はてなキーワード: 自死とは
あんまりマンガ読んでるってリアルの交友範囲で言ったことがなくて、言ったとしても「SPY FAMILY良いよね」みたいな無難なことしか言ってないので、あんまり人に言えないような感じの漫画の感想を書きたくなった。
これ凄いよね。作品として面白いとかを超越していて、「作品の成り立ちが面白い」って感じ。
もともと金田一少年の事件簿は本格ミステリーである金田一耕助シリーズのパロディとしての新本格ミステリーなんだよね。
古風な建物だったり、なんか意味分かんないマスクつけてたり管理人が無表情で何考えてるかわかんなかったりっていう演出の部分から、推理の材料は全部明確に出してたり、読者の知識の範囲で推理できるようにしたりと、とにかく「新本格ミステリー」の世界だったじゃん。
で、この作品はそれをセルフパロディにしたような構成なんだよね。もう謎はときたくないとか言っちゃったりして。
だからこれは「金田一耕助シリーズのパロディとしての新本格をパロディにしたメタミステリー」っていう構成になってて、その時点で作品外の情報量が多すぎて読んでてとにかく疲れる。面白いけど。
肝心の内容はなんか熟女AV見せられたような感じが微妙にリアル(特にタワマン編)。
聖剣はヌけないけど聖剣ではヌけるよね、みたいな下品な冗談を言わせたいがためだけのタイトル。
内容としては本当になんかもう「擬人化した剣を手入れと称して愛撫するシーンをたくさん描く漫画」って感じで、なんかしら理由をつけて服を脱がせようとしたり(服=剣の鞘)する話。
別に擬人化する必要がないシーンで何度も擬人化してエロっぽく見せるシーンがとにかく多くて、有り体に言ってとても下品。
それも個人的にはゲラゲラ笑える下品さっていうより、フヒヒッて笑ってしまうような感じの下品さで、コレを読んでいる姿は誰にも見られたくない。
見られたら自死を考える。
3巻目くらいからだんだん新キャラが巨乳になってきてちょっと残念。
田中に胸触らせたり田中にパンツ見せたり田中にほぼ全裸見せたり田中にパンツ食べさせたりするやりたい放題する内容で、
線がパキっとしてるからエロく見えないだけで、体のラインとか凄いフェティシズムを感じるけど、でもパッと見で線がパキっとしてるのでエロくないからギリギリ許されそうでやっぱり許されない感じのコメディ。
これは読んでてゲラゲラ笑うタイプの下品さだけどこういうギャグで笑っている姿はあんまり見られたくないやつ。
あと巻が進むごとに上野さんのお尻のラインエロくなってませんか。
通称ファ美肉おじさん。
つい最近1巻が出たんだけどこれ描いた人多分頭がおかしいんだと思います。
ヒョロガリ非モテ男とイケメン眼鏡(両方ともアラサー)が異世界に転生してヒョロガリ非モテ男が絶世の美女(ロリ)になる話。
いわゆる異世界転生モノのテンプレートに乗りながら、設定が突飛すぎてそれだけで話を転がしているのが凄い。
あと1巻時点ではこの二人がくっつくのかどうかっていうっていうのも気になるし、くっつくってことはそれはBLなのかとか考えるとわくわくしてくる。
あと口が悪いロリって良いよね。
バトル漫画だと思って読んでたらだんだん変態漫画になってきたやつ。
帯の付喪神を相方として使役する主人公が繰り返して母親を越える、という成長譚としてのフォーマットは則ってるのに、合間合間(大体2話に1回、最近だと1話に1回くらい)にエロシーンがあってしかもそのエロが生々しい。
フォーマットだけ見ると王道バトルマンガで、戦闘シーンも派手な戦闘なのに、しょっちゅう手コキされたりソーププレイされたりしてる。
バトルマンガとしてフォーマットが整っているだけに、「バトルマンガ見たくて見てるんだけどね」って言い訳できそうで言い訳が全くできない作りになっている。
ヒロインの桐葉が初期はロリキャラだったんだけど、設定の都合上だんだん成長してきて最近はふとももがとてもむっちりしている。
それでいてストーリーとしてちゃんと山場が作られていて、続きが気になるように作られている。
フックの素っ頓狂さ(ヒロインが主人公の母親代わりになるって言って毎朝味噌汁を作りに来てくれるようになる)の割に丁寧な作劇になっていて甘酸っぱい感じがする。
こういう恋愛したかったなぁちくしょうってのたうちまわりながらも続きが気になってついつい読んでしまう。
ところで部屋の本棚には意識高いビジネス書と京極夏彦の小説しかおいてなかった身からすると、電子書籍の本棚とか見られたら死にたくなりそうなんだけど、みんなどうしてんの?
見られないようにタブレットとか引き出しに隠せばいいの?
精神疾患をもつ父親に友だちができ、家族一同毎日小躍りしている。うれしくてたまらない。
還暦を過ぎたいい大人の人間に友達が一人できたぐらいで何を大げさな、と思う御仁もあるかもしれないが、
今回ばかりは許してほしい。何せ父に友だちができたのだ。それもまともな友だちが!
父は30年以上前に統合失調症と診断され、以来入退院を繰り返している。精神疾患を抱えながらも、私達子供を食わすために
無理に働きに出てはクビになり、体調を崩して入院するという生活が10年近く続いた。そのたびに父は激しい劣等感と自尊感情の低下に
苛まれ、ことあるごとに私たち家族に「ごめんなあ、ごめんなあ」と言っていた。
私の記憶の中の父は、いつも縁側でタバコを吸いながら力なくうなだれていた。
父はとても優しく、人のことを悪く言わないという美点がいくつもある反面、口下手で気が弱かった。
そのため、精神病院の少々ガラ悪めの人々にしょっちゅう金銭とタバコをせびられていたらしい。
今思い出しても腹が立つのだが、父の退院初日の夜中にヤ〇ザみたいなおっさんから電話がかかってきて
「〇〇(父)はいるかぁ?代われ」と言ってきたので、「いません」と答えると舌打ちののちにガチャ切りしやがった。
おそらく患者仲間から退院の一報を聞いてこれ幸いとばかりに金をせびろうと考えたのだろう。
深夜に電話をかけてくる非常識さより、退院日に唯一かかってきた父の知り合いからの電話がそれか、
と情けなく悔しい気持ちになったのを覚えている。
そんなわけで、家族としても心配なので何度も転院を薦めたのだが、父は「慣れている場所がいい」といってこれを固辞した。
主治医からも不慣れな場所に移ると却って精神的に不安定になるので、本人の希望に添ったほうがいいと言われたため、
そんな中、私の兄が自死した。
突然だった。兄は父の病に一番理解を示し、毎日父に電話したり父を外に連れ出してくれていた。
私も大好きだった。兄がいたから家族が維持できていたといっても過言ではなかった。
その時の家族の、とくに父の憔悴ぶりといったらひどいもんで、ほぼ一日中どこかの部屋から誰かしらのすすり泣きが聞こえてくるような有様だった。
そんな一家総ゾンビ状態の我が家はド田舎の集落で一躍有名になり、近所のスーパーに行くとレジのオバちゃん連中から好奇と憐憫の眼差しを
一身に浴びさせられて精神的にだいぶ消耗したりした。
てなわけで私は「こんなクソみたいな場所にいられるか!俺は出ていくぜ!」とばかりにサスペンス映画だったら最初に殺されそうなセリフを吐いて
家族を残し、早々に都会に越したわけである。薄情かもしれないが、こうでもしないと家族相倒れは免れないと思ったからだ。
当然といえば当然だが、息子と娘が一気に巣立ってしまった(?)父は荒れに荒れたらしい。
勝手に怠薬する、作業所(さまざまな疾病を抱える人が社会復帰の名目でやる時給100円とかのバイト)を無断欠勤する、親戚に電話をかけまくる、
朝からパチスロに行って小遣いを全額スッてくる、母の財布から金を抜く…などなど。それはひどいもんだったらしい。
そんな調子だからすぐに体調を崩してまた精神病院に入院と相成ってしまった。
私は遠方に住んでいたため見舞いにはなかなか行けず、退院時に久々に父と対面したのだが、
半年以上入院していた父は髪もボサボサだわ歯もかけてるわで、一気に20歳くらい老けたような印象を受けた。
そんな浦島太郎ばりの体験をした父が、最近なんだかとてもうれしそうなのである。そしてたのしそうなのである。
いわゆる躁的な状態ではなく、声と態度に落ち着きがみられるのだ。以前は相手の機嫌をうかがうようなトーンで他者と話していたのだが、
最近はあきらかに雰囲気が異なる。よく笑うし、おどけるし、何より相手の調子に合わせる「余裕」があるのだ。
その原因がこの間ついに判明した。なんと父に友だちが出来たのである!!!!!!
ついでに言うと、父が自分から他者を「友だち」と呼ぶのはこの人が初めてなんである!!!!!!!
今までのヤ〇ザみたいなおっさんだったりとか、父につけ込むガラの悪い連中は全員「知り合い」と言っていただけに衝撃だった。
しかし、油断はできないのである。何せ今まで父の周囲にいた連中がロクな連中じゃなかっただけに、家族は警戒していた。
何よりこんな田舎町で「のけ者」によくしてくれる善良な人間なんかいないだろう、いたとしてもなんか道徳とか宗教とか倫理とかやってる人、
あるいは福祉関係の人で、ボランティア精神で父によくしてくれるんだろうと思っていた。ありがたいがなんだか申し訳ない気持ちが勝った。
しかし、その友だち(仮にYさんとする)はそのいずれでもないらしいのだ。日中は畑をやり、夕方に犬の散歩がてら父の家に酔って縁側で茶をすすってひとしきり世間話をしてから
家に帰っていくらしい。たまにとれたての野菜なんかをもってきては美味い食べ方をアレコレ指導していくらしい。所謂「マジで普通のおじさん」である。
マジで普通だが、思えば父の周囲にはその「マジで普通のおじさん」がぜんぜんいなかった。二言目には金かしてくれ、タバコくれと言ってくるような人ばかりであった。
父に近づく人間に警戒するクセがついてしまっている私は、失礼にあたるのでは、と思いつつも金銭のやりとりはあるのかとうかがったところ、
「全くない。逆に向こうの家に呼ばれてごちそうになる」という答えが返ってきたので仰天した。
さらにどういう話をするの、と聞いたら「コロナとか…飼い犬(老犬)の足が弱ってきたとか…」といったマジで普通の答えが返ってきた。
その普通さに、思わず私は胸が震えた。と同時に、私が父や周囲の人に無意識に抱いていたスティグマを痛感させられた。
私は「どうして誰も父のいいところに目を向けてくれないんだろう、病気という色眼鏡でしか見てくれないんだろう」と言いつつも、
心の中では「どうせ父に近寄って来る人間は下心があるに違いない」という思い込みにとらわれていたのである。猛省しなくてはならない。
田舎にはプライバシーという概念がないも同然なので、Yさんは当然父の疾患や家族の不幸なんかの情報も耳に入っているだろう。
知ったうえで父と付き合ってくれているのだ。父の様子からすると、同情などではないのだろう。深くかかわった人ならわかるが、何しろ父は性根がすごく優しいのだ。
家族以外に父のよさに気づいてくれる人がいてくれてうれしい!!!!!!だからしあわせ!!!!!
今度帰省したら縁側でおしゃべりする父とYさんにお茶を出そうと思う。そして少しばかり世間話に混ぜてもらおうと思う。
追伸
看護学校の社会人入試に合格したので、春から看護学生になります!!!!精神科の看護師目指してがんばるぞ!
ちょいとコメ返:
①どうやって暮らしてたの?→母が医療系の専門職だったおかげで家族が食っていけました。やったね!
②苦しい気持ちで読んだ。ガラの悪い人は"おそらく"精神科の知り合いで"まともな友達"ではないと言う増田が、精神科看護師を目指すのか→配慮を欠いた書き方をしてしまったことをお詫びします。父の入院先の病院では、少々暴力的な方々が医療者の見えないところで他の患者を恐喝するといった小さな事件が相次いでいたのでナーバスになっていました。
ご指摘の通り、その方々も治療の対象者であることに変わりはありません。そういった問題行動をとる方々ばかりが入院されているわけでは決してないことを強調しておくべきでした。
また、退院後の父に連絡してくる方々が高圧的な印象が強すぎたためそこだけフォーカスしてしまいました。申し訳ありません。猛省・精進します!
不謹慎だっていうのは大前提だけど、自死する勇気がないから、苦しいのも全部わかってるけど、このままただ生きる方がつらい
私はクズで、生きてる価値がない 友達とかからしたら全くそんな風に思ってるなんて見えないだろうから人ってわかんない
彼氏も信用できないし、どうせ一生自分本位だろうし、気が向いたときだけ優しいね
私は努力できないし、ストレスがすぐ身体にでて普通に過ごすだけでも辛い
もっとつらいひとはいっぱいいるなんてそんなことはわかってるけど、私は私なりの苦しみがあって、もう根底に絶望があるし、将来に希望が見えない ただ日々を消化していくだけだろうね あと 彼氏に出会わなければよかった 友達が別れたい冷めたとか言ってる時、いいときのこととかやさしさとか思い出さないんか?!と思ったけど思い出せないね 思い出せてもなんか他人事のようで感情は別なの あなたに出会うまでは辛くても死にたいとか思わなかったけど、あなたが初めてそう思わせた そしてそれは消えなくて、ずっとあるんだよね気持ちが うつったのかな あなたもそうだもんね 全部私のせいにして あの時寄り添おうとしても払い退けたでしょ 不満をひとりでためて 爆発して なにを言ってもダメ 私は悪くなかったって自分で庇わないともうやってられないの ごめんもう無理かも
アニメやドラマ、映画、漫画やラノベなどの物語でしか泣けない。
姉が自殺したときも至って冷静で、生きていても死んでも迷惑ばかりしかかけないヤツくらいにしか思わなかった。
父も90近く高齢で胆管がんを患い、手術は成功したがおそらく数年で死ぬだろう。それでも考えるのは「めんどくさいな・・・」くらいにしか思わず・・・。
今までに知り合いや友人だった人もなぜか知らんが数人自死で亡くなっているが、その時考えたのは自分の保身だった。
父は自尊心や承認欲求が強く、嫌なことがあるごとに「俺を馬鹿にしやがって!!!」と泣き喚き、酒に溺れ子供に物を投げつけ、蹴り上げ、怒鳴り散らすような人だった。おかげでオレは今でも自身には全く無関係な理不尽な暴力や街なかで聞こえてくる怒号ですら怯えるようになってしまった。子供時代や学生時代はよくイジメられた。男なのに情けないって思う。今となっては、オレが大人になり、力もオレのほうが強くなった事もあって、暴力を振るうようなことは無くなったが、泣き喚いたりメンタル的に弱いのは今でも変わらない。
オレが特別優秀だなんて思い上がっていたわけでもないが、姉は料理も家事もロクにできず、スポーツができるとか、頭がいいとかもなく、にもかかわらず努力のかけらもするようなことはなく、何をやってもオレより劣り、誇れるようなことは何もないような人で、高校受験に失敗し、本命だったそこそこの公立校ではなく併願受験でなんとか合格していた最底辺の私立校へ行ったことで、更にクズ人間になった。クズ人間の不良の友人に処女を奪われ、そいつと結婚するとか言い出したが、両親に拒否され説得され、傷心のまま恋仲になった裕福な彼氏に救われて結婚したものの、結局そいつも父と似たような暴力旦那でDVにさらされ、精神を患い、そんな折2人の子供を産んだが、実家の団地の高層階から身を投げ自殺した。本当にどうしようもない自業自得な人生で、こんな人が姉だと思いたくない。だからもし姉との思い出は?と聞かれても「どうしようもないクズ人間だった」としか答えられない。
そんなオレの子供時代の救いは、優しく強かった母だけだった。だから母だけには、今でもとても感謝しているし、何かあったら助けてあげたいとも思う。それでもそんな家庭から逃げたくて、20になる頃には独り暮らしを始め、今は産まれ育った関西から遠く離れた千葉に住んでいる。
別にオレが死ぬような思いをしたことがないから、辛い人間の気持ちがわからないとかそういうのでもないと思う。理不尽な暴力は振るわれた本人が心身ともに酷く傷つくし周囲も嫌な思いをするから誰のためにもならない。独り暮らしを始めて少し経った頃、騙されて借金を背負ってロクな食べ物も無く、「死んだら楽になれるかな」なんて思いつめて自暴自棄になったこともある。自己意識の喪失が怖くて結局自殺はできなかったが。
たぶん、父が死んでも「やっとめんどくさいやつが死んでくれた」「でも母が独りになるけどどうしたものか」くらいにしか思わないんだろうな。
このブクマについたブコメが色々香ばしかったのでまとめておく。
スカタンなブクマを眺めていく前に振り返っておきたい点がふたつある。
まずひとつめは、元記事で回答者氏が述べているのは「日本は他国や過去と比較して相対的に治安がいい」という事実だけであり、そこに絶対的な尺度はないということ。「いや犯罪は起きてるじゃん」という反論は意味がないのである。日本で起きてることが他国ではもっとたくさん起きてるんですよ、ということを言っているので「うん起きてるね」で終わりである。
ふたつめは、治安レベルの指標として殺人件数を採用している意味について。回答者氏は「治安のレベルを測るのには、一般的に人口10万人あたりの殺人件数(過失やテロによる死者を含む)を利用することが多いので、以下でもその慣行に従」うと述べており、これは言い換えると殺人件数は学術研究レベルで慣行とされうる程度には治安レベルを測る指標としての妥当性を持っているということになる。
id:takamocchi 「口に粘着テープを貼りアイマスクをして飛び降り」う~ん自殺!「土管を腰に結び両手足をロープで縛って海に投身」これは自殺!「証拠品の銃を奪い自分に発射、飛び散った血をふき取って死亡」うん自殺!
↑殺人事件であるはずのものが自殺として扱われて数字に入っていない(ので日本の治安がいいとは言えない)と言いたいのだろう。そうしたケースを殺人に算入した結果統計にどんな影響が出るのか見てみたいものである。年に何件あるのだろう。元記事の論拠が覆るほどの件数だとしたらたいへんなことである。
id:speedworld1231 殺人事件に関してはそうかも知れないがもうこの国はだめだよ
↑微妙な判定でセーフだが、殺人事件を治安レベルの指標としていることに不服がありそうなので加えた。「もうこの国はだめだ」に関しては同感である。
id:tableturning 日本いうほど治安良くないよ。怒鳴ってくる男の人多いし痴漢も多いし身を乗り出してツイッター覗いてくるし、都内の方なんて夜道は怖くて歩けない。酒に薬入れて女子大生が十数人昏睡状態とかニュースになってるし
↑前置きの1点目がわかっていないケース。誰もお前の体感治安の話などしていない。
id:kyo_ju 殺人の件数だけで治安の良し悪しを論じられましても/凶悪犯罪や少年犯罪が減少を続けているのは確かで、ならば警察規模縮小を論ずべきところ、体感治安ガーとか各種理屈を総動員して警察組織は拡大の一途なのがね。
↑これは前置きの2点目がわかっていないケース。殺人が多いくらいならばほかの軽犯罪や性犯罪も相関して多そうだとは思わないのか。人殺しするやつは万引やレイプだって平気でするだろ。
↑同上
id:ponkotukko 自死する人が多いことも考えに入れてほしい
↑自殺率と治安に何の関係があるのかさっぱりわからない。なぜ突然自殺の話をする?
id:kuroan 治安の良さを「殺人」で測るか「軽犯罪」で測るか。犯罪を「実際に起きた数」で測るか「警察に握りつぶされたものを除いた数」で測るか。
↑とりわけスカタンなこのコメントが星を集めてるのが心底嘆かわしい。殺人がぼこぼこ起きるような国じゃ軽犯罪なんかもはや取り締ってらんないくらい無数に起きてんだろ。なぜ軽犯罪で比べたら違う結果が出ると思うのか。そして治安が悪いってことは警察が無能か腐敗してるかその両方かだろ。なんで日本の警察のほうが無能って前提なんだよ。ほかの国より警察が優秀だから殺人が少ないんだよ。お前もその恩恵受けてんの。認知件数じゃなくて発生件数(神様にしかわからない)で比べたらむしろ差が開くわ。アホか。
id:amunku 普通に暮らしてればアメリカもイギリスも安全だし私NY市内の電車で寝てたよ。殺されなくても日本でレイプは現時点で無罪だよ。セクハラパワハラ過労死は横行してて自殺率は他国より高い。殺人にカウントされないけど
↑どこの世界線から来たのか知らないがこっちの世界線の日本ではレイプはれっきとした犯罪(強制性交等罪)で認知件数は年間3ケタある。そのすべてが有罪になるとは言えないだろうが(示談成立や容疑者不明のまま不起訴があるだろうから)少なくとも起訴されれば有罪になるはずである。また、セクハラパワハラ過労死自殺率については何言ってるかわからない。
↑誰も女性の体感治安の話などしていないので届く必要ももちろんないと思う。
↑お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな。前置きのひとつめをよく見ろ。
id:nowa_s 安全な国とは思うし殺人や強盗の被害は身近にないけど、性犯罪なら多すぎる。/"日本で30年犯罪に遭ったことない"人すげーな。自分一人に限っても匿名電話で強姦の脅迫、体操服や自転車の盗難、複数回の痴漢とかある
id:nanakoso 殺人は死体が残って「実際に起きた数」を操作しづらいから国際比較の基準にされる。いじめや軽犯罪は警察、担当官らの胸先三寸で数字が変わる。追記:反論したい人は数字出して記事かいてよ。
↑これも前置きの2つめに乗っかれなかった人。日本で数字が操作されるなら諸外国ではもっとひどい操作をされているかもしれないという想像力すら働かず、自分の導きたい結論に都合よく世界ができていると思っちゃえる人。しかもその立証責任は他人に求めちゃう人。意見を述べる資格なし。
id:princo_matsuri 道路の治安はその限りではない
↑諸外国の交通秩序のほうが日本よりまともだと言いたげである。それは本当か?
id:yanosworkout 浅い。マクロ視点で治安がいいのは分かっているが、度々エントリで上がる性被害や弱者への暴力は一体何なんだろうって思う。
↑いやその話をしたいのはお前個人だろ。
id:iGCN 殺人の件数が少ないことを根拠にしているけど、エクストリーム自殺として処理されている暗数がそれなりにある気がする。
↑既出。略。
id:hotelsekininsya でも、都会で痴漢にあった女性ってすっごい多いんだよね?確か半数軽く超えてたはず
↑「でも」があるのでセーフ判定。「ところで」だったらなお良かった。
↑なんでこんなに自殺を殺人にカウントしたい人が多いんだこの国……
↑もう……
飽きた。まだこれでもブコメ全体の半分まで見きれてない。スカタンなブコメ書いたけど拾われなかった人たち、ごめん。
反響が大きくて驚いた。良くて「ヒマ人乙」くらいのブコメがふたつみっつついてすぐ埋もれる予定だったのに反応の質も量も意外だった。
しかしこれだけ注目されると、「論拠があやふやだけどいいや、書いちまえ!」って雑に書き飛ばした筆のすさびがきちんとツッコまれるので、さすがだなと思った。おっしゃる通りです、お恥ずかしい、という指摘がいくつもあった。どれとは言わないけどあなたが正しい。
昔、勝ち組といえば
皆に尊敬され社内のあの子と結ばれたイケてる会社の先輩、事業で一発あてた中学の同級生。
社長やたまに顔を出す元重役などの取締役。良くて請負元の中小企業の社長ぐらいしか認知できなかった。
上を見上げると、一生で稼ぐような額の金をばらまく前澤社長がいたり、
遠い世界の人のように感じた日本最大の権力を持つ安倍首相もTwitterで政治活動を発信している。
趣味の分野では神と呼ばれるような絵師は八百万の神並みにうじゃうじゃいるし、
天才エンジニア達は年中プログラムを組んでは毎日のようにOSSへプルリクエストを送っている。
本来一生目にすることはなかった、はるか上空にいる同じ時間軸を生きたとは思えない勝ち組たちを目の当たりにし、自尊心がぐずぐずになってしまった。
そこで、表題の通り負け組を観察して自尊心を保つことをすすめる。
上が宇宙のように果てしなく広がるなら、下はマリアナ海溝のように漆黒の闇が沈んでいる。
言わなくてもわかると思うが、負け犬がよく使っているSNSはもちろんTwitterだ。
実名で発信するFBなんかは現実の延長線としか使われていないし、
インスタはグラビアアイドルのエロい写真を見るためのアプリだし、
TikTokはフレッシュな若者がイケイケピュンピュン馬鹿やってて逆にダメージをもらってしまった。今すぐアンストしろ
負け組のアカウントを探すにはキーワードで「うつ病」「社交不安障害」「適応障害」なんかの精神病で検索すれば手っ取り早い。
プロフィールに恥ずかしもなくわざわざ病名を書き込んでるアカウントが見つかればビンゴ。奴らはすぐに自分の未熟な精神を理由に働くことを拒否する。
たいていフォロー数が500も満たないアカウントばかりなので目をつけられてしまう。
人によってはフォローした瞬間にブロックされる。奴らは虐待された犬並みにナーバス。「変な奴ブロックした」とか言ってやがる。変なのはお前だ
非公開リストを作成してそこにアカウントを追加すればフォローしなくても一方的に監視できる負け犬TLの完成だ。
また、奴らは弱者同士で傷をなめあうのが大好きなので相互フォローに同レベルの負が潜んでいる。まとめて追加
あとは会社のトイレや明日の仕事が憂鬱な今日のような夜の日にリストを眺めるだけだ。
みているとわかるが、奴らはとにかく社会のせいにする。
俺らが金が無いのは、自民党のせいだーアベのせいだー経営者による労働搾取のせいだー団塊世代の負の遺産だー
などとずーーーっといってる。もしくは自分病気つらいッスアピールのメンヘラツイートが9割を占めている。
働けバカ。生活保護もらって生き永らえさせてもらってるだけ社会に感謝しろ。弱者にやさしい日本に生まれたことを感謝しろ。
ひどいものだと、親に対して異常なまでの恨みをだれでも見られるパブリックなサイトに長々と書き連ねている。
いくら毒親だったとはいえその言い草はないだろうって思う。本当にひどい
個人的に心くすぐられるのは1万満たない出費をうじうじ呟いているのがたまらない。金がないと心が貧しくなるとはいうがあまりにも滑稽だ。
おそらく半匿名のブクマカには散々いわれるだろうが、人間誰しも優越をつけて自分より下がいる安心感がないと自己を保っていられない。
一部を除きほとんどの人が表立って言わないだけで、人間である以上避けられない本能だと思う。
経営者だって労基法すれすれブラックな手段で金を稼ぐから自分が他の誰よりも悪い人間なんじゃないかと思うあまりに、気まぐれで募金をしたり、ボランティアして他の人よりも善良な人間であろうとするし、
会社では温厚で優秀な技術者だって、入社したばかりの新入社員が藁をも掴む思いでteratailに投稿した拙い質問に、意味が分からないと一蹴し、初歩的な問題だからドキュメント読め、わかるだろ?などと大マウントとってくる。
勝ち組のマウンティングでプライドがずたずだになって自死を決断するぐらいなら一度試すのをすすめる。こいつらよりお前はずっとすごい
妹が去年自死した。
4年前、妹は元夫と離婚した。2人の間には、当時4歳になる息子(僕からすると甥)が居た。
妹と元夫は子どもが生まれてから夫婦関係が冷え込んでいて、幾度か相談を受けていた。
「子どもの将来があるのだから、しっかり話し合ってほしい」と言っていたが、あるとき大きな夫婦喧嘩をして、元夫は甥を連れて実家に帰った。
妹は元夫に連絡を取ったが、互いに冷静になるためと言い、別居をすることになった。
月に二回、妹と甥は2時間程度会っていたという。それが、元夫の弁護士の、通常の面会交流時間だという言葉を信じて。
妹は家庭の修復を願っていたが、元夫はその気はなかったようだ。何度も話し合い、離婚をすることになった。
「幼稚園は○○で通ってるから、途中で変わると子どもがいじめられる。君は母親だから、親権が無くなってもいつでもあえる。」
元夫と義父母のそんな言葉を信じて、妹は離婚し、息子の親権を手放した。
妹は自分のことよりも、息子のことを一番に考えていた。そして、なによりもひとを簡単に信じすぎた。
いや、子どもに会えない時間が長すぎて、疑う気力が残っていなかったのかも知れない。
僕が離婚の話を聞いたのは、久しぶりに実家に帰ったときで、既に離婚が成立した後だった。
妹は以前よりやつれていて、悲しそうに疲れたように話していた。
離婚が成立すると、元夫はあれこれ理由をつけて妹に息子を会わせることがなくなった。息子が怖がっている、息子の前で涙を見せるな、息子に会うとき挙動不審だから、精神を患っているのではないか。
妹は月に1回から2ヶ月に1回、そして会えなくなった。
元夫は共通の友人に、妹が虐待親だから親権を得られなかったのだと吹聴して回った。妹の周りからは友人が去っていった。
甥は徐々に妹にどう接して良いかわからないようなそぶりを見せるようになった。
妹は、元夫や義父母に、息子に会いたいと何度も頼んだという。
それでも、元夫や義父母は、離婚のときとは打って変わり、「もう母親ではない」「新しい母親と仲良くやっているから関わるな」と会わせるのを拒んだそうだ。
家庭裁判所に面会交流の調停を申し立てても、妹が息子に会えるのはほんのひとときだった。家庭裁判所の調停後も、元夫は理由をつけて妹に息子を会わせなかった。
妹は電車に乗ると子どもと同じぐらいの歳の子を見て辛くなると言い、家から出なくなった。
去年の寒い朝、妹は命を絶った。
人と関わるのが苦手で、大人に取り入るか周囲の期待するピエロになることで10代を生き延びた。20代も基本方針は変わらず。ていうかそれしか生き方知らなかったからなあ。そして20代から、不良品仕様のやらかしが多発して要所要所で人生がプチ炎上。たぶん発達障害だなと30手前で気付く。
カッとなったら周りが見えなくなって、人やモノを平気で傷つけることができる。今は全くやってないし反省もしてるけど、小さい頃は親に隠れて弟を虐待しまくってた。下手してたら殺してた。いや、もしかしたら幼心に「上手いこと殺さない程度に」やっていたのかもね。
やりたいって言ったことは基本やらせてくれるし、お金もどんどん注ぎ込んでくれた。一応それなりに怒られもしたけど、両親も含めて周囲にはしこたま甘えて生きてきた。
他人から見たら「何か要領良くやってるし、好きなように生きてる」ように見られる。でもそんなことない。
人付き合いは疲れる。仕事も長続きしない。家から出たくない。別にやりたいこともない。
行動や意思決定は気分本位。気分がノッてたら自分でもビックリするようなパフォーマンスができる、逆の時は何やってもダメ。気分障害だなって最近やっと気づいた。
緩やかだった躁鬱の波の振れ幅が数年前から大きくなってきた。躁になって、借金しまくって金を湯水のように使い果たした。今思い出してもゾッとする。誰にもお金なんて借りたことなかったし、その行為自体を忌み嫌ってたのに。今は鬱モード。休職してたまの通院以外は引きこもり中。
自ら死ぬ、というのは、どうにもこうにも悪いことらしい。
死んだらそれで終わりだよ、生きてればいいことあるよ、親から貰った大雪な命だよ、と人は言う。
勿論そんなのわかっている。でもそれがわかってても、今生きているくらいなら死んだ方がどれだけ楽か。どれだけ救われるか。それが最も重要だ。
筆者はまだ長く生きてきたとは言い難いが、存外に様々な死と直面してきた。
祖父母や学生時代の恩師の他、とても慕っていた知り合いが突然倒れて亡くなったり、つい数日前に遊んだ友が自死を選び、この世を去ったり。
当たり前にそこにあったものが、ぽっかりと穴が開いて消えていってしまう。
いつだってそこにあるのは悲しみだった。
言いたかったこと、やりたかったことがあったのに。そう思った。
特に自死を選んだ友については、沢山の感情を抱いたのを覚えている。
兆候が無かったわけではないのだ。きっと友はずっと死にたかった。
でも死にたがる友に、前述したような気休めを言いたくなかった。だから筆者は、否定も肯定もしなかった。
友が死んで深い悲しみを覚えてからも、筆者は、自分の人生は自分で選ぶべきだと、そう思っている。
生きていればいいことがある。
それは実際、まるっきり嘘では無い。
例えば昨今はブラック企業、過重労働なんてキーワードをよく目にするようになった。
例え仕事に追われ、でも家族の為に辞められない。そう思っていたとしても、自らが死ななければいけない訳ではないはずだ。
路頭に迷ったとしても、大黒柱が死ぬよりもマシな選択肢は、大抵の場合あるはずなのだ。
では何故死を選んでしまうのか。
かくいう筆者も、死のうとしたことは何度もある。
筆者の場合は原因が短期的なもので、どれだけ我慢すれば解放されるのかも見えていた。
でも死にたかった。
ただ生きているだけでも苦しいのに、頑張れと言われて、これ以上何も頑張れなかった。
何故あの時死ねなかったのか、はっきりとは言えない。
まだ死ななくてもいいかな、となんとなく思っただけだ。
ただ、あの時死ねていれば、その後に得られた喜びも悲しみも味わわなかった。
それは良いことでも悪いことでもある。
でも、あの時の選択を土台にして、今生きている。
それを喜んでくれる人と出会ってしまったから、本気で死のうとは思えなくなった。
もし仮に、生きていることを誰も喜んでくれなくなったら、きっとまた死を選ぼうとすると思う。
富士山を登りながら、動画を配信していて、山頂付近で足を滑らせ、行方不明になった男性がニュースになっている。
そのなりゆきがニコニコ動画にアップロードされていたので視聴した。
笑った。最高だった。私もこういう風に死にたい。
自殺にもいい自殺と悪い自殺、セクシーな自殺とそうでない自殺がある。
首吊り自殺なんて最悪だ。発見した人の気分を害する、最低の死に方だ。
いじめから逃げるための自殺はもっと最悪だ。カッコ悪すぎる。私なら、いじめられて死ぬくらいなら、いじめてるやつを刺し殺す。
一つは心中だ。江戸時代の遊女のように、大正時代の女学生のように、愛のために死ぬ。美しい。エモすぎる。
もう一つは殉死だ。君主の死を受け、忠義のために死ぬ。今の私にはよく理解できないが、それがとても尊い死に方なことは分かる。
心中と殉死。この伝統から分かるように、我々日本人はある種の自己表現のために自死を選んできた。自殺は日本の文化だ。あの三島由紀夫だって割腹自殺したんだぞ。
昨今、自殺は良くないだの悩んでるなら相談しようだのやかましい言説が流行している。それも一つの考えであることは否定しないが、日本全体がそういう風潮になるのは文化的な退廃であるように思う。
もし大勢のムスリムが日本にやって来て、豚肉を食べるなんて汚らわしい、と言ったらあなたはどう思うだろう。ヒンズー教徒が牛を食べるなと主張したらどう思うだろう。ほっとけって思うよな。今の私の気持ちがそれだよ。分かってくれ。
人は、生まれる場所を選べない。だけど、生き方は、死に方くらいは選べる。
余談だが、今のアイドルオタクに物申したい。お前らなんで生きてんの?死ねよ。
2001年、音楽グループ「野猿」の解散を受け、女子高生2人が自殺した。遺族には申し訳ないが、私はこの死に方を選んだ2人の意思を尊重しようと思う。
アイドルオタクよ、女子高生だって自殺したんだぞ。お前らも推しがアイドル辞めたら死ねよ。絶対届かない場所にいる彼女もお前が死んだらお前の名前を絶対に忘れないぞ。世間のやつらだって、彼女がアイドルを辞めた事件を絶対に忘れない。私だって野猿の解散を覚えてるくらいだからな。
え、死ねない?家族が悲しむ?そうか、そうなんだな、君は推しより家族の方が大切なんだな。いいよ分かるよ。けど、君の推しに対する愛はそんなものだったんだな。
ところで、こんなことを言っている私を皆さんはどう思うだろうか。きっと、陰湿でウジウジしたやつだと思われているに違いない。
しかし私は私を陰湿な人間だとは思わない。私は、人を楽しませることが大好きなエンターテイナーだ。
自殺について本気を出して考えた私の今のところの結論は、自殺はよくない、ということだった。
残念ながら、今の日本人の多くは心中も殉死も理解しない。だから私は心中も殉死もする気がない。そんなことしてもスベるだけだし。
なら、どういう風に死にたいか。すまない、語らせてくれ。
私は、皆が笑えるような死に方をしたい。
冒頭で話したような、配信中のアクシデントで死ぬような死に方はかなり理想的だ。自殺を聞くと人々は悲しむが、こういう死に方なら笑う人もいるだろう。いいなー、ずるいなー、私もこういうくだらない死に方したいよ。面白い死に方したいよ。
人が死んで笑うなんて不謹慎だ、なんて言う人もいるかもしれない。
だけど、悲しんで欲しくて死ぬ人がどれだけいるだろう。多分少数派だと思うけど。私がニコ生の彼なら滑り落ちながらガッツポーズしてただろうな。今のは良かった、絶対に話題になる、最高に笑える、面白い、マーベラス!
もしあなたが、バンジージャンプの紐が切れて死人が出た、というニュースを耳にしたら──死んだのは私かもしれない。その時は多いに笑ってくれ。それが私の望みなのだから。
槙野さやか氏のこのJOKER評に、自己責任論をふりかざして社会的弱者を踏みにじる無慈悲を見た。
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槙野さやか
「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ 映画『ジョーカー』
https://note.mu/kasa_sora/n/n8554d186e08e
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この映画の主人公は槙野氏の語るような傲慢な人間じゃない。映画を見ればちゃんとわかるが、彼はごく普通の人だ。
なぜ槙野氏はこれほど歪んだ見方をするのか。氏が弱者に対して無慈悲で冷酷だからという以外の理由が見つからない。
「あなたよりもしんどい人はたくさんいる、頑張りが足らない」という理屈で困難にある人を突き放す槙野氏の考え方は無慈悲だ。
弱者がボロアパートでささやかな夢想を抱くのを、傲慢な思い上がりと断じる槙野氏の考え方は無慈悲だ。
困窮した生活保護申請者を窓口で追い返す役所みたいな無慈悲だ。
槙野氏のような他者の無慈悲に踏みにじられ、踏みにじられ続けた弱者はどうなるか、JOKERという映画そのものが答えている。
その願いを達成したいなら「今すぐ死ぬ」ことが唯一の正解だ。
死ねば達成される願いを叶えるために生きてはいけない、自己矛盾は精神を確実に蝕む。
そもそもをして、人間の人格や精神と呼ばれるものは、生存のための危険回避を目的として発生したものだ。
死へと近づく行為や状態に対して恐怖や不快感を抱ける生物が生き残ってきた結果が、生存競争の真実だ。
(勘違いしていると勘違いされたくないので補足するが、生存競争というものはそういったレースやゲームが存在したのではなく、単に生き残りやすい連中が生き残ってきたというそれだけの結果論である)
死へと近づくような行為を苦痛として認識する無数のセンサー信号の集合体こそが意識である。
無数のトレードオフとデッドロックに対してより生存確率の高い回答を吐き出せる性能を持った連中が偶然生き残り続け、その中でたまたま生まれてきたものを私達は意識だの知性だのと呼んでいる。
実際、知性を持つということが生き残り子孫を反映させることにおいて如何に強力な武器となるかは今の人類の繁栄を見れば分かる。
その機能、機構は端的に言えば「生き延びるために苦痛を回避しようとする」というものだ。
そして、生存戦略に基づいた行動を取ることによって報酬系が刺激されるわけだが、文明社会の急速な発展に自然淘汰の速度が追いつかずバグが無数に発生しているのが実情だ。
その状況に対して、ただただ苦痛を回避するという原始的な欲求を加速させていくことは心に巨大なバグを生む。
そのシステムが構築されだした頃、私達はまだ自死というものを理解していなかった。
だが、今は違う。