はてなキーワード: 夏休みとは
今週は待ちに待った夏休みだった。
普段は土日休みが重なっているため、休みの日は夫婦ふたりで家にいることが多いが、今回は違う。
この夏休みは推しカプの小説執筆にささげようと数か月前から決めていた。
数か月前のあの日、公式が自分の性癖に突き刺さる設定を打ち出し、あまりの衝撃に頭が真っ白になった。
小説なんて書いたことないが、性癖直撃設定を受け、数枚のスチル絵を取りつかれたように隅から隅まで舐めまわすように見るうちに、この世界観で、自らの手で攻めちゃんと受けちゃんを幸せにしてあげないといけないという義務感が生まれた。
通勤時間を割いて念入りにプロットを作り(但しえちえち部分は除く)、
旦那よりも早く帰った日は夕飯づくりの傍ら、他ジャンルのえちえち小説を読み漁り表現の研究・単語の研究をおこない、自作の「えちえち用語/表現辞典」まで作り上げた。
(推しカプの小説を読まないのは、推しジャンル重複するのが嫌だったし、何よりもパクリだと思われたくなかったからだ)
1週間も(正確には火曜から金曜の4日だけだが)ひとりの時間を過ごせるなんて夢のようだ。
なんとかしてこの期間内で小説を完成させて、pixivに公開しよう。
そう意気込んで、火曜日7時30分、旦那を見送った直後からパソコンを起動し、小説を書き始めた。
助詞ってどう使えばいいの?
この表現ってあってる?
いつも読んでる漢字の読み方を間違えて覚えていて、検索してもでてこねえ。
悩みながらも書き進め、やーっと10000字を超えてきた。
あとは挿れて出すだけ。
攻めちゃん早く解放してあげるね、受けちゃんもつらいよね、あとちょっとだよ。
そう思いをはせながら、ただひたすらにキーボードを打ち続けていた。
聞こえるはずのない音に一瞬我を失う。
参考に開いていたフランス書院辞書、PornoHubも閉じる。
作業用BGMとしてYouTubeで流していたジムノペティが悲しく流れ続ける。
帰ってくるな、会社に戻れ、残業しろとは言えず、動揺をひた隠しにして「おかえり」と告げる。
たぶん動揺は隠しきれてない。
確かに今日早く帰ってくるよって聞いてたけど、こんなに早いなんて聞いてないよ。
今、絶望の淵に立っている。
結婚している(同棲している)同人作家様たちはいつ時間を確保しているの。。。
旦那に腐女子であることは隠してないけど、まさか奥さんが書き手側なりかけているとは思いもしていないんだろうな。
ばれたらきっと旦那はショック受けるだろうなあ。。。
夏休みの宿題で「お母さんと弟と市民プールに行ったけど休みでガッカリしたことが1番の思い出です」って作文に書いたら、お母さんに「なんで?」と怒られた。
そりゃそうだ。車の免許がないから行くところは限られていたけど、夏休み中、お母さんは電動でもなんでもない自転車の後ろに弟を乗せて、まだ自転車の運転に慣れない私に「車!」「赤!」と声をかけながら、サマーランドやら母方のおばあちゃん家やら、いろんな場所に連れてってくれた。それなのに、1番近場での1番楽しくなかった思い出を書かれたら怒るに決まってる。
私としたら「楽しかった」だけじゃつまんないかな〜と、おませなつもりで書いた作文だったけど、他の子たちの「帰省」や「初めての海外旅行」の思い出と一緒に、「仕方がないからモスバーガーを食べて帰った」思い出が夏休みの文集に綴じられているのはたしかにおかしくて反省した。
思えば、お父さん、お母さん、私の3人で借家に暮らしていた頃から、お母さんの自転車の後ろに乗って、保育園、大きなダイエー、よくしゃべるオウムがいる近所の家、いろんな場所に行った。しばらくすると弟が生まれて、父方のおじいちゃんおばあちゃんと一緒に暮らす新しい家に引っ越した。
保育園に通い始めるようになった弟と補助輪付きの自転車さえ乗れないどんくさい私を乗せたお母さんの自転車は、買い物や保育園の送り迎えの道中よくすっ転んでいた。最初のうちは弟と一緒に「ウワーーーン!」と泣きわめいて「ごめんね」とお母さんに謝られていたけど、そのうち「あっ、倒れるよー」と予告されるようになり、「はーい」と上手に受け身をとって、助けてくれる通りすがりの人に「だいじょぶでーすありがとございまーす」と返せるほどになった。
弟がぽっちゃりしてきた頃、私は後ろの席を卒業し、坂道で自転車押したり、良きタイミングで弟に「降りて歩け」と指示したりする裏方に回った。そのうち自転車に乗れるようになり、お母さんの良きパートナーとして行動の範囲を広げていった。
私がピチレモンを買うようになった頃、アウトレットモールがある南大沢へ電車でよく行くようになった。と言ってもアウトレットモールは素通りで、目的は南大沢駅から30分くらい歩いた場所にある激安洋品店「タカハシ」。貧乏ってわけじゃなかったけど、コールセンターのパートを始めたお母さんのお給料が出ると、私と弟の服を買いに3人で駅からてこてこ歩いて行っていた。
服に興味のない弟の機嫌をとるために、駅とタカハシのちょうど半分の場所にあるモスバーガーでよくお昼ご飯を食べた。市民プールが休みだったあの日もたしかタカハシに行くことになって、モスバーガーに寄ったんだった。
私が小学校の卒業を控えた頃は、母方のおばあちゃん家ばかりに行くようになった。そんなある日、お母さんに「家を出ようと思ってる」と伝えられた。その頃、お母さんは私の部屋でご飯を食べたり寝たりしていて、いわゆる家庭内別居状態だったからあまり驚かなかった。お母さんの元気がなかったし、その方が良いと思っていたから、聞いて安心した。
「お母さんとお父さん、どっちと一緒にいたい?」と聞かれて「もちろんお母さん」と答えた。「弟はお父さんと仲が良いし、お母さんのお給料じゃたくさん食べさせることができないから、一緒には暮らせないと思う」と言われて「そうなんだ」と返した。その日の夕方、2人でスーパーに買い出しに行ったとき、お母さんに「中学生になったら髪染めていい?」と聞いたら「髪を染めたいならお父さんと暮らしなさい」と返されて、どっちもやだなと思った。
それから私が中学校に入学するまでの間、お母さんはこっそり家を出る作戦を練っていた。お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、弟にバレないように荷物をまとめたり、アルバムから私と弟の写真を何枚か抜いたりと忙しそうにしていた。
準備が整って、ついに出て行くことになった。最後まで「本当にお母さんと一緒でいいの?」と聞かれて、大事なことをたくさん伝えられて、「大丈夫」「わかった」とたくさん返事した。さみしい気持ちより、緊張でいっぱいいっぱいだった。
夕方、タカハシで買った洋服とか、夏休み中に撮った写真とか、いろんなものをお母さんの自転車に積んで、よろよろと倒れそうになりながら、母方のおばあちゃん家に向かって押して歩いた。お母さんの自転車でいろんなところに行った思い出はこれが最後だった。
それからいろいろあって、私はお父さんに引き取られた。中学生の間は弟と一緒にワンルームのお母さん家に週末泊まりに行ってた。うれしい気持ちが裏目に出て、お母さんの前で弟とよくケンカをしていたら「お母さん悲しいな…」と言われてしまって2人でシュンとしたこともあった。
だんだんペースがあいて、外でしか会えなくなって、病気がちであまり会えないって聞いて、ひさびさに会ったら「お母さん、対人恐怖症になっちゃったんだ」って手を震わせながら私たちと話してくれて、その姿を見るのがキツくて、会うのが辛くなって、今は連絡も取らなくなってしまった。何やってんだろう、私は。
最近よく「母親になったとき子どもに同じことをしてあげられるかな」って考える。お母さんがお母さんとしてしてくれたたくさんのことを思い出して、幸せな気持ちになる。今なら1番楽しかったことだけを書いた良い作文が作れそうなのに。何やってんだろう、お母さんは。
または、大学三年生の皆さんは夏休みに1つくらいインターンに行った頃でしょうか。
長きに渡る研修が終わりようやく配属された。
隔離された環境で半数は地域採用という非常にクローズした工場に幽閉されてしまった。
当然、本社では進められている働き方改革もまだこの地域には普及しておらず、むしろ生産性のないローカルルールを覚えることから始まった。
気付いたら毎日暗い照明の工場のデスクで転職サイトを覗くようになっていた。
しかし、人事は初期配属は勤務地も考慮すると伝えてくれていた。にも関わらずだ。
若手の離職率は5割はあるとのこと。
私はどこで間違ってしまったのだろう。
就活後の配属面談時には、私生活の事情で東京に配属して欲しいと伝えました。その上で最低でも新幹線駅のある地域と要望は出したのです。
憧れの接客系アルバイトはとても楽しい。人と関わることが好きで、特にレジをやっているときの目を見て笑顔で接客する時間が割と好きだ。緊張するけれど。
だけど、わたしの働くところは所謂ブラックなバイト先だ、たぶん。ネットでも有名らしい。
わたしがその記事に気づいたのは採用が決まってからだったので、気の持ちようだ、と気持ちを前向きに頑張ってきたはずだった。
びっくりした。友人たちに夏休みの間、バイトで言われた嫌味について話していたら、顔をしかめ、「早くやめなよ」と即答された。そんなにやばいの?
自分で気づかないのもなかなかだけど、それより怖いと思ったのは嫌味を「あはは」って無意識のうちに受け流してること。メンタル成長してる、笑
早くやめたいなあ。
土木マンの朝は、早い。みんな、3連休?えっ!俺?もちろん連勤!!
どうも、https://anond.hatelabo.jp/20190203143227 を書いた増田です。
地獄の日々だった新東名 建設現場からなんとか生還し、平穏無事な日々を送っていたのですが、
夏休み明けから、またまた新東名の建設現場に来てしまいました!!!
えらい人からは「今回はデスマーチにならないから!」「ぜったぁぁぁい!だいじょーぶ!!」なんて言われて、
海から帰った日焼けした顔で、ウッキウキな気分のまま現場に乗り込んだわけですが・・・
「伊勢原JCT〜伊勢原大山IC間 新東名 年内開通へ前倒し」
https://www.townnews.co.jp/0405/2019/08/30/495593.html
※最初にみたニュースは大手新聞でしたが、見つからなかったので同じような見出しを貼っておきます。
「前倒し」って何?まだ、現場、はじまってもねーよ!!
どこをどうみたら、年内に前倒しできるんだよ!ふざけんな!!
神奈川県知事、静岡県知事とか、いい加減「開通祈念」のを辞めろよ。
そろいもそろって、いい加減で適当なことばかり言いやがって。
1人ぐらい「現場で働いているみなさんの労働条件は大丈夫ですか?」とか言えよ!
まずは国民、県民、市民、労働者の安全第一、健康第一だろぉぉぉ!!
睡運瞑菜 喝!!
休暇取得希望 喝!!
開通祈念辞 喝!!
適切工期確保 喝!!
適切品質確保 喝!!
根苦酢孤 意味不明 喝!!
しかし十分な休暇になったとされている。
ひたすら宿題に振り回される日々を過ごした。
自由研究のテーマは二転三転し、最終的に辿りついた『夏休みを有意義に過ごすには』は貴重な資料として重宝されている。
だが誇張して書かれていたり事実関係が疑わしい箇所も多く、参考資料として疑問視する者もいる。
様々な資料にて利己的な振る舞いが記されており、巷では資本主義の象徴として挙げられることが多い。
そうして夏休みに稼いだ資金は、現代に換算してなんと約5兆アノニにものぼる。
物欲がなく、趣味は携帯端末でゲームをするくらいだったため、埋蔵金になっているのではと噂されている。
旅行もせず、遠出もしない、これといったイベントもない毎日を過ごす。
しかし自由研究で描かれた自分たちの姿は、誰よりも輝いているように見えたという。
全てが終わったときに息抜きにかける時間も気力も残っておらず、残りの期間は意地で休んだという。
新しい副業が見つかるまで、学校でのバイトで何とか食いつないだとされる。
ただ彼に関する資料は皆無に近く、存在が具体的に明記されているのはマスダの自伝のみ。
このため話の種で都合よく登場させた、架空の人物なのではないかとする説が支配的である。
その後、お土産の砂糖菓子を仲間に振舞ったとされるが、どのような食べ物だったかは判明していない。
マスダの書いた半私書で「これ要冷蔵じゃないのか?」という記述があるのみである。
この夏に始めた、自宅で簡単にできるセラピーによってリフレッシュ。
しばらくは耳栓なしの穏やかな日々を過ごす。
しかし後年の捻くれた言動は、この時の副作用ではないかとする向きもある。
菓子目的でラジオ体操を続けていく中で、その動きは神の粋に洗練されていった。
仕事がだいたい定時で終わり、特に夜に遊ぶ予定もなく、あまり自炊もしないため簡単に夕食が済んでしまうので、食事のあと、風呂に入るまでネットサーフィンに費やし、各種SNSにアクセスして友達(ほとんどSNS上のね)の近況をチェックするのが習慣だった。どこかに出かければ写真をSNSにアップし、その後数日間は「イイネ!」が何個付くかを気にして過ごすのが常だった。
が、ある日突然夕食の後に眠気に襲われることが増えた。その分ネットにアクセスする時間が減り、目が覚めたらお風呂に入って寝直す日が増えた。特にそれで生活に支障はない。リアルに会う機会のある人の近況ぐらいは把握しておきたいが、自分は無理やりネタを作って投稿する感じだったので、そんなものに義理で「イイネ!」をもらっても仕方がない。
そして夏休みに海外に行ったとき、スケジュールがハードだったのと、時差の激しい異国から変な時間に労力をかけて「イイネ!」を押す意味がよく分からず、律儀にあちこちのSNSからの通知を伝えてくるスマホを極力無視して過ごした。たまに気になってアプリを開いてしまうこともあったけれど、日本の現実に引き戻されるのもイヤで何もせずに閉じた。
いっぱい写真を撮ってSNSにアップするつもりでそこそこ立派なカメラを持っていったけど、途中からカメラをぶら下げて歩くのが苦行になってきて、撮るのが楽しくなくなってしまった。それでもメモリーカードには大量の写真が残されていたけど、整理するのが面倒で、とりあえずあまりセレクトせずに実家の両親にだけ送った。
私の知人・友人はわりと写真を撮るのが好きな人が多いけれど、みんながみんなしょっちゅう自分のプライベートを公開しているわけではない。しゃかりきにネタを作って必死に投稿するのがバカバカしくなってきた。リアル知人とたまに会ったときに話題に困らない程度に皆の投稿をチェックし、自分のネタを投稿するのはほどほどにしようと思った。
特に落ちはないけどただそれだけ。
今の弟にとって、一ヶ月“も”残っている夏休みは一ヶ月“しか”残っていない。
吹きすさむ熱風は、既に秋を運んできていると感じている。
「やっぱり面倒くさい、難しいやつから片付けていこう」
弟はやらないと決めたらやらないが、やると決めたらやる。
つい先ほどまで全くやる気のなかった宿題を、今は無性にやりたくなっていた。
「ようし、まずは言語だ」
それらを組み合わせた雑多な表現。
弟はその言語の複雑さを理由に、この国に生まれたことをよく俺に愚痴っていた。
客観的に考えても有数の習得難度だとは思うが、弟の場合は書き取りなどの作業が嫌いなだけである。
そして嫌いなものが好きになるほど、やる気というものは魔法の力を持ってない。
こんな思考を巡らせている時点で、気力が持続するのも時間の問題だ。
このままでは、どの宿題から片付けるかで悩み、勉強の準備をしただけで力尽きる。
「あーみだ、アミーダ、阿弥陀籤~、漢字で書くとワケわかめ……ここ、もう一本引いとこ」
そこですぐさまアミダくじを作り、天に指示を仰ぐことにした。
こんなことをする位なら、書き取りの続きでもやったほうがいいとは思うが。
「……」
そうして決まったのが自由研究だった。
となると、今度はテーマを考えなければならない。
「これと……これだ」
そして書いた言葉に線を平行に引き、それらを繋ぐ横線を引いて梯子状に……
まあ、回りくどい説明を省いていうなら、とどのつまりアミダくじである。
「あーみだ、アミーダ……これかあ」
「要は働く人に取材して、こんな感じの仕事をしてまーすって、まとめればいいんだろ」
奇しくもドッペルの決めたテーマ、それに加えて方向性までカブってしまった。
確実に内容を比べられるし、手を抜く気まんまんの弟じゃあ圧倒的に見劣りする。
ドッペルは弟の格好をよく真似するが、今度は弟がドッペルの宿題を真似していると思われるかもしれない。
なんとも間の抜けた話である。
「取材は父さんのとこだな。いや、ここは母さんもアリか。家で取材できるから楽だし……あ、そういえば兄貴は今バイトだっけ」
そんなことを知る由もなく、弟はもはや直進を始めていた。
後はどこで曲がるかってだけだ。
どこに信頼要素があるかは分からないが、弟はこの短期間の間にアミダくじに判断丸投げだ。
もう自由研究を「アミダくじ」にしたらどうなんだってくらい、頼りっぱなしである。
提出期限は明日
もう間に合わない、間に合ったところで教授から渋い顔をされることは間違いない。
今までも結構なギリギリで片づける体質だったが、たとえ前日にやることになってもある程度のラインのものは作っていたのに、今回はそれすらできそうにない。前日なのにやる気もない、寝たい。
マッチングアプリで知り合った2人目と待ち合わせ、タリーズでカフェラテを飲みながら本を読んで待つ。連絡がある20時ごろになると緊張なのか手が震えてくる。店を出て店の前で待ってる。待てども来ない。緊急対応でオフィスに戻ったらしい。たしかコンサルだっけ。知らないけどお疲れ様だ。
というわけでドタキャン食らった私は栄の街を旅する。なかなか店が決まらずに彷徨う。イタリアンバルの店先にメニューを見ているとバイトのお兄さんに声をかけられる。まあここでいいかと店に入る。イタリアのビールを飲みながらサラダとナチョスをつまんで店員さんとおしゃべりする。
ドタキャン食らったこと。相手はマッチングアプリで知り合ったこと。彼氏に振られ、次の片想いもうまくいかず、寂しさと勢いでマッチングアプリを始めたこと。女子大生だといっぱいいいねが来て歪んだ承認欲求が満たされる気がすること。この間会った人は嫌な気はしなかったけど、今後どうしたいか自分でよくわからないこと。もし付き合った場合、家族や友達には出会いを明かしにくいこと。何も知らない店員さんだからこそなんでも話せた。
女子大生ブーストほんとすごい。いいねが3桁。自分が美人なのかと勘違いしてしまいそうになる。(ここになんとも言えない自意識の存在)
マッチングアプリでの出会いには抵抗感がある。大学生なんだからキャンパスやバイト先でのラブが自然というか、大学生そんな焦って恋人作らなくても。バイトと部活にぼちぼち行ってあとは寝るだけで一緒に旅行に行く友達もいないなんて寂しい夏休みを送ってるのがいけないのかな。忙しくなればどうでもよくなるかな。
先週のこと。一人目に出会った人は技術職の27歳。(ヤリモクを警戒して)アルコール無しの提案をしたらOKをくれたので会う前から少し信頼できた。メガネで穏やかな人だ。最初は緊張があったけど、次第に会話も弾んだ。持病の話も軽くできたし、おしゃべりで話しやすい人だった。帰り際に手を繋がれて、多少の動揺はあったものの悪い気はせず振りほどきはしなかった。次は来週末に会う約束がある。
二人目はコンサルの24歳。まだラインのやり取りしかしてないけど、最初からタメ口でいいよと提案してくれたり、文章から堅苦しさを感じない。少し手慣れているような感じもする。ただ個人的にコンサル男というものに悪い偏見を持っている。
今のところラインを交換しているのはこの二人だけ(他の人とのアプリのメッセージは面倒になって返してない)。この二人のどちらかと付き合うのだろうか。その場合片方とはどうやってやり取りを終えるのだろうか。
あと、マッチングアプリは恋愛のための出会いの場として機能してるわけで、出会った人たちとは恋愛ベースというか交際への道のりとしてのコミュニケーションが起こる。少し思わせぶりな態度や、恋人繋ぎに居心地の悪さがあった。信頼も情を構築するより速く恋愛が進行していく。友達から恋人になる場合とは明らかに違う。
そんな違和感を抱えつつもやめられないのは、きっと元彼から浴びるようにもらった承認と癒しをまた求めているからだろう。私の持病が一因で振られてしまったが、それまではめいいっぱいの愛情を注いでもらったと確信している。全く同じものを違う人に求めはしないけど、似たものが欲しくてたまらない。
アイス売りに暗雲たちこめ、ジメジメとした嫌な暑さがまとまわりついてきた。
そんな俺たちの状況なんて弟は露知らず。
というより興味もないだろう。
今のあいつにとっての急務は、もっと捉えどころのない“何か”だ。
少なくとも、タケモトさんの家で麦茶を飲むことが、そこに含まれているとは思えない。
「この部屋、寒くない? タケモトさん」
「カロリーを消費していないからだろ。エネルギー使いながらだと、これくらいが丁度いいんだよ」
タケモトさんは大人であり社会人でもあるが、そんな彼も長期休暇をとっていた。
「むしろ門前払いしなかっただけありがたかったと思え。こっちはやることがあるってのに」
弟のことはそっちのけで、タケモトさんはデスクワークに勤しんでいた。
この様子だと暇つぶしには付き合ってくれそうもない。
アテが外れた弟は、冷房のききすぎた部屋で冷やかすのが精一杯だった。
「この社会は誰かが休んでいるときも、誰かは働いてなきゃダメなんだよ」
つまり働く人がいない場合、そのシワ寄せは休んでいる人にくるってことだ。
「タケモトさんの働いている所、人手不足ってやつ?」
「そういうわけじゃねえが……いや、無能や怠け者を数に含めないなら、人手不足と表現してもいいか」
少し間をためて、噛みしめるようにタケモトさんは答える。
その無能や怠け者のことを思い出していたのだろう。
「休みなのに休めないなんて大変だね」
「別に休もうと思えば休める。オレがやらないなら、他の奴がやるだけだ」
「えー、じゃあ、やらなくていいじゃん」
「ガキのお前には分からねえかもしれんが、“休む”ってのと“何もしない”ってのは違うんだよ」
「“休む”と、“何もしない”……」
実のところ、俺がさっき言っていたことと大して変わらないのだが。
まあ身近な人間より、そこら辺の誰かが言っていることの方が響く年頃なのだろう。
「それは大人だったら分かること?」
それは遠回しに、「お前は無能・怠け者の予備軍だ」と言われているように弟は感じた。
「ガキは無敵だ。時間をドブに捨てても肥やしになってくれる。だが“大人の時間の無駄”は“正真正銘の無駄”だ。何の意味もない」
そして、続く言葉に弟は体を震わせる。
単に冷房のせいで体温が低下しただけなのだが、弟はタケモトさんの言ったことに身震いしたと錯覚した。
そもそもタケモトさんの家を訪ねたのはそれを聞くためだったはずだが、弟は今になって思い出したらしい、
「“やりたいこと”をやればいいんじゃないか? ないのなら見つける」
「“やりたいこと”って?」
「そういうのは自分で探すもんだろうが」
タケモトさんは露骨に舌打ちをした。
無理もないだろう。
片手間にするような話じゃないし、それにつけても弟の対応は手に余る。
「じゃあ……“やるべきこと”をやっとけ。そうしていれば、やりたいこともいずれ見えてくる」
それでも仕方なく、投げやり気味にタケモトさんは答えた。
「“やるべきこと”……」
「それぐらいは、さすがに分かるだろ」
「……宿題だ!」
「そうだ、宿題をやれ」
こんだけ理屈をこねておいて、結局は大人が子供によく言う、自明の理である。
「宿題という気がかりを失くしておけば、じっくり考える時間もできる!」
「そうだ、後顧の憂いを絶つんだ」
だが弟にとっては青天の霹靂といってもよかった。
捉え方が適切かどうかなんて、さして重要ではない。
歴史の偉人たちの言葉を借りるように、同じくタケモトさんの言葉を都合よく解釈したまでだ。
「善は急げ。宿題は己の宿る場所にある。マイホーム、ゴーホーム。さっさと家に帰れ」
「うん、ありがとう! タケモトさん!」
粗雑に囃し立てられながらも、弟は勢い良くタケモトさん宅を去った。
「……ま、やりたいことが見つかった時には、既にやれなくなってる……なんてこともあるがな」
弟が出て行ったのを見送ると、タケモトさんは意地悪そうに呟いた。
内心、だいぶ苛立っていたらしい。
真面目で、頭も良くて、おとなしめの人だ。
もう既に彼氏もいたし、正直、なんで私みたいなバカで不真面目な女に告白する気になったのか理解不能だった。因みに彼氏はその人とは正反対で、不真面目で私と同じようにバカで、明るいだけが取り柄みたいなやつだ。
とりあえず付き合うことは考えられないと断ったところ、ここ最近一緒にいてお互い楽しかったと思ったから、思い切って告白したとのことだ。
今年の夏休みにサークル活動の一環で他大学と交流する機会があったのだけど、私とその人は連絡係を任されて、何かと一緒に行動する時間が多かった。お昼や夕ご飯を一緒に食べたりもした。
あと、サークルでバーベキューをしたのだけど、その時も一緒に買い出ししたりした。
ただそれだけ。それなのに、なんで私なの?
私は人のこと好きになるのに、結構時間がかかるタイプで、彼氏と出会った時も、仲良くなるのに結構時間がかかったと思う。更に仲良くなってから付き合うようになるまで1年くらいかかった。
でも、この人とは普段全然絡んでない上に、たまたまここ1、2週間一緒にいることが多かっただけで私のこと好きになったってことだよね?
真面目で大人しそうな人だっただけに、何考えてるか分からないし、なんかチラチラ人のこと見てて、サークルに出るのがちょっと気持ち悪くなった。
未だにこんなことで悩んでるの自分だけかな。
休み開けたら夏休みの進展を発表することになってるけど自分は一体何を発表すればいいのやら。
儲かる理由は他にもある。
近くにはスポーツセンターがあり、夏休みには学生などの団体がそこを利用しているため客入りが良い。
特にコンビニなどの小売店や、他にアイスを売っているライバルがいないのも大きい。
しかも今回は“手伝ってくれる奴”もいるので、個人的にも楽な仕事だ。
「ご、ごごめん。おまたせ」
電話をしていたドッペルが戻ってきた。
いつも何か変装していて、どれが通常の格好なのか分からない子だ。
今は俺の弟を真似している
「随分と慌てていたが、緊急か?」
「う、ううん。マスダに遊びに行かないかって誘われただけ……」
「えーと……弟からか」
弟の格好をしたドッペルから、弟から誘いがあったという話をされる。
無駄にややこしくて、なんだか引っ掛けクイズを出されている気分になった。
「別にそっちを優先してくれてよかったんだぞ」
それのインタビューも兼ねて、俺達の仕事を手伝ってくれているわけだ。
「ええ子やんか。タダで働いてくれるなんて」
カン先輩が、ニヤニヤしながら俺に耳打ちしてくる。
人件費を抑えられるのがよほど嬉しいらしい。
「リアクションずれとんなあ、マスダよ」
カン先輩の考える正しいリアクションってやつを知らないんだから、そんなこと言われても困る。
「あの自由研究、十中八九あの子がその場で思いついたことやで。つまり目的は別にあるっちゅうこっちゃ」
そりゃあ見返りくらい、誰だって期待するだろう。
そんなことは、わざわざ言うまでもない。
「まあ、せめて売れ残ったアイスくらいはあげたらいいんじゃないですか」
「他人事かいな。どっちかっていうと、マスダがペイするべきやぞ」
なぜそうなる。
「カン先輩の仕事を手伝っているんだから、俺が払うのは違うでしょ」
「いやいや、あの子はワイの仕事を手伝うために来たんやなくて、“お前の手伝い”で来とるんやで」
さすがに守銭奴が過ぎる。
「マジか、お前……それボケで言っとるんか?」
「いや、別にアイスはあげてもええよ。でも、それとは別にお前も何かせえっつーてんの」
「絶対、分かってへんやろ……まあ、そっちの問題やし勝手にせい」
カン先輩の中で、あっという間に俺たちだけの問題になってしまった。
本気で言っていなかったとしても末恐ろしい。
「ふ、二人とも、これ見てよ」
俺達の会話が一区切り終えたところで、タイミングを見計らったかのようにドッペルが話しかけてきた。
「そのフェミニンな格好は……誰の真似だ? タオナケに似てなくもないが」
「マスダよお、まずは似合ってるかどうか言ったらんかい。それに、この格好はどっちかっていうとガーリーやで」
「そ、そそそっちじゃなくて、こっち見て」
「さっき西口にある、く、車で買ったんだ」
それって、つまり……
もう10年以上も前の話。
発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。
なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。
サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。
怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。
残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。
特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。
その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。
不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校の名前が出た。
志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。
妄想も、それはもういっぱいした。
あとは私が頑張れば、その妄想が現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。
塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。
試験会場には、もちろん彼がいた。
当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。
試験の出来はなかなかのもので、塾長からも合格だろうと言われた。
安心した私は、受験からの解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。
私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。
無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。
そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。
受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。
しかし、彼が来ることはなかった。
私は受かって、彼は落ちたのだ。
家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者、先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。
もちろん、嬉し涙ではなかった。
同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。
結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業。
高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。
どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。
彼の進学した学校は、体育祭も文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。
途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。
色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。
ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。
疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな。
この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。
結局、当時の彼とは遠距離がトリガーになり、振られてしまった。
相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。
忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。
当然、彼のことも懐かしむように思い出した。
すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前を検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー。
それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。
変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。
履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモードで検索した。
すると、彼らしき人物がヒットした。
作風を見る限り、本人に違いなかった。
私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものでしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。
一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。
初恋の人の名前を検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。
きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。
けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。
何もしないことにだって意味を見出せる、だなんて気取ってはみても退屈なものは退屈だ。
俺が家を出ると部屋は一気に静寂に包まれ、残された弟はソワソワしだした。
「何か、何かしたいなあ」
宿題はやるべきことではあっても、やりたいことではないからだ。
弟は今日やると決めたことは全力でやるが、やらないと決めたら全力でやらないのである。
「キトゥン~……いないのか」
飼っている猫と遊ぼうとするが、呼んでも気配がない。
どうやら、どこかに遊びに行っているようだ。
「あーあ、キトゥンですら何かしてるのになあ」
両親も外出しており、家にいるのは自分だけ。
俺だったら好都合な空間だが、弟は孤独そのものに娯楽性を見出せない。
「……仲間に連絡してみるか」
では友達と遊ぼうと、いつも連れ立っているメンバーを誘ってみるが尽く全滅。
「俺にじゃなくて、ホテルの人に言ってくれ」
「と、とにかく今日は一人でいたいんだ」
「えー、でも外いるだろ? 音が漏れてる」
「と、とと、とにかく無理だから! とにかく!」
とにかくドッペルは掴み所のないことを言って、とにかく断ってきた。
「メイキョ……なんて?」
「あれ、『ゼブラセラピー』をご存じない? 自宅で簡単にできる……」
ミミセンは何か、よく分からないことをやってる。
「となると、後はシロクロしかいないけど……」
各地を練り歩き、朝昼晩ずっとやっているガチ勢だと噂になっている。
既にお菓子の詰め合わせは手中にあり、次はお菓子の詰め合わせVer.2のために日夜体操しているらしい。
「……やばいな、俺だけ何もしてないじゃんか」
弟は焦っていた。
無理に捻り出して何かをする必要もないだろうに、みんな何かしらやっているという事実に囃し立てられた。
今まで大抵のことは家族や仲間たちと共にやってきたから、一人前提で何かをやる発想力がなかったんだ。
「そうだ、タケモトさんだ……夏休みの先輩に知恵を授かろう」
私は中高が一貫の女子校で、その間ずっと恋する乙女だった。恋した相手の数は4人。すべて片想いだった。それでも楽しかった。しかし女でありながら女の人を好きだと言うのを周囲にバレるわけもいかず、恋バナなんてしたことがなかった。高校を卒業してから何年も経ち、多くの友人は共学の大学に通うようになったり、バイト先や職場で新しい出会いがあるらしく、日々好きな異性のことを沢山話してくれるようになった。聞いていて楽しいけれど、自分も中高の頃隠さずにこんな風に片想いの話を彼女達と共有できていたらさぞかし楽しかっただろうなと思うので覚えている思い出を放出する。前置きが長くなってしまって申し訳ない。とても長い内容のうえに素人文章なのでご注意
中学の時に好きになったのは、同じ陸上部の三個上のA先輩だった。一年生でまだまだガキだった私はそれが恋とは知らなかったけれど、校内で見かけるたびにドキドキしてしまうのでうまく挨拶ができなくて先輩方に叱られた。一年として学年全体で怒られた後に、私に「うちらも怒りたくて怒ってるわけじゃないよ。悲しまないでね。現状を良くしたいだけなの」とフォローしてくれた。一年は居残り時間が30分短く、先輩よりは下校時間が早くて一緒に変えることはできなかった。何かと理由をつけて部活後も校内に残って待ち伏せしたけど話しかけることはできなかった。きもいな。恋だとはわからないままでも自分はすごく乙女だった。部活の汗の匂いが気になって近寄って欲しいけど近寄れなかったり、少しでも可愛くなりたくてスキンケア用品もお小遣い貯めて買ってみたりした。(とはいっても洗顔料と化粧水だけ)。部活中は一つ結びしか許されていなかったから、無礼講の部内クリスマスパーティでは髪型を少し変えて気づいてもらえるか試したりした。気づいてはもらえなかった。
中2の時に好きになったのは当時仲が良かった友達Bちゃん。体育祭の時に疲れたと愚痴ると膝枕をしてくれた。その子自身は体育の男性教員が好きだったからいつも胸がモヤモヤしていた。夏休み、家族でハワイ旅行に行った時に友達用にお土産を大量買いしたけれど、彼女にはちょっと特別なものを他の子にバレないようにあげた。その時の笑顔が忘れられないほど綺麗だった。でも恋だとは自覚しないまま終わった。
高一の時に好きになったのは同じクラスのcさんだった。すごく仲がいいわけでもなく、勝手に好きになっていた。席替えで隣の席になれた時にすごく嬉しくて、夏休みに入る目前、恋だと自覚した。自覚してしまうといろいろ早くて(思春期なのもあって)キスしたい、ハグしたい、裸で触れ合いたいとか思うことが増えたけど、そんなことは顔に出すわけにはいかない。夜1人で妄想して、朝になったら忘れて何事もなかったかのように隣の席に座った。挙動不審にならないようにわざと冷たく当たってみたりもした。それでも彼女は優しくて、廊下とかですれ違っても「よっ!」と肩を叩いたりしてくれた。久しぶりに私から話しかけると、「やっと話しかけてくれた…無視されて辛かった」と言ってくれたけれど、彼女のそれが恋愛感情からくるものじゃないのは明らかだった。誰にでも優しくて、他人に注意を払うのがとてもうまかった。夕暮れで視界が悪いのに下校途中で私に気づいて手を振ってくれるのはすごく嬉しかった。
高3になってもcのことが好きだった。毎年クラス替えがあったけれど、また同じクラスになった。すごくすごく辛かった。クラスの中心的なその子と話す機会は減った。でもまた奇跡的に隣の席になれた。天にも昇る心地だった。脳内お花畑だったからこれはもう運命では?とさえ思った。調理実習で作ったクッキーを食べて欲しかったけど、スムーズに渡せなくて、席が近隣の子達におすそ分けって苦しい名目で周りに配ったら別の子Dに全部食べられてしまってCの手に渡ることはなかった。Dには怒りが湧いたけれど「美味しかったご馳走さま」と言ってくれたので許した。
しばらくして漫画みたいな出来事が起こった。Dが同じ町内にひっこしてきた。歩いて五分くらいの距離に。私の高校は私立で、近所に同じ学校の人がいるという感覚がこれまでなかったので純粋に嬉しかった。これによって謝恩会の準備や話し合いが放課後に近所でできるようになって純粋に楽だった。実は、もともとDの印象はすこぶる悪かった。Dは中3のとき、離れ離れのクラスになったBが新しいクラスで仲良くしていた子だったから。当時Bが好きだった私は勝手にBを取られたような気でどうしてもDを好きになれなかった。
高3になるとみんな受験で忙しくて、委員会なんてする人はいなくなった。でもクラスに必ず数人いなくてはならない卒業式後の謝恩会委員というポジションがあった。これがなかなか決まらないため、ホームルームが終わらない。Dが一緒にやろうと言ってきた。お前は受験はいいのか、と思いながらほかに立候補者もいないし、なんとなくすることにした。私のクラスは私たち2人だけだった。謝恩会委員はやることが意外に多くて、Dの受験が純粋に心配になった。私はAO推薦でほぼ確定だったので積極的に作業していた…と思う。ある日、Dの分である作業をなんとなく勝手に進めているととても感謝されて腰のあたりに抱きつかれた。cの前だったから恥ずかしくて腕を振りほどいた。CとDは髪型がとてもよく似ていた。うちの高校はキリスト教だったので、全員強制参加の式典が年に何度かあった。秋のある日の式典で、私はどうしても暇でCを目で追ってしまった。それに偶然気づいたDが小さく手を振ってきた。お前じゃない、と思いながらも実はちょっときゅんとした。
ある日の放課後、雑談をしながら謝恩会の作業中、何気もなしに部活の後輩が好きだったことがあると言ってきた。とてもびっくりした。自分も女子校内で片恋ばっかしている人間だったけれど、それを他人に話すということが異文化すぎた。気が動転してそれからしばらくはDのことを避けてしまった。
冬になってまた別の校内式典があった。それは義務ではなくて、行きたい人が行くものだった。99.9%の人が大学進学を希望するのでクラスの中では本番の迫る受験のために欠席する人、気休めと文字通り神頼みのために参加する人の二分だった。CもDもとても頭が良かったから参加するかどうかなんとなく気になった。Cは来ないというのを教室内の会話で知ってがっかりしたが、Dは来ると言っていた。なぜかとても嬉しかった。もしかしたらこれが終わって三学期になれば自由登校で友達に会えなくなるからかもしれないと勝手に納得した。
それからしばらくしてDに放課後に呼び出された。理由は私が避けすぎたためだったらしい。Dは私が最近は目も合わせてくれないと言って泣いた。とても驚いた。避けている自覚はあったけれど目を合わせていないなんて自覚はなかった。だから今度は目を見て話を聞こうと思った。でも出来なかった。そこで初めて私はDが好きなんだと自覚した。目を合わせられないのはあの有名な歌詞通り、見つめ合うと素直におしゃべりできないからだった。急に恥ずかしくなって帰りたくなった。でも帰ったら一緒にいられないと思うとどうすれば良いのかわからなくなって、とりあえず適当に謝ってから家が近所なこともあって一緒に帰った。
謝ったと言ってもそれでまたDとおしゃべりなんてできるようになるわけがなく、言いたいことは全部紙に書いて伝えるようになった。本当に恥ずかしくて会話ができない。でもDと交流したい。Dは手紙にして返事をくれたりした。とても嬉しかった。それから冬休みに入って、三学期になって学校に行くことがなくなっても手紙のやり取りは双方にとって近所の公園に貼り付けるという約束になって続いた。
バレンタインになった。何か渡したいけれども渡す時間を取らせるのも申し訳ない。公園に手紙と一緒に食べ物を置くのも憚られる。代わりに手作りで学業成就のお守りを使って置いておいた(重い上にキモい)。お世辞だろうとも喜んでくれた旨が手紙に書かれていた。嬉しくて家でニヤニヤしていたら家族にキモいと叱られた。
その後、彼女の第一志望の受験前日は3つも神社をお参りしてクジを引いたら大吉だった。うれしくなって、おみくじのことと、明日の受験頑張れと書いた手紙を貼った。結果発表の日が過ぎてもDから連絡は来なかった。催促するのもよろしくないのでそれから次の登校日まで待った。
合格者発表から数日経った次の登校日、学校に行くとほぼ全員受験のストレスから解放されていた。教室ではDが他の子達となんと恋バナをしていた。他のクラスメートたちが、受験期中に同じ塾の男の子相手に密かに恋をしていたこととかを話していた。D自身はどうなんだろうか、不安になった。聞きたいけど怖くて聞きたくないので「いいなぁ楽しそう。もっといろいろ聞かせて?」と他の子に聞いた。するとDが「じゃあ〇〇も恋バナすればいいじゃん。好きな人いないの?」と聞いてきた。胸がとても痛かった。その日のうちにD本人から、実は第一志望に合格していたと聞いた。嬉しかったけれど、どうしてすぐに伝えてくれなかったんだろう。そんなこと話す間柄とすら思ってもらえてないのかと、また胸が痛くなった。
卒業式の帰り、謝恩会も無事終わり、クラスの打ち上げも解散に近づいた頃、Dに、今日は一緒に帰ろうと言ってもらえた。とても嬉しかった。私の大学は地方だったから多分これがDに理由もなく会える最後だと思うと泣きたくなった。帰り道は何も話さなかった。誤差の範囲だけれどDの家に先についた。お別れの時だ、と思ったら、Dがマンションの共有スペースまで上げてくれた。一緒にケーキを食べた。告白するべきかしないべきか、すごく悩んでケーキを食べ終わってもずっと無言で泣いてしまった。Dは私が何かいうのを待っているようだった。その時、母親からもう帰って来いと電話が来たので仕方なくさよならを言った。Dは地方でも頑張ってと応援してくれた。私は泣きながら短い距離を帰った。
本当のところはわからないけれど、おそらくDは私がDを好きだと気付いていたんだと思う。でもわたしには告白する勇気もなければ、このあと地方に自分は行くのに、Dが大学で彼氏を作るのを見ているのは辛くて無理だった。大学に入ってしばらくして、私は、自身では記憶にないが飲み会で盛大に酔っ払ったらしく、ライン電話でDに泣きながら告白していたらしい、というのは飲み会に参加していた別の友人に聞いた。Dのリアクションはわからない。電話口だったので私にしか聞こえていなかったし、私本人が酔って忘れてしまった。そのうち、私が1回目の帰省をする頃には風の噂でDに年上の彼氏ができたことを聞いた。私は泣いた。多分もうDとも関わることなんて、同窓会以外ないだろう。私はいつまであの時に囚われているのかわからないけれど、あれ以来人を好きになったことがない。もう22だけれど、中高で経験した以上の恋愛ができる気がしない。それでもいいと思っている。後悔もない。充実した青春だったし。これが私が学生時代、仲の良かった友人としてみたくても出来なかった恋バナの内容。
エビデンスが欲しければ、弟に訊ねてみるといい。
自由研究で3日かけた超大作を見せてくれる。
それによると、夏休みで満足感を得られる人間は1割にも満たないらしい。
消費税より低い割合に驚くべきか、つくづく消費税が高いことに驚くべきか。
だけど確かなのは、いずれにしろ夏休みの終わりは平等に訪れるってこと。
寝ている間にも心臓は動くし、時計の針だって止まってくれない。
だったら全力で楽しむにこしたことはないだろう。
弟の自由研究を信じられるかはともかく、その点ではコンセンサスが取れている。
にも関わらず、ほとんどの人間がそれをできないのはなぜだろう。
そして山のような積まれた宿題と共に、それは険しく立ちふさがるんだ。
……なんて、前置きで大層なことを語ってはみたものの、俺たち兄弟の夏休みは極めて緩やかに始まった。
「なんだ、いま起きたのか。どうやら弟の宿題は、『惰眠』の辞書解説に自分の名前を載せることらしい」
「そういう兄貴こそ寝癖ついてんじゃん」
いつもなら起きている時間に寝て、いつもなら外にいる時間に家にいた。
一見すると何もしていないようだけど、無為なことだって休暇の内さ。
それに、いつまでもそうしているわけじゃない。
俺は寝癖を直しながら、必要なものをバッグに詰める作業をする。
「なんだそりゃ」
「普段から何もしていない人間の“何もしていない”は、文字通り何もしていないのとイコールだってことだ」
「ふっ、まだまだガキだな」
何かをしてこそ、何もしないことにも意味を見出せる。
そう言いたかったんだが、正直なところ自分でも訳の分からないことを言っていたと思う。