はてなキーワード: 掲示板とは
私は何故XboxOneを買ったのか?
WiiUでマインクラフトが遊べる、というニュースは、我らがはてなでも話題になっています。
ゲームハード戦争の本場2chのゲハ板でも無数のスレッドが立っており、
SCEの数少ないキッズ層向けのソフトが、任天堂ハードからリリースされるということで盛り上がっています。
さて、私はというと、日本では数少ないXboxOneユーザーにして、現行据え置き機(WiiU、PS4、XboxOne)はXboxOneしか持っていない徹底ぶりです。
はっきり言って、今世代に関しては、
「海外ではマルチなのに日本では出ない」
「インディーズは翻訳されない」
「それどころかファーストの看板タイトルの一つギアーズのリメイクが日本では出ない」
とまあ、来日一年目にしてもうPS4やWiiUよりも、サードのソフトが充実することはまずありえないと諦めています。
とは言っても、クァンタムブレイク、リコア、スケイルバウンド、レアの海賊ゲー、HaloWars2などなどのファーストタイトルが無事ローカライズさえしてくれれば、
高い金だしてDayOneを買って後悔は無いです。
そう、私は「マイクロソフトのファーストタイトル」が遊びたいから、XboxOneを買ったのです。
では、何故「マイクロソフトのファーストタイトル」が遊びたいのか。
どこかの掲示板で見たのですが
「SCEは任天堂と違ってゲームを開発しているわけではない、スーパーが野菜を生産しているわけではないように、SCEはゲームの流通をやっているだけだ、だからSCEのファンというのはゲーム生産者のファンではなく、ゲーム流通者のファンなのだ」
という意見をゲハ界隈ではたまに見かけます。(いやいやノーティはSCEの子会社だから、実質SCEはゲーム作ってるよ、という反論はさておき)
この意見に納得するかしないかはともかくとして、
パブリッシャーが好きなのか、デベロッパーが好きなのか、という点で考えると、
私はパブリッシャーとしてのマイクロソフトが好きです。(魔牙霊やファントムダストが嫌いだと言っているわけではないですよ)
はっきり言ってこれを疑問に思う人は多いでしょう。
「ワンピースが好きなのと集英社が好きなのは関係ないだろ」とか
「SMAPが好きなのとジャニーズが好きなのは関係ないだろ」とか、
いろいろ反論の例が浮かびますね。
「お前がXboxでしか遊べないHaloやGearsのファンだとしても、それはバンジーやエピックのファンであって、マイクロソフトのファンじゃないんじゃねーの?」
という反論を思いつかれると思います。
そこまでは理解できても、
金出したり、販売したりしてるだけの、SCEやマイクロソフトや任天堂まで好きになる理屈は理解できない。
何故パブリッシャーを好きになったのか。
その答えは、
「このゲームだれが作ったの問題」の中にあります。
例えば、小説。
これは分かりやすいですよね、
結果として現れる文章を書いたのは、作者一人のはずです。(合作とかもありますけどね)
ですから、「白痴が好き」だから「坂口安吾が好き」というのは、矢印でつなげてもよい気がします。
私が好きな「白痴」の構成要素は、すべて「坂口安吾」から生まれているからです。
例えば、漫画。
ここからもう微妙になってきますよね。
背景はアシスタントさんが書いていたり、顔以外はアシスタントさんが書いていたり、
クレジットされてはいるものの全く情報が出てこない原作者さんがいたり。
漫画というものを作っているのは、クレジットされている漫画家一人だけで完結していないのです。
キャタピラーが作画交代したり、
クレジットされている漫画家さん以外の人物によって、漫画の評価が変わってきます。
なら、「喧嘩商売が好き」だから「木田康昭が好き」は必ずしも矢印で繋がらないことが分かると思います。
何故なら、喧嘩商売の構成要素の中で、私が好きな要素は、村上店長が作った部分かも知れないからです。
さて、ようやく話を戻して、ゲームの話です。
私は子供の頃はドラゴンクエストが好きでした。
では、ドラゴンクエストの構成要素の中で、私はどこが好きだったのか。
「ストーリーのほりいゆうじ」
「キャラデザのとりやまあきら」
「音楽のすぎやまこうち」
答えは彼ら三人ではありません。
子供ながらに「パブリッシャーのエニックス」という答えにたどり着いたわけでもありません。
私はそのストーリーやキャラデザや音楽をゲームというパッケージにまとめた
「チュンソフト」が好きでした。
そう、好きだったんです。
昔は、デベロッパーが。
子供ながらにスタッフロールを見て、チュンソフトについて知った後、
私がドラゴンクエスト5の次に買い求めたのは、
かまいたちの夜でした。
そしてダイダイダイダイ大好きなゲームになりました。
では、かまいたちの夜の構成要素の中で、私はどこが好きだったのか。
「サウンドノベルという発想自体の生みの親、麻野一哉」
「音楽の中嶋康二郎」
「それを上に立って指揮していた中村光一」
「そういうのをすべて含めた上でのチュンソフトという会社」
麻野一哉が好きなら、退社後も追いかけて湯けむりシリーズだろうが銃声とダイヤモンドだろうが何でも買えば良い。
中嶋康二郎が好きなら、忌火起草で監督としての手腕に期待すればいい。
中村光一が好きなら、船に乗っている彼を眺めていれば良い。
チュンソフトが好きなら、
そう、チュンソフトが好きなら、私は今どうすればいいんでしょうか?
分けも分からずファミ通のニューリリースを鵜呑みにしてコナンのゲームを買えばいいんですか?
フリーゲームを題材にブラッシュアップしたゲームを買えばいいんですか?
ホームタウンストーリーを買えばいいんですか?
ニコニコのプレミア会員になってニコニコ動画を見ればいいんですか?
いやいや、違うでしょ?
アレフガルドの地を冒険する楽しみを
船で世界を旅する楽しみを
パーティーを組んで戦う楽しみを
仲間のAIに翻弄される楽しみを
父親との冒険を、
謎の洋館で起こる恐怖体験を
犯人を当てるために四六時中頭を使っていたあの時間を
そしてそれがゲームだったことが判明したあの一瞬を
それさえ含めて香山さんが亡くなった嫁のために奮闘する姿を
キャラクタ選択画面の曲がボーカル入りでOneAndOnlyとして流れたあの瞬間を
夢と現実の境目がわからなくなるあの恐怖を
世界はそれでも変わりはしないことを知りつつも立ち向かう主人公たちを
魔女審問編まで諦めずに購入したことが報われたあの瞬間を
はじめて潜った不思議のダンジョンを
無限分裂に気づいたあの瞬間を
村から抜け出しタイトルを見たあの瞬間を
大三元がそろったあの瞬間を
NPCと協力して潜る楽しみを教えてくれたことを
死ね、月よに大爆笑したあのときを
新種武器のすれ違いに成功したときを
DSを逆さに持ち替えたあの瞬間を
最後の最後のキャンペーンでようやく正解して公式サイトに名前が乗ったときを
もう終わってしまった人生でもやれることをやろうとするぞんびたちの生き様を
老人の正体に気づき、プレイヤーである自分がしたことの重大さに気づいたときを
パートナーとの別れを
けっせん! ディアルガを聞いて震えたことを
仲間をタワーとして連結することによる深みを
僕が楽しんでいたゲーム。
それら全部を教えてくれたチュンソフトが大好きなんです。
でも、もうチュンソフトはいません。
今あるのはスパイク・チュンソフトです。
サウンドノベルも、不思議のダンジョンもリリースされていません。
え? 超ダン? 閉店ガラガラ。
ゲームは個人制作ではありません。
現におヒゲの坂口がいなくても、香川の天才プログラマーがいなくても、
FFもドラクエも存続しています。
エピックがPS4とPCにMOBAゲーだしてもGearsです。
岩田社長がいなくなってもニンテンドーダイレクトは行われるし、NXは発売されます。(きっとね)
麻野一哉はチュンソフトを退社してから、巡り巡ってドラクエモンスターパレードに関わってるし、
山名学はチュンソフトを退社してから、ハートビートを起こして、ジニアスソノリティを起こしてます、ポケとれ順調みたいですね。
イシイジロウはモンスターストライク3DSでゲームに戻ってきます。
打越鋼太郎はパンティラインのゲーム版と極限脱出シリーズの第三弾をリリース予定です。
どうしても別れなきゃいけない人がいます。
前に向かうために別れを選ぶ人もいます。
見送る人もいます。
別れはよくあることで、私たちは慣れていかないといけないんです。
でも、正直、もう辛いんです。
もうゲーム業界の開発会社の細々とした動きやら、ゲーム開発者がやれどこに移籍しただのって情報を追いかけるやらは、
ただただいつかくる辛い別れを連想するだけじゃないですか。
チュンソフトが消えて、
逆転裁判はタクシューの手元から離れていって、
ブーストオンが最後の仕事のフェイズDの全巻購入特典をようやく配布して、
シュタゲが脱箱して、
旧KIDのメンバーは元気だけど、肝心のinfintyシリーズはアレ以来なんかもう駄目になって、(いやロケットとヒカリは名曲だと思うよ)
元気が元気になって携帯アプリゲーに埋もれている作品群をiOS移植しないかなーとか、
だからもうSDRプロジェクトのことは忘れようとか、
なんかもういいや、って思うようになりました。
やれ制作者がどうのやれデベロッパーがどうのっていう、そういう次元の話に疲れたんです。
ただただ、何も考えずにゲームがしたいだけなんです。
もうなんか、出されたものを黙って食べたいんです。
外食でメニューを選ぶのさえ嫌なんです。
何も考えずに母親が作ってくれるご飯が食べたいんです。
しかもお金が無いから全機種揃えるのもたるいんです。
ならファーストのファンになるしかないじゃない!
となると、三択ですよね。
任天堂はDSiウェアを3DSに移行するときにセーブデータを消すという暴挙に出たから無い。コロパタの星が消えてて気づいた。(注意書きを読まない僕が悪い)
SCEはPSN流出事件のお詫びにもらったPSプラスの自動更新切り忘れてムキーってなったから無い。(注意書きを読まない僕が悪い)
マイクロソフトは旧箱のセーブデータを360に移す手段が無いくせに互換とか言い張ったのがムカついたから無い。
あれ、全部無いじゃん!
むむむむ、よし作品だ、作品で決めよう、マリオかネイサンかマスターチーフかでしょ。
マリオは本流はギャラクシー2までしてるな、特にサンシャインが好きで、ってあっ思い出した青コイン全部集めないとEDの一枚絵が見れないとかいう超高難易度にイライラした上に、入手した青コインの詳細がわからない糞仕様にイライラしたなあ、よし無い。
アンチャは3までやったけど、特に印象に残ってないなあ、あっなんか麻薬みたいなの吸って敵が化け物に見えるところは楽しかったかな、うーん印象が薄すぎる、無い。
ヘイローは1と4やったけど飛び飛びだからストーリーがわからなかったんだよなあ、2も3も中古で1000円以下で買えるしプレイしてみるかー。
「女の子に約束しちゃだめ、出来ない約束はね」
「知ってるだろう? 俺は約束したら」
「たやすいことではない」(エンディングの方ね)
「リーチは俺の故郷なんだ、恩返しをしなきゃな」
よし、Haloだな。(四つの台詞だけですべてを説明した気になってみる)
いやまあ結局のところ、マリオやアンチャよりもHaloが好きだからっていう当たり前の結論になったなあ。
id:Re-KAm 割りと長かった
ごめんなさい、これでもだいぶ削ったんですが。
id:sima_pan やりたいゲームがあったらそのゲーム機を買う。それだけだ。
そうですね、ただその「やりたいゲーム」を探すことに疲れてしまった、という文章です。
自分の好きなゲームが一本見つかった、その開発者たちを追いかける、そんな文脈の文化に疲れてしまいました。
もうなんか何も考えずに毎月配信されるゲームをプレイしたいんです。
id:potatostudio もういい…! 休め…!
なのに不思議な話で、ゲーム自体を辞めたいとは思わないんですよね。
ゲーム好きです。
id:north_god そのハートでしか遊べないゲームを遊ぶには例えその一本の為でもハードごと買うしかないし、当たりハードかハズレかで神経すり減らしているくらいなら全部買え、と思ってます
じゃあANOS2のエックスロッパー版が遊びたいから、エックスロッパー買うか。
とはならんでしょ?(いや、なる人もそりゃいるんだけどさ、低評価なんちゃらファミリーの人たちとか普通にかいそうだし)
現実問題、お金は有限な以上、自分の持ってるハードに自分の欲しいゲームがリリースされるか否かは重要なポイントだと思います。
ただ、それをふまえたうえで、僕はその考えが面倒くさいから、ファーストの信者になって、無批判的にファーストタイトルだけを遊びたい、と言っているわけです。
id:death6coin 増田語ります
語りました。
id:sds-page あの頃のチュンソフトはもうないんだな・・・と思って悲しくなった
そう、もうないんです。
ただ、そのあの頃っていつですか? ドアドアのころ? ポートピアの移植やってたころ? ドラクエのころ? ハートビートと分裂したころ? サウンドノベル作ってたころ? 麻野が退社したころ? イシイジロウが入社してから? 退社してから? ドワンゴに吸収されてから?
はっきり言いましょう、チュンソフトの中身なんていうのは、中村光一が香川から上京して、チーム体制で仕事を始めたその瞬間からもう無いんですよ。
チュンソフトなんてのはただの飾り、看板にすぎず、中村光一以外の人間の手が一ミリでも加わった時点で、もうそこに意味なんてなかったんです。
社名が変わったのはわかりやすいキッカケにしかすぎません、中村光一がパソコンを購入してから、ドアドアをエニックスに提出するまで、そんな短い期間しか本質的なチュンソフトは存在しなかったんです。
id:sukekyo PS4もWiiUも欲しいけどそれと同じでXboxONEもいつか。理由は2つ。Eliteの最高といわれるコントローラがさわりたい。現在も360のゴールド会員のからみでGWGで毎月増え続けているタダゲーがもったいないから(10本以上ある)。
OneのGWGは未ローカライズが多いので微妙かもしれませんね。(僕がローカライズをやたらと気にするタイプなのでこう指摘していますが、id:sukekyoさんが気にしないタイプならすいません)
id:cyberglass チュンソフトは「弟切草」からプレイしてる。Civilizationで廃人になるしかないのでは。
いや、なんでこの本文読んでシヴィなんすか、AoEでしょ、マイクロソフトだし、ソシャゲ版出たばっかりだし。
id:dobonkai 腕のある蕎麦職人が作ったおいしい蕎麦よりも軒先に下がってる暖簾に価値を見出してるって話?
鋭いですね、そういう話です。
ただもう少し補足するなら、
セントラルキッチン化が進んだ外食産業においては、調理人という立場の人間は味の評価を左右しない、みたいな話です。
なので本文に沿った形で言い換えるなら
腕のあるバイトがチンしたミラノ風ドリアよりも軒先に下がってるサイゼリアの看板に価値を見出してるって話です。
id:logic Xbox One買ってるような人なら何も考えず発売日に全部買えば楽なのでは…。チュン好きは周り見るとシレンやダンガンロンパ買ってる。
いや別にチュンソフトが嫌いになったわけじゃないですよ、なんだかんだで超ダンも買ってますし。
あとシレンは5のVita版かな? チュンソフト時代は細かいリメイクも含めて全部買ってましたが(月影村のパッケージ違いとかも集めてた)、
スパチュン時代になってからは移植やリメイク系は正直もう追うのがしんどいです、特に5は効率的なこと考えると新種武器の厳選が面倒であんまり二回目やる気が起きないですし。
ただスパイク側のIPは愛せないの? というのはなかなか問題が根深いですね。
正直、ダンロンは合併前からプレイしてて、合併後の絶望少女もやってるので、そりゃまあ嫌いじゃないんですが、でもそれをチュンソフトのIPとはやっぱり思えないし、
スパチュンとして愛せないのか? スパイクだって生きてるんだよ!
というツッコミに対しては「俺のポケットには大きすぎらぁ」ってことです。」
(あと現実問題、スパイク側のIPは洋ゲーローカライズのこともありかなり多いので買い支えるのも結構しんどいんですよ、全機種揃えないといけないし)
SF作家クラブから「クローズドな掲示板の内容を外に漏らさないでください」と何度か注意されるも、
「そんなルールはない」「高野史緒が既に公開している内容と大差ない」などと反論し、
という一件を「日本SF作家クラブのSNSへのアクセスを一方的に突然遮断されました」と表現する時点で、
(どちらに正当性があるかはともかく)藤田直哉が何事も悪意的かつ誇大に解釈してしまう人間だと分かる。
藤田直哉に対して、名指しされた作家が何らかのアクションを行っているのは事実なのだろうが、
おそらく藤田直哉が言うほど連帯したものではないだろうし、規模的にもそれほどのものではないのだろう。
いや藤田直哉は「推測であることを明示しているし間違いを指摘されれば修正するつもりだ」と言い訳するかもしれない。
だがそれは「あとで掃除するから」と言いながらゴミをぶちまけるようなものだ。
それでは信用は得られない。
この法案を覚えている人、いらっしゃるだろうか? 10年程前、日本で人権委員を設立し、ヘイトスピーチを取り締まろうとした法案だ。
この法案が出た当時、表現の自由の観点からさまざまな批判が行われた。選抜基準が不透明であり、実質的な言論弾圧になりうる。そうした批判が主だったように思える。
当然……と、言うか、なんというか、2ちゃんねるでも、当時山ほどあった個人サイトでも人権擁護法案に反対する運動が起こった。
人権擁護法案反対の同盟(あぁ、「同盟」って単語も懐かしい)も作られた。
そして、その反対運動は、最近の言葉で言えば「カジュアルな差別」とともに行われた。
「実質的な言論弾圧になりうる」という、その一点をきりとれば、至極尤もな主張は「在日や利権を持っているマイノリティだけが得をして、普通の日本人は損をすることになる。それどころか、実質的に、やつらに日本の言論を支配されることになる」という、明らかに間違った被害者意識、と言うか差別的な主張とセットで行われた。
当時、世界各地で、人権委員の設立が行われていた。具体的な事例は、当時は法務省のHPに掲載されていた。現在ならば、師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)やエリック・ブライシュ「ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか」(明石書店)などで、当時の流れをつかむことができる。
だが、そうした観点から、実際の外国人での人権委員の活動や議論を調べ、紹介するような者はいなかった。
結局、振り返ってみれば、当時の人権擁護法案の反対運動とは、「『他人の自由や尊厳を侵害しない限りは』何を言ってもかまわない」と言う本来の表現の自由ではなく「カジュアルな差別をしたい」と言う欲望を守るための言論だったのだろう。
別段、驚くべきことでは無い。
YAHOOでホロコーストについて検索すると、悪名高き世界史コンテンツが真っ先に出てきた。
中国人は王朝の変わり目に数千万、あるいは億単位で人口が増減し、現在の漢民族は漢民族でもなんでもない得体の知れない雑種と言う、どこから突っ込めば良いのかわからない発言をすることが、「中国史通」の条件だった。
当然、教科書に書かれている、日中戦争ならびに太平洋戦争当時の日本軍の問題行為はすべて中国と朝鮮のでっちあげと主張する連中が、面白い人、そして、「一方の情報を鵜呑みにしない人」の条件だった。
保障された権利を行使する連中を冷笑し、「プロ市民」とあざけり、スイスの民間防衛を引用しながら中国のスパイ呼ばわりすることが、「良識的で政治に関心がある人」の条件だった。人権の保障などあきらめ、あるいは現状で満足し、お国の迷惑にならないことを第一に考え、軍事増強を唱える。それこそが、「知的」な人間と呼ばれるための条件だった。
現在、そうした妄言を垂れ流していた個人HPのほとんどは消滅している。
だが、うっかり信じてしまった連中は残った。おそらく、掲示板に書き込みをしていたヘビーユーザーは氷山の一角で、その何倍ものROM専の人間が、上記、カジュアルな差別で塗れたデマを信じ、「新しい知見」と考えたであろう事は想像に難くない。
やっかいな事に、そうした連中のほとんどは、当時自分が疑問に思った事について、情報の更新を行っていない。ヘイトスピーチ、そして、その規制法案について語るとき、上であげた該当問題の入門書を読むこともせずに、人権擁護法案反対のコピペを唱え続けている連中のなんと多いことか。
挙句、何の根拠も無く「日本は外国と違う。日本においてヘイトスピーチと呼ばれているものは、虐げられた日本人の正義の怒りであり、理由の無い差別ではない」などと恥ずかしげも無く言ってみせる。言っていることとやっている事はネオナチとほとんど変わらないのだが、彼らに言わせれば違うらしい。
ホロコースト否定論は相変わらず上位に出てくるし、トンデモ中国史は倉山満によって、よりおぞましい物に進化を果たした。
そして現在、twitter、togetterには、それらトンデモを真に受けた馬鹿共が今日も元気に、それも大量に発言を投稿し続けている。
だが、忘れてはならない。
彼らを作り上げたのは、10年前のわれわれだ。中公文庫や講談社学術文庫の中国の歴史を読むこともせず、
あるいは、出版されている本を読み、自分が攻撃する相手が具体的にどんな主張をしているのか調べることもせず、
そのくせ、井沢元彦「逆説の日本史」や小林よしのり「戦争論」を読み、新たな知見に目覚めたとか大それた事を考え、検証の手間を惜しんで、自分のHPで全世界に発信してきた私たちだ。
入門書一冊読まないくせに、そのくせ上記の本を読んだだけで満足し、自分は知識欲旺盛な人間だとのぼせ上がり、そのうぬぼれをwebで全世界に公開した、厚顔無恥な私たちだ。
私たちの馬鹿を信じた結果、今の、肥溜めのようなweb界隈がある。それを作ったのは、間違いなく、私たちだ。
かつて、ネットは誰でもメディアと呼ばれた。その文句のとおり、私たちは多くの情報を発信した。
だが、振り返ってみて、10年前の私たちは、後世に胸を張れるような情報を発信してきただろうか。
をする人の言葉は信用してはならない
とくに「俺はコミュ障をこれで克服したよ」系のやつ
よくあるアドバイスで
「とりあえず笑っておけばいいんだよ」
と言う人がいるが騙されるな
そいつは「笑ってはいけない空気を読める」か、「笑うことによって周囲の空気を良い方向に変えることができる」能力を持っている非コミュ障だ
まずそもそもとして笑う(笑顔)というのはものすごくテクニックのいる行為だ
となるのがオチだ
つまり「笑ってればなんとかなる」レベルの人は元からコミュ障じゃない
そういうことができる人はどうやっているかというと
定規で測って「お、今右目が3ミリ開いて広角が5ミリ下がったな!この表情のときはこの人の表情感情対応表と照らし合わせれば……わかった!この人は今怒りかけてる!」
とやってるわけじゃない
この行程を直感的に一瞬で行っているのだ
コミュ障へのアドバイス?として一番「これ書いた人は本当にコミュ障だな」と思ったのは発達障害者の処世術という2ちゃんねるのコピペだ
実に的確だと思ったので以下そのコピペを貼っておく
・人並みの幸せは諦める
・障害のことは人前では一切口にしない
・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない
・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり
・沈黙は金以上なり
・飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない
・雑学的な知識を人前では見せないこと
・はしゃがない。笑わない。
・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな
・定型の言う事には必ず裏があると心得るべし
・定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし
・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕事かどうかを基準に選ぶ
・なるべく大規模な職場を選ぶこと
・人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は発達障害者にとっては何の参考にもならない
某掲示板にも書いたけどここにも書いてみる。
その男子の顔が黒子のバスケの火神大我にそっくりなので、黒子のバスケを読むとそのことを思い出して少々つらい。
低学年や中学年の頃はコロコロコミックを読んだりポケモンカードを交換したりスマブラをやったりしてとても仲良くしていた。
超ウザい糞餓鬼で、先生や頭のいいクラスメート、親にも嫌われていた。
やがて高学年になると、男子にもウザいのがバレて次第に避けられるようになった。
しかし、私は完全に自分が見えておらず、気持ち悪いことに色気づいてクネクネしていた。
そしてある日校舎裏に男子を呼び出し、告白っぽいことをしてみた。男子は苦い顔をしていた。
その後教室に戻ると、男子はクラス中が注目している前で私が告白したことをバラし、こう言ったのだった。
「付き合うんだったらAちゃんでもBちゃんでもCちゃんでもDちゃんでもいいけど(AちゃんBちゃんCちゃんDちゃんはクラスの可愛い女子)、増田さんだけは嫌だ。僕はふつうの女の子と付き合いたい!」
最近仕事で成果を出さなきゃいけないのに 思うように行かず気が狂いそうになる
朝は今日も一日がんばるぞい って感じでノリノリで仕事を始める
夕方になると疲れてボーッとしてやる気がなくなってくる
夜になると 突然手に汗をかいて胸がキューってして 「お願い誰か私を許して」って言う気持ちが突然襲ってくる
ソワソワしていても立ってもいられなくなって、オフィスの廊下をウロウロする
頭が ふぁ~ ってなって 獣のように叫びたくなるのをグッとこらえる
あたり一面に怒鳴り散らしたり 手当たり次第にものを壊したいという衝動を感じるけれどそんな勇気はないので頭を前後左右に振ったり 頬を叩いたりして気を紛らわす
しばらく深呼吸して コノ不安から逃れるためには少しでも仕事を進めるしかないなあと思って 机に戻る
夜になったら 今日も悩んでばかりで ロクに仕事が進展しなかったことを書いて帰宅する
24時間 ご飯を食べているとき寝ているとき意外は不安感が押し寄せる
こうしてリラックスしている間にも 仕事を進めるべきなんじゃないのか
アホみたいな掲示板や増田を読むことは頭を使わないので ギリギリできるが 見た後の罪悪感がすごい
はあ 朝が怖いんだよおぉぉ
発達障害者の処世術 http://anond.hatelabo.jp/20151101094059
このコピペに結構反応があるようなので、自分なりに構築したもう少し詳しい処世術について書いてみたい。
ここは同じ。厳密に言うと、定型発達者の生き方を見習ってはいけないということ。
幸せそうに見える彼らと同質の生き方ができる解の存在を信じないこと。存在しないかもしれないから。
尖ったところ凹んだところに合わせて、オーダーメイドでより生きやすい形を模索しないといけない。
以下も自分の歪み方や歪みの大きさに合わせた戦略なので、他の人にどれだけ参考になるかはわからない。
対人関係は勘に任せて動くと必ず失敗する。
ただ、社会生活をしてるとどこかで避けられない交流を強制されるので、その時点で無策なのが一番まずい。
匿名で適度に炎上しておいたり、状況として許されそうな時はややリスキーな選択肢を取っておいた方が学習が捗る。
一部のこだわりの対象以外はどんどん忘れていくので全部メモしておく。
特に転んだ結果と把握したタブー、その対処法は確実に保存しておくこと。
自分の歪みに合わせたマニュアルは自分しか作れないので外の言説を鵜呑みにしないこと。
こだわりの対象に関連のある技術や知識が要求される職に就いて、能力如何で生存が決まるような業界に居着くこと。
間違っても人柄がどうのコミュニケーション能力がどうので命運が左右されるような業界を選んではいけない。
特にアスペの場合は瞬間的な話し言葉の送受信に欠陥がある場合が多く、これは定形発達者と同じ土俵で戦う際に著しい困難を伴う。
われわれに限った話ではないけど、発達障害者は特に、家族友人その他どんな相手にも本音を漏らすべきではない。
医療関係者は除く。元増田みたいにネットの掲示板(匿名に限る)で放言するならよい。
ただ、隠し続けた結果自分の本音が分からなくなるとアイデンティティが危うくなって混乱してくる。
抱えている障害の程度によるが、障害者レッテルを受け入れるかどうかは真剣に考えた方がいい。
障害を自称した時点で、対人関係の大部分はマウンティングされることが前提になるので周囲の善意に期待するしかなくなる。
流されていった先に安穏と暮らせる場があるならいいが、無かったら詰みである。
得意なこと以外は実年齢マイナス5歳ぐらいの相手と張り合うのが精一杯で、これは恐らくどうにもならない。
比較して自分の状況を確かめるのはいいにしても、追いつこうとして実現不可能な努力をし始めるとまずい。
指示助言を受けたら一度飲み込んで咀嚼して処理可能な形に変換してから実行すること。
彼らの実行可能領域と自分の実行可能領域は異なることを自覚すること。
何もかもまず批判的に受け取る。結果的にそれがお互いのためになる。当然この本音は外に出さない。
ろくなことにならない。例え同一ラベルの障害を持つ人を模範にしても上手く行かない。
定型のスタイルがベースで、発達障害者はそこからずれた生き物。
それぞれの発達障害者は三々五々に異なるベクトルでずれていて、同じずれ方をする確率は低い。
われわれの孤独はこのようにして生じているので、同質の何かとは滅多に巡り会えないのだと知るべき。
不特定多数の利用者がいるにも関わらず感情的な論法に流されにくく、
各々が好き勝手な内容で日記を書くのでリーダーが発生しづらく利用者がイナゴ化されにくい。
そこに様々な意味が持たされるため客観的には興味があるということ以上には反応が読み取れなく、
それが賛同とも否定とも一概には判断できず、一考の価値があったり問題として己の中で考慮に値するという意味付けも見受けられる。
MMORPGで例えると各々が基本的にソロプレイ前提のゲームで、
情報交換・アイテム交換のみできる仕様という印象(そんなゲームないと思うが)だ。
協力を強要しないので各々が自分の利を考えるし直接的でない間接的な話題・問題にも当事者から話を聞くことができる。
祭りだとかなんだとか、盛り上げ役がいてそれに乗っかることしかできない某ch型の掲示板よりも何倍も知的だと感じる。
そもそも書き手が面白い、興味を持った文章を書かないとブクマもらえない、という意識が知性的な言動を心掛けさせている傾向がある。
ただレスをもらえばいいという安直な考え方の掲示板には無いものだろう。
何が言いたいかというと毎日面白いやつの真似して(それもだんだんレベルが下がってきた)
下らない、つまらない同じこと繰り返すようになってしまった某ファッションアングラな掲示板から出てきて、
インターネットだからこそマイノリティの受け皿となってくれるような場所が掲示板であるべきだと強く思い、願う。
初めて利用したのはガンダムVSジオンのゲームの個人サイト掲示板だった。
電話回線でインターネットしていたころだ、みなコテハンを名乗って当たり前の風潮であったからに、
各々が人格と個性を主張するのが当然だったし自分の発言に責任を持ったりレスポンスに真正面から返さないと失礼だと思われる時代であった。
2.某ch時代
最初は様々なジャンルを用意していて驚いたということと匿名であること、罵詈雑言が目立ったことにも驚いた。
意味のわからないワードとAAというそれぞれに掲示板特有の文化があることを学ぶ。
画像でのやり取りが気軽にできムフフな画像を収集できるため、頻繁に訪れるようになる。
画像を共有し合いお互いで趣味を楽しむ、知らない作品への見聞を広めるメリットというものを知る。
意味不明なスレッドの乱立や行動的即効的な活動が多く見られ、そのエネルギーに当てられてよく訪れるようになる。
当初はネトゲやネタスレでお世話になったが、時間が経つと質の悪い二番煎じや知能の低い利用者・子どもであふれかえってきたので飽きてしまう。
MADにハマる。
それだけであり、それだけで十分であったが二番煎じが増えて、飽きた。
作品に対する独自的な解釈や天邪鬼体質からくるぬめっとした反応、
強い性癖へのこだわりやコラージュの量産(カタログを利用した祭り)等が新鮮であった。
しかし、世代交代が激しく利用者の質も時間と共に大きく推移する、
有職者と無職者の意識格差が大きい、文化を維持しようとするがゆえに排他的になり、
排他的な部分だけが維持されネタは二番煎じを繰り返すようになったため興味を失う。
特に近年ではマジョリティがマイノリティを排他する流れになり感情的な動向が目立つ。
新しい文化の出現はもう期待できないだろう。どこにエキサイティングが残っているのやら。
7.はてぶ時代
今。
・人並みの幸せは諦める
・障害のことは人前では一切口にしない
・どちらに進んでも悪い方向にしか行かないのだから、悪い中でもマシなほうの選択肢を選ぶしかない
・親しげに近づいてくる奴は見下して優越感を感じようとする自己愛性人格障害者か、いいように利用したり
・沈黙は金以上なり
・飲み会や宴席にはなるべく参加しない。参加しても一切喋らない
・雑学的な知識を人前では見せないこと
・はしゃがない。笑わない。
・「心を開け」「自分を出せ」「言いたい事があるなら言おうよ」といった言葉に騙されるな
・定型の言う事には必ず裏があると心得るべし
・定型=嘘つき、二枚舌ということを心得るべし
・職探しは給料の額面よりも休日の多さ、残業の少なさ、一人作業が多い仕事かどうかを基準に選ぶ
・なるべく大規模な職場を選ぶこと
・人付き合いやコミュニケーション、ビジネスのハウツー本は発達障害者にとっては何の参考にもならない
サイバーメガネさんの「政治・選挙業界の闇の用語集」 というエントリを目にして、学生時代、東京都議選候補者の事務所で働いた時のことを思い出したので、つらつら書いてみる。
その自民党候補者の事務所で働き始めたのは、べつに支持者だったからではない。
むしろ、当時の若者の常で「それほど政治に興味はないが、しいて言えば左寄り」だったと思う。
なのに、なぜ働いたかといえば、単に友人から「とっぱらいの、面白いバイトがある」と紹介されただけの話である。
9時から18時まで日給1万円、延長の時は時給1000円、半日しか来れないときはそれでも良い、しかも昼食付きという条件に魅力を感じて、
選挙公示日の2週間前くらいから、そのバイトにはいることになった。
なお、現在、選挙事務所が、ウグイス嬢などの特殊技能を持っていない単純な運動員をバイトとして雇うのは、公職選挙法で禁じられている筈である。
当時の規定がどうだったのかは、よく知らない。
ただ、バイトにいった初日、「外で何か聞かれたら、○○事務所のボランティアですと答えるように」という注意があった。
あと、昼食は無料で弁当が出たのだが、なにか帳面のようなものに、弁当と金額が書いてあって、サインをさせられたが、
それでいて、とっぱらいの一万円をもらうにあたって、なにかにサインしたり、書類をもらったりすることはなかった。
仕事は、荷物を運んだり、連日どこかの体育館や集会場で行われている個人演説会の会場設営や後片付けをしたり、街頭演説の交通整理やビラ配りをしたり、
要するに雑用だった。
応援にきた時の首相に道を開けるため、群衆を抑える、みたいなこともあった。
あと、選挙カーの通れない細い路地を、候補者を先頭に自転車で走り抜けながら支持を訴えて走り回ったこともあった。
候補者のあとを、背中に候補者名や政党名を書いた「のぼり」をたてて路地を練り歩いたりもした。これは、内部で「桃太郎」と呼ばれていた。
「桃太郎」には「先発隊」が出されることもあった。
あらかじめ、候補者の一群が来る前に、支持者の家に声をかけて、表に出て先生に声をかけてくれるように頼んでおくのだ。
候補者が自ら支持者の家にいったら、公選法で禁じられている「戸別訪問」だが、あらかじめ支持者が公道に出ていれば、そうはならない。
告示日がすぎて、ドタバタと忙しくなっていたある日、印を付けられた地図を渡されて「ここのお宅にいって、先生のポスターを剥がしてきて」と頼まれた。
普段も街中で政治家や政党のポスターを見かけるが、選挙期間中は指定された掲示板以外にポスターを掲示してはならず、
実は、告示日が来る前のバイトの主な仕事として、選挙区を自転車で走り回ってポスターをはがして回る、というのがあったのだが、
それでも「見落とし」というのは当然ある。
そのまま、掲示をしていると、その筋(たぶん、選挙管理委員会)から警告のファックスがくるらしく、
その時は、大急ぎでバイトがポスターを剥がしに駆けつけるのである。
指定された場所は、ゴミゴミとした「アパート」というより「長屋」とでもいったほうが似合うような、古びた木造集合住宅が密集した地域であった。
今でも、東京の東部には案外そういう建物が残っているが、当時は今以上に、そういう地域が多かった。
その雰囲気は、サラリーマン家庭が圧倒的多数を占める、いわゆる「ベッドタウン」で育った大学生にとって、
物珍しさと一抹の不安を呼び覚まさせるに十分だった。
問題のポスターは、その木造長屋の二階の雨戸の戸袋に貼ってあった。
窓から乗り出さなければ、張ることも剥がすことも不可能な場所だ。
マッチ箱のような大きさの昔ながらのドアチャイムを押すと、引き戸を開けて出てきたのは
絵に描いたような「下町のばあさん」だった。腰がかなり曲がっていた。
来意を告げると、「ああ、そう。剥がさなきゃいけないのは知っていたけれど、あの場所じゃ自分でできなくてねえ」と言われた。
二階の窓から身を乗り出して、ポスターを剥がし終えると、ばあさんが冷たい麦茶を出してくれた。
ありがたくいただいていると、ばあさんがこんなことを言った。
「お宅の先生、ちゃんと頑張ってるの? こっちの方、まだ全然選挙カー来ないじゃないのよ。KM党とKS党ばっかりよ」
僕は思わず、ばあさんの方をじっと見た。選挙カーが来るのを待ちわびている人を、人生で初めて見て、いささか驚いたからだ。
「あたしゃね、SK学会とか、KS党とか、大っ嫌いなのよ。だからお宅の先生にも頑張ってもらわなきゃ。あたしも知り合いに投票してくれるように頼んでんだからさ」
ばあさんの言うことは、政策がどうとか、そんなこととは関係ない次元ではあったけれど、でも十分筋が通っていた。
あんな騒々しく名前を連呼して支持者の獲得なんてできるのだろうか、むしろ逆効果じゃないのか、と、それまでは漠然と思っていた。
世の中には選挙カーがこないと「先生、ちゃんと頑張ってるの?」と心配する支持者がいるのだ。
そして、その支持者が、さらなる支持者を獲得するために動いてくれるのだ。
もともと、候補者のことなどろくに興味がなく、選挙カーが来たら「うるせえなあ」としか反応しない層の反感によるデメリットよりも、
「ああ、先生、頑張っているなあ。あたしも頑張らなきゃ」というばあさんの意識に呼びかける効果のほうが、大きいのであろう。
世の中の仕組みをもう一つ知れた気分になって、いささか感心しながら事務所に戻ると、事務所の司令塔でもある候補者の長女に「ごくろうさま」と声をかけられた。
そして、彼女は、笑いながらこんなことをいった。
「あのあたり、ゴミゴミしてほんと汚いでしょう? いっそ地震でも起こって全部燃えちゃえば、再開発でもできるんでしょうけどねぇ」
彼女の父親の地位は、その「ゴミゴミしてほんと汚い」ところに住んでいるばあさんたちに支えられている筈であるのだが、
彼女にとってそこは、さっさと燃えてしまえばいい場所のようであった。
もともと冷めた目でこのバイトをしていた上に、さらに「軽蔑」の気持ちが加わったのだが、それはそれとして、バイト代は魅力的だったので、僕はその事務所に通い詰めた。
そういえば、投票日当日、事務所の整理などの仕事があったので、やはりバイトにいったのだが、
そのとき、事務所の「コールセンター」で、女性たちが支持者名簿を片手に電話をかけまくっていた。
女性たちは、「○○事務所のものですが、本日の選挙、投票にいかれましたか? 大事な選挙ですので、ぜひ投票なさってくださいね」などと呼びかけていた。
「○○候補への投票をお願いします」と当日に電話で呼びかけてしまうと、公選法違反になるということだった。
事務所の幹部たちは、1時間ごとにだされる投票所ごとの投票者数が記された紙を見て、「○○地区の出足がおそいなあ」などと言いながら、
女性たちに「○○のほうを強化して」などと、電話をかける先を指示していた。
結局、その候補者は当選した。開票速報が流れたときにも事務所にいたのだが、それはもう大層な盛り上がりようだった。
関係の深い人々はもちろんのこと、つい一か月ほど前に縁をもったばかりのバイトの大半も、それなりに興奮していた。
一月の間、同じ目標に向かって働くことによって生まれる一体感が、その興奮を生み出すエネルギーの源泉となっていたのだろうが、
先の一件で事務所に軽蔑の念をもっていたので、心の中ではかなり冷めた目でその光景を見ていた。
表向きは、その歓喜の輪に加わって、翌日に行われた祝賀会でも、随分ご相伴にあずかって、ビールやら桶の寿司やらをしこたまいただいたけれども。
このとき、結局、一月で20万近くを稼いだ僕は、その資金で海外へと貧乏旅行に出た。
インドで、現地で知り合った人に
「この国は世界最大の民主主義国なんだけれど、まだまだ文字が読めない人も多いので、
選挙の投票用紙には政党のマークが印刷してあって、それに印をつけるんだ」という話を聞いて、
「選挙ってなんだろう」と考えたりもした。
あれ以来、選挙の現場に直接かかわったことはないが、選挙の季節が来て、候補者の名前を連呼する声が聞こえると、
ああ、この辺りに、あの候補者の支援者が住んでいるのだろうか、などと考える。
選挙は一度も棄権したことはないが、選挙カーによる名前の連呼は、僕の投票行動にはいささかも影響を与えていない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
ロリコンがよく言う言葉のひとつに「女がロリコンを嫌うのは嫉妬しているから」がある。
幼児より女として性的な魅力を感じてもらえないから嫉妬してロリコンを叩くのだと。
何でロリコンから性的に見られたがっていると自信満々に思い込めるのだろう。
この前は子供に着エロをさせるいわゆるジュニアアイドルを規制する動きがあるというのを嘆いているオタク向けの掲示板で、女がジュニアアイドルに嫉妬しているからこんな動きがと言っているのがいて目を疑った。
子供の頃から大人の性的欲望の対象として消費され、育ったらAV女優になる事が多いと聞くあわれな子供に何で嫉妬すると思うのだろう、だってロリコンに性的に見られているから羨ましい筈だと思っているのか、買ってるロリコンが悪役で売ってる子供が被害者扱いなのが気にくわないと言ってるのも多くいた、死ねばいいのに。
趣味であったりそういう類のものをまとめるのはまだ分かる。自分自身も重宝している。
しかし扇動的なタイトルであったり他人を貶すような内容を記事にするのはほんとうにわからない。そしてこれを拡散して面白がっている奴らもどうかしていると思う。
某掲示板内だけで終わり、外には出なかったはずの攻撃的な発言が蔓延しているのは危ないと思う。これがデフォだと思っている人らがどんどん増えていくのは耐えられない。
そんな貶すような発言が当人の目に入る可能性が高いのを記事を作成、見て拡散する彼らはわかっていないのか。最近ではオコエ君に関する記事を見たオコエ君が自らやめて欲しいと言っていたのを見て非常に悲しくなった。
「他の人に迷惑だから、以後はメールで議論しましょう。こちらのメールアドレスはxxx@xxx.comです」とか言うと相手は逃げてたな。
「あなたにメールアドレスなんて教えられません」とか言い出しても「ヤフーとかジオシティーで使い捨てのメアドを作ってください」って食い下がったら「余計なメールアドレスは作らない主義ですから」とか言い訳をはじめて、ほとんど逃げてた。
あの時はエネルギーあったから、本当にメールで議論をはじめてもとことんやるつもりだったけど、今はそんなエネルギー無くてガチでメール送ってきたら困るから、もうこの手は使えない。
今いる学部から別学部に行くためのお勉強をしている。大変難航している。自分はやはり勉強が出来ない人間だということがよく分かる。
もしかしたら、行きたい学部の募集がないかもしれないし、あってもTOEFLの点数が基準を満たさない可能性もある。
今いる学部も教員との関係や友人の有無、やれそうなことを考えた時に残っても良いと感じないこともない。とりあえず、英語のお勉強をすることは悪くはないので気楽にやろうと感じる。
自分はどうにもならない文を書いて、ここまでどうにもならないコメントをもらったのは初めてだった。
テキトーに掲示板を見ていても自分の文章が目に入る。ツイッターでも。
大抵の人間は、美しいものには、例えそれらに自分が優しくされなくても優しくしたくなるということだけは再確認させてくれた。そして、醜い人間には厳しい。
言い切ってしまえばそれだけだ。
自分は腹の中の子にまで考えが及ぶと期待したが腹の中の子のことまでは興味が無いようだ。
如何にも、腹の中の子に皆気を使う素振りをしているが、それは違うだろう。
腹の中の子がもし醜かったり、障害を持っており、成長したら、また皆でボコボコにするに違いない。妊婦には近づくなとか彼らに言いそうだ。
子供が社会保障を支えるから妊婦を大切に!と言う人間がいるのも、あまり反論する気はないが言っておこう。
もし、腹の中の子が支えられる人間ではなかったら死ねということになる。自分は腹の中の子供に何も期待なんかしない。それが自分の優しさだ。
また、自分の父親はありとあらゆる税金をおそらく大抵のコメントをしている人間よりも払っている。
つまり並大抵の人間よりも、日本の社会保障を支えるのに貢献している。
しかし、あなた方から車内で優しくされない。美しいもの 特に綺麗な妊婦と比べたらとことん優しくなんかされない。逆にひどい目に遭わされるかもしれない。
自分の父親は優しくされるはずなのに、されていないのだから、社会保障を支える可能性があるから大切にするというのは、理屈が通っていない。