はてなキーワード: 乗客とは
ここ数ヶ月ぐらいずっとそうだ。
年寄りが若者のせいだと言い、若者は年寄りのせいだといい、おじさんはおばさんのせいだといい、おばさんはおじさんのせいだと言い、
政治家は国民のせいだと言い、国民は政治家のせいだと言い、いつどこをみても誰かが誰かを口汚く罵っている。
誰かが医者のせいだと言い、誰かは専門家のせいだと言い、誰かはアスリートのせいだと言い、
コメンテーターが悪い、学校が悪い、子供が悪い、親が悪い、ミュージシャンが悪い、演出家が悪い、ワクチンが悪い、スポンサーが悪い、自治体が悪い、市役所が悪い、区役所が悪い、市民が悪い、電車が悪い、乗客が悪い、日本人が悪い、外人が悪い、飲食店が悪い、客が悪い、そんなんばっか。
みんな次に来る悪い奴を待ち構えている。次はなんと言って叩きのめしてやろう。
ニュースを見るのが一番辛い。悪い情報、悪い言葉で溢れかえっていて気が滅入る。
なんの言葉もない、どこかの何もない通りをずっと流してくれていれば気が休まるのに。
GDP世界3位じゃないじゃん。日本はまだGDP3位だし株価も通貨もそれなり
メインカルチャーじゃないがニンジャ・ラーメン・ポケモン・マンガ・ジャパニメーションは知らんヤツおらん
というか一部部門では既に追い抜かれてるかも知らん
<ナイジェリア>
アフリカのIT拠点、ナイジェリア(ラゴス)で成長する新たなフィンテックインフラ
アフリカ金融をAPIでつなぐ「Flutterwave」ユニコーンに
ドローン配送Ziplineが約280億円調達、コロナワクチン配送に威力
<ベトナム>
国産ワクチン「ナノコバックス」、WHOの専門家が評価へ
https://www.viet-jo.com/news/social/210630082323.html
ハノイ:スマホアプリで新型コロナワクチン接種登録受付
https://www.viet-jo.com/news/social/210709191729.html
バス乗客のマスク非着用検知AIアプリ発表、開発会社が無料提供
https://www.viet-jo.com/news/economy/210608124949.html
NIKKEI ASIA ベトナム初のユニコーン企業VNGを評価
ベトナム、産業ロボット市場の規模で世界7位
俺:アラフォー 既婚 チー牛
電車通勤の俺は郊外から都内まで、始発駅から終点まで毎朝1時間近く電車に乗っている。
始発駅から乗る人は数人しかいないので、俺は常にドアに一番近い端の席に座っていて、
15分ほど乗ると乗換駅に停まり、乗客が乗ってきて、空席はなくなる。
そこから5分ほど乗った次の駅で美人のOLが乗ってくる。桐谷美玲を少し地味にした感じ(以降、美玲と表記)
美玲は俺の目の前に立ったり、向こう側に立ったり、優先席の前に立っている。
時折腰を抑えたりしつつ、基本は両手でつり革に捕まり目を閉じている。
そこから25分ほど乗ると都内の大きな駅に着き、車内に空席ができる。
美玲もこのときばかりは、見つけた空席が離れていても急いで移動し、
座ったあとは終点まで死んだように(隣の人に頭を預けて)寝ている。
さて、本題に入る。俺は美玲が具合が悪いのなら席を譲りたいのだが、
声をかけたほうがいいのか、なんと声をかけたらいいのか分からないので、アドバイスがほしい。
正直、具合が悪いのかもわからない。単純に眠いだけかもしれない。
マタニティマークや、ヘルプマークはつけてない。美玲はいつもヒールが3cmくらいのサンダルを履いている。
(俺は、マタニティマークを付けている女性に対しては緊張しながらも声をかけて席を譲れる)
俺がやろうとしている行為は、純度100%混じりっけなしの下心のみで構成されている。
おじさんや、おばさん、デブスが相手だったらこんなこと絶対にしない。
そもそも美玲の健康状態はそんな気にしていない(具合が悪いなら可哀想だなとは思うけど)
もちろん、席譲って仲良くなって連絡先交換してご飯行ってとかに発展するとは思ってない。
が、ワンチャンやりたい、とは常に思っている。コロナで妻とレスになっていてムラムラしている。
非対称性を利用して好みの女とコミュニケーションしたい。というのが本音だ。
俺が考えているセリフは「お姉さん大丈夫ですか?具合悪いなら席座りますか?」だが、
こんな長いセリフ絶対言えない。いざやろうとするときっと「あ……、せ、せ、席……、どど、どぞ(ニチャァ」となる。
もっと簡単に席を譲る方法を教えてほしい。美玲が俺の前に来たときに、無言で席を立って降りるフリするのが楽かな。
女性側からの、「親切だと思ってたら、それがだんだん好意に、最終的に悪意に変わって困った話」も聞きたい。気をつけたい。
https://anond.hatelabo.jp/20201225104351
総武線の嫌われ者駅である中野の停車時間がだんだん長くなっていき、2時間になった時の行動記録
https://anond.hatelabo.jp/20201226222047
総武線の嫌われ者駅である中野の停車時間がとうとう2日間になったとき、乗客のやること(寝床の確保)
https://anond.hatelabo.jp/20210108213925
総武線の嫌われ者駅である中野の停車時間がとうとう2年間になったとき、人は仕事を得て生活の基盤を築く
こんな夢を見た。
フランスで行われるという鉄道のイベントを見に長距離列車に乗ると、ずいぶんと古めかしい仕立ての列車で、客車を機関車で引く客車列車らしかった。
一緒に乗り込んだはずの友人とは席を探しているうちにはぐれてしまったようで、どうも隣の車両にいるらしい。
私の席の前後には若い兵士たちが銃を担いで乗っていて、彼らは陽気に「どこから来た」「どんな仕事をしている」と話しかけてくる。私もたどたどしく「日本から来た」「これこれこういう仕事をしている」と答えた。簡単な英語なら通じるらしいが、それよりも彼らが私の席の方に銃を立てかけてくるのが気になって仕方がなかった。
そうこうしているうちに、田舎の駅についた。回りには何もないが駅はそこそこ大きく、どうやらここで乗り換えるようだ。
プラットホームに下りてぼんやり列車を待っていると、やはりこの駅止まりの列車が入ってきた。この列車にもイベントに向かう人が大勢乗っていたとみえて、下りてきた乗客たちでプラットホームはたちまち混雑した。
その客のなかに古い友人が2人いるのを見つけ、しばらくしてやってきた列車には彼らと一緒に乗り込んだ。同じ列車に乗っていた友人の姿はいつの間にか見えなくなってしまった。
乗り換えた列車はイベント向けのもののようで、蒸気機関車が引っ張っているのか、ともかく特別な列車のようだった。
列車の中でぼんやりしていると、フランスの田舎を走っていたはずが、いつの間にか日本の田舎を走っている。
外には菜の花が咲いてうららかな日が差していたし、なにより列車が長い客車を繋いだ特別列車から国鉄時代に作られた古くて短い編成のディーゼル車に変わっている。イベント目当ての客で混んでいた車内も友人を含めて何人かがちらほら座っているだけだった。いつのまにか、はぐれていたはずの友人も近くの席に座っている。
「あれ、フランスを走っていたはずなんだが」と思って思い出すと、蒸気機関車が爆発して事故に巻き込まれたような気もしてきた。
じんわりと、どうも死んだらしいとわかってくると、フランスのあの世から日本のあの世へ国鉄型のディーゼル車で移送されているような心持ちになってきた。
なぜか現金よりICカードの方が5円高かった(普通はICカードの方が安いか同額)ので問い合わせたら設定ミスだったことならあるよ。
ちなみに、道を間違えられたことはない(できて間もない路線で、本来曲がるひとつ前の交差点で「ここだっけ」みたいなことはあったけどちゃんと正しい交差点で曲がった)
運賃のミス、特に取り過ぎは大事(上限運賃を超えると法律的にまずいとか)なので、気づいたら指摘するとめっちゃ感謝される。
これはどうでもいいトラブルだけど、ICカード決済の車上装置が不具合を起こして使えなくなって、営業所経由の路線だったので営業所のバス停で降ろされて車両交換になったことがある。
距離制運賃なので、乗ったバス停が記録されてないことには運賃が引けず、それぞれの乗客が降りるときにバス停を申告しないといけなくて煩わしかった。
事故による突発迂回、自分は遭遇してないけど、親が乗った時に起きたことはある。
レアな出来事じゃなくて「あるある」だと、アナウンスのボタンを運転手さんが押し忘れてズレることはたまにある。逆に、押し過ぎて1つ先のバス停のアナウンスが流れるというよく分からないことも1回だけあった。
個人的に大好きな話は「10円ボタン連打」。運賃箱についてる、運転手さんが押すと10円が出てくるボタン。
お客さんが両替方式を知らずに入れ過ぎたときに使われることが多いが、割引運賃の設定を間違えられて通常運賃(半額の2人と打たれた?)が引かれてしまった際には実際にお世話になったことがある。13連打。
目撃した中で一番多かったのは33連打ぐらいだった。枚数から言うと初乗り運賃区間で500円玉を突っ込んだ人だと思う。
幼稚園児の頃は親に同伴でバスに乗るのが日常だったし、高校進学したら通学で使わざるを得ない地域だったので、こういうエピソードはかなり蓄えていると思う。
https://mainichi.jp/articles/20210630/k00/00m/020/159000c
誰が乗るんだ?と思ったけど乗客じゃなくて貨物、それも生鮮品需要なんか
んー、どうなんだろう
渋谷のバス事故のニュース、高齢者の労働とか運転手がどうのとかの前に、あんな危険な場所にバス停配置してることに言及したい。
当たり前だけどバス停多いから、バスの本数も多いし怖いよね。バス停によっては、道路なのかバス停の並ぶとこなのかよくわかんないとこでバス待ってたからね。
渋66乗場 道路上下車線と横断歩道間の特殊立地で、趣味的には面白くとも 此処に人が常駐必須な運用が大ターミナル駅前で続くこと自体超リスクだなと、華やかな再開発もさておき地域の足の未来にも是非もう少し目を…
昔から東急プラザからマークシティ前辺りのバスロータリーは危険過ぎるんだよ。昔も、東急プラザ前で事故あったよね。誘導員がいても誘導しきれてないし
バスと同じ路面に乗客を歩かせてるターミナル駅って渋谷くらいしかねえわ。どの路線も結構乗客多いのにな。地方のバスセンターみたいにバス専用道と地下通路で分離とかしたないと、同じような事故が起きるのは目に見えてる
高齢だったからとか、マスクで熱中症、ワクチン副作用うんぬんより
あそこ倒れてもフェイルセーフもなにもないとこだかんな
若い健常者でも危ない
引用URLは無い。ネットとかTVでの池袋の扱い全般への反駁&雑語りと思ってくれい。
これ嘘だから!元池袋史跡公園っていうのを豊島区がこしらえちゃってるけどこれ嘘だから!
あのさ、駅周辺のこの辺が池袋になったのって日本鉄道が池袋駅を開設してからの事なんだけど?
それまで池袋っていうのは東上線二駅目の下板橋駅周辺が池袋だったの。今でもこの辺は「池袋本町」って地名でこれは池袋本村、池袋村のメインの集落だった所なのよ。
「袋」っていう地名は川が湾曲してその内側の土地の事を指すのな。江戸袋とか大袋とか色々あるがみんなそう。
今は暗渠化された谷端川っていう川が屈曲しててその内側の高台が池袋本町(村)。池やら沼があったんじゃないかと言われているが記録が残ってないので池が付いた理由は不明だ。
そもそもこの元池袋史跡公園がある場所っていうのは昔は雑司ヶ谷村だったのな。池袋村と雑司ヶ谷村の境界は大体今の池袋駅南通路の辺り。
それなのに遥か数キロも離れた池袋村の名の由来になるはず無いだろ。豊島区は誤解の元だからあの公園撤去するか説明書書き換えろってーの。
余談だが山の手の台地の上で井戸を7~10m程掘ると水が出てくるんだが、それって粘土の関東ローム層の下に砂礫層があるから。だからこの谷端川がそれだけ谷を刻んだ下流では小石だらけになる。なので下流は小石川って呼ばれて地名にもなってる。
東京山の手って山あり谷ありって言われるけど、そうじゃなくて谷だけがある地形なんだな。富士山と伊豆の山が噴火した火山灰が積み重なって西高東低のかなり緩い勾配のまっ平らな台地ができた。
ここに多数の小河川が切り込みを入れた地形になっている。だから尾根の部分はほぼまっ平らな訳です。これは国道246の赤坂→渋谷手前とか国道254の春日→池袋六差路とかを走れば判る。この二つは尾根道の街道を車道化したものでとにかくまっ平ら。
因みに上野~赤羽等の線で台地がきっぱり切れ落ちて下町になってるのは海進時にそこからが海だったから。
というか、台地はもっと東に伸びていたが波に削られて海食崖が後退したと考える方が自然。上野~赤羽って京浜東北線に乗れば判るが崖が真っすぐでしょう?これって海食崖の特徴ですわ。
あと、陸地が角になっている所って波の入射方向、角の先に真っすぐな海岸線が延長されるように砂嘴や砂州が出来るけど、上野、赤羽の角地形の先には砂嘴の痕跡がありますよ。上野の場合は根岸砂州というのがあり微高地になっていてこの上に日光街道、千住宿が作られていた。赤羽の方は名前不詳なれど川口、戸田の喜沢の辺りに筋状の微高地がある。
脱線したがこういう地形だから山の手ではまっ平らな尾根部分では水を引けない。だから水田は出来ない。水利は限られたもので貴重だった。
農村である雑司ヶ谷村の水源だけ池袋村に属してる訳無いし(トラブルの元だ)、遥か離れた他村の水源地の名前に因んで池袋の村名が決まる訳ないやろ。
だから駅周辺が池袋になったのは駅が出来て以後の事なのだ。因みに古典落語でも池袋は結構出てくるんだけど、当然それは下板橋駅周辺の事ですよ。
駅にはそこに至る道路があるのが当たり前。でもそれは今の事であって日本鉄道って鉄道が官営鉄道1本しか無い時代に鉄道を敷いた道なき道を行くパイオニアだった訳。だから日本鉄道側が既存の街道に面して駅を作らなきゃいけない。
でも江戸時代には道路というのは軍事施設でもあった。だから数少ない街道以外は道らしきものはない。勝手に道を普請して罰せられたケースは数多くあり、その殆どは死刑だった。
それで、品川線(現山手線~赤羽線)から新規開業する土浦線(現常磐線 当初の始発駅は田端)に繋げたい日本鉄道は目白分岐としたかったが、雑司ヶ谷村に難色を示され更に巣鴨村に建設予定の近代的監獄(巣鴨拘置所、現サンシャイン)に重なると政府にダメ出しされてしまう。
そこで目白の北側のまっ平らな辺りで分岐する事にした。ここまではよく説明される事だ。
問題はここからで、雑木林しかない、集落すらない場所で乗客が駅に来れる様にするにはどうすればよいか?
中山道板橋宿の平尾追分から川越街道(現首都高中央環状線JCT~大山サンロード~ハッピーロード)が分岐し、そこから直ぐに分岐して雑司ヶ谷を抜けて早稲田に至る雑司ヶ谷道という道があった。これは金井窪~ローソンストア100池袋本町1丁目店を右折して平和通り~WEロード~明治通り~鬼子母神電停前~と続く現存する道だ。
この道と日本鉄道の線路が交わる所は踏切になっていた。駅を設置するならここしか無い。他に適当な街道に接近するところがないからね。
って事で今のP'パルコの左側に駅が作られることになったのだ。WEロードの正式名称は雑司が谷隧道だ。線路が増えすぎて踏切では危ないのでガードになったのだな。
Wikipediaの池袋駅の項には日本鉄道時代の駅の写真が貼られている。
これはWEロードの前身の踏切から撮られたもんだ。場所はP’パルコの裏手。
なのでこの汚いガード(の前身の踏切)は池袋の全ての始まりなんであるのよ。
サンシャインの前身は巣鴨プリズンで有名だがそれは東京裁判が決する迄の一時期で、東京拘置所だった。
東京拘置所を小菅に移転して跡地の再開発の話になった時に周囲の地権者、縁故者を集めて合意形成の場が開かれることになった。
ここで特に問題になったのが池袋駅直通地下街の建造で、強硬な反対派が居てその筆頭が東口の洋菓子店タカセだった。当時タカセは小売店の有力な顔役だった。地下道ができたら当然人の流れは変わり地面店は売上激減する。
その為に駅直結地下道の話は流れてしまい。東急ハンズ横からの短い地下道と東池袋駅がアクセスルートとなる中途半端な形になってしまった。
この地下道建設流れで当時タカセの地元での評判はかなり低下したらしい。
しかしその後の埼玉の植民地化=池袋駅~ハンズの学生向けの店舗の隆盛を見れば反対して正解だったとしか思えない。通路を兼ねた地下街なんてどうせ碌な集客力がない。そもそもハンズ前の道には丸の内線が埋まっているから地下街の幅は取れないんである。
なので学生向け店舗の経営者は出退勤の途上に今はやや寂れた感のあるタカセ前で一礼すべきである。若年向けのP’パルコだって地下道があったら出来てなかっただろう。P' のテナント一同もタカセ参りはすべきである。
ここなんだけど、池袋行く人でここのおかしさに気づく人ってどれだけいるだろう?
https://goo.gl/maps/UQN2f86tQk8xXQPv5
逆を向いてほしい。西武の搬入口だけがある。なのに信号機で管制されている。何故だろうか?
そのわけは南のびっくりガードの途中にある。
https://goo.gl/maps/BR5VUwN7iYPUv5Zx5
ここから入るとJR線路と西武線の間の空き地に出る(入っちゃダメよ)。実は当初のびっくりガードはここを上がってから西武線を踏切で渡って明治通りに出るというルートだった。
この坂の上はJR用地で昔は国鉄の貨物駅だった。つまり初代びっくりガードは国鉄をガードで潜って直角に折れて急坂を上り国鉄貨物駅の中を通り西武線を踏切で渡る。そして出てきた先がさっきの搬入口前の交叉点だったって訳。
現在の中央東口っていうのは元は西武線の改札だった所で、西武が運営するデパート、武蔵野デパートはエルメスがあるあたりにちょこんとあった。
しかし当時の西武の社長は貪欲な堤康次郎と堤義明。もっともっと増床だ!でも駅が邪魔だ!ならば線路を縮めて駅を向こうに追っ払えばいいじゃん。
という事で駅をずらすのに邪魔な踏切は廃止。その代わりに国鉄ガードの延長にガードを作った。そして踏切跡はデパート搬入口に転用。
井の頭線渋谷駅や世田谷線三軒茶屋駅とか、商業ビル建てるために駅をその向こうに追いやって客はその分歩けっていう工事するのがあるじゃないすか。あれムカつきますよね。
こういう訳で「西武デパートの搬入口だけの為に信号がある」状態が生まれた。一見それに見えなかったものがトマソン的である事を発見するとその由来が見えてくるって事ですわ。そしてびっくりガードなんて間抜けな名前が公的に使用されてる事の方がびっくりだわ。
昭和29年に地下鉄丸の内線が開通することになりそれに合わせて建築されたビルが結構残っている。LABIの建物が代表格でここは元三越。今も所有者は三越な筈。
昭和28年頃の完成なので今でも売り場の裏は非常~に古い。客用エレベータもエレガ時代は真鍮蛇腹式だった。それでは客がセルフオペ出来ないのでかごは替えられてしまった(着床位置も手動ハンドルで調整する方式だった)。
LABIの裏にマックがあるがここは三越が所有していて地下にLABIの搬入通路がある。マックの裏の建物はLABIの搬入口になっている。
新しそうなパルコも昭和32年竣工の東京丸物デパートの居抜き。
昔は携帯電話が無かったから待ち合わせ場所を家の電話で打ち合わせておく必要があった。新宿駅や東京駅には待ち合わせ場所としてアルプス広場や銀の鈴があるが池袋駅には無かった。
そこで末期の国鉄の人らが考えて作ったのがいけふくろう。いけぶくろだからいけふくろう。
国鉄はそれまでの親方日の丸体質ではダメな状況に至り、色々とサービスアップの為の試行錯誤をしていた。現在のJRより熱心だったが如何せんセンスがダサい。
いけふくろうもかなりの失笑を買ったと言われているがその後豊島区などがフクロウの里などの歴史修正主義を始め定着するに至った。
いけふくろう像があるのは北通路の階段付近という半端な場所だがこれはパルコの土地ぎりぎりのJRの土地であるから。いけふくろうのダジャレを考えた国鉄マンの同定をしなくていいのだろうか?疑問である。
サンシャインの地下駐車場のそのまた下には地域冷暖房の施設があって付近のビクトリアスポーツや東池袋駅やハンズのビルなどに熱供給を行っている。
これは触れている本やサイト、番組が多いが、実はその下に東電の変電所がある。これはサンシャインで働く人も知らない秘密なのだが、数年前にあった新座でのケーブル火災による東京大停電での停電地域によって変電所の場所が割れてしまった。
城北線豊島変電所というのがここで、終端変電所は内幸町の東電本社の地下である。
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/hoan_shohi/denryoku_anzen/pdf/014_06_00.pdf
雑司ヶ谷道の駅北側は戦後商店街となって平和通りと名付けられた。だがどういう訳だかヤクザの事務所がこの道路沿いに林立するようになり、やがて抗争が勃発、殺し合いまで始まった。
90年代後半になるまで路上駐車というのはルーズに見逃されておりその辺にとめるドライバーが多かったが、事情を知らぬ者は平和通りの組事務所前にとめてしまう。
玄関前塞いで車止められたら誰でもいい気分はしないが組となればメンツの問題でもある。戻ってきたドライバーはそのまま事務所にお持ち帰りとなって凄まれ絞られ少なくない詫び賃を置いていく羽目になる者もいた。
お巡りさんに泣きついても「こんな通りに駐車したら身の危険になるのは当たり前でしょ」と説諭される始末。平和通りなのに。
やがて銃撃事件などが相次ぎ非常線で封鎖される事もしばしばとなった。シャブで錯乱したヤクザが突然暴行を加えたり物を破壊したり自分を刺して血だらけで歩いていたり警察に保護具で簀巻きにされている所がみられる事もあった。結構な高頻度で。北口のレンタルビデオ店G〇〇が入居するマンションなどは上がほぼすべて893となってしまった事で有名だった。
暴力団新法の施行でヤクザは激減してこれらの風物詩は過去のものとなった。
あの事故のあった道路はほぼ直線なのだがどういう訳か事故が多い。飯塚のは運動能力の問題だろうがスピードを出しすぎる車&Jウオークする歩行者両方に問題があるケースが多い。見通しが良すぎて油断するのだろう。
過去の事例では130km/hで邁進するフェアレディZがUターン中の1Boxカーに衝撃して1Boxの助手席女性が死亡するという事故があったが、普通Uターン側にも責任が問われる所、相手の速度が速すぎて予見不能として1Box運転者に無罪判決が出るという事件があった。
10年近く争っての事だが異例な判決である。その後も事故が続くので信号機を増やしたりしたのだがあんな予見困難な大事故が起きてしまった。
池袋にいわゆる駅ビルみたいなものはなくてデパートばかりだが、戦争で駅舎が燃えてしまったので戦後に鉄筋コンクリートで国鉄駅舎というのを作った…のだが直後に民間資本の建物を誘致する民衆ビル構想が立ち上がったので駅ビルは解体され丸物(現パルコ)や西武のデパートが建つ事になった。計画性無さすぎである。いや勢いがあったのか。
開通当時は武蔵野鉄道(買収)→西武、東上鉄道(買収)→東武だったから最初は変じゃなかったよってのが定番の豆知識記事だが、「東に東武」もあった。
サンシャイン手前~飯塚事故現場辺りの一帯は戦前東武鉄道の根津嘉一郎が所有しており根津山と呼ばれていた。雑木林だらけの池袋駅~護国寺に道路と都電を通す事になり全部手放したのである。
池袋東側の住人なら赤尾敏は誰でも知ってるけど日ころとか朝生とかに出てるらしい赤尾由美見た事ある人いない。だってあんた道場に居なかったじゃんよ。何赤尾敏赤尾敏って名前使ってるの?
お祭りには欠かさず来るね。で、それだけで「地元の人」って認知受けちゃう。贅六の落下傘なんだけどな。
中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京の住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。
べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモと住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。
ファート商会という会社が私たちの職場だった。本社は中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュな臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。
中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。
もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪のアパートへ帰ろうとしていた。電車は中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車は運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たちは中野で暮らしている。
中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域からも隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車を選択的にブロックするよう、政府からJR東日本へ命令があったとかいう噂だ。感染症の拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから、都心へ通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野にはいないと思う。
中野で足止めされたら、人生を中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。
練馬、杉並、新宿と中野の境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20式小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界へ突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。
ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所に居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前の広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品の品質検査に使う精密機器の会社に勤めていたそうで、その方面の知識は豊富だった。最初は中国から大量に取り寄せたシリンダーを小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。
その頃には空き家の相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野の地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルにたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。
三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさらに一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事とプライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。
鬼澤さんに渡された地図のコピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォンで地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野で住宅地図は貴重品になっていた。
何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。
103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係な他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。
寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。
その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」
「散らかってるけど」
といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズのポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。
「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」
猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったか。ランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかいう名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。
「この近所では、見つからない感じ?」
「毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱にポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」
寺元さんは俯いたままTVのリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。
中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活、人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。
職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面の緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……
「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」
「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」
寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。
「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」
「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」
その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。
その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。
それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方、高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番に写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるかに大人びた姉が私を見ていた。
「背、伸びたじゃん」
といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。
「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」
寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。
姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。
かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方の空気が窓から入ってくる。
どこか遠いところを見ながら姉が言う。
「もうそんな季節か」
中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。
恋愛の話や下ネタについていけず気まずい思いをすることが度々ある。
先日、ミーティングがあるというので会社の打ち合わせスペースに行った。
すると、なぜかみんながクスクス笑っていた。
後でなんとなくわかったのだが、要するにそこに置いてあったお菓子の袋か何かが避妊具に見えるという事だったようだ。
詳しいことはわからない。
それについての会話になるというよりは、口に出さず空気感を共有してみんなでその状況を面白がっているような感じだった。
電車におもしろい人が入ってきたときの乗客同士のあの雰囲気だ。
すると今度は、みんながヒソヒソしだした。
会社のみんなは僕に彼女ができたことがないことを知っているので、
多分、「あ、やっぱりあいつ分からないんだ」みたいな話をしていたのだろう。
そんなことがありました。
電車内で故意に脱糞したとして、男性アルバイトの安納増太(あんのう・ますた)容疑者(38歳)が、東京都迷惑防止条例違反の疑いで警視庁日暮里警察署に逮捕された。
同署によると、安納容疑者は5月28日午後2時ごろ、JR山手線の電車の座席に座りながらわざと脱糞したとのこと。その際、不審に思った他の乗客はスマートフォンで安納容疑者を動画撮影している。安納容疑者は撮影されていることに気がつくと席を立ってドアの前に立ち、電車が駅に到着すると同時に走って立ち去ったという。
通報を受けた同署警察官は、汚物の付着した足跡をたどって男子トイレの個室に立てこもる安納容疑者を発見した。安納容疑者は体調不良を訴え個室に立てこもり続けたが、警察官の長時間の説得により自ら出てきた。同署に任意同行された安納容疑者は容疑を否認し、あくまで体調不良による脱糞だと主張したが、脱糞した様子を撮影した動画を見せられると一転して容疑を認めたので、逮捕されることになった。脱糞した理由として「はてな匿名ダイアリーで注目を浴びたかったから」、「小説投稿サイトでは人気になれなかったから、はてな匿名ダイアリーで活動を始めた」と述べている。
インターネットに詳しい専門家によると、はてな匿名ダイアリーは『名前を隠して楽しく日記』のコンセプトで運用されている匿名の日記サービスで、増田という別称でも知られている。『保育園落ちた日本死ね』のタイトルで投稿された日記が流行語大賞を受賞した他、日記でのいさかいが殺人事件に発展したりと、功罪を超越して社会に大きな影響を及ぼしている。はてな匿名ダイアリーでは、うんこを漏らしたという日記(通称:うんこ増田)の人気が高く、一種の鉄板ネタになっており、YouTubeに例えるならメントスコーラに相当するという。しかしながら、はてな匿名ダイアリーに投稿した日記が例え大きな注目を浴びようとも、YouTubeのように投稿者が収益を得られる仕組みは無いという。また、投稿した日記にIDやハンドルネーム等を明示する仕組みも無いので、小説投稿サイトのように人気を得て書籍化することもないという。
あくまで推測だが、書類送検された男ははてな匿名ダイアリー等のネット活動を続けるうちに、注目を浴びることを求めすぎてしまったのではないか。そして、活動内容がエスカレートしてネットの範囲内には収まらず、現実に影響を及ぼしてしまったのではないか、と専門家は結論付けた。
なお、はてな匿名ダイアリーを運営する『株式会社はてな』に取材を申し込んだが、残念ながら回答は得られなかった。
大きい会社だから政治色強いのがどうなのか、という疑問に対して「そんなの君には関係ないよね」としか言えない。中小企業ではない。だけど「大きい会社」だと主張するのはちょっと痛々しい。
別に世界的に有名ではないし、ましてそのローカルでニッチで購読数も少ない雑誌の内容なんて誰も気にしないだろう。
というかこの一連の流れで一度たりともJR東海がトップだという数字も、その機関紙にどういった内容が掲載されているのかもないんだが。
具体的なこともなしに「大きいだろ!」って言われても、はぁそうかもしれないませんね、どうでもいいことですがッて感じる。
真面目に増田にとってのJR東海は「大きい会社」くらいのイメージしかないんでしょ?別に業績も知らなければ何をしているかもわからない。名前だけの会社なわけだ。ソニーもアップルもディズニーも全部「おっきい会社」ってくくってると思うよ。
それと東海が大きいかどうかと、その政治的な偏りってのはどう関係するのだろうか。JRの1会社が何かに偏重しているとどう都合が悪いの?例えば他の出版社がこぞって批判するような稚拙なことが書いてあるわけ?それとも乗客や地域住民の安全を軽視するような政治思想に染まっているとか?
なんていうかさ、この話はメチャクチャ飽きたんだが増田が最後まで具体的な話をしなかったのはホントあれだよね
一方で東海のことを軽視すると「新幹線にも乗ったこともないのか」と明後日の批判をする。雑誌はどうしたんだよ~そっちが主題だろ~新幹線関係ないじゃ~ん