はてなキーワード: 体感とは
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カイシャの評判、最近クチコミ見れなくなったからこのサイトなら全部見れる。
無思想の対として浮かんでくるのがネトウヨやネトフェミなのか?それはドン引きだわ。
普通はコミュニタリアニズムだとか、リバタリアニズムだとか、リベラリズムだとか、功利主義だとか、老荘思想、儒教思想、禅――そういうのを学者の名前や著書の内容と共に思い出すもんだよ。
それらをみな、自分なりに噛み砕いて、現代の身の回りの環境に合うよう変形させた上で持っているもんだよ。自覚していないし、言葉にしないだけで。
君が思想だと思っているネトウヨやネトフェミなどという集団は、カルト宗教と原理的に同じで、思想の体現ではない。
不満を鬱積させる市民のうち無学な人たちが、思想めいたものにかこつけて一体感と規模の力を得るための寄り集まったものでしかない。
思想哲学のように、政治や経済と繋がってより良い「道」を追求・研究することを主眼にしているわけではない。いわば対案を持たないデモ行進のようなものだ。
もしそういうのを「思想」だと思って、そんなのになるくらいなら無思想の方がいいとなる人がいるとしたら、そうやって特段悪い部分だけ見ることで考えを改めないようにする思考の癖を直すべきだと俺は思う。
自民党内ではそんな風には思われてないし何なら野党勢に投票してない有権者(過半数)もそうは思ってない人たちなんだから
無難にいこうと思えば次の総理も安倍路線をある程度継承する可能性が高いことはわかってただろ
つまり「アベ以外なら誰がやっても今と違う政治になる」可能性はかなり低く、今と違う政治を求めてるならちゃんと名前を挙げて推していかないと変わらない状態だったわけだが
ここまで全部事前に予想できてたことなのになんで「誰でも安倍よりはマシ」路線を継続しちゃったの?
結局のところ安倍というわかりやすい神輿を叩いて一体感を得たいだけで、どんな政治がいいかとか何も考えてなかったからだよね?
履修組むの難しすぎん?なんで実質3年で履修し終わる計算しなきゃだめなん?4年通うんでしょ?→個人の自由だけど4年の卒論はだるいので時間にゆとりを作った方が良い
なんで1年生では専門科目履修できないねんその分野に興味あって入学したんだぞ→まずは大学に慣れないとね
体感的にほぼみんな奨学金借りてるんだ。借りてない人が少数派→俺の体感は借りてる人の方が少ないから場所によるのかも
学食高い上に量少ない、クリスマスツリー光らすなら学習安くしてくれ→事前に大学情報調べるべきだったね
エレベーター馬鹿混むじゃん間に合わんて→知ってるのなら急ごう
就活先輩の話と状況変わりすぎてまったく参考にならん
オンラインインターンってなに→地方勢でも参加できちゃうインターン
オンライン講義、先生も学生もやり方わからなすぎて手探りじゃん支え合って生きような→だな
毎週ほぼ全部の講義の出欠確認が800字以上のレポート提出ってどうしたらそうなる?寝れないて→過酷だね。前半にキツイ授業取っておけば後半は楽単ばっかり取れるから頑張れ!
と思ったら先生も寝れてないらしい→支え合って生きような
圧倒的孤独 終わらないレポート 迫る提出期限→3年なら友達も既にいるのでは?とにかく頑張れ!
図書館も大学もしまってる期間が長かったから前期の講義はGoogle先生頼み→オンライン図書館とかね
3年後期オンライン決定〜みんなどうしてる?元気?就活なにしてる?→そういうのは友達に聞いて情報得た方がいいよ。取り残されるから。
1年生かわいそうだな履修ちゃんと組めた?→周り見てたら試行錯誤してたっぽいね
世界がガラッと変わってしまってわからないことだらけだね。こんな状況で大学行ってるのはうちらだけなんだから、何も知らない周りの無責任な言葉は気にせず頑張ろうな→大学再開したら感染者増えたみたいだね。貴重な1年間を無駄にしないようにね!
入学してから今まで思ったことをただ書き連ねるだけです。時系列で書いてるから前半めっちゃアホ
履修組むの難しすぎん?なんで実質3年で履修し終わる計算しなきゃだめなん?4年通うんでしょ?
なんで1年生では専門科目履修できないねんその分野に興味あって入学したんだぞ
学食高い上に量少ない、クリスマスツリー光らすなら学習安くしてくれ
就活先輩の話と状況変わりすぎてまったく参考にならん
オンライン講義、先生も学生もやり方わからなすぎて手探りじゃん支え合って生きような
毎週ほぼ全部の講義の出欠確認が800字以上のレポート提出ってどうしたらそうなる?寝れないて
と思ったら先生も寝れてないらしい
図書館も大学もしまってる期間が長かったから前期の講義はGoogle先生頼み
3年後期オンライン決定〜みんなどうしてる?元気?就活なにしてる?
1年生かわいそうだな履修ちゃんと組めた?
世界がガラッと変わってしまってわからないことだらけだね。こんな状況で大学行ってるのはうちらだけなんだから、何も知らない周りの無責任な言葉は気にせず頑張ろうな
もう8年ぐらい前になるのか、付き合っていた彼女と別れた。
彼女の方から連絡を取ってくれなくなり、返したいものがあるから、と無理やり会う場を作ったものの目も合わせてくれずその後再び会う事はなかった。
彼女はある時から仕事を欠勤するようになり、遂にはやめて、転職先を探していた。
当初遠距離恋愛で、地方の実家から出たがっていた彼女に僕は都内の住居を探し、1年生活できるぐらいのお金を貸して、仕事先も一緒に探してあげた。
まあ、仕事をやめたい理由なんて当事者にしかわからないし色々あるのだろう。何も相談されなかった事が悲しかったが僕は再び再就職先を一緒に探してあげた。
しかし毎日、ここはどう?スキルを上げてみたら?等と提案するものの彼女は生返事だった。全く働く気が無いように見えた。
僕だって働いていて、まあまあお金は持っているものの、彼女に与えた生活費は少ない額じゃなかった。
遠距離恋愛中の彼女はものすごく勤勉で、責任感があって、環境があればいい仕事が出来るだろうと思ったのでお金を貸したのだった。
ただその時彼女は寝てばかりで、僕に会えば黙って視線を逸らすのに、ツイッターでは「新しいテレビ買った」とか言っていた。
おいおい、その新しいテレビを買うお金はどっから出て来たんだよ。金を即座に返せとは言わないがもうちょっと取り繕う所あるだろ。
これはきっと僕がお金を与えたから堕落してしまったのではないかと思って、態度も相まって腹が立って色々言ったと思う。
色々言った結果、向こうもこっちだって色々頑張ってる、みたいなことを言い返してきて、まあ喧嘩になって、その後連絡を取ってくれなくなり、序文の構図になった。
話は変わるが、自分は絵にかいたようなモラハラの家庭で育ってきた。
母親に罵詈雑言を吐く父親を見て育ち、こんな風にはなるまい、それとも血は争えなくてなってしまうのかなあ、なんて恐怖を抱いていた。
幸い今は、温厚に過ごしているとおもう。
思っていて、酔っ払った時に元カノと別れた時の話をして、あの時僕はどうすればよかったのかなあ、なんてのたまっては増田くん悪くないじゃん!なんて言われていた。
そう、僕は彼女にお金や思いやりを持ち逃げされた優しくかわいそうな男なのである。
そんなある日ふと、古いツイッターのアカウントを見つけた。彼女と2人で使っていた鍵付きのアカウントだった。
「好きだよ(はぁと)」みたいな寒い会話してたなあ、と思い出しながらログインすると・・・なんと驚いた事にそこには目も疑うほどの罵詈雑言が並んでいた。
「死ね」「ゴミ」「生きてる価値ない」「笑ってられるような立場の人間だと思ってるの?」みたいな文章が延々と並んでいてエ?!と声を上げてしまった。
全然記憶にない。・・・が、ゆっくり思い出せばそういえば、確かに自分の言葉かもしれない。
なんと僕は彼女にありったけのモラハラを働いたことを記憶から消失していた。
だから「どうすればよかったのかなあ」なんて言えたのだ。
今となっては定かじゃないが、彼女が連絡を取ってくれなくなったのも、もしかすると仕事を突然やめたことすら、これが原因だったんじゃないか。
厳密に言うと記憶から抜けていたというより、僕には当時これが「普通」だったから特に何も思っていなかった気がする。
今はそういうものに違和感を感じられるようになって、「普通」じゃなくなったから問題として感知できたのかもしれない。
変な長文になったので纏めると
その効果って酒でも体感出来るんだけど、多大なリスク負って薬やるより酒で済ませた方が良くない?
その効果って酒でも体感出来るんだけど、多大なリスク負って薬やるより酒で済ませた方が良くない?
私は閉め切られたビジネスホテルの廊下にある非常扉を、こっそりと開けてみた。扉を開け放つと、目が痛いくらいの光とともにホテルの中の冷涼で清潔な空気とは違った、埃っぽいけど暖かい空気が私の身体をいっぱいにした。八階の非常階段の柵越しに街を展望すると、几帳面に建築されたビルの群と端正に植えられた街路樹、そして、人々の営みが、穏やかな陽に照らされていた。
ミニチュアみたいに縮小されたビルのオフィスを窓越しに観察することもできた。スーツを着た男が、パソコンの置かれたデスクの前に二人居た。なにか話し合っているようだった。じっと見ていたら、そのうちの一人の男が、まるで私に気づいたかのように、おもむろにブラインドを下げた。なんだか、見てはいけない気がして、人ではないものを見ることにした。
比較的近いビルの屋上に、植木鉢が無数にあるのを見出した。大きさが全て違っていて、植えられている植物もバラバラであった。けれど、陽のよくあたるところにみんな行儀よく密集して、ある種の一体感を醸していた。私はなんだか懐かしいような羨ましいような気持ちになった。
動く人々に目を移した。私が先ほどまで散歩していた道が、本に印字された文字の余白のように小さくなっていた。さっきまで私はあの道の先の、公園まで散策してみていた。日陰を探し求めて歩いて、木々が織りなす濃い影の中にあるベンチを見つけてそこに腰掛けていたのだった。私と数メートル離れたところに座るサラリーマンの間のベンチの上を、登ったり降りたりして遊んでいるカラスがいた。カラスは、豊かに蓄えた玉虫色に光る黒い羽を太陽の光で透かせていて、私の心を惹きつけた。じっと見ていたら、カラスが私を警戒したのか、私の視線から逃れるように、木の陰へと隠れて行った。カラスを追うのをやめると、アゲハ蝶が飛んで行った。
旅鴉。
この街にはアゲハ蝶が多いらしかった。これは、この間喫茶店で隣の客たちがアゲハ蝶の話をしていて分かったのだった。蜜柑の木を植えたら、アゲハ蝶の幼虫の害にあって大変という話をしていたのだ。確かに、この街では、街中であってもアゲハ蝶を何回も見かけた。そんなことを、ふと思い出していた。
冒頭に「未成年は閲覧禁止」という一文が入ってるのでゾーニングへの配慮はされていたと思う。
問題となった「実在の幼児に手を出す前に」という文言だが、ここの認識がまずズレているのではないだろうか。
とりあえず理解を深めるために、ツイッターではない場所の幼児ラブドール愛好者のコミュニティをいくつか覗いてみた。
まず、そのようなコミュニティでは人形性愛者と小児性愛者のふたつのタイプがいて、人形性愛者はリアルの代替にしている者をあまり好んではいなそうだったが、同じものを愛好している情報交換の場のなかで多少の軋轢はありながらも共存していた。
そして、小児性愛者はラブドールがあることで自分たちは欲望を抑制することが出来て救われたと考えている人たちが多かった。
実際の子供への性犯罪が起きたニュースに対しても、この犯人がラブドールの○○ちゃんと出会っていれば犯罪者にはならなかった可能性が高いと語られていて、性犯罪の再犯を心配し、出所するときにはこのようなものがあるという情報を教えた方が社会の為にも子供の為にも本人のためにもなるという会話がなされていた。
「治療」という言葉が出てくるコミュニティもあり、そこでは治療は役に立たなかったことやホルモン投与で性欲減退させるだけであるなどが語られていた。治療は無駄だったが自分を社会から逸脱させないでいさせてくれたラブドールに出会えて良かったと。
そのような前提のなかでひとりの小児性愛者が「実在の幼児に手を出す前に」とラブドールを推奨するのは、同じ性嗜好の者に対して100パーセント善意のプレゼンなのではないかと思う。
犯罪の一歩手前でギリギリ立ってる人がラブドールによって実在児童への加害を抑制することが出来ている。だから「ラブドールを買おう」と同じく犯罪に一歩手前でギリギリ立ってる人に呼びかけることは、十分に責任ある行動であったのではないかと思う。
冒頭の「未成年は閲覧禁止」は「禁止」でなく「注意」であるとブコメで指摘があったので訂正する。
ゾーニングがなされていなかったというのは同意するのと、ツイッターの規約違反であるというのも同意する。
そのうえであの漫画そのものは<合法で販売されている物によって自分が体感した欲望の救済方法を、同好の者にプレゼンした>漫画でしかないと思っている。それを外部の者の目にも触れさせたのは迂闊であったというだけだ。
私が怖いと思ったのは、問題がある思った人がRTで拡散に加担していたことの方である。
規約違反であると認識したらそのままツイッター社に通報すれば良い、それだけの話しじゃないんだろうか。
あの日に日本のツイッターで「ラブドール」と「小児性愛」をトレンド入りさせたのはあの作者ではない。ゾーニングを求めるならばなぜ拡散に加担したのかと疑問でしかない。
当事者に「異性愛者である」と言わせたことも暴力であると思う。それが本当でも嘘でもだ。
一人の人間に受け止めきれないほどの誹謗中傷と批判を浴びさせて、SNSや創作の界隈で本人が培ってきたであろう人間関係を全て捨てさせるほど追いつめたのはただの暴力であり私刑だ。
「正しい」は私刑の免罪符にはならないのと、正当な批判であると考えたとしても既に同じ趣旨の発言をしている人が何人かいるのならば、控えることも自制心のひとつだ。数は暴力だ。
私達はSNSが人を殺せることを学んでいるし、攻撃はいつだって「正しい」と思っている側が行っていることも学んでいる。
それなのに迂闊であっただけの人を殴り続けることを正しいと思っている人が大勢いた。そのことの方がよっぽど怖い。