はてなキーワード: 反作用とは
東大基礎科学科卒。過去250~340年間世界の大数学者達が解こうとして解けなかった、世界史的数学難問4つを解き、現在ロシア科学アカデミー数学の部で審査中。マスターした11ヶ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家。矛盾だらけの現代物理学を初め、全科学(自然、社会、人文科学)の主だった物を体系的に批判し各々に別体系を提起。各種受験生(医学部、難関大学入試、数学オリンピック、社会人大学院入試、IT関連資格)支援。
■経 歴
2002年 (至現在)セント・クレメンツ国際大学 物理学教授
2001年 英国系セント・クレメンツ大学で数理物理学の博士号取得
2002年 ロシア科学アカデミー・スミルンフ物理学派論文審査員となる
1999年 英国系ウィットフィールド大学でコンピュータ科学人工知能の博士号取得
1991年 (~1993年)University of California、 Irvine人工知能研究所で確率論批判・学習システムの研究
1988年 (~1991年)世界の認知科学の権威ロージャー・シャンクのCognitive Systemsのデータベース研究所IBSで自然言語処理研究
1986年 (~1988年)欧州先端科学研究プロジェクトESPRITにESPRITディレクターとして仏Telemecanique研究所より参加(生産ラインへの人工知能導入の研究)
1985年 西独ジーメンスのミュンヘン研究所で生産ラインへの人工知能導入の研究
1982年 (~1985年)[仏国]世界一速い列車TGVのメーカーAlsthom社の知能ロボット研究所
1981年 (~1982年)[仏国]グルノーブル大学院、ソルボンヌ大学院で通訳の国家免状取得
1980年 (~1981年)[スペイン]マドリード大学院で言語学履修 西国政府給費留学生
■専門分野
数理物理学Ph.D.、コンピュータ科学人工知能Ph.D.、マスターした11カ国語を駆使したプロの通訳・翻訳家
■講演テーマ
「ビジネスマン、文系卒社員に理工系技術と技術的発明を評価できる眼を」
近年世界の大学でビジネス志向の学生向けに、理系の技術的な事がある程度分かるためのカリキュラム改変が始まっている。しかし申し訳程度であり、また理系の拠って立つ数学物理学の科学理論自体に欠陥が有る事が最近明らかとなっているため、正しい数学と物理学の粋を伝授し、文系でも本物の理系技術評価が出来るように支援する。
「英語を完璧に&現地語(非英語)を或る程度使えるマネジャー急遽創出と、社員の中から各国語通訳をネーティブに肉薄する敏捷性と正確さで急遽育成を支援」
海外のプロジェクトや企業と折衝するとき、英語がネーティブ並みであったり、現地語を自社のディレクター自身がある程度こなせるか、英語、現地語につきネーティブ並みの社員が通訳出来ると先方との話が大きく好転する場合が少なくない。それを本当に実現する教育訓練を私は提供できる。平明に説明し、実体験をしてみたい方がいらっしゃるなら講演会場で手解きをしてみたい。
「発見された言語学理論と外国語訓練方法論を基に、文科省と英会話学校の英語教育訓練方法論の根本的誤りの中枢を詳説」
統語法意味論、文脈意味論、実世界意味論の3レベルで進展するネーティブの母国語習得過程の中、言語能力の真の中枢は解説も無しに親の喋るのを聴いているだけで分かるようになる統語法的意味把握能力で、これは文法用語を全く使っていなくても徹底した文法訓練となっている。ネーティブが敏捷性、精度の点で万全であり、先ず文法的間違いをすることはない理由はここにある。全文法分野について書き換え問題の「即聞即答訓練」を一気に中学生以上の年齢の人に施し、全文法のビビッドな一覧性を習得させるとネーティブに肉薄する敏捷性と精度で外国語を使いこなせるようになることが発見された。
「<証明された欠陥数学> 確率統計と微積分学のビジネス、金融工学、保険業界での使用に対する警告と、それに取って代る新数学体系」
我々物理世界は離散値の世界であることが原因で、物理世界に住む人間の頭脳が考え出した数学の中で連続実数値に基づく確率統計学と微積分学だけが欠陥数学として発現していることが証明された。決して建設的な予測をすることができず、崩壊していく事象に後ろ向きにしか適用できず、せいぜいリスク管理にしか使い道の無い確率統計学をビジネス学の分野では金科玉条の如く信用し積極的やり方で利用しているが、ここに「理論」と現実との間に大きな食い違いが生じている点に警告を発したい。そのためそれに取って代る新数学体系を提起する。全てを分かり易く解説します。
「新エネルギー・エコ向けの発想を大転回した技術的な重要な発明を提起」
20世紀初頭に数理物理学者Henri Poincareは二体問題までは解けるが三体問題(三つの星が互いに重力で引き合いながら運動している時の時々刻々の位置を計算で求める事)以上は微積分学を使って解く事が出来ない事を証明した。これは無限小差分を使う微積分は計算式中で交差する項をほぼ同等とみなして相殺してしまうため、作用反作用の法則(F1*v1=-F2*v2)の取り違い(F1=-F2が作用反作用の法則であると圧倒的多数が信じている)と相俟って、交互に対称な運動しか記述できないため、対称性の有る二体までは記述できても対称性のない三体以上は記述できないためである。この欠陥数学微積分を基に二体までは「エネルギー保存則」を証明したものの三体以上の「エネルギー保存則」は本来的に証明不可能であることが明らかと成った。現に永久磁石がエネルギー保存則を大きく超えることが実証され始めている。それらの実験につき具体的に物理学の素人の方々にも分かりやすく報告したい。
「世界史的体系的誤りに迷い込んだ現代物理学とその使用者への警告とそれに取って代る新物理学」
現代物理学の二本柱、量子力学と相対論の中、量子力学は水素原子の原子核と軌道電子の関係説明を辛うじて試みただけで、水素原子より複雑な原子や分子の構造の説明に実は悉く失敗し、繰り込み・摂動理論はその失敗を隠すため後に持込まれた。軌道電子は光速に比べ無視できぬ速度でクーロン力で原子核に引かれて急カーブしながら等速加速度円運動、大量のエネルギーを消費するが、半永久的に軌道を回る。しかしシュレーディンガーの波動方程式(その波動関数とその共役関数の積は確率)はエネルギー消費に一切言及せず、エネルギー・レベルが一定に保たれるという明らかに矛盾した論を展開する。また確率を持ち込んだからには、エントロピー単調増大法則がここに適用され、水素原子は瞬時に粉々に飛び散らなければならぬ現実に反する二つ目の重大矛盾に遭遇するが、これもシュレーディンガーは見てみぬ振りをする。つまり水素原子の構造の説明にすら量子力学は完全に失敗した。量子力学とは動力学でなく各エネルギー・レベルについての静力学でしかなく、「量子力学」の「力学」なる名前とは裏腹に力を論じられない。論じればエネルギー消費が起こりエネルギーレベル一定論が崩れる。
「現代のフォン・ノイマン型コンピュータ・アーキテクチャーの誤りと、創るべき新コンピュータ・アーキテクチャー」
現代のフォン・ノイマン型コンピュータの計算機モデルが取りも直さずチューリングマシンそのものである。チューリングマシンは決ったパラメータ数の状態間の遷移を静的モデル化したものであるのに対し、歴史的にその直前に発表されたアロンソ・チャーチの計算モデルのラムダ・キャルキュラス(人工知能プラグラミング言語LISPの言語理論でもある)は関数の中に関数が次々に入れ子のように代入されて行き擬パラメータが増えていくダイナミックな仕組みを持つ。この後者は人間が作ったコンピュータを遥かに凌ぎ、宇宙の始原から発生した環境データから関数をf1(t),f2(t),.,fn(t)と次々に学習し入れ子のように代入進化し、次の一ステップの計算には宇宙の始原からの全ての関数f1,f2,...,fnを思い起こし、そのそれぞれの差分を取って掛け合わせる事をしているコンピュータとも言える物理世界とその時間の学習・進化を時系列順に模写するのに持って来いの仕組である。関数と言っても多項式で充分である事を世界の7大数学難問の一つPolynomial=Non-Polynomialの私の証明も交えて平明に解説する。これは日本の国と世界の先進諸国のコンピュータ科学の今後の研究方向を左右する発言となる。
■実 績
【講演実績】
Trinity International University
「コンピュータ科学」 学士号コースの学生に卒業まで全コースを講義
St.-Clements University
「金融工学に必要な数学・物理学」の博士号コースの学生3年間に渡って講義、研究テーマと研究内容、博士論文のアドバイス
St.-Clements University
研究テーマ「コルモゴロフ複雑系の二進ビット・ストリングの下限=Lower bound for binary bitstring in Kolmogorov complexity」の博士号コースの学生Dr. Bradley Ticeに英語でアドバイス
St.-Clements University
外国語学部のポルトガル語・伊語の通訳・翻訳の学士号コースの学生に教養学部のレベルから全社会科学(経済学、法律学、社会学、経営学)、人文科学(哲学、言語学、心理学、歴史学)、自然科学(数学、物理学、化学、生物学、医学、計算機数学)、エンジニヤリング(Information Technology、ソフトウエア工学、電気工学、電子工学)の各々の学科の全講義を行う。
Госдарственный Университет Санктпетербургской Гражданской Авиации (サンクトペテルブルグ国立航空大学)
物理学学会の論文発表会で幾多の論文の露語によるプリゼンテーション。
【メディア出演】
【執筆】
ti-probabilistic Learning by Manifold Algebraic Geometry, SPIE Proceeding, 1992 Orlando 等 人工知能学会論文
それが「頭がいい」必要十分条件なのかは分からないけど、その場が仕事だと仮定して、その手の話に付いていくための訓練としては
常に頭にスキーム図のようなものが浮かぶようになると、そういう話だと付いていきやすくなりそう。
利害関係、作用・反作用関係などが頭の中に浮かぶと、「次どうする?」「この仕組みはオッケーか」「起こりやすい問題」なんかは見えやすくなるはず
その議論に必要な事物すべてを把握し、それぞれがどういう関係性かを整理する。最初のうちは図に書いていくとよいと思う。
受験勝ち抜いてきた系の基礎学力がある人なら、速さ自体は慣れれば問題ないんじゃないか。
ちょっと待ってって言った人を小馬鹿にするような態度取るやつなんて、所詮その程度だから放っておいて「ちょっと待って」はしていっていいと思う。
こんな夢を見た。
表情だけでなく、佇まいにも気だるさを携えた女が手元のメモに線を引く。10本目だ。「また見た」と女は誰に言うともなく言った。途端、私の側頭に鈍痛が走る。それでも私は女の開いた胸元から目が離せない。「ちょっと。こいつずっと見てるんですけど。キモいんですけど」
女がまた線を引く。鈍痛が再び訪れる。「見てないってばぁあ」
私の声が情けなく実験室に響く。声を聞いているものは誰だ。私の目には女の胸元、胸の膨らみ、時折動き、柔らかくうごめくおっぱいしか映らない。つまらなさそうな顔をした女の顔よりもそちらに目がゆくのは仕方がない。柔らかそうなVネックのモヘアニット、程よくタイトで気品すら感じるそのお召し物に包まれた二つのおっぱい山が生み出す谷間、そして、深い襟ぐりの中に垣間見える平坦な部分と盛り上がりの境目。女が身を乗り出す。すると境目がより強調され、反射的に指で触れたくなる。指先でその起伏および反作用を確かめたい。女が線を引くが早いか再び鈍痛が響く。
「今の見てないって!ノーカンだろ!」
私の心からの叫びすらノーカンに処す無慈悲な主幹はどこかで白衣でも着て私の目線を汚らわしくカウントし、データ入力しているにちがいない。願わくば黒縁メガネの似合う美少女であってほしい。清楚な見た目とは裏腹に、目の前の女のように立派なおっぱいを携えていてほしい。そこまで妄想したところで私の頭に何十回目かの鈍痛が響いたりしたりなんかした。痛い。もう耐えられない。気づけは、先ほどまでとは違う女が目の前に座っている。ピチッとしたTシャツにブラの刺繍模様が浮き出るほどの見事なきょにゅ鈍痛。痛い痛いいたい。
私はどういうわけか、ただっぴろい実験室に押し込められ、ある実験に参加していた。目の前に女性が次から次へと座り、その女性が胸元に私の目線を感じたらすぐさま手元に線を引く。すると私には電気刺激が流れる、という悪魔の実験である。電気刺激と言ってもどういうわけか私には女性の全力ビンタ、あるいはやさしい肘鉄程度の痛みに変換されて伝わることになっている。しかもその痛みは私の右側頭に集中している。いやらしい悪魔の諸行だ。
この実験の目的は「女性は自分の胸元、乳房への男性の目線をどの程度自覚できるのか」を計測することにあるらしい。よって私は次々と訪れる女性たちと会話をしながら出来るだけ平然としていることを求められた。友人あるいは同僚と接するように、とのお達しだ。しかしながら、平然と、というからには、私の日常生活と同じく、魅力的な女性と見れば胸のサイズを目算し、胸元の開いた様を見かければ凝視する、そんな私の平時のスケベオペレーションを実行せねばならないということであり、女性の胸への意識をある程度は保たねばならないということだ。私はこの実験の条件を飲んだ。なんの抵抗もなく。いったいどういうわけなのか。説明してくれる者は私の他には誰もいない。私にもわからない。
繰り返される痛みに耐えかねてきた頃、今度は小柄な女の子が座った。「よろしくお願いします」と礼儀正しく頭を下げる。私はその隙に彼女の胸を確認する。これまでの女性とは違い、カップサイズはA、良くてB。普通のクルーネックのTシャツ。次に容姿。色気はないが可愛らしいショートカット。小さく整った鼻筋。猫のように丸くてやや釣りあがった眼。二十歳前後であろう彼女は、私に遣わされた休息という名の天使に違いない。これはイケる。
私はかつて観た不条理監禁モノの映画を思い出す。生き残るのは冷静かつ状況判断能力を持ち、慎重でありながら思い切りのいい性格のキャラクターだった。今の私には、それらの素養が求められている。冷静に状況を読み取り、的確な判断を下すのだ。
まっすぐに彼女の目と目の間を、力を抜いて見つめる。よしイケる。私はおっぱいへの意識を捨てた。
「親に愛されてきませんでした……。数日前に彼氏にもフられました。私はこれまで誰にも愛されてこなかったんです。カラダだけ愛されても満たされないのはわかっていても、それでも必要とされるのが嬉しくて応じているうちに、気づいたんです。私も、私こそが、誰も愛してなんていなかったって」
いきなり何を言いだすのだ天使よ。天使のくせに経験豊富なほうか。堕天使か。
「愛」「彼氏」そして「カラダ」。肉欲と妄想に容易に繋がるこれらのワードをスルーし、目の前の女性に向き合うことに集中する。するのだ。私は彼女の朧げな視線をぐっと受け止め、「そうなんだ。それはきっと辛かったろうね」と、優しく頷く。今こそ聞き役に徹するのだ。適度な相槌と相手への共感力と適切な目線。あ、これってはてブで見たやつだ。Gigazineの翻訳記事かなんか。コミュニケーション不全に効く6つのなんとか、とか。私は自らの意識の高さを誇らしく思う。今こそ実践あるのみだ。
話題は高校時代の恋愛から、彼女の将来、家庭の現況、趣味と仕事の話へと、次から次へと変わっていった。いつかは自分の店を持ちたい。彼氏が巨乳好きだったからフられたのかなあ。高校時代は女子からイジメを受けていた。ウエストあたりから見上げるAカップもまたきっと美しいはずだ。父親は家にいないことが多い。下着によってはもっと大きく見えるかもな。私を愛してくれる人、私が愛せる人がいたら結婚したい。よろしい、まずは婚前交渉だ。
彼女の一方的な自分語りに耳を傾けながら、不快な態度を見せず、彼女への興味を保ち、想像力をフル稼働させた。つもりだった。語りがひと段落すると、彼女はメモに線を引いた。八本?
次の瞬間、フルパワービンタが八回まとめて私の頭に見舞われた。一瞬、気が遠くなりかける。何故だ?何が起こったのかわからない。左に仰け反り、倒れゆく私が見たものは、自らの胸を腕で隠しながら、蔑む目線を私に向ける彼女であった。その目はこう語っていた。
「最低」
下から見上げる彼女のおっぱい。アンダーとトップに意外と差がある。良かった。君はBカップだったんだね。
気がつくと、広い体育館のような建物の中に横たわっていた。数人の女性が私を覗き込んでいる。動けない。身体を起こそうとしても、手足すら動かない。金縛りか。生まれて初めてだ。ツイートしなくては。いやそんなことよりどこだここは。
「聞こえますか?聞こえてますか?」と、活発そうなOL風のお姉さんが私を覗き込む。白いブラウスの胸元から大きなおっぱいが作り出す谷間が見える。垂乳根。声に出して読みたい日本語。だが案の定、声も出ない。手も出ない。
「やだ。どうしよう救急車」
何故だか体操服を着た女子高生が慌てつつも優しい雰囲気で私を気遣ってくれる。他の女性も私を心配そうに覗き込んでいる。だが私は何も出来ないでいる。無意識な勃起しか出来ない。あなたたちは優しく美しい。誰かを助けようとしている快い人たちだ。素晴らしい人たち。なのに、なのに私は、あなたたちの胸しか見ていないのだ。あなたたちを人間として扱っていなかったのだ。
すまない。すまない。OL風のお姉さんが私の顔を覗き込むと、無防備な下着とおっぱいが私の目に飛び込んできた。すまない。ありがとう。ありがたや。
私はカウンセリングを受けている。
世の男がいかに女性に対して下心を抱いているか。それを知らしめる必要がある。自らの実験結果を通じて世に広められないだろうか。世の男は女性にとって危険な存在なのだ。初対面の女性を見たらまずは胸をチェックし、街で見かけた見ず知らずの女性と脳内でセックスするような生き物だ。私を一般男性のサンプルとして扱う、という仮定が成り立つならば。しかし私には自信がある。それが世の男性の習性であり、悲しい性なのだ。それを世の女性にもっと知ってもらいたい。
私の熱弁を聴くカウンセラーは、膝にかけていたブランケットで胸を隠した。美しい女性であった。私は微笑み、「もう胸は見ないんですよ」と言った。「痛みが私を変えたんです」
彼女の胸が隠されたことで、ストッキングに包まれた膝小僧が露わになった。
深く腰掛けた腰周り。細いが健康的なふくらはぎ。スカートへ向かって伸びる脚の間の暗渠。くびれが素敵。あの太ももにそっと手を触れたいな。
彼女は無言でペンを取り、手元の資料にそっと一本の線を引いた。
そんな諦めに似た絶望が私の心を満たし、そして痛みがやってきた。
元増田です。
まず前提として、私は無闇やたらと人に迷惑をかけることはしません。
これは悪人かどうかとは別の話で、たいていの場面で人を殴ればその場の関係として不利になります。人の嫌がることをそれとしってしても同じです。
私は小心者です。一人では生きていく力もありません。そのため他人と協力しますし、その協力関係を無闇に壊すことはしません。
その上でお答えします。法律から逸脱したところで人に迷惑をかけたとして、そのことで相手からまた「法律から逸脱したところで」やり返されることについて、特に私はなんとも思っていません。
もし、あなたが、大切にしていたものを悪人に奪われたら、それを奪い返そうと思わないか?
殴られたら、殴り返そうと思わない?
こちらについてはおそらくたとえ話で出しただけだと思われるので本筋とは関係ないのだと思いますが、あえてお答えします。
まず、奪い返そうとは思うかもしれません。それが大切なものなら手元に置いておきたいだろうと思うので。ただそれは憎しみなどとは別のものです。
殴り返そうとは思わないと思います。それが1度限りで特にその後続かないと思われるものなら、特に何もしません。その後も何度も殴られるようなら、おそらく殴り返さずにその相手から距離をとる方法を模索します。
あくまで私の場合は、です。そこで憎しみから奪い返そうと思ったり、殴り返そうと思う人が大勢いるということは(共感は別として)理解しているつもりですし、そのことについて特に文句もありません。
http://d.hatena.ne.jp/tokunoriben/20131126/1385471119
メーカーが出荷する段階での原価がどれくらいかは知らないが、そもそもコンビニでのお茶のいまの標準的な売価は125円。原価については、平時でだいたい35%くらい。なんらかの条件がついたときは50%くらいなので、50円から60円が店に入荷したときの原価というところ。ひとまず細かい計算がめんどくせえので店の利益は50円だとする。んで、そのうち半分が本部チャージ(もちろんチェーンによって違うし、契約の形態やら年数なんかでも違うけど)なので、この時点で店の取り分はだいたい25円くらい。ここから諸経費差っ引かれたぶんが本当の利益となる。
ちなみに本当の利益はだいたい1日の平均的な売上がそのまま月の収入になるってところ。なので、売価に対してだいたい30分の1が実際の利益となる。お茶1本売るごとに4円くらいが利益ってわけだ。となると諸経費は21円ってところである。経費の半分は人件費なので、ジュース1本につき10円が人件費。さらに残りの半分が電気代なので、5円くらいってところか。なおこの数字はわりとてきとうである。現実的には、たとえば現金過不足とか棚卸ロス、あるいは逆に利益率のいい商品がバカ売れとかいろんな要因があるので、商品ひとつあたりでの計算は不可能。計算できるのは粗利までかなー。
まあそんなわけなので、お茶単体で、っていうことになると計算は途端に難しくなる。なぜなら店では冷蔵庫が必要ない商品も多数あるからで、しかもジュースを陳列してある扉のないタイプの冷蔵庫(ウォークインと呼ばれる)は、扉がないだけに特に電気代がかかる。実質の電気代比率はもっと高くなる可能性がある。
なお、お茶を店頭で客に渡すまでのシステムが確立するためには、個々の兵員の優秀さよりはシステムづくりのほうが影響が大きいと思う。つまり物流拠点や配送網だ。これがグダグダだとどうにもならない。そのとき売れるものを適切に店頭に陳列するためには、多品種小ロットの商品を物流の時点で管理する技術と、メーカーと店舗間の流通経路の短絡が必須で、その短絡っていうのは特に時間的なことだ。つまり「注文したら可能な限り早く店に届く」ということ。
リンク先の文章が言うようにコンビニの品揃えってのは兵站思想が極端に充実した結果のものなんだけど、それを消費者に理解しろってのは無理。なぜなら「極端」にまで進化したものは、もはや関係者にしか理解できないから。仮にそれを理解しろというのなら、それこそ消費者個々人の「温情」や「理解力」に期待するってことになる。理解できないものを理解しろというのなら、それは「よくわからないものを丸呑みにして受け入れろ」ってことになって、それはそれで別の問題を引き起こしそうで恐ろしい。そこまで消費者に従順であることを期待できるはずもない。消費者はコンビニで消費者やるだけが仕事じゃないので、それぞれの消費シーンに関して兵站の思想を理解しろっつったってそりゃ無理。教育でどうにかなるレベルの問題でもない。
うまい棒については原価はだいたい8円くらい。なので単体でいくらいくらってかたちで儲けが出るわけではないが、そもそもうまい棒を1本で買ってく人は少ない。子供くらいだけど、きょうび子供だって10円玉握りしめてコンビニに来るようなことはほとんどないからねえ。あと商品にはマグネット効果ってのがあって、大なり小なりすべての商品がそれを持っている。目的買いというやつで「それを買いたいがために店に来る」という性質のもので、うまい棒に関しては比較的その効果を期待できる。なぜならあれほど著名な同タイプの商品はほかにないから。ワンアンドオンリーは強いねえ。ことほどさように、商品ひとつとってもその関係は相互に複雑で、最終的には「率」で判断するほかない。ジュースでは確かにコンビニは儲けを出しているだろうが、弁当やデザートは、単体ではメーカーも本部も、そして店も採算ラインとしてはきっつい、みたいなことも多いはずだ。
さて、個人的な考えなんだけども、ふつうの人が「事象を様々な局面や視点から考えて張り巡らせる」ってのはかなり難しいんじゃないかと思ってる。これほどいろんなことが高度に分業化し、かつそれぞれが効率化(数十年前とくらべてどれほど進んでいることか!)している状況では、たいていのシステムは関係者以外からはブラックボックスにしか見えない。考えることはもちろんけっこうなことだが、ブラックボックスについて思考することは、わりと陰謀論と相性がよいため、自分はあまりそこには期待していない。むしろいまの日本の息苦しさというものは、この効率性への過度の期待にあるんじゃないかと思っている。ビジネスにおけるシステムというのは、巨大な資金力を背景にした一種の「発明」であり、発明であるだけに、だれもがそれを効率的に作れるわけではない。逆にいえば、だれしもがそのときどきの最大の効率を追求しているはずなのだが、そこに「まだやれるはずだ」「もっと安くなるはずだ」「サービスが足りない」という有形無形のプレッシャーがかかることが息苦しさなのではないか、と。
じゃあどうすればいいんだって話なんだが、これに回答が与えられるくらいなら、増田で書いてないで政治家やら経済学者にでもなったほうがいい。心情的な問題としては「みんながやるだけのことはやってるんだ」という穏やかな共感、許しのようなものが相互にあればいいと思うんだが、上述したようにそれはそれでけっこう難しい。仮にできたところでそれは同調圧力につながるし、その反作用のひとつのあらわれが、ここんとこの炎上騒ぎなんじゃないかとも思える。
結局は体力的な意味での流血沙汰のサバイバル勝負になるしかねーのかなーと思ってる。つまり、最大のコスパ叩きだしたもん勝ち、ということだ。
せちがらいよのなかですのう。
兵站の思想にからめていうと、これは物流だけがそうなので、あとの店舗に入ってからのことは兵站というよりは戦略になるんじゃないかしら。つーかロジスティクスってまさにそういうことでしょ。
1万円では採算が取れないから3万円にしよう。
売れなくなるでしょ。普通に。1万円というのは、一番高い値段で売ろうとして、1万円で売れたの意味で解釈してください。
よそから買ってきたのなら、他社も買えるから、競争の原理であっという間に値段が100円になるだけ。 これが日本の液晶や半導体工場。
自社で開発したなら、技術で売上を改善できるけど、労働者 Aは生産性の向上に寄与してないよね? 他力本願だよね。
その場合、1000人働いていたのが、10人で良くなるわけだから レイオフされる可能性のほうが高いよね。
もちろん、生産がのびただけ売上が増えれば、その場合は、労働者も徳すると思うけど。(有力企業の労働者は単金が高いよねそれが理由)
だけど、日本は技術者には厳しい国だからな。むずかしいね。自社開発できる企業がどれだけあるか。
どう頑張っても日本で作るのは無理なので輸入しよう。Aさんは輸入部門に移ってもらおう
産業が空洞化して、デフレ化して 価格下落するから1万円も稼げなく成るのでは?
それに労働者と、輸入業者では 職種が違いすぎるからスキルミスマッチだから、レイオフして、輸入に詳しい人を普通は雇うのでは?
何度言ったらわかるの?
元増田が頭の中で思ってるだけならいいよ。
だけど、元増田が正しい前提で不特定多数に話を広めようとしてたら話は別ですよ。
知らずに見た人は「元増田の頭の中ではこういう解釈だから」なんて考慮しないでしょ。
こんなレスもついてるよね。
「最近の学生って、レポートの文献や引用にインターネットの個人ブログやTwitterの呟き持ってきたりするんだよねえ・・・」
とか悩んでおられたwww
真に受けてレポートに「ソースは増田です(キリッ」なんて引用する人も出てくるかもしれないわけよ。
なまじジェンダー用語入れて「こうです」なんて断言してるだけに、元増田はタチが悪い。正しい意味を知ったら赤面モノだよw
君も指摘しているように、元増田は作用と反作用にしか着目していない。本当の意思や目的にかかわらず、「そういうこと」にしているだけだ。
「売れているのが美味しい料理だ」的な大雑把な処理の仕方をしているだけ。
わかってるなら、絡まないでくれw
話術も見た目も優れている男性は女性にモテる。その男性に好かれたい女性は、ライバルに打ち勝つために頑張ってセクシーアピールする。
別の増田にもレスしたけど、この程度のゆるい話だったらツッコんでないってば。
>>>>> 【ここは元増田の頭の中じゃないんだ】<<<<<
だから、恋愛観を語るには社会からどのような影響を受けて意思決定したのか話さないといけないんですが
元増田は「男性の恋愛観」を語っているんです。その論拠が無茶苦茶です。ざっくり説明しますね。
元増田の主張。
・元増田はまず、ホモソーシャルはホモセクシャルに由来する言葉だと説明。
「男は本来、同性愛である。同性愛を回避するために、女とは体目的で付きあう。女を愛さない。これが男の恋愛観である」と主張
・男は皆、アッー!だけど、そうならないために女と付きあう。
→フォモフォビアとミソジニーを、文字訳通りに受け取り、ホモソーシャルとホモセクシャルを混同している。
実は、ホモソーシャルの説明のなかに「女性を貨幣と同じように交換する」という一文があるんですが
これは、社会や組織を継続する目的で、女性の存在が手段として扱われていることを説明したものなんですよ。
具体的には家父長制や政略婚で、女性が使い駒にされてきたことを話しているんですが、元増田はこれを「体目的」だと解釈して誤った主張を繰り返しています。
ホモソーシャルの概念が、観念に置き換わっているし、なぜ性愛の話にすり替わるのかも意味不明。
また、ホモフォビアやミソジニーを単語レベルで解釈していて、概念中の意味を無視している。
私の主張は、
・ホモソーシャルは、男性の同胞社会や男性権力社会のことを言う。ホモは「同一」という意味の接頭語であり、ホモセクシャルと混同すべきではない。
・ホモソーシャルの成立要件に、ホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性蔑視)とあるが
社会化していること(性愛とは別ですよ)をホモフォビアとし「社会を維持継続させる目的の中で、女性を手段として扱うこと」がミソジニーである。
・ホモソーシャルの概念を「ホモソーシャルだから、男はこんな恋愛観だ」などと、心理学の原型のように使うものではない。
・「◯◯観」は個人的なものの見方である。「ホモソーシャル」で語れるのは関係性まで。概念を観念的に使えない。
あ、追加でレスがついてた。
それこそこの増田は作用と反作用しか論点にしていないし、「社会からどのような影響を受けて意思決定したのか話さないといけない」は蛇足にしか見えないのだが。
元増田は、ジェンダー用語を用いながらも、生物学的な話をミックスした持論を展開しているんですね。
にも関わらず「こうではないか?」「僕はこう思う」という話ではなく「男性はこういうものです(キリッ」と断言しています。
ジェンダー用語を用いるなら、社会学的に(近代化で恋愛を啓蒙した流れなど)語らなければおかしいでしょ…という話です。
いえ、階層にすらなっていない話です。元増田の話はトンデモです。
生物学的には男性は体目的であり、女性は恋愛依存症であるとされています
ただ、恋愛依存症の女性は男性にモテないので、体目的になります
これが社会学です
DQN礼賛は言葉は悪いけど、どなたか社会学者さんもその手の発言をしていた記憶。
「恋愛で頭がのぼせて結婚~は、ロマンティック・ラブイデオロギーの最もたる効果」みたいな話をしてた。
そうなんですよ。これは社会学の教科書に書かれているだけじゃなくて、
文学史の初期の方に近代化の話はすでに出ていて、恋愛観が啓蒙されたものであるのは周知の事実なんですよ。
だから、恋愛観を語るには社会からどのような影響を受けて意思決定したのか話さないといけないんですが
他人に馬鹿という言葉を使うのは好きじゃないけど、本当に馬鹿だと思うわ。まだ気づかない。
それは私が説明してあげた説明でしょう。ホモソーシャルから女性が「性」をに価値のあるもの(商品化)だと自覚した話でしょう。
で、この説明は「性の個人売買」について書かれたもので、恋愛欲求が絡む話ではありません。
では従来の男女の恋愛観はどうだったのか、という話をしなければいけない。
「愛される」から「モテ」に移ったのはなぜなのかという話をしなければならないので、http://anond.hatelabo.jp/20130424015252 で、説明しました。
一方、あなたは「同性愛回避のために男は体目的。それにあわせて女性は媚びる」と説明してるんです。さも連動現象であるかのように。
そして「食料(お金)を渡したがる」と、こじつけをしてるんですよw
「目的」や「モテるため」や「思う」という意志的な動きに対して、作用反作用で「男がこうだから女はこうする」と決めつけている。
ホモソーシャルの話をするなら、もっと社会全体を俯瞰した話になるべきです。都合良く言葉を拝借してるからおかしいんですよ。
ホモソーシャル云々と言って、社会学的なものの見方をしたいなら、背景に社会のどんな動きがあって個人の意志選択に影響を与えたか書かなければいけない。
あなたは「男はホモソーシャルだから、女はこうする」という二者間の話しかしてないんですよ。概念を観念的に用いるのは危険な考え方です。
どうして恋愛依存症なのよ?
あなたの説明では、女性は全員が恋愛依存している話になってしまっています。
依存症という言葉をどういう意味で使ってますか?恋愛をしない女性をどう説明しますか?
「思う」の部分に関して、信頼性のあるソースを持ってきてもらえますか。
絵本やアニメなどは、ホモソーシャルを刷り込むためにそういうストーリーになっている訳ではなく、現在の社会がホモソーシャルだからそういうストーリーになっているのです
誤読しないでください。これはすでに説明した通りです。近代化で小説などによって恋愛観の刷り込みが行われたのは事実です。
社会維持のためにホモソーシャルの刷り込みがなされた。この流れは今も続いていて、個人の意思決定にも影響を与えているという話をしています。
いいえ、違います
あなたは作用反作用の話をしているのに「意思決定」を決めつけているんです。そこがおかしいと指摘しているんです。
「男性側が(伝統的に)こうだから」「それにあわせて女性はこうだ」って二者間の話しかしてないのに、普遍なものとして語るのがおかしい。
社会がどういう風に変化していて、個人の意思決定に影響を与えたかはまったく説明していない。
まるでユング心理学の「原型」のように、ホモソーシャルを理解している。これ、間違ってますから。
それまでの江戸時代では、男性同士の同性愛というのはかなり多かったようです
恋愛未文化だった頃の話を飛躍させて、あなたは恋愛観を語っているわけです。
江戸時代の同性愛は、一部にはそういう人もいたって話で、恋愛なのかと言うと疑問符がつく話なんですよ。
その話をするには、前近代の性の在り方がどうだったか説明しなければいけないし「性愛」と「恋愛」を分けるべきです。
あなたはその恋愛未文化時代の性愛の話とホモソーシャルをごちゃ混ぜにしてますが
ある地域と、ある地域の価格差があって、安い地域で買ってきて高い地域で売る。これによる物価下落。
この2つは常に分けて考えなきゃいけなくて、前者のためには最低賃金の下落は有効な対策になり、国際競争力が身につくけど
前者は地域間の価格格差がなくなれば解消するけど、後者はもともと賃金が競走に負ける原因ではないので、賃金が0になるまで競走が激化する。 (労働者も賃金が下落しても国が補填するので受け入れる)
市場原理が働いて、最低賃金を設定しなくても最低価格が守られる可能性はなきにしもあらずだけど、それ以前に急激なインカムの減少で国民の生活が破綻する可能性を否定出来ない。
輸出業に限ってという方針もあるけど、何が輸出業か?という認定で利権が発生しかねないのと、並行輸入による物価下落はやはり起きる。
なので、今現在並行輸入で物価下落が起きている業態に限ってとか、詳細条件をかなりつめないと難しい。
で、本当にそこまで、詳細条件を詰めきれるだけの執務能力があるかどうかは、実際に詳細条件を出してもらう以外に、判別のしようがない状況。
コレに関しては、政治的な調整能力ではなく、国際競争における国家の経営能力の問題だから、過去の政治的な調整能力は実績にならないのが痛いね。
http://anond.hatelabo.jp/20120724021819
これ読んで、似たようなケースだなあと思って。
というのも、結婚して10年目くらいで父親が信仰に目覚めてしまったから。
後だしジャンケンだ。だから俺の家族は強制的に泥試合に参加しなくてはいけなかった。
増田が今の彼と結婚した場合の家庭像に少しは近いかと思うんで、参考までに。
(創価学会の信仰の特徴は2ちゃんなどで得た知識なので、違ったらごめん)
"恋人として一緒にいる分には、何も支障がありません"
つまり、世間体だ。日本は(世界知らんけど)見えない空気感と戦わなくちゃいけない。
それが読めないと苛められちゃったりする。
日本で新興宗教に信仰があることは、あまり良い評判にはならないだろうな。
これで何とかやってけるのではないかと思った。
両家の家族間の問題はクローズドに行われるので、まあ頑張り次第(彼氏が宗教観で迷惑をかけない、彼女が宗教観を乗り越えられると説得)
で何とかなるんじゃないか。血のつながった家族だから、そこまで無下にはされないだろう。
友達、職場、ママ友、これに尽きる。バレたら裏でチクチクとバカにされる。
仲間が寄ってくるかもしれないけどw あまり良い事はないはず。
「選挙の時期に創価の友達から電話がくるよね」みたいなエピソードを「あるある〜まじキモいよね〜w」と軽く受け流せれば支障はないはず。
家に遊びに来られたら必ず、聖教新聞は他の部屋にぶち込んで、「旦那はゴルフに行ってて家にいない。」と言いきろう。
俺は父親が信仰をまったく押し付けなかったのが救い。これは父親のスタンスで大きく変わる。
思春期を迎えると父親の部屋に隠されたエロ本よりも、本棚に堂々と置かれた「人間革命」の方が如何わしい存在に思えてくる。
友達を家に呼んだ時に仏壇等見られるのが怖く、家に呼べない最悪なフラストレーション。堂々としたい、世間から認められたい、と強く思うだろうな。
そんな父親を責めた時に、母親が父親に加担するようなことがあろうものなら、グレる可能性もある。
しかし、そういった青春を送った子供は「人からどう見られるか」能力が秀でるので、他人の痛みも痛いほど感じれるようになり、他人に優しくなるという反作用もあったりする。
ここで増田のために、こんな駄文を書くバカ息子が生まれるってわけ。
本文でちょっと気になったところ。
”いざ自分の一番身近な人の信仰について知ったとき、受け入れられなかった自分自身に一番ショックを受けた”
"そんなことよりも一番大切で、悲しいことは、彼の信じてるものを私は一生信じられなくて、彼がそこまでして大事にしている信仰するという気持ちを、
私はこの先も共感できないことです。"
俺は父親の事が理解できません。血のつながっている相手でもわかりあえない。というか、もうあきらめましたわ。
結婚相手には血のつながっている家族以上に、多くをわかりあえる存在でありたいと思うもの。
ただ、聞いた時に受け入れられなかったのは母性本能に近い感覚じゃないかな?
「この人と一緒になった時に、超えなくてはならないハードルがたくさんある」
それをパートナーへの愛が強い弱いの話に置き換えるのは、はき違えもいいとこ。
この部分は間違いなく自分を責めなくて良い。それを増田に伝えたくてこの文章を書いてる。
こっからは、どれくらいのバランスを取るかって話。0か100か真ん中かってこと。
・隠し通す
恐らく「創価学会です」とオープンにして世間の見る目が劇的に良くなる、という日は訪れないだろう。
そんな時代に、リスクを取らずに生きて行くなら上に書いたみたいに隠しながら生きていくということかな。
・オープンにする
恥ずかしい事と一切思わず、オープンにする。そして世間の目から鈍感になる、ということ。
裏で何言われたって良いでしょう。死にはしません。
後ろめたいと思っている彼は、そんな増田のがんばりを見てキュンキュンしちゃうはず。
・ちょっとはみ出す
母親は「もうあの人はしょうがない」と腹をくくって、「旦那の趣味は宗教」みたいな形で仲間内では言ってるらしい。すげえ。
可哀想な奥さんを演じることで、周りを味方につける。
ただ、父親の前では彼をバカにしない。よくわかんないめんどくさい話も聞いてあげる。
世間体を少し変わった角度から保ちつつ、旦那のプライドも保つ。
これは、皆があまり傷つかない。
パートナーが盲目の場合は、もう1人がバランスを取ってあげる、ということ。
その覚悟をしてまで、相手を想う気持ちがあるのであれば、ちょっとはみ出す人生も良いんではないだろうか。
宗教観は今回の彼のように長い時間をかけて創られている場合、動きません。
それは増田が言っても、上戸彩が懇願しても、成瀬心美がキス我慢選手権を開催しても、絶対動きません。
俺も無宗教だけど、信仰を持つ人の異常さに気持ち悪さを感じる一方、自分が正常だと信じれるものだって何も無いとつくづく思う。
何となく働いて結婚して子供育てて幸せに人生終える、そんなことを目指してる。
でも、それだってマスコミが作り上げた資本主義が円滑に回るための、家庭像なだけだ。
だからそんな(普通の)奴らが目を覚ましなさい!って言っても、お前ら本当に目を覚ました状態なのか?って向こうの(信仰心がある)奴らは思ってる訳だ。
見ている世界が違うんだよな。
今回の増田の文章を読んでいると動揺もあるようだけど、好きな人と楽しく暮らしたいっていうような「普通志向」があるかと思う。
その考え方だと、あまりオススメできないかな。厳しいようだけど。
彼自身が「少しでも宗教観を分かち合いたい」と考えてるようなら、増田も人間革命をブックオフで100円で買って読まなきゃいけない。
それがきっと、彼にとっても幸せなことだと思う。
彼がどう考えてるか聞いてみたらどうだろうか。
どんな生き方をしたいか(その人生に創価がどう関わってくるのか)具体的なケースを聞いてみたらどうだろう。
今は感覚値だから、増田が嫌だなあ、と思う具体的な事例を想像してみよう。
昔の友達に話すのは、いける?
婦人会とかのイベントに参加するのは嫌だとか(主催者側の彼が嫁を参加させなくても平気なのか)。
仏壇は隠れた所に置かせてもらう(来客時は布かけるとか。できんのかw?)とか。
それで、増田が乗り越えられそうなら、考える。彼が求めるレベルとすり合せる。
無理なら、マスコミが作り上げた「クレヨンしんちゃん一家」みたいな普通の家庭を築けそうな人を、探せば良い。
どっちかが無理していることって、辛いからね。
俺はどんな宗教でも信じてる人は、基本的にピュアでいい人なんだろうなと思ってる。(金儲けとかに使う側以外の人ね)
前述の通り、今の日本ではそんな人達は、みんな肩身が狭いのかなと思ってる。
だからこそ、増田には無理して欲しくないし、増田の彼にも幸せになって欲しい。
何となく生きてる我々が、宗教を小バカにするのは良い。俺もキモいと思ってるし。
だけど、自分の信じてるモノの崇高さを語れるのか?って話。
この文章を読んだ人は、相変わらず宗教キモいな、って思っててもらっていいんだけど。
ちょっとでも視点を変えて、優しい目で信仰している人々を見てくれることを祈る。(決して信仰しろとは言ってない)
人に害を与えなくて、小さなコミュニティでやってる分には宗教って精神的には良さそうなもんだと思うんだけどね。(でもやっぱすげー気持ち悪いとも思うんだけど。)
でも今回のとこは政治とか企業まで関与してたりするから、ちょっと別問題か。話でかすぎてもうわかんないや。
おっと俺が怪しい宗教家みたいになってきちゃったぜ。
寄り道しないで、家帰ってここみんのDVDでも見よう!