パンの原料である小麦を始めとして、農作物を育てるには、窒素・リン・カリウムの肥料の三要素が不可欠だが、ハーバー・ボッシュ法は、窒素を供給する化学肥料の大量生産を可能とし、結果として農作物の収穫量は飛躍的に増加した。このためハーバー・ボッシュ法は、水と石炭と空気からパンを作る方法とも称された[5]。
化学肥料の誕生以前は、単位面積あたりの農作物の量に限界があるため、農作物の量が人口増加に追いつかず、人類は常に貧困と飢餓に悩まされていた(マルサスの人口論)[13]。
しかし、ハーバー・ボッシュ法による窒素の化学肥料の誕生や、過リン酸石灰によるリンの化学肥料の誕生により、ヨーロッパやアメリカ大陸では、人口爆発にも耐えうる生産量を確保することが可能となった[13]。これは1940年代から1960年代にかけて起きた、18世紀の農業革命に続く「緑の革命」の先駆けとなった[14]。また日本などでは従来肥料として用いられてきた屎尿による寄生虫の感染も避けられるようになった。
ハーバー・ボッシュ法は同時に爆薬の原料となる硝酸の大量生産を可能にしたことから、平時には肥料を、戦時には火薬を空気から作るとも形容された。硝石の鉱床が無い国でも国内で火薬の生産が可能となり、その後の戦争が長引く要因を作った。例として第一次世界大戦において、ドイツ帝国は海上封鎖により、チリ硝石の輸入が不可能となったが、戦争で使用した火薬の原料の窒素化合物の全てを国内で調達できた(火薬・爆薬を参照)。
本法によるアンモニア合成法の開発以降、生物体としてのヒトのバイオマスを、従来よりもはるかに多い量で保障するだけの窒素化合物が、世界中の農地生態系に供給され、世界の人口は急速に増加した。現在では地球の生態系において最大の窒素固定源となっている。さらに、農地生態系から直接間接双方の様々な形で、他の生態系に窒素化合物が大量に流出しており、地球全体の生態系への窒素化合物の過剰供給をも引き起こしている。この現象は、地球規模の環境破壊の一端を成しているのではないかとする懸念も生じている[15]。
ハーバーは本法の業績により、1918年にノーベル化学賞を受賞したが、第一次世界大戦中にドイツ帝国の毒ガス開発を主導していたために物議を醸した[16][17]。またボッシュは実用化の業績により、1931年にノーベル化学賞を受賞している。
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