨みするんじゃない。
まぁまぁ。
今の社会、非モテ男は絶対に少なからず一定数発生するから諦めなはれ。
元々、男は余るように出来ているのだ。
女は好きな男とのセックスじゃないと快感を感じないし、ぶっちゃけ、好きな男相手でも殆どの女は気を遣って演技しているのだ。
女が「気持ちよかった」と感じたら、それは肉体ではなく心の充足なのだ。
そんな「面倒」で「対して気持ち良くもない」「超超超リスクの高い」セックスを、女が男のようにしたがる訳はないのだ。むしろ忌避するものなのだ。
女が恋愛から離れたら、セックスする女の総数自体がぐっと減るのは当たり前なのだ。
恋愛から降りた女は、平穏な生活にわざわざ恋愛抜きのセックスのような超ド級のリスクを持ち込むようなアホな事はしないからだ。
恋愛がないなら、セックスも無いのが一般的な女の「当たり前」なのだ。
社会通念とか倫理とかではなく、単に冷静なリスクマネージメントの話なので、これで「女が性的に抑制されている」とか言い出す奴がもしいるなら、認知が歪んでいるのだ。
子供がいたのになぜみたいな話、皮肉だけど旦那がしっかりしてたからだろうなと思っちゃった
CMのインタビューで旦那が思春期になった長男と内緒話してて、みたいなこと言ってるの見たけど
それほど信頼関係がきちんと築かれているからこそ、「私がいなきゃダメ」にならない
「きちんとできない私がいない方がうまく回るのでは」という、よく考えれば有り得ない結論が
正解みたいに思えてしまったのかもしれない 何にせよ残された人らは本当につらいだろうな
なんとなく急に自分にはほんとの友どちとか居ないし、なんなら嫌われてる気がする時がある
周期的に来るこの感覚、過ぎ去るとなんだよ自分の勝手な思い込みじゃんって思うんだけど、そのゾーンの時は本当にそうとしか思えなくて悲しい
・いつも誘ったり連絡するのはだいたい自分からで相手から誘ってもらえない
・寂しくて自分から連絡した時、返事が遅いとものすごく不安になっちゃう
・誘ったのにスルーされると遠回しに断られてるんだなって思っちゃう
・だから自分の声かける頻度が多過ぎるのかな〜距離感ミスったかもってこわい
すごく人見知りで警戒心も強くて心開けないんだけど、一回この人は大丈夫かも!ってゲート通ると勝手に距離近く思っちゃうんだよな
自意識が強過ぎるのかな
うーん今までの趣味が1人観劇とか一人でコンサート見に行くとかで、コロナでできてないからかも
なんかこういう時恋人っていうかパートナーとかがいて、信頼関係っていうか繋がりを感じられたら安心するのかな?いやべつに彼氏はいらねぇわ
もう素直に寂しい!って言えばいいのかな〜
なんとなく急に自分にはほんとの友どちとか居ないし、なんなら嫌われてる気がする時がある
周期的に来るこの感覚、過ぎ去るとなんだよ自分の勝手な思い込みじゃんって思うんだけど、そのゾーンの時は本当にそうとしか思えなくて悲しい
・いつも誘ったり連絡するのはだいたい自分からで相手から誘ってもらえない
・寂しくて自分から連絡した時、返事が遅いとものすごく不安になっちゃう
・誘ったのにスルーされると遠回しに断られてるんだなって思っちゃう
・だから自分の声かける頻度が多過ぎるのかな〜距離感ミスったかもってこわい
すごく人見知りで警戒心も強くて心開けないんだけど、一回この人は大丈夫かも!ってゲート通ると勝手に距離近く思っちゃうんだよな
自意識が強過ぎるのかな
うーん今までの趣味が1人観劇とか一人でコンサート見に行くとかで、コロナでできてないからかも
なんかこういう時恋人っていうかパートナーとかがいて、信頼関係っていうか繋がりを感じられたら安心するのかな?いやべつに彼氏はいらねぇわ
もう素直に寂しい!って言えばいいのかな〜
※保護活動をされている方を否定する意図はありません。猫が飼えないことに対する愚痴です。
数年前から猫を飼いたいと思っていた。
とはいえ、大人になってから自分の責任で動物を飼ったことがないし、いろいろ調べごとが必要だったので、
猫の飼育本や保護団体のブログを読んだり、猫が生活する上での必需品などについて、ちょっとずつ調べた。
猫に限らないが、飼っている人が言うことにゃ、猫を飼ってしまうと生活が一変してしまうらしい。
言葉を使ったコミュニケーションが取れない動物と一緒に暮らすのだから、健康やちょっとした変化にも敏感にならなければ、快適に暮らしてもらえない。
そうなってしまうのは当然だろうな、と思ったし、もしかしたらペットを飼うのはとんでもないことなのかもしれないな、と思い始めた。
それでも、猫と一緒に暮らす夢は揺るがなかった。
それに、気軽に手を出していいことではないとはいえ、やる前から諦めるのはなんだか違うとおもった。
猫は、保護猫にしようと思っていた。
保護団体の活動をちょっとだけ知って、多くの団体はいつもキャパがいっぱいいっぱいで、里親を待っているのだということで、
そのなかの一匹を私が迎えれば新しい猫を保護してもらえるだろうと。
ただ、ネットでもいろいろな方が言及しているが、里親の条件というのは厳しい。
単身者不可、高齢者不可が多く、後は乳幼児がいる家庭や同棲・新婚の方はNGとか。
私もご多分に漏れず、一部クリアできない条件があったりして、そのたびにしょんぼりした。
里親募集の内容に書かれたその猫の性質や健康状態、そして写真を見ながら、うちで暮らしたらどんな感じだろう……
そんなふうに考えては、条件を見てその気持ちはしぼんでいく。その繰り返しだった。
コロナ禍であることも手伝って、あまり譲渡会に行くという気にもなれず、里親募集サイトを眺める日々が続いた。
たまに、条件をクリアしていて希望に合致する猫がいれば、おそるおそる手を挙げてみた。
待てども待てども返信がこないなんてこともあったし、
募集中に怪我をしたらしくいったん中止になってしまったこともある。
「そこまで考えてくださってうれしいです。今回は残念ですが、いいご縁に巡り合えますように」と言ってくださった方がいた。
「本当に室内で飼えますか? 猫初心者ということですから、脱走防止対策について調べてくださいね」と言い添えてくる方もいた。
「自宅に見学に来てもらいたいのですが、今は順番待ちになってます。後日連絡しますね」そう言って連絡が途絶えた方もいる。
このへんでちょっと疲れてきた。これは猫とのお見合いではなく、保護主さんとのお見合いなのだ、ということに気づいた。
保護猫カフェに行ってみて、気に入った子がいれば迎えたいと思ったこともある。
カフェに行ってすぐ「この子ください!」とも言えないので、2、3回通ってみた。
お店のスタッフさんに、「里親希望なんです」と打ち明けて、悩んでいた脱走防止の方法について相談したりした。
そのなかで、スタッフさんは、「今ここの店は子猫ばかりで……譲ってあげられるにはもう少しかかるんです」と仰っていて、
そうか、と納得し、どうしてもこの子がいいという子にも会えていなかったので、しばらくそのカフェに行くのをやめた。
それでもブログを覗いて、名前も顔も見知った子たちを見ながらかわいいなぁと思っていたのだが、
先日まだ譲渡できない、と言っていたのに「子猫の譲渡が決まりました!」というブログの記事を読んで、ため息が出た。
もちろん、常連さんで、猫を飼った経験がある、信頼関係のある方に子猫を譲ったに違いない。
でも、正直に「初心者に子猫は譲れない」とか言ってくれたら、文句があっても納得はできたのに。
なんだか、下手に保護主さんと縁を持ちたくないな、と、申し訳ないが思ってしまっている。
言い方は悪いが、お金のやりとりがある以上、後腐れがない気がする。感情を差しはさむ余地がより少なくなるというか……
無事に決まればいいなぁ……
私は、欲しいものが手に入らないからこうしてグチグチ言っているにすぎないのだけど、
同じ境遇の方がいたら元気づけられるかなと思い、また、自分の気持ちを吐き出すために書いた。
あまりスピリチュアルなものは信じていないけど、こうして私が猫を飼えないままでいるのは、
これから長い時間を共にする別の猫と会うためなのだ、と思わないとやってられない。
はやく猫と暮らしたい…………
自他の境界に詳しいのならば、他者の気持ちを動かす手順についても詳しいはずでしょう。傾聴、受容による信頼関係の構築なしに頭ごなしに正論をぶつけてどうするんですか。
いきなり豪速球のストレートを投げるのではなくキャッチボールから始めるのは大事かもしれない。でもあなたもそれできてます?
https://anond.hatelabo.jp/20200924185457
読みました。あなたの自他の分離、Iメッセージ、カウンセラーの役割などの記述から、メンタル系の専門職とお見受けします。私もメンタル系職のはしくれです。
心理を言語化する能力に長けているようですが、残念ながら、元増田があなたのメッセージをどう受け取るかまで想像が及んでないようです。
いきなりそれですか。煽りタイトルで元増田の注意を引こうとしたのかもしれませんが、それにしても悪手に過ぎます。
否定、攻撃の意思から始まる長文を、弱った元増田が読めると思っているんですか。ブコメで指摘されていた通り、元増田は読まないでしょう。読めないでしょう。無理やり読ませたとしたら…危機的状況に陥ります。自殺してもおかしくありません。
あなたがやったのは、まさにこの"それを言う"、しかも専門職による具体的かつ的確にヒットする長文で、です。
自他の境界に詳しいのならば、他者の気持ちを動かす手順についても詳しいはずでしょう。傾聴、受容による信頼関係の構築なしに頭ごなしに正論をぶつけてどうするんですか。元増田があなたの正論をすべて咀嚼できるようになるには、理想的な回復を遂げたとしても、まず年単位の時間がかかります。
生兵法は大怪我の元です。知識を深めるのはいいですが、運用を間違えているので説教します。
・本職であった場合
患者とのトラブルが頻発しています。なぜなら、エンターテイメントとして煽り気味に書いた文章だとしても、説教と配慮のバランスが悪すぎるからです。普段の職務で患者のダメージに気を使えるのならば、冒頭で「最後まで読んで」など絶対に書きません。私なら少なくとも「今のあなたには厳しい表現が並んでいます。覚悟を持って読み進めてください」と前置きします。患者の回復過程で患者がヒントを求めてきた場合のみ、チラ見せして回復を助けるやり方でなければいけません。
・本職ではなかった場合
本職ではないという視点は正直抜けていました。職務に支障をきたすため本職たりえないという点では、こちらのような気がします。この場合も深刻です。なぜなら、説教増田は心理の言語化に長けているという、強力な武器を手にしているのです。その武器は様々な文献が基礎になっています。受け売りの表現が複数認められるからです。それを手にしている人は、本職の中でも多くありません。私のものとは切れ味が段違いで、羨ましくさえ思いました。使い方を間違えなければ、治療の舵取りの大きな拠り所になるからです。本職でもなかなか手に入らない取扱注意な代物を、配慮に欠けた素人が手にしたとしたら。説教増田は、それを振り回したいという欲求があるだけに、想像したくありません。そして残念ながら、その武器は実践で磨かれている形跡がみられます。聞きかじっただけでは、あそこまで確信を持って無駄のない文章にできないと思います。
ヤリチンとか性欲が強い男ではない。
セックスをフュージョン化できるような、性に対して真摯な情熱を持った男性のことだ。
私は何人かの真摯な情熱を持った男性に、セックスとはどんなものかを教わった。
徹底的にのめり込め、愚昧な妄想を捨て、快楽になぶられろ、身を委ねよと根気よく指導してくれた。
もちろんプレイの一環としてインスタントなセックスも悪くないけど、どうもそればっかりの男が多く感じる。
てかパートナーは物じゃねンだわ。
師曰く「お前の舌はなぜある?指はなぜ動く?全身の関節も、筋肉も、毛の一本までそれはセックスのためにある」そうだ。
これは極論だけど間違ってはいないと思う。
脳イキも難しいことではない。感覚を反芻させればあとは惰性でイける。
視線から犯しあって、指先や舌先など先端に意識を集中してれば触ってるがわも快感を感じる。
どうもその辺の集中力に欠けるというか、挿入至上主義というか。
あとは射精までの道のりをあれこれ頑張るだけになる。挿入直前に最大の山場がある気がする。
その頂きを目指して、工夫と努力をするのが楽しいのに、どうも最近そこに対して別段何もしないひとが多い。
愛を囁くとかそういうのもアリだけど、それは一種のギミックに過ぎないし、なんだかんだもっと動物的なところ走らないと真の快楽には届かない。(派の人間なんだ、私は)
自称中イキ師とか育乳師とか、なんだかんだ自分の快楽と向き合ってないやつ多いよね。
日本では「経済を回す」ことが美徳とされているようだが、それはあくまで「経済を回すための金を持っている」人たちの間でのこと。
なぜって、「金がなくて経済の輪に入れない」人たちもこの世には存在しているのである。
たとえ金がなくても、その人たちはこの世で生きていかなくてはならない。
格差社会と言われて長らく経つが、いよいよ「金のある世界」と「金がない世界」に分離していくのではないか。
物々交換をしたり、信頼関係のある仲間同士で助け合ったり、「金」以外のものが経済となって社会を回していくのである。
一番悲惨なのは、金がないのに「金のある世界」で生きていかなくてはならない低収入層だろう。
さあて自分はどこで生きていくべきか。
ジムに行く人は褒められるよりダメ出しの方が成績良いっていうのな
それに痩せたい・体鍛えたいという人だと、自分をより良くしたいという気持ちがあるだろうから
そりゃダメなところはきちんと言ってもらいたいに決まってるでしょ
後半はダメ出し会社で実験していたけど、これも結局普段からの信頼関係があってからのダメ出しじゃん
相手が実力があって自分を一流にしようとしてくれているという下敷きがあってからのダメ出し&褒めるならそれも頑張ろうって思うよ
昔の話だけど、過去の上司は自分の気分によって対応が変わるタイプの人だった
機嫌が良かったらすぐに済むけど、悪いと本当にネチネチと追い詰めるように叱られた
この人にはこういう対応、他の気に入らない人には別の対応みたいに人によっても態度変えてた
セクハラもあったし、上司という立場で押し付けて反論させる気を奪うような怒り方だったな
何か言っても全部言い訳になるから全部はい私が悪かったですでやり過ごすことにしていた
信頼とかこの人の役に立てるようになろうとか考えれなかったし、いつも辞めたいと思ってたわ
まず、ホイホイ仕様変化させる先を信用できないのはあるし、業務条件の変更になるので契約ごとの一環としては後で揉める原因になりかねない。
会社対会社なら、よほど信頼関係がないと書面のやりとりがあると考えたほうがいい。
せめて「○日までには正式版の書類出すから、やってくれ」が当たり前では?
こっちも元出入りの商社が勝手にこちらの発注を捏造された経験有りだから、こういう発想を見ると、言った言わないで揉めた修羅場を経験したことなくて羨ましいなぁという感想。
「〇〇さんを採用させて頂きたくご連絡でした。」
神よ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!泣
親に頭下げて借りたお金も返せる
去年までは2ヵ月に一回は切ってた髪も
半年ぶりに切れる
税金の支払いの期日に怯えなくてすむ
ハローワークより:求人票は雇用契約書ではありません。採用時は必ず、書面により労働条件の明示を受けてください。
はっきり言わねば!労働条件通知書を寄越せ話はそれからだと!!!!
「採用のご連絡ありがとうございます。
こちらとしては慎重に検討したく、労働条件等を書面かメール等で確認したいのですがお願いできますでしょうか?」
「…条件とは?」
え
「今は経理担当も社長もおりませんので明日確認してまたご連絡します」
何年も経ってたら自分が入社した時に労働条件通知書貰ってることも忘れるよねうんうん
2年前くらい前にも人雇ってるけど忘れちゃうよねうんうん
お姉さん面接のときとだいぶ印象ちがうけどそういうこともあるよねうんうん
どんくらいちがうかというと真夏の京都と真冬の京都くらいちがう(盆地?)
えっえっえっ内定承諾前に書面で労働条件知りたいのって駄目だったかな
残業手当ての記載がないのは払うのが当然だからだよね?!だよね?!?!
これは諸々の疑問が解決しないタイプの労働条件通知書が送られてきて更に困る予感だわ
アワアワアワアワアワアワ
早く髪きりたい
着信!
この間23分!
23分間の後悔!
死んだ???
やっぱ内定承諾前に労働条件通知書寄越せはまずかったか〜〜〜???!!!!
そういえば今まで寄越せって言ったことないわ言う前にくれたからな!!!!
全部自分が悪いで片付けたい
人を見る目のない自分が悪い
でも今はただあらゆるものに優しくされたい
風よ雨よ陽の光よ
我を護りたまえ〜〜〜〜〜〜
ああああああああああああああああ!!!!
早く髪切りたいな〜
【何にも良い方に進んでないけど後日談】
やっぱりハロワの人には、信頼関係もない中いきなり書面で欲しいって言うのは会社的には心証悪いと思うよって言われて一理あるぅぅぅぅぅうううううYeah!としわしわのピカチュウみたいな顔になった
でも貴方がそういう面できちんとした会社がいいって言うのは普通だし当然だし考え方の不一致だねぇといろいろな考え方の会社があるから…と
労働条件通知書は内定承諾→雇用契約書にサインのときに提示っていう会社もいっぱいあるって
ハロワには採用の連絡をしたが労働条件面で他と比較したいと言われたため採用見送りと連絡があったそうな
※他と比較したいなんて言ってない
次おんなじ展開になったら書面で欲しいって言わない方がいいんですかね…って相談したらそれは貴方の考え方によるって言われしわしわのピカチュウみたいな顔になったピッピカチュウ
毒にも薬にもならんこと言われて
嘘です帰り道の時点で既に泣いてましたマスク万歳私を守ってくれてありがとう愛してる!!!!!!!!
皆さんに良いことが沢山起こりますように
前回はこちら
https://anond.hatelabo.jp/20200911202150
精神的に不健康な作品・コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。
迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブの世界に足を踏み入れるわけにもいかず。
その代わり、ブクマコメントで要望のあった、精神的に健康なコンテンツを取り上げてみようと思った。
各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。
久しぶりに読み返して、精神的に不健康な作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。
これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。
火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。
精神的に不健康な描写が数多くある。不老不死がテーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。
でも、読んでいるうちに何が何だかわからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。
前々回の記事で、『完全なる経営』から読み取ることができる、精神的に健康な人間の要件として以下の5つを挙げた。
・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる
・夢中になれる物がある
火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。
どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。
彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。
精神的に健康/不健康な作品を分かつものは、破壊と創造のバランスなのだと思う。精神的に不健康な作品やコンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康な作品というのは、最後に何かが創造される。
物語の過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。
精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。
人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。
プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。
大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。
今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかとラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだ。ラビリンが問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。
イザという時にケンカが裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。
ラテの仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか。
創作の世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。
(余談)
大人が児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画。児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか。
その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。
いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフがお気に入りのプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定のキャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャインの変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。
プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。
キャラデザは子ども向け。物語はシリアス。ファッションショー回にスタッフの愛を感じる。
本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。
男の子向け? 保守寄りの価値観をベースにしている。お笑い描写に定評がある。
★Go!プリンセスプリキュア(2015年)
誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル。
少女の友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。
フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。
主人公やヒロインは、病気や障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓病であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態で物語がスタートする。
ヒロインの障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。
この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。
外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。
笑美のルートがよかった。外国人から見たときの模範的な恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義・秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。
テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。
某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。
このシリーズは、各作品の制作時期によって印象がてんで異なる。
初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。
初期に投稿されたのは、邦子が子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘に突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品としか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的に面白いストーリーになる。
邦子が大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。
・視聴者のテンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画を研究している。
・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った
高橋邦子は大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。
精神的に若くないと、ああいう作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面のアイデアが湧いてこなくなる。
これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族の歴史が描かれる。
ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。
キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソードで表現している。
読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。
大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出してしまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。
一番のおススメは文章だ。一文字一文字が読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。
屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス、薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス、明け方のパンの匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73
ホセ・アルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段を上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらにひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂のテーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセに算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラがパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。
「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143
モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺は自然死と変わらないんだから」。 P.172
現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説はマジックリアリズムの極致にある。
時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。
イラスト形式で人生に役立つ知恵を提供している。あなたも動画を見たことがあるかもしれない。
このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。
初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。
だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。
そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式で日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。
フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。
他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタが豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプルな意味で「精神的に不健康」である。
一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。
一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラが存在している。そんな、不幸になった人物をラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。
精神的に健康な人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。
フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。
恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラが恋愛に挑んで失敗した男性に辛辣なセリフを吐いたりしていた。
今では、そういった描写は少ない。むしろ、恋愛に挑む若者を応援するような作品を作るようになっている。
青年向け漫画で活躍している。性別非公表。一般的なエロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。
男女別の作品を好む傾向として、「男性はシチュエーションに萌え、女性は人間同士の関係性に萌える」というのがある。
このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報がさりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。
では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略
はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的な男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。
肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたりの関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。
男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。
スミヤの作品は純愛が多い。ふたりの愛情を描いたうえで行為を表現する。最初に愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。
それらに触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性からも女性からもウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。
よってここで吐き出させてほしい。
コロナの影響で自粛が推奨され、家で過ごすことの増えた母が、Youtubeに嵌ってしまった。
しかも、Youtuberがまことしやかに陰謀論・極論を語る動画を、毎日長時間漁るように見続けている。
5月頃はまだ、コロナに関連してWHOが~中国が~というレベルではあったが、ここ数か月は「ビル・ゲ〇ツがワクチンにマイクロマシンを入れて、裕福層以外の人口を減らそうとしている!」などの、突っ込み所の多すぎる陰謀論を固く信じてしまうようになってしまった。
なぜそこまで確固として信じてしまったのかというと、例えばAというYoutuberがある切り口で陰謀論を展開する、そして別のBというYoutuberが、Aとは別の切り口で陰謀論を展開する。
このAとBの結論が同じ、または関連・類似していると、「この陰謀論は真実だ!」という結論を容易に導き出してしまうからだ。
また知識欲も刺激されているのだろう。
今まで表面的にしか知らなかった「ケネディ暗殺」「秘密結社」などなど、女性にとっては名前くらいしか知らぬ謎が、陰謀論により全景を明らかにされる(ように見える)のが楽しいようだ。
加えて、本人の素因もあるが、今までの家族関係にも起因しているだろう。
今まで父は、自分のやりたいこと以外の家庭のことを、母に任せすぎていた。
なにかを相談しても「~~すればいいじゃん」と、相談の背景も、求める対応や答えも汲まず、日々スポーツクラブや趣味通いに明け暮れていた。
そんな父に対し、母が信頼を失い孤独を感じていたのは明らかだった。
その流れで自粛。
外との関係は絶たれ、子は巣立ち、父は関心事以外には短絡的反応に終始。
ふとYoutubeを見ると、父とは違い、物事を一つ一つわかりやすく雄弁に話す男性。
逆に「極論だけど…」と明言を避けつつ、視聴者を一つの結論に徐々に導いていく、一見思慮深い男性。
母がそういった人達の話を魅力的に感じてしまうのは仕方ないだろう。
しかし、内容に関してはあまりにトンデモすぎる上に、家の外でも、家人に以外でも、陰謀論に触れ力説してしまうので、私はつい反論し、あまりの馬鹿さ加減に怒ってしまう。
上のワクチンを例にすると、何故かオーバーテクノロジーなマシンが秘密裏に何十億と大量生産され、何故か誰にも見つからず指摘されずワクチンにラブ注入され、邪魔者は消されるはずなのに、何故かどのYoutuberもピンピンギラギラ今日も素敵に陰謀論を暴いちゃうぞ☆、そんなご都合主義ファンタジー極まれり。
でも実際、その陰謀を実現させることは、とんでもなく困難だと容易に想像つく。
世の中はそう単純ではないことを一つ一つ反論しても、母は「でも!」と、反論を別の陰謀論で被せてくる。
過去に1をやった組織なら1000もやる!ついでにあれもこれもやるに違いない!と、全てが針小棒大、妄想のスパイスをトッピング。
あれ…これどこかで見た流れ。
カルト宗教でもそうだが、母は自分が皆の知らぬ知識や真実をたくさん得ており、自分が誰かにそれを伝えなければ相手を救えない!という旨の発言をする。
きっと私のことも家族のことも、何も知らずに悪の結社に騙されている可哀そうな人と思っていることだろう。
長年連れ添った家族の話よりYoutuberの話の方を固く信じ、家族より世界を憂いている現状に、悲しさしかない。
そんな母への対応に、正直どうしたら良いのか悩んでいる。
一番の悪手は反論だろう、それはわかっている。
例えば病気や痴呆などで人格や考え方が変わってしまった場合、時間はかかるが仕方ないと思えるだろう。
実際、以前母に薬の影響で一時的に強い痴呆様症状が出たことがあった。
その時の私はかなりショックを受けたが、すぐ仕方ないと気持ちが切り替えられた。
けれども今回、陰謀論以外は正常な状態なので、私が陰謀論についておかしいと説得し母がそれに気づくことで、陰謀論から離れられるのではないかとズルズル期待してしまう。
2.周りの人が母とは違う考えであることを母が感じてほしいから
YoutubeやTwitterなどでは、同じ陰謀論を信じる者たちが集まっており、周りが賛同者だらけのように感じてしまうが、現実はそうではない。
どんなに母が力説しようと、家族は賛同しないし、母の友人は言葉を濁している。
人間関係において、自分の意見が周囲の大多数の人間と大きく異なった時、「あれ?もしかして自分の意見はおかしいのかな?」と気づき是正することを繰り返していたと思う。
母に於いても、同じ状況を体験することで、現実とネットとの反応の乖離に疑問を持つきっかけになればと思ってしまう。
まあこれは望み薄な気がするが。
恐らく、この話を読んでいて「ごちゃごちゃうるせーな、適当にスルーすりゃいいだろが」と感じた方は少なくないと思う。
しかし私見だが、今の母を作ったのが、上にも書いたように父の「~~すればいいじゃん」という短絡的な問題解決法や先送りスルーが一つの原因となっており、根深い問題と感じている。
少なくとも、突き放したり適当にあしらうことは、孤独を強めてしまいそうで、肯定やスルーをしたくない気持ちがある。
また、私にはアレルギー体質の子があり、ワクチンの副反応に戦々恐々としながら予防接種をすすめている。
できるならしたくないが、子のためでも社会のためでもあるので、毎回祈りながらの予防接種だ。
そういった事情を踏まえてなお、母は「マイクロマシンが入っているからワクチンはしない方がいいわよ」と言ってのける。
上はごく一例なのだが、もうデリケートな話題でもなんでもお構いなしに、自分の陰謀論をもとに他人の行動を変えようと試みてくる。
そういった行動を繰り返しているので母の友人関係や信頼関係を壊す可能性が高い。
更に、盲信の矛先が変わってカルトや高額な詐欺などに合う危険性も考えられる。
そのような警告をすると「私はきちんと情報を取捨選択しているから」と自信満々。
今の母を見ていると、母と似た性格傾向を持つ自分もいつか、子が巣立ち、孤独になった時、同じような状況になってしまうのでは、という不安が募る。
過去の、自分の見える事が全てに思えたような、狭い世界にいた中二病の自分も彷彿とさせる。
↑↑以上のような内容をグダグダと書き連ねていたのだが、肉親の悪口を長々と書いている自分に嫌気が差し、ブーメランな部分もあり、恥ずかしく途中で筆を置いてしまっていた。
後日、考えられる解決策や家族の対応とかを書き足して、増田で良い対応は無いかと伺おうかと思っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0adbd66b8fd3fffa0472e6fc18dd08dd0f32c5d
???と思い尋ねると、どうも母を含むQアノンの活動のおかげで、コロナワクチンによるマイクロマシンの拡散を一歩止められた!やっぱり私の言う事は正しいのよ!という意味らしい。
ウンソウダネ、トテモスバラシイコトダネ、ワタシモウレシイヨ。
もう私はあきらめた。
相談を聞くと言っても、他人に聞いてもらって解決する悩みなんてないですからね。アドバイスされたって、道を示されたって結局それをやるかやらないか判断する、最終的に思考して想像して決定するのは個人です。本人がダメなら駄目のままです。でも他人にそこまで迷惑をかけなければ、ダメというのもそんなに悪いものではないです。
共感を得たいという体や、救って欲しいという体で自分の状況を感傷的に吐露されると引きますね。とりあえず己の同情心に最低限嘘をつかない範囲でやり過ごします。ただヒロイックであったりセンチメンタルであったりしたいだけの人はそれで満足して、こちらが距離をとれば、その分引いてくれます。このタイプの人々は事態の解決よりも心象的フィーバーを求めているように映ります。本人の本当の望みは知る由もないですが。こういうタイプの人達の事は、私はちょっとよくわからんなあと思いますが、割とそういう人は多いです。相手への信用というより、自分の自己顕示欲をどのように地味にコスパよく放出するかということに本能的に長けているのかなと思うこともあります。
もっと冷静な目線で、自分以外の人間が自分のような状態になったらどのようにふるまうだろう?というサンプリングを行い、いわゆる事態解決の閃きを得るために他人に己を開示する人もいますね。こういう人は問題解決をしたい!という自分の意志がすでに決定しているのでもう少し楽にこちらの意見を述べることが出来ます。聞き入れられなくても判断の責任ははじめから相手にあるので。こういう人は己の一番繊細な部分が痛まない開示の仕方を体得していることが多いです。
他人との信頼関係についてある種現実離れしたぐらいロマンチストであるように読める部分もありますが、絶対的永続的信頼を結べる関係など世の中には無いです。長い付き合いになる人間同士というのは、お互いに合意にある状態が意見のすり合わせの上で一瞬だけ現れるのを、何回も何回も繰り返しているだけで、どちらかが他の何かに目移りしたり違う考え方を取り入れたり相手が健康状態を損なったりすればどんなに長い付き合いでも一瞬で即崩れます。打算的といえば打算的なものかもしれません。でもそれはそんなに悪いことではないです。
悩みが溜まっていてそれを解決するすべがわからないというのは、あなたが本当はべったりできる相手、つまり自分にだけ都合のいい自分のような存在がこの世にいて欲しいというというたぐいの実現不可能な心象問題ではない、現実的な問題を抱えているのでしたら、単に自分の他のサンプルを集める術を持っていないという知識不足と行動不足だと思うので、問題解決のために必要なための知識を漁るところから始めてみるのが良いと思います。それこそ他人に相談しなくても、似たような凡例の解決例はネットで検索すればゴロゴロ出てくる時代です。ある意味有難いですね。