はてなキーワード: つんとは
外国の血が入っているのか真っ白い肌で堀が深くて映画の中から抜け出してきたような美形の男の子
けれど典型的な純日本人という名前ですこし不思議な感じがした。
僕らの住んでる貧乏人しかいない、馬鹿みたいに広い団地でずっと鬼ごっこをしてた。
片親の家庭ばっかりだったから、外で遊ぶのに飽きたら誰かの家に行って勝手に冷房かけてゲームやらなんやらして遊んだ。
すごく若くて20歳ぐらいにい見えた。
たぶん俺らと同じで片親だったんじゃないかな。
いま思えば外国人の父親に日本人の母親が孕まされて逃げられてみたいな家庭だったのかもしれない。
すごく気のいいやつで、こいつと新学期から同じ学校だなんて最高だなって思ってた。
けれど夏休みが終わって、始業式の日になっても学校にあいつはいなかった。
「なんでだよ」
けれどあいつの住んでたはずの号室にいくとそこは空き部屋になってた。
誰もいなくて不思議がってる俺らを怪訝そうに見てたおばちゃんに、
でも確かに俺たちはあいつの部屋でゲームしたり、漫画読んだりしてたんだ。
あれから20年ぐらいたった。あんな団地に住んでた奴なんて、みんなろくな事になってない
俺もそんな一人だ。
その日も日雇いの仕事から帰ってきて、現場送迎のバスが発着する錦糸町で一人で酒をひっかけて飲んでた。
貧乏だと誰かと飲むより一人で飲んだほうが楽しいんだ。近況報告なんてしんどい話ばっかりしか無いからな。
千鳥足で改札へ向かっていると、あの時の夏休みだけ団地に居た男の子の母親が、
キーホルダーを付けた大きな登山用バッグを背負っって6歳ぐらいの女の子と手をつないで立っていたんだ。
そいつは女の子を後から来たおっさんに預けて、改札をくぐっていった。
だけどな、どう見ても歳をとってなかったんだ。
あれから20年たってるのに何一つ年を取ってない。
怖くなっちゃって家に帰るのも不気味で、近くのカプセルホテルでブルブル震えながら一晩過ごした。
そういえば俺たちが住んでた団地、取り壊されて大きなマンションができるらしい。
なんとなくホッとする。
たまに分厚い冊子とかあっていちいち処分するのが馬鹿らしくてうんざりしてるんだけど
たまに分厚い冊子とかあっていちいち処分するのが馬鹿らしくてうんざりしてるんだけど
天気がいまいちなせいで昼間からとても眠かったので、眠気のせいでバイトで凡ミスして客からキレられたら嫌だなと思って、昼寝した。低気圧の夕方っておかしな客ばかり(しかもアラフィフの女性がとても多く、なんか怒りを爆発させるネタを探しに態々出かけて来てるんじゃないかなって感じだ。気に入らない事へキレる反射神経が光速に追い付いてる。)よく来るからなあ。つまんないミスで店じゅう響き渡る金切声で怒鳴られたくはない。
と、昼寝をしたらすごく生々しい夢を見たのだが、あらすじを文章で表すと、地味に荒唐無稽っぽいだけのつまらない話になる。
どういうストーリーだったのかというと、レジの仕様がまたマイナーチェンジされて、店員側のタッチパネルが常にインターネットに繋がっている状態になったというもの。レジ対応一回やるとタッチパネルが広告の画面に切り替わり、5秒以上の短い広告動画を見なければいけないというタスクが発生するし、レジ対応の最中にも広告のポップアップが画面に出て来て仕事の邪魔をするのである。
なんだこの鬱陶しい広告。本部の奴らは何を思ってこんな糞みたいなシステムにしたのだろう? と思いながらも21時まではトラブルがなかった。ところがだ。老人とチンピラみたいな若者の二人組がレジに来てアメリカンドッグ二本を注文してきた。それで私は、他に店内に客がいないからと言って横着をして……レジに注文を入力する前に商品を取って来て、それからレジを打とうとした。ところが、レジのタッチパネルの「フライヤー」の所に金貸し屋の広告バナーがかぶっていて、何をどうしてもフライヤー商品の入力が出来ないのである。私は焦りながら試行錯誤をするのだが無理で、その最中客二人組が早くしろこの能無し! のろま! アメリカンドッグが冷めちゃうだろ!! と罵倒してくる。万策尽きたと思った私はオーナーに電話で聞くしかないと思い、
「申し訳ございません! 今、オーナーに電話で確認しますので、もうしばらくお待ちいただけますか?」
と言ったが、客二人組はもういい!といってレジ横の電子タバコの立体広告を蹴飛ばして店を出ていった。
と唸っている自分の声で目覚めた時、まだ午前10時5分だった。寝ようと思ってから一時間も経っていない。あまりにも鮮明な悪夢だったので、ぼんやりした頭でこんな場合はどう対応すればいいのかオーナーに問い合わせのLINEを送ろうと思い、真剣に文面を考えていたらその間に寝落ちしたのか、それもまた夢の一部だったのか、よくわからないが気づいたらまた夢の中にいた。
出勤したら更衣室の場所が変わっていて、事務所の片隅ではなくトイレの横になっていた。で、新しい更衣室に入ったら、三つの従業員用ロッカーがあった。その一つ一つが充分な大きさがあるし、女子のぶんだけで三つあるってことは、シフトに入った相手と共有しなくて済むし、広々と使えるなぁ、やったー! と思ってそこに荷物と私服を入れた。
そして、上がりの時間の十分前にトイレ掃除をしようとしたとき、交代のバイトが出勤してきたのだが、一人はDさんでもう一人は見たことがない人だった。新しい夜勤のバイトだという。それで挨拶をしようとしたのを新しい夜勤のバイトだという人が遮ってきて、
「ロッカーの荷物、さっさと退けてくれないですか? それ、正社員用なんですけど。っていうか、どうしてただのバイトの分際で個人ロッカーが与えられると思ったの? 笑けるんですけど。ほら、てめえのような下賎の者の荷物置き場はここだよ、クズ」
と、更衣室の隅っこ似合った廃材一歩手前の朽ちかけの下駄箱のような物を指指した。
新しい夜勤のバイトだという人が更衣室を出て行ってから、Dさんがこっちに来て言った。
「ちゃんと説明されないとわかんないよねー。私もさっきあの人に言われるまで、新しいロッカーやっほーって思ってました。なんかね、オーナーが最近クトゥルフ神話にハマってて、それで占い師に正社員を雇って大事にしろって言われたらしくてー、すごい豪華な仮眠室作ったりとか、トイレも特別に改装したりとかして。あ、ちなみにうちらバイトの専用トイレも作って貰えたんだけどこれです」
Dさんは更衣室の片隅を指差した。そこには何の仕切りも目隠しもなく、蓋がなくてしかも小汚なくアンモニア臭い様式便器がぽつんと設置されていた。ケツはお花紙で拭けと。そして、トイレの背後が窓ガラスの填まっていない窓があって、そこが何でか客用トイレの個室と繋がっている。
今日の仕事は暇な時期の日曜日くらい暇だった。Aさんは今日も休みで、オーナーがシフトに入っていた。暇過ぎてオーナーが話しかけて来るのだが、一々距離が近い。以前は2レジにいる私へオーナーが1レジからクソデカボイスで話しかけて来ることが多かったが、それは私がまだオーナーにあまり信用されていなかったからだ。最近は私が「はい」「わかりました」とキャバ嬢のさしすせそくらいの事しか言わず、淡々と仕事をしているせいで、信頼度が上がったようだ。オーナーは心の距離()がすぐ物理的距離になっちゃう質らしい。それで老若男女関わらず、信用している従業員には至近距離で話しがち。
20時から新人の高専五年生がトレーニングに入った。とっくにAさんが詰めこみ教育をしたことを、オーナーはまるで初めて教える時のように教え込んでいた。高専五年生は大人しく聴いて、言われた事を黙々とやっていた。
だが高専五年生は、事務所やバックヤードからフロアに出る時に「いらっしゃいませ」と言うという決まりを、何度オーナーに言われてもちゃんと出来なかった。あまり愛想の良い性格じゃあないのかな。でも話しかければ普通に応じてくるので、全くの無愛想でもない。ただフロアに出るというだけで「いらっしゃいませ」という意味がわからないから言いたくないのだろうか。しらんけど。
まあでも、夜勤の若い男子が無愛想でもほとんどのお客様は全然気にしないから、いいんじゃないだろうか。私だて今までの半生のなかで、気さくで若い男性コンビニ店員なんかたった一人しか見たことがないしなあ。
当店に勤め始める前に私が働いていた同系列他店の夜勤だった、イケメン正社員氏がその唯一の気さくで若い男性コンビニ店員だった。彼は恐そうなおじさん達にとても好かれていたので、男でもそういう性格で損することはないのだろうなと思う。でも別に、無愛想だからといって無闇やたらと因縁をつけられる訳ではない。だが女の場合、接客業なのに無愛想だとわりと致命的だ。時には暴力沙汰にまで発展してしまうので、元が根暗だろうとなんだろうと、仕事中だけは明るくちゃきちゃきしてる振りをしていた方がいいみたい。
21時頃だったかに、久しぶりにセクシャリティを服装で表現しまくるタイプのゲイのお客様が来店。いつものタバコを買っていかれた。左耳にだけピアスってことはタチなんだなこの人……あ、そういえばJUDY AND MARYの『そばかす』の歌詞に「思い切りあけた左耳のピアスには」ってあったけど、女子が左耳にピアスを開けるとなんか別の意味あったりするんかな……と思いつつ見送った。
当店には行楽シーズンとかに、なぜかよくセクシャリティを服装で表現しまくるタイプのゲイの人達が立ち寄るのだが、近くに何か会合でもあるorあったのか、時間を微妙にずらして同じような服装の屈強な男達が続々とやってくるのだ。なんか、平成時代のJK並みに同じ服装をするのが好きなんだな。
もちろん、そういう服装じゃない系のゲイのお客様もいて、パートナーと手を繋いで買い物をしているのを時々みかける。
そういえば、去年の年末だったか……歌舞伎町から車で友達の家に行く途中に寄ったというゲイのお客様が来店したことがあって、そのお客様はAさんを見て、
「あら、あんた良い男じゃない?」
と一目で気に入ったらしかったが、でもお会計の時にAさんに対してなんか意地悪にネチネチと絡んできたらしくて、後でAさんが、
「気に入ったなら優しくしろよな!」
と荒れていた。まあでも、せっかく顔を誉められたのに平常通りクソみたいに雑な接客をしたからだろっていう。
そんなこともあった。
仕事上がりに事務所の隅っこの更衣室で着替えている最中に、ふと壁に着いている姿見がロッカーの扉の内鏡と合わせ鏡になっているのに気づいた。まあでも普段からその二枚の鏡で自分の後頭部を映して後れ毛のほつれチェックなどをしてはいるのだが、うまく距離を取れば小さな内鏡にも腰の辺りまで写せるということには今日初めて気づいた。自分の背中を、無理な体勢にならずに見たのって人生で初めてだが、私って本当に姿勢がいいんだな(この間、女子フリーターアルバイトさんに言われた)ってなんか感動した。
お前が賢いわけでもないのに偉そうなんだよ どうやったやそう育つんや
20代前半の女。
今は身長は170台で小学生当時から背の順は1番後ろだったけど小学6年は伸びが悪くて次に大きい子と3ミリ差とかだった。ちなみに158cm42kgとかの筋力皆無の痩せ型だった。2人前とか余裕で食べてたのに。
自分が通ってたのはお受験が要るような小学校だったんだけど、そこの伝統だった5年6年の組体操がまあ酷かった。というか担任が酷かった。担任に嫌われてたんだと思う。
5年のピラミッドは40人弱のクラスごとで作る。前述の通り身長が高い自分はピラミッドでは「黄金の3列目」って言われてた1番しんどい位置を任されていた。てか男女混合なんだから筋力のある男子に任せろよ。
あ、ちなみにピラミッドの1番しんどい位置っていうのは土台の前から2列目な。3列目って呼ばれてたのは組み上げて行く時に3列目だから。1番前の1番下は意外と土に紛れた石ころの痛さぐらいで大した事ないんだ。1番重さがかかるのが2列目。その中でも左右じゃなくて真ん中が1番力がいる所だった。で、写真にも映らない。辛い。
5年の時は2列目ではあったけど端の方だったのでまだマシだった。しんどかったけどな!
担任にも文句を言ったんだ。「筋力がない自分がこの場所はおかしい、しんどい、自分と身長の変わらない女が最前でニコニコ写真に映ってるのが許せない」って。取り合ってもらえなかった。
問題は6年だ。6年は学年60人弱の男女別でピラミッドを作る。
5年と6年は担任が同じだったので5年で味をしめられたのかまた「黄金の3列目」に選ばれた。クソ。
学年に3クラスあってクラスから2人ずつぐらい黄金の3列目が選ばれたんだけどその中の1人になった。しかもクラスが2組みたいな感じだったから真ん中に入れられたんだ。去年よりデカいピラミッドなのにもっとしんどいところなんて普通に無理だろ。
最初の練習は芝生の上でやったんだけどこれがまあ辛かった。死ぬかと思った。終わった後に校長が隣のガタイのいい子に「君が黄金の3列目の真ん中か!頑張れよ!」と言っていた。偶数だったので自分も真ん中だったのに声はかけてもらえなかった。
マジでマジでマジで死ぬかと思ったのでその場で泣きながら担任に「本当にしんどい、死ぬかと思った、耐えられない」と言ったけど「じゃあ他に誰がやるの?」と取り合ってもらえなかった。は?教育実習生が来てた時期だったんだし最悪そいつらにやらせろよ。こっちは無理だって言ってんだろ。
ちなみになんだかんだ本番はアドレナリンが出て大丈夫なんだけど練習が本当にキツい。
そこからはもう地獄の日々だった。運動会の練習なんて毎日のようにあるけどピラミッドをやる日は登校したくなかった。でもピラミッドをやるかは登校しないと分からないので登校せざるを得なかった。
もう一回ぐらい芝生の上で練習があったんだけどその時にもう限界過ぎて四つん這いの腕を曲げようかと思った。そしたら上が崩れて自分のせいになって訴えを聞かなかった担任のせいになるなって思ったり、自分が怪我したら組体操出なくて済むなって思ったり。
でも自分にはそんな勇気無かったんだ。せいぜい上に一段組まれてる時に腕をちょっと曲げたり腰を曲げたりしたぐらいで上がおっとっと!ってなるぐらいだった。
自分がなんで勇気が出なかったか、もっと他の先生に言えなかったかって伝統だったからなんだ。
「サボテンと補助倒立が1組も失敗なしで出来た学年はまだありません!今年こそ!」って紙が張り出されたりするような状況でピラミッドを崩すなんてできなかった。
結局本番はうまくいった。でも自分は担任を許していなかったので運動会の作文にもこのことを書いた。まあ何も起こらなかったけど。
組体操のお手本として講習会とかやってるような学校だったけど実情はこんなんだった。今はもう組体操やってないらしい。やらないほうがいいと思うわ。
素朴に「男ってそんな他人にちんこ見てもらいたいものなの?」ってのと「女がちんこ見て喜ぶと思ってんの?」って2点がよくわからないんだよね。
これまでにも男から急にちんこ画像が送られてくるという経験は結構あって、この人は一体何がしたいんだろうって不思議に思ってた。
送られたこちらの感想は「はい、ちんこですね?」でしかなくて、不快とかどうとか言う以前に「これはどういう意味なんでしょうか?」「何をもとめてこれを送ってきたのでしょうか?」という不可解さのほうが先に立つんだけど。
で、元増田を見る限り、それなりの数の男に「自分のちんこを見てもらいたい」という欲求が普通にあるのであろうということはなんかわかったわ。
ところが、ちんこ画像クリックするのに「ゲイと富裕層の女が課金する」ってのをみて「??????」となった。
そもそも、不特定多数のちんこみたい女っていないと思うんだよね。
そりゃ、思春期で男の体に興味津々みたいな子供とかは知らんよ。あと、憧れの素敵な男性のちんこがどうなってるのかは気になるという向きもあると思う。しかし、有象無象のちんこには特に興味ないし、見たとして「得した」「いいものを見た」とかは思わないし、ちんこ見て性的に興奮もしなくない??
でも、富裕層が課金するということは、普通の女はちんこが見たいが金がないから我慢している、って仮説だよね?
それ多分ないと思うし、なんかそこにすごい断絶がある気がする。
フェミの二次絵批判はもう少し手が込んでいて、(確かに直接の悪影響を言うフェミ議連のようなバカもいるけど)例えば架空のキャラであれ、戸定梨香という性的要素のあるキャラが警察のキャンペーンに使用されることで、なんとなく「未成年女性を性的に見ていいと社会が認めることにならないか?」というものだ。
確かにそんな遠回りな理屈が成り立つんであれば、例えば安倍元首相を模したマスクをブルドーザーで轢くパフォーマンスに共産党議員というイチ公務員が関わることは、まさに「あべ◯ね」というメッセージを少なくとも共産党という組織が公的に認めたことにはなるよね(だから吉良議員は必死になって否定するんだろうが)。
戸定梨香がただその造形が問題にされただけで「私を性的に見てね」なんていうメッセージは一切出していないのに比べて、ブルドーザーデモなんてあまりに直球のメッセージだよね。
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
今日選挙行ったけど何がめんどいって投票所まで行くのがまじでめんどかったんだよな〜〜〜
でもネットで投票はさすがに色々問題あるから今のところはなしだなぁと
で やっぱ投票所がもっと近くにいっぱいあればいいのにな〜と思った
駅ナカに最近よくある人1人が入れるくらいのコワーキングスペース?みたいなのを駅とかショッピングモールとかなんなら無人精米機みたいに道端にぽつんとあってもいいし
あんな感じの箱を色んなとこにぽこぽこ置いてさあ
投票券?についてるバーコードぴってしたら入口が開いて、中でまたバーコードぴってしたら投票用紙が出てくる みたいな もっと普及したらマイナンバーカードと紐付けとかでもいいよねあのバーコードついてる紙持ち歩くのもめんどいし
で 投票期間を1~2週間くらい設けといてちょっと出かけたついでとか仕事の帰りとかにふらっと寄れるようにする
とかでどうかなぁ
政府で働く人の悪口をみんなで言うと,その悪口を聞いた誰かが,日本を良くしようと思って銃でその人を撃ったりするんだよ.その人が撃たれた後にみんな暴力はいけない断固として許せないって言うんだよ.言葉の使い方は気をつけようね,みんなの悪意の責任はみんなで取ろうね,メディアも個人も.
https://twitter.com/ochyai/status/1545282099963625472
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/ochyai/status/1545282099963625472
RT 安倍元首相が撃たれた件、「暴力ではなくちゃんと法で裁かれるべき」という意見があるが、肝心の法曹(もメディアも)ダメダメだから暴力が顕現してきたんじゃないか。
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1545248752470228992
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/anatatachi_ohno/status/1545248752470228992
安倍元首相銃撃の報に接して
http://blog.tatsuru.com/2022/07/08_1344.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.tatsuru.com/2022/07/08_1344.html
ここら辺のブクマとか見て思ったんだけど、まず自分が安倍元首相が撃たれた流れに加担してないか反省するようなコメントって本当に少ないんだよね
可能性として否定する事は絶対に出来ないそれを見つめる事も大事だとは思うんだけど
人間にどうする事も出来ない自然現象や超自然的な力とかが人の生き死にを決める場合で無いなら
一人一人がまず自分が他人が撃たれる流れを加速してないか立ち止まって考えてみると、それは大きな抑止力になる気がするんだが…
自分もあやうく気に入らないブクマカにお前の考えは駄目だと絡んでいきそうになったんだが
それはきっと人の死を増やす流れに加担していると思ってやめた
いいやブクマカの意見の多くが案外正当性を持ってるのかもしれない。でもただ少しばかり自分の悪い可能性についても考えてほしいんだ
どうしたら伝わるんだろうな…もし言論に力があるなら、まず自分がインターネットなどに書き込む文章が
他人が撃たれることを加速させる作用が無いか気をつけてみるコメントも力を持つんじゃないだろうか…
いや、模倣犯が増えないと駄目でしょ。
日本で選挙やっても自民が勝つんだから、自民に対する抑止力として少数派が暴力で自民の横暴を止めなければいけない。
特に改憲掲げててたり、マイノリティを差別するような奴らを積極的に暴力で黙らせていかないと日本はいつまでたっても良くならないよ。
“僕は宮崎勤事件の頃の世間の空気や幕張メッセ事件も知ってるしあの時代が「オタクとコミケ最大の危機」であったという認識もあるんで、だからこそ「赤松健がいなければコミケは壊滅してた」みたいなデタラメを平気で言うヤツがいると腹がたつんですよ。あの時ほどの危機が近年いつあったってんだ。”
“これまでの「表現規制」の認識と自身から発せられる言葉が『ポリコレ腐臭』と煙たがっている層に対してだけに響く程度でエエのんかと。政治をやる態度として、あんたこれで6年議員すんのかとの疑いが日増しに強くなってます。”
『ポリコレ』言うけど、でるとこにでたときの判断ちゅうことやね。
普通にモデルになった人が裁判起こしたりしてるじゃん。プライバシー侵害と名誉毀損で。この人、表現に関わることについてこんなに無知なのを公言していいの…?
“本当にオタク界隈マジでどうかしてる。エロのために、……表現の自由を守るのを政府側に委ねるなんて、どうかしている。表現の自由の「原理的にありえない」ヤジポイ裁判を見ても、現に警察権力まで使って表現の自由を規制している”
“コミケに比べると小規模ですが、今年も逆恨みや思い込みによるデマでイベント、会場への嫌がらせが害悪オタクによって行われ、イベントが中止になってます。なお、当然×××も××党系議員も何もしませんでした(××××や××にメール相談したのに対応しなかったし)”
今現在不登校に悩んでいる中学、高校生の中にも死んでしまいたいと思って日々の時間が過ぎていくのをただ待っているだけの生活を送っている人がいるかもしれないけれど。地獄のような生活から逃げ出したい一心で自殺を考えている人には、少しだけでも楽しいと思えることができる日が来るのを待っていてほしい。どうか自殺へと行動を移さずに、今も流れ続ける時間を忘れられる方法で一日を過ごしてほしい。
そんな思いで書いています。
成人して数年、久しぶりに一本の煙草を吸ったらいろいろな記憶が蘇った。あの頃までは元気になんでもできるような気がしていたのに、ある時をきっかけに学校へも通えなくなった。
時を遡ると、高校に入学した15歳のころ。ある程度の学力がある人々が集まっていた高校なのに、私のクラスではいじめがあった。被害者はNくんとしておこう。Nくんは比較的活発なグループからまずいじめられはじめ、もともと彼が仲良くしていたおとなしめのグループからもいじめられるようになった。彼がいじめられる姿を見て、情けない姿を皆が嘲笑うようになった。私はそこに存在するただの傍観者だった。
時々、私は彼と帰った。Nくんは太鼓の達人が大好きで、放課後のゲームセンターで上手なプレイを見せてくれた。彼は確かに挙動不審なことが多かったが、それでもいじめられる理由にはならないはずだった。私はその中で、彼がいじめられ続け精神的に追い込まれ部活も行けなくなったこと。勉強も手につかなくなったことを知った。それでも私は彼とたまに帰宅する程度の仲を保っていた。
このころ、母が国指定の難病に罹患してしまった。そして私は最低の行為をしてしまった。うつ病の薬のこともあり記憶にもやがかかっているが、自分が最低のことを母にしてしまったことは覚えている。
体調を崩し脱衣所で四つん這いになったままの母に、私は「何してるの? 大丈夫?」という声をかけながら、心の中では私だって忙しいしつらいのになんで家事をしてくれないんだろうと母を責めた。もちろんそれは口に出さなかったが、それと同じくらい非道な言葉を母に投げかけた。
「体調が悪いふり?」なんて、今考えるとどうしてそんなことを言ってしまったのかわからないほどの言葉を投げかけたのだ。当時私は母が何に苦しんでいるのかつゆ知らず、難病のことも知らされておらず気を許せる友達もいない戦場のような高校に必死に通っていた。
母はまもなく入院となり、それが信じられなかったのかもしれない父は私には何も教えなかった。家庭から笑顔は消え、父は仕事、私は学校へ通い夜は二人で家事をするという無機質な日々だけが続いた。
母が数か月後家に帰ってきたとき、彼女は骨と皮だけのような姿になっており、帰ってきて階段を上がりきった途端にリストカットするような素振りで「死にたい」と何度もつぶやいていた。私は綺麗だった母が幽霊のようになってしまったこと、悲壮感に溢れた声にもならない声で言ったことに大きなショックを受けたことは覚えている。
数か月後、母は元気になった。朝に起きられるようになり、私の朝ごはんを作ってくれるようになるまで元気になった。抜け落ちていた髪も、青々と茂る夏の木々のように生えそろった。
朝ごはんを食べ終わり、自室に鞄を取りに戻って登校しようとしたある日、私は階段を下りながら涙を流してしまった。すすり泣く私を母が見つけ、その日は学校を休んだ。思えば、この日が私の不登校と出不精のはじまりになってしまった。今思うと、知らぬ間に心にダメージを負っていたのだと思う。
この数か月前から、授業を聴いていても何も頭に入らず、自分がひどく落ちこぼれたような気がして意気消沈していたのを覚えている。数学のテストでは一桁の点数を取り、頭の良い生徒ばかりの高校ではあり得ないほどの点数を取った私は、周囲から馬鹿にされた。盗み見られたその点数を見て。Nくんをいじめていた悪魔から「あたまわっるいね、馬鹿になっちゃった?」と言われたことを、今日煙草を吸いながら思い出した。
体調が悪いと言って登校しなかったその日から、私は完全に学校に行きたくなくなった。もうすぐ高校二年生になるころだったのに、私は自宅でうつろに日々を過ごすのみだった。このあたりの記憶は防衛反応によるものなのかほとんど残っていない。覚えているのは、今でも大好きな昔の映画を観たり、小さいころに観ていたポケモンのアニメを見ながら昔は良かったなと思いを馳せていたことくらいだ。まるで老人のようなその生活を見た母は、私を精神科へと連れて行った。そこでひとまず一種類の薬を飲むようになり、だんだんと種類が増えていったあたりから私は昼過ぎまで起き上がれなくなった。
こうして”立派”な不登校になった私は、デ・ニーロのグッドフェローズやダニー・ボイルの(ユアン・マクレガーの名前を出したほうが分かる人が多いかもしれない)トレインスポッティングを観たり、破滅的な思考をなんとか創作の中で味わい続け、自殺を耐えていた。
詳しいことは知らないが、3年生に上がるころ担任から「3年生になると2年生のころのように不登校のままだと卒業ができなくなってしまう」ことを告げられ、私は仕方なく登校を再開した。
正直2年生のころも同じようなことを言われて、もうどうせ進級もできなくて中卒不登校のひきこもりになってしまう未来しか見えていなかった私は、4月から懸命に学校に通った。死にたいことを何度もほのめかす私を。父と母は応援してくれた。父は通勤用の車を私のために家に残し、毎日40分近く自転車を漕いで通勤していた。母は私を学校と自宅まで送迎してくれた。毎日だ。
途中、休むときもあったが基本的には登校ができていた。Nくんへのいじめが常態化していたクラスにいたことで脳にダメージがいっていたのか、相変わらず記憶が思うようにいかず勉強はさっぱりできなくなってしまっていた。1学期、定期テストではひどい点数を取り、受験どころか卒業が危ぶまれた。担任から何とかならないかと言われたけれど、何とかなんてならないことは私が一番分かっていた。
あのころどうしていたのかは分からないけれど、2学期からは死に物狂いで勉強をし、数学では及第点、1学期で0点に近かった世界史のテストでは90数点を取った。とりあえず3学期もまた90点ほど取れれば卒業はできるだろうと考えて、3学期も同じくらいの点数を取った。記憶がうまくできなかったので、本当に反復の反復、さらに反復のような状態だった。(今では治った)
大学ももともと目指していた高偏差値のところなんて行けるはずもなく、必死に受けたセンター試験を利用してそこそこの大学に入った。幸い、高校に入学するまでに相当勉強していたのでほとんど勉強しなくても9割近く3教科は取れたのだ。それでも自分にとってはショックで、大学に入っても落ちこぼれた印象はずっとついて回った。
心を入れ替え大学に通い始めたけれど、不登校の癖がついてしまっていて社会的生活に恐怖を感じていた私は、数か月で電車通学が苦しすぎて中途退学してしまった。
今、その大学に入りなおしてそろそろ卒業を迎える。内定も得て、自分のやりたかった職業にチャレンジできる未来が見えている。
それでも、いじめを見て疑心暗鬼になっていたことの私の時間は帰ってこない。電車に乗って高校生を見ると、あのころ違う高校に通っていればあんな思いもせずに記憶障害のようなものに悩まされることもなかったのかもしれない、と思ってしまって稀に目に涙が浮かんでしまう。
それでも時は流れ、日々は続いていく。あの頃は帰ってこないし、私ももう20台中盤だ。物事に折り合いをつけられるようになり、バイトまでできるようになった。他人と話すのが怖かったくらいだったのに、今ではコミュニケーション能力も高いよね、と年齢が上の方々からも言っていただけるようになった。(バイトを通して苦手だったコミュニケーションを何度も何度も練習するつもりで磨いた)
今、どうしようもなく不安になってこの日記を書いてしまったが、最近はうつ病のような症状も収まりひきこもる頻度も減った。それでも時折、元気がなくなると数日ひきこもってしまう。大学生活だってストレートにはいかなかった。体調を崩しひきこもった瞬間もあった。
それでも父と母は私を理解してくれ、応援してくれた。父に関しては昭和の男だから鉄拳制裁を喰らって殴り合いのけんかになってしまったこともあるけれど、いつの日かを境にうつ病を抱えている私を理解してくれるようになった。遊びに誘ってくれたり、断っても体調が悪いなら仕方ないと理解してくれるようになった。
うつ病の薬を断って、大学でのストレスからやせ体形だったはずなのに食にストレスをぶつけてしまって今では30㎏ほど増えてしまったし、今の体形の自分は嫌いだけれどそれでも毎日を楽しくは過ごせている。だからこそ、今不登校に悩んでいたり死んでしまいたいと思っている中、高校生や学生の同じくらいの年齢の方々に伝えたい。
どうか諦めずに、つらい今は好きなことをして時間が経つのを待ってみてほしい。
男だから泣くんじゃない、女だからはしたないことなんてするななんて声は無視してしまえ。男だって泣いていいし、女だって冒険をしてもいい。