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はてなキーワード: 証左とは

2021-02-25

anond:20210225135720

子供のせいで不仲になるんだよ。

子は鎹なんてのは単にものは言いようってだけで、むしろ離婚しにくくなるという足枷しかない。

本来男も女もパートナーに1番にリソースを割けるのが円満秘訣。それが結婚出産してから不仲になるカップルが多い何よりの証左

から子供を産んでから仲良くするのは子なし夫婦よりも困難で努力必要

円満でいたいなら子は持つな。

2021-02-22

anond:20210222144607

その理論で行くなら日本に居座ること自体無能証左ではないか

自由意思なんて誰にもないんだから全員に人権が与えられるべきだよ

anond:20210221125925

自分が女の投稿嘘松と思ってるからそういう発想が出るんだよなあ

真偽確かめようもない増田で言うだけはタダなのだからそこに男である自分は助けたという書き込みがないことがほとんどの男は他人を助けないという証左になっている

2021-02-19

anond:20210219164619

顔覚えてなくても言われたら嬉しいもんじゃないのん

自分の店を大事に思ってくれてた証左として

次行くときは潰れてる可能性もある

大学入試共通テスト古典問題が凄かったので解説させてほしい

タイトルの通り。筆者は高校教員で、いま業務が少しだけ落ち着いていて分析する暇が出来たので、次年度以降の入試対策のために解き直してみたのだが、新テスト方針をすごい形で問題として体現していたので、なるべくわかりやす解説していきたい。


わかりやすとはいえ大学入試古典問題について突っ込んで書くので、もし興味(と古典知識)があったら実際に解いてから読んでみてほしい。

問題解説予備校分析などは以下から参照。解けなくても解説や、現代語訳と設問を見るだけでもいい。


予備校

https://www.toshin.com/kyotsutest/

https://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/kyotsutest/21/


ちなみに大学入試センター問題作成方針はこっち。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00038406.pdf&n=R3年度大学入学共通テスト問題作成方針(令和2年6月30日一部変更).pdf


以下は教員仲間とのディスカッションメモを元にしているから内容はかなり専門的かもしれない。それと、自分の専門は古典ではないので専門家から見れば細かい部分で雑だと思うが許してほしい。


まず、第三問の古文

センター試験から変わると事前に予想された、複数文章や会話形式選択問題はなかった。

本文(「栄華物語」)は妻を亡くした夫の哀しみについてのしみるストーリーだが、新傾向の問五が回答することによって本文の感動・深みをよりしみじみかみしめられるようになっている。これが非常に素晴らしく、「文学的文章入試問題かくあれ!」と感じた。いとあはれなり。


・具体的には、問五では本文中の和歌X(妻の死の悲しみを無常観を引き合いにして慰める歌)とそれに対する返歌Y(無常の教えなど今は悲しみが深くてとても考えられなかったよ、という返歌)に加え、本文とは異なるXへの返歌Z(無常の教えは肯定するが、それでもなお悲しい、という趣旨の返歌)を問題は示している。

・問いとしては、本文とは異なる返歌Zの存在を指摘し、Y/Zの内容を比較したうえで正しい説明を選ばせるというもの

これは表面的には和歌を中心とした複数の出典の内容を読解するという新傾向問題であるが、作問者の意図はむしろ文学的文章の鑑賞」つまり作品の情趣や感動の理解」に重点があるのではと感じられた。

・本文のストーリー的なキモは、妻を亡くした夫が、この返歌Yを書き終えながら「こんな悲しみにあってなお私はこんな冷静に返歌を書けているわけだが、それならこれから数ヶ月、数年と徐々に時間が経っていけば、私はこの悲しみをいつか忘れてしまうのではないだろうか」と考えるところにある。そして、亡き妻との思い出をまた振り返るところで、出題の本文は終わっている。

・問五の正解の選択肢⑥「和歌Yは、世の無常ことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を強く意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている」。この説明は、本文の感動を得るための入り口を示すものとして非常にすぐれた一文であると感じられる。さらには、本文の内容が古文学習における重要概念無常観」と繋がっていることに自然と気づくことができる。現代人にはなじみの薄い「無常観」という価値観が、悲しみと共に実感を持って感じられてくるだろう。これを正解として選べた受験生は、本文の「あはれ」を回答前よりも深く感じられたのではないか。(少なくとも自分は深まった)

・「こんな問題作れたらキモチイーだろうなぁ!!!!」と同業者的(?)的におもった。


・また、過去試行調査でも、本文と同一内容の文章だが異なる出典で差異のある文章を出題する、本文異同研究や異本系統研究といった国文学研究のよくある題材を意識させるものがあった。今回の出題も「栄華物語」とは異なる返歌が「千載和歌集」にあるということを指摘した問題である。新傾向で問う能力古文の中で定義した結果が、人文学研究的な意味での「思考力」ということかもしれない。(これは友人で一生敵わないんじゃないかってくらい優秀な国語教員が、試行テストを見て上記のようなことを半年前に言っていたのを思い出したから言ってる。持つべき者は優秀な友人である


これだけでも十分すごいが、続いて漢文

こちらは長い五言詩と短いエピソードを記した漢文で、いずれも馬車を操縦する「御術」に関するものという点で共通テーマ文章ふたつの出題である


・新傾向の問題は問三の押韻と内容理解を組み合わせた空所補充問題と、問六の2つ文章の内容正誤問題

とはいえ、問六は二つの文章の内容合致問題であり、多くの予備校などが予想していたものと大差ない印象。

・対して、問三は感心するくらい出来の良い問題で、複座的な視野を持ち、落ち着いて整理しながら考えるという多角的思考力が要求される。

漢詩押韻知識で、5択の選択肢をなるべく削るところまではセンターと同じセオリー通りの知識問題しかしそれで絞っても選択肢は残り三つ。

・そこから正答を選ぶためには文章Ⅱの読解と漢詩の読解ふたつを重ね合わせる必要がある。この二つの重ね合わせが難しく、よく考えられている。

文章Ⅰの空所補充については、該当部分を訳せば「四本の脚は馬についているとはいっても、その脚の速さが遅くなるのは御者である私の【X】のせいである」という感じになる。ここの【X】に入る候補「心」「進」「臣(臣下・わたくし、の意)」。

・該当部分の漢詩の訳ができていてテクニカルに解くなら、この時点で文脈判断して「心」が正解は出せる。(予備校でもそのように解説を打ち切っている)。

しかし、そもそも選択肢に上がっているのは文章Ⅱに入っている字なのであるしかも、いずれも馬の御し方の神髄について述べるところに選択肢の漢字は入っている。

受験生を惑わすのは、文章Ⅱの内容が「馬を早く走らせる条件」となっていて、その中に「心」「進」「臣」という字が傍線と記号付きで強調されていること。つまり受験生心理としては、文章Ⅱの内容が正確に理解できていないと「進」「臣」が誤りなのか判断しづらく、疑心暗鬼になるように作られている。あるいは、先ほどのテクニカルに導いた回答と矛盾するような内容がここに書いてあったら……という心理を誘発する。

・よって受験生文章Ⅱを慎重に読解せざるを得ず、その中で文章Ⅱを精読してゆく。同時に文章Ⅰとの共通点を探りながら、最終的に文章Ⅰの内容を考えて空所補充の内容を決定する。このような思考過程要求される(というよりも問題から誘導されてゆく)という問題構造が、出題者の作問力が並大抵の出来ではないことの証左である


このように、古文漢文ともに「受験生思考力を求める」という建前のもとで「受験生を深い読解へと誘導してゆく」「受験生思考多角的ものに仕立て上げる」問題に仕上がっているのは驚くべきことであり、事前の予想を超えた完成度の高さだった。

また、問題によって誘導した思考迷路の中で、その読解の深度や多角的視野に立って考えようとする態度の有無を測ろうとしている。能力の低い受験生ならこれだけの思考を繰り広げることはできず、中途半端な読解や類推に頼ってしまうので確率的に正答率が下がるが、問題誘導する深い思考対応できる受験生は自ずと正答へたどり着けるよう適切に迷路設計されている。学力を測る目的大学入試問題としても適切である

センター試験からの積み上げがあるとはいえ、「言語を手掛かりとしながら,文章から得られた情報多面的多角的視点から解釈」するという方針を、古典という題材を用いながら、新テスト実施初年度で見事に実現させたのは、高校教育の成果というよりも大学入試センターおよび作問者の作問能力の高さや学術知識の豊かさが結実した結果であると思う。高校教育現場から、惜しみない賛辞を送りたい。



2月22日追記

・思ってた以上に反応があったので、書いてよかったと思いました。ありがとう自分にとっても、いろいろ考える機会になった。

・別記事で「古典義務教育で扱う意義について」の返事を自分なりに書いてみました。

https://anond.hatelabo.jp/20210222160532

この記事みたいな筆の乗り方はないし、教育制度についても専門とは言えないが……

古典の魅力はもちろん語れるんだけど、他の科目と同様にそれは万人に共通でない、というのが義務教育のむずかしさであり、教員にとっては腕の見せ所でもあるとは思っています

古典が嫌いな生徒に古典を学んでみたいと思わせることが、自分の授業の到達目標でもあります

・あと、改行のやりかたを学んだのでついでに上に付して見やすしました。

文学的感じ方を入試に出さないでほしい

文系の連中だって微分積分の深みとか行列演算の感動とか最初から拒絶してるだろ

わかるやつはすんなり理解するけど、わからないものはわからないんだよ

こちらの書き方が悪かったなら申し訳ないけど、「感じ方」は出題されていません。あくま論理的に、勉強した成果を発揮できたら「あはれ」を感じられるような構成になっている、というつもりで書きました。

よくある誤解だけど、国語入試はとことんまで「論理的に」答えが出るように作られていて、必ず本文中に根拠があるし、その根拠と解答をつなげるものは「感情センス」ではなく「論理」になっています

しかしたら昔はそうじゃなかったのかもしれないけど……。

入試問題批評だと「大学受験のための小説講義」「教養としての大学受験国語」が面白かった

石原千秋の本は納得感高くていいですよね!どちらも自分現代指導根本にある本です。

解答して読んだ。長年古文から離れていたが丁寧な注釈と設問に助けられて理解できた。テクニック丸暗記ではとても太刀打ちできないが、当時の情緒を解する読解力があれば知識は最低限でも解ける良問だと思った。

解答までしてくれてありがとう!まったくその通りで、重箱の隅をつつくような部分もなく、古典学習におけるエッセンシャルな部分が試されていると思います

これは数学の同僚の先生に聞いたことですが、数学ⅡBでは指数問題でも非常に数学エッセンシャルな(そのぶんやや抽象的な)問題が出たのだとか。

共通テストについて、これまでの学力測定に加えて、より学問エッセンスを感じられるような方向を現時点では感じています実施されるまでの経緯がひどかったので、これについては非常にありがたい。

今回の共通テストセンター試験名前が変わったにすぎない。その程度の変革だったのだけど、もともとセンター試験がかなりよくできてるんだよ!国語でも随分前からちゃん多角的思考力を問う内容になってる!

そうなんです。ただ、今回の新傾向がそれをさら進化させたような代物で、ただただ凄いと思って、まずは同僚の先生に伝えようと思って書いたのがこの文章のもともとです。しかも、これまでと比べて劇的な変更と呼べるほどではなく、受験生にとっても取り組みやすものになっています

文系研究醍醐味を先取りできるテストってわけか。

それもあるし、これを見た高校先生は「知識だけでなく、学問的な思考方法を教えていく必要があるかも?」と授業を見直すきっかけになります

大学入試改革は、高校入試改革嚆矢としての役割を持っているので、この方向性国語の授業を探求性を高める方へドライブしてくれると思います

古文漢文って、歴史を学ぶだけで拾えない、当時生きていた人たちの生き様や心情を拾える学問なんだなあと思った。そう思うと大事やなー。未来人達に私達の心情とか踏まえて歴史理解して欲しいって思うもん。

こういう言葉を生徒から聞くために古典を教えているんだと思います

今回の内容はいずれ、授業にアレンジして生徒へ伝えるつもりです。その意味で、非常にいい「教材」になるのもセンター共通テストが良問であるとされる所以ですね。

2021-02-18

お笑い好きのフェミニストからみた小木さん事件の所感

Twitterジェンダーフェミニズム問題発信アカウントを持っているけど、そこで書くと誤解されて立場がなくなりそうなのでこの匿名ブログを利用します。

何日か前からおぎやはぎ小木さんが騒がれてて、何日か前にクラブハウスでやり合いがあったらしく、クラブハウス出来事はその場にいた人にしか発言権ないよなあと思いながらその場にいなかった私はあまりこの件について追っていなかった。

いけないことだとは分かっていたけど、何がこんな大きな対立になってるのかやっぱり知りたくて、YouTubeに上がっているそのクラブハウスのやりとりを聞いた。

この文章の前提として、私はフェミニストだけどお笑いが好きで、男社会ホモソノリもガンガン残ってるお笑い界のテレビネタをみたりするとこれは無理だなと思うこともある。好きだからそそういう遅れている意識は変えていって欲しいなと思ったりする。

もちろん好きな芸人ラジオはめちゃめちゃ聴いていて、ラジオというリスナー芸人お互いで作り上げる空間特別さも理解している。めがねびいきは聴いてないしおぎやはぎ特にファンではないけど、めがねびいきにはめがねびいきの特別空気があるんだろうということは想像に難くない。

そんな私がクラブハウスを聞いた結果である

まずこのクラブハウスの状況を説明すると、小木さんの過去ラジオでの発言を取り上げたネット記事を読んで虐待を疑ったフェミニストたちが議論するために開いていたルーム?(クラブハウスやってないので呼び方など詳しくはわからない)に、事実とは異なった情報拡散されていることに納得がいかない小木さんが入ってきたという形だ。

YouTubeに上がっていたのは小木さんが入ってきたあたりからで、私自身それ以前のことは聞けていないし、小木さんのラジオも聴いていない。

小木さんが入ってきてから1時間以上の議論があり、退出してからたかまつななさんが話し終えたあたりでYouTubeは終わった。

結果から言うと、このクラブハウスにはフェミニスト側に多くの問題点があったと思う。

①(小木さんが入ってきて突発的に起こったものだったので仕方ないしこの問題点についてはフェミニストたちも理解していたが)小木さんvs7人のフェミニストというかなり不均衡な形での議論だったこ

フェミニストたちは小木さんの主張を理解しきれていなかったのに、自分たちの主張を理解してもらおうと頑張っていたこ

そもそも虐待を疑うソースとしていたのはラジオの書き起こし記事だけで、実際にラジオを聴いたわけではなかったこ

④実際には娘に言っていないということが分かっても、「そう言ったように勘違いさせる発言をしたんですよね?」と小木さんに全ての責任を負わせて自分たちの発信について謝罪はしなかったこ

大きく分けるとこの4点の問題点があったと思う。

この虐待疑惑問題がなぜここまで広がったのかといえば、それは親に自己肯定感を削がれるような見た目への言及をされたりして実際に傷ついて育った人たちがたくさんいるからで、確かに記事だけ読めば小木さんもそういう親であるように読めてしまうからだと思う。実際に私も思春期の頃に母親に見た目を悪く言われたことは何度かあって、当該記事だけ読んだときには私も小木さんに憤慨した。私が親に見た目をからかわれたとき女性なら学校や外の社会に出た時点で悪気なく見た目の値踏みをされることは当たり前にあって、それだけで嫌な思いをするのに、家の中の親にまでそんな扱いをされなければならないのかととても傷ついた。別にこれは見た目を悪く言うだけではなく、良く言うときも同じだと思う。例えば私は高校生の頃、クラス男子複数人に「黙っていれば美人なのに」というようなことを言われてその場では笑って流したけどとても傷ついたことがある。お前らはそうやって好き勝手に喋るくせに、女が可愛くないことを言うと「悪い評価」で黙らそうとするんだな、と怒りを覚えた。親にもクラス男子にも怒りを覚えてきたし、社会蔓延ルッキズムは誰のことも救わないと思った。そういう思いをしたことがある女性がたくさんいるから、この問題はここまで騒がれてしまったのだと思う。

しかクラブハウスのなかで小木さんは娘に実際そのようなことは言っていないし、ラジオ雰囲気とは全く異なる形で拡散されていて困っていると言っていた。言っていないけど、ラジオの中で“ネタ”でそういう話をフリとして行い、記事の中には書かれていないがオチもきちんとあるというのが小木さんの言い分だった。

個人的には第二次性徴期の娘の身体や見た目のことを“ネタ”にするのはあまりセンシティブだし何一つ面白くないと思う。娘さんが実在している限りそれがきっかけで嫌な思いをする可能性があるとも思う。でも私はラジオリスナーではないので分からないのだ。

ラジオリスナーの中ではきっとその“ネタ”も小木さんがふざけてフリとして話しているだけで、そんな酷いことを娘に言ったりはしていないという共通理解があるのだと思う。芸人ラジオリスナー共通理解共通言語を持って作り上げられるものから、聴いていない私たちはその特別に何か言う資格は無いはずだ。余程の差別発言や誰かを傷つける発言がない限り。

小木さんの発言が、小木さんの娘さんや妻さんの了承があるものだったのかについては触れられていなかったのでよくわからない。わからないけれども、妻さんのTwitterをチラッと見たりする限り了承があるのだと思う。

これを踏まえて問題点に言及すると、①フェミニストたちが圧倒的にマジョリティである空間で、②③自分たちが聴いていないし理解もしていない芸人ラジオの書き起こしのみをソースとして虐待を疑い、小木さんの主張を聞いてもなお理解を示す努力はなく、「人権差別問題に詳しい私たち」と「知識がない小木さん」という構造人権差別問題について解説し続けていた。④そして自分たちソース確認を正確にせず誤った情報を広めて実際に小木さんや小木さんの家族を傷つけたことについては言及せず、すべて元はあなた発言ですよねという形で責任を帰していた。

小木さんのラジオ発言の書き起こしを読んで想定される人権問題は確かにフェミニストたちの言う通りであったし、ひたすら小木さんに解説し続けていたことはフェミニストとして同意できる部分も大いにあった。

しかし、前提としてフェミニストたちは小木さんのラジオについて理解がないし、書き起こしのみを読んで勘違いした小木さんのイメージに向けて解説を続けていたのだ。確かに人権などの問題知識がない小木さんの虐待が疑われるような発言を目にしたら、知識がないからそうなってしまうのだと思って解説したくなるのはよく分かる。でもフェニミストたちも小木さんについて、芸人について、ラジオについての知識がなかった。知識がなかったし、理解しようともしていなかった。

小木さんは自分にひたすら向けられる人権問題解説について戸惑ってはいたけれど(虐待はしていないという釈明とは全然違う方向にしか話がいかないので)、一つ一つの話に「それは知らなかったです」「確かにそうですね」と理解を示そうとしていた。責められていると捉えてはいたが、彼なりに差別がなんなのかとか人権がなんなのかという解説を聞こうとしていたと思う。岡村隆史ラジオでの問題発言の例が出たときには、それは自分も酷い発言だと思ったと自分なりの認識を示してもいた。

終始フェミニストたちと小木さんの対話ベクトルが違う方向を向いていて、対話になっていなかったと私は感じた。

たかまつななさんはフェミニストたちの話し方が怖くて問題があったと思うと発言してトーンポリシングだと批判されていたが、私は話し方などはそれほど気にならず、それよりもひたすら会話が噛み合っていないしフェミニストたちはそれに気が付いていないなということが終始気になった。

もう一つ気になったのは、フェミニストたちはラジオでの発信は公共のものなのだからもう少し気を使うべきだと言っていたが、実際に彼らはラジオを聴いているわけではなかったという点だ。そして芸人ラジオを好きでもない人が何となく聴くというのはそれほど多くないと思う。だからこそ何年も前の放送内容の書き起こしが今になって取り上げられたのではないか?本当におぎやはぎラジオ公共のもので好きでもないような多くの人に届くなら、リアルタイム非難されているはずだと思う。これこそがラジオ不特定多数ではなくリスナー(ファン)に向けられたものだという証左ではないのか。

また、クラブハウスでもあった小木さんの「ピラニア発言についてだが、これは元々バイキングの中での発言かと思われる。ワイドショーというのは情報番組というよりもテレビ的に極端な意見同士を戦わせて盛り上がるというような側面が強いように思う。「あちこちオードリー」という番組小木さんが出演した際、バイキングでは全く思っていないことをスタッフの期待に答えて話すのだと言っていて、私はとても驚いた。「ピラニア」が本心から出た言葉なのかワイドショーを盛り上げるために出た言葉なのかはわからないが、芸能人発言にはそういう部分もあるのだと思ってテレビを見た方が良いと思う。それとワイドショーを作るスタッフたちには、差別などの問題についてはいくら盛り上げるためでも批判だけ取り上げるべきだということも指摘しておきたい。

長くなってしまったが、お笑いが好きなフェミニストであるからみた小木さん事件について、小木さんの“ネタ”の問題点はあるものの、フェミニストたちは事実や主張をしっかり理解して発信するべきだと思った。お互いに理解しようとしなければ、対話は生まれない。いくら勉強していても、関心のない人と話す際に自分知識を与える側だと過信しすぎてはいけない。フェミニズムの発展を願う私にとっての所感は以上である

2021-02-11

発言個人的意訳と意見

発言構成としては

女性登用を推進されるご時世である

拙速女性登用推進には弊害も起こりうる

組織委員会ではうまく行っている。今後も女性登用を推進していきたい

というものであり、この内容自体非難されるに当たらないと思った。

発言意訳

参考URL https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/02/04/kiji/20210204s00048000348000c.html

女性理事を4割入れるよう、文科省がうるさく言っている。4割という数字を達成するために精査せずに女性を登用すると、理事会に時間がかかるなど弊害が起きる。ラグビー協会では女性を登用するようになってから理事会に倍の時間がかかるようになった。

理事職に応募するような女性達は、優れた面でもあるが、競争意識が強いところがある。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うのだろう、会議の主目的に沿わない内容でもとりあえず発言する。私の意見ではないが、女性理事を増やしていく場合には発言時間をある程度規制しておかないとなかなか終わらずに困る、と言っていた人もいた。

(森氏が会長を務める)組織委員会には女性が7人くらいいるが、この種の弊害は起きていない。競争意識で応募したのではなく、委員会役割をわきまえた人だからだ。みんな競技団体から出身国際的に大きな舞台経験している人達ばかりだ。だから会議においても、競争意識から議論のための議論ではなく、意味のある議論をしてくれていて非常に大きな役割となっている。委員会に欠員があったら次もすぐに女性を選ぼうと思っている。

意見

管理職になりたがらない女性が多いことは事実であり、理事組織委員会女性を登用するにあたり、見識を持った人材を確保するのが大変なのはその通りだと思う。そこで4割という目標クリアするためにとりあえず女性を、と選んでしまうと、オリンピック成功よりも自身の箔付けのために理事になりたいような人が採用されてしまうというのもありうることだと思う。

そのような人に理事会を自己アピールの場として利用されてしまうのは、オリンピック成功第一義として考えている人(JOC理事組織目標をわきまえている人)からしたら苦々しく思うところだろう。国会クイズ大会を見せられた時の呆れた感情を思い起こした。

今回の件は男女平等に向けて古い慣習から脱皮する中で生じた摩擦なのだと思う。古い価値観男性(やいわゆる名誉男性)だけで理事会・組織委員会構成していたら「女性は話が長い」という文句も出なかったはずで、新しい価値観へ向けて前進しているという証左としてポジティブに捉えてもいいのかなと思った。

データに基づいていない印象による決めつけの発言が多く(「ラグビー協会は今までの倍時間がかる」「誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね」)、そこは非難されるところかなと思った。しかし例えば、実際データを集めた結果「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」という発言をした場合は許されるのか?結局怒られる気がするので、印象だけで決めつけたからアウトというわけでもないのかな。

記者の側の問題でもあるが、なぜ組織委員会では問題が起きていない(=わきまえた女性ばかり登用できている)のか、そこの話を聞きたかった。金銭的、時間的にコストを掛けて人材登用した?組織委員会の方がJOC理事より心理的ハードルが低い?人数の問題でそれほど大人数を選ばなくてよかっただけ?なにかしらノウハウがある?

ところで、自分でも整理できていないが、わきまえていない女性理事会・組織委員会に入ることはダメなことだろうか。

貴重な素人目線の指摘を貰える可能性がある(理事委員の重責に置かなくとも別途意見収集すれば良いだけな気もする)

玉石混交人材をまとめ上げてチームとして運用していくのが会長役割ではないか

というような考え方もできるので、一概に望ましくないと言い切ってしまうのも何かためらうところがある。

余談ながら、私は『わきまえない女』でありたい。と言った人がいたが、森氏の言うところのわきまえない女とは職責よりも自己アピールに重きをおくような女性のことであろう。果たして本当にそんな女性になりたいのだろうか。

2021-02-07

anond:20210207135559

資産運用って言うのは将来の不安の為にやるもの、つまりビビりの人ほど必要生存戦略なんだよ

お前みたいに「一発あてたったワイ」とイキリ散らすのはお前が投機であることの証左なんだよ

大体なんで昨年末からビットコインが高騰してるか理解してんのか?

その辺の需給の背景理解してないとまた逃げ遅れるから

2021-02-04

かつてニコニコ政治厨なんて言葉があったけどいつの間にか廃れたな

ネットのメイン層が若者からおじさんになった一つの証左だと思う

2021-01-28

勉強会の音声会話、discordからclubhouseに変えない?って主催者提案してきたので、

Android対応してないから、そういうメンバ参加できないよー」って返そうとして、

それだけだと冷たいから「そもそも招待してくれる友人がいないしね」って茶化したら「俺も」とか、提案した人から返ってきた。

あ、提案したのてめーだし、誰かから待受けてんだろうが、使ってんのツイート見たぞ、「俺も」とかレス返すより「じゃあ招待するね」とかならないんだ、とか

色んな感情が一気にわいてきて、すごくげんなりした。正直Mixiの最盛期に高校生だったが、誰からも招待受けないまま卒業たから、ああい招待制SNSとか超苦手。

リアル友達いないまま今に至ってるので、ほんと性格歪んでる証左なのだろうけど。

メルカリで買って解決した人の気持ちはすごくわかるわ。。転売したやつは許さないけど。

2021-01-27

暴力的な男がモテるって文句言うオタクさん

それが事実だとしたら

案外女性完璧な男なんて求めていなくていい加減な男でも受け入れてくれるってことの証左なんだから文句ばっか言ってないで

努力すれば良いのにって思う。

2021-01-15

キュレーターとは,現代美術文脈において展覧会企画運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトル展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。

今日クラシックにおける自主企画演奏会は,多くの場合プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートマネジメント演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないかクラシック音楽にも,お客さんと作品キュレーション架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。

ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。

目次

1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界

2.運営さん,ゲームバランスの調整まだですか?

3.キュレーション差別化手段になりうる

4.プレイヤーキュレーターorプレイヤークリエイター

5.まとめ

1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界

繰り返しになるが,現状のクラシック自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家選曲プログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。

でもね,正直クラシックコンサート演目って似たり寄ったりじゃないですか。

コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去音楽再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。

ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり技術で劣る演奏家演奏会に行く理由がなくなってしまうのである

このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽特に文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須レパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベル結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。

結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツ東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要西洋音楽技術結構低いんですよ。川谷絵音東京事変King Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスクラシックに比べて多角的評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価観点として強烈に幅を利かせているのである

2.運営さん,ゲームバランスの調整まだですか?

プロ世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。

例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。

このゲームでは,プレイヤー最初ガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身活動への俯瞰的視座」とか「個性的音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初キャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…

まともなゲーム運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。

…まぁでも現実世界にはゲーム運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである

3.キュレーション差別化手段になりうる

そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会プログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものデザインできれば,技術トッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。

モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会デザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。

また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。

一方,クラシック音楽演奏会はどうだろうか。そこに「体験デザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツ演奏楽曲)のクオリティ,そのほかはあくま付属品」だと考えているし,むしろ演奏クオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。

キュレーター自分作品を作れない。その代わりに,個別作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験デザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイート意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。

具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。

4.プレイヤーキュレーターorプレイヤークリエイター

はいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験デザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!

…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤーキュレーターになれ,もしくは②プレイヤークリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。

クラシック演奏家って特殊立場なんですよね。CDスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手自動運転にとって変わられるように,中途半端演奏家オーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊イノベーションだと思っている。

からこそ,演奏家は「他者作品再現」以外の価値を作らなければならないのだ。

こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏聴くより,自宅のスピーカートッププロ演奏聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯時間丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCD中の人の方が上でしょ?…これが一般人残酷本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験デザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。

また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやす価値提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者作品再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコーピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。

ちなみに,「自分作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています

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2021-01-11

やっぱ若い人が感染すんだなこれ

ホテル隔離初めての食事。すれ違う人はみんな若い。皆目を合わせず話はしない。お弁当取ってレンジで温め部屋に持ち帰る。ペッパー君の「腹が減っては戦は出来ぬ。たくさん食べて新型コロナウィルスとの戦いに勝って下さ~い。」って甲高い声だけがロビーに響き渡ってる。不思議世界だ。

https://togetter.com/li/1648811

これやっぱとキスとかク○ニとか2穴同時挿しとかのごく普通のセ○クロス感染するという証左だと思う。

若い人に性欲押さえろとかいっても無理だからなあ。

LAの大停電の時にも、家でやることなくて出生率があがったくらいだ。

それと同じことが起きている。

どうんすんだこれ。

2021-01-05

オンライン飲み会がつらかった話(オンラインであることは関係ない)

ここ数年はコミケ旅行で逃避していた年末年始の『本物の社会』とのコミュニケーション期間。

「今回はオンラインでやるからお前も来い」とのことで久方ぶりにジョインするも以前にも増して感性のズレがしんどい空白期間情報量差と人生ゲーム落伍者コースメインストリーム組との”格”差)。


SNSでは居心地のいいTL、つまり価値観の近い言葉で埋め立てられている。

趣味仲間においては趣味周辺の話題に終始していれば平穏無事な場面が多い。

しかし、基底現実での関係物理空間での因果なので同時代性以外の価値観に致命的なズレが生じており本当に無理だった。


1対1での会話であれば相手に向けたチューニングをお互い出来る範囲で行うのが常なので、コミュ障同士でもなければなんとか成立し得る。

だがこれが多人数となると場の支配的な人物乃至主要となる関係性が全面に出されてしまう。

すると帯域が非常に狭い自分エラーを吐きまくる。普段どれだけ相手に気遣ってもらっているかという証左でもある。


メインストリーム組は『流石だなと』思える立派な人もいれば『相変わらずダメやってるな』という昔なじみも多いんだけど『それ今の倫理だとアウトでは?』を平然と発言するジョックスも居て、

しか自分の見たい世界以外の大多数の社会では実際一般的とされる認識であることも分かってしまうので病む、となる。


自分は彼らの発言の背景にある苦労を知らず、借り物のポリコレ棒を徒に振りかざすことの醜悪さに怯えているだけだという自覚はある。

ターゲットになることは少ないにせよ下層に所属する自分弱者発言権を行使してまで主張するほどの覚悟はない。


何れにせよ『対等のステージに立てていない』自分相手自尊心不用意に傷つけ周囲の和もかき乱すというのは悪手と捉えているので事なかれ組に迎合している。吐き気がする。


9割方肯定、少なくとも否定せずにいられる相手の1割を『目下の者』が諌めるのはとても難しい。その配慮ができるのであれば暴君以外とは『対等以上』の関係になれているだろう。

その1割から目を背けるためにフローターを気取っていたという事実を改めて突きつけられてしまったので、子供部屋おじさんとしての呪詛アルコール消毒することにした。

2021-01-04

anond:20210104095243

アスペやん

秀吉天下統一信長思想と土壌有りきのモノ

なら信長思想は本物だったって証左やん

達磨を作った人と最後に目を入れた人どちらが製作者って話

2021-01-02

anond:20210102015709

第三次ベビーブームがこなかったのはまさにこの世代新自由主義小泉氷河期とぶつかったからなんだが。

実際新自由主義結婚できない年収不安定なの男が増えたのも証左だな。

2021-01-01

畜産環境に良くないのは事実なら

魚を食べたり捕鯨に賛成するのが筋だろ

なんで畜産環境への有害性がヴィーガンへの擁護になるのか全く謎

やっぱりヴィーガンキチガイだっていう証左しかなってない

2020-12-25

anond:20201225204427

そういうのは口先ばっかで恨みなんか大したことない。

この世の中にいじめはくさるほどあるのにいじめた恨みで復讐されて死んだやつなんてほとんどいない。

要するにいじめ被害者復讐するほど恨んじゃいないってことなんだよ。

恨むほどいじめられてないっていうべきかな。

本当に死ぬほど恨んでたら自分人生と引き換えにしてでも復讐を果たすよね。

恨みは10倍にも100倍にもして返すよね。

復讐できないってのは恨みがちっぽけである何よりの証左なんだよね。

泣き寝入りできるってのは所詮それほどのものなんだよね。

anond:20201225035048

からメンヘラとは違うんだって

理解されないかメンヘラになっていくのは完全に否定はできないけど

それは結果の1つでしかないし、やっぱり周りが理解していない証左でもある。

から自分立場想像しないと理解できないんだよ。

漫画だかラノベだかしらないけど、その定番をもってきて

決めつけてたら話はそこで終わってしまう。

幼稚園先生園児の話はまた別でしょ。

最初から差があるのはわかってる。

2020-12-19

人が死んだニュースで「これはひどいタグが付かないのは

はてなブクマ)民が人命を軽視している事の証左に他ならない

ひとがしぬことよりもひどいことってなんなの?

2020-12-14

真似されるのが嫌い

とにかく真似されるのが嫌いだ。相手がどんなに好きな人であれ、とても憧れてる人であれ、尊敬してる人であれ。べつになにかを奪われたような気持ちになるからじゃない。ただ、自分価値を見いだせなくて。人が自分の真似をしてると、自分がその人の価値を下げているような気がしてしまう。もしかしたら私の気のせいかもしれない。気のせいじゃないなら、私に好感を持っているという証左なのだろうか。どちらにせよ、そんなことを言えるわけもなく、私は今日もひとり苦い思いを抱えて生きている。

2020-12-12

anond:20201209202741

この増田には問題点が大きく分けて2つあって、

もっというなら、増田主は公立校を経て東大へ行った男性のようだけど、じゃあ増田主はその様々な出自の人が自分の見えないところで受けていた差別なり抑圧なりを認識していたのか?それを社会問題として実感しているのか?というと、文章からはあまりそれは感じられない。むしろ、「男性に多く払わせようとする」みたいな議論を持ってきてそいつらはニセモノのフェミニストと断じようとするあたり、この増田主は構造的な問題理解しないまま偏見を保持しているように思われる。これは結局、上で述べた「公立校に行ったからといって差別認識是正できるとは限らない」のわかりやす証左増田主がなっているということではないだろうか。

しろ東大に行ってこの程度の認識なのか……と頭が痛くなったということを申し上げておこう。

2020-12-10

クリエイターから言わせてもらうけど、お前らクリエイター信仰するのやめた方がいいぞ

Twitterで絵を描いている。

特定が怖いので具体的なジャンルとかは言わないが、万単位フォロワーがいる。商業もやってるよ。

それで本当に違和感があるのだが、みんな、ちょっとクリエイターリスペクトしすぎじゃないか?ということだ。

お前ら、ちゃん作品人格を分けて考えた方がいいんじゃない?という気持ちに何億回もさせられる。

実例は俺だ。

以前、政治関係適当なこと言ったな、って我ながら思った発言がすごく賛同されて超ビックリして、

今更不安になってこんな記事を書いている。

絵や漫画が上手い=人格的に優れているわけでもなければ、

絵や漫画が上手い=物事に詳しい

わけでもないからな?大丈夫か?わかってるよな…?

俺は確かに絵は描けるけど、世の中に真剣に物申せることなんてないからね。

当たり前だよね。みんなが真面目にコミュニケーションとったり、バイトしたり、勉強してる時間絵を描いてたんだから

てかさ、良い作品を作る奴が良い人間なわけないだろ。

しろ人間性に問題のある奴の方が、やっぱいいもん作るわ。

こう、「持ち上げてこいつにもっと作品量産させたろ!」とか、そういう打算的な感情ならわかるんだけど、

たまにマジで作品じゃなくて制作者をリスペクト信仰している人が多い気がして怖いわ。

打算であって欲しい。本当に。

言っちゃうけど、絵や漫画で食ってこうなんて人間、8割は社会的問題のある人間から

あんま持ち上げんで欲しい。

「ま、俺(私)の好きなあのクリエイターさんは2割の方だから」って今思った人。

お前が一番危険だぞ。気をつけてくれ。

アレだ。

真面目に生きて、マトモな感性持ってる人を尊敬してあげる社会の方が、俺は優れてると思うよ。

絵や漫画のことばっかり考えてる人間って、人間性に問題あるからね、繰り返すけど。

そういう問題のある人達を、みんなで持ち上げて、発言力を高めていく風潮、本当によくないぞ。

俺は基本的に、自分のことをゴミカスだと気づけたので、絵や漫画を上げて、リツイートして、

知り合いのイラストレーターやら、商業宣伝するくらいで、なるべく意見とか言わんようにした。

そういうクリエイターSNSスタイル流行らんのかなあ。

流行らせていきたい。やべえもん。今。

あー、何かゴチャゴチャしてきた。文章苦手。

簡略化して以下に書くから、そこだけ読んで欲しい。

要点①

クリエイターは何かを出来る人間だが、専門要素以外でリスペクトされる筋合いはない。

要点②

①のようなクリエイターを持ち上げ続けて、無自覚に彼らの発言力を高めすぎるのは良くない。

その理由論理的ではない、不利益、不合理な結果を社会にもたらす可能性があるから。(具体例書こうと思ったけど忘れた。後で気が向いたら追記する)

結論

クリエイター尊敬するのはいい。

彼らの言葉を聞くのもいい。

だが、例えばイラストレーター他人より優れているのはイラストを描けることであって、

漫画家は漫画が描けることであって、作曲家は曲が作れることが、その人間の優れている能力である

その専門性以外の情報は全部ノイズだ。

できれば見るな。

専門性が絡むこと以外の人格発言を持ち上げすぎるな。

尊敬しすぎるな。発言力を与えすぎるな。

俺は、怖い。

俺達の能力と、現代SNSの相性が良すぎて、悪すぎる。

俺達は、無自覚詐欺師になる可能性があって、みんなが被害者になる可能性が今、すごく高い。

ヤバいよ。気をつけろ。

結論は以上。

てか、ここまで俺の文章読んだらわかるだろ。

俺、ヤバいやろ。

でも俺、割と業界だとマトモな方やぞ。マジで

ド屑マジでいから。

いや、本当に。

有名クリエイターあんな話やこんな話してえけど、流石にやめとく。

俺のヤバさをもってして、

クリエイターのヤバさの証左として、みんなへの注意喚起としたい。

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