その願いを達成したいなら「今すぐ死ぬ」ことが唯一の正解だ。
死ねば達成される願いを叶えるために生きてはいけない、自己矛盾は精神を確実に蝕む。
そもそもをして、人間の人格や精神と呼ばれるものは、生存のための危険回避を目的として発生したものだ。
死へと近づく行為や状態に対して恐怖や不快感を抱ける生物が生き残ってきた結果が、生存競争の真実だ。
(勘違いしていると勘違いされたくないので補足するが、生存競争というものはそういったレースやゲームが存在したのではなく、単に生き残りやすい連中が生き残ってきたというそれだけの結果論である)
死へと近づくような行為を苦痛として認識する無数のセンサー信号の集合体こそが意識である。
無数のトレードオフとデッドロックに対してより生存確率の高い回答を吐き出せる性能を持った連中が偶然生き残り続け、その中でたまたま生まれてきたものを私達は意識だの知性だのと呼んでいる。
実際、知性を持つということが生き残り子孫を反映させることにおいて如何に強力な武器となるかは今の人類の繁栄を見れば分かる。
その機能、機構は端的に言えば「生き延びるために苦痛を回避しようとする」というものだ。
そして、生存戦略に基づいた行動を取ることによって報酬系が刺激されるわけだが、文明社会の急速な発展に自然淘汰の速度が追いつかずバグが無数に発生しているのが実情だ。
その状況に対して、ただただ苦痛を回避するという原始的な欲求を加速させていくことは心に巨大なバグを生む。
そのシステムが構築されだした頃、私達はまだ自死というものを理解していなかった。
だが、今は違う。