はてなキーワード: 土地とは
なぜ遠い先祖が暮らしていた土地に戻らないとならないのかよく分からない。自分たちにとって住み良い場所に移動し、より住みよくなるよう改善していく。それでいいじゃない。
30代半ばだけど、友達と呼べるような人はほとんど存在しなかった。学校には行っていたし就職もした。様々な土地に暮らし、今は関東圏のちょっと田舎で生活してる。いたって普通だ。
そんな俺にとって現在友達と呼べる人間はいない。どうやって作るのかもわからない。
とある特殊なゲームを通じて知り合った人はたくさんいるけど、SNS越しだから本名や住所は知らない。そういうのは普通なんだろうけど、いわゆる「ダチ」と呼べる人間がいない。
そういう仲間とは飲みにもいくし、ちょっとした自主企画のイベントも行う。社会人サークルがちょっと大規模になった奴なんだけど、比較的良好な関係ではある。だけど「ダチ」じゃないとは思う。
ダチってなんだろうね。
さしで飲める人同士?付き合いの長さ?肉体関係?まあ男女間に友情なんてないだろうけど。
例えば結婚式を開くとしたら彼らを招待することはできる。いまさら本名を公開して駄目な間柄ではないし。なんだけど、どこか引っかかる。
そうやろか。現実の覇権争いは、土地・資源・物資の奪い合い、上限があるものの奪い合いが前提にあるので、現実の資源の価値が相対的に下がれば拡張路線が虚しくなるだろう。
自分が女の子ではなく男になりたいのだと確信を得たのは中学か、小学の最終学年だったと思う。少なくとも5年生ごろには一人称を俺にしていた。人前や親の前では私だったけど。
幼くして既にネットに触れていたことの悪影響がなかったとは言えないが、少なくとも成人を目前にする今まで、男になりたいという思いは変わっていない。
中学生の頃にそれを姉にこぼすと、幼い頃は普通にスカートを履いていたし女の子らしくピンクの服を着ていたのだから、それはただの勘違いだ、中二病の一種だと言われた。自分はそれを否定できなかった。
生理痛が重いとか、家事や掃除ができないとか、いろいろな「女でいたくない理由」が男になりたいという気持ちにすり替わっているのではないかと思ったことも多々ある。
自分が恋をしたことがないせいで性対象が男性か女性かもよくわからなかったのもややこしかった。
けれど自分は家事ができて家を守ってくれるような女の子らしい女の子が好きで、そういう子を一途に愛して、その子がお嫁さんになってくれたら、それはとても幸せだと思う。
比較的年寄りに育てられたから、古い思考をしているのも自覚している。
そしてこれはあくまで自分の願望なので、そんな子今時いないとか、女の子らしくなかったら女の子じゃないのかとか、そういった意見は今は求めていない。時代に逆行した考えなのもわかっている。
但し書きをすると、これは積極的に叶えようとしている願いではない。女の子にお嫁さんになってほしいことが、イコールで女性と恋愛したいということではなく、自分が誰かと恋愛をするということを実感を持って考えられないからだ。
自分がただの同性愛者なのか、本当に性同一性障害なのか、あるいはAセクシャルなのか、この歳になってもよくわからない。
近くにそういった病院がないため、臆病で人見知りでコミュ障な自分が1人で遠出して見知らぬ土地の精神科にかかるのも恐ろしい。
もしこれが気の迷いだと医者から否定されたら耐えられないし、逆に病気だと診断されてもどうもできない。
周りの子はつぎつぎメイクやおしゃれに目覚めて、女の子になっていく。同じサブカルオタクだと思っていた子ですらそうで、年を重ねるごとに話が合わなくなっていく。
男と友人として話すのは楽しくはあるが、女の子扱いをされて苦痛に思うこともあるし、一度男性から告白されたことがトラウマになっているのもあって乗り切れない。(告白してきた男は普通に良い人で落ち度もなかった。単に自分の変わった所による不具合だ)
このまま一生友人を作れず孤独で生きていくのかもしれない。まあ、それならそれで構わないとも思えるようになったのだが。
書くのにも飽きてきたからまとめようと思うが、ここまで書いておいて性転換手術を受けようとは思っていない。
文字通り体を削って偽物をひっつけても、勃起も射精もできないなら虚しくなるだけだと思うからだ。自分の後ろ向きな性格はよくわかっている。
今はとりあえず稼げる仕事について、数年以内に子宮を取りたいという一心で勉強している。少なくとも月に一度の地獄からは解放されたい。
あーあ、奇跡が起こって目覚めたら男になっていればいいのに!
住居コスト、子育てコストは上京組よりも東京生まれのほうが安いだろうなとは思う。
上京組はまず多額のお金を住居コストにかけなくてはいけない。3LDKの狭小住宅を35年ローンでひーひー言いながら購入。
一方、東京生まれで親が土地持ちだと購入すると1億以上余裕でいくような5LDK以上の庭付き一戸建てを難なくゲット。
固定資産税が高いという人もいるが、同じものを賃貸で借りるのの5-10%程度の値段で居住可能なので上京組以上の家に住みながら、資金にかなりの余裕ができる。
子育ても上京組が夫婦で何とか回してあとは保育園くらいしかないのに対し、東京生まれだと困った時の親頼みが使える。
親が事業などをしていると、事実上親に子供を預けられたとしても、親が忙しいからと保育園ポイントを減らさないというチートが可能。
ひな祭りや誕生日会などのイベントで親を召喚して準備をしてもらえるので子供の行事は親の体力をそんなに減らさないでできる。
子供を合づけたり、食事などの差し入れなど、育児・家事にかける労力も親に投げることで減らせる。
北海道暮らし、これからの時代にはいいかもなぁ。土地も広いから探せば安いところもあるのかな。北海道の行政サービスがギリギリあるところに住んで、VRゴーグルでトリップしながらリモートワークして、一面銀色の景色の中に埋もれていくんだ…。
https://sgymtic.hatenablog.com/entry/2020/06/13/162824
取手に対抗してみる。他の町も見てみたい。
進学・就職で実家を離れるまでは似たようなエリアで暮らしていたので特に心配していなかったが、違う路線での長距離の電車通勤はこれまで経験がないので実際やってみるとどうなのだろうという不安はあった。 結論から言うと通勤含めて概ね予想通りではあったのだが、いくつかの観点での感想を書いていく。
都内で高級マンションに住む事に比べてどうなのかは知らない(まあ負けるだろう)が、少なくとも都内に安い家賃で無理して暮らしていた頃に比べると快適である。
そもそもこのあたりは建築規制があってマンションが少ないのだが、賃貸でも庭付きの家に住める。眺めていると煙突のある家がちらほらある。夢のマイホームに薪ストーブや暖炉を備えた家たちだ。
騒音だけじゃないが、マンションは左右上下の住人を選べないので、地雷に当たってノイローゼになりそうになったことがある。
蚊、クモ、蛾のような不快害虫はもちろん、立地によってはゲジゲジやムカデ、ハチなども現れる。しかし野鳥も多いし、カニも取れるし、魚も釣れるし、自然の多い環境を求めてきたので望むところである。ビデオ会議中にウグイスのリアル鳴き声を何かのアラーム音と勘違いされたことがある。
海と山が近いせいか、夏は都心に比べれば全然涼しく、就寝時にエアコンを使うことはまれ。冬はそれほど違うとは思わないが、それでもやはり多少温暖で、東京で雪が積もっても、こちらでは積もらないことが多い。
ウインドサーフィン、スタンドアップパドル、カヤックなどが盛ん。サーフィンは普段は波がないので向いてないが、台風や大きな低気圧が過ぎた後は、会社をさぼって波とたわむれる人たちが現れる。マリンスポーツしなくても、砂浜を散歩するだけでも楽しい。夕焼けの富士山と江ノ島がきれい。
三浦半島は自転車半島宣言というものをしているせいか、週末はロードがたくさん来る(道は狭いところが多いけど)
個人的にも家族としても商業施設を娯楽として求めたい気持ちがないのでそんなに困らないが、ショッピングを娯楽と考えると、横須賀か横浜あたりに出る必要がある。自分はイオンなどないほうが嬉しい。ハリウッドや日本の娯楽映画は見れないが、ミニシアターがあって通好みの作品を上映しているのは、近隣の自治体にはない楽しみ。
水族館:八景島シーパラダイス(遊園地併設)、新江ノ島水族館、油壺マリンパーク
動物園:金沢動物園、(少し離れるが)野毛山動物園、市内の披露山公園にはニホンザルやその他小動物が飼われている
当然ながら利便性では都内には敵わないが、意外とそこまで不便ではない。
逗子駅は湘南新宿ラインの始発で確実に座れる。通常の横須賀線も車両の増結があるし、そもそも東海道線ほど混んでないので座れる確率が高い。京急線の逗子・葉山駅も始発。座れてしまえば今はスマホという便利なものがあるので、長距離通勤もそこまで苦痛ではない。新型コロナのせいで通勤がなくなったら、通勤時に読んでいた本やマンガなどが溜まってしまった。JRと京急、二路線使えるので、事故でどちらかが動かない場合でも振替輸送で帰ってこれる。
さらにいうと、羽田空港も成田空港も乗り換えなしで直結している。(成田行くなら、乗り換えてNEX乗るけど)
東京からの終電は意外と早くない。むしろ山手線内に住んでいたときは、インバウンドの地下鉄は遅くまでやっていないので、油断して終電を逃しタクシーを使わざるを得ないことがしばしあった。距離を理由に二次会、三次会と付きあわなくていいのも、人によってはメリットだろう。
JR横須賀線の逗子行き最終列車は品川駅23:59発で、山手線の恵比寿駅でも23:49発の電車に乗れば間に合う。使ったことはないが、いざというときには新橋0:40、品川0:55発の深夜バスというのもある。
チェーン店が少ない一方、美味しくて個性的な店がたくさんあるので、食は充実している。スーパーはEveryday Low Priceのオーケーストア、創業118周年のスズキヤなどがあり、日常生活の食料品やちょっとこだわりの調味料、消耗品の買い物には困らない。当初ホームセンターがないのが不便と思ったが、地元の金物屋と後はMonotaROなどのネット通販で間に合ってる。
Uber Eats や Prime Now はないけど、新型コロナ下の状況に対応すべくズーバーイーツなんていう地元のサービスが出てくるのが、都心にはない楽しみ。
山も海もある環境なので運動不足になってないし、ストレスもたまっていない。最近同僚からも安い Airbnb 物件などないか問い合わせがある。
元々、東京に住んでいたときは、部屋の中にずっといるのもつまらないので、週末ごとに電車や車でどこかに出かけることを考えていたが、引越してからは地元ぶらぶらしてるだけで、景色もいいし、美味しいごはんも食べれるので、電車や車で出かけることが減った。
神奈川の湘南沿岸は距離に比べると割高な感じは否めなく(海が見えるだけで土地代が違う)、480万で家を買うことは不可能だが、それを補って余りあるものがあると感じている。横須賀以南だと通勤圏にも関わらず限界集落も生まれており、掘り出し物件もあるかもしれない。先日もゼロ円物件が話題になっていた。
旅しても人生観は変わらないだろ。変わるのは世界観。それにしたって、日本は経済的にも文化的にも欧米化され過ぎてるから、日本で育った人が欧米を旅しても世界観は大して変わらなさそう。中国についても日本は古代から延々とその文化の恩恵を受けてるから、どちらかというと馴染み深く感じてしまう側面が多い。
なので、欧米中以外で、見たことも聞いたこともなかったような土地を旅するなら世界観が変わるかも。いや、変わるという表現も正確ではないか。世界観が拡がる、かな。
部屋を掃除する。
ソファやねこタワー、キッチンテーブルを寄せ、箒でフロアを隅々まで掃き、清め、空気を入れ替え、洗濯物は洗濯を、洗い物は洗い物をして、ゴミ出しをする。
そうしてものを元の位置に戻す。ねこは模様替えがきらいである。だから極力、もとの通りに。
それまで洗濯物が積まれていた座布団の上、猫の毛がたまっていた絨毯やフローリングの端、隅、ものを寄せて生まれた新たな動線。
ひとまわりし、こちらにいちど立ち寄って頬を寄せてから、新天地に鎮座し、そのうしろあたまさんは、まるで隣に寝そべる下僕を守護する者の象徴のようでもある。
新鮮な水に汲み換えながら、下僕は思う。「また、こまめに掃除をしよう。なんていい気分だ。こんなことなら、ねこちゃんのために、もっと早くすればよかった」
そして下僕は別れた女や、亡くした母親のことを思い出す。わざわざ、思い出すことなんてないのに。
「おれに片付けをさせるのに、やいのやいのいわなくてもよかったんだ。ね、○○ちゃん」
「にゃーん」
都内で家を探していて感じ
4位・タワマン住んでる奴
それなりの金払って買っていて
土地面積辺りの住人数も多いので
ある程度許せる部分はある
女も不動産も競合する
2位・駅近の一等地にクソ古い民家を相続して、家だけ建て直す奴
面積辺りの住人数最低
古い家がダメになるまでは大目に見ても、親が死んだらどこからともなく戻ってきて、上物だけ建て直して住み始めるなよ
消防車も入れないし
売れよ
こだわってないんじゃなく結局その土地の水で料理をするのがその土地のお客さんに受け入れられやすいってこと。
アルカリイオン水とかマイナスイオン水とか妙な水でだしを引くことを謳っていた店もあったけど主流派にはならないでしょ
ある程度あちこちで修業した料理人なら水(の硬度)によってスープやだしの味・香り・色が変わることぐらい誰でも知ってるよ。
古典的な飲食ならある一瞬だけ注目を浴びるようなアプローチはだめだ。その土地で受け入れられるものでないと続かない。
イキり若手コンサルかな?
だいぶ前にIngressをやっていました。
地方に住んでいるのでポータルも少なく、始めた当初はポータルのレゾネーターを破壊することはできないし、
うちの地方で破壊できるレベルの人は、破壊後にレゾネータ全部入れちゃうので他人がいれることはできなかった。
もうゲームになっていないとは思ったんだけど、ポータルが増えれば状況が変わるのかなと思って、
申請した場所は、公園のモニュメントや地元の歴史を伝える看板、お寺や神社、お地蔵さんでした。
みんな、住宅街の中にあったんです。この時は問題が起こるとは思わなかった。
特定の場所でゲームしてるだけの行為がこんなに迷惑を引き起こすとは思わなかった。
僕は歩きと自転車でゲームをしていたんですが、みんな車でポータルに乗り付けてきた。
最初に目についたのは渋滞です。1台止まっている車を追い越すくらいが限界の道に
2つ目はモラルのないプレイヤーがいるようで、周囲を通る女性に声をかける馬鹿がいた。
自宅の前に知らない車が止まっていて、何やってるかわからない。
車の中にじっとしている人に声をかけるってすごく怖い。犯罪者かもしれないし。
周囲に住む男性陣が自警団を結成して、止まってる車に声をかけて話を聞いたり、
無視するプレイヤーは車で追いかけて自宅を特定したりするようになりました。
一番自宅に近いポータルで以上のような状況になりましたので、自分の申請したポータルを
一通り見てみました。ほぼ毎日リンクが貼り直されています。毎日誰かきてる。
そもそも自分が遊ぶためのポータルでしたので、実地でも確認してきました。
みんな車だなあ。ゲームしてた時にも思ってたけど。
ゲームしてない周囲の住民にとってダメなポータルはわかってきました。
公園は大丈夫。車を止めるスペースがあるし、住宅から離れている。
看板とお地蔵さんはアウト。そもそも周囲で車が止まっても大丈夫な地形になってない上に、数m先に住宅が密集してる。
神社とお寺もアウト。結構な数のポータルで、「不審者に注意」という看板が新たにできてました。
このような状況になりまして、事件や事故につながるのは時間の問題だと思って
僕が申請してできたポータルなのに、僕には削除の申請はできないのね。
まずナイアンテックに相談するわけですが、ポータルのできてる「施設の所有者から申請をしてもらう」必要があります。
ただ、細かい条件が大変だった。「施設のドメインのメールアドレス」を使って、「施設所有者の名刺」の画像を添付して申請します。
ポータルは地元の歴史を伝える看板でした。この件はかなり楽な方だった。
ポータルに一番近い家の人に聞いてみました。今回は顔見知りの家だったので楽でしたが、知らない人の家だとハードル高いな。
で、土地所有者がわかりました。その人も顔見知り。よかった。
土地所有者は80代の人。かろうじてドコモの携帯メールは持っていたが、仕事は引退してるので名刺はない。
この時点でナイアンテックに言われた条件は達成できそうにないので、ナイアンテックに相談しました。
土地所有者から直接ナイアンテックまで連絡をください。と言われてしまいました。
今回の話を土地所有者にしているので多少楽だと思うんですが、インターネットしたことない人だよ?
だから僕が代行して申請してるんですけど、僕が出した情報以上のものが出るとは思えない。
しかも土地所有者はIngressで困ってないんですよ。近くに住んでないから。困ってるのは周囲の住民。一番困ってるのは作っちゃった僕。
仕方ないので看板を作ったんじゃないかな?と思われる市役所に相談しました。
市役所の人も初めての話だったようですが、施設のドメインのメールと名刺がないと削除申請できないという話をしたら、
話が纏まったので、ナイアンテックに「市役所が代行してくれることになりました。市役所からの削除申請でも通りますか?」
と聞いたら、ポータルを削除しましたという返事が来ました。市役所が動く前に。
こんな形で一件落着となりました。まだ100件以上あるけどな!
ナイアンテックのポータル削除処理は人のいる施設のことしか考えられてなく、
無人の施設で、周囲の住民の訴えで消してもらうのは難しいことがわかりました。
所有者を探すのはかなり大変です。最初から市役所に相談した方が良いかも。
今回の1件、なんだかんだで1ヶ月かかりました。全部消そうとすると8年以上かかるのか・・・
2016年の国の方の「無電柱化の推進に関する法律」で国交省が動き出したのが大きいけど、都でも条例が制定されて後押しされやすくなった事自体が大きな成果だよ。「無電柱化の推進に関する法律」も国会議員時代の小池が参加してたね。
現場ではその時点で計画されていた無電柱化を前倒ししていく動きも生まれた。まぁ各事業者ができる範囲で計画してきた工期を縮めるのは無理があってそこまで縮んでる訳じゃないが。
元々、無電柱化工事なんて数百mの1工区の範囲でも全体を通して4,5年は軽くかかるような工事なので、条例が制定されてから前倒しになった最初の計画すら終わらんレベルなので「電柱ゼロ」の結果自体は任期一期程度で絶対に達成できるようなもんじゃないよ。
海外みたいに素早くできないのかって?土地も余ってて地震も心配しないなら広い歩道に軽く埋めるだけでいい海外の方式でもいいけど。無電柱化って一番は防災が目的でしょう。その辺りは国交省が検討してるので興味あれば調べてみてくれ
無電柱化を進めるのに一番大事なのは「国」と「都道府県」の連携で、国道を埋めるのにも交差する都道側と協議はするし都道を埋めるのにも交差する国道側と協議もするし連携は必須だ。
お互いの関係者がより迅速に無電柱化を進めていく決まりになって100年かかる大事業が90年で済むかもしれないきっかけ作りにはなったはずでそこは評価すべきだと思う。
拙者、TESシリーズもFOシリーズもすこすこの民(いうてTESは3~5、FoはNVと3と4だけしかしてないが)と申す。
ESOがDMMで900円も出せば買えるので買ったに至ったでござるがクソたのしい。
これだった。メインストーリーはある。メインストーリーはあるがそれを無視してどこに行っても良い。
街の中にはクエストを出してくれるNPCが満載。あまりにも周りがクエストだしてくれるNPCまみれでコンパスの印が役割を果していない。
町の外には採取できる鉱脈、花などもありそれを集めていると時間が過ぎる。
もう間違いなくTES。慣れ親しんだゲームの進行方向。よくやったなベゼスタ。
昔なら「横殴りやめてください」とかいってたけど最近のネトゲは横殴り関係ないらしい
そこからくっそ強いモンスターが何匹も何匹も湧いてくるわけだが拙者は†ナイトブレイド†(まぁ拙者はナイトブレイドではなく『夜刃(ヨルハ)』と読んでいるでござるが)という暗殺、隠密、奪還が得意な職業故複数の者に襲われるのは得意ではござらんわけだなぁ…
そこに来たのが僧侶キャラの野良。拙者を回復しつつターゲットを取る、そこに拙者が後ろから回転攻撃をするわけでござるな。
ここで拙者の夜刃式暗殺術『影潜斬』(神速の影)からの夜刃式双刀術『連斬』(連続打撃)がボスの肉を切り裂き、気がついたら拙者が死んでいるのでござるな(笑)
なんだよ1撃って…
でも僧侶は一人で持ちこたえている…だから拙者は貴重な復活アイテムを使い復活 あとは二人でタコ殴りにして終了
僧侶が屈伸する 拙者も屈伸する 無言のコミュニケーションですな
実際は全部しっかりとプレイしてるわけじゃないんだけど他の地域を冒険していた時に聞いた土地を実際に冒険できるのは楽しいでござるな
また後に書物にでてくる人物もいたり「わぁ1000年前からここあるんだ!」と感動したり…
歴史観光でござるなぁ 現実でもたまーにそういうところいくのでござるが拙者無学なためそこまで詳しくなくガイドを読んで「はえ^~」としか声を上げられないので…
王道でござるな
昔にいざこざがあった5人の英雄を救う物語ですな 拙者は「面影」と呼ばれて「預言者」に世界を救うように働かされるんですな
特にリリスという女戦士キャラは美人で情に熱く、アブナーというおじさんは帝国人らしい冷静さと大局観をもって、まぁぶっちゃけこの二人の「情」vs「合理性」みたいな喧嘩は見ていて楽しいんですな
まだまだ途中だけど続きが気になるから早く帰ってやりたいでござる
必須でもなんでもなくてない。
ゲームは楽しむためにやるべきだ
ってのは私の意見だが
土地で不満に思うところ潰してみな
真似してみて初めてわかるものがある
私がそうだった
私は一介の十二国記ファンである。中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。
本記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈や思い入れにも立ち入るかもしれない。
各物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟の視点から見た世界よりも、庶民から見た世界の比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座に上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆のレジスタンスの物語であり、それがさらに大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。
もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベルで出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。
しかし、「丕緒の鳥」からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理な世界で生きる人々へのエールとなっている。
つまり、これから尚隆や陽子の視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。
前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。
十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。
天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。
しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上の奴隷だっている。
そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。
言い換えると、天は王と官吏と農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会を形成してきた。そして、この世界の民衆はルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主の世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領に支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たちの世界の大統領・首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たちの世界の鏡像なのだ。
今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。
それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界の宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。
十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟の運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠・出産からの「解放」だ。女性の苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観も女性に優しい。王も麒麟も官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性は再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSF・フェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。
しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会の軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに性暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界のセックスワーカーがどれほど過酷な生活を送っているかは不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実の中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。
考えてみれば、官吏は女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である。育児の負担がこちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。
それと、生理の問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から「解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信・タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。
天帝が女性、または西王母が兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから、天帝が西王母より偉い理由は別にない。
十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である。麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋な空想だ。
考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝がラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに「黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。
だが、もともと中国・道教の死生観がそういう面がある。「救急如律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国の役人が賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。
そして、自分は天帝がラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記が不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧な世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。
私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。
また、
そして、長編がありうるとしたら
と考えている。
少しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。
王朝の最後にはいくつかの傾向がある。一つは陽子を暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人の劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所が裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実を検討する能力に乏しかった。
で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らしをしろ、という趣旨の台詞がある。
これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しかも御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険なものはない。ああいう仲のいい家族が崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。
「王気」という言葉は一見すると単純な造語である。しかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。
黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。
十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人のお話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義が歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。
また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。
最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力を行使可能な麒麟がいるとか、かなり危険な情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。
楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝は盗賊が活躍するピカレスクロマンである。文人肌の楽俊とはだいぶ違う。
桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」の意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。
祥瓊の父の字は仲達で、三国志の諸葛亮のライバル、司馬懿と同じだ。雁の白沢は瑞獣の名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国の官僚や文人たちから名前が取られている。とはいえ、名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い。
「帝」という称号は始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである。
しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。
語彙だけではない。現実の中国の文化には、周辺の異民族との交流から生まれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートやキルトではない、ズボンやパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界が匈奴や西域の影響の薄い中国の文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。
十二国記のアニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。
つらつらと書いてしまった。
残念ながら、小野不由美の他の作品との比較・検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。
積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。
そして、次回の新刊をのんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語の物語を完結させてくださり、ありがとうございました。
国内、国外とあるが、外国籍労働者や留学生も含め国内の経済にクローズアップして話をするとすると
いわゆるIT業界でも、とんでも(ないあぶなっかしい)技術というのは、あることはある
1つにリモートといっても、ピンきり。実際はただの在宅勤務、従来と代わらない内職相当をリモートとよぶひともいれば
きちんと機材が入っていて、オフィスよりも生産性があるSOHOというひともいるだろう
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そんななかで、オフィス街が分散を始めて安価なオフィスへと移転が始まったといういみでは外食産業とはいえ変革を迫られるだろう
反面、住宅街のなかのオフィスでは、効率がいいとは言い切れない。オフィスにはオフィス用の設備がいる。
昔から外食産業は立地といわれてきたが、オフィスの昼食需要、飲み会需要がどんだけあるの?というのはでかい。ない場所に外食構えて何がしたいの?と
土地代がない自家なら無理ではないんだろう。とはいえ、オフィス街のテナントでそんなことしてどうする。
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話をリモートに戻すとすると、いわゆるマイクロソフトオフィスのイルカから始まったサポートボットの流れが人工知能や機械学習を経由して、コルタナという1つの文化にたどり着いたことは大きい。技術的に見てもかなりの新技術が投入されている。このボットがいるWindows 10そしてそのサポートありのリモート、外食産業の勢力図が変わるという流れがありつつも、それだけの力があるということで、そりゃ技術も熱いだろう。IT産業が再び一部とはいえ加熱するなら、そのまわりは外食も熱くなる。勝ち負けがはっきりしてくるとなれば、どこの大学から園に入りやすいか?など、学閥だってまた騒ぎ出す。そうするとやっぱり、大学の周りの外食が熱くなる。
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じゃぁ、大学の周りの外食が熱いか!?といえば、リモートと言う話題に再び戻る。オンライン学習。学校教育へのパソコン教育の本格化、AtCoderなどの新進気鋭のサービスへの投入も熱いし、オンライン学習といういみではかなり、熱い。それこそ本当に”熱い”というのは1つの話題になる、そうなると、確かな情報がほしくなる。何を言ったか?正しい情報を言ったかどうか?が重要に成ってくる。ではどうやって、それが正しいと判断するか?もっとも簡単なのは、NHKの夕方のニュースで複数のキャスタがただしい意見の1つとして紹介す、無名の大学の学生の意見だろうとりゃそりゃ正しいだろう。
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