はてなキーワード: 体感とは
ご時世であったり、流行であったり、詫びであったりが重なって、夫婦そろって半年リングフィットを続けた。最初は続けるのがつらかったのが、今となっては日課である。
お互いに、骨格がわかる箇所がでてきたり、筋肉、というか、内側から張りがでてきたりしてきて、目に見える成果があると、もはやゲームではないような気もする。
で。セックスがすっごくよくなったんですよね。これはもうすっごく。
あとで疲れなくなった。贅肉が薄くなったので、より密着している実感がある。なんなら私の愚息は長くなったような気がする。さすがにここに筋肉はつかない。以前は、お互い体に張りがないと自覚があり、隠したい気持ちがあり、また、肌が触れ合うのもちょっと気持ち悪かった。リングフィットをちょっと重くすると汗をかくのが通常営業になるので、この不快感が消えた。汗はかくもんだ!
お互いの体を見たいし、見せたいし、自分の体も見たい。触りたい。実に原始的な欲望だと思うが、コミュニケーション以上に、触れ合うのが体感の気持ちよさだけではなく、精神的な充足すら与えてくる。
こうなると、リングフィットを続け、ターザンでも読み、自分の体をどうしたいか、どう見せたいか、どのように動かせるようにしたいか、と欲が出てくる。その中にセックスが隠されている。
2001年の2月、ジャニーズ好きの友人に見せてもらったビデオ(ザ少年倶楽部)で嵐を知ってハマった。
ジャニーズのJの字も知らない、「キンキどっちが好き?」って聞かれて「魚?」って答えるくらい無知だった。
そこから少ない小遣いやり繰りしてCDやアイドル誌買ったり、頑張ってバイトしてファンクラブ入ってライブ行って楽しんでた。
同級生に好きな芸能人を聞かれて「嵐」って答えると大抵「嵐って何?」「あ、なんかジャニーズにそういうグループいた気がする」
アイドル誌持ってって見せると大概センターにいたメンバーを指さして「この人がリーダー?」って言われてた。それは松潤です。
流行りもの好き女子中高生の知名度がクソの頃からの嵐ファン。アリーナの後ろの座席が埋まらない頃から嵐ファン。
真夜中の嵐でファンの自宅に夜中忍び込んでた頃からの嵐ファン(番組に鍵を送るファンもどうかと思うけど、実際行かせる企画作るスタッフもどうなの)
Cの嵐!でリーダーがクレーマーに土下座してた頃からの嵐ファン。Dの嵐!のコーナーAの嵐!(実験コーナー)で生ゴミ揚げて食べてた頃からの嵐ファン。
犬の着ぐるみ来て2時間番組(好評?だったのか単発かと思いきや2回目もあった)(犬の着ぐるみでライブもしてた)
白Tシャツにハサミ入れて両乳首こんにちは。ストッキング被って木彫り呼ばわり。楽屋に合宿みたいに布団引いてイタリアの大砲ってカメラに向けて尻を付き出す。
アングラ寄りの体当たりアイドルグループ嵐。当時、嵐にはいっぱい楽しませていただきました。
通達が来て「今まで使っていた会員番号(6ケタ)の前に、今後は00を付けてください(8ケタ)」の時点で「おや?」となった。
やっと行けたと思ったら会場の規模はドームになっててペラい衣装は派手になっててセットの豪華さがヤバかった。
テレビで目にする機会が増え、いろんなファンが増えたなって体感した。自分の周囲も嵐を認識しだして、何回かライブDVDを貸したこともある。
ネット上で見掛けるファンには今までの熱心な層に加え、ライト層、アンチ層が増えた感じ。アンチは人気の証拠みたいなもんだから構わなかった。
でも、熱心を超えた盲目的なファンは正直、気持ち悪かった。あと、タレントや芸人に無闇に持ち上げられすぎているのが気持ち悪い。
どんな言動しても奇声を上げるように褒め称えるのみ。彼らは可愛い赤ちゃんや幼児じゃないんだよ。
そういう立ち位置になったんだな、というのは理解しているけど、多分自分の中でアングラ寄りだった頃の感覚が抜けていないせいか、違和感が物凄い。
完全に自分の問題だと思うけど、気持ち悪い。嵐を見ると漏れなくそれらが付いてくるから、いつからか距離を取るようになっていた。
嵐メンバーのみで見ると、交わしてる会話とかコメントとかでアングラ寄り時代の残り香を感じるし、かといって昔のまま変わらずいて欲しいとかもなく、
SNS解禁とか新しい事に取り組んでるのも頑張ってほしいって思うから、嫌いになったわけじゃ無いとは思う。
ただ積極的に見に行くことは減った。見に行くと、漏れなく気持ち悪いが付いてくるから。
今の自分はたぶん嵐ファンなんだけど。ちょっと自信なくなってきたな。
コロナで色々制限掛かってしまったけれど嵐にはグループ休止までやりたいことやって駆け抜けてほしいし、個々での活動になっても応援したい。
ごめん、これは私の書き方が悪くて、この方は子ども大好きで大勢産んでるのが分かるというか、外見こそ着飾ってないけど、不潔な身なりというわけではなく、普通のおばちゃん!って感じの、中身はとても素敵なママさんなんだ。旦那さんもたまに園の行事でお見かけするけど、多産DVっぽい匂いは今のところしないな。ただ、どこからその財源が?っていうゲスの勘ぐりをしてしまう私の心が嫌だーという話の例として出してしまった。心配してくれてありがとう。
まともな教育、のハードルが昔と比べてグッと上がってる体感はある。今やみんな塾通いは当たり前で、習い事も複数かけもち、大学まで行くのも当たり前の中、日本の景気は下がり調子で、今後も増税の可能性を含みながらデフレだけが進んでいく…旦那も、そういうことを心配しているんだと思う。
私は実家は貧乏だったけど田舎の多子家庭育ちでみんな仲も良かったし、ある程度なりふり構わずみたいな育ち方も経験してるんだけど、旦那は割と裕福な家庭の出で、中学生頃まではそこそこ優雅な生活をしてたのも、子ども一人にかけるお金の価値観の差に繋がってるかもしれない。
結論は夫婦が我が子をどう育てたいかに尽きると思うんだけど、その話し合いすら何故か拒まれてしまうのが途方もなく悲しいんだよね。私が産後に第二子の話題を出しすぎたのかもしれない…話し合いって難しい…。
とかいうの真に受けて200円とか300円するやつ買ってみたけど、いいのは一つだけだった。
それも体感的には300円はちょっと高くて、270円ぐらいな感じのやつね
そんなの買わなくても自分で玉ねぎとかきのこ焼いたりシャンタンとかごま油とか酢とかを適量まぜまぜして、サバ缶とか突っ込んで軽く炒めたやつのほうが美味しいし、安い
面倒だと?ごもっとも、なら160円くらいの冷凍パスタで同じくらい美味しいやつあるから、そっち買ったほうが断然いい。
冷凍パスタ使わないのは冷凍とレンジが無い、みたいな特殊な人だけ。冷凍パスタのほうが手間がかからない上、同じくらい美味しい。それなのに300円ソースは自分で麺を茹でないと行けない上に、+140円なので正直きつい
たしかに味は複雑だし、自分で作ること考えたら300円では無理だけど、ちょっと世界が変わるほど感激したとか言う人は、世界に対する感度が高すぎるか、よほどまずいパスタしか食べてないっぽい気がする。
まぁここまで酷評したけど、300円パスタソースは、レトルトのパスタソースの中では群を抜いてうまい。
でも、冷凍パスタは麺茹でる必要もなくて同じくらい美味しくて、140円安い。絶対に勝てるとは思えない。
パスタソースだけを見ているからこういう変な感想になる。パスタソースが競ってる相手は冷凍パスタであること
視野が狭まっていて周りが見えていないと言わざるを得ない
30歳すぎてから、tinderとかで歳下とマッチする確率が格段に上がった。
ちょい年上ぐらいの遊べる男性欲しさにやってたけど、興味本位で下限年齢下げたらまぁボコボコマッチする。
金目当てかと思ったらそうでもない。
社会人の子は割り勘か向こうが多めに出してくれることがほとんどで、学生しか奢る機会はない。
みんな口を揃えて「年上の方が好き。楽だもん」だとか言う。
こんなに楽を求めて年上欲する男子って自分の年代はそこまでいなかった気がする。
そりゃ年上BBAのが楽だよ。わがまま言わないし、セックスだってリードしてくれるし、たっぷり甘えさせてくれる。
食事も割り勘でいいし、30過ぎた独身女って都心部に住んでるから繁華街で飲んだらお泊まりもできるしね。
でもさー、それでいいのかなって思ってしまう。
自分も20代前半の時分は30−40代の男性とばかり遊んでたから楽なのはわかるけど、楽し過ぎちゃうよ。
昔はオタクも「俺の嫁」って言ってたのに今は「オギャりたい」っていうしね。
同年代の知り合いに、年上とか人妻経てきた男いるけど、まあまあ拗らせてる感じはある。
こだわり強くて性根がわがままだ。
かくいう自分もそんな感じだ(だから結婚向いてないと思ってやめた)
やっぱり成長できる期間に楽しまくるとあとあと大変なんじゃないかなあ。
でも男子たるもの、男なんだから、みたいなジェンダー過激論に晒され続けるのに疲れちゃったのかな?
それはそれで可哀想な気もする。
SNSとかアプリとかで昔よりずっと年上世代とつながるの楽になってる。
なんか色々言ったけど、私自身若い男子を甘やかすのが楽しくてしょうがないのもある。
上述の年上好き男性にも「20代のころ今のあなたに会いたかった」って言われた。
若い頃あまり感じなかったけど、男のひとってめちゃくちゃ赤ちゃんぽいところあるんだよなあ。
体感だけど、7割ぐらいの男子はびっくりするぐらいバブバブする。
最近、気になることがあった。
同窓会で久しぶりに中学の同級生と再開したときに「お前相変わらず変な関西弁やな」と言われたのである。
ただ母親が関東出身のせいか、家庭では父親も含めて明らかに関西弁ではないイントネーション+語彙で会話が行われる。
もちろん家庭外で私の語彙は当たり前のように関西弁に染まった。
そんな自分の言葉に違和感を覚え始めたのは大学生に入ったとき。
私の大学は関西にありながら全国から人が集まっていた。なのでもちろん関西弁以外の方言で話す人が多々いるわけだが、そこで自分と同じ"ような"イントネーションで話す人はみな関西弁ではないのである。
入学以前はそんなことを一切気にしてなかったが、
ここらへんから自分の話す言葉はいわゆる「エセ関西弁」なのではないかという疑惑が自分の頭をよぎるようになっていった。
そして同窓会での一件がこの少しあとにあり、私の疑念は確信へと変わっていった。
一応、話そうと思えばいわゆる関西弁のイントネーション+関西弁の語彙で話すこともできるのである。
しかしそれは何か別の言語を喋っている感覚で、明らかに自分の母語ではない。
かといって自分の言葉が母親の出身の方言なのかといえば、語彙がある程度関西弁に支配されてしまっているのでそういうわけでもない。
母親はといえば近所の友達と話しているのを聞くとやはりエセ関西弁語彙+関東方言のイントネーションである。
である。
よく怒ると地元の方言がでるみたいなキャラクターいるが私はその方言が出る/出ないという感覚があまりわからない。なぜなら自分の話す言葉が何なのか自分でもよくわからないから。
こんな人、他にもいるのでしょうか?
元音ゲーマーだけど言いたいことは分かるような分からないような…AIが作る云々は、そうなるか?って感じ。
今もあるBEMANIみたいな典型的な音ゲーのサイクルを同じようにずっと続けて行くとなると、徐々に音ゲープレイヤーの人口が減っていく。
これ真面目に同じサイクルこなしてれば減りはしない気がするけど。
個人的体感としては、新作が出る毎に降ってくるオブジェの数と密が上がっていくばっかりで、お前これほんとにやってて楽しいのか?としか思えなくなった。
まあ、やってて楽しい人達は本当にそれが楽しいからやってるんだろうけど、年々これが主流ですみたいに言われてる感じが強くなって冷めた。
消えるというか、アーケードの超難度を前提にした電子音楽みたいな一部のトラックは音楽ジャンル的な流行り廃りがあるかもしれん。だが音楽は人類がずっと親しんできた普遍的な娯楽であり、感情を揺さぶるものであり、それをアクションと結びつけて体感的な遊戯へと昇華させるという設計は不朽と言っていいだろう。つまり音楽という長い文化とビデオゲームという文化が結びついたが最後、ビデオゲーム文化自体が消滅しない限りはもっともしぶとく残るゲームジャンルの一つが音ゲーであると推測できる。将来ゲームシステムの変遷はあるだろうが、音楽つまり音やリズムに主眼を置いた遊戯である時点で非常に強力な普遍性を帯びているように思えてならない。
そして機械的に完全なプレイができることは、人間がプレイしたときの楽しさとは関係がない。音ゲーの楽しさは、完璧にプレイする機械の存在により毀損される類のものではない。逆に言えば、マクロによる自動操作プログラムを作る技量がある者でも、(ソシャゲ風の周回プレイを強いられる音ゲーでない限り)自動操作しようとは思わないし、他者も自動操作を羨んだりはしないわけだ。自分で操作すること自体に楽しみの本質があるから。
音ゲーの楽しさはいくつかの要因によって成る。無意識的に行われるパターン認識、周辺視やリズム感によってあたりをつけてて「こう弾けばいいだろう」と推測したパターンがぴったり合った時の快感(初見時に多い)。脳の処理に運指が追いつくようになり、難所を抜けられるようになった時の、いわゆる「逆上がりできた」のようなスポーツ的達成感。繰り返しプレイすることで「身体が覚える」感覚と、それに伴って精度が向上しスコアに反映されていく喜び、それがフルコンボやオールパーフェクト等のトロフィーとして残る快感。そして最終的には、最初から最後まで失敗にめげず、あるいはノーミスで来ていることに怯まずにプレイしきる精神鍛錬の要素が入ってくる。
そういった上達の過程を楽しむことが音ゲーの遊びとしての本質なのだ。その性質上、下手な人の方が得られる快感の総量が大きく、ある程度音ゲー全般で通用するスキルを得てしまった人に対しては高難度にしていくしか快感領域の伸び代を確保する術がない。そうなると、ノーツを詰め込めるタイプの楽曲は似た傾向になりがちだというのは確かにあり、問題視するのも分からなくないが、あくまでゲームなので、楽しいと思える範囲まで遊べばいいだけだと個人的には思う。それ以外に一点憂慮するとすれば、音ゲーというのは前述のように非常にパラレルで複合的なリアルタイム認知を数分間に渡り集中的に必要とするため、脳にそれを苦手とする性質がある人にとっては非常に取り組みにくくて楽しさを感じる領域に至りづらい問題があるかもしれない。音ゲーは数あるゲームジャンルの中でもスポーツ寄りだ。競争要素が乏しいのでe-スポーツ分野には入らないだろうが、運動神経を含めた感覚的な操作が求められる点で、人を選ぶ部分があり、特定タイトルの人気や流行にあてられて致命的に向いてない人がプレイをし続けることになると怨嗟を生みかねない部分もあるかもしれない。とはいえ、どのゲームジャンルにおいても向き不向きはあるもので、ゲーム自体の問題というよりは個人の取捨選択スキルの問題だろう。
もう一つ、音ゲーと同じような特徴をもつゲームジャンルがある。それはレースゲームだ。他プレイヤーやNPCの車による物理干渉という不確定要素を排するならば、レースゲームというのは非常に音ゲーに似た「機械的に最善がトレース可能な遊戯」だ。最適なライン取り、アクセルワークというのは厳に存在する。リアルなゲームだと路面状況の変化やタイヤの摩耗などの要因もあるとはいえ、最速のAIは容易に作れてしまう。音ゲーと違う部分は、常に一定でプレイ結果と無干渉に進行していく譜面に対して、レースはコース自体は不変ながらも進入時のブレーキング地点・進入角・速度の僅かなズレが後々のライン補正すなわちリカバリー操作に大きな差異を生む点だ。ただし、それらを寸分違わず毎回再現できるならばプレイ結果は同じになる。
そうした差異はあるとは言え、大雑把に言えば音ゲー同様にパターン認識によってあたりをつけてプレイし、反復してプレイすることで腕を上達させていく、試行錯誤の過程の快感に主眼を置いたゲームジャンルであることに違いはない。とはいえこれはタイムアタックのような早く走ることを目的としたゲームモードの話であって、カジュアルなレースにはカーチェイスなどの多様なゲームモードがある。その点は音ゲーより多様性に富んでいる。しかしそれは選択肢が増えてるというだけで、純粋に進化と捉えていいだろう。音ゲーが将来多様なゲームモードを開拓していった場合も、それはゲームジャンルにとって良いことだと思われる。
ところで、薄々感じてはいたが、元増田は本当は音ゲーに対して悲観的なのではなく、単純に、音ゲープレイヤーに嫌悪感を持っているだけではないのか。自分以外の音ゲープレイヤーに軽薄さを感じており、あるいは恨みを持つに至る出来事があったのかもしれないが、ともかく自分が人を嫌悪していることを自覚したくなくてゲーム自体に諸悪の根源を求めようとしているのではないか。イキったプレイヤーを見て「それが何になるんだ?」とマウントを取れる要素を列挙して拗ねているように見えるのは自分だけだろうか。
自分は、モノ自体に善悪はないという信念に近い価値観を持っている。誤るのは常に人間のほうであり、モノが過ちを誘導しているように見えたとしても、人間はモノに惑わされない知性を備えているべきで、備えていると考えてモノは作られ、使われるべきだと考える。さもないと、人間はどんどん白痴になっていき、モノに操られるモノ以下の存在に貶められるだろう。モノが特定の性質の人間を集めていると感じ、それを良しとしないのなら、自分が好む性質に改変したモノを作る側になるしかない。この増田に対して適用するなら、増田の思う軽薄でない音ゲーを作れるのは増田だけだと思うのだ。安易にジャンルそのものを悲観して多様であるはずのプレイヤーをまるごと切り捨てんとする夢想に耽るよりは、よっぽど現実的で建設的な考え方だと思うのだが。
そういう「キャラゲに音ゲ的な要素がくっついてる」やつは残りそう
普段はnoteに気取った文章を投稿している私だが、こればかりはnoteに書くわけにもいかないので、匿名サービスに書き込もうと思う。
まあ内容はタイトルの通りだ。
処女でもないのに、痛くて物が入らない。
交際開始から1ヶ月、大事にするね♡なんてアレもなく音速でぶち破られた。
私にはおそらく才能があったのだろう、はじめての時からめちゃくちゃ気持ち良かった、前戯は。
本番に入ったらそれまでのアンアン♡が吹っ飛んでしまい、痛い痛い抜いてと大騒ぎして、初回は失敗に終わった。
それから5年もする頃には立派な痴女が出来上がり、元夫(当時の彼氏)のちんぽをしゃぶっただけで全く触らずとも挿入に耐え得る身体に出来上がっていた。
ギャハハ!って感じだ。
ところでGスポというものを体感したことがなく、中イキは全てポルチオなんですが、Gスポってみんなに搭載されてるものじゃないの?
そして離婚からちょっとが経って、おそらく生来強いのであろう性欲に踊らされ始めた。
一瞬脳裏をよぎったのは、そういう店に行くことだ。
私はクソアマの分際でプライドが高い女なので、Tinderとかで適当に引っ掛けた男に抱かれるのは御免だし、そもそも私は見目が良くないので引っ掛けることができないだろう。
金を払って行為に及んだ方が、満足度も安全性も確かなエロが手に入るだろうという理屈なのだが、何で出会い系でファストセックスに飛びつく男にはその思考が無いんですかね?リスクマネジメントって言葉、知ってる?
だがしかし、まあ、私は稼ぎも少ない方だしなぁ、と悩みまくっていたところに、おすすめのバイブのツイートが流れてきたのだ。
そんなに大きなわけでもない、いわゆるクリバイブ。
クソアマな私は玩具に対しても全く抵抗が無く(在りし日には尻穴にディルドをぶちこまれて二輪挿しでよがってた女だからな)、普通に通販購入した。
海外からの輸入なのだろう、1ヶ月半ほどの期間をおいて届いたそれに狂喜乱舞しながら、私は動画を見ながらひとりで致した。
存分にいじくりまわし、濡らしほぐし、さて!本番入ります!
いや、入らねえわ
びっくりした。とても。
小さな機械が膣口にギュッと阻まれてしまい、ゆっくりゆっくり入れようとしても、痛くて入らない。
もう一度ほぐし直そうにも、僅かな痛みで膣内がカラカラに干上がってしまい、とってもしょんぼりした。
私は中でイキたいのに!
愕然としながら悔しさに歯軋りするが、縮んでしまったものはなかなか伸びないのだろう、本日三回目を試したがやはり入らなかった。
適度にデートを重ね、実のある会話を繰り返すも、健全に昼のデートだけ。
――彼と付き合えた際、え、これどうなるの?
え、付き合えば突き合うでしょ?私はしたいよ?でも入らないよ?こんなちっちゃい玩具さえ?
おそるべし、セカンドバージン。
二度も男にバージンを破られるのは癪なので、何とかして貫通させたいと思っている。
応援してください。
なんのことを書くか一切決めてない
できるだけ多くの文字数書きたいという気持ちだけは強くもっています そのためにも書いた文章は消さずにいきたい
支離滅裂でもいいから、とにかく生の考えというものをだせたらいいよね
さっき思ったんだけど、冬になったら星を見にいきたい
夜中に家を出て、できるだけ灯りの少ないところに行って、自己陶酔しながら地面に寝転びたい!
ただ悲しいのは視力が落ちて肉眼では全然星が見えなくなってしまったこと
視力が落ちて一番悲しいのが空関連な気がするんだよな コンタクトにすりゃいいのかな
天文学の知識全然ないし感性も劣ってるから正直星を見てもたいして楽しくないんだが、星を見ている!という事実がいい
冬の夜にひとり星空を見上げたという既成事実が欲しい 20代の思い出のひとつとして
俺にだって星を愛でるだけの感性は残っている 残ってるとか残ってないとかって感じのもんなんだろうか?感性
俺の場合幼少期から感性の少なさに悩まされ、むしろ最近になってようやく美しいものを評価することができるようになってきた気がする
実際そのほうがいいよな 成長だ成長
星はいい 点にしかみえないものがどっかでは太陽クラスの存在感持ってるっていうのがいい
星空の星、ほぼ全部恒星と思うとすごいぜ
陽キャが消えた空でハシャぐ陰キャ達、ではなく全員陽キャだからな すげえよマジで
陰キャなのは月くらいだ 月は衛星だし光ってもないしで陰キャと言って良さそう
デカいってだけで夜の女王みたいな扱いをされることもあるが実際はいちばんショボい存在
人生の縮図っぽい気がしてきた
そろそろ10分経つな 意外とかけた気もするが全然短い気もする
何文字くらいなんだろう これで300とかだったらヘコむな しょぼすぎるから
600くらいほしいな 600秒で600文字ならまあよかろう感がある
でもこれ体感的には1秒1文字より多く打ってるから800くらいあるかもしれん
そう考えるとなかなかすごいぞ
やるじゃないか俺
でも中身は全然ねえな
ああもう何も思いつかない うああ うああとか書くのはレギュレーション違反っぽい
ーー
終わった。
最近、仕事のスタイルのせいなのか、文字入力の対象が短文入力フィールド(検索窓、コメント欄、チャットの入力欄、その他)ばかりになってきて、結果猛烈にイラついていることがある。それは、入力欄にカーソル合わせるたびに、IMEのオンオフがその欄の仕様に合わせて変わることで、日本語入れるつもりが英数字が並んでいる、あるいはその逆になっていて打ち直すシチュエーションが激増している。体感的には、タイピングの1/3位が、この理由での打ち直しになっている感がある。Macだと「かな」「英数」のキーがあるので、最初にそれを押す癖がついていて問題ないのだが、Windowsだと相当イラつく(仕事柄選べない)。Enterで変換確定のつもりがメッセージ送信していたという事故も嫌になる程多い。
もう20年以上Windows使ってるけど、最近いろんなアプリの色んな短文入力フィールドを使うっていう状況が猛烈に増えていて、これまでにないレベルでストレスが溜まる。
みなさんどうやって克服しているんでしょうか。
定期的に見かける、腐女子の「いい歳したオタク友達の服装が〜」的な話題。
大体めちゃくちゃ荒れてるし元増田が批判されまくってるけど、個人的には別にそれでも良いんじゃないかと思う。
街を歩いてる女グループ見てみなよ。全員が系統バラバラとかある?基本なくない?
それこそ最近なんて、オタク趣味にしか興味がない!って女はかなり減ってると思うのよ。
例えば自分は二次創作してる腐女子だけど、それ以外に趣味はあるかって聞かれたら「カフェ巡り」とか「ジェルネイル」になる。
TwitterのTLを見ててもそう。フェスに行くのが好きとか、ダイエット兼ねてダンススクールに通ってるとか。ザラにいる。
そういう女は、同人イベントの会場で会ってみると基本的に派手。学生時代は運動部で部長してた〜みたいな話も全然聞く。
ただ世間のイメージとして腐女子=陰キャみたいなのがあって、それに当てはまらない腐女子がイメージ通りの腐女子と仲良くできないと「見た目で判断して見下してる」みたいに思われる部分もあるんじゃないか?って。
もちろん学生時代パッとしなくて、大人になってから見た目に気を遣い出した腐女子も少なからずいると思う。そういう人は「私だってちゃんとしてるのにアイツは…」みたいに考えがちなのかも。
いや、なんか話が逸れてきたな。戻そう。
体感なんだけど、男性同士の恋愛をフィクションとして楽しむことへの敷居がグッと低くなったことで(地上波のドラマでやるくらいだし)腐女子がここ数年で多様化したと思うのね。
つまりステレオタイプの「腐女子」にはカテゴライズされない「BL好きな女」が増えてきた。
上手くまとめられなくて申し訳ないけど、腐女子のカテゴリーに入ってたら全員と仲良くできるのか?って言うと絶対そうじゃなくて、それ以外にも価値観の合う合わないが必要ってこと。
で、その価値観を擦り合わせるにあたり便利なのがファッションだと私は思ってる。
長文増田によくあるから皆感じてると思うけど、腐女子はガチで「ジャンルの切れ目が縁の切れ目」になりやすい。
でも、服装の趣味が似てる相手とは関係が続きやすい…というか《ただの友達》になれる。二次元の話じゃない、リアルの話をする友達。
私は結構それを前提として、あの人なら仲良くなれそう!絡みに行こう!と思うんだよね。
こんなのは少数派だろうし、腐女子の総意みたいには決して思わないでほしいんだけど。
ネットとかオタクにやばいやつが増えたって意見をたまに見るけど、実際は可視化されただけだと思う
社会の下層やボーダーの人たちとたまに話したりコミュニケーションを取ると、ここまで言語的、知的バリアーがあるのかと驚く。
そういう人たちもSNSやネットを使える時代だし、そういう人たちは人間関係が貧しいことも多く、ネットでのコミュニケーションに依存しがちで、金のかかる趣味は出来ず、交友関係もないので無料で簡単なSNSやネットへの滞在時間が長いのだと思う。
「ネットのオタク」が好む内輪ネタや定型文のやりとりというのは、コミュ障でも定型文のやりとりをすることで「誰かと繋がってる感」を味わえるので人気があって、知能の低い層の心を掴んで離さないんだと思う
淫夢ネタや擦られ続ける「校長」ネタ、ネトウヨやパヨクの反中韓や反安倍なんかも、定型文のやり取りで一体感を得られるという安い娯楽のように思える。
まあ普通にボーダーの人がいないコミュニティもあるし、ネットに下層やボーダーが多いなと感じる人達は、自分も含めてそういう頭使わない娯楽が好きだから、遭遇率も当然高くなるということだと思う。
こういうニュースを時々見る
http://blog.livedoor.jp/rbkyn844/archives/9680519.html
これを見て、いいぞ!もって減れ!と思ってた
だけど、減ると言っても、生まれてくる子供が少なくなって、老人が死ぬことで減っていくわけだ
同年代がどんどん減っていくわけじゃない
人の少なさを体感できるのは今生まれてくるような子どもたちであって、自分にはたいして関係ないことだった
いくら子供たちに昔は人が多くて邪魔だったから今は少なくて良いんだよと伝えたところで本人はそれを体感できないんだからなんの嬉しさも感じないだろう
結局のところ、この話題はどうでもいいやってことになった
喉に小骨が引っかかっている感覚がある。いや、小骨なんてものじゃないのかも。太くて大きいものが引っかかっていて、一度書き出してみないと先に進めない気がした。まとまりがない文章になると思うけれどとりあえず書いてみようと思う。
新型コロナを筆頭に「生きているといろんなことが起こるな」と実感している2020年。自粛自粛で体感何もできていないように感じるけれど、振り返ってみると世間にはトピックスのたくさんある年だなと感じる。
個人的なことでいうと高校生の頃から約20年間応援しているバンドのボーカルが結婚を発表した。
ファンの間では、発表していないだけで結婚していてもおかしくないと思われているようなタイプのバンドだっただけに、結婚、かつそれを報告してくれたことに言いようのない喜びを感じた。「個人的な曲になってしまうこと」に抵抗を感じてほとんどなかったラブソング。自分の内のうちを深く見つめたり、はたまた宇宙を感じさせる曲だったり、その対比や儚さを歌ってきた人だった。
何をもって幸せとするかって本当に十人十色なので日々さまざまな大きさのHAPPYが存在していただろうし幸せ=結婚、かつ、結婚=幸せ だとは決して思わない。けれど、わかりやすい形でひとつの人生の節目を迎えてくれたこと、そしてそれはおそらく「幸せ」なことであること、それをファンにも等しく教えてくれたこと、それが嬉しく、「生きているとこんなに良いこともあるんだな」という気持ちになった。
ちょっと前まではとんがった曲や歌詞も多く、決して陽キャなタイプではないバンドだったけれど、そこが当時の自分には心地よく共鳴して響いてきて何度も何度も聴いては泣いた。学生時代や就活中をはじめ長かった思春期にどれだけ彼らの曲に支えられてきたかわからない。歳を重ねるごとに曲は少しずつ丸みを帯びて声にはますます優しさが灯り、また新しい切なさや心の中の機微を生み出していった。
金銭的な問題などでライブに全通したりということはできなかったし、正直行けなかったツアーもある。でもどのタイミングで会いに行ってもいつも変わらない空気をまとってそこにいてくれることがありがたくって安心で、とてもとても好きだった。変わらずに好きでいられるという安心感に浸っていた。いつもファン思いで、でもマイペースで、いいおじさんなくせしていつもワチャワチャじゃれあっている仲良しなバンド。いつまでも変わらないでほしかった。
一緒に歳を重ねてくれて、
心からそう思っていた。
ボーカルの結婚報告に幸せな気持ちをお裾分けしてもらった直後、このバンドはデビュー以来初といっていいレベルでいわゆる「文春砲」を食らった。
食らった という言い方は使ってみて違和感がある。週刊誌のやり方は人権を侵害し人を傷つけるものでしかないのでいいものだとは決して思わないけれど、これで明るみに出なかったら当該の彼はバレないとでも思ってそれをこれから先も止めることがなかったのだろうかと考えるとぞっとするものがある。
内容は、ベーシストによる不倫(しかも複数人との報道)だった。バンドの所属事務所や公式は、週刊誌の報道を受けてすぐさま各種SNSで謝罪。当該の彼も詳しい言及はなかったものの事務所と同じタイミングでSNSを更新、謝罪した。「一部事実とは異なる点もあるものの」とした上で、ほぼ全面的に認めた形となった。この「事実とは異なる点」がどの部分かはわからないけれど、複数人と不倫していたという不貞行為自体は事実のよう。
「ファンの間では、発表していないだけで結婚していてもおかしくないと思われているようなタイプのバンド」と前述したけれど、まさに彼には妻子がいたようでそれを発表はしていなかった。
発表していないのは、いい。むしろ結婚していたのならよかったと思う。不倫をいいなんてもちろん思わないしその行為は不快でしかないけれど受けた衝撃はそこではなくて。
彼が「バンドを裏切った」 という一点だ。
喉に引っかかって取れないでいた太くて大きい骨の正体。
ファンを裏切ったという気持ちとは違う。結果そうなっているけれど。
ショックだったのはバンドメンバーを裏切ったという点が大きすぎる。
彼はバンドのことが好きなはずだった。バンドのために努力してきたはずだった。バンドメンバーがなにかよくないことをしてしまったら本気で怒って向き合って止めたりするような人だった……はず。
いつもひょうきんで陽気でムードメーカーだった彼。ボーカルをはじめバンドのメンバーが大好きだった彼がなぜ。
次のライブではみんなあたたかな気持ちでボーカルの結婚を祝えると思っていた(もちろん結婚がショックだったファンもいると思うが)。きっとバンドは次に公の場所に立ったとき、謝罪的なものを口にしなければならないのかもしれない。当該の本人だけでなく、バンド全員で謝るのかもしれない。そんな状況、正直いってまったく見たくないし聞きたくない。一度謝罪したからこの話はおしまい、とは、バンドの性質上ならないんじゃないかとも思う。今回の件はバンドにずっと残り続ける染みとなった。
いつもファンのためだけに演っていてほしい。それなのに、そういった場に不純で必要のない曇りが少しでも含んでしまうであろう未来に、今からげんなりしてしまう。いらんことをバンドに持ち込んだ彼に、怒りを感じる。
何かがあったとして、それをどう感じるかは自分次第。ただ、これまでバンドを好きでいたファンって同じ方向を向いてある程度同じ気持ちを共感していたと思っていたので、今はかなり動揺は広がっているのも感じる。バンドは悪くないとこれまで以上に応援する意思表明をしている人が多く見受けられたけれど、軽蔑して離れていく人もいれば、不倫なんてどうってことないと擁護する人までいた。人それぞれだ、感じ方は本当に。
ファンだからといって全肯定はしたくない。ただ、だからといってこの件で嫌いになれるわけではなかった。それがまたしんどい。これまで支えられてきたものの大きさを思う。そしてこれからのバンドとメンバーの心中を憂う。
アニメ(特に可愛い女の子が出てくる奴)って以前は今以上に世間から冷たい目で見られていて
好きってなかなか表に出せない感じがあったな。
でも、なぜか漫画は許されてた。
たぶんそれは当時の若者?の好みの主流から「外れていたか/含まれていたか」の差なんだろうな
そこでのコントロールが効いていたんだろうね。
そのうちSNSやネット動画が存在感を増していって今に至ってるんだけど
体感ではパチンコ・パチスロコラボが増えたあたりからファン層が一気に広がった気がしている。
(卵が先か鶏が先かというのはあるんだろうけど)
一見かわいいけど性的な記号を仕込んだり強調している絵って多いから。
漫画アニメの中だけのちょいエロファッションだったミニスカート+ニーハイがリアルで流行りだしたり
最近の若者はオタク趣味?を恥ずかしがらないみたいな話が聞こえだして
時代も変われば変わるもんだなーなんて言いつつ
心のどこかではそんなうまい話があるのかなと疑問に思ってた。
だから昨今の「あの絵の乳がでかすぎる」とか「スカートのシワが卑猥だ」みたいなクレームは
思ったより遅かったけど、そりゃそうなるよね、という納得感はある。
ただエロいとか不快みたいな感覚的な基準での規制となると本当に難しくて
強い罰則つきの法で縛ったりしたら
あらゆる属性の人々が己が不快と思うものを報復的に破壊していった結果後に何も残らなかった
正直アントンシク先生の絵が動いているのは感動だし凄いことだし、やっとメジャーどころになったなと言うファン心理もある。ただ、これよりもアントンシク先生原作の『ガゴゼ』をやってほしかったかなって。今のアニメの世界は2期も作られないので逆に幸運だったと考えるべきなんだろうか。
そしてやっぱり仕方ないんことなんだけど、『恋情デスペラード』から見てます、なんて声を聞くと古参ではないほどの中参ファンから見てもなんだかなあと思うこともある。
作者はかつて、ツイッターで大量の鬱コメントを書き込まないでよかった、とツイートして、保留状態にされている鬱コメントにモザイクをかけてツイートしていた。『リンドバーグ』アニメ化決定! というドッキリツイートで周囲をわかせつつもアニメ業界から声がかからないことを落ちこんだりもしていた。実力は十分なのにいつまでもマイナーなまま。そんな先生がハネたんだから嬉しいのは嬉しい。やっと報われたんだな、評価されたんだなと言う爽やかな気持ち。
この人の画作りは師匠の胃之上奇嘉郎(中村嘉宏)先生の影響が強い。師匠もアントンシク先生も表情筋の使い方が豊かで、しかもエグみがない。普通画作りにおいて表情筋を突き詰めると青年誌風の嫌な顔になりがち。しかしこの人達の表情はオーバーアクションで豊かで適切なのに汚くない。正確なだけでないダイナミックなパースの捉え方、躍動するキャラの筋肉、派手なデフォルメなのに失われない立体感。天才という言葉を軽々しく使うのは気がひけるけど、やっぱり天才だなあと思うわけで。
画作りだけでなくシナリオの組み立てもうまいんですね、特にアントンシク先生の場合、一巻でこれだけの情報をさらっと入れてくるのか、という普通の読者が読み飛ばせるくらいの違和感の無さで情報を詰め込んでくる。シナリオとだけで一生を終える人もいるのに、両方しっかりやるわけです。よくいますよ、絵だけ巧くて話が書けない。話はうまいけど絵が描けない人。だから両方できて両方ともハイレベルっていうのは創作クラスタからするとわけわからんわけです。当然積み重ねた時間と労力は計り知れないけど、才能と環境がないとこんな風にはなれないので。
最近、マスクなし、マウスシールドのみ、フェイスシールドのみでイベントに来る客が僅かにいる。体感では1%より少ない。
少ないがそれに対する例外処理ができてない。
屋内イベントは国や自治体のガイドラインによりマスクが義務化されていることが多いので、マスクなしで来場した客には、マスクなしでは入場できない旨を伝えて入場を断るかマスクを断るか販売するかして対応している。
ここで困るのがマウスシールドやフェイスシールドでの来場者だ。
河野行政改革担当大臣や森法務大臣が、何を考えてかマウスシールドのみつけて報道陣の前に出てくる。
これのせいで(これだけじゃないが)市中にマウスシールドだけ、フェイスシールドだけでも問題ない。なんなら「マスクより強力に対策できる!「」なんて言い放つ関係者ばかりでうんざりする。
こいつらはなんのためのマスク、なんのためのフェイスシールドかというのが致命的にわかってない。
で、あたりまえだがそんなやつばかりがトップなので手指消毒もほとんどの客もスタッフも正しく行えていない。ボトルスプレーを最後までワンプッシュすれば、適量(少し垂れる程度)のアルコールが噴霧されるのに、垂れたり乾くのに時間がかかることを嫌って、スプレーをちょんと押して終わってしまう訳だ。
いまは市中感染者も少ないので実質的な問題にはならないんだが、今後秋から冬にかけて感染者が増えてくるであろう時に、自分が感染したり、それによって家族が感染したり、なんだったら仕事も失うことになるわけだ。
恐怖しかない。
現状、コロナなんて〜とほとんどのやつらが思ってて、マスクも消毒もアリバイのためにしかされていない現状をどうにかしたいんだがほぼだれにも理解されない。理由は単純で私が専門家でも行政機関でもないためだ。
マイナポイントや国勢調査のCMバンバン打つくらいなら、公共広告で正しいマスク、正しい手洗い、正しい消毒について啓蒙してほしい。
全国民の半分、いやせめて1/3くらいはアリバイとしての対策でなく、本質的対策を知ってる、くらいになってほしい。
接客業で多くみられる「マウスシールド」その有効性は【#コロナとどう暮らす】
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20200714-00187918/
「マウスシールドはマスクの代わりにならない」新型コロナ感染予防で神戸市健康局
https://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/202009/0013659734.shtml
清水建設がマスクの代わりに「マウスシールド」を全国の現場で導入
https://built.itmedia.co.jp/bt/spv/2006/23/news052.html
↑清水建設は屋外なので仕方ないと思う。
わりと微妙なところではある。
おそらく体感的にはCPU・GPUによるグラフィックの差よりもSSDによるロードの差のほうが大きい。
マルチプラットフォームが主流である以上、サードはそこまでXSXに合わせた開発はしないし、ファーストについてはXSSのメモリが足を引っ張る可能性がある。