はてなキーワード: インドアとは
何?マジで
やべー会社がやべーのは、その会社がやべーからに決まってるだろ!
田舎の会社は因襲が残っていてヤバくて前時代的でパワハラまみれで、いっぽうで都会の会社はクリーンで先進的でパワハラがないんですか?
んなわけねえだろ
因襲にとらわれてるのは君の脳みそじゃないでしょうか?
東京にわざわざ出たっていうのに、異常な人の多さ・物価や家賃の高さ・飯のマズさ・空気の臭さ等に苦しむばっかりで、全然自己実現できないことがつらい!っていうのはわかるよ
すごくわかる
でも、だからって、田舎を十把一絡げにして酷いところだと思い込むことで心のバランスを取ろうとするのは不健全だし、そういう偏見以下の謎のゴミ意見をネットに書くのはもっと不健全だよ
君が田舎でイジメられていて辛かったのは、田舎が酷いところだからじゃない
君が東京のイケてる私立学校に通っていたところでキモいもんはキモかったし、イジメられるもんはイジメられてたんだよ
で、現実に向き合えよ
田舎モンで落伍者の俺が家賃4万でサンセットビューの美しい3LDKに住んでいる一方で、人生大成功東京在住者であるハズの君は6〜7万とか出してショッボいせっまいワンルームにしか住めない
まあしかし、ちょっと深呼吸してみなよ 東京のくっせえくっせえ空気を胸いっぱいに吸い込んでみな
わかるだろ
どこにだって良いところと悪いところがあるんだ
俺は地方で気楽にやってる一方、カルディとか成城石井みたいなシャレオツ店舗は全然近くにねえし、……正直インドア派のオタクなのでこれくらいしか実感のある「田舎の不便さ」ってないんだけど、とにかく、そういう不便さを感じてるんだよ
君はその分いいじゃない
安い運賃で大都会に行き放題で、色んなものが売ってて、毎日いろんなイベントがあって、世界各国のステキな飯が毎日食えるんだろ?
それで満足すりゃいいんだ
自分のポテンシャルを異常に過大評価しているから、「カンペキなボクちゃんの人間関係は、平均より優れていないといけない!……でも正直、優れているようには思えないぞ?……そ、そうか!!田舎には東京より遥かに劣った前時代的ゴミ人間が跳梁跋扈していて、本当にひどい有様に違いない!それと比べたら、東京はなんて素敵なんだ!!つまり、ボクちゃんはなんて素敵なんだ、ってことだ!!!」
自らの妄執に向き合ってください!
目を覚ませ!
その子は女の子達からは「尻軽」と蔑まれていたが、小柄で童顔でどんな男相手でも分け隔てなく対応する事から、割と男人気が高かった。
中学から顔なじみだった俺と小松は時々話す程度だった。中学の頃から小松が付き合うのは何故か俺の友達のイケメンとばかりだった。気の強いイケメンばかりだったので、小松と彼氏が二人でいるときは誰も二人に近寄らず、俺は用事があるときは二人がイチャイチャしてようが平気で話しかけていた。空気を読んだ同級生たちが寄り付かないので、逆に用事があるときはその方が話しかけやすかった。
俺は小松が誰と付き合おうが何とも思わなかったので、小松が俺の友達と別れた後も普通に接していた。高校の頃に一度だけ、小松と元カレが険悪な雰囲気になった時に一切フォローをしなかった俺が小松の女友達に責められた事があって、その時ばかりは流石に「め、めんどうくせぇ~~~」と思った。小松は俺には何も言わなかった。
小松は次第に俺の友達以外の、異性と縁がないようなインドアなアニメオタク達に囲われて付き合うようになり、小松の周りには引っ切り無しにグループが群がっていたので俺は小松と喋る頻度が減っていった。次第に男の中でも小松を悪くいう奴がぼちぼち出てくるようになったが、俺は別にそれに対してすら何とも思わず、時々小松と二人になると普通に喋っていた。
小松は段々と学校にこなくなり、俺は「まあ俺も学校好きじゃねえから気持ちはわかるわ」とだけぼんやりと思い、心配の連絡もいれず、結局小松は学校を辞めた。
通学の最終日だけ小松は登校してきた。なんか色んな男女に囲われて別れを惜しまれていたので、俺は小松に一言も声をかけずに家に帰った。その日小松からメールが届いた「本ずっと借りててごめんね」
翌朝、俺の机の中には小松に貸していた本が入っていた。
まあ、退学しても、いつかまた会うだろう、割と近所に住んでるし。そんなこんなで、もう、10年以上経った。小松と会うことは無かった。
元カレは3年ほど前に久々に小松と会ったらしく、飯だけ食べにいったそうだ。そこで小松は俺の話をしたらしい。どんな話をしたのか詳細は聞いてないが「そういえば小松が言ってたけど、増田はゲイなんだってな」と友人の口から聞いた。
29歳
男
年収350万
顔:多分ふつう
友達:0人(連絡すれば返事は来そうだが5年以上連絡取ってないのが5人、職場でそれなりに仲良いのが2人)
実家住み
高校卒業後は浪人してた特定の国公立を狙ってたけど失敗。入れそうな大学はあったけど
ランクを落として入るぐらいなら働くわ。と言ってアテも無くブラブラし続けて6年ぐらい経ってたクソ野郎時代
当然、お金も無く一人暮らしもできず少しの貯金はあるけど、後は運転免許や資格取得に消えた。地方故に車が必須なので維持するだけでも結構辛かった
去年から、ようやく目標だった職種(経理)に就けたはいいけど地方故に年収が低い
一応まだ上昇志向ではあるけど、肝心の経験値が低すぎて転職しづらい。でも現職だと深い経験が積めないので将来的には転職したい
あといい加減一人暮らしをしたいけれども、職場がかなりのド田舎なので近くの家を借りようにも、そもそも物件が無くて断念せざるを得なかった
借りられる物件も職場まで車で30分前後と、実家から通うのと大差が無いので諦めた
一方で、少しお金に余裕が出てきたのでアウトドアな趣味(ゴルフ)と運動(ジョギング、筋トレ)を始めた。インドア趣味は逆に頻度が減った
ゴルフは同世代とは一度も行ったことが無く、職場の定年を迎えたアルバイトさんに誘われて行ったことがある程度。まあまあ楽しかった
運動はダイエット目的でやってるけど週に4日ぐらい、仕事の日は3,4km走って休みの日は6~10kmぐらい走る。考えがまとまるのでこれはこれで楽しい
異性と接した経験はあんまり多くない。高校の頃に仲の良い女友達が居たので
良く話していたり、クラスの女の子とカラオケに行ったことぐらいはあるけど、付き合ったことは一回も無かった
フリーター時代はそもそも周りに若い女性が居ない、居てもフリーターだったのと資格(と免許の)勉強に必死だったので
誰が好きとか、そういうのは一切なかった。そもそも友達とすら疎遠になり、同年代も居ない場所でフリーターしていたので誰かと遊ぶことすらなかった
一応ネトゲのボイスチャット(肉声で会話)はコミュニケーションの一環としてやっていたので
男性、女性問わずコミュニケーションは割と取れるし、取りやすい方だと思う
今の職場は比較的20代が多く、男性・女性問わずよく話してる。自分からも話しかけるので多分そこまでコミュ障だと思われてない
同じ部署の年下の女性(先輩)がすごく好みで絶賛一目惚れ中だが、良くて仲が良い友達程度にしか思われてないだろうし、そもそも既婚者なので脈が無さそう
仕事の愚痴のみならず、家庭の愚痴が誰にも相談できないからと泣きながら相談してくれたり、プライベートな話をよくしてくれたり
仕事中でもよく話しかけてきてじゃれ合ってくるので、こっちもつい話しかけてしまうし、何故か話の流れでスマホケースもお揃いになったが
正直今の職場ではこれが一番辛い。一目惚れとかホントに久しぶりなので辛い
ここ1年は上記のような感じで過ごしていて、少し自己肯定感が高まったせいなのか最近は街中のカップルとかが羨ましく見えてきたが
上記の通り交友関係が壊滅的なので積極的に行動してみようと地元の街コンに行ってみるも、当たり前のように玉砕
正確に言えば、2人と連絡先の交換をしてもらえたが、1人は彼氏いるんです宣言で終了。もう1人は1回だけ食事をしたが、ものすごい長文ラインでお断りされて終了した
「〇〇さんはすごい良い人だと思うんですけど~」みたいなことが綴ってあったが、長すぎてなんて書いてあったのか覚えてない
アプリも使ってみたが、実家住まい・低年収・年齢あたりで即アウトだろうな。と思ってあんまり本腰を入れてない
何人かとマッチングしたことはあるけど、向こうが興味無かったりすぐ退会されたりして話にならなかったのと
全体的に旅行好き、ディズニー好きが多くて話が合わなさそうだな。と思ってほとんど放置してる
モテる方ではないし、待ってたところで出会いも何も無いと思うので
一目惚れを吹っ切る為にも街コンには積極的に参加したいと思ってるけども
一目惚れしてる女性になんとか振り向いてもらえないか、という邪な感情と
そもそも今は転職も視野に入れて仕事に集中すべきでは、という感情と
今年30歳になるので節目として色々と変化をつけたい、という感情と
もう15年くらい昔のことだからはっきりとは覚えていないけど、当時の血の気がさあっと引く感覚はよく覚えている。
小学生の頃だったかな。小さいジグソーパズルが流行ってた時期があって、自分もポケモンのやつを欲しがった。母に粘っておねだりしたら買ってくれるというので、喜んでおもちゃコーナーに取りに行ったんだ。
そして、取りに行ってから合流するまでの間に、何を思ったのか鞄にパズルをしまったんだな。たしか、当時はよく物を落とす子供だったから、落とさないようにとか思ってたんだと思う。馬鹿か。
んで、母と合流した時、店の方でちょっとしたイベントがあって、それを二人で見てからお会計したから二人ともパズルがカゴに入ってないことなんて忘れてたんだよね。
そんで家に帰ってから荷物を取り出してると、買い物袋の中にパズルがない。買い忘れちゃったかな、店に置いてきちゃったかなと二人で納得して、また行ったら買おうということになって、一旦はそこで話を終わりにした。んで、自分の鞄から携帯電話を取り出そうとして、気づいたんだ。
鞄の一番上に、あのパズルが入っていた。
もうパニクって、母にバレたら怒られる、家族にバレたらもっと怒られるって思って、最終的に自分が取った手段は
だった。こうすれば誰にもバレずに、誰にも怒られずにこの件を解決できる……!!
ちなみに店までは2kmぐらいあったので、母に「やっぱりパズルを買ってくる」と言ったらそこそこ引き止められた。でも自分は行った。徒歩で。(チャリにはまだ乗れなかった。)
そして、怪しまれないようにおもちゃ売り場に行ってから鞄からパズルを取り出し、カゴに放り込んだ。そして堂々とレジに通して、お金を払い、家に帰った。
自分は開放感とパズルが楽しみな気持ちで足取りも軽く家に帰った。
尚、パズルの完成は一週間先になる。インドア派の子供が何の対策もせず真夏に4km歩いた結果自分は熱中症になってしまったのだった。
留学、出張、旅行(含バックパッカー)などで20カ国以上自分の目で見てきた。
大学や職場でも欧米インドアフリカなどだいぶ多様な人たちを接してきた。
この国ガチャランキング、上位0.1%の富裕層に生まれるか一代で0.1%に食い込めるすごい才能を持ってるかで大きく変わるので0.1%になれる場合とそうじゃない場合で分けた。
国のチョイスは俺の主観だから入れるべき国があればコメで教えてくれ
S: アメリカ・中国・アラビア半島(サウジ・UAE・カタール・バーレーン)
※金があればとにかくやりたい放題。上流階級と一般市民は完全に別世界、楽園暮らしができる
※比較的しっかりした国だし、金があれば上流階級ならではのさらに良い暮らしが待ってる
B: ドイツ・北欧・その他西欧・シンガポール・ニュージーランド・カナダ
※国の水準は総じて高いが、金があるからと言って上流階級ボーナスが多いわけではないし娯楽も上位国に比べたら少なめ
C: スペイン・イタリア・トルコ・イラン・ギリシャ・ロシア(戦争前)・東欧
※生活水準は上位国に比べ劣ってくるが楽しく暮らすことはできる。金があるなら困ることはない。
※貧民層も多いし危険もつきものだが金があれば王様のような暮らしができる。治安も金で買える。
E: 中央アメリカ・アフリカ上位国(南アフリカ・エジプト・ナイジェリアなど)
※金があれば良い暮らしができるが治安や娯楽、インフラには限界がある
F: その他アフリカ
※金があっても国として大変なところが多いのであまり楽しい暮らしは期待できない
※生活水準は非常に高く安定感は抜群、だが娯楽に若干欠ける退屈な場所
B: ドイツ・日本・フランス・イギリス・アラビア半島(サウジ・UAE・カタール・バーレーン)・韓国
※生活水準、治安、国家安定性、娯楽などのバランスが良いが貧困の影が見え隠れしている
C: アメリカ・中国・スペイン・イタリア・ロシア(戦争前)・トルコ・ギリシャ・東欧・香港
※問題なく暮らすことはできるが貧困や治安問題、政治問題と向き合う量は多くなる。
※アメリカと中国だけは特殊。中の上ぐらいの階級ならBクラスに入るがそれ以下だとD以下まで落ちるため平均してCになる
※中流階級はどうにかまともな暮らしはできるが、治安の悪さは中流階級にもかなり迫ってきてる。自衛は暮らしの一部。
E: 中央アメリカ・アフリカ上位国(南アフリカ・エジプト・ナイジェリアなど)
※インフラ、治安、政府の問題で中流階級でもまともな暮らしができないことがありえてくる。
F: その他アフリカ
※インフラも娯楽も足りない、治安も悪い、政治も安定しない。どう生き抜くかのサバイバル術や処世術がものを言う世界。
ブコメで指摘あったが韓国は0.1%以上はかなり良い暮らしができる階級社会なのでAランに格上げした。
ついでに香港を忘れてたから入れといた。中国政治問題を除外すると香港0.1%以下でもBだったかもしれないが政治影響が大きすぎるためC行き
この話題でさあ、「じゃあこれからは、プロゲーマーも普段の生活から品行方正な言葉遣いにする必要があるし、視聴者とかゲームプレイヤーも自分の言葉遣いをよくし、またインフルエンサーの過激な言葉遣いを面白がらないようにするのが大事」みたいなことを大真面目に言う人いるけど、ヤバすぎるよな。
あのな、口が悪く、ガラが悪く、頭が悪く、アウトドアよりインドア派で、それでも生きてる人間達が楽しめてるのがゲームだったりするんだよ。
ハイソでインテリな皆様とは違う、ゲスで民度の低い会話が飛び交っておりますが、でも薄汚れたそこは大事なコミュニティであり文化なんだよ。
死ねとかキモとか雑魚とかが飛び交う、そんな泥沼でだけ呼吸できて救われるやつがいるんだよ。
「でもそれがネットで有名になるからにはキチンとしなきゃ」だって?
いや違うだろ。
薄汚れてはいるが誰かにとっては救いになるゲーム友達が作れなかったようなやつでも、ネットの発展によって、地方済みとか引きこもったままでも、そういうプレイヤー文化に混じれるようになったんだ。
情報リテラシーがなくて個人配信者を見つけられなかったやつにとっても、プロになって知名度上げて活動してくれるのは助かるんだ。
それを「有名になるから、プロだから」なんて清浄化しようとするのはやめてくれよな。
もちろんゲームの魅力は、ガラの悪さや野蛮さだけではない。
だから別に品行方正なプロゲーマーとか、優等生な配信者とかが出てくるなら、それは全然問題ない。
どんどんやってくれ。
だが、口が悪くてガラが悪くて差別的でそれでも人気のあるプロゲーマーや配信者だって、それはそういうものにしか馴染めない全国の少年少女おっさんおばさんのメシアになってんだから、そいつらはそいつらで堂々と活動させてくれよ。
大昔のロックンローラーがファックと叫んだりギターを燃やすのを見る時にだけ救われたやつ、人が死ぬ小説を読んでる時だけ救われたやつ、そして配信者が不道徳なジャーゴンでふざけてるのを楽しんでる時だけ救われるやつがいるんだ。
TheHabanero 2022/05/07
プライベートで「ガイジ」「(罵倒としての)障害者」「身長〜cm未満は人権なし」みたいなこと言ったことないし言ってる人間も周りにいないが、ゲーム界隈はそういうことを日常的に発する連中の集まりってこと?
ゲーム界隈全体ではないがゲームストリーマーの一部はそうである。そしてそれは何も悪くない。そいつらも、そういう発言を楽しむ奴らも、そうならざるをえなくてそうなったんだから、そのコミュニティ文化は肯定すべきだ。
前日よりも人の出が少ないようだった。広場にあったワンタッチテントの数も前日の半数以下だ。だが、駐車場の空きは少なかった。隣接のサッカー場で子供のサッカーチームが試合をしていたので、公園の駐車場がその関係者達に占拠されてしまい、他所から公園に遊びに来た人達は、駐車出来ずに諦めて帰ったのかもしれない。
前日は公園に着いたらまずは敷地内をぐるりと一周散歩したが、この日は真っ直ぐ管理事務所に入った。「鯉とカモの餌」を三つ買う。300円なり。上の子と下の子のぶん、そして私のぶんだ。
池の周りでカモに餌やりをする人々やザリガニ釣りをしている人々も、少なめ。連休最後の日はインドアに過ごしたい人が多いのだろうか?
前日にはいくらか居た鯉の姿があまり見えない。カモは前日と同数くらいいるが、同一カモかどうかは不明。
私と子供達がカモに餌をやっている間、夫が池の周りをぐるりと回って鯉の様子を見て来た。夫によれば、鯉は燕子花の間により集まっていたそう。鯉は、産卵に忙しくて餌どころじゃないらしい。
産卵があろうがなかろうが、この池の鯉は何故か人に餌をねだることを全くせず、人影に向かって寄ってくることもない。昔からそうなのだ。「鯉とカモの餌」は実質「カモの餌」である。
連休中、人々の投げ寄越す餌にカモは飽きてしまったのか、前日よりも食い付きが悪い。食い付きが悪いと、子供達はむきになって餌を次から次へ、なんなら鷲掴みで一度に投げつける。面倒臭そうな仕草で、カモは泳いで行ってしまう。
前日に学んだ通り、カモは真正面に落ちて来た餌にはあまり反応しないので、横か、なんなら背後めがけて投げるのがよい。一粒ずつ投げて、食べたらより手前の方に投げて、少しずつカモをこちらの方に誘き寄せる。……と、言い聞かせても、子供達の逸る気持ちを宥めるのは無理なので、子供達がやたらめったら投げて全部外しているうちに、背後から私が投げて、カモ達をこちらに誘導する。
公園のカモは人慣れしているが、それでも野鳥なので、決まったセーフティーゾーンを越えて近づいてくることはない。一番寄って来て、岸から1.5mくらいの所。だが、それだけ近づいてくれれば、子供の手で投げた餌でもカモはもれなく拾ってくれる。
カモを岸に寄せたら、私の役目は終わりだ。早くも手持ちの餌を投げきってしまった下の子に残りの餌を手渡し、子供達の隣にしゃがんでカモを眺めていた。
やがて二羽いたカモのうちの一羽が、人間の相手をするのに飽きたらしく、水面に浮いた水草の根で遊び始めた。猫がねこじゃらしにじゃれつく時のように、根っこの切れっぱしを仮想敵とみなしてつつき回している。するともう一羽は反対方向へとすいすい泳いで行ってしまった。
よく、水辺の白鳥の姿は夕方だが、水面下では白鳥の足はジタバタと不恰好に水を掻いているという。だが、カルガモ達が水面をすいすい行く時の足の動きは優雅で無駄がない。茶色と緑の入り雑じった泥水の中でも、カモの足のオレンジ色は鮮やかに映えている。
子供達は橋を渡って池の向こう岸へ行き、別のカモのコンビに餌をやり始めた。私と夫は日陰に入り、また別の二羽を眺めた。なんと、二羽のうちの一羽がうたた寝をし始めた。私と夫の他にも人間がいくらかいる、その前で、自らの羽の合間に嘴を突っ込んで、うつらうつらと目を閉じたり開いたりしている。警戒心がだいぶ薄れているようで、風に吹かれるままに岸辺に流されて来て縁に敷かれた石にぶつかりそうになったところで目を覚まし、いそいそと池の中央に戻っていく。だが、しばらくするとまたこちらに流れてくる。カモ達の、ここに来る人間達への信頼度は半端ない。
あまり昼寝の邪魔になるのもなんなので、こちらから遠慮して岸を離れた。池の中央にかかった橋を通ると、水面に亀がひょっこり顔を出していた。種類はわからないが、外来種ではなさそうだ。どう見ても、こっちを意識している。子供達を呼び寄せて、亀がいるよと教えてやると、子供達は亀に餌を投げた。すると亀はカモよりも機敏に餌を追いかけて食べた。だが、カモほど食欲が底なしではないらしく、いくつか食べただけでくるりと身体の向きを変え、泥水の中へと姿を消した。
対岸で、子供達がカモに餌を投げるのを見守る。子供達はやはり闇雲に餌を投げるばかりで、大人のようにテクニックを駆使してカモを手懐けることは出来ないようだ。それでも、力技で遠投した餌をカモに拾われて喜んでいる。
二人の少し後ろに、三歳くらいくらいの男の子がとことことやって来た。手には餌の袋を持っている。だが、まだ小さいので餌を遠くに投げることができない。男の子は、うちの子供達が餌を投げているのを、恨めしそうにじっと見ているだけだ。そのまた背後に、父親が心配そうな顔で着いている。うちの子供達が邪魔で男の子がカモに餌をあげられないという構図になってしまっていた。なので、私は子供達に声をかけて、あっちのカモに餌をやりに行こうと促した。
池の周囲でカモに餌をあげようとしている子供の多くは、五歳以下に見える。自分の足元も覚束無い幼児もいる。彼らはどうしたらカモの気を惹けるか考えて餌を投げるということが出来ないので、節分の豆まきのように餌を投げまくった末にカモ達に完全無視を決め込まれる。ガッカリしている子もいれば、とりあえず好きに餌を投げただけで満足という様子の子もいる。
うちの子供達がその年頃のころ、私は子供達にカモの餌やりはさせなかった。うっかり足を滑らせて池に落ちることを恐れてのことでもあり、こんな小さな子に失敗が運命付けられているような事をさせても可哀想なだけなのではないかと思った。それに、その当時は池の畔に集まる子供の多くが小学生で、幼児の方こそ場違いに見えた。
だが今は、頭の重みでいつ前のめりに転がり落ちるかわからない幼児が、器用に池の縁の石の上に立ち、池の中を覗いているのだ。
うちの上の子はもう五年生で、この歳までカモに餌をやって遊ぶことをしないで来たわけだが、もうじき自分から幼児に紛れてこんな風に遊びたいと言うような年頃ではなくなってしまうだろう。少々の危険を覚悟で、もっと小さいうちから好きに遊ばせておけば良かったのではないかという後悔を感じないでもない。だが、一人で池を覗き込んでいる年端のいかない幼児が池に転がり落ちないで済んでいるのは、単に運がいいだけにも思える。
餌を全部投げ終わると、子供達は手を繋いで、中央広場の遊具で遊んで来ると駆けていった。私が子供達の手助けをする必要はもうない。遊具で遊んでいるのも幼児とその保護者ばかりで、小学校高学年の子供達はマイナーだ。十年前は逆に大きな子供達ばかりが、少数の幼児を蹴散らすような勢いで遊具に飛び付いていて、危なっかしくひやひやしたものだ。
後で上の子に聞いたところ、遊具には小さい子が沢山いるから、小さい子に出会ったら危なくないように道や順番を譲ったとのことだった。
子供達が遊具で遊んでいる間、私と夫は木陰のベンチに腰掛けて待っていた。
蓮池のところでザリガニを捕っている親子連れがいた。事務所で売られている「ザリガニ釣りキット」ではなく虫捕り網を持っている。ザリガニは釣るより手掴みした方が早いのは確かだ。
母親が威勢よく小学校低学年くらいの息子に怒鳴っている。ここぞという時に息子が網を持ってふらふらとどこかに行こうとしたからのようだ。母親は、ザリガニ捕りどころか公園遊びにも向かないようなくるぶし丈のスカンツの裾を片手で引き上げ、もう片方の手を蓮池に突っ込んでザリガニを捕ろうとしている。根っからのお転婆ではなさそうだ。そんな妻の横に立つ夫は「男らしさ」とは縁の無さそうなおっとり系だ。私の観測範囲だと、自分の息子を「男の子でしょ!」と叱る人ほどお転婆そうではなく、配偶者も大人しそうな優男であることが多い。
振り返って広場の方を見ると、上から下までスポーティーな格好の母親と、やはり上から下までスポーティーな格好の小学校高学年か中学生くらいの娘がバドミントンに興じているのが見えた。楽しそうだ。子供が大きくなったら大きくなったなりの遊び方があるようだ。私の乏しい体力では、バドミントンは無理そうだが……。
※末尾に追記2(5/7 19:26)、追記3(5/8 01:45)を付与。
※園子音氏に関する一部表現を修正。週刊誌報道を認めての謝罪ではないと判断したため。こちらで係争中と見られる件の善悪についての判断をするのは不適切と判断し、関連する記述は削除した。(5/8)
何故、フェミニストの中では「たわわ」がNGで、園子温は"無罪"(論じる必要がない対象)なのか?何故、オタクがバッシング対象で、ホストは共感の対象なのか?フェミニストの性質の中にその答えが眠っている。
「フェミニストの活動家達には、何故こんなに一貫性が無いのか???」
こんな事を一度でも思った事のある方は、少なく無いのでは無いか。
何故、フェミニストは、実際の被害者が居ない「たわわ」にお熱になるのに、被害者と称する女性からの訴えが週刊誌に載った園子温にはさほど関心を示さないのだろうか。
何故、フェミニストは、「海、似合って無いね」動画における反応のようにインドア派の男性(というかオタク)への蔑視を隠しもしない一方で、実際に女性を搾取するホストに対しては、さほど怒りの声を上げず丁重に扱ってしまうのだろうか。
何故、成人指定でも無いお色気漫画のゾーニングを強く求める一方で、BLに対するゾーニングに抵抗し自由を求めてしまうフェミニストが出て来てしまうのだろうか。
フェミニスト諸兄は、胸に手を当てながら読んで頂き、自分に当てはまる点について、「アップデート」する事は出来ないか、じっくりと考えてみてほしい。
フェミニストは、「〜だから、ダメ」というタイプの論理を多用する。
フェミニストが火をつける炎上は、基本、この論理のタイプで起きる。
一方、フェミニストは「〜だから、良い」というタイプの論理を使用する事については慎重だ。
この論理を使用する場合、フェミニストでなくても言える以上の結論となる事は、あまりない。「性的表象」のような妙なフェミニスト用語を使うケースは滅多に見ない。誰もが「そりゃそうだ」と思えるレベルの、ある意味無意味な内容の時に、好んでこの論理を使う事になる。
これはどういう事を意味するのか。
フェミニズムは「何が良いのか」「何がダメなのか」という事の境界線をきっちり引くことに、正面から向き合っていない、ということだ。
そして、境界線がないが故に、個々の事象に対する良し悪しの判断が、個々のフェミニストに内在する、明確な境界線のない嫌悪の反応(つまりは「お気持ち」)に委ねられてしまう事になる。
「一人一派」と言う表現は、その現状を言い換えているだけに過ぎない。
次の論戦を見てみよう。
https://togetter.com/li/1873195
この議論で最も重要な指摘はCDB氏による以下のコメントである。
小宮先生は『まずUN WOMENの主張を理解せよ』と仰いました。なので、『UNWは広告表象を問題にしており、表現を修正すれば掲載可能である』と主張していると解釈されるのか、それともUNWは作品そのものが広告掲載に不適切であると主張している』と解釈されたのか、小宮先生の解釈を伺っています。
「たわわ」の広告表象が問題であるのか、作品が問題であるのか、という質問である。小宮氏はこれに直接回答する事を避けている。
小宮氏を少し擁護すると、これは小宮氏でなくとも回答が困難な問いであろう。何故なら、UN WOMAN側がどちらの解釈が適切なのかを提示していないからだ。そもそもフェミニズムが、この場合にどう判断するかという線引きに十分に向き合ってこなかったのだから、小宮氏にはどちらとも言えないのである。
UN WOMANのコメントがなければ解釈が出来ない、という構造は興味深い。つまり、結論が先にあって、その理論付けは後から行う、と言う実態を示唆しているからである。
多くのフェミニストの主張では、個々の事象に対して、それを許すか許さないか、についての個人の無意識的なバイアスに基づく判断が先にある。そこから理屈が逆算される形で構築されるのである。
最近、「当事者性がある人が批判するべき」「当事者性がなくても批判できるべき」と、シチュエーションによって主張が安定しない論者が話題になった。
理由は簡単で、その場その場で結論から後付けで理屈を構築しているからである。
シチュエーションによって、議論の構造と前提が異なるため、その場で自分に都合の良い形(言い換えると「お気持ち」)で論理を組む事になる。結果として、ダブルスタンダードな主張が散見される事になる。
良し悪しに関する客観的な物差しの不在はまた、男性に向ける物差しを自分に適用しないように巧妙にサボる事も可能にする。
「海、似合ってないね」という例の動画を見れば、これがジェンダー的にかなり多くの要求を男性に課している事は間違いない(性別を逆にして、スタイルの悪い女性に「海、似合ってないね」と言ったら大炎上するのは、火を見るよりも明らか)。しかし、何人かのフェミニストはこの動画を絶賛した。
それは、彼女らが自身の中にジェンダーについての規範をインストールしてこなかった事を強く示唆している。言い換えると、相手に求める厳しさを自分に適用していない、という事である。
「たわわ」や「宇崎ちゃん」に怒りながら、BLの不健全図書扱いに怒るフェミニストもまた、非常にわかりやすい例である。男女間で別の基準を適用することの狡さを、本人の中で言い訳をしながら共存させてしまっているのである。
フェミニストは、ダブルスタンダードと言われても意に解さない。
自分が悪者になりうるような基準を、そもそも自分の中に持たない(もしくは言い訳、という形でパッチを当てる)事で、「自分がおかしいのではないか」と懐疑心を持たなくても済む、という構造があるからである。
なので、フェミニストが自分が責められた時によく使うロジックは、「それには当たらない(だから自分は悪くない)」である。常に自分は(何やかやと言い訳をして)安全地帯にいることになっているのだ。
私見だが、
この文章を読んだフェミニストは恐らく「これは、きちんと書けていない。だから自分の話では無い」と矮小化するか、「この論理は破綻している。だから認める必要はない」と全てを排除するか、の大きく2つの類型に向かうのではないか、と予想している。
フェミニストの一部に非常に性格の悪い人間が居る。多分本人は気づいていないだろうが、周囲からは丸わかりである。これはフェミニズムが他責型の人間にとって居心地が良い構造にあることと無縁ではないだろう。
フェミニストは行動を起こした結果がどうなろうと、その事にはあまり関心を持たないし、結果に責任を取ろうともしない。ましてや「これはやり過ぎたのでは?」と思う事もない。
大量の人間を集めて、一人の人間を徹底的に糾弾するほど、社会的に強いメッセージを発している。にも関わらず、問題が起きても、誰も責任者が出てこない。これはあまりに情けない話で、呆れている。何故フェミニストはこんなにも無責任な人間の集まりなのだろうか?
オープンレターでもう一つ興味深いのは、「教授」などの肩書きをとても重要視している事だ。単なる署名であれば肩書きは不要であるはず。肩書きをつける事で権威を付けて相手を攻撃しようと言う意図を読み取る事ができる。
たわわの件でも「UN WOMAN」が日経新聞に抗議するというアクションが取られている。
演繹的な議論を嫌う性質と、結論ありきの権威主義は相性が良いといえば言い過ぎだろうか?
この文を読んで、「アカデミックなバックグラウンドを持つ人物かどうか確認出来ないからダメ」と考えるならば、それはつまり権威主義の病が膏肓に入っていると言えるだろう。
フェミニストは自分を省みないので、まともにこれを読まない人間がきっと多数だろうが、フェミニストでなければ首肯する点が多いのではないか。
また、上記の逆になるように行動するようなフェミニストは健全であるとも言える。皮肉ではなく、そのようなフェミニストであれば全力で応援したい。
他者にばかりアップデートを求めるフェミニストに自らのアップデートが出来るとは到底思えないが、実現すれば結果としてもっとジェンダー的にフェアな状況が生まれるように思える。
若い世代でフェミニズム離れが進むのは、こういうフェミニスト・フェミニズムの(卑怯な)特性に嫌気が差している部分も大きいと考えるからだ。
面白いなー。園子温への対応の話以外にも一貫性の無さを取り上げているのだけど、園子温の件を否定できれば俺無罪!!という感じのブコメが多くて興味深い。通底するテーマは批判するかしないかに関する基準の無さ、一貫性のなさだよ。園子温に対する考え方をちょろっと批判した、という程度では揺らがない部分。
BL無罪の人なんて、フェミニストの矛盾を体現するようなアクションだったけど、そこには全く目を向けない。まー、フェミニストは、自分に問題があるかもしれない、という論理は受け入れ無いということが良くわかる。
lacucaracha:
有罪だから語るべきものがない、って不思議な論理だね。UN WOMANが、園子温(や榊秀雄)のような現在進行形の問題よりも先に、たわわのように複雑な議論が必要な事象を糾弾したのは何故?
cinefuk:
「女性差別的な文化を脱するために」と、特定の人間を貶めるためにフェミニストが結集し、オープンレターを叩きつけ、失職に追い込んだのと比べると、今回は弱々しいですね。名指しでないオープンレターぐらいはあってもよかった。
(女性原作者のオープンレターをフェミニストの手柄にするような下衆しぐさはしませんよね?)
「たわわ」との違いは、園を免罪しようとする擁護が出なかったからでは。炎上案件は、フェミの批判より反フェミが盛り上げてる印象
たわわには反論すべき論理もあるけど、それ故に炎上の責任を負わされる、という構造があるのであれば、それは容認していいの?
ウクライナが抵抗したから戦争が激しくなった、みたいな論理ですよ、それ。
todomadrid:
園子温を支持しているフェミニストなんて存在するの?そしてそもそも、広告のバッシングは広告主や媒体、もしくは痴漢をバッシングしているのであって、オタクをバッシングしてるわけじゃないので勘違いでは。
何で「園子温を支持している」にすり替えてるんだよ。こういうフェミニズムの卑怯さの構造を説明したんだからしっかり読め。
フェミニストのオタクバッシングは結構見苦しいものがあるので、これも話をすり替えないように。だから、たわわと園子温事案の熱量の差は何だよ?という話をしている。
kohgethu:
誰が性的加害やらかした映画監督どもを無罪と言ってるんだ?奴らは粛々と社会的制裁を受けてるし騒がなくても罰せられている真っ最中なので騒ぐ必要が全く無い。もしも当人が足掻いたならたわわレベルに炎上するよ。
https://www.jprime.jp/articles/-/23703
Domino-R:
一昔前に、一部の女性が自分はフェミニストをやめたと、怒りながらに距離を置くのを見ていたが、理由が分からなかったんだな。
フェミニストとの議論を通じて気付いたのは、フェミニストの立論が場当たり的で、論理がなく、端的に不誠実だという事。何故か自己中心的で、話のすり替えに余念がないクズが多くて、腹が立つ事がやたら多いんだよ。
フェミニストは、ツイフェミに限らず、例えば立憲民主の中で、まともな議論を尽くさずに議員を辞職させたりしている。害悪が大きくなるばかりじゃん。その構造がクリアでなかったので、まず見える化をしようとして書いた。
今回まとめた特徴に合致しないフェミニスト、ほんと見つからないね。居たら連れてきてよ。1人でも居ます?
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草木がぐんぐんと健やかに勢い良く育っていくこの季節、庭に出ることすら憂鬱な超インドア派の同士諸君、草取りなど励んでおられますかな。
わたくしは勿論しておりませんとも。
現在、玄関回りにドクダミやらスギナやら根が残り、毎年蔓延る悪質な草どもがおおいに繁茂しつつある状態。放置すればあまり多くない出入りの度、また配達人の脛にドクダミの悪臭を擦り付けることになります。
なので草取りはしなくてはならないのです。嫌だ。
郵便ポストを明け閉めするためにドアを出ることすら嫌であるのに、草取りのために長時間ドアの外にとどまらねばならない、しかも秋遅くになるまでこれから何度となく。
なんて嫌なんだ。
非常に気が滅入ります。
その為、除草剤を使うことに。
繁茂しているドクダミは憎たらしいことに枯らしたくない草木に纏わり付くように生い茂って、何もかも枯らし長持ちする薬剤をじょうろ等で手軽に散布、といかないのが辛い。
憎いどくだみを狙い枯らすのに、葉や茎から根に吸収され枯らし、土壌に落ちたぶんは分解される薬剤を使います。
わたくしは刷毛に薬剤を含ませひたすらにちまちまと塗るのです。
超絶なる手間。
面倒なことこの上なし。
しかし枯らしたくない植物を避け邪魔なドクダミを枯らすには知識も資金も(ドクダミには25倍に薄める400ミリちょっと入り税抜き498円)乏しいわたくし。直ぐ出来るのはそれしかなく。
もう生えてきてくれるな死んでくれ根まで枯れるのだぞと念じながら塗る。塗る。塗る。
ひたすら塗る。
足は痺れまくる。時間がかかるのも嫌。でもこれからずっと暑い期間が続き蚊やスズメバチも跳梁跋扈するというのに今を逃したら地獄。だからがんばれわたし。がんばるのだ。
そして雨に薬剤が流されなければ一週間ほどで憎き草どもは茶色く枯れるわけであります。
冗長なる語り、スペースを分け与えて下さるはてなと寛容なるはてなーに感謝。
よい一日を。
セックス自体に強い関心があるというより童貞コンプレックスを一刻も早く解消したかったのが本音。
彼女はコンプレックス解消の恩人であるのだが、脱童貞してから彼女の事が煩わしくてしょうがない。
もともとインドア派かつ一人で楽しむのが好きなので彼女から食事だの映画だの旅行だのの提案をされるのが苦痛。
連絡する期間を空けるとキレてくるので定期的に必要のない連絡をしなければならない。
最近はどれくらいの期間であれば連絡しなくてもキレられないかを探る作業みたいになってる。
脱童貞するまでは彼女に対して強い気持ちがあったし、連絡取るのも彼女の提案に乗るのもある程度楽しめてた。
高校生になって初めて小学生のような足が速いからかっこいい〜!を卒業し全然かっこよくないかわいくもない人を好きになった
私と同じでインドアで綺麗な字を書く人だった
どん臭くて変わっていてクラスでもちょっと浮いていてそして私の友達が好きだった
高校の途中から二人が付き合うようになり私は嫉妬心を抱えたまま、ときにその気持ちをぶつけ相手を困らせたり口を聞かなくなったりもした
それでも友達でいてくれた
大人になってからも二人との関係は続いたものの、少しして二人は別れ、私が好きな人は別の人と出会ってしまった
遠い地で私の知らない人と付き合っていることに目を向けたくなくてチャンスは何度もあったのに一度も相手には会わなかった
先月その人と結婚した、らしい
趣味がネット・ゲーム・アニメ・映画で物理的な物を買わないから
全然お金が余る(趣味娯楽費0~2万円)。特にほしいものなし。
逆説的に考えると、いまの自分って欲しいものはコンプリートした状態で
人生ゲームにおいてゴールを迎えてしまった状態なのでは?とも思ってるんだけど
特段欲しくないもの
・配偶者と子供(一人が気が楽。一人だと寂しくなるのだろうか・・・)
・10万くらいするベット
・10万くらいする布団
・MetaQuest2
・AmazonPrime ※可処分時間的にネトフリまでは見切れない
現在やってること
今後やりたいこと
・過去の名作ゲーをやる
・料理
・お絵描き
・3D作成
他にもインドアな趣味、たとえば美術館とか入っても、街にいる人よりもルックスが一段下がるな…とは感じるのよね。
もちろんルックスいい人でもこういう趣味をやることがあるのはわかっているけど、自分が最近思っているのは、ルックスと趣味って案外関係があるんじゃ?ってことなんだよね。もっとおおざっぱに言っちゃうと、「萌えアニメとて映像の一形態にすぎないのに、ブサイクな人ほど萌えアニメを好む傾向があるように見える(なぜブサイクばかり萌えアニメを見て、イケメンは見ないのか?)」ってこと。うーんよくわからない。
自分の仮説は
①住んでいる文化圏が違い、ルックスのいい人は萌えアニメを知り合いから勧められたりしないので、興味を持つことがない
②ルックスのいい人でも萌アニメを実は好きだが、表出すると自分のイメージダウンが予想されるので、趣味を表に出さない
③人は一般的に陽キャ的な趣味は好きだけど、ルックスに合わせてそれを諦めたり選んだりしている(つまり隠キャも顔が良ければ萌えアニメなんて見ずにサーフィンとかやってる)
※ここでいうルックスのいい人…てのはグラデーションのように幅のある概念と思ってくれ。ちょっといい人からめちゃくちゃいい人まで含む。
時給4kの単発バイトしてきた
まあ結果的に時給になったってだけで募集条件は日給だったんだけど
時給4kになると思ってやって実際そうなったからよかった
引っ越しの一部手伝いみたいな感じ
昔引っ越しのバイトしたことあるけど、それに比べたらクソ楽だった
拘束時間も短いし労力も最小限
大手バイトのときは4人くらいいても実質俺がほとんど運んだりしなきゃでクソきつかった
そんで丸一日拘束で源泉引いて6kとかね
今はもうちょいマシになってんのかなー
まあともかく本業とは別でいい気分転換にもなったし、ふつうのリーマンやってたら聞けない話も聞けて楽しかった
コロナでインドア需要ふえていろいろ不用品回収もふえたかと思ったらそうでもないとか
なんにせよ俺より若くて一人とはいえ会社代表やってる時点で俺よりすごい