はてなキーワード: 農業とは
有機農業って要は農薬を使わない農業だろうけど、農薬ってめっちゃ有機物じゃん。
と思って少し調べました。
化学界隈における有機化合物(organic compound)、無機化合物(inorganic compound)の定義は以下になる(wikipediaより)。
高校受験の理科で、様々な物質を有機物、無機物に分類する問題があったことは覚えているだろうか。
有機化合物はたとえば、人々が目にするもので言えば、医薬品、農薬、アミノ酸・タンパク質・糖・ビタミンなどなどから成る食品、香料、石油、プラスチック、ゴム、繊維など。塗料、化粧品、洗剤なども有機化合物からなる。
無機化合物の例は、身近なものだと、金属製品、宝石、ガラス、セメント、セラミックス、半導体、電池などでしょうか。
「有機農業の推進に関する法律」による有機農業の定義は以下のとおりです。
goo辞書より
ふむ。どうやら「有機」という言葉を有機化合物と同義で使うことは化学者の傲慢だったらしい。
wikipediaの有機化合物の欄に詳しい解説が書いてありましたね。
有機化合物、無機化合物という用語が生まれた18世紀末より前にも、有機体 (organisms) という言葉は存在し生物と同義で使われていた。今でいう有機物は、当時は生物の付属品と考えられていた。
18世紀末、イェンス・ベルセリウスは物質を生物から得られるものと鉱物から得られるものとに分け、それぞれ「有機化合物」「無機化合物」と定義した。
後に、当時有機化合物に分類されたものも人工的に合成できることが発覚し、定義を「炭素を含むものを有機化合物(一部例外あり)、それ以外を無機化合物とする」と修正された。が、本来「有機(organic)」には「生物の、生物由来の」といった意味があるのだ。
だから「有機農業」を生物由来の肥料だけを使った農業の意味で使うことは本来何も間違っていないのだ。
エセ科学っぽいからという偏見で間違った意見を持っていた。化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。
なるほど、以上の意味を考えても、本来の意味は、有機とは生物っぽいことで、無機とは生物っぽくないことなのだ。化学者の側が言葉の意味を曲げて使ってしまったのだ。
こういう、ある言葉の一般的な用法と、科学的な用語としての用法にずれが生じてしまうことって結構あるよね。新しい概念を定義する際に既存の言葉で運用してしまうからでしょうかね。科学用語は定義が厳密だが、一般用語は定義よりもイメージが大切だからね。
法律用語もこういったことが多いイメージ。例えば法律でいう「少年」は一般で言う少年少女を指すらしいじゃん。
という訳で、「有機」とは本来は「生物由来の」を指す意味であり、それゆえ生物由来の農業、というニュアンスで合成肥料を使わない農業を有機農業と呼ぶことは間違っておらず、化学界が定義した「有機化合物」の方が後釜であり、本来のことばの意味からはずれているのだ、という結論を知ったところで終わりにします。
私は今日もまた一つ賢くなれました。
引用の書式を修正しました。はてな記法を知らず、blockquoteタグでいけるかなと思ったらいけませんでした。ご指摘ありがとうございます。
パンの原料である小麦を始めとして、農作物を育てるには、窒素・リン・カリウムの肥料の三要素が不可欠だが、ハーバー・ボッシュ法は、窒素を供給する化学肥料の大量生産を可能とし、結果として農作物の収穫量は飛躍的に増加した。このためハーバー・ボッシュ法は、水と石炭と空気からパンを作る方法とも称された[5]。
化学肥料の誕生以前は、単位面積あたりの農作物の量に限界があるため、農作物の量が人口増加に追いつかず、人類は常に貧困と飢餓に悩まされていた(マルサスの人口論)[13]。
しかし、ハーバー・ボッシュ法による窒素の化学肥料の誕生や、過リン酸石灰によるリンの化学肥料の誕生により、ヨーロッパやアメリカ大陸では、人口爆発にも耐えうる生産量を確保することが可能となった[13]。これは1940年代から1960年代にかけて起きた、18世紀の農業革命に続く「緑の革命」の先駆けとなった[14]。また日本などでは従来肥料として用いられてきた屎尿による寄生虫の感染も避けられるようになった。
ハーバー・ボッシュ法は同時に爆薬の原料となる硝酸の大量生産を可能にしたことから、平時には肥料を、戦時には火薬を空気から作るとも形容された。硝石の鉱床が無い国でも国内で火薬の生産が可能となり、その後の戦争が長引く要因を作った。例として第一次世界大戦において、ドイツ帝国は海上封鎖により、チリ硝石の輸入が不可能となったが、戦争で使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内で調達できた(火薬・爆薬を参照)。
本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトのバイオマスを、従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が、世界中の農地生態系に供給され、世界の人口は急速に増加した。現在では地球の生態系において最大の窒素固定源となっている。さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系に窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の一端を成しているのではないかとする懸念も生じている[15]。
ハーバーは本法の業績により、1918年にノーベル化学賞を受賞したが、第一次世界大戦中にドイツ帝国の毒ガス開発を主導していたために物議を醸した[16][17]。またボッシュは実用化の業績により、1931年にノーベル化学賞を受賞している。
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2020年度の食料自給率(カロリーベース)は37%と先進国の中で最低水準にとどまっており、食料の国産化推進が課題となっている。
食料問題、自給率を大幅にアメリカに下げられている状況なので、これを早急に解除すべきだと思う。
この際だから、水田や畑の休耕地や、後継者がいなくて稼働していない農地の稼働の手助けを積極的にやるべきなんじゃないかと思う。
農業で一番困ると言われているのが、農機具の維持管理なんだよね。
国が維持管理をして農家さんに格安でレンタルするとかすれば随分と楽になるはず。
人手不足も農家のネットワークだけでなく、農業実習も兼ねて日本国内からも幅広く集めるべきだと思うよ。
人件費は国からの補助で宜しくやれば良いと思うし、必要以上の外国人実習生は要らないんじゃないかと思う。
農業への関心はTVなどを通じてそれなりに上がってきているので、日本人が就農できる機会を国は増やしていくべきなんじゃないかな。
魚に関しては陸での養殖をもっと盛んにした方が良いでしょうね。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6432245
https://news.yahoo.co.jp/profile/id/a_pqNJyZZnvkU2HAZdhYfTs-/comments
コメ大国なので、本気でやれば10年もせず1960年代の水準まで戻せると思うが、
一言で言えば、自民党内の党内闘争で勝たなければならないため。
id:hokke-ookamiが、政党の姿勢でいえば、性的少数者を漫画などの悪影響とみなす支持団体は軽視され、表現の自由市場にまかせる表明が表現弾圧あつかいされることが不思議 - 法華狼の日記というエントリを書いている。
ここでは、神道政治連盟をはじめとする宗教保守が、マンガなどの表現の弾圧を表明しており、その団体が自民党の主要な支持団体であることを問題視していないこと。また、あくまで、表現の自由市場の中での淘汰を主張したに過ぎない日本共産党を問題視すること。この二つを批判している。確かに、一見すれば変な話だ。
しかし、これは、自民党と日本共産党の基本的な性質の違いというものを無視している。
ご存知のとおり、自民党は政権与党である。また、この政権与党の地位は、かなり盤石なものであるとも見て取れる。そして、そうである以上、自民党が「マンガを規制する」と決めてしまえば、止めることは難しい。つまり、自民党が「マンガを規制する」と決めないようにする必要がある。
さて、では、自民党は「マンガを規制する」という方向で一枚岩なのだろうか? そんなことはない。これは他の問題でも同じである、農業、福祉、医療、財政…様々な政治課題について、全く意見の異なる議員が同居して、それぞれが党の意思決定に関与するかたちで動いている。
だから、オタクたちは、自民党に組織内議員を送り込んで、「マンガを規制する」と決めさせないように動く必要があるし、それができなければ、野党が何を言おうとも規制されるのである。
その意味で、今回の参院選において、自民党の赤松健の主敵は、立憲も共産でもなく、宗教保守の組織内候補である自民党の山谷えり子である。
対して、日本共産党は、良くも悪くも一枚岩の政党である。民主集中制に基づき、議論を経た意思決定に逆らうことは許されず、党官僚が強く統制している。これは一貫した政治行動をとる政党組織としては非常に正しい。
しかし、そうであるがゆえに、吉良良子が「“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」とテレビで発言したことは、日本共産党がそのような価値観で動いており、末端の党員までその決定に従うように統制されていると考えられる。そうである以上、それをオタクが支持することはできないのである。
「四国の水がめ」早明浦ダム 貯水率 平年比50ポイント以上低い | NHK
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220628/k10013692201000.html
高知 早明浦ダム 貯水率低下で取水制限 香川へ供給50%削減 | NHK
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220702/k10013698611000.html
・「うどん茹ですぎやろ」「うどんは海水で茹でるしかなさそう。」「うどんゆでれないねえ」「またうどん茹でてんのか」
初夏から秋にかけての渇水の起きやすい時期の香川用水のほとんどの水はかんがい向けの農業用水(11.3m³/s)で、水道用水よりずっと多い(3.87m³/s)
https://www.pref.kagawa.lg.jp/tochikai/shiryoukan/about.html
・「てか何で自県でダム用意しないんだろう?」
・電気ガス水道が使えて、自分の部屋があって、トイレとお風呂は別で、オートロックで、食べたいものが食べれて、 ←田舎の家賃3万円にすめ
・大型公園が徒歩、スーパーが徒歩圏でかつ地域の生鮮食品と輸入食材を取り扱っている、 ←ネットスーパー、そこらの草原をつかわせてもらえ
・中規模病院が徒歩圏内、大学病院まで車やバスで20-30分以内、 ←自治医科大学
・シネコンやミニシアターへ徒歩やチャリで行ける ←自宅にミニシアターつくってネッフリでよくね
上記を世界中の人が実現する資源は世界にあるのかなぁ ←そもそもすべての地上エネルギーは太陽光により地球の大気圏外からおとどけされたもの(例外:原子力発電)。https://twitter.com/Science_Release/status/1540546494448943104 で光合成さえ改良できるし、その他日照利用LEDとか天水利用とかいろいろ手はある。
まずはAI農業指南とかどうよ。日本ではわりと農協が日照エネルギーの元締め感ある。
海外の砂漠化した地域もこういうのつかったらなんとかなりそうだとおもうけどね。
あと、みんながつかってる「お金」、昔は金に兌換できるかどうかが基本だったけど、今は製造するのにつかった石油エネルギー量にほぼ比例してるから、安くておいしいものを作るサイゼリヤなんかSDGsにもやさしいぞたぶん。
空前の規模を誇るペルシアの軍団は紀元前480年、テルモピュレーの戦いにおいてギリシア陸軍の主力であるスパルタ軍を激戦の末に破り、スパルタの王であるレオニダス一世を戦死させた。スパルタ軍という防波堤を失ったギリシア本土は容赦なく侵攻され、ギリシアの中心都市であるアテナイがペルシア陸軍によって陥落するに至り、アテナイの軍人テミストクレス率いるギリシア海軍は絶望していた。「帰る国が無いのに、このまま戦ったところで何になる?」と。
しかし、彼らのリーダーであるテミストクレスだけは絶望していなかった。
絶望に染まる軍人たちの中で、彼は唯一希望を手放していなかった。彼は言った。「さあ、世界を取り戻しにいこう」と。
◇
ペルシア戦争の戦乱の始まりをどこに求めるかは諸説あるが、紀元前480年以降のペルシア軍の大規模侵略より10年前、先駆けて起こったマラトンの戦いにおいて既に戦端は開いていた、とする説が有力である。
紀元前490年、マラトンの戦いにおいて沿岸に押し寄せたペルシア軍を、アテナイ軍を主力とするギリシャ連合軍は完膚なきまでに破った。二倍に比するペルシア軍に対して、旺盛な士気を原動力に戦ったギリシア連合軍は、5000人以上にものぼるペルシア軍の戦死者に対して、僅かに戦死者200人足らずに留まる圧倒的な戦果を以てペルシア軍を退けたのである。勝利に沸くギリシアの民衆は口々にギリシアの精強な陸軍を讃え、自らの勝利を誇った。それほどまでに完璧な勝利だったのである。
一方、自軍主力の三割を一挙に失ったペルシア軍は撤退を始める。ギリシア世界のアジアに対する完全な勝利であった。
しかしただ一人、アテナイの政治家であり軍人でもあるテミストクレスだけは絶望していた。
◇
アテナイはギリシアの中心都市であるが、しかしこの都市が円熟を迎えるまでに辿った経緯は涙を誘う。ギリシアにはいわゆる都市国家と呼ばれる、一つの都市が国家を成す統治形態で政治が行われていたのだが、これら都市国家が成立する以前の、ギリシアの暗黒時代においてはギリシア半島(ペロポネソス半島)には大量の異民族が流入しており、戦乱の嵐が吹き荒れていた。
そのような戦乱のさなか、開闢におけるアテナイがいかにして生き延びたのか?
アテナイは極めて痩せた厳しい土地であった。地中海性の気候の中、雨量は少なく、養えるだけの人口は決して多くない。要するに、戦乱の時代においては重要性の極めて低い土地だったのである。そのため、アテナイは暗黒時代における異民族の侵略において、常に見逃され続け、戦乱からは遠ざけられ、その地盤と地歩を少しずつ伸長させてきた。最終的には、ギリシアにおける最も優秀な文化都市としての地位を確立するに至ったのである。
さて、そのような経緯もあり、スパルタやアテナイ、あるいはテーベといったギリシアの主要都市は基本的に国力に乏しく、幾ら軍制を整えたところで養える軍隊には限界があった。当時のアテナイの人口については諸説あるが、最盛期における人口は十万人程度だったと言われ、まともな軍隊として機能する人員は精々一万人を上回る程度だったであろう。
一方、ペルシアは現在におけるアフリカ、中東、中央アジア、南アジアの北部にまで跨る大帝国であり、根本的な軍事力、そして人口においてはギリシアに対して天地の差があった。そのような地政学的要因をテミストクレスは紀元前480年以前から看破しており、このまま仮に戦争が継続すれば、最終的にギリシアが間違いなく敗北するという未来を予見していたのである。
しかし、テミストクレスは絶望してばかりではいなかった。来るべきペルシア本軍の大遠征に向けて、着々と準備を開始した。
彼が最初に行ったのは、海軍備の増強である。これは正に慧眼であり、ギリシアの絶望的な状況を打破する最善手にほかならなかった。
無論、軍事力が精強なペルシアの海軍備は相当なものであり、実際、ペルシア戦争が激化した際の艦船の保有数は、ギリシアが保有する400隻足らずの軍艦に比べ、ペルシア軍のそれは3倍から4倍の1500隻以上(輸送船を含む)に達していた。ギリシア軍は結局のところ、陸軍備においても劣り、海軍備においても劣っていたのである。そのため、不足している海軍備の増強に多少着手したところで、いずれ来る黄昏を打破する目覚ましい一手にはなり難い――そう目するギリシア市民や政治家も決して少なくはなかった。というか、そもそもギリシア軍は精強な陸軍を抱えているのだから、海軍備の増強は不要であると楽観論に耽るギリシア市民が圧倒的だった。テミストクレスは頭を抱えた。
テミストクレスは異常者であった。常に真実を見ることしかできない目を持ち、常に真実しか思考できぬ頭脳を持ち得ていた。
テミストクレスは十年に渡って、世界の終りをただ一人、真摯に見据えていた。やがてギリシアは滅びる。しかし、その寿命を一秒でも長く保つこと、その呼吸が、須臾の間なりとも長く伸びることを目指し続けていた。また、テミストクレスは軍人である前に政治家であった。そのため、テミストクレスは数多くの権謀術数を駆使することを厭わなかった。彼の謀略が活かされるのは、決して外敵に対してばかりではない。むしろ、同じくギリシアに属する味方勢力に対して、しばしばその陰謀は向けられていた。
ともかく、海軍備の増強に前向きでないアテナイ首脳部を説き伏せるためにテミストクレスは一計を案じる。海軍備の増強に消極的であったアテナイ首脳を説得するために、テミストクレスは同じくギリシアの海洋都市国家であるアイギナと呼ばれる都市国家の脅威を説いたのである。
アイギナはギリシア世界においては珍しく、海軍備を主体とする軍制を整えた都市国家であった。地理的にはアテナイの属する沿岸から僅かに南下した地点に位置しており、当時のアテナイ首脳や市民にとっては、遠くアジアの大国ペルシア帝国よりも、海洋国家アイギナはよほど身近な脅威に映っていた。テミストクレスはその心理を利用したのである。まずはこの手近なライバルとなり得るアイギナの脅威を喧伝することで、テミストクレスは徐々にアテナイ首脳の意識を海軍備の増強へと向けさせることに成功した。
さて、この時アテナイが新造した艦船の数は200隻程度で、かつて備えていた旧式の軍艦の凡そ十倍にあたる新型の艦船を建造しおおせたのである。とは言え、先述の通りそれでもなおペルシア軍の海軍備に比べれば、アテナイの所有していた軍艦の数は圧倒的に劣っていた。それでも、テミストクレスの企てた長期的な戦略は間違いなく最善のものであったと言えた。結果的に、海軍備の増強という手段以外にペルシアを打倒し得る勝ち筋は無かったのである。
何故か。
ペルシア軍は強大な軍事力を動員するだけの国力を備えていた。軍事力、インフラを整備する技術力、そして、兵士を養うために必要な兵糧を創出する農業力、それらの総合力において、ペルシアは明らかにギリシアの力を上回っていた。しかし、そのような強大な力は、反面ある種の脆弱性を抱えることにもなる。テミストクレスはそこに目を付けた。
テミストクレスが着目したのは、ペルシア軍における高度な兵站戦略である。ペルシア軍は圧倒的な数の軍隊を抱えるが故に、その大軍を支えるための兵站戦略を整備していた。中継都市や本国から創出した食料を、効率的に前線へと運び届けるインフラを整備し、兵の士気が低下しないための細心の注意を払っていた。
しかし、ギリシアが属するバルカン半島並びにペロポネソス半島の海岸線は長く、その補給路は長大に達し、沿岸の陸路は決して効率の良い輸送ルートとは言えなかった。陸路における兵站戦略が決して最善のものでないことを、ペルシア軍は理解していたのである。したがって、ペルシア軍の兵站は必然的に海路に依存していた。
艦船による食料の輸送は、陸上のそれに対して圧倒的に効率的である。大軍を支えるために行われる、ペルシア軍の必然的な兵站の形態を、実際にペルシア軍が襲来する十年前の段階で、テミストクレスは明察していた。更には、そのペルシア軍が抱える唯一の弱点を攻撃するための、唯一の手段を十年前から整備し続けていたのである。
つまり、海上の兵站を破壊し、ペルシア陸軍を機能不全にすること。それが、それだけがギリシアがペルシア軍を打倒するための唯一の方策であった。
◇
写真家の今森光彦氏が、段々畑のある里山に土地を買ってアトリエを作り、雑木林などを大改造。様々な種類の樹木を植え、溜め池を堀り直し、花々の咲き乱れる庭を作った。大好きな蝶を沢山呼ぶためである。足掛け30年でつくり上げられた「チョウの庭」には75種類もの蝶が来るようになった。
写真が多くルビも適宜振られている、分類としては児童書なのだが、大人が読んでも面白い本。
私は庭いじりはあまり本腰入れてする方ではないが、必要に駆られてちょっとはするので、草木の手入れについて知っている事もあるけど、それでもこの本を読んで「へー初めて知った!」という事があった。草刈りの必要性についてだ。
年に数度の下草刈りが必要という事までは知っていた。だが草を刈る事で特定の丈の高い草に土地を独占される事を防ぐ効果があり、それによって植物の種類が多様になり、するとその植物達を利用する昆虫達の種類もまた増える事になるというのは、私は知らなかった。つまり里山の生物多様性は人の手によってつくられるのだ。
昔、映画『もののけ姫』の監督インタビューを『アニメージュ』か『もののけ姫を読み解く』で読んだ。そのインタビューで宮崎駿監督が、世の人々が「自然」だと思っている里山の風景は人工的につくられたものだと言っていたと記憶している。
人の手によってつくられた「自然」とは何か……その具体的な有様をこの『小さな里山をつくる』によって見せられた。人の手の入った里山の「自然」はありのままの自然よりも豊かなのだ。それは人間にとって有用という意味だけではなく、植物や昆虫、小動物など生物にとっても住みやすい環境なのだ。
蝶は、それぞれごく限られた種の植物に依存して生き、しかもその美しく奇妙な姿と優雅で愛らしい羽ばたきからよく人の目にとまる。そのため、ある土地に暮らしたり立ち寄ったりする蝶の種類の数というのは、その土地の生物多様性の指標としてはもってこいなのかなと思った。
30年もかけて土地に多様な種類の樹木や草花を植えてつくられた蝶の楽園。楽園の維持には草刈りや木の間伐、野焼きなど、農業や園芸を知らない人ならそんなにやって大丈夫なの? と心配になってしまうようなダイナミックな手入れが必要なのだ。
自然のまま草木の生えるままにしておけば強い草木だけが生え、それに依存する少数の昆虫しかいなくなる。そしてやがてそこに生えていた木々は老いや共倒れにより滅びて、ただの荒れ果てた草原に戻る。
人間による手入れは自然の中ではたまにしか起きない天変地異の再現であり、しかも計画のもとに行われる。本来だったら競り負けてしまう草木を残し、土地の養分と日照権を独占する草木を打ち倒したり、勢力を抑えたりする。
環境保護というトピックにおいてはつい人間の存在を不要の物として私は考えてしまいがちだったのだけれど、人間は自然のよき管理者にもなれる可能性も持っているのだと知った。本書のメインの蝶の話からは脱線しているけれど、私は本書を読みながらそんな事に思いを馳せた。
裏を返せば、自然の中に住む様々な生物……こと植物……生態系のベースとなるので彼らの生き様というのは重要だ……にとっては、多様性や共存共栄というものはあまり重要な事ではないのかもしれない。常に競い合い頂点を目指す、自分の繁栄だけが願いなのかもしれない。人の夢見る生物多様性というのは、不自然な事でしかないエゴなのだろうか。
まあそんな面倒臭い思索は置いといて、庭がクリエイトされていく過程は読んでいてわくわくするし、里山の風景や草木や蝶をはじめとする昆虫の写真は素敵だし、全75種類もの蝶がずらりと並んだページは壮観で興味深い。お、『鬼滅の刃』の胡蝶しのぶさん柄の蝶まで。アサギマダラという珍しく美しい蝶だ。
それと、本書に度々登場するジャノメチョウ。私はこいつに嫌な思い出がある。だからあまり出会いたくないのだが、本書で久しぶりに目にしてふと気づいた。昔はよく家の網戸に停まっていたのに、最近全然見かけない。本書によればジャノメチョウはススキに依存して生きる蝶であるらしいので、最近とんと見かけないのもむべなるかな。ススキの生えた場所なんて、市街地には全然ないもんなあ。
マホガニー、大豆、金、水力発電は、地球の敵!ヴィーガンはどうお考えで?
1960年代以降にはアマゾン縦断道路や横断道路が次々と建設され、アマゾン開発が本格化し始めました。
道路に沿ってまず木材伐採業者が入り、マホガニーやイペーなどの商業価値のある木を切り出しました。
裸地となった森の跡地に農地が次々と開かれていきました。
1990年代以降、アマゾンは、輸出用大豆栽培のための大規模農業開発地へと変貌をとげました。
アマゾン南側のセラード地域で1970年代後半から始まった大豆開発が大成功と評価された結果、「大豆開発前線」がアマゾンへと北上を続けたからです。
「法定アマゾン地域では農場面積のうち80%を森林として残さなければならない」という法律がありますが、
それはほとんど守られていません。ほかにも、巨大水力発電所の建設や金鉱山開発などの国家規模のプロジェクト、
リサイクルに関しては、三元系だろうがLFPだろうが、「やればできる」技術ですよ。人間が自然界から取り出せるものを、高濃度な人工物のコンパウンドから取り出せないわけがない。湿式製錬でも乾式製錬でも、どうとでもできる。今「やれてない」のは、そこに何か未解決の技術的課題があるわけじゃなくて、新規採掘マテリアルより再利用マテリアルのほうが高くつく間は、リサイクルはペイしないから。それでもコバルトとニッケルは回収が採算化するメドがついてきたから、レアメタル大手のUmicoreとかはLiBリサイクル事業を積極的に拡大してる。
一方でLFPのリサイクルに関しては、現時点ではエネルギー業界ではあまりポジティブな意見がないのは確かだけど、これも何か高い技術的なハードルがあるわけじゃない。鉄とリンの塊という、現在は低価値なマテリアルをリサイクルしても、業者は儲からないから、やってない。リサイクルをする経済合理性がないということです。こういう「中長期的には枯渇していくかもしれないけど、現時点では比較的入手が容易な資源」でリサイクルを廻すには、もっと価格が上がるか、新規採掘量を法的に規制するステップが必要になる。
以下の動画はバッテリ持続性サミットの質疑応答。「LFP電池のリサイクルにも経済的合理性は見込める」と言ってるけど、それは今ではない、LFPのEVが市場に増え、そのEVの製品寿命が1ターン回り、リサイクルするLFPの量が増え、リサイクルの採算規模が確保できる頃に意味が出てくる、また(一度マテリアル化しての資源市場での再販ではなく)廃LFPの正極を直接リサイクルして再利用できるようになれば有望だ、というようなことを言っている。
https://www.youtube.com/watch?v=4MvSABcJ70k
それにね、増田は「リンが高騰してて大変だ」というけど、今の「高騰した」リン酸塩の取引価格が250円/kgぐらいでしょ。対するコバルトは10000円/kg超え。やっぱりこの2つを「希少な資源」として同列に語るのはかなり無理がある。元増田は「「肥料じゃなくて電池にするから安くしてくれ」なんてできないんだよ」と言うけど、期待付加価値から考えれば、産業用途リンは絶対に農業用途リンに買い負けたりしない。もし農業リンがコバルトに競るぐらいの希少資源になったら、その頃は世界の慣行農業の仕組みは崩壊してるよ。
もうすでにリン鉱石の値段が上がり始めている現状で10年後のリサイクルの話をされても、、、って思うね。それこそ次世代電池が普及し始めてるかもしれなくない?
そうだよ。もし今後LFPがずっとEVバッテリの本命級のままで、リンが電池への採用が困難になるほどの希少資源になれば、その時にはLFPリサイクルが実現する(そして、その時に走行しているLFPベースEVの台数を維持できる程度のLFP電池を、リサイクルから再製できる)。一方、リンが今のように肥料としてバンバン蕩尽できるぐらいの価格で供給されるなら、LFPリサイクルは実現しない。さらに、もし将来、LFPよりも製造コストが低くて十分な性能を持つ次世代電池が普及し始めたら、やっぱりLFPリサイクルは実現しない。つまり、将来LFPリサイクルが実現しないとしたら、それは「LFPをリサイクルしなくてもEV業界には問題ないから」なんだよ。
なお、自分はLFPはあくまで脱レアメタル化のためのひとつの通過点だと思っている(二次電池進化の「現時点での経由地」という書き方をした通り)。さらに高密度で安価で持続性のある電池が必要とされる限りは、新たな技術が開拓され続ける。
電池技術の発展速度が、たとえば電子技術なんかに比べると比較的遅いというのは正しい指摘だけど(自分もこのエントリ https://anond.hatelabo.jp/20150504101626 の中でそれに言及したことがある)、その後6年間で電池業界が達成してきたことは、正直自分の予想を超えていた。やっぱり将来の基幹産業としてR&Dが廻り出すと、これまでとは技術進歩のペースが桁2つぐらい違ってくる。CATL、BYD、テスラみたいなとこは言わずもがなだし、NEDOだって日本の研究機関だって企業だって色々やってる。
次世代EV電池で上市が一番速そうなのは、ナトリウムイオン電池かな。CATLは2021年にラボレベルで製品発表していて、2023年に量産化を予定している。ご承知の通り、CATLは狼少年みたいなことはしない会社なので、ある程度の目算はついているはず。
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01992/00001/
元増田ならこの他にもカリウム系、カルシウム系、Li-S、Al-S2などを始め、電池分野では多種多彩なトライアルがなされていること、そのうちいくつかは近年ブレイクスルーが起きて実用化までのロードマップが大幅に短縮されたことも知ってると思う。リン枯渇が全地球的な課題になるよりずっと前に、電池技術は大幅に進歩して、普及価格帯のEVでもICEを超える走行距離と必要充分な充電速度を達成できるよ。社会がそれを求めていれば、研究と産業は絶対にそのニーズに応える。自分はそのステップで日本の研究者や企業が貢献してくれることを期待したいし、楽しみにしてる。
最後の、「でもちょっとでも日本の自動車産業を応援してくれると嬉しいな」については、自分はめちゃめちゃ日本の自動車産業や電池研究を応援してるし、そう書いたつもりだよ。
ただ、トヨタのBEV戦略(2030年に車種の1/3を、販売台数の1/3をBEVにする)は、今の地域別売上からするとかなり奇妙な方針で、額面通りに受け取るなら間違った戦略だと思う。あのトヨタの発表が出たときは、ネットでは「EVでもトヨタが勝つる!」「30車種すげえ」「EU勢ざまあw」みたいな反応が多かったけど、個人的には「えっ、そんだけ?」としか思えなかった。系列企業への配慮などで、あえて低めの発表をしてる可能性があるとすら思ってる。
なにが奇妙かといえば、トヨタというグローバル企業の売上構成から考えると、2030年に1/3をBEV化する程度じゃ全然売るタマが足りないはずなんだよね。トヨタの自動車販売台数は、2021年実績で、日本国内が140万台、海外が810万台。海外を地域別に見ると、北米が270万台、欧州が100万台、中国が200万台。よく「欧米以外の地域には、今後もICEやHVのニーズが根強くあるから…」と言う人がいるけど、トヨタの国別販売台数は、この北米・欧州・中国の3地域で輸出市場の70%、全生産量の60%を占めている。つまり発展途上国と日本を足した「2030年頃にICEやHVを売り続けられる地域」の市場規模は、今の販売先の40%しかない。
「4割の残余市場に向けて、全車種の2/3でICEとHVを維持する」というのは、ポートフォリオ戦略としておかしいでしょ?
ちなみにホンダは「2030年に2/3をEV化」、GMは「2030年までに北米生産の50%をEV化」、フォードは「2030年までに40%をEV化」という構想。つまりトヨタは、ICE規制までまだだいぶ間があるアメリカのGMやフォードに比べてもEV化に対して慎重な(鈍重な?)動きになっている。
「規制が始まるまではICE・HVを売ればいい」という人もいるけど、一旦ICEの規制・禁止法制がアナウンスされれば、その実施時期に5〜10年先行してICEやHVの売れ行きは落ち始める。消費者は、一定期間乗った車を手放す時点(規制後)で、ICEの中古車価格がガタ落ちしていることを予期するから。今の先進国での自動車買い換えサイクルは、日本で平均8.5年、米国も7.3年、欧州はもっと長い。最近は日本でも「これが最後に買う内燃車かな、次はEVだろうな」なんつって自動車を買う人が増えてるでしょ。海外もそう。
最近の欧州車ディーラーでは一種のdisclaimerも兼ねて「EVのほうが下取り価格は有利です」と言われることが増えたけど、今後は先進国のどこでもこの傾向が加速し、おそらく2026年あたりから「EVか死か」の秒読みが始まる。そんな状況で、「2030年には、なんと全車種の1/3をBEVにしまぁす!」みたいな悠長なことを言ってて、まともに戦えるのかな、何らかの思惑含みのフェイクであってほしいな、というのが今の自分がトヨタに思ってることです。
id:sgo2 2030年時点でBEVが1.6〜26%という予測(https://s.response.jp/article/2017/10/11/300895.html )なので、1/3という数字でも十分前のめり。因みに現時点で欧州17%中国16%米国4.5% https://www.jetro.go.jp/biznews/2022/05/613a9a4551b47453.html (本当に数字見んのな)
2022/06/21
この上の記事は2017年時点のデロイトトーマツの予測で、ドッグイヤーのこの業界では既に典拠にしないほうが良い内容です。なお2017年はEVバッテリの平均価格が急低下した年で、これ以後コンサル各社はBEV普及ペースを大幅に上方修正しました。たとえばボスコンがつい最近(6/13)に出した予測はこんな感じです。
https://www.bcg.com/ja-jp/press/13june2022-electric-cars-are-finding-their-next-gear
図表では、2030年の世界の新車販売台数のうちBEVが40%、2035年には59%になってますね。米国・欧州・中国を個別に見ると、さらに多い。上で書いた通り、トヨタの海外売上は北米・欧州・中国の3エリアで70%を占めてるんですけど、そのマーケットは今からわずか8年後にはこういう顔つきになっているということです。これ見てると、トヨタの「BEVラインナップは3割」戦略は相当ヤバいな〜って思いませんか。
自動車産業に特化した情報サイトのマークラインズは、LMC Automotiveの調査を引用して世界乗用車販売に占める各パワートレインの構成比推移予想を出しています。こちらは2022年1月の予測ですが、ボスコンよりやや保守的で、2030年のBEV比率は25%前後。ただしその3年後の2033年には40%を超えるシナリオです。
https://www.marklines.com/ja/forecast/index
2番目の記事で引用されているIEAも、2030年に①現状政策シナリオでは世界販売台数の26%程度が、②持続的発展シナリオでは47%程度が、EV(BEV+PHEV)になると予測してます。なおBEVとPHEVの販売比率は現状7:3で、IEA予測では、2030年もだいたいこの比率が維持されるようです。
https://www.iea.org/data-and-statistics/charts/global-ev-sales-by-scenario-2020-2030
つまり2017年時点では「最大でも26%」と推定されていたBEV販売比率が、今では「最低でも26%」(ただしPHEVも含む)になっているんです。この5年間のBEVの販売台数の伸び方は、多くの業界関係者の予想をも大きく上回ってたということですね。我々消費者も、EVについて何か考えたり議論したりするのであれば、とにかく最新の情報をチェックして、細かく自分の常識に当て舵をしないと、あっという間に現実に置いて行かれます。そういうスピード感のある業界だから、自分は面白くウォッチしてるんですけどね。
(6/21 1:15 追記)
なんか元増田とかこの増田で「リン酸鉄系電池のせいでリンが枯渇する・枯渇が近づく」って言う内容を読み取ってる人がいるみたいだけど、そんなこと書いてないよ。元増田では追記で「枯渇が見えてる資源を使ってたら価格が下がっていくとは考えづらい」って書いたし、ここでは「問題は消費量じゃない」って書いてるよ。書いてないことを読み取られても反論のしようがないからね。
(追記終わり)
書き方が悪くてEVアンチだと思われている節があるんですが(ただこれは完全に私が悪いです。すみません)、あくまで現状の電池技術ではコモディティ化は難しいだろうということを資源という面から書いたつもりでした。いい加減なことを書いているとまで言われてしまったのは心外だったけどね。
korilog 埋蔵量はその時点で経済的にメリットの出る採掘量なので、採掘技術の進歩や価格の高騰で増える。自分が子供の頃にはお前らが大人になる頃には石油が尽きるからなって言われてたけど、寧ろ尽きるまでの年数が伸びてる
そうだね。でも価格が上がってしまうとますますコモディティ化からは遠ざかるよね。
muchonov 電池技術開発の弾込めは日本含め世界中で高密度化とレアメタルフリー(=廉価化)を目指して突き進んでるので自分は楽観的。次世代Li系は概ねコバルトフリーだし、本命はほぼ無尽蔵のNa・K系。リンは→https://bit.ly/3b1rPGk
そうだね。でもね、リチウムイオン電池って30年前には実用化されてた(1991年、ソニー)んですが、EVとして普及し始めたのはこの10年ほど。あくまでタイムスケールを感じてもらうためにこの例を出したので、そのまま当てはめることはできないけど新しい電池を車用に実用化するとなったらそれなりに時間がかかるのは覚悟しておくべきだろうね。多分今のEVブームが盛り上がっている間(今のインフレ退治の後の景気後退が来るまで)には間に合わないだろうな。でも、多分EVを一般的に普及させるのは全固体電池なり金属空気電池だろうなとも思うから、投資は惜しまないでほしいなとも思うね。
リン酸鉄系について色々ブコメや増田があったんだけど anond:20220620101253 に答えるのが手っ取り早そうだから答えるね。
あのさあ、LFP電池が使うリンの量なんて、農業利用される莫大なリン量に比べたらタカが知れてるというか、はっきり言って誤差のレベルでしょ
そうだね。でもね、問題は消費量じゃないんだ。リン酸塩の値段は今後も続くリンの採掘によって上がっていく。「肥料じゃなくて電池にするから安くしてくれ」なんてできないんだよ。現にウクライナ侵攻後にFertilizer prices indexの値段は2倍になってるからこの影響は半年もしたら出始めると思うな。あとね、個人的に心配してるのがこのあと天変地異なりでリンの値段がさらに急騰した場合に安全保障を名目に中国政府が梯子を外してくるんじゃないかということ(四川大地震の時に似たようなことが一回あったみたい)。リンはレアメタルよりも大事な、人間にとって生きていくのに絶対必要な元素なのでそれを電池に使い続けるのは政治的にも難しいと思うな。
そもそもLFP電池自体がNMC系のLiBに比べて長寿命なうえに、最後までバッテリセル内に滞留してて100%リサイクルできるからね
これは違うよ。調べてもらったらわかるけど二次電池の正極活物質のリサイクルって実は難しくて、今やってる電池のリサイクルって実は負極に使う銅箔など肝心の正極以外のものが多いんだ(実は三元系でもまだそんなにできてないんだ)。リサイクルがビジネスになるかどうかを無視したとしてもリン酸鉄のリサイクルなんて今出回り始めたEVのリサイクルをするわけだから10年後に軌道に乗るビジネスだよね。もうすでにリン鉱石の値段が上がり始めている現状で10年後のリサイクルの話をされても、、、って思うね。それこそ次世代電池が普及し始めてるかもしれなくない?
元増田みたいな主張に対して「EVオワタ論者が寄ってきてセンセーショナルになりがちな風潮はマジで吐き気がする」って思う人はむしろ増えると思うよ
これはその通りで、書き方がよろしくなかったと思っています。すみません。あと書き方が悪かったのは承知の上で言ってるけど自分はEVアンチでもテスラアンチでもCATLアンチでもないです。CATLは本当に世界一の電池メーカーだと思ってるしめちゃくちゃ期待してます。
以下はその下の部分に対してのコメントです。
市場原理の話はまあ定性的に理解できるんだけど、さっきのタイムスケールの例からもわかると思うけど電池の進歩って半導体みたいに速くないんよ。レアメタル使わないのは結構なんだけど、それが使えなかったとしてもみんなEVなり蓄電池が欲しかったらレアメタルを使ってる電池を使わざるを得ない(後、電池の新技術って声高に宣伝される割に実際実用に耐えるのが出てくるのってそんなに多くないんだよね)。個人的なところを言うと新自由主義的な市場原理で技術革新を説明するのは開発者がちゃんと儲かる仕組みを作ってからにしてほしいとおもうね。
自動車の電動化についてはおそらく業界の人はみんな避けられないと思ってるよ。でもね、100年ほどの自動車の歴史を振り返ったらわかるんだけど先進技術がほぼ100%で不可逆的に普及するタイミングってほんとわかんないんだよね。100年前のアメリカの例で考えてみよう。
1900年代ー1920年代のアメリカって蒸気、ガソリン、電気自動車が鼎立していて、蒸気はPWRの面で、電気は航続距離の面で難があった。だから当時の人もこれからの主流はガソリンになるんだろうなって思ってて、実際ガソリン自動車会社の創業ブームになって1900年代はアメリカ全土でおよそ300もの自動車会社が存在したんだ。ガソリン車っていうのは既存の自動車に比べて
という利点があった。だからたくさん参入してきたんだ。でもね、結局ガソリンエンジン車の普及とBig threeの隆盛が決定的になったのは自動車の技術の問題じゃなくて、世界恐慌とその頃にテキサスで大油田が発見されてガソリンが安くなったからなんだ。その頃にはもうアメリカ全土にあったガソリン車に群がった中小企業は世界恐慌でもう潰れてる。だからその後のアメリカ自動車市場は生き残ってたクライスラー、GM、Fordの寡占になったんだよ。
この例から見てもわかるんだけどね、みんなわかってるんだよ。次に来る技術は。でもそれが決定的に普及するのは外部的要因に依存することが多くて時期は本当に読めない。だからそこまで体力を温存するという戦略もできるし、むしろ自分でその変化を起こしてやろうという戦略もとれる。どちらが正解なのかは正直分からない。でもね、技術的な側面だけじゃなくて社会的な側面から見ても現状の技術でのリチウムイオン二次電池は電池をコモディティ化させるゲームチェンジャー足り得ないだろうというのが正直な感想になる(将来的にもないとは言ってないよ!あくまで今の技術ではという話)。ただしその答え合わせは10年後かもしれないし、もしかしたら30年後かもしれない。もしかしたら水素なりアンモニアがゲームチェンジャーになるかもしれない。だから、日本人としてはトヨタの戦略が正しいと思いたいけど、そうではないかもしれないとは思っています。でもちょっとでも日本の自動車産業を応援してくれると嬉しいな。