はてなキーワード: 有効とは
受任者数 7万人
で始まった愛知県知事リコール署名運動。昨日、提出締め切りがあって、各自治体選管窓口に提出された数は合計15万935筆だったという。まだ署名活動中の地域もあるようだが、20万も行かないだろう。
私は受任者7万人もいたのだから一人10筆は意地でも集めてくるとして、後で無効になる署名も含めて70万筆は選管に提出されると予想していた。
しかし結果は15万935筆であり、これは7万人の受任者がだいたい一人2筆(自分+もう一人)集めたという計算になる。それぞれの受任者が老親や老妻に頼みこんで署名してもらってる姿が目に浮かぶ。家族以外には誰にも相手にされなかったというイメージ。
こっから無効票が何割くらい出るか、数万筆は出るとして追加分も合わせてやっぱり有効署名は15万くらいか。
ゲームを純粋に楽しんでる人には申し訳ないけど、人狼ゲームが好きだと公言する人間と有効な関係は築けないと確信してる。
さすがに未プレイで文句を言うのもなぁと思って何度かプレイはしてみた、だが、あれは人を騙し疑い貶めて笑いものにするゲームである。
自分が勝てれば他人なんてどうでもいいという本性をしっかりと表してくれるのである。
その点で地雷の可視化が出来たので、Twitterで「人狼やりたい」などと宣うフォロワーは静かにミュートして、程々のところでブロックするのが最近の密かなストレス発散方法だ。
同じロールプレイゲームでもTRPG…特にクトゥルフはとても好きだ、世界観がハッキリしていることもあるが、自分が頑張れば道を開いていける、生存ENDやTRUEENDも可能性を見いだせる。(もちろん卓にもよる)
だが人狼はとにかく他人を蹴落とし侮辱し、あまつさえ人狼を苦手とする人間を徹底してバカにする、人間関係を容易く崩壊させる遊戯だ。
もちろんそれを好きだという人間には申し訳ない気持ちがある。こういう話をして差別主義者だのアカだのレイシストだのと罵られても構わない。だが人狼が嫌いだ。
いじめられていた頃を思い出すからだろうか?だとすれば随分繊細な心を持っている自分にも驚くが、もしかすればそれが無意識な嫌悪に繋がって、今日ここに宣言するほどの不快を自覚したのかもしれない。
再三話すが、人狼が大好きでプレイする人間がいることは当然だと言える。
そういう人間の主張ということで、吐き出して考えてまた生きていく。
「それを言うならこれもだぞ」という意味で引き合いに出してるだけで
だからほんとうの問題はそこじゃないんだ。大阪市が比較的裕福なんだけど、その財源を大阪市の発展に有効に再投資・整備に回せたらいいんだけど、
そうじゃなくて、大きすぎる固定費のところでずるずると使ってしまってせっかくわずかに余裕があってもじり貧になってしまっている。
君がダサいと思っているのは多分「長文タイトル」じゃない気がするんだ|clock96|note
https://note.com/you96/n/ncc262b326f82
上記noteでは『アマチュア──悪い言い方をすれば趣味の素人──たちが、みんながみんな「売る」ためのことをやっていると思うのは、少し早計過ぎないだろうか?』と疑問を呈している。
答えは否だ。投稿者、特に日間ランキングへの掲載を狙う人たちの多くは『ただの趣味で終わらせたくない人』であり、少しでも有利になるようSEO対策に余念がない。よく話題になる長文タイトルも『当たり判定を最大化』『スマホの画面を占有する』『あらすじを読まない人に内容をアピールする』といったなろうの不出来なUIに最適化した結果である。
5chの作者向けスレッドでは需要のある要素やテーマ、更新時間、一話の長さ、タイトルやタグの付けかた等々、ちょっとでもポイントを稼ぐための長々としたアドバイスでテンプレが埋まっている。
これらの作品の面白さとは無関係な小技は、少々姑息ではあるもののルールの中に収まった正々堂々としたテクニックと言える。しかし皆がやってる努力だけではライバルを出し抜くのは難しい。
そこでチートである。ここでの意味はなろう小説に登場するチートスキルと違ってただの規約違反のことだ。以下で紹介するのは先人たちの間違った努力の歴史である。
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当初は「やってるやつもいるだろう」くらいの認識だったが、今では突然人気ランカーがアカウントBANされ消滅するのが風物詩である。バレると一発BANなため唐突に強制退会された作者は複アカ使いだったと見て間違いない。この場合作者ページには規約違反のため退会と表示される。
とある作者A氏は書籍化の企画も進行しそろそろ発売日が発表かというタイミングでBANされ話題となった。有志がキャッシュなどから調べたところ『ほぼ同じ期間に作られ一斉に同作品にポイントを入れ、それ以降活動実態がないアカウント』が三十数個見つかり、当時は異例の規模だったことから「プロの業者かよw」「必死すぎる」などと揶揄された。
その後A氏は別サイトに活動の場を移し元気に連載を続けている、もちろん書籍化はしていない。
王道である、はてなではおなじみのアレである。当初は都市伝説めいていたが、加入を誘うメールや参加者の暴露が相次ぎ実在が確認された。
行為としては互助会参加者達がメンバーの新作に一斉にポイントを入れる。複アカもそうだが短時間で大量のポイントが入ると日間ランキングに載る可能性が高く、非常に有利になる。
本人達は人目にさえつけば正当な評価が得られると思っているらしい。
最近は露骨な勧誘は減り、なろう投稿者のTwitterへ「作家同士で繋がらないか?」「お互い作品を批評して高め合おう!」など、具体的に言わないけど察してくれ的な誘い方に変化している。評価依頼は口に出さなければ規約違反ではないという理屈だ。
一昔前の5chのなろう系スレッドでは自作を晒して感想を求めるのが盛んだった。投稿しても埋もれてしまい感想ゼロなんてのはあたりまえなので、同じ投稿者に見せてアドバイスをもらうのは理にかなっている。自分じゃ悪いとこはわからないものである。
とある作者向けスレッドで自晒しされた作品が、スレッド住民から非常に高評価された。普段と比べればちょっと不自然なくらいだったが、まあ有望な新人が出るのは良いことだ。
しかしスレの中盤になって「スレ序盤に晒したやつ、持ち上げ方おかしくない?」と疑問を持つものが出る。よく書き込みを見ると『褒めつつも文章が固い』と指摘するレスとそれに反論するレスが同一IDだった。
最終的には『絶賛し評価ポイントを入れたと主張』『ブックマークを促す』『他のなろう系スレッドで、今〇〇で晒してる作品がすごいと宣伝』『有名作者を匂わせ褒める』『懐疑を表明する者に、実力が伴わないと自作自演の効果などないから問題ないと反論する』等々の大量の書き込みが、おそらく同一人物と断定された。
ところどころIDチェンジに失敗してたり、書き込みに共通する癖が明確だったのだ。指摘されて以降IDコロコロ君はプツリと消え去り、散々宣伝した作品はランキングに載ったもののじきに削除された。
当時スレッドで自晒しした作品がその影響でポイントを稼ぐことが多かったので徹底的に自作自演してみたのだろう。
作品の発掘を5chに頼っている層が意外と多いことを証明した(今はすっかり下火だが)。
感想爆撃
感想や評価なんて一個もつかないような作品に好意的な感想を書きポイントを入れたと宣言する、お返しでポイントをくれるのに期待する定置網漁のような戦法。
これをやったやつは物量がすごかった、たった数日で2千件以上である。当然感想はコピペだ!
感想をもらった方は大抵反応に飢えた無邪気な素人である。深く考えずお返しする人も多く一瞬でランキングに登り、数日後に規約違反でBANされた。バカバカしいくらいの規模だったからあっさり消されたが、お礼目当ての感想(作者アピールやポイント入れました宣言は必須)は有効であることが証明された。
爆撃して駆け抜けた作者B氏はコピペの中で元プロを名乗っていたので、感想をもらった方はよけい自尊心をくすぐられたのだろう。
B氏のいうプロとは、メールゲームの運営に参加してプレイヤーへの返信用テキストを書いた経験のことだ。
彼は小説家として成功し、アニメ化し、その伝で声優やアニソン歌手になることを夢見て動画サイトなどに下手な歌をアップしていた。
運営するHPは当初創作のことやメールゲームの経験が語られていた。しかし、しだいに怪しげなビジネスを語るようになる。
しばらくすると突然旅行代理店の社員募集を始める、なにやら少人数の社員で運営する画期的な格安代理店らしい。募集形態やHPの内容から、おそらく実態は存在しないだろうことが察せられた。
またしばらくすると過去の動画やHPにSNS、色々なサイトに投稿していた創作物などが一斉に削除された。ペンネームで検索するとフリマサイトの出品記録が見つかる。各種オタクグッツを売っており、コメントを見ると詐欺にあい生活費が底をついた、などと書かれていた。
出品記録も消えたころ同サイトでブログを発見する。詐欺の被害にあった経験を執筆しサイトで有料配信したいという内容だ。第一回の配信後すぐに『廃刊』表示で購読不能となり、以後B氏はネットから消え足取りは追えなくなった。
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まあそんなわけで、小説家になろうでは日夜ランキングに載るための仁義なき戦いが繰り広げられているのである。
みんなも読もう! 小説家になろう!!
こいつ面倒くさそうだなという感じを出しておくと、余計なトラブルに巻き込まれなくて済む。
ただし、プライベートでもそうだと人から敬遠されてしまうので、その辺のオンオフは大事。
子育て中に金髪にしたりパンクな格好をしたり入れ墨を見えるように入れたりするとジジババから絡まれなくなるのは、怖いからではなくて面倒くさそうだから。
この違いはとても重要。
なぜかというと怖い存在はさらに怖い存在から目をつけられやすく、また、偽善からの標的になりやすくむしろ余計なトラブルに巻き込まれやすくなる。
面倒くさいは、面倒くさい存在からしても面倒くさいことを理解しているから基本的にアンタッチャブルな存在になれる。
よほどリターンが見合った時以外、面倒くさい相手は相手をしたくない。
もちろん男でも一緒。
例えばちょっと揉めた時、凄んでくるヤツは割と楽勝。
凄むということ自体が最大の弱点になるから。今の世の中、暴力は強くない。
それよりも面倒くさそうなヤツのほうが、時間や労力に対してリターンが割に合わないから揉めたくなくなる。
まずは見た目。
次に口調や話す内容。
所属している団体とかも関わってくる。例えばチンピラが嫌なのは、そいつ自身の存在よりもバックにある組織の存在が面倒くさいから。
弱くてちょろいが一番最悪。カモがネギ背負って歩いてるのと同じ。
弱いけど割と面倒くさそうは、強いだけより強いよ。
沈黙がかなり有効な手段なのは正しいが謝罪が常にまずいわけではない。
謝罪して炎上に油を注ぐケースは、謝罪という体裁なのに内容が責任転嫁や自己保身の内容になってるやつ。
正しく謝罪できてればそれで鎮火する。
相手の主張を無視して、印象操作や対人論証を始める雑魚の論法。もはや論法であるかも怪しい。
Twitterだと過去の発言引っ張り出してきて説得力がないだとか人格がどうだの言う、増田だと突然相手の背景や日常を妄想して印象操作をする等がこれに当たる。
なんとなく罵倒出来るし、なんか有効な反論をした気分になるため頻繁に用いられてるけど、対人論証、妄想等のおまじないで霧散する。増田でおまじないを唱えると世にも哀れな自演横増田を見ることができる。
入店時に手に付ける消毒液は、店によっては明らかにアルコールでないとき(スーッっとしない、臭いがない)がある。
たいていは次亜塩素酸水なのだろうけど、それの手指への有効性が確認されたソースが見つからない。
(例えば厚生労働省では「未評価」となっている→https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/syoudoku_00001.html)
また、極度に薄い次亜塩素酸水を(最悪ただの水を)消毒液と偽っている可能性も否定できない。
RP(ロープレ、設定した役割を演じること。)をガチにやりすぎて、新人、金魚坂めいろのキャラ被りに過敏に反応する。
事務所(「いちから」)にゴネるだけの力を持っていて、その自覚もあったが、「いちから」を挟むとなにひとつまともに進まないどころか、内部情報がなぜか流れている、金魚坂に煽られる、まずいことになっていることに気づき直接コンタクトを取る。手遅れ。
金魚坂との一件についてのツイートに郡道美玲の名前をぶっ込んできたのだけは本当に意味がわからなすぎて「さすがロアちゃんでよ」と考えを止めるしかなかった。なんなんだよ……。
「いちから」でやってやるぞと思っていたら事務所経由で先輩(夢月ロア)に言いがかりをつけられ出鼻を挫かれる。故意に似せていたとしてもなんの問題はないので言いがかりでしかない。
やめようとしたり撤回したりは駆け引きをする相手が自分に価値を見出してる場合に有効な手で、その点で「いちから」内での夢月ロアの価値の高さと金魚坂めいろの価値の低さが想像できる。
これも憶測だが、金魚坂のママが公表されていないことから、デザインは彼女の持ち込みで採用コストも低いために、LIVE2Dモデルごと放出しても「いちから」の懐はあまり痛まないという可能性もある。
頼ったのが本人か関係者かはわからないが、暴露系ストリーマーと関わりある人間として、今後、転生したとしても企業や他Vtuberからは少なからず避けられると思われ、現時点では「いちから」と夢月ロアに自爆テロを仕掛けたおもしれー女。
狡猾にできてるつもりで物事を深くは考えられなくて失敗するタイプの見世物。
夢月ロアを説得することも金魚坂を説得することも諦め、重要でない方をちゃんと選んで切れる企業。
情報提供者を守るという発想もなさそうなガバな暴露系ストリーマー。なんでこれに頼ったのかわからない。
今回の件とは無関係。
抜けない。
ちなみに実際に数年前に新宿二丁目(日本有数のゲイスポット)に下着姿の男性がわりとリアルに3人描かれた看板がたったときも
批判をうけて下着の上にポロシャツ・チノパン着せられたのしらんのか
その土地その土地で有効な批判がはたらいて見た目だけでも健全な街ができてよかったね
私自身、自閉症スペクトラム症 "ASD"(≒アスペルガー)です。
あなたの文章だと夫は発達障害でどれほど周りに苦しめられることについて思慮にかんする記述がない。
そうした無思慮が元々薄い状態で夫と付き合ってしまうと、夫の苦しみが共感できず全く理解できなくて
同時に夫も夫で妻がそうした苦しみがあることや自身の発達障害起因の生きづらさや
周りへの迷惑の緩和について考えや対処が及んでいる部分の記述がない。
経験上だが正しく互いに対処すれば、夫のデメリットなどは十分看過できるレベルに落ち着くと思う。
癇癪や独善的傾向が強いことなどは投薬や様々な形態のカウンセリングやらで大きく
改善できると思う。
例えば癇癪について強度行動障害に効く向精神薬を必要なときに頓服で飲めば効く場合がある。
夫自身の発達障害のわるい傾向は当事者による自助グループによるディスカッションが有効なケースも多い。
また妻として夫から感情面で置き去りにされていると思うならば、発達障害者の
パートナーとしての当事者グループでディスカッションでなにか多くのヒントがあると思う。
所得も時間も全てありながらもしそれらをしてないとしたら、そうした余裕のある暮らしの割には
「無知/差別/貧窮にまみれた惨めな生活を強いられている多くの障害者世帯」と全くかわらなかった
ということ。
障害者であるということは普通の生活をしているままだと様々な制限があるということ
制限を取り払って並の生活を送るには「ヒト」(福祉などの人的サポート)
「カネ」(障害緩和のため通院などの費用)「時間」(障害緩和するまでの時間コスト)
すべてかかってくる。
貴方がたご夫婦の話にはそうした記述がない。実際なかった可能性が高い。
あと障害児が生まれることを心配しているご様子だが、たとえ障害児うまれると前提しても
そして出産前に発達障害児が生まれる不安を考慮しなれければイケナイとしてたら
「発達障害への無知に起因する対処能力欠如」だし、子供の将来を心配する以前の問題。
子供が将来障害で差別されるんだとしたら、元々子供を守れる能力がないと言ってるのと同じ
子供を守れないんだったらそれは「親」未満程度の存在だっということ
そんな子供は結婚しちゃいけないし、出産なんて話にもならないし
セックスレス以前にその相手とセックスしちゃ駄目だとおもわれる。
もしそうでないならば、まだまだ改善の余地がある状態なのでぜひ実施してはいかがだろうか?
あと、ASDは症状の緩和できるけれど、根絶治療は出来ないので変な本/治療にひっかからないで根気よくやるべき
まず同じような仲間を募って実際にあって話すのが良いとおもうなぁ
初めて骨伝導イヤホンを買った。通常のイヤホンは耳に入れて空気を震わせて鼓膜に音を伝えるが、この骨伝導イヤホンはその名の通り、骨を震わせることで音を伝える。グラスに対して大声で叫べば中の水を震わせることができる反面、グラスの縁を滑らせれば中の水を震わせることができる、というのが分かりやすい例えだろうか。
骨伝導イヤホンの一番の利点は耳を塞がずに音楽を聴くことができる点だろう。音楽を垂れ流したいが、カナルイヤホンを長時間耳の中に入れるのは耳の負担になるしジメジメと気持ち悪くなってくる。かつ近隣への騒音になるためにスピーカーを使えない人といった人にオススメできるだろう。耳を塞がないことで周囲の環境音に注意を払うことができるので、(あまり推奨されているとは言えないが)自転車に乗るときだったりオフィスで音楽も聴きたいけど周囲にも気を払いたいという場合に使える。
逆に耳を塞がないことのデメリットもある。カナルイヤホンは耳を塞いで聴くため外部の音を取り込まない。そのため周囲が騒音になってもある程度は快適に音楽を聴くことができる。反面骨伝導イヤホンは周囲の音が耳に入ってしまうために音楽を聴き取ることが困難になる。音量を上げなくてはいけない。居酒屋で友人と話しているときに周囲がうるさすぎて会話が困難になるようなものだ。カナルイヤホンの場合は個室みたいなものだろうか。骨伝導イヤホンをしつつ耳栓を使うという選択はある。音楽は支障なく聴け、むしろ耳栓をした方が音質はよさげ。
今回買った骨伝導イヤホンは AfterShokz という会社の OpenMove という製品。同社の Aeropex が結構良い評判だったものの2万円ぐらいと少し私には高価だったので、安価なものが出ないかとうかがっていたら新製品で安価な OpenMove という製品が出ていたのだ。OpenMove は QCC3024 という昨今の True Wireless なイヤホンに使われている省電力なメジャーなチップが使われていて、かつ USB Type-C 充電で Aeropex の技術を活用した製品となっており1万円弱という安価な価格設定となっている。
骨伝導イヤホンが欲しいなと思いつつも一度も試用さえしたことがなかった私はある日の散歩でロフトに行った。そこにあったのは Cheero (モバイルバッテリーで有名な日本の会社)が最近発売した Touch Bone という Cheero 初の骨伝導イヤホンだった。これも気になっていた製品で、OpenMove よりも安価で6000円ぐらい。人生はしめての骨伝導イヤホンはとても満足度が高かったが、これなら老舗 AfterShokz の OpenMove は私をもっと満足させてくれるだろうと思い OpenMove を購入した。Amazon よりも ヨドバシカメラとビックカメラの方が安かった。
ここから OpenMove のレビューをしていきたいと思う。簡単なレビューはメディアにいくつかあるのでそれを参考にしてもらい、私は個人的に気になった細かいところをみていきたい。
だけど個人的には不満なので英語にした。英中韓日が用意されておりユーザーが自由に設定できる。
「スタンダードモード」「ボーカルモード」「イヤプラグモード」の3種類のイコライザーが用意されており、イコライザーのせいで音にノイズが乗ったりすることはない。結構音が変わるのでこれはこれで音楽を楽しめるくらい良いが個人的にはスタンダードモード一択な感じ。ポッドキャストもスタンダードモードで聴いている。音は普段イヤホンで聴いている音楽が耳に装着していないのに頭に直接直接流れている感じで不思議な感じ。バンドの締め付けが気なる人もいると思うけど私は意識するほど骨伝導イヤホンの装着感を感じない。
骨伝導イヤホンの性質上仕方がないが、外部環境によって音が聞こえなくなりやすい。耳栓をすると解決できる。耳栓をせずに外部環境の騒音レベルによって自動でいくらかボリュームが上下してくれたら嬉しいなと思う。
ウレタンの耳栓が付属していて、これを潰して耳にぶち込むとしばらくしたら膨張してもとに戻り耳を違和感なく塞いでくれる。耳栓を初めて使ったけど耳栓っていいね。
スペックシートでは6時間以上とされている。QCC3024 のイヤホンはもっぱらこの6時間が連続再生可能時間な気がする。OpenMove は一度満充電にして朝から再生し続けいるが、これを執筆している現在、6時間は音楽を再生している。OpenMove 本体のバッテリー残量は Medium だそうだ。
OpenMove というか骨伝導イヤホンはもっぱらバンド型なので耳から後頭部を一周する構造になっている。寝転びながら使用するとどこかしらが枕に干渉してしまい骨伝導イヤホンの位置がずれてしまい体験が悪くなってしまう。解決方法はバンドを音の出力されるこめかみの位置を極として180度回転させる。傍からみれば可笑しい格好になるが気にする人は家の中にいないだろう。これは個人的におすすめな解決方法だが、要は音を聴くために音を通す骨を音の出力の接点に持ってくればいいのだ。こめかみ以外に耳の裏とか歯も有効だ。歯はジョークだけど音は本当に聴こえるので面白い。口の中に入れ歯みたいに装着できるBlue "Tooth" な再生機器があれば欲しいなぁ。ちょっと調べたら難聴方面で研究されているとか?まぁ衛生的な問題もあるよね。
バンドじゃなくて左右独立な骨伝導イヤホンとかいいなーって思うけど現状で満足できそうな製品はなさそう。
使い始めてまだ一日ほどだがとても満足度が高い。金があるならもう一つ欲しい。このクオリティにまで成熟したのは最近かもしれないけどもっと早くから知っておけばよかったと思う。音質をそこまで追求しないのならば Bluetooth なカナルイヤホンは辞めて骨伝導イヤホン一筋でもいいかもしれない。マストバイ。
でもせっかく死にかけてるのに蘇生されたらムカつくわ
死にかけてる時は死なせて欲しいけど、そういう意思表示って有効なのかな
前回、Twitterに適応できないオタクの行く末(anond:20191011160414)を投稿した者である。前回の増田では、トラバ/ブコメ共に様々な意見を頂き、自身を見つめる良い機会となった。とても感謝している。
前回の投稿からもう1年近く経っているが、その間に、というかつい最近でオタク的消費活動が大きく変わってきたためここに記録しておきたいと思い書くことにした。これが改善であるかどうかはさておき、これから先にまた変化があったら比較できるため、その意味でも詳しく書いておきたい。
書き終えてみて、改めて見るととても長い文章になってしまった。一応内容は節ごとにまとまっているので、読み飛ばして気になる所だけ読んでくれても構わない。
本題に入るが、まず俺はTwitter垢を作成した。俺にとってこれは大きな一歩だった。この大きな一歩に繋がる積極的な変化があったのかというと、そんな事はなく、きっかけは極めて消極的なものであったと思っている。この消極的でありながら重い腰を動かすきっかけについて簡単に説明するとするなら、それは定点観測型の消費に限界を感じたためであると言える。
具体的には、過剰消費による虚無と、巡回サービスの変化がある。それぞれについて軽く書いていきたい。
前回述べたように、俺はtwitterを検索エンジンとして活用し、気に入った作品の二次創作を拾っては消化、拾っては消化して楽しんでいた。自分が発信側になれない一種の「諦め」を持ちながらもそれが一番快適で自身に合っていたからだ。これについて、ブコメで「尊大な羞恥心と臆病な自尊心」と指摘されたが、まったくその通りだったと思っている。消費する側として一方的に評価、消化しかしなかった事が自身を完璧主義にしてしまい、いざ自分が発信しようとするとそれが頭を持ち上げて邪魔をしてくるのだった。
とはいえ、それでもいいと開き直っていればよかったのかもしれない。今までそうしてきたように、これからもそうしていくことは不可能ではなかった。しかし、ここで虚無感がドッと湧いてきて、とうとう音を上げてしまうことになった。
どれだけ色んな作品を見て、なにかを感じても何も言うことが出来ない。発信する媒体もない。仮に、何か言おうとした所でどうしようもない駄文が出来るだろうが、それを流す場所も無かった。ただただ感情は吐き出される事もなく喉の奥に押し込まれ、SNSのタイムライン同じく次のまた次の情報の波に流されていくのだった。(もっとも、どのタイムラインにも俺は文字通り存在しなかったわけだが)
常に蚊帳の外である事を自覚させられ、これは「お前はずっと傍観者で、何にも関われないし、誰もお前を知らないだろう」といった気持ちを起こさせるのに十分すぎるものだった。
これを読んで考えすぎだろうと思う人も居るだろう。実際そうだと思う。おそらく、一人で消費するということ自体が、考えすぎてしまう原因なのだと思う。自問自答は、最終的には問題から目を背けさせてくれない。そしてこれはコロナ禍の状況によって更に悪化した。そういうわけで、最終的にこれと俺は向き合うことになる。
Twitterをメインにした定点観測にはいくつかの方法があるが、俺は専らRSSリーダーやSlackを用いて情報を集約していた。なぜTwitterクライアントを用いずにこれらを用いるかと言うと、Twitterのタイムラインは9割以上ノイズだからだ。要らない「いいね」が表示され、知らないユーザがおすすめされ、加えて不安を煽ってくる広告ツイートも混入してくる。どうでもいいご飯写真が上がる。クソつまらない診断メーカー。とにかくノイズ、ノイズ、ノイズ。それがタイムラインだと思っていた。(過去形なのは、この認識が変化していった為だが、それは後述する。)
で、これの何が限界になったかといえば、観測に用いていたツールが軒並み使えなくなったことが大きい。特に影響が大きかったのがIFTTTとintegromatの一部有料化である。どちらも、ベビーユーザーとして利用していた。(あまり知られていないintegromatについて説明しておくと、IFTTTと同様の作業自動化サービスである。)
これらの主な利用方法としては、該当ツイートの巡回、検索だった。IFTTTはツイート検索の定期巡回に優れており、integromatは特定ユーザがいいねしたツイートの取得で便利だった。この二つのサービスがほぼ同タイミングで一部有料化を掲げたため、俺は快適な創作ツイートの巡回を諦めることになる。
(IFTTTの有料化について : https://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1276755.html )
(integromatについては記事にされていないが、今年Twitter連携機能のみ有料化された。)
結局は無料サービスにフリーライドしていただけなので文句は言わないが、IFTTTに依存しない情報収集を考える事はいいきっかけだったのかもしれない。
こうして心理的、仕組み的に方向転換を強いられてTwitter垢を作成してみることになった。どうせ作るなら少数の人でいいから交流してみたいな…くらいのお気持ち。ちょうど追っていたコンテンツの専用垢としてそれっぽい推しのアイコンを用意し、無難なプロフィールを何度も書き直しながら書いた。恥を忍んで #○○と繋がりたい タグを付け、初心者のフリをしたツイートをした。勢いがあるそのコンテンツは凄まじくて、数時間でツイートは数百のいいねが付いていて、少し怖くなった。恐る恐るフォローすると、フォローを返してくれて、なぜかそれだけで安心した。大げさかもしれないが、久々に新しいアカウントを作って界隈に入るのは、そういうことである。
ツイートにいいねした人をフォローしていくうちに、俺は巨大な相互フォロー網(以下、巨大FF網と書く)に取り込まれている事が理解できた。プロフィールを開く度に見る「○○さん、他○人がフォローしています」みたいな数字がフォローするたびに雪だるま式に大きくなっていく。タイムラインは自分が思った通り煩雑になっていき、一度の更新でシークバーが小さくなった。更新の度に米粒のような大きさになるそれは、俺の心のようだった。
あたふたした俺はくそつまらない無難なツイートしか出来なかったが、それでも反応してくれる人が居てくれたため、徐々に萎縮が和らいでいった。推しについて拙い言葉を書くと、誰かがいいねを送ってくれた。恥を忍んでアホらしいタグを付けたツイートをすると、誰かが返信してくれた。界隈の巨大FF網、その集団意識はそのようにして俺を取り込んでいった。そしていつしか、俺も誰かのどうでもいいツイートにいいねやリプライを送るようになる。しかし、ふとした瞬間に定点観測時代の俺がこう囁いてきた。「それって互助会と何が違うの?」と。
定点観測時代、推し関連のタグでツイートを巡回してる時によくこう思ったものだった。「なんでこのツイートにいいねが沢山付くの?」「この人のイラスト、毎回同じ人が持ち上げてるな」「定型文のような褒め文句…互助会みたい」
はてブにおいては互助会は悪とされている。互助会の人たちで持ち上げられた記事は大体つまらないし、並ぶコメントも「参考になりました!」ばかり。これと同じ感情を定点観測時にTwitterでも感じていた。いいねの数でツイートを巡回していたので、価値のあるツイートだけ伸びてほしかった。どうでもいいツイートが伸びて、それを拾うと、ゴミを拾った気がして、イライラしていた。
しかし、後に巨大FF網に取り込まれた俺はそれを体現するように振る舞っていた。フォロワーのどうでもいいツイートに気軽にいいねやRTを送り、また自身のツイートも同じように扱われていた。気軽な反応は心理的な障壁を無くし、より安心感を強化していく。もはや「価値のあるツイートこそ伸びるべき」といったグツグツと煮詰まった思想は、火が消された鍋のように静かになった。会話をする当事者たちからすれば、そんな事はどうでもよかったのである。
俺ははてブの互助会を擁護したいとは思ってはいない。ただ、互助会がなぜ生まれるのか、その一端は理解出来たように思っている。
評価指標となるいいねやブクマといったものは、当事者間ではカジュアルな肯定に使われるが、観測者側からは質の良さでソートする時の指標として重く受け止められている。そのため価値に見合わない評価を付ける事を当事者間では歓迎され、観測者側は嫌うのではないだろうか。これが正しいかは分からないが、この価値観の違いが互助会の生まれる原因であり、またそれが害悪的であると糾弾される理由ではないか、と俺は薄々感じるようになった。
それでも、どこか脳裏には「質の良いツイートが伸びるべき」という意思は存在したようだが、属する巨大FF網が持つ互助会的文化に、それも破壊されることになる。
ここで述べる"互助会的文化"はあくまで俺の属したFF網で存在しただけで、Twitter全般で起きている事ではない事を先に明記しておく。
それは決まって形式的な挨拶ツイートだった。(以下"おはツイ"と称する)夜明けと共にタイムラインが動き出す時、皆揃って、おはツイをする。これを初めて見たとき、なんだかむず痒い思いをした。形式的な挨拶ツイートと、それにつくいいねのインフレ。ツイートに付けられるタグや画像から得られる情報はほぼ無だった。属する界隈は、某ソシャゲコンテンツだったため、おはツイにはそのソシャゲの推しスクショがよく貼られているのだが、これも理解出来なかった。単なるゲーム画面だ。#○○が今日も□□ みたいなタグがだいたい付いている。なんだそれは?
とにかくおはツイの絶対的特徴として挙げられるのがその情報量の無さと明らかに釣り合わない評価(いいね/リプライ)だった。これが午前中、FF網全体で再生産され続ける。インフレするいいね欄を見ていると、次第に俺は「質の良いツイート」の定義がわからなくなった。
そして、このツイート群がもたらす特異性は、その連帯感にある。すなわち、同じFF網に居たとしても、おはツイをする/しない でうっすらと交流関係に壁が出来上がっていくのだ。それもそのはず。形式的とはいえ、毎朝話すフォロワーと話さないフォロワーが居たら、自然とそうなるのだ。現実社会でそうであるように、Twitter上でも変わらなかった。どんな環境であろうと、挨拶は変わらず有効で、逃げられない。
俺はこのFF網に取り込まれた時点で界隈に受け入れられた、一員だと勘違いしていたがそれは違った。毎朝行われるこの儀式じみた挨拶ツイートをこなしてこそ、この集団意識の一員となれるのである。
先頭で"洗礼"と書いた意味が、ようやく理解出来たと思う。この儀式が内包者のツイートへの価値観を塗り替え、統一しているのだ。誰かがこれを強制したりはしない。だが、いうならば集団意識がそれを催促しているのかもしれなかった。そしてこれを通過した頃には、俺の価値観は一新された。
ここまで聞くと、「おいおいそんな所、面白いのか?」も疑問が湧くだろう。先に結論を言うと、面白い。
たしかに、そのタイムラインは常に情報量の無いツイートで溢れていた。冗長な挨拶周りが毎朝再生産されていた。しかし、これらは俺自身が発信する時の障壁を限りなく低くすることにも作用したのだ。
前回の増田までは、俺は自分の思いを発信するにあたり、「完成された感想文」が必要であると、そう信じていた。自身が求める質と同等のものを発信するべきと考えていたためである。誰が見ても分かるが、明らかにこれは長続きしない。自分の理想と実際の質の乖離に耐えられないからだ。
だが自分がその"レベルの低さ"を許容すると、話は変わる。煩雑なタイムラインを受け入れた時、自分も煩雑な発信が出来るようになるのだ。そしてこれは、"発信したいけど出来ない"を大きく上回る。俺に必要だったのは高等な「完成された感想文」などではなく、低俗な「エモいメモ書き」で十分だったのだ。
ここまで書いてみて、改めて以前の考えが独りよがりであるかと痛感した。消費専門で二次創作を漁っては、一方的に評価したり、ノイズにイライラしたりする。これはこれで楽しかったが、視野が狭くなりすぎていた。
本当に好きなコンテンツを摂取して、発信も含めた消費を楽しむには定点観測では全然足りない。自分がつまらない事しか書けない事を自覚したうえで、色々な人の発信、二次創作を許容して楽しむ。こうした先に、もっと良い発信が出来るヒントがあるのではないかと、今はそう思っている。
先述したとおり、これが改善であるかどうかは分からない。またこの先に、「あの発想はどうかしてた」と目が覚めるかもしれない。もしそうなったらそれはそれでまた書いてみようと思う。
・2週間後に感染者は減らない
・竹槍
的なコメントばかりだった。
全部見た訳じゃないけど、ブコメ数100以上のページのトップブコメはこんな感じ。
さすがに5月以降は、500億は無駄、お友達のユースビオ、洗濯したらボロボロ、汚いゴミマスク、今さら遅い、って論調になるけど。
コメントの是非や誰がコメントしたり、スター付けたかは置いておくけど、マスクの有効性(N95>サージカル>布>>>ハンカチ>>>>>せきエチケット)が国内外で明らかになった現在から見ると、色々と考えさせられる。
お金をいかに節約すべきかという話になると、よく出るのが「家計簿をつけましょう」という話だ。
まあはてなーはそこ「あったりまえでしょ」という人と「むりっす」という人に極端に分かれそうだけども、「家計簿」というとつきものなのが「挫折」。
何故挫折するかとなると「手間に見合うと感じられない」ということだと思う。
「感じられない」というのがポイントで、「思わない」ではない。
要するにわかっちゃいるけど実感として手間と利益がバランスしてないということなんだろう。
なので、重要なのは2方向から攻めることで「利益を想像する」と「手間を減らす」とについて話すことだと思う。
まず利益について
「心穏やかになる」のと「エキサイティングなチャレンジができる」だ。
家計簿というと出費を節約する為にやるものだと思ってないだろうか。
コツコツやった挙句、出費を我慢する為に乾いた雑巾を絞るような思いをする羽目になると。
節約について話し始めたのに、前提を否定するようだが、これはNOだ。
正確にいうと節約もできるが、それ以外にたくさんの可能性が開けるし、不意にガツーンとくる大きなストレスが減る。
過去と現在の支出をつかむということは、「減らすべきところを見つける」より「あとどれだけ使えるか正確に捉える」のと「未来に起きそうなことを予測する」効果が大きい。
先月の給料からいくら残ったのか正確に分かれば、来月、再来月の給料からいくら使う余裕が生じそうかわかる。
今今持ってる金からいくら使えるか、だけでなく、いくら使ったら何ヶ月で取り返せるかがざっくりとわかる。
まあ自営業だと給与所得みたく安定しないだろうけど、自営業で帳簿つけてないとそもそもそれ長続きしないだろう、そこら辺は給与所得者より神経質なはずだ。
まあ即ち家計簿つけてれば「まとまった金を使う時に過度に不安にならない」ということだ。
「不安にならない」だぞ、はてなーにとってこんな魅力的な言葉あるか!?
それなら貯金通帳だけみてりゃ十分と思うかもしれないけど、それだけだとやや粗い。
出ていく金には毎月ほとんど動かない「固定費」と月によって支出に幅が出る「変動費」と時々発生する「臨時出費」がある。
これらがどういう配分かわかっていないと「生じそうな余裕」が見えてこない。
「臨時出費」があったせいである時点の支出が膨れ上がり、将来においてもそれが発生するとぼんやり感じられて、余剰の予測が過度に少なく感じることはある。
もちろん「減らすべきところを見つける」こともできるけど、これは3ヶ月に一回か半年に一回やればいいと思う。
「減らすべきだなー、無駄だなー」と心理的に思ってることも、半年単位で見ても実は大した金額使ってなく、それより納得しているつもりで規模のでかい金食い虫が見つかるかもしれない。
そういうのは半年に一度整理すればその金額をもっと有効に使える。
それで年末までにいくらまでリスクを引き受けられるかを掴んだら、そのお金でなにかにチャレンジするなりすればいい。
それはもうささやかで小市民的ではあるけど、コントロールされたリスクだ。
繰り返すけど、家計簿は「もっと我慢する為につける」ものではなく、「もっと心穏やかに生きる為」と「もっと大胆にリスクを取る為」につけるものだ。
「お金使ってもいいのかな、取り返せるような気がする、でも失うのが怖いな」という煩悶を「まあこれで失敗してもクッションできる金だってわかってるし」という心理で乗り越えられる。
ちなみに自分は計算した挙句問題ないと判断した金額をオンライン英会話とロボット掃除機と洗濯機に使った。
英会話はまだまだだけど、ロボット掃除機と洗濯機に関してはもう、すぐにメリットを感じている。
洗濯機は今まで徒歩5分にコインランドリーがあったのと、かつて洗濯機も置けないような狭さの部屋に住んでいた頃の生活の記憶で慣れきっていて、引っ越して全然スペースができた後も金額の大きさに二の足踏んでたんだけど、コロナで在宅になったので、設置の時間も、その後の日々の洗濯もいくらでも時間作れると思ってやっと買った。
結果、別にコインランドリーでも生活はできたけど、大幅に時間が節約できてる。
ロボット掃除機についてははてなでは語り尽くされてると思うけど、時間が節約できるのはもちろんのこと「ほぼ毎日掃除やってもらえる」日々は想像を超えた快適さだ。
ここら辺の「時間を節約できたり手間を忘れられる物や事」を手に入れられればもっといろいろ考えられて、プラスのサイクルに突入していくんだよね。
やる前って「失う金」のことばっかり想像できるけど、「やった後の利益」はなかなか想像しづらい。
ホリエモンとか秋元康みたく「やれ、とにかくやれ」というのは彼らの他の発言やキャラクターもあってなかなか反発心もわく話だが、ぼんやり見える将来の利益にむかって踏み切るのは大事で、それには度胸か工夫が必要になる。
それが人間だ。
閑話休題。
挫折したらかけた労力の意味ないと思うかもしれないが、最低1ヶ月あれば、たとえ不測の事態で次の月に挫折しても、お金が入る→出るのサイクルが1個成り立つので、ざっくり予測はたつ。
まあもちろん続ければ続けるほど予測精度は上がるけど。
最低1ヶ月は必要。
でも1ヶ月ならもつでしょ。
あと、早くからやってればいいのに今やっても遅きに失している、と感じてしまうかもしれないけど、この言葉を送ろう「すべての人類は例外なく今後の人生において、今が一番若い」
こうなってくると重要なのが「手間を減らす」だ。
これは「アプリを使う」と「3分以内にできることは即座にやる」「3日に一回は記録する」ということが重要だと思う。
「アプリを使う」に関しては、自分はこれらのアプリから選んでやっている。
買ったものはなならずレシートをもらうようにして、3日に一回はこれでパシャっとやる。
何らかの理由でレシートが保存できないキャッシュレス決済は、「その場で記録する」か「まとめて明細がやってきた時に記録する」というふうにしている。
「その場で記録する」ケースが発生するのがスマホだけ持って出かけた時のバーコード決済などで、まあレシート持って帰ればいい話だけど、手ぶらで通したい場合に「3分以内にできることは即座にやる」対応をしている。
「まとめて明細がやってきた時に記録する」はカード決済などで、これは多少面倒だけど、ここに至るまでに他の手間を削減して余裕を作っておくことが大事だ。
なので、日々のレシートは「3日に一回は記録する」という態度がいいと思う。
1週間溜めても無理ではない。
実際じぶんはやってたし。
でも1週間分となるとレシート撮影し続けるだけで30分から45分くらいかかる。
そこは3日に一回の10分なら軽くできるし、毎日の3分以内は考えなくても終わる。
こまめにやれば「あー、これから30分、レシート撮り続けるのかー」という重さがない。
ここら辺のそれでも若干のこる小さいめんどくささは「配偶者がやってくれる」「外注できるサービスを知っている」という人にとってはまあどうでもいい話だろう。
配偶者には表現できる限り最大限の感謝を示して、サービスに関しては教えてあげて、世の無駄な苦労をしてる人を減らして欲しい。
こんなことをするよりその時間で大きく稼ぎたいと思う人、家計簿つけてるとその大きく稼ぐためのチャレンジにいくら投資できるか明確になるぞ。
ことほど左様に家計簿には利点が多い。
分かる人にだけ伝わってほしい内容なので◯◯企画とはの部分は省きます
タイトルの通り、今のTwitter企画は5〜6年前のpixiv企画の状況に近く、このままでは数年内に衰退すると考えています
今後もみんなが楽しく遊べる場が残るよう、現在Twitter企画に参加している人に是非読んでほしいです
なお筆者はpixiv企画、Twitter企画ともに主催経験があるので、主催目線で問題点を挙げようと思います
企画最盛期の頃は参加者の母数が多かったため、いいね数の半数程度を実働数として見積もることができました
しかし人気に伴い企画の乱立が起こると、選択肢の増えた参加者は『気になるしとりあえずフォロー、いいねしておこう』と軽い気持ちで反応してしまいます
一見誰にも迷惑をかけていないように見えるこの行為は主催からすると非常に厄介で、企画規模の予測が難しくなる上、開催中止や規模の縮小を図るタイミングを失ってしまいます
主催としても大爆死するくらいなら開催したくないのですが、現状はその判断が非常に難しいです
参加者の心情として「人が集まらないなら参加は控えよう」と思うでしょう
現在のTwitter企画でも200〜300いいねが当たり前のように付き、蓋を開けると参加者は1/10以下という状況が散見されます
ぼっちになることを恐れてスタダ(投稿解禁と同時にCSを投稿するスタートダッシュ)を控え、その結果初動が鈍くなり、様子見勢も不参加へ舵を切る
そうなると確実に人が集まる1000いいね超えの大型企画へ参加者が一極集中してしまいます
過度に人が集まることで問題が多発、主催は疲弊し、運営中止や失踪に繋がります
こんなことが続けば、じきに主催をする人がいなくなってしまうでしょう
更新情報をチェックするだけならリストやブックマークなど様々な方法があります
とりあえずフォロー、とりあえずいいねをやめるだけで主催は企画規模を正確に判断することが出来ます
参加を見送る、様子見をすると決めた時点でフォローを外すことも有効です
たったこれだけのことですが、フォロワー数=参加予定数の確信が得られるだけでも参加者のメリットは大きいでしょう
最近のTwitter企画で応募形式が増えていることも主催の立場からすると非常に頷けます
苦労して準備した企画が伸びずに終わることも、膨れ上がった規模に対処できなくなる心配もないのですから
参加者が企画を選んで参加していた立場から、企画に選ばれる立場へと変わるのです
苦労して準備したキャラが落選する気持ちは、企画が爆死した主催の気持ちに通ずる部分があるかもしれませんね
Twitter企画は気軽に創作活動ができる素晴らしい文化だと思います
今まで通り、誰でも気軽に楽しく創作ができる場が残るよう切に願います