DVではない。趣味である。殴られるのが好きだった。承認欲求だったのかもしれないと今は思う
出会い系を使ってその人と会った。金曜日の女になって毎週殴らせてくれ、そのかわりお腹が空いたらいつでもご飯を食べさせてやると言われたのでまあいいかなと思って承諾した。どうせ死にたかったのだ。
あなたは腹パンマンですねえ、というとよく笑っていた。笑った顔はチーターに似ていた。
そうして約束通りわたしは金曜日の女になって、毎週腹パンマンの作ってくれるご飯を食べたあと殴られた。殴っている時、腹パンマンはチーターの顔でよく笑った。
母親はわたしに暴力を振るう時笑わなかった。よくわからないけど腹パンマンは嬉しそうだったから母親よりいいなと思った。
わたしは金曜日の女なので、さみしそうな人を金曜日だけ抱きしめた。それ以外の日に日に腹パンマンがどこで何をしてどんなことを考えていようとわたしには関係のないことだった
腹パンマンがどうして人を殴りたいのかも、わたしがどうして殴られたいのかも話さなかったけど、彼の殴ることでしか埋められない何かを埋めていると思っていたし、わたしの殴られることでしか埋まらない何かを彼は埋めていた。
すこしだけ時間が経って殴らない人と付き合うことになった。もう会えませんという連絡だけして腹パンマンの連絡先は消した。
もうすこしして殴らない人は夫になって、わたしは殴られることで満たされていた何かがいつのまにか別のもので埋まっていたことに気づいた
最後に会った時、腹パンマンはわたしを殴らなかった。帰ります、と言って家を出る時、すこしだけさみしそうな顔をした気がした。
わたしにそんな顔を見せられてもわたしは金曜日の女なので困るな、と思ったことを思い出した。最後に食べたのは確かオムライスだった。そういえばオムライスはおいしかった。
彼の殴ることでしか埋まらない穴はもう埋まっただろうか。別のもので満たされているだろうか。知る由もないし知ったところでどうしようもないけれど、どうかどこかでしあわせに生きていてほしいなとも思う
うんち
殴られて育てられた女には家族との絆と殴りが同じものと錯覚していたのかもしれない。 SMでは厳しい打撃と蕩けるほど甘いご褒美のセットを繰り返していくことで打撃をご褒美と錯覚...