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はてなキーワード: 原典とは

2021-10-04

anond:20211004152950

それは俺も思ったけど、原典への愛着リスペクトがあればいいなら(しかイエローブラックよりヒエラルキー的に下なら尚更)ダウンタウン浜田が扮したビバリーヒルズコップがあんなに問題視された理由がわからなくなってくる。

2021-09-28

anond:20210928125459

ありがとうございます。長文読むほうなのにこのブログはまったく読み進められなかったのがモチベーションかも。

あとはインタビュー記事作成みたいな仕事に興味があって。

要約の癖でたぶん良く書きすぎちゃってるので、みんなも原典読んでね!

はんつ遠藤ブログ最後まで読めなかった人用の要約

梅澤愛優香さんに対する、はんつ遠藤意見

http://hants.livedoor.biz/archives/52184019.html

なるべく中立に書いたつもりだけどもともと否定側なので、そこは各自原典にあたってほしい。

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梅澤愛優香さんが出禁にした件のHは自分

言い訳みたいでかっこ悪いので黙っていようと思ったが、メディアから同じ質問が繰り返されるため面倒になりこの記事を書いた。

書こうと思った本当の理由は親しい友人数名からの、このままだと他のラーメン評論家迷惑がかかるので本人から何か発言してほしいという指摘。

写真撮影に関して

泥酔すると人が変わる。過去にどのような事例があったかの紹介。

”梅澤さんの件は、まだまだ良いほうですよ。他の女性とか、もっとひどい。”

身内向けにFacebook友達限定でやっていた「人妻シリーズ」の紹介。

業者(文中社名等の記載はないが仮に以下Aとする)経由で紹介された梅澤さんのラーメン屋さんへの打ち合わせ(以下、文中記載通り”飲み会”とする)中、こちらは泥酔状態だった。そこで「人妻シリーズ」の記事にするため、梅澤さんの写真撮影した。

ヤバイ中傷)の書き込みに関して

書き込みはしたが、中傷ではなく、単に起きたことを書いただけ。A社との飲み会後、梅澤さんに複数連絡したかは覚えていない。

「麺匠 八雲」の内装業者(B)が困っていることは事実。知り合いのラーメン屋さん経由で相談を受けている。

また、件の書き込みFacebook友達限定で発信しているので、なぜ梅澤さんにまで届いたか不思議

■推測

業者とのやりとり(A、Bそれぞれ)について、梅澤さん本人は知らなかったのかもしれない。

A社からの「梅澤さんが会いたいと言ってる」というオファーも、飲み会をセッティングしたいA社の嘘かもしれない。

B社も会社間のやりとりなので、梅澤さん本人は本当に知らなかったのでは。

謝罪

ごく少数のはんつ派は、ありがたいけど熱狂的でちょっと困る。その中でもたまに梅澤さんを攻撃する人がいるが、それは違う。

”本人はいたってそんなつもりじゃなかったんですが、期せずしてラーメン評論家さん、フードジャーナリストさんたちにはご迷惑をおかけしました。申し訳ございません。”

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以上。感想としては早く間にライター入れたほうがいいと思う。

後半に謝罪があるのに大半はそこを読まず嫌悪感と共に離脱してるんじゃないだろうか。

切り取る箇所によっていくらでも燃えそうなすごい文章だった。

ちょっとはんつ氏に優しく削りすぎてたので書き足しました。13:06

2021-09-22

聖書を読み終えた

エルサレムのおとめたちよ

野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください

愛がそれを望むまでは

愛を呼びさまさないと。

聖書(新共同訳)

大学2年生をしている。

一昨日、旧約聖書新約聖書を読み終えた。

キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。

なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。

率直に感想を述べる。

長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。

そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。

なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。

得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。

これからつの掌編を引用して、それぞれコメントをつけたい。

全文引用ちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。

なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書1052ページに載っている。



まずは『放蕩息子』からだ。

子どもの頃、こんな題名ドラマを観たことがあるかもしれない。

放蕩息子のたとえ

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたし友達宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなた身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

――ルカによる福音書 15.11-32(15章の11節~32節) P.139~140


最初意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。

「あ、これ講義で習った!限界効用の逓減だ!」とも思った。

さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。

なるほどと思った。イエス説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。

神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。

現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人意志尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。

聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。

次は、『不正管理人のたとえ』だ。

不正管理人のたとえ

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったときあなたがたは永遠住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかであるあなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140


それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画台詞を思い出した。

読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。

こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学Web講義中に、何度も考える機会があった。

からなかった。結局。

それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャー作品らしい。

しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。

どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。

腑に落ちない。聖書には矛盾する箇所がいくつもある。

例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。

(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)

でも、その一方で、「金持ち神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。

約二千年前に作り始められたわけだから矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正管理人の話には納得がいかない。

そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。

捏造された聖書

要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語解釈意図が入り込んでいった、とのことだ。

ならば納得できる。この『不正管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正管理人のたとえの正体である――解決

解説サイトヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしものおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想



聖書を読んでよかった。

はっきり言おう(ここイエス意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツ原典元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品派生しているか原則述べない。

例えば、①エジプト王宮でのモーセアロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャクセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。

かにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画小説ゲーム元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。

特に士師記サムソンには笑わせてもらった。スラップスティックギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。

聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。

聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。

ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。

キリスト者を迫害した人や、信心律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。

しかし、世の中というのは、そういうものではないか

同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。



わたし若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。

最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。

わたしの生まれた日は消えうせよ。

男の子をみごもったことを告げた夜も。

――ヨブ記 3.3(3章の3節) P.777


サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。

いつかは口に出してみたい台詞ランキングで第1位に入っている。

面白い書物だった。また一度は読んでみたい。

2021-08-28

アイアンリーガーに騙された -2-

1(https://anond.hatelabo.jp/20210828215226)のつづき

プログラムされた意思

 第九話では、トップジョイの正体と過去が明らかにされる。もともとダークスポーツ財団で「作られた」トップジョイは、ショックサーキットという枷を掛けられ、スパイ行為を「ほとんど」強制されていた。これまで意思を持ち、それを自由行使できると思われていたロボットが、実はそうではなかったということが、ここで明らかになる。

 もちろん、ショックサーキット自体第一話の時点でマッハウインディに埋め込まれた形で登場している。ダークスポーツ財団ロボットたちに背反を許さないようにし、彼らの自由を奪っている事実は、物語の冒頭から提示されていた。

 だが第九話から続くトップジョイ物語は、マッハウインディがショックサーキットに苦しみ、そして克服した第一話・第二話とは少し様子が異なる。マッハウインディが自らダークの元を去り、早々にショックサーキットを切除して完全にダークとの絆を絶ったのに対し、トップジョイはそこから十三話まで、「自らの意思で」ダークとの関係を持ち続けているのである

 トップジョイが――シルバーキャッスル好意を抱き、マグナムエースから手を差し伸べられていたにも関わらず――なぜ十三話までダークとの縁を切らなかったのかについては、明確な描写がなく、少々解釈が難しい。ここから先は憶測比重が非常に大きくなるので、ご容赦いただきたい。

 第九話で、トップジョイはフェアプレーを重んじるシルバーキャッスル、及びそれに共感する子どもたちを「理解できない」と言った。「ラフプレーをすれば客は喜ぶ」「客を喜ばせるのがアイアンリーガー」だと。

 これは、シルバーキャッスルを内部から撹乱するというスパイ行為による言葉ではない。トップジョイ本心だ。彼は本心ラフプレーを正しい行為と捉えているのである。同じ本心で、第八話でキアイリュウケンオーナーの絆に涙し、子どもたちと純粋交流を楽しんでいる一方で。

 同時に、九話ではトップジョイ過去と思いが垣間見える。「楽しむ」ことを大切にした結果、バスケットチームから放逐された過去。それでも忘れられない、バスケットリーガである自分に向けられた観客の歓声。あの場所に戻りたいという思いが、トップジョイ根底にある。

 彼がぎりぎりまでダークとの絆を絶てないでいたのには、この思いが大きいのではないだろうか。トップジョイがダークに従っているのは、ショックサーキットけが理由ではない。もっと根底の、自分存在のものに関わる意思ーーあるいは、心ーーである

 これは完全に僕の推測であるが、第八話で示唆された「ロボットは、人間役割を与えられ、それに相応しいように設計プログラムされて生み出される」という事実を踏まえると、トップジョイのこの「意思(心)」もまた、ある程度製造者によってプログラムされたものではないだろうか。

 作中で、ロボット意思思考、心が人間プログラムされたものだという直接的な言及は(現状)ない。だが彼らが「注文に応じて製造される商品」としての一面を持つ以上、ロボット人間赤ん坊と同じようにまっさら状態で納品されるとは思えない。彼らは製造された時点である程度の機体性能、そして知能と知識を有し、そこには人間意向が相当程度反映されていると考えるのが自然である

トップジョイ」という名前であるがーー彼らがある程度完成された状態で世に出るとしたら、彼らの名前は、その機能・性能にちなんだものであるのだろう(もちろんまったく関係のない場合もあるかもしれないが)。ロボット機能・性能は、つまり製造者が彼らに込めた役割と期待である。「ジョイ」つまり「喜び」。彼は、人に「喜び」をもたらす存在としての役割を期待されたのではないか。故に、ああいった明るい性格に設定され、他者の喜びを自分の喜びとするような性格プログラムされたのではないか。そして、そのプログラムされた心でラフプレーに喜ぶ観客たちを見て、それを自分の喜びとして、そして正しいこととして学習したのではないだろうか。

製造された時点でラフプレーを正しい行為としてインプットされていた可能性もあるが、第九話のトップジョイの「教わった」という言い振り的に、その可能性は薄そうである。)

 だが、その期待は裏目に出た。明るく楽しくを第一義とする性格チームメイトの反感を買い、彼は本来活躍するはずだったバスケットコートに立つことができなくなった。その後、シルバーキャッスルにおいてはーー彼自身純粋から本来スパイという立場を越えて、彼らに好意を抱いているにも関わらずーー逆にラフプレーを許すことができないシルバーキャッスルの皆の心を理解できず、孤立してしまう。

 そして、ダークから虐待を受けても、マグナムエースたちから手を差し伸べられても、本当に自分が望むことに気づきかけても、プログラムされた心で過去に学び、感じた喜びを忘れることができず、ダークとの繋がりを断つことができなかったのではないか

 人間の都合によってプログラムされた「心」によって、トップジョイは傷つき続けていたのではないか

 人間と全く同じように喜び、悲しみ、悩み、傷つく「心」を、人間の都合によって作り出すというこの世界の不気味さが、トップジョイによって突きつけられる。

 そして、第十一話でのS-XXXの結末が、それを決定的にする。

 S-XXXはこれまでのロボットたちとは違い、意思感情の乏しい存在として描かれる。それは本来、僕たちが「ロボット」と聞いて思い浮かべるイメージに近い。

 S-XXXはテンプレート的な「ロボット」として、命令だけを忠実に実行し、サッカーフィールドで「戦争」を繰り広げた。そして最後は、マグナムエースによって破壊される。

 第十一話では、これまでよりも明確にロボットが「商品であることが語られる。S-XXXはアイアンソルジャーという「商品」として、敵を殲滅する者としての役割として与えられ、その破壊力を期待され、品定めされる。彼のロボット然とした意思感情の薄さは、兵士として忠実に命令を実行することを求められ、そうプログラムされた結果なのではないだろうか。

 しかし一方で、S-XXXは「敵を倒す」という目的に対し非合理的シルバーキャッスルの行動に困惑し、動揺する。そして、マグナムエースの「新しい道」という言葉に、ほんの一瞬であるが、本来あるはずのなかった「迷い」を見せた。

 S-XXXにも、心は存在した。

 なぜS-XXXの製造者が「兵器であるロボット「心」が生まれるような知能を搭載したのか、その理由はよく分からない。スポーツ選手であるアイアンリーガーであれば、人間がある種のカタルシスを得るための機能として、人間と同じような心や感情を搭載する理由もある程度理解できるが、迷いが命取りとなる戦場に送り込む兵器に、それは不要のはずである

 もしかしたら「心」というものは、それは製造者意図的ものではなく、自分学習し、アップデートしていくことができるほど高度な知能には、逃れられない副産物なのかもしれない。

 いずれにしても、例え人間ほとんどをプログラムされたものであったとしても、兵器であったS-XXXにさえ、心は存在した。そして僅かに、けれど確かに「新しい道」へと進む可能性があった。

 にも関わらず、第十一話の商人たちは、彼を徹底的に「商品」として扱った。そしてS-XXX自身も、「戦場でない場所には存在不可能」と語っている。

 ロボットは、人間によって役割定義されている。そしてその役割を果たせなければ、彼らは自らの存在意義すら失いかねないのである

 この『アイアンリーガー』の世界に横たわる現実を受け止めるのに、相当な時間を要した。いや、実際まだ受け止められてはいないのかもしれない。人間は自らの都合によって、自分たちとほとんど変わらない心や感情を持つロボット役割という枠に押し込めて生み出し、その存在をも人間の都合によって左右する。この神の模倣とも思える傲慢さに、幾たび怨嗟を吐いたかしれない。

 一方で、自らの意志で生き、誇りを持って戦っているロボットたちを哀れみ、同情を寄せるようなことは、彼らに対する侮辱ではないかという思いもずっとあった。

 僕の心は千々に乱れ、分裂し、二転三転し、自己矛盾に苦しむ日々が続いた。「ロボットスポーツをする子ども向けのアニメ」を観てそんな感情に取り憑かれるなど、一体誰が予想できよう。

 しかし、である。一通り憎悪煩悶に身を投じた後に、ふと気づいたことがある。

 ロボットたちが置かれた現実は、結局、僕たちの生きる現実と同じなのではないか、と。

人間ロボットロボット人間

 僕が七転八倒している時、僕に『アイアンリーガー』を教えてくれた先達は、一つの問いを僕に投げかけた。「ならば、アイアンリーガーはどうなったら幸せなのか」と。

 頭を殴られたような衝撃を受けたせいで、僕がその時どのように答えたのか、正確には記憶していない。「彼らが、やりたいことをやりたいようにやれる」のようなことを言ったような気がする。

 月並み言葉を振り絞りながら、僕はぼんやりと「どこかで聞いたような話だな」と思った。よくある話。人間幸せを語るときに、よく言われるような言葉だと。

 そして、僕の思考は再び振り出しへと戻った。『アイアンリーガー』に最初に感じた、違和感にも似て、それでいて温かかった感覚人間ロボットが、同じ意志や心や感情を持つ存在として、同じように生きている世界

 第一話でマッハウインディはこう言った。俺たちロボットも「人間と同じなんだよ」と。

 それはつまり人間もまたロボットと同じであることを意味する。

 この国で生まれれば(その実態はどうあれ)、僕たちは一応、自由意志(ここでは各種の哲学定義無視して、単に「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択自発的に決定しうる意志」という意味で用いる。)を認められた存在である

 しかし、完全に自由人間など存在しない。人間もまた、さまざまな制約の中で生きている。親、夫、妻、上司、部下、教師学生、老人、若者、友人……そういった役割立場を与えられ、家庭環境ジェンダー経済力文化時代価値観……そんなあらゆる枠に押し込められながら、社会の中での「あるべき姿」「あるべき意志」を定義され、それに応える「社会人」に育てられてゆく。それは、人間、あるいは「社会」の要請意思や心をプログラムされるロボットと、実はそう大差ないのではないか(語弊を恐れずに言えば、教育とは一種プログラミングである)。

 真に自分の望むように生きている人間などほとんどいない。皆、社会の中で折り合いをつけながら成長し、社会の中で生きている。そして、労働市場の中で自らの価値を計られ、自己存在意義を証明し続けることを要求される。

(そうあるべき、と思っているのではない。ただ事実として、それが資本主義社会の一側面であることは否定できないとも僕は考えている。)

 その姿は、役割を与えられ、商品として売買されるロボットに重なる。

 もちろん、『アイアンリーガー』においてロボットたちが置かれている状況は、僕たち人間より深刻だ。彼らは自らの存在の前提として役割がある。役割がなければ彼らは存在し得ないし、その役割への期待に基づいてプログラムされた意志や心の拘束度は、人間のそれよりも遥かに強い。

 しかし、あらゆる寓話がそうであるように、度合いが強いからといって、それが全く違うということにはならない。制約の中で、それでもなお自らの意志を貫き通そうとするロボットたちの姿に、僕たちは僕たちの姿を見るのである

アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがきに書いてあったことだが、アンガス・テイラーという人は、フィリップ・K・ディックの書くアンドロイドについて(「機械的な行動パターンに侵された」、あるいは「内面的に阻害された」)人間隠喩象徴であると述べたそうだ。そして訳者浅倉久志氏は、この作品の中に「人間とは何か?」というテーマに取り組んだとしている。『アイアンリーガー』も、それと似たような物語ではないかと、僕は思う。つまり、『アイアンリーガー』に登場するロボットたちもまた、僕たち「意志を持つモノ」、つまり人間隠喩であり、『アイアンリーガー』は、「意志あるモノが自由を手に入れる」物語ではないかと。

 こんなことを考えているうちに、僕は『BEASTARS』のことを思い出した。『BEASTARS』の登場「動物」も、姿形は動物のそれであるが、やはり人間と同じような意思感情を持つ。彼らを通して描かれているのは、そういった心を持つモノたちのドラマだ。人間と同じ意思感情を持つモノたちが、しかし肉食・草食動物それぞれの身体特性、言い換えれば宿命という強制と制約を背負いながら、学校という一つの閉鎖社会の中で苦悩し、ぶつかり合い、時には折り合いをつけながら生きていく。負った宿命の中身や程度は違えど、そこに描かれているのは紛れもなく心を持つモノーーつまり僕たちの物語である

 と、このような書き方をしたが、あくまでこれは『アイアンリーガー』(や『BEASTARS』)という作品に僕たちが心を動かされる「絡繰」、結果論をそれっぽく言い募っているだけである。『アイアンリーガー』は(恐らく)寓話ではないし、アニメスタッフが彼らロボット人間象徴、あるいはその苦悩の投影先として選んだ、というのも(なんとなくだが)違うような気がする。正直、単にロボットが好きなだけな気がしてならない。

 これについては、象徴隠喩というよりも、同じく『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』の訳者あとがき引用されていた、次のような表現が相応しいように思う。(原典に当たっておらず申し訳ない。)

ディックにおいて、人間アンドロイド生物学上の、あるいは自然科学上の区別は、まったく無意味である。(中略)ディックは、『アンドロイド』と『人間』の形式上区別には関心がない。(中略)ディック世界では、そもそも人間機械自然と人工といった単純な二分律は棄却されている」(『銀星倶楽部12 後藤将之氏「フィリップ・K・ディック社会思想」)

アイアンリーガー』に描かれているロボットたちの生き様を語るのに、彼らが生み出された経緯や理由に潜む人間の驕慢さなどは、意味をなさない。彼らの前で、人間自分たちと同じ心を持つモノを恣意的に生み出すという行為の是非を問うことは無意味であるいかに彼らのルーツに薄ら寒い人間欲望が渦巻き、彼らの意志人間によって指向性を持たされているとしても、それは彼らが「その」自らの意志決断し、戦い、生きてゆく征途の輝きを何ら曇らせるものではない。

 彼らは、ロボットとしての宿命を背負う自らの存在を呪うことはない。背負った宿命の中で、心を持つ故に葛藤に苛まれながらも、心を持つ故に抱いた意志で、自らの宿命を乗り越え、未来を切り開いていく。フェアプレーをしたい。スポーツをしたい。道を極めたい。この場所にいたい。君と一緒にいたい。たとえ世界がそれを許さなくとも、世界がそれを笑おうとも、自らの意志で在りたいように在る。その姿は僕たちと地続きのものだ。彼らはロボットであるから尊いのではない。僕らと同じであるから、眩しいのである

3(https://anond.hatelabo.jp/20210828220439)につづく

2021-08-04

anond:20210804145220

まてまて。ラノベ原典は論争の種になる。

今のスタイルになる前は普通にライトファンタジー系が主流だったんだよ。

スレイヤーズとか・・・

2021-07-26

anond:20210723234128

ブコメに訳はおかしくないって人が多いが

とある C++ 教本で、「new operator」が「新しい演算子」って訳されてたんだ

これは誤りで

オブジェクトを生成する「new」という演算子があるんだ

× 新しい演算子オブジェクトを生成しま

〇 new 演算子オブジェクトを生成しま

翻訳する人がその演算子を知らなければ間違った訳になるが

文章単体では評価できない

結構このレベル誤植はありふれてて

必ず原典を当たるという人も多い

2021-07-10

anond:20210502092530

批判したいんなら原典に目を通したら?

俺には元増田ピケティサンデル図星つかれてうだうだ言ってだけにしか見えんのだが。

2021-07-08

anond:20210708091645

いやいや、原典を読めよ…

(だから体験してない物事批評するな、とあれほど)

2021-06-08

anond:20210608115054

ちな、「トロフィー女」概念ゲーム映画なんかで、散々叩かれた奴なんだよな

助けられるだけのお姫様だの

成功報酬としての恋人だの

そこから、なんで「美しい女」でなければならないのか、まで発展してて

スターウォーズじゃそりゃ燃え

そういう風に発展させて使われてんのに、トロフィーワイフの概念だけ、原典に則り一切の誤差なく使われるべきだとか

馬鹿じゃねぇの?(AA略

って思うんだが

2021-04-26

anond:20210425022947

共通言語たるドメインモデルを、そのままコードと1対1対応しなければならない、という思い込みや風潮。

既存のWAF(Web Application Framework) の利点を潰してどうする…」

こういう誤った思い込みエンジニアにさせているのは、ドメイン駆動設計の原典であるエリックエヴァンスドメイン駆動設計」が、いか抽象的な内容で、ある意味では哲学的であったかを、明示するものでは無いか

プログラムとはメタファーであり、現実を、もしくはそれに準ずる写像的な世界観を、コードに忠実に再現するものでは必ずしも無いと考える。この記事増田は「過度な抽象化」とも書いているが、プログラムというか、そもそも言語のもの物事の全てを表象できるものではなく、ある一側面の一イメージしか切り取れない不完全なものだし、それ自体問題ではない。現実ソフトウェアの溝を、ユーザーエンジニアの溝を、ドメインソースコードの溝を、いかにして埋めるかというのが、ドメイン駆動設計の本質だし、その埋め方についてはエリックエバンスは一例を示しているに過ぎない。EntityやValueObjectなど、必要なら使えば良いし、不要なら使わなければ良いのだ。ただし、元々何が問題なのか、問題だったのかという点について、いかにして向き合うかが肝要であり、それは技術論や方法論の話ではない。

ドメイン駆動設計の記事を書いたり、勉強会で発表をしている人間は、原典やそれに付随するドキュメントの内容を、無批判に信奉し、そのようにしなければならないという強迫観念に追われているのではないかそもそも、本当に理解しているか怪しいし、不安から教科書の内容にしがみつこうとするのだろう。さらにこの手の連中は、昨今のCQRSやイベントソーシングマイクロサービスなどとも絡めて話をし出すから、タチが悪い。「ドメイン駆動設計はこの手の技術スタックと相性が良い」という言葉を何度も見かけたが、技術的な方法論はそもそも無関係だったはずだし、そうやって安易に結びつけてしまうからユーザーが置き去りになって来たんじゃねーのと、暴言でも吐きたくなる。問題本質はどこにあったのかを、聖典の内容や、流行り廃りの技術とは切り離して、エンジニアは三思九思すべきだ。

別にこうあらなければならないという法律や決まりは無いし、好きにやれば良い。モデルと1対1にならなければ、分割する事を選択するのも一つの向き合い方だ。ドメイン駆動設計の信者にゃんにゃん写真でも撮られて、ばら撒くと脅迫されているのであれば勿論話は別だ。恥ずかしい写真魚拓されたくなければ、とりあえずEntity、ValueObject、Repository、Service(笑)位は最低限、用意するのが身のためだろう。

自分の頭で考えて、自分責任判断するという当たり前の事に立ち返りたいものだ。ドメイン駆動設計という盲目的な宗教からいかにして抜け出すかが今後のエンジニア課題だろう。

追伸

増田ドメイン駆動設計が大好きです😘

2021-04-22

anond:20210422021816

日本で紹介された元はその文書からそれを読めばいいという意見には賛成するけど、一昨日調べた限りでも"Brahmin Left"という用語はJanan Ganeshが2016年1月フィナンシャル・タイムズですでに使っていたから、その文書原典では無いと思う。

↓ペイウォールの向こう

The UK Labour party’s farewell to the working class

https://www.ft.com/content/01fb068c-c348-11e5-808f-8231cd71622e

2021-04-07

anond:20210404070413

からオタク向けとして作られたコンテンツではなく、

一般業界原典があるものからわきまえようね

っていうよくある話で異様でも何でもない

2021-03-27

anond:20210327175320

ここで本人のツイートを見てみましょう

電車に乗ろうと京浜東北線ホームに並ぶ。今の時間は全く混雑無し。電車が到着しスピードが落ちる。私の乗り口は降りようとする人も2人。私から見て右側から出ようとする乗客目視し、私は左寄りのスペースから乗ろうとした。すると私より背も高く大きな体の男性が突然方向転換して私の右肩に激突。

「私から見て右側から出ようとする乗客目視し、私は左寄りのスペースから乗ろうとした。」

完全に他人が降車中にそれを認識した上で横入りしようとしてます

炎上した後お仲間になんで言い訳たか知らんけど原典はこれです

エヴァンゲリオンに「さらば」出来ない問題

めっちゃ多いよね、出来ない人たち。

コピーは「さらば、全てのエヴァンゲリオン」なのにTwitterやらなんやらで「さようならエヴァンゲリオン」みたいに「さらば」じゃなくて「さようなら」を使う人多すぎじゃない?

映画見たあとなら「さようなら」に引っ張られるのはわかるけども。

コピーの「さらば」は間違いなく”さらば宇宙戦艦ヤマト”から来ていると思うので、エヴァンゲリオン卒業出来ないとしても”さらば宇宙戦艦ヤマト”と同様にTV版制作への期待を込めて「さらば」を使った方がいいのでは?

そんなことよりも原典に忠実であろうとしないのは改変コピペが当たり前になってしまったのだろうか。

2021-03-23

勉強するほど今の日本薩長幕府だと痛感する

明治時代になって近代日本が花開いたみたいな文脈で話される日本明治維新なんだけどさ、今の日本におけるいろんな問題って結構明治時代に始まってて、何故か政治家たちはそれを日本の伝統とか言い張って変えるまいと踏ん張る。

だけど明治以前には全くそんな事なくて、むしろ明治時代改革によって作り上げられた問題結構あって、もっと紐解いてみると結局当時の日本政府を牛耳っていた彼らが結構良いように日本をいじくり回した事がなんだか見えてくる。

そう考えると今の日本って薩長幕府だなと思うわけだよ。

最近家父長制についてちょっとwiki読んでみたらさ「もともと日本の家父長制は長州の一部にあったものが広まった」とかなんかそんな感じで書かれてて、あーそういうことですかーとかおもった。間違ってるかもしれないか原典当たれよ?

何ていうか、今のにほってつくづく明治政府と言うなの薩長幕府呪いでがんじがらめなんだなと思った。

2021-03-21

オタクお気持ち長文セレクション

お気持ち長文といえば女オタクが書くものというイメージがあるが、男オタクが書いたお気持ち長文も少なくはない。

簡単な紹介文とともに紹介したい。

7年間いたジャンルを離れた自分ハム太郎アンチを笑えない

anond:20200614131659

ゆるゆり作者が自分取り巻きばかり優先し、普通ファン蔑ろにすることで心が折れてしまった増田

タイトルの付け方、文章構成オチまで完璧。圧巻。

作者と繋がっていなくても作品を好きでいることで愛を証明しようするも、ついに折れてしまう展開は哀愁を誘う。

無償の愛を捧げ続けるだけであれば耐えられたかもしれないが、露骨な扱いの違いに疲れ果てる様は同情するに余りある

クラウドファンディング対応のお粗末さは制度自体への信頼を揺らがすものであり、増田ならずとも憤りを感じるであろう。

まとめておいてなんだが読み返したら女性のような気がする。でも紹介したいので許して。

追記百合好きが野郎キャラヘテロババアお気持ち表明

anond:20200717180056

アイカツ! -アイドルカツドウ!-の大空あかり瀬名翼のカップリングが許せない増田

ヘテロ同人に対する暴言の切れ味が鋭く小気味良いが、それ以上に公式側の人間投稿したせなあかを推奨するようなツイートに対しての激怒が凄まじい。

可能性を生み出しただけでアウトなんだよ」はけだし名言であるが、原典以外でこれほどこの言葉が似合う文章を私は知らない。

女の子同士の友情を描いてきた作品で急に恋愛を入れるなというのは一種正論であり、素人が言うのと公式サイドの人間が言うのはわけがうから立場を考えろというのは完全な正論である。怒りを覚えるのも当然だ。

最後に冷静に自身省みる辺りに増田人間性が伺えどこか微笑ましさを感じられる。

続き(anond:20200817181345)にあるブクマカへの返信も愛を感じられて必見。

追記アイカツ!に引導を渡された

anond:20200812183017

実写とアニメを融合させたアイカツプラネットに引導を渡された増田

今までアニメしかなかった作品名前を使って突然実写ドラマ化を発表されて戸惑うのは当然であるし、作品への愛ゆえに感情を爆発させるのもまた当然だ。

「うるせえでございます。黙ってろでございます。」から続く冷笑系へ向けての罵倒と、わかっているがその上で怒っているのだという下りは名文。

「俺たちは数字で動いてるわけじゃない」とはオタクであれば誰もが一度は思ったことがあるだろう。抑えきれない感情とはこのことをいうのだ。

そうしてひとしきり怒りを吐き出した後、最後に改めてアイカツプラネットへの期待を綴って終わる。爽やかな読後感を残す稀代のお気持ち長文。これぞオタクだ。

こちらも続き(anond:20200813130432)が投稿されている。

アイカツ!に引導を渡されたアイカツ!ゾンビに引導を渡した

anond:20210120180007

上の続編。アイカツプラネットを受け入れ楽しんでいる増田

DCDの方は今ひとつダメなようだが、実写パートがありガワが変わってもやっていることはアイカツなのだと楽しめているよう。

本人が楽しめているなら何よりであり、アイカツプラネット増田の期待に応えてくれたようだ。

このような後日談を読むこともまたお気持ち長文を読む楽しみの一つである

作者に嫌われているキャラクターを好きになってつらい

anond:20200724234926

ぼくたちは勉強ができないの武元うるかの扱いが不遇で作者に愛されていないと嘆く増田

原作の展開をつぶさに追いながら感想を書いていて、憤怒と憎悪愛情がありありと伝わる。

上の2人のアイカツ増田からはある種の爽やかさを感じるが、こちから感じられるのはドロドロとした激情だ。

ハンロンの剃刀であって好き嫌いというよりは無能想像力の欠如の合わせ技に思えるが、当事者にとってはどちらも変わらないのだろう。

煮えたぎる怒りを文章にして、叩きつけるように書き殴る。これもオタクだ。

追記】作者に嫌われているキャラを好きになったら特典でも冷遇されてつらい

anond:20210308181806

上の続編。ボイスドラマと各ルート最終話後の後日談ヒロインの中で武元うるか一人だけなかったことが許せない増田

ヒロイン全員が並列、平等を謳った作品での推しキャラへの仕打ちであり、増田の心情は察するに余りある

作中以外での扱いの違いは無能ではなく無配慮と無神経の産物であり、実情がどうあれその格差に悪意を見出すのはそれほど難しいことではない。

無限死体蹴りされると書いたら現実になったとはまさしく増田の実感なのだろう。

愛が報われるとは限らない。公式に切り捨てられたファンの恨みつらみが詰まっている。

追記③】女児アニキャラに乳を盛る馬鹿と賛美するアホ全員死ね【続き有】

anond:20210210183005(削除済)

魚拓https://megalodon.jp/2021-0211-1903-52/https://anond.hatelabo.jp:443/20210210183005

webarchive:https://web.archive.org/web/20210211040932/https://anond.hatelabo.jp/20210210183005

アイカツフレンズ!の友希あいねにブルーアーカイブエイミの衣装を着せる二次創作が許せない増田

豊富な語彙の鋭い罵倒にキレのある文章で人気を博したもの身バレして削除。脇が甘い。

ブログ増田投稿したとアピールするとかここをなんだと思っているのか。

もっと女児アニメキャラに乳を盛ること、露出度の高い衣装を着せることに嫌悪感があるファンがいるのは当然であるのでその気持ち尊重すべきだろう。

それを理由二次創作をやめる必要がないこともまた当然であるし、発端の絵は性的魅力より可愛らしさが全面に出ているようには思うが。

公式に殴りかかる男オタクほとんどな中、二次創作界隈に向けて書いた点で希少性が高い。

総評

オタクお気持ち長文は女児アニメ百合関係が多かった。というかアイカツが多かった。一体何が彼らを狂わせるのか。

男が好きで炎上やすジャンルといえばラブコメだが意外にもぼく勉以外は見当たらない。あれだけ言われている五等分にないのは予想外だった。

サンプル数が少ないものの、二次創作同人界隈に向けてではなく公式に向けて呪詛を吐くのが男オタクの傾向といえそうか。

アイマスFGO関係もありそうだが増田を見始めた時期のためか、見かけたことがなく紹介できなかった。

なおエヴァネタバレ回避のため見ていないのであしからず

余談だが!や?が多いとカラッとした印象になり、それが少ないとドロドロとした印象になる。

余白になる部分の差なのか脳内で読み上げたときの差なのかはわからないが、書くときの参考にされたい。

2021-03-17

anond:20210316230236

まあ離婚するやつも死ねみたいな話ですから聖書原典はー

それでわざわざ離婚したい英国王英国教会つくったんじゃん

ゲイ婚したい国民ゲイ向けキリスト教つくっても別にいいんじゃないの ハナホジ

2021-02-19

anond:20210219143644

古典先生おしえて!

古典は、なぜ義務教育の科目なの?

まぁ自国の古の言葉から国民として学ぶべき」とか精神論なのかな。愛国心の育成とかなのかな。

例えば、理系科目は「技術の発展、ひいては国の発展に繋がる」とかで納得。

社会は「組織機能させるため、他国と競うため」とかで納得。

現代文は「他社とのコミュニケーションのため、論理的思考力を養うため」とかで納得。

では古典は?

「故きを温ねて新しきを知る」はその通りだと思う。

けど、一次情報に各個人アクセスする必要あるか?翻訳された文で十分じゃないか

文化の発展」のためか?

もちろん歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化だと思うよ。でも義務教育でやるほどなのか?趣味レベルじゃないのか。

古典の代わりに、法律情報処理のが国民必要教養ちゃうんか?

古典を学ぶことは意味がないとは思わないが、学ぶ人数が多すぎると思う。

(と、書いていて思ったけど、そんなに学習時間多くないか?)

---

(追記)

義務教育って書いたけど、高校も含んで。履修する人多いから!

mazmot 国語教師の中に勘違いしてるのが多いけど、国語科は基本的英語と同じ語学教育古文は、現代語を理解する上で役に立つ。ただ、漢文に関してはねえ。 https://mazmot.hatenablog.com/entry/2017/04/06/233342 2021/02/19

かに現代語を学習するときに、由来や成り立ちとして古文が登場するときあるかも!

素人としては、そんな説明なくてもよいと思うけど、言語学者的には必要という判断なのかな。

B2igwzEE 「理系科目」「社会」というくくりのなかに義務(+高校)教育必須かどうかで議論の分かれる要素はあると思うが、なぜ国語だけを細分化して考えるのだろう

大分類でも、理由共通して記載できるからまとめて書いているんだよ!

下記みたいに個別に書いても同じだよ!

化学は「技術の発展、ひいては国の発展に繋がる」

物理は「技術の発展、ひいては国の発展に繋がる」

国語を細分化しているのは、物事理解するためには、階層や項目に分けて問題点特定していくためだよ!

primedesignworks 現代文の「〜の気持ちを答えよ」の方が余程無駄時間だと思う。著者は登場人物でないから正解が不明問題よりも、古文漢文は正確に読めるかの方が多いから楽。ぼくは、古文漢文のお陰で国語の点数が成り立ってた。

「〜の気持ちを答えよ」は「〜の気持ち文章を基に論理的に推測せよ」と質問しないとだめだよね!

mats3003 お前ら、科学の基礎研究に対する発見に「それは何の役に立つんですか?」というマスコミ質問小馬鹿にするくせに、学校教育については平気でこういうこと尋ねるんだなwww

どういうこと?

基礎研究に対する「何の役に立つの?」には、「医療分野の新薬の開発に役立つ可能性がある」とか「暗号化アルゴリズムに応用できる可能性がある」とか説明できるし、しているよね?

理由があるなら、それを答えればいいんじゃないの?

結局、古典は何で義務教育対象なの?

jminmin 人文系の基礎体力みたいなものからじゃないの。歴史学にしろ文学しろ数学語学と一緒。

そうなんだ!

「人文系の基礎体力」となる理由をおしえて!

例えば、数学は「化学物理などの自然法則定量化して原理を利用するために使われる」とかみたいな感じで!

takinou0 古典やらないと日本人過去に考えてきたリソースアクセスできないからじゃないかな。明治よりも前の話が読めなくなると思う。 誰かに翻訳して貰えばいいじゃん、というのは英語も同じこと言えちゃう

古典必要理由」じゃなくて「古典義務教育対象となっている理由」を知りたいんだよね!

英語は、英語の文献はリアルタイムで増えていて、自身で一次情報アクセスするメリットがあるよね!

古典は、新たな文献が発見されたとして、量はたかが知れていて、専門家翻訳すれば足りるよね!

ぜんぜん同じことは言えちゃわないね

take-it 文法を事細かにやるより、言葉の変化や文化の変遷、逆に変わらない人間精神を学んだり、長年読みつがれてきたものを読む、原点に当たるという学問的態度こそが、古典の授業で大事だと思う。

言葉の変化や文化の変遷」:それをまとめた結果を読めばいいんじゃないの?

「逆に変わらない人間精神を学んだり」:現代文翻訳文じゃだめなの?

「長年読みつがれてきたものを読む」:精神論的なアレ?

「原点に当たるという学問的態度」:英語を修得したほうが効果大きいよね!

caps_lock 巨人の肩の上ではないのかも知れないけど、文学社会でも我々は積み重ねられてきた何かの上に立っている。その何かを学ぶのは義務教育としてそう的外れではないのではないかと思う。

「その何かを学ぶのは義務教育としてそう的外れではないのではないかと思う。」この理由説明してほしいんだよね!

まり古典を学ぶ」→「●●●という作用がある」→「義務教育として必要」って説明してほしいんだ!

about42 漢文を知って英語見直すわかるぞ感がある。こちらは語学しろだとしても、現代語訳だけで原典を読める技術を与えなくていいって、有史以来から行方正でとプロパガンダきてもファクトチェックもできへんぞ?

漢文を知って英語見直すわかるぞ感がある」:ストレート英語勉強したほうが効果大きいよね!英語を修得するために、その補助のために古典義務教育としているの?

有史以来から行方正でとプロパガンダきても」:ちょっと何言ってるかわからないです!

ファクトチェック」:古典ファクトチェックで具体的にはどんな文献?それって専門家がいれば足りることじゃないの?

2021-02-12

必読書コピペマジレスしてみる・海外文学編(1)

方針

ホメロスオデュッセイア

イリアス」は捕虜奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観から問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。

ユニークなのは劇中劇的にオデュッセウス時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロス時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。

実は「ラーマーヤナとある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。

旧約聖書創世記

聖書はなんせ二千年前以上の宗教書から原典に当たる前に基本的出来事の流れと時代背景や当時の常識理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。

ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫聖書物語のほうがいいかもしれない。

ソポクレスオイディプス王

犯人探しが不幸を呼ぶことからミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。

これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。

唐詩選』

一般教養唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学思想界隈でここまでホットトピックになるとは予想してはいなかった。

他にいいな、と思ったのは杜甫厭戦歌「兵車行」。

ハイヤーム『ルバイヤート

酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイト高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。

ダンテ神曲

フィレンツェ追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物聖書ギリシア神話歴史上の人物も多く、ヨーロッパ歴史文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。

ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しか風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。

ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。

ラブレーガルガンテュアとパンタグリュエルの物語

未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。

シェイクスピアハムレット

四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタ結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明映画元ネタでもある。

興味深いのは、劇中劇というかメタフィクション必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア

セルバンテスドン・キホーテ

基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味書物だとしか思えないのだが(というか最初時代遅れの騎士道精神批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアム映画化した。

スウィフトガリヴァー旅行記

自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃん夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。

とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。

スターントリストラム・シャンディ』

夏目漱石吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身誕生せず、しか物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。

だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。

サド悪徳の栄え

未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。

ゲーテファウスト

個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。

スタンダールパルムの僧院

未読。同著者の「赤と黒」は貧乏青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。

ゴーゴリ外套

さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物メモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。

ポー盗まれた手紙

ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社ポー全集には、ポーユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白ジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年文学少女としては必読か。

エミリー・ブロンテ嵐が丘

最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠にからも愛されない、だから他人幸福破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。

メルヴィル白鯨

スターバックスコーヒー元ネタ

映画マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身クジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。

敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長狂気についていけるかどうか。

フローベールボヴァリー夫人

自分人妻萌え発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。

続きますanond:20210212080411

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