2019-04-28

腹を殴られて満たされる平成の女の物語

あれ?元気ないね。僕の顔を、いや拳をお食べ。始ま

りはマッチングアプリからセックスフレンド。笑いな

がら女を殴る男がいた。SMでは厳しい打撃

と蕩けるほど甘いご褒美のセットを繰り返していくことで打撃をご褒美と錯覚してゆく。痛みを与える側にも

うける側にも純粋な憎しみはない。女には殴られる事で満た

される自分を納得させるしかない過去があった。

よび出す前からプレイは始まる。お互いに言葉にできないなにかを満たしあ

うためにプレイする。

なぐられて育てられた女には家族との絆と殴りが同じもの錯覚していたのかもしれない。殴り殴

られるまでのプロセス食べ物を与えもてなした女を殴る、食べ物を与えられて腹が満たされた後女は殴られる、という儀式なのかもしれない。無抵抗な人を殴る背徳感。殴りを受け入れるサンドバックのような人間を殴る虚無感。肉のサンドバッグを

ごつい拳で殴る事で得られる反作用ー揺さぶられる肉、揺らぐ体幹、呻き、時には涙、時には体液ー、そして殴りを受け入れる女の存在が男の心を満たしたのかもしれない。言語化できない黒い衝動ー不幸な過去不安未来、噛み合わない社会、安らげない現在、逃れられない孤独ーを満たそうとする欲望が渇望する

きびしく強い衝撃と刺激と純粋な痛み。真正から怒りをぶつけ合う喧嘩に似た衝動は発散した後に虚無感を覚える。賢者タイムが訪れる。衝動人格支配された後に残るものは理性と

げんじつ。衝動支配された自分が本物なのか支配されていない自分が本物なのか湧いてくる自問。常軌を逸しているのかといえばそうではない。にんげ

んはそもそも常軌を逸する事で既成概念を打ち破り進化してきたのだ。極めて人間らしい精神であり行動であるといえる。そして笑わない顔で娘を殴る母親がいた。血の絆がある子供への憎しみを持った"しつけ"として殴るのは残酷なことに楽しみは無い。しつけの背景には自身価値観肯定と維持そしてそれに抗う子供への支配

よくがある。

うんだ子供自身分身であることは同時に自身の一部でもある。自身の一部が思い通りに動かないのだ。驚き悲しみ怒りが沸くだろう。もともと子供自分の臓器から成り立っているのだ。生殺与奪権は生みの親にあると考えてしまえば思い通りに育たない子供が失われてしまっても構わないと考えるだろう。自らが自らの炎症箇所を切り取るようなむしろ自身正当化する手術のような価値観なのかもしれない。だがしかし、親も子もへその緒が切断された時点で他人なのだ他人他人が生きていくにはお互いに尊厳が最低限必要だ。

まともな道も価値観存在するようで存在しない。あくま過去を振り返って受け入れられるかい

なかでしかない。偏った執

ちゃく心からまれ暴力に喜びはない。暴力を受ける側にも当然ながら無い。(リョナは別)生きる意味を見出せず、他人欲望に身を投げることで曖昧に生きてきた女ですら愛を知り生への執着を持つほど変化することができたのだ。欠乏を感じ女を殴り喜びを得ていた男も生きている限りはやがてち

ゃんと変わるだろう。彼は幸せになれるのだろうか。そこは長くはない人生のひと時を共に過ごした彼の行く末を信じてあん

んしていいと思う。

人間なんて存在するのだろうか。平均を人間人生に当てはめ

概念の"普通"は良くも悪くも概念しかなく、その定義存在するようで存在しない。つまり

ね、知ってる人も知らない人もみんなそれぞれ欲しいものを求めて生きる。死を選ぶことも含めて。そんな人たちが同じ空の下で同じ時空を過ごしているのだ。寂しいね。でも寂しさは平等なんだ。世の中に平等な事が在ると思うと嬉しいよね

記事への反応 -
  • 10代の最後から20代の最初にかけて、よく殴られていた。 DVではない。趣味である。殴られるのが好きだった。承認欲求だったのかもしれないと今は思う 出会い系を使ってその人と会った...

    • 殴られて育てられた女には家族との絆と殴りが同じものと錯覚していたのかもしれない。 SMでは厳しい打撃と蕩けるほど甘いご褒美のセットを繰り返していくことで打撃をご褒美と錯覚...

    • うんち

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