秋になるとなぜか、おばあちゃんのことを思い出す。
おばあちゃんが死んだのは秋じゃない。中3の2月だったのに。
おばあちゃんちには、アメリカの冷蔵庫にあるみたいな大きなアイスがあった。
2Lぐらいあった。私たちのためにいつも買っておいてくれたそのアイスを、私とお姉ちゃんは大きい大きいといって大笑いして、はしゃいで、食べた。
姉なんて小さい頃食べ過ぎて救急車で運ばれたそうだ。
好き嫌いが多い私のために、おばあちゃんは甘い魚(ぶりの照り焼き)とポテトサラダ(にんじんときゅうりの薄切りが入ってるやつ)をよく作ってくれた。
これが関東の一部の変な食べ方だと知ったのは、大きくなって嵐の番組かなにかでだったかな。
いつのまにか、なにもかけずに食べるようになったのはなんでだろ。
おばあちゃんちにの冷蔵庫のサイドポケットには、いつもお花の飴があった。
ピンクの個包装で、それぞれ別の花のイラストと名前が描いてあった。イラストが見たいのもあって、よくもらってた。
なんの味だったかはわからない。数年前にどこかで食べたソフトクリームがまさにその味で、コケモモだったような...違ったような...
また食べたいな、あの飴。
前向きな人だから全然過去の話もしないし、人の悪口を言ったところも聞いたことがないってお母さんが言ってた。(お母さんはめっちゃ愚痴るタイプなのに)
そんなおばあちゃんが唯一してくれたのは、関東大震災の話だった。
子供だったおばあちゃんはあまりの大きな揺れにびっくりして腰が抜けてしまったんだけど、近所に住んでたお兄さんが馬にのせてくれて、それで裏山に逃げて助かったとか。
おばあちゃんは神奈川なまりがあって、「○○じゃんかよおおお〜」っていう話し方をよくしてた。
それをまねて面白がってた時もあった。おばあちゃんは照れたような困ったような顔をしてた。
夏、全然おしっこが出ていない日が続いて、倒れて、救急車で運ばれた。(だから今でも今日おしっこ全然してないじゃん!怖い!とすごく思う)
人が死ぬなんて「まさか」って感じだった。実感なかった。死んじゃう前提の反応もなんか違う気がしてて、でもなんだか怖くて「ふーん」みたいなよくわからない態度をとっていた。
おばあちゃん子だった姉は悲しみを隠さないので、それがそのまま愛情として伝わってて、お母さんを安心させたと思う。すごいなって思った。
おばあちゃんは目を覚ました。
おばあちゃんが私とお姉ちゃんに「誰ですか?」ってキョトンとした顔で聞いた時、お姉ちゃんは泣きそうな顔をしながら「おばあちゃん...○○だよ〜〜〜おばあちゃん....」って言ってた。私は黙ってただ立ってた。ちょっと悲しそうにしたら悪い気もしたのと、本当に頭が真っ白だった。
お母さんは忘れられてなくてよかった。
塾がない日は学校の前でお母さんに車でひろってもらって、よくおばあちゃんの病院にいった。
おばあちゃんは意識はあるけど、息をしてるだけで苦しそうだった。
おばあちゃんは話しかけると少し頷くけど、それすらすごくつらそうで、なんかよくわからなかった。でもお母さんは話しかけろっていう。
「そろそろ死にそう」っていうのが分かってるようで誰にも分からない。
お母さんはおばあちゃんの手をさすって「お母さん、ありがとう、ありがとう」って言ったりしてて、なんでだよまだ生きてるだろって思ってた。
2月、夜12時ちょっと前ぐらいに、寝ようと思って階段をのぼりかけてたら、お母さんが急に話しかけてきて「おばあちゃん死んじゃったって、連絡きた」って言われた。
もう、本当によくわからなくて、「ふーん、そっか」とか言ってお母さんの目も見ずに階段を登って、それで部屋に行ってたぶん寝た。
お母さんはたぶんそのままトイレに行った。
いまだにあのとき、もっと私はやるべきことがあったんじゃないかって思う。お姉ちゃんはあのとき留学してていなかった。
でも叔父さんがおばあちゃんの顔から白い布のやつをとった時、めっちゃ泣いた。
どわーーーーって泣き過ぎて家から出てうさぎを買ってた小屋のほうで叫ぶように泣いたぐらいだ。叔父さんはなぜか、あとでごめんなあって言ってきた。私はうんって言った。(なにがうんだ)
葬儀場に移る時、仏壇のある部屋でおばあちゃんに足袋をはかせた。独特の冷たくて身が詰まってて乾いた質感があった。(4年後ぐらいに、あ、これ冷蔵庫に剥いちゃった後のみかんいれておいたときの感触だ!って気づいてお母さんに言った。怒られるかと思ったけど、"○○は芸術肌ねえ"って笑ってた)
そのあとお通夜もお葬式もなにもかも、なぜか自分の中で絶対泣いてはいけない戦いになっていて辛かった。トイレで泣いて戻ってた。
骨を焼く時、叔父さん②が、焼かないでくれ待ってくれって泣いておばあちゃんにすがって、叔父さん①がとめてて、うおおおおってなった。みんな泣いてたけど、私は泣いちゃだめだ状態だったので固まってた。
骨を拾うとき、いとこがお箸を強く持ち過ぎておばあちゃんの骨が砕けた。なんかそのときまぬけですごいホッとしたっけ。(3回忌かなんかでも靴下がやぶけてて法事を絶対笑ってはいけない法事にしてくれたいとこ。)
3日ぶりぐらいに学校へ行った。
担任の先生がおばあちゃんは何歳だったのかとかいろいろ聞いてきて、聞いてくんなしと思った。学校にいる間中、なんども泣きそうになって必死で別のこと考えてるんだぞこっちは!と思った。今思えばそれも礼儀というか優しさだったのかな。
保健室の先生も、生理痛が辛くて保健室行ったら言葉にするでもなく気にかけてくれた。この先生、今思えば2年次に私が傷が残る怪我をしたあとにも傷が目立たない特別な配慮をしようか?って声かけてくれて、本当いい先生だったな。そん時も私は本当は超気にしてんのになんかかっこわるいと思って「あ、イイッス〜別に見えてもイイっす〜」とかいって断ったんだっけな。なにも言えずじまいで卒業しちゃったな(なんなら名前も忘れた)
それで、中学生なりの頭で考えて、もう会えなくなってしまう人に一番伝えたいのは「ありがとう」と「大好き」だってことが分かった。
そんで詩を書いたりしてホムペに載せたりした。
おばあちゃんの死についてはなんも書かずに、ただ行き着いたことだけを抽象的に書いた。
そしたら同級生が「なんかあれめっちゃいいね」って言ってきて、ほーんってなった。
ほーんってなったけど、私はおばあちゃんに「ありがとう」も「大好き」も言えずじまいだった。
その飴って「花のくちづけ」な気がする おばあちゃんちによくあるし、ミルクスモモ味だし、花のイラストの個包装だよ 個包装はピンク以外に黄色と青色もあるけど、ピンクだけとって...