はてなキーワード: 反作用とは
1 問題提起
やらないとやれないの違いはなんだろうか。
行動を起こさないことの原因が、自分の判断にあるのか、外的要因にあるのか、という基準で区別されるものかと思うが、その判断はどうやってすればいいんだろうか。
行動を起こせるようにするには、「やる気をだす」「責任感をもつ」以外に、どうしたらいいんだろうか。
自分でも自分の状況が、「やらない」のか「やれない」のか分からないが、ひとまず主観に従って、「やれない」を使用する。
2 これまでの状況
私の仕事は、そこそこ専門的な仕事で、会社が、法人または個人から依頼を受け、会社が私に案件を割り振って、私はその案件を進めていく。
その間、業種は同じだが、勤め先は何回か変わった。
そのときのきっかけは、業務量が多かったり、人に相談できずに身動きできなくなって、仕事がどんどんたまっていったのが原因だったと思う。
休職明けてからも、半年に一度会社にいけなくなって、その会社はやめた。
次の会社では、職場に一人のことが多くて、仕事をサボるようになって仕事がたまって辞めた。
今の会社(ここ2年)では、「なんかやりたくないな」と感じる仕事がやれなくなってしまい、今、正に退職するかどうかの瀬戸際である。
難しかったり、初めてやる仕事になかなか手をつけられないということは、今までもあったが、この「やりたくない」は、それこそ電話一本かけることだけだったり、来ていた電話に折り返すだけだったりする。
別に難しくないし、今やれば終わることは分かっている。
でも、なんか今すぐはやりたくないのである。
仕事はほかにもあるので、とりあえず別の仕事をやっているうちに、次の日になって、さらに時間が経っていく。
そうすると、段々、自分からアクションをとるのが気まずくなって、もっとやりたくなっていく。
こんなのは当然で、小学生でも分かるというか、小学生でもすでに学習している。
自分でも、後回しにするときに、「あとで大変なことになるんだろうな」とは思う。
でも、その予測による「やらなきゃいけない」に、「やりたくない」が勝ってしまうのである。
また、例えば、締め切りがある案件で、どうしても今この仕事をやる必要性があることは分かっていても、手につかないことがある。
そのときの気持ちは、もはや「死ぬほどやりたくない。この仕事をするくらいなら、死ぬ方がマシである。何故なら、死んだらやらなくていいから。」という域である。
この「やりたくない」になってしまうと、例えば終電の時間まで会社にいても、休日出勤してみても、結局やらないのである。
人に見られているという強制力のない休日出勤では、六時間ただただスマホをいじって終わった。
(月給制なので、余分な残業代等は貰っていない。)
そうなると、「人として、社会人として当然やらなきゃいけない。」とは、理性では分かっていても、体は動かないというか、できないのである。
むしろ、「やらなきゃいけない」と思えば思うほど、「やりたくない」気持ちが強くなる。
ここでいう「死ぬほど」は、やりたくない気持ちの量的な表現というか、その仕事をやらないための逃避の発想からくるものだと思っていたので、自分でも本気で自分に死ぬ気があるとは思っていなかった。
ちなみに、半年休職する前は、「死にたいなー。首吊り用の縄ほしいなー」とは漠然と思っていた。
今思えば、このときから、未処理の仕事のことを考えたときに、死にたいと思うようになり、実際「死にたい!」と口に出すようになっていた。
しかし、今すぐ自殺するほどを死にたさはなく、かつ、言霊的に、死にたいと口に出すことで本当に死んだらやだな、という気持ちもあった。
なので、復職してから同じ気持ちになったとき、つまり、単純に未処理の仕事を思い出して押し潰されそうになったときは、「死にたい!」「うそ、死にたくない!」と口に、独り言を言うようになった。
3 これまでの対応
また、途中から、そのクリニックに併設されているカウンセリングで、認知行動療法を受けていたが、イマイチ改善されなかった。
「やりたくない気持ち」とか「やる気」にも波があって、認知行動療法で考えた対処方法が、続かないのである。
これをなんとかしようと、続けられるやり方が見つけられないかと、色んなビジネス書、自己啓発本を読んでみた。
そのうちに、ADHDに後回し癖があることを知り、自分はADHDかも?と思うようになり、クリニックで診断を受けてみた。
(ADHDの可能性が高い)が、他者評価(母)の点数は低いとのことで、先生としても「なんとも言えないな…」とのことであった。
自分としては、当てはまるエピソードはそこそこあるとは思っているが、自分のいたらなさをADHDのせいにしたい気持ちもあったから、医者になんともいえないといわれたら、自分もなんともいえないのである。
今は、試験投薬してみようとのことで、お試しで毎日出されたADHD用の薬を飲んでいる。
ちなみに、IQ検査は、言語は高くて他はそこそこだったので、ギャップを感じるかもね、とのことだった。
検査受ける際の困り事の説明に、上記「死ぬほどやりたくない」について説明すると、「それは、仮にADHDだったとして、それだけでは説明できないから、他に原因があるかもしれないね」と言われる。
そこで、現在のカウンセリングでは、「死ぬほどやりたくない」を解決するため、精神分析療法を受けていた。
なお、このカウンセリングの際に、「死ぬほどやりたくない」気持ちになることは話していたが、日常的に、未処理案件を思い出しては「死にた~い!嘘です!」とやばい独り言をいっていることは話していなかった。
本気で死にたい訳ではないので、実際よりも症状が重いと思われると考え、また、なんとなく担当カウンセラーに心を完全に開けなかったこともあり、言えなかった。
こうやって、日常的な「死にたーい」気持ちを真面目に受け止めず、嘘ってことにして、流して生活していた。
実際、家族のことを考えると、死ねば家族を傷つけるな、それは嫌だな、と考えてブレーキもかかっていた。
4 直近の出来事
さて、1月15日、私が外出中に、とある案件について会社に連絡があり、私が滞留・放置していたことが上司に発覚した。
そうすると、私には、会社に向かって、その案件の処理・報告をする必要がある。
でも、その理由は、「なんかやりたくなくて」という、完全に主観的で、理由にならない理由である。
ちなみに、私がよく連絡の折り返しをサボることについては、何度も注意を受けており、「社会人として当然だから!ちゃんとやって!」という至極最もな指導を受けていた。
(私のやれなくなってしまうことについては、「それは病気ではなくて、やらないだけにしか思えない。やるしかないんだよ。」と言われていた。)
このように、何度も指導を受けていたにも関わらず、全く改善できていないことを説明する必要が生じた。
また、社会人として、自分が起こした問題について、上司に報告するのは、当然の義務である。
これによって、この日、職場に行くことが、高度の「やらなきゃいけないこと」になり、「死ぬほどやりたくないこと」になった。
そして、普段なら、家族のことを思い出せばかかるブレーキが、イマイチかからなかった。
そこで、私は、とりあえずビル5階の屋上駐車場にでてから、その窓口にかけてみた。
つながらない。
いのちの電話を含む、そういった窓口に片っ端からかけてみた。つながらない。
かけては繋がらない、またかけてみては繋がらない、このやりとりを二時間弱やった。
この、「死なないための行動」ができなくなったら、次はいよいよ自分が飛び降りてしまうと思って、それはまずいとは思っていたので、ひたすら電話をかける行動をやめられなかった。
そのうち、自分が住んでいる市役所にも、そういった窓口があることが分かったので、そっちにかけてみた。
やっと繋がった。
「あなたは、やらないんじゃなくて、やれないんですよ。なにか原因があるんですよ。そして、その原因を明らかにするために、精神分析療法を受けて、やれることをやっているじゃないですか。」と、私が望んでいた言葉をくれてありがとう。
でも、そのまま出勤はできなくて、とりあえず同じビルのマックに行き、スマホを充電することにした。
どうしよう、なんて言おう、そもそももう2時間連絡なく出社していない理由についてもなんて言おう、ぐるぐるしていた。
自分がいつまでたっても、社会人としてやらなきゃいけないことをやらないことを、なんでいくら言われてもやらないことを維持してしまうのか、自分でも分からなくて、なんて言ったらいいんだろう。
このときの気持ち、考えたことを、ノートにまとめてみたりした。
やがて、会社から家に連絡がいったようで、家族からも連絡が入る。
でもどうしよう。
身動きのとれなくなった私は、自分の業界の協会?にメンタルヘルスの相談窓口があったことを思い出して、そちらにかけてみた。
そこで、ひとまず無事なことを家族から会社に連絡し、その後、日曜にカウンセリングがあるから、そのときにカウンセラーと一緒に電話して状況とかを話すことにする。
そして、その日は、家族を通して会社に連絡して、家族と一緒に帰った。
カウンセリングルームに電話して、事務員さんを通して、次のカウンセリングで一緒に電話かけてもらうことの許可をとり、その旨会社に連絡する。
日曜、カウンセラーに金曜の出来事を説明したら、カウンセラーはこういった。
「それで、なんで私が説明しないといけないんですか?」
手の指が冷たくなっていった。
それから、
「これは、精神分析療法じゃないですよね…」
ともいった(精神分析療法は、毎週やらなきゃいけないが、その前の週は年末でルームが休み、前々週は、私が親戚に会いたくて休んだ。今日もやれねぇじゃねぇかよ、という意味だ。)。
上司のこれまでの対応から、やらなきゃいけないとわかっていてもやれないだといっても、信じて貰えないと思って、信じて貰えないことが怖いから助けて欲しかったといった。
私が話した。
上司は、
「それはやらないだけにしか思えない。責任感の問題じゃないか。実家暮らしで、そばに助けてくれる人がいるから、そうなるんじゃないか。一度、助けてくれる人がいない環境においた方がいいんじゃないか。」
「(私)さんはできると思うよ。やんないと成長しないよ。できるって信じてるよ」
「上司の方は、(私)さんを信じてるんですね。」といって、その日のカウンセラーは終わった。
今週は、ひとまずリモートワークをすることになった。
月、火曜はそこそこリモートワークができていたが、水曜日に生産性が落ちた。
木曜、もっと生産性が落ちて、予定が消化てまきなかった。その日の業務報告ができないまま、夜中になって、どうしようもなく、寝た。
今日、「昨日は報告できず、すみませんでした。今日はあまりやれなさそうです。○○はやります。」とのメールをなんとか送る。
そのご、不穏な長文メールが返ってくる。
(中略)
今に至る。
4 私のぐちゃぐちゃな心境
責任感とか人として当然、ってだけで、できてたら、こんなことになってないんだよ!
やりたくてもやれないの!!!
私のせいじゃない!
(逆ギレじゃね?
結局やらないことを、維持することを自分で選択してるんでしょ。
本当にマジでやんなきゃいけないやつ(損害賠償請求されそうなやつ)はやるじゃん。
やらない方が楽だから、やんないだけでしょ。
これ以上、この仕事を続けても、同じことを繰り返してまた迷惑をかける。
もう辞めたいし、辞めた方がいいと思う。
(また投げ出して逃げ出すの?
これじゃいつまで経っても成長しないダメ人間のままだよ。)
独り暮らししたら、また部屋にコバエがわくだけですけど。
独り暮らししたら、責任感が身に付くってのはないと思うし、余計に家族がブレーキにならなくて、今度は飛ぶかも。
飛ばんと分からんのか?
(信じて貰えないことの当て付けか?)
担当カウンセラー、私が飛ばなくてすんだって話をしたあとの感想が「今日も療法できないじゃん」なの?そっちのが大事なの?
信じて貰えないのが怖いって話して、実話信じて貰えなかったやりとりをきいて、「信用されてますね」ってどういうこと?
(今まで日常的に軽く死にたくなってたことを話してなかったのは、自分じゃん。
そういうしかないんじゃね?)
多分、逃げ癖ついちゃってるんだよねー。
すぐ現実逃避、逃げのためにスマホいじったりネットニュースみたりするじゃん。
意志が弱すぎる。
いい大人とは思えない。
(もう一台スマホをかった。そっちには、スケジューラーとライン、仕事用のアプリだけいれて、持ち歩く。ツイッターとかpixivとかゲームいれてるスマホは家においてく。家族に預ける。)
多分、「仕事をやらずにいたい、すませたい、やりたくない」っていう目的のためにこうなっているんだろうなと思う。
そこから、どうしたらいいんだ?
今まで、口から「死にたい!」ってだしても、自分で本気にしてなかった。
真に受けずに、その気持ちを直視しないで、その気持ちからも逃げてた。
でも、その都度、「その仕事をやるくらいなら死にたい」って逃げの気持ちはあって、ブレーキでどうにかなってただけだった。
この死にたい気持ち、逃げたい気持ちに向き合うことが、実は必要なのかな。。。
5 最後に
本当にただの日記になったが、自分の気持ちを整理できた。よかった。
1時間勉強したらタバコを1本吸うといった具合に、集中モードとリラックスの切り替えがスムーズになった気がする。
タバコを始める前は銘柄の区別がつかなかった。先輩に〇〇買ってきてとか言われても、何ミリとかハードケースorソフトケースとかロングorショートとか、下手するとキャスターとかマイルドセブン(現ウィンストンとメビウス)とか存在しない銘柄を指示されることがあって、そんなもん分かるか!と思っていた。それが自分が吸うようになり、人の銘柄を観察するようになったらたちまち違いがわかるようになった。また、銘柄によって味や香り、(大袈裟に言えば)哲学の違いがわかるようになり、自分の好みも把握できた。
4ヶ月間だけバイトをしていたのだが、上司や得意先の人間と喫煙所で仲良くなれた。好みの銘柄とその遍歴を探るだけで、その人の趣向や、生き方(※セックスまでも!)など少なくないことが把握できる。人の銘柄を覚えていて何かの際にプレゼントすると、それだけで契約が取れたりする。非喫煙者にとっては、そんなバカな話があってたまるかという感じだろうが、喫煙所ならではのコミュニケーションは確かに存在する。
※この一連のツイートは秀逸。アメスピ吸ってる男は絶対ねちっこいクンニすると思う。
偏見だけどアメスピ吸ってる男みんな性欲強い。— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
ホープを吸ってる男のセックスは淡白だけど2回戦余裕で出来る。
わかば吸ってる男は余ったラブホのゴムを持ち帰る。
赤マルすってる奴はフェラをさせるがクンニはしない。
ケントは普段冷たいのにキスが情熱的
ウィンストン(キャスター)はロマンチストだけどバックでフィニッシュする#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
セッターはヤってる時はオラオラなのに賢者モードがエグい
アークロイヤルは研修熱心でいちいち感想を聞きたがる
ラークは謎のこだわりがあって頑固。道具使うのが好き
メビウスはだいたい平均的で女の演技を見破れない
ピースは会社のストレス溜め込んでるが終わったあとの気遣いが優しい#偏見— いつまちゃん👾来世ちゃん5巻8月発売予定💫😘 (@1256hima) June 28, 2017
タバコを吸いたくなるシチュエーションは確かに存在する。食後、運転中、勉強時、会議の後、やや重ためのアウトプットの前後、飲み会の終盤、普段話しづらいことを話す時など。それらに共通するのは、脳内あるいは身体的なリソースと食われる前後。気合を入れる時、あるいは任務を終えてリラックスしたい時、タバコは静かに寄り添ってくれる。
お菓子、特にチョコレートの消費量が減った。もともと甘党でデスクワークをしている時には欠かさず甘味を摘んでいたが、代わりにそれがタバコになった。砂糖とタバコ、身体に対する悪影響はどっちもどっちという気がする。ちょっと苦しいタバコ擁護だけど。
焚き火囲んでビール飲んで夜風を浴びながら吸うタバコは最高。今ではタバコなしのバーベキューなんて考えられない!
一年で10万円くらいはタバコ代に費やしている。嗜好品だと思えばそんなに悪い使い方ではない気はする。一日300円とすれば、自分にとってはおやつの代わり。仮にその10万円で両親に旅行をプレゼントするなりもっと有効な使い方あるだろうと言われればそれまでだけど、タバコより遥かに無意味な浪費をしている気がするので(ネトゲとかギャンブルとか)、そっちの方が節約の優先順位は高め。
もともと偏頭痛もちだったのが、朝起きて、頭痛を感じる頻度は以前より多く、わずかに痛みが強くなったきがしないでもない。起床後の空きっ腹が一番キマるのだが、強いの吸ったらその日は一日頭痛が酷かった。痛みをまぎらわせようとタバコを吸い、それがさらなら頭痛を引き起こす悪循環にハマることがあるので、体調が悪い時にはなるべく吸わないようにしている。
少し鈍くなった…かな?喫煙後は繊細な味が感じ取れなくなる。和食や薄味の料理の前には吸わない。というか食前に吸うと空腹感が紛れるので飯が美味くない。吸うのは食後にしている。食後のデザートがコーヒーとタバコになった。以前よりも甘いものを受けつけなくなった気がする。辛い料理の食後メンソールは気持ちいい。
これが最も良くなかったことだと思う。明らかに歯が汚くなった。歯が黄色いし、前歯の裏側がヤニで汚え。親や恋人には絶対に見せられない。歯医者行くなりオーラルケアで対策できるのなら、個人的にタバコによるネガティブな点はほとんど解消できるといっていい。あるいは加熱式タバコなどタールのないものなら良いのかもしれない。ちなみに家の中では吸わないので壁紙が黄色くなるとかはわからん。
以前より鼻毛の伸びが早くなった気がする。しょっちゅう抜いてる。こまめに鼻毛を切るようにすれば良いと思う。
夜に吸いすぎると寝つきが悪くなり、睡眠の質も低下する気がする。あと翌朝の頭痛が強くなる(気がする)。
運転中にタバコを吸うのが好きなのだが、明らかに車内が臭い。あと人に会う時に自分がどの程度タバコ臭いか全然わからん。もともと万年鼻炎持ちだが、以前より明らかにタバコの匂いを知覚する神経が麻痺してる。
その時は売り言葉に買い言葉でやめると言ったが、一年経っても結局やめてない。先日会ってまた同じこと言われてしまった。うん、確かにダセエと思う。何も言えないわ。
軽い依存傾向がある。体調が優れなかったので先日思い立って1日禁煙してみたが、特にイライラすることもなく穏やかに一日を過ごすことができた。健康体でないとタバコはまずい。
今のところ明らかな身体的障害は知覚できない。山に登る趣味があるのだが、特段以前より息が上がるようになったという感じもない。肺がん、脳血管障害のリスクなど将来的にはわからん。
もともとガチガチの嫌煙家。歩きタバコ野郎とすれ違う時はもれなく死ねと思っていたし、こんなに臭いものを吸う奴はガチで頭おかしいと思っていた。小学生のころ教師に、図書館で資料を集めてタバコをやめるよう進言したらしい(母に聞くまですっかり忘れていた)。嫌な小学生だ。
それが二十歳を過ぎるころ、たまたま喫煙者の多いコミュニティに属し、その後職場にも喫煙者が多かった。自分は吸わないくせに、毎回デカビタ買ってもらって、先輩らと喫煙所で駄弁っているのが好きだった。いつしかタバコ嫌いは解消し、好感すら覚えるようになっていた。勧められてタバコを咥えたこともあったが、その時は体が受けつけず、しばらくは喫煙者と飲んでいる時に、ごくたまにもらいタバコをする所謂パーティースモーカーというやつを長らく続けていた。
きっかけは30歳の夏にとある離島へひとり旅をした際、自転車で島を一周してビール飲んでタバコ吸ったらうまいかなと思い立ち、初めて自分のお金で一箱買ってみた。バニラみたいな香りのする、ウィンストンの1ミリだった。オオミズナギドリが営巣しているようなとんでもない絶壁で、水平線を見ながら缶ビール片手に吸ったタバコがちょっと笑ってしまうくらいに美味かった。それ以来、景色の良い場所を訪れるたびにちょくちょく吸っていたら、いつの間にか日常的にタバコを吸うようになっていた。
学生の頃に、モテない同性を集めて三浦半島を旅行した。そのときは良い景色に出会うたびにタバコをふかす友人たちを心底軽蔑していたが、今では彼女らの気持ちはよくわかる。あの時は悪態ついてごめんよ。
タバコは瞑想に似ている。あるいはマインドフルネス。潜水(フリーダイビング、スピアフィッシング)とも。脳内の毛細血管がきゅーっとなって、一瞬体温が下がって、それからうっすら意識が体を離れ浮遊する感覚が訪れる。気持ちいい。ダウナーな音楽でも聴きながら半目で酩酊するのが至福。
10年以上前になるだろうか、『タバコは穏やかな自殺』というコピーをどこかで見た。無論啓発のためのコピーだったと思うが、今みると、素敵な言葉だと思う。死にたいけど死ねない。自傷行為は、自意識が希薄な時に、自分の体が自分のものであるという認識を確かにしてくれるものだと思う。
先日「ハーモニー(伊藤計劃)」という近未来SF小説(ネットフリックスでアニメ版が観られる!)を読んだ。要約すると、めっちゃ強い新型コロナウィルスみたいなのが世界中で猛威を奮った結果、国家は国民の人体を『リソース』として扱い徹底的に管理する決定を下した。体に埋め込まれたデバイスが健康状態を常に把握し、自動で投薬がなされる。不健康であることが犯罪となった世界で、主人公たちは、飲酒や自殺未遂といったテロ行為を繰り返すという話だ。
自己管理のできない者が、あたかも犯罪者のように晒し上げられ、下手すると直接攻撃を受けるようになってしまった昨今において、「ハーモニー」の世界は決してフィクションだと切り捨てることはできない。ミアハの「このからだも、このおっぱいも、このおしりも、この子宮も、わたしのもの。そうじゃない?」という台詞は、いっそう印象を濃くしている。日増しに喫煙者の肩身が狭くなっている本国において、あえていま、タバコを吸う理由づけをするならば、そんな世界に対するささやかな抵抗だと言えなくもない。
先日、近所のホラ吹きオジサンにそんな話をしたら、「なぜコロンブスがアメリカ大陸からタバコを持ち帰ったのか。君はその意味を考えたことがあるのか?」と言われ、なに言ってんだこのジジイと思った。曰く、それは産業革命と貨幣経済が浸透したことの反作用なのだと。人が個人として選択的に生きることを強制され、生活の実感が貨幣によって奪われることで『生きている実感』が希薄になったがゆえに、タバコが必要とされたのではなかったかと。それは戦時中に薬物が乱用されたのと同じ理屈だとも。なるほど、一理あるなと思った。
ネイティブアメリカンが霊的なものと交信するために必要だったものが、本来とは全く違った用途に用いられ、スポイルされ、経済活動の一部に組み込まれていった。その意味では、今日における瞑想やマインドフルネスも同じ道を辿っていると捉えることもできる。
なにかと生きづらい世の中で、現代人には瞑想運動野菜睡眠と、少しのタバコが必要なのかもしれない。(どうみても生きづらそうな某氏には、ぜひともタバコを吸っていただきたい。某氏にタバコを吸わせて感想を聞いた!的な記事が書けたらたいそうバズるだろうに!)
一年経って、いまの私はタバコに少からぬ好感を抱いている。ネガティブな側面ばかりが強調され、積極的にタバコを吸う理由が語られていないことに対して少し残念な思いがある(コーヒーや日本酒に比べてタバコの不遇っぷりはどうだ!)。タバコには効能もあるのだし、もっとインテリがタバコを吸って、おおいに語って欲しいと思う。ほんの数十年前まではたくさん語られていたではないか。畑正憲とか伊集院静とか。健さんだって美味そうにふかしていたじゃない。もちろん嫌煙者と環境には十分配慮した上でね。だって素敵な景色見ながらタバコ吸えないなんて、そんな息苦しいことありますか。屋外で、誰にも迷惑のかからない時くらい大っぴらに吸わせて欲しい。
むかし池袋で好きになった人がいて、当時私はタバコを吸っていなかったのだけど、彼の指先がセクシーで(長髪で大きい瞳と長い睫毛が好きだった。確かキャスターの1ミリロングじゃなかったか)、軽く日本酒を飲んで要町の彼の家までの帰り道、深夜の公園で一緒にもらいタバコで一服した。その時の思い出は、昨日のことのように思い出すことができる。タバコを吸う人はセクシーだと思う。タバコを吸わない綺麗な人より吸っている綺麗な人の方が断然好きだ。
その時、彼がタバコを携帯用灰皿に捨てていて、えらいねと言ったら、自分が気持ちよくタバコを吸うためにマナーには気を使っているよ。それは自分の権利を守るためなんだよ。だからマナーの悪い喫煙者は最低なんだ、と教えてくれた。その言葉を忘れずに、これからも、この愛すべきちょっぴり退廃的な香りのする嗜好品を楽しみたいと思う。
感じたことを書いておく。
10月末日現在、年収が3000万円を超えた。正確には今年手にした価値の増加分である。労働による収入が1200万円、株式の値上がり益と配当収入を合わせて1800万円。
年収3000万円とはずっと望んでいたことだった。ただ、どうすればそれが果たせるのか方法が見えなかった。見当もつかなかった。
それが今、気がついたら果たしている。労働では見当もつかなかったが、投資行動によって助けられた。
株式への投資は全く苦ではなかった。投資先を調べるのは趣味のようなものだった。楽しいからやり続けられた。その上で結果が伴ったとしたら有難い。
ときに株価が暴落して精神的に来たこともあるが、長い目で見ればリスクを受容できるのであって、時間がありさえすれば受け止めることができるのだと知ることができた。これからも不確実性と付き合っていくことになるのだろうが覚悟はできている。
やり遂げたという感覚はない。本当にいつの間にかという感覚である。全く肩肘張らず目の前の仕事を毎日やり続けて、できる限り高い価値を提供することだけを考え続けてきた。価値を与え続けていればそれに見合ったものが作用反作用とでもいうかのように返ってくる。そう考えてやってきたことはどうやら間違っていないようだ。
感じたことを書いておく。
10月末日現在、年収が3000万円を超えた。正確には今年手にした価値の増加分である。労働による収入が1200万円、株式の値上がり益と配当収入を合わせて1800万円。
年収3000万円とはずっと望んでいたことだった。ただ、どうすればそれが果たせるのか方法が見えなかった。見当もつかなかった。
それが今、気がついたら果たしている。労働では見当もつかなかったが、投資行動によって助けられた。
株式への投資は全く苦ではなかった。投資先を調べるのは趣味のようなものだった。楽しいからやり続けられた。その上で結果が伴ったとしたら有難い。
ときに株価が暴落して精神的に来たこともあるが、長い目で見ればリスクを受容できるのであって、時間がありさえすれば受け止めることができるのだと知ることができた。これからも不確実性と付き合っていくことになるのだろうが覚悟はできている。
やり遂げたという感覚はない。本当にいつの間にかという感覚である。全く肩肘張らず目の前の仕事を毎日やり続けて、できる限り高い価値を提供することだけを考え続けてきた。価値を与え続けていればそれに見合ったものが作用反作用とでもいうかのように返ってくる。そう考えてやってきたことはどうやら間違っていないようだ。
がら女を殴る男がいた。SMでは厳しい打撃
と蕩けるほど甘いご褒美のセットを繰り返していくことで打撃をご褒美と錯覚してゆく。痛みを与える側にも
うける側にも純粋な憎しみはない。女には殴られる事で満た
よび出す前からプレイは始まる。お互いに言葉にできないなにかを満たしあ
うためにプレイする。
なぐられて育てられた女には家族との絆と殴りが同じものと錯覚していたのかもしれない。殴り殴
られるまでのプロセス食べ物を与えもてなした女を殴る、食べ物を与えられて腹が満たされた後女は殴られる、という儀式なのかもしれない。無抵抗な人を殴る背徳感。殴りを受け入れるサンドバックのような人間を殴る虚無感。肉のサンドバッグを
ごつい拳で殴る事で得られる反作用ー揺さぶられる肉、揺らぐ体幹、呻き、時には涙、時には体液ー、そして殴りを受け入れる女の存在が男の心を満たしたのかもしれない。言語化できない黒い衝動ー不幸な過去、不安な未来、噛み合わない社会、安らげない現在、逃れられない孤独ーを満たそうとする欲望が渇望する
きびしく強い衝撃と刺激と純粋な痛み。真正面から怒りをぶつけ合う喧嘩に似た衝動は発散した後に虚無感を覚える。賢者タイムが訪れる。衝動に人格を支配された後に残るものは理性と
げんじつ。衝動に支配された自分が本物なのか支配されていない自分が本物なのか湧いてくる自問。常軌を逸しているのかといえばそうではない。にんげ
んはそもそも常軌を逸する事で既成概念を打ち破り進化してきたのだ。極めて人間らしい精神であり行動であるといえる。そして笑わない顔で娘を殴る母親がいた。血の絆がある子供への憎しみを持った"しつけ"として殴るのは残酷なことに楽しみは無い。しつけの背景には自身の価値観の肯定と維持そしてそれに抗う子供への支配
よくがある。
うんだ子供が自身の分身であることは同時に自身の一部でもある。自身の一部が思い通りに動かないのだ。驚き悲しみ怒りが沸くだろう。もともと子供は自分の臓器から成り立っているのだ。生殺与奪権は生みの親にあると考えてしまえば思い通りに育たない子供が失われてしまっても構わないと考えるだろう。自らが自らの炎症箇所を切り取るようなむしろ自身を正当化する手術のような価値観なのかもしれない。だがしかし、親も子もへその緒が切断された時点で他人なのだ。他人と他人が生きていくにはお互いに尊厳が最低限必要だ。
まともな道も価値観も存在するようで存在しない。あくまで過去を振り返って受け入れられるかい
なかでしかない。偏った執
ちゃく心から生まれる暴力に喜びはない。暴力を受ける側にも当然ながら無い。(リョナは別)生きる意味を見出せず、他人の欲望に身を投げることで曖昧に生きてきた女ですら愛を知り生への執着を持つほど変化することができたのだ。欠乏を感じ女を殴り喜びを得ていた男も生きている限りはやがてち
ゃんと変わるだろう。彼は幸せになれるのだろうか。そこは長くはない人生のひと時を共に過ごした彼の行く末を信じてあんし
んしていいと思う。
た概念の"普通"は良くも悪くも概念でしかなく、その定義は存在するようで存在しない。つまりは
ね、知ってる人も知らない人もみんなそれぞれ欲しいものを求めて生きる。死を選ぶことも含めて。そんな人たちが同じ空の下で同じ時空を過ごしているのだ。寂しいね。でも寂しさは平等なんだ。世の中に平等な事が在ると思うと嬉しいよね
。
特効薬も効果があってすごいね!よくなったね!じゃなくて新薬は大抵めちゃくちゃ高いんだよ
新薬ガバガバ使える制度作って病気直るようになったけど毎日パンと水だけ、でも病気直るからいいことで…同じこと言ってるよね
会社が従業員全体に支払うトータルの金額って男女平等になっても変らんの
女も参加して単純に2倍になったら支払う給料は等分され2分の1になんの
この時点で男の給料だけで家庭が成り立つわけないので共働きが自由じゃなくて強制になんの
マジであなたのことが心配なんだけど、完璧な答えが世の中に簡単にあると思ってる?
もっといえば企業は給料下げる口実ができて女性の社会進出にめっちゃ喜んでるよ
男女の機会均等になり、結婚できない・するつもりのない・離婚したい女性が幸せになったのはその通りだけど
大多数のそういうイレギュラーを目指してない女性にとっては単に結婚できる機会が社会全体から一律下げられただけで全くメリットないぞ
結局、育児だけしてればよかった時代から、育児も仕事もしないといけない時代になった
地獄絵図だろこんなの
DV男と結婚する確率だって高速道路で事故にあうのを心配するようなもんだぞ、結婚は自分で安全性高められるけどな
そうやって女のプライドをくすぐることで女性自身に肯定させようとするのがフェミニズムがやってきたことだ
誰だって自分が差別されてると思い込んだら声デカくなるからな、実際はマトリックスの電池人間のように保護されてるだけなのに
ここまで言えばなんでマイルドヤンキーが幸せなのかわかるだろ?
男が大黒柱になることを肯定していて、女は育児したい子ども欲しいという理由で結婚するからお互い何も衝突しない
最初から結婚=子ども産む、結婚=一家を養う、前提で結婚してるから何も衝突が起こらない
ところが今のスタンダードは好き同士だから結婚するんであって、子どもとかは副産物化してる
送りバントが上手そうな名前の虫、ニダンバッタには秘密の技があった。
なんと空中でさらに跳躍、というか進路を変えることができるのだ。
名前にバッタとつくが羽根のない虫であるニダンバッタは空中で動くため羽根の代わりに、
「うんこ」を利用している。
具体的には大質量の「うんこ」を高速で肛門から射出することで反作用を得て、
空中疾走するのだ。
緊急時に分泌されたそれらが反応することで爆発する。
この化学反応はニダンバッタの仲間が「おなら」として、天敵を撃退する目的で使っているものを応用していた。
そのためニダンバッタを追いつめた天敵は四散したうんこを正面から浴びることにもなりかねなかった。
実際、爆発の破壊力はすさまじく。うんこだけではなく、内臓の一部も飛び散っている。
瀕死でも子孫を残すことができれば二段ジャンプを会得するインセンティブは働く。
モコモコした褐色の足場に飛び移った。
と、動かないと思われた「足場」の持ち主がすばやくニダンバッタを食べてしまった。
手羽の先端に唐揚げを思わせる疑似餌をもっており、寄ってくる虫を補食する生態をもっている。
仲間のチキン類と同じく飛翔能力が低いため、「待ちの狩り」を得意としているのだ。
紫外線で観察すると虫が好む各種の花のおしべを精巧に模していた。
花粉を食べようと飛び移ったニダンバッタは自慢の二段ジャンプを行う隙もなく、
しかし、たまに運の悪いナゲキ鶏が口内でニダンバッタの液体火薬を反応させてしまい、
文字通り「爆発を味わう」ことはあった。
知性的な殺伐とは異なる、すべてを否定する態度に包まれた酸のような世界。
はてな匿名ダイアリーも、はてなブックマークも、2chまとめも、Yahoo!コメントも、twitterも、人の多いところでは必ず投げ込まれる小さな憎悪と、増幅された負の感情の蓄積、それらが呼び寄せる反応の度合いの強い人間たち。
反射的に毛を逆立てて叫ぶ人間の渦があちらこちらに出現していて、案内人も存在しないままに、無防備には進んでいけない世界。
一方で、まるで毒などなにもないかのように振る舞う現実世界は、病的なほどに清潔な世界のみを認めている。
まるで分裂症のようなこの世界は、インターネットの世界の反作用として生じて、お互いの方向へ純度を増しているようにも見える。
時間は昼の14時頃,雲のほとんど見られない快晴の青空の下,立ち並ぶアパートのゴミ収集場所として機能しているであろうラックの一番上,天板部に僕は「それ」を見つけた。
僕は上背がある方だが,そんな僕の鎖骨くらいでやや高いラックなので,普段であればさして気に留めないようなスペースだ。
そのラックの前を通り過ぎるとき,視界の端が「何か」を捉えた。
1秒もないような時間の中で情報として飛び込んできたのは,XJAPANのギタリストだった故人HIDE氏を思わせるビビッドなイエロー・ホットピンク,そして巨乳ロリという文字,いや,記号だった。
嘘偽りなく,横を通り過ぎたその瞬間には僕は「それ」が何かを認識できていなかった。
だから,強烈な配色も,そこに書いてあった文字も,果てはそれが本であったかすらきちんとわかっていたかは定かでない。
ただ「何か」があるということを僕の本能が感じ取ったことは真実であり,しかして10メートルほど歩いて脳内の処理が終わった僕は足を止めた。
頭の中にあったのは「それ」に対するwhatではなくhowであった。
まず,一つ目の理由であるが,稀有なシチュエーションであることそれ自体が僕を高揚させた。
助平なコンテンツを摂取せんと思えば電子の海にROCKET DIVEして有料なり無料なりのものを存分に堪能し,己が欲望が具象化した白い恋人を限界破裂させれば良いのだ。
そんな時代に,「その種の本が落ちている」という場面に遭遇することの衝撃を考えてみてほしい。
さながらポケベルを使って連絡を取る人とすれ違ったような感覚である。
既に述べたようにデジタル時代を迎えているわけだから,この領域で最も勢いのある表示形式は動画であると言っても過言ではないだろう。
そうした世相において本に出会うという現実は,既に非日常である今この瞬間を一層特別なものにした。
たしかに動きや息づかいを知覚できる動画は簡単に臨場感や興奮を与えてくれるだろう。
しかし,静止画だからこそ得られる視聴覚を超えた別次元の感覚,シックスセンスやイマジネーションと呼ばれるような扉の向こう側の感覚は,男をイージートゥワッチ・イージードゥダンスな易きに流れた存在から,一皮剥けた存在へと押し上げてくれるはずなのである。
そう,「あれ」には可能性がある。
歴史を振り返ればいつだって流行は最新技術とアナログなものとが行ったり来たりしているように,動画ではなく,パソコンの画面でもない,本との出会いはかつて読書家だった幼いころの僕を,今も電子書籍にはどこか馴染めないでいる幼い頃の僕の名残を呼び覚ましてしまった。
これらの理由から,僕は今臨んでいるこのあまりにもアナログで古き良き光景に魅せられきっていて,趣さえ感じている。
極力性的なものを近づけないようにと努めてきたが,作用には必ず反作用があるもので,そう,有り体に言えばムラムラしていた。
三つ目の理由はそう,春の日差しが心地よかった,ただそれだけである。
とにかく,僕の頭は落ちていたブツが何かを理解すると同時に,どのようにミッションを達成するかに切り替わっていた。
とりあえずということで一度地図アプリなりなんなりで調べものをしている風を装って後退し,目標物が本当に僕の認識したとおりのものであったのかを再確認する。
横を通り過ぎがてら目視し,間違いなく想像通りのもの,それも2冊あることを確認して一度道を大きく引き返す。
近くの個人商店で少年ジャンプがフライングゲットできるのでまずは購入,もちろん手提げ袋をお願いして,だ。
今日の鞄は最低限のものしか入らない小ぶりのもの,したがってターゲットを収納することは能わない。
もしジャンプを買うことでもらえるビニール袋が十分に大きければ収納は可能であり,小さくともジャンプを買うことができるということで,最初の作戦はローリスクハイリターンだ。
結果として袋が小さく作戦は失敗に終わったが,回収のチャンスが人目のないほんの一瞬であることを考えるとすぐに次の作戦に移る必要があるだろう。
思わず上着を脱いだところで,これだ,という閃きが訪れた。
上着の中に包み込んでしまうのだ。
今日着ていたのは薄手ではあるがダウンなので内容物の輪郭もカモフラージュしやすい,古典的ではあるものの効果的な方法だと言える。
これで準備は整った。
あとは人通りのなくなった瞬間を見計らって,計画を実行に移すだけである。
ドクン,ドクン,と胸が高鳴った。
かつて多くの漢たちが同じ死線をときにくぐり抜け,ときに散っていったのだろう。
昂る感情とは裏腹に,頭の中は静かにフル回転し,スパイやエージェントのような気分になる。
最高に,スリリングだ。
かくして雷光の如き手さばきで勝負を制した僕は,興奮冷めやらぬままにしばし歩いた。
アドレナリンが大量に出ているのを感じる。
周囲の音や普段目につかないものがよく見える,今,間違いなく僕の脳は活性化しているのだと断言できる。
中身がどうという話ではない,「道端のエロ本を拾う」という体験を楽しむのだ。
よもや20代中盤にもなりこのようなイベントでここまでテンションが上がるとは思ってもみなかったが,「エロ本を拾う」という事象は男を童心に返し,心身ともに研ぎ澄ませ,スリルを提供してくれ,そして獲物はどんなものだったろうと心を躍らせる,そんな狩猟本能を呼び覚ますはたらきがあるのかもしれない。
ひとしきり歩いて人目を忍べる場所を見つけてから,ついに報酬とご対面である。
上着の包みを丁寧に開き,逸る気持ちを制しながら手に取ったその本。
なんと,2冊ともダイジェストDVDがついているタイプの本であった。
趣とは何だったのだろうか。