はてなキーワード: レポートとは
ちなみに、医療レポートに気温とコロナの関係などは書いてあるが、ネットで周知しないのはわれわれは医療関係者ではなく、医師の依頼なども受けていない、任意の第三者であるため、可能な範囲で発言を自粛している。
#石炭火力発電を輸出するって本当ですか
というハッシュタグを見つけた。
自然とカップ麺をすする手は止まり,じっくりと活動内容や文章を読み込んでいた。
ベトナムへの石炭火力発電所輸出に対して質問を投げている。あわよくば建設中止を狙っているのだろうか。
私が同じような年だった時には,塩ラーメン大盛・半チャーハンを食べることのみに喜びを感じ,こんな高尚なことを考えた記憶はない。
特に読んでいた記事はこれで,頑張って理解者を増やそうという気持ちが見てとれる。
#2 SNSでいただいたご質問・ご意見にお答えします! part1
https://note.com/honto_desuka/n/n68b4f560abb8
告知画像のクオリティの高さ,行動方針が非常にセンセーショナルになっているのが非常に目をひく。
10代~20代の子が,これだけのアクションをできるのは素直にすごいと感じていた。
ただ,記事の中で違和感を感じる内容があり,その違和感は恐怖へと変わった。
> 石炭火力発電ブンアン2のSO2、NOx、PMといった大気汚染物質の予測排出値は、日本だけでなく中国や韓国、アメリカなどで建設される際の排出制限よりも大幅に上回っています。
という記述があるが原文(英)には,予想排出値という説明はない。
原文では,単純に発注国であるベトナムが持っている基準が他国や国際的な標準に劣るという話だ。
実際に他国の技術で石炭火力発電所を建てた場合の予測排出値がそうなるとは,どこにも書かれていないのだ。
さすがに予想排出値とするのは拡大解釈が過ぎると思うが,ベトナム語でならどこかに正確な記述があったのだろうか。
その後の文章では,原文での章題を訳しているように見えるが
> 分析調査によると、以下の問題点が提示されています。(レポート本文)
この若者も3章のタイトルは排出基準と訳していて,予測値でない。
では予想排出値という単語はどこで出てくるのか?と,もう一つ引用している記事を見てみると
この記事の文章や単語を拝借しており原文を翻訳したものとは思えない。
何なら,排出基準の比較グラフの画像ですらこのサイトからの引用だった。
さらに言えば…
https://www.nocoaljapan.org/ja/smbc-mizuho-tokio-marine/
引用元であるこの団体は,み〇〇とS〇〇〇をはっきりと揶揄している。
もちろん,若者たちが公開質問状を送った相手のうちにも含まれている。
どうしてこの団体と若者たちは同じ対象にアクションを起こしているのか。
私は若者の活動には応援したいのだが,言葉や画像を別の団体からコピーしているのを見てしまうと,この若者の背後にいる大人たちが見え隠れしてしまう。
若者と大人たちは行動理念を共にしており,この大人たちが若者たちにどんな影響を与え何を教えているのか。
どうして大人たち自身でなくてこの若者たちの力を借りざるを得なかったのだろうか。
そして誰が,お金や技術をだしているのか。そういった疑問が絶えない。
尚,記事中にはこちらからの引用もあるが,こちらの団体については増田と言えど,言及は控えたい。
さて,こんな形で受注した国がもめている中,発注国であるベトナムのことが非常に心配なった。
財布と相談しながら長い吟味の末,ラーメンが食べたいとお店で注文したのに,なぜか厨房では議論が続いていて
「健康を害するからラーメンは出せない。ラーメンは中止にして,ヘルシーなサラダだけ出そう」と議論が続き,いつまで経ってもラーメンが出てこない。
30分なら耐えれただろうが,1年あるいは2年遅れるだけでも飢えてしまう。
そんなところで,私はすっかり冷えていたカップ麺を食べ始めた。
今日はカップ麺を食べることができたが,いずれは目の前の料理を食べることすらできず顔も知らない大人の理想によって殺されるのだろう。そう感じた。
飢えによって死にたくない。
小中高・・・外出るなって言われた上に学校が休みになった分を土曜授業
大学生・・・一生の付き合いになる学友できない、ワンルームでずっとネット講義とレポート作成
老人・・・仕事も勤め上げて、さぁ余生は大人の休日倶楽部とかで旅行行きまくるぞとかって時に、自分が死ぬかもしれないから外に出れない。外に出られない終わりない夏休み状態。
だれかを誹謗中傷するのであれば、理由を述べよ。移動は国も許可しているし、人間が移動したほうが常識とは違って、人が知らない現象があって逆に感染が小さくなるかどうか?という医療レポートがわからない。
よくあるのは集団免疫で集団でいたほうが感染しないなど、ふつうは、分散したほうが感染しねーだろみたいな事がある。自分の個人的な思いで人が死ぬことに対して意見できないからデータがある資料を教えて
総括のババアは権力者だったの?増田はまったくもって適切な行動をしたと思うけど、せっかくなら二人ともレポート書けないくらい置いてけぼりにしてもよかっただろ。社会に出てもそういうやつは消滅しないのが絶望ポイントだな。
簡単に纏めるとグループ研究で何もしなかった人間をみんなの前で干したら私が叱られた話。
大学生の時にゼミ研究が必修であった。卒論に向けてのなんちゃってゼミ。個人でやる人が大半だったが、担当の先生の勧めから私は共同研究を選んだ。テーマが近い三人での共同研究、正直楽できるとも思った。
それが間違いだった。
他の二人は全く調べてこない、まとめてこない、期限とは如何に。共同研究は運命共同体。やらない二人に合わせていると私の単位まで危うい。他に担当を振っていたものまで必死に調べまとめ上げて中間提出。「次こそはこんなギリギリになりたくない」と思った私は、こまめにグループLINEで調べること等の指示を出した。
しかし二人から出されるものは毎回3行程度の頓珍漢なもの。こんなもので単位が得られるわけがない。
丁寧に言っても改善されない、やる気が見られない。段々学習性無気力になってきた私は、いつからか指示することも無くなっていった。
逆に私がバリバリやることで他の二人が「自分も何かやらなきゃ!」となってくれることも期待した。
が、無駄だった。
何度か「共同研究をやめたい」と担当の先生や総括の先生に相談したが、二人とも他の先生の指示に任せるとしか言ってくれなかった。
残念無念、また来年。
結局私はレポートを一人でまとめ、スライドを一人で作り、発表原稿も一人で書いた。原稿が出来て共有した際に最後の情けで、「何処読みたい?」と聞いた。「何処でもいい」としか返ってこなかった。
完全に一人で戦うモードになった私は、共同研究にも関わらず一人で全て原稿を読み、質疑応答にも答えた。他の二人は私の後ろで立っているだけだった。
質疑応答の際に、他の担当だった先生から、「共同研究なのに何故増田さんだけ発表しているのですか?」と質問があった。
私は「他の二人が何もしなかったからです。」と答えた。
全先生と全生徒(うちは小さな大学だったので)の前で我ながら清々しいくらいに言い切った。
全員からの「まじで言いやがった…」という空気の中発表は終了した。
その後私は総括のババアから呼び出され、みんなが講義室から出ていく中、デカい声で説教された。
ババアは
・みんなの前で言う必要がない
・お前には思いやりがない
・他二人に歩み寄ったのか
という点で私を責めた。
私もババアにめちゃくちゃ反論し、沢山のギャラリーの中最早喧嘩になった。
おめーもみんなの前で私のこと説教してんじゃね〜〜〜かよお〜〜〜〜〜〜〜
私からすれば、丁寧に毎週やってきてほしいことのLINEを入れ、お粗末な文章に対しても、「ここもう少し書いて欲しいな〜☆」と頑張って喧嘩しないように努めた。そもそもやらなかったやつが全て悪いだろ、なんで私が叱られなきゃならんのやとも思った。
私は私でやるべき最善は尽くしたし、なんならお前に共同研究辞めたいと直訴しただろ〜がよ〜〜〜
もしかしたら優しくしてる"つもり"になっていたのかもしれないし、発表を全部一人でやってしまうことは大人気ないとは思う。しかし、部下でも後輩でもない同い年の人間に対して情けをかけることは嫌だったし、私が必死に今までやってきたものを、最後の発表だけ「私もやってました!」と言う顔で参加されるのはどうしても嫌だった。(共同研究は発表の待ち時間も長いなど個人の子よりやることが沢山だった)
発表自体は共同でも、レポートは各自提出だったが、他二人の内一人はレポートすら字数が足りないままの提出だった。やる気のないやつに合わす義理はない。
こってり叱られた後、他の先生方からはこっそり「良かったよ」「大変だったね」等の言葉をもらった。自分が一生懸命やった研究を褒めてもらえたことは素直に嬉しかったが、それを総括のババアの前で堂々と言ってくれよと少し思った。
ババアの言うように歩み寄る余地があったのなら、半年間の共同研究の中で、自分がどのように他二人に歩み寄れば良かったのかわからない。吊し上げる必要がないと主張する総括のババアに、みんなの前で叱られた理由も未だにわからない。
私はあの時どうすれば良かったのだろうか。
大人の対応ならば、他の二人にも発表に参加させれば良かったことはわかるが、私の気持ちを消化するにはこれが最善だったとしか思えない。
社会に出る前のクソガキなんだから、小さい大学内でスカッとジャパンすることくらい許されるだろ〜がよぉ〜〜〜〜とも思っている。
思いつきでバッと書いたので文章がめちゃくちゃだがまた起きてから推敲します。
ババアまじでムカつくぜ。
((追記))
正直、「増田は間違ってない」という言葉欲しさのエントリだったので少しスッキリ。
F欄なのは間違いないです。資格専門の大学で小規模だったので、総括のババアが派閥を作り牛耳っているような大学でした。偏差値も低いので自分はしっかりと4年間で国家資格を取得したので、特に後悔はないです!
他二人に関してですが、レポートの字数が足りなかった一人は当たり前ですが単位認定されませんでした。ざまあみろと当時これまたスッキリしたことを覚えています。
もう一人は空気だったのでよくわかりません。この人はあまり世渡り上手なタイプではなさそうでした。
総括のババアは、THE女という感じの正直難あり教員だったのですが、仮にも上の人間に楯突いたのは私なので、大人になって後日謝りに行きました。こういう人間は謝っといた方が残りの学生生活不備なく過ごせると思ったので。
共同研究は内容と言うよりか、他人との擦り合わせを円滑に行う訓練的な意味合いを、教員側は求めていることも理解していますが、当時の私はどうしても許せなかったのでこのような愚行を行いました。
勝ち気で正義を押し通したがる癖があるので、そこは社会人になった今必死にすり潰しています。たまに悪癖として出ますが…😢
正直反応貰えないとも思っていたので嬉しいです。
自粛したほうがコロナになるから、日本に第3波なんていう、過去にない被害を引き起こしたんだろ。
それにもかかわらず、メールでコメントを書いていない日の☆レポートがとんでくる。
つまり、存在しないブックマークに対して、☆をつけた通知を飛ばしている。リンクをクリックすると何もブックマークしていない日毎のブックマーク一覧ページにとぶ。
たまにブコメをかいて、更にたまにスターがつくような私のようなユーザーにとっては非常にうっとおしく、困っている。何にスターがついたのだろう→スパムでしたとなり、非常にがっかりする。アプリでも同様の体験をしている。
その話ばかりになりそうだったのであえて書かなかった。一歩でも家からでるような生活様式をしてたら叩かれるんでしょ、俺は詳しいんだ。
Wafer これだけ簡潔かつ詳細に記録を残せる人が感染経路にあたりがつけられてないわけがないのに記載していない。また濃厚接触者だった同居人が陽性だったかどうかもあえてオミットしてあるように見える
感染経路不明。同居人にはPCR検査の案内も含めて保健所から連絡が行くって言われたんだけどまだ連絡がないみたい。
自分から保健所に電話を入れてCOCOAに登録したいからコードをくれって言わないといけないみたい。SMSで自動で送ってくれたりすればいいのにね。あとで保健所に電話してみる。
sawaglico 都内はもう翌日には検査結果出ない感じっぽいな。年末に受けた知人も翌々日だったので。あと抗原検査が陰性でPCR陽性ってやっぱり割とある感じなのか…?
cooking_kawasaki レポートありがたい。/品川区は感染者の救援物資あると思うが、ホテルが品川なだけで別の区の方かな。/発症から4日後のPCRで結果も遅いというのは改善すべき。ホテルに行く頃には感染性殆どない意味薄な隔離。
gomaaji 発症日が移動するのと、相変わらず買い物をさせるのと、相変わらず徒歩でしか手段がないのか。墨田区の自宅療養者が、区からの支援物資(食料)を投稿していたので、区によって違うみたい。
隔離期間が短いので洗濯しないつもりで用意してきた。「洗剤」って書いてあるボックスが1階にあったので洗剤は貰えるかもしれない。干す場所がないのでロープなどあるといいかも。
koinobori パルスオキシメーター、アリエクスプレスで3000円くらいのを買って使っている。たまに数字が不安定になることがある(手汗が影響?)が、おおむね98〜99を出すので使えていると思っている。
https://twitter.com/tsugihara/status/1348092500674678786
heptapeta 貴重な経験談ありがとう。追記してもらえるなら、お薬、何をどの時点で処方されたのか教えてほしい。陽性前後で変わるのか、症状で変わるのか、気になる
1月4日PCR検査をした際にもらったカロナール200mg(1回2錠10回分)以外は何も処方されてないよ
browneyes この詳細な流れ、謎の発症日変更がすごい嫌な感じ。体調不良感じた日からと、数日寝込んで発熱した日からの逆算て、濃厚接触者数すごい激変するよなぁ。
ただ体調不良を感じた日からになると11日で療養終了になっちゃうからすごく困ったと思う。再度発熱したり悪化したりしないと療養期間は伸びないらしい。
これな。
tama___si こういう理由で苦手なんですって丁寧に説明してるのに、それはおかしい、できるようになれって意見ばかりで辟易する。こういう人もいるんだな、聞き方を変えてあげようかなっていうのが学びと理解だと思うんだけど。
2021/01/10
学生時代に弱視の同級生がいた。いつも拡大ルーペを持ち歩いていて、レポートなんかはPCモニタで文字をかなり拡大して書いてた。
周囲はみんな彼女の障害を知ってたから、授業でもプライベートでも彼女に情報を伝える時は、できるだけ言葉で説明してあげたり、ルーペでゆっくり文字を追うのを待ってあげたり、メールで送って「後で見てくれればいいよ」という対応をしてあげてた。
増田のコミュ障も、こういう風に他人から見て分かりやすくて配慮してもらえたら良かったのにね。
医者に何か診断名を付けてもらって『ジョーカー』の主人公みたいに「私にはこういうコミュニケーション障害があります。ご配慮に感謝します」というカードを初対面の人には見せるとかすればいいのかな?
ただ弱視の彼女も真面目に勉強して卒業はしたけど、普通の就職はできなかった(専攻に合った卒業生の標準的な就職先の内定はもらえなかったという意味ね)。
増田のコミュ障ももし周囲が理解して配慮してくれるようになっても、「この人はコミュニケーションが苦手だから、コミュニケーションが関わることをさせないようにしよう」ということになって、顧客対応がある仕事には就けなかったり、結婚して子供を一緒に育てるパートナーには向かない人として選ばれなかったり、という結果になりそう。
酷い人生だったと思う。
母は毎日酒乱の父と祖父に殴られ怒鳴られていた。祖母は大事な長男を奪った母が憎かった。
母のあとは子供が殴られた。父に蹴られた妹がサッカーボールみたいに弾んでいた。
その母も私が小学生になった頃ガンで亡くなり、私達は父と祖父と祖母に殴られ家具を壊されランドセルを捨てられ拾った仔猫を川に流され、お前たちも母親のように悪い女になって早死にする、汚い、臭い、母親そっくり、1日中怒鳴られた。
それでも時々、父親は私達姉弟を連れて遊園地や外食に出かけたりして可愛がったので、少し乱暴だけど愛情深い良いお父さんなんだと私達は信じていた。
間違っていたが、それ間違ってるよと教えてくれる人はいなかった。
小学生のころ面白がって車や重機の運転もさせられた。父親は怖くて叫ぶ私を見て喜んでいた。大人になっても夢に見る。今でも運転免許は持っていない。
家で出たゴミは車で遠くに持って行って窓からポイ捨てさせられた。公共の場所でゴミをゴミ箱に捨てると「いい子ぶるな」と叩かれるような家庭だった。
高校生のころ祖父が死に祖母が認知症になり、私が家で介護した。父は「女が学校行ってもしょうがないだろう」と言った。
数年で祖母も亡くなったが父親が働かなくなった。借金とパチンコがやめられず、私と弟がかけ持ちで働いた給料で家族を養ったが借金はかさんだ。
父は「俺がこんな風になったのはお前達のせいだ」と毎日暴れた。私達は父親が壊したタンスや割れた食器を片付けながら自分を責めた。
やがて借金に限界がきて家を手放すしか無くなり、廃人のようになっていた私は父方の叔父に引き取られた。弟と妹はいつの間にか行方不明になっていた。妹とは数年後に連絡が取れたが、弟は今もどこにいるのか分からない。
叔父は殴らなかったがギャンブル依存症で、私を低学歴の肉体労働者と呼びお金を要求した。私は断らなかった。
断るという選択肢がある、断る選択をしてもいいのだということすら知らなかった。
それに我慢していれば周囲の大人に「我慢強くて偉いね」と褒めてもらえた。褒めてもらえるのは嬉しかったのでずっと我慢した。我慢していればうまく行くはずだと思っていた。うまく行かないのは私の我慢が足りないからだと自責した。
ほとんど休みもなく働き、得たお金をほとんど父親と叔父に渡した。監禁されていた訳では無いからいつでも逃げられるのに、逃げられなかった。逃げるという選択肢も思いつかなかった。
叔父の家ではキッチンや風呂トイレなどを使うことは許されず食事も自分で調達して部屋でこっそり食べていたので、寝る場所があるという事以外はほとんどホームレスの人と同じような生活だった。
そんな生活を6年も続けた。
2013年の冬、叔父は睡眠薬を飲んで深夜の線路に横たわり、電車に潰されて死んだ。
私のスマホには直前に「もうすぐ返すよ。ごめん」というメッセージが残されていた。
叔父の死後、無一文の私は別の親類に頼み込み半年ほど部屋に転がりこませてもらい、どうにか貯金して部屋を借り一人暮らしを始めた。
この親類の強い勧めで何度か心療内科にも行ったが、自分に治療を受ける価値があるとも思えず続かなかった。
我ながらろくでもない環境で生きてきたと思うが子供の頃から救いになっているものがあった。
二次元。
家ではアニメを見れたし学校に行けば漫画も読めた。学校にはオタク趣味の教師もいて色々な漫画を読ませてくれた。同人誌を出している人もいて、イラスト原稿を描かせてもらったりもした。
スマホを持ってからはボカロにのめり込み、ピアプロに登録して初めてネットに拙い絵を載せた。コメントをもらえた時は認められたような気になって嬉しかった。
叔父の家に引き取られてしばらく経ったころ、Twitterを始めた。
自分の境遇を話す勇気は無かったので普通に仕事をして普通に生活しながらオタク活動する普通の女子に見えるように無理しながらも、同じ趣味の人と語り合うのは楽しかった。
叔父が死んで翌2014年の冬、一人暮らしの部屋で相変わらずTwitterでオタク話をしながら私はもう死ぬしかないと感じていた。
ようやく自分で働いたお金を自分のために好きに使える環境になったのに、すぐに眠れなくなり食事の味も感じず好きな漫画も辛くて読めず、絵も描けなくなった。
父親とは離れて暮らしていたが、叔父が死んでも相変わらずお金をせびられていた。一生続くんだと思った。一生逃げられない。
Twitterの楽しそうなタイムラインに楽しげにリプライしながら死にたい死にたい死にたいと声に出していた。
というツイートを見たのはそのころだった。
2015年1月、サービス開始と同時にタイムラインは刀剣乱舞の話題で埋まり、ものすごいスピードで流れていった。
あまりの勢いに「私もやってみようかな」と呟いたら、オススメ刀をプレゼンしてくれたフォロワーさんがいた。
どうせ死ぬし、最後に流行ジャンルの空気味わってみるのもいいかも、どうせ死ぬし。と思っていた。
ゲームをやってるうちに新しい刀が来た。土方歳三の刀。新選組の羽織を着てる。歳さんみたいなきっぷの良い話し方。
もう一振りの土方さんの脇差くんと出陣してみたら回想が始まった。
びっくりした。
えっ?泣いた…?
泣くの、こんな人が、元の主を思って?
びっくりした。
かわいい。いじらしい。いとおしい。
感情が爆発して何か知らんが兼さんと一緒に私も泣いてた。
わんわん泣いた。もう号泣した。
ゲーム進めて、絶対にこの刀たちを幸せにしてやるからなと思った。
5月、刀剣乱舞が初めてご当地コラボイベントをするという。茨城県。行ける距離だ。当然行った。
こういうイベントに行くのも初めて。
綺羅びやかな他の男士に比べるとスッキリした出で立ちで本丸ではのんびりした口調、公式プロフィールの解説は「…良いヤツ!」。その頃は一部のユーザーに「一般人」なんて揶揄もされてた。
コラボ先の結城市には御手杵のレプリカがあり、普段は蔵を改装した小さな施設でこじんまりと無料展示されている。今日は蔵からおろして、実際に御手杵に触れるようにしているという。会場で御手杵のコラボ酒も販売するという。何それテンションあがる。
ソワソワしながら「握手会」の列に並ぼうとしたら、コラボ酒の列から「完売です!」と声があがった。同時にあちこちで拍手が起きた。皆口々に良かった!売れた!と感激していた。
御手杵は他の男士に比べるとちょっと地味…なところもあるので、売れ残るんじゃないかと心配されてたらしい。自分も欲しいのに買えなかったけど、嬉しくなって拍手した。
年配の男性グループが「うちの槍は人気者だね」とニコニコしていた。うちの槍。いいなうちの槍。
握手会で待ってる間に他の審神者さんと仲良くなって、初めてリアル審神者仲間ができた。
なんだかフワフワしながら帰って、久しぶりに絵を描きたいなと思って、御手杵の絵を描いた。
新しい刀が本丸に来るたびに来歴を調べ、歴史と刀そのものにも興味が湧いた。博物館に行き、初めて本物の刀を見た。綺麗で美しくてびっくりした。
体験会で持った刀の重さに背筋が伸びた。色々な所に行って色々な人と話した。初めて見るものがたくさんあった。
死にたいという気持ちはまだあるが、生きてもっと色々なものを見たいという気持ちも増えた。
運転免許を持てないので、コラボや博物館や展示を見に行くのも鉄道が頼りだった。仕事でも毎日電車通勤だ。
鉄道は好きだった。カッコいいので。
電車がスピードを落として通過していく時、車輪の下でひき潰されていく叔父を想像する。
これも一生治らないのかもしれないと思っていた。
2019年、刀剣乱舞のミュージカルに御手杵が出た。2.5次元というやつ。
Twitterのタイムラインでは御手杵役の役者さんを紹介するツイートやミュのレポートが連日流れてきた。役者さんの身長・年齢・どんだけ股下が長いか・どんな演技をするか・どんだけ可愛いか……楽しそうだなと思って楽しく見ていた。
その中で何人かが役者さんの出演作で「鉄ミュ」というものをオススメしていた。
「青春鉄道」という鉄道路線擬人化漫画の2.5次元ミュージカル。とにかく見れば分かるので見てほしい!原作もとても面白いので読んで!と熱く語られていて、気になった。
原作はweb連載で、無料ですぐ読めるという。リンクも貼ってくれてる。親切。
読みました。
めちゃめちゃ面白い。
びっくりした。
サクッと読める時事ネタ、見やすくてかわいい絵柄、全然知らない路線ネタでも面白く読ませるネーム、ツッコむ時のセリフの言葉選びのセンス……そしてそこに見え隠れするキャラクター同士の深い関係性。
めちゃめちゃ面白い。びっくりした。
青春鉄道は商業連載版(鉄道ネタ)の他に原作者様が自分で出してる同人誌版(鉄道ネタ以外・キャラクターの掘り下げ話など)があるという。すごい。
読めるだけ読み尽くした私はすっかり「東海道本線」推しになっていた。
刀剣乱舞でも何度もコラボしてくれている三島の佐野美術館や静岡の久能山東照宮に行くときに欠かせない路線。お世話になっております。
これからは「推しに会うために推しに乗って行く」事になるのか。楽しそうだな。
「鉄ミュ」もDVDを購入して見た。
とんでもなかったです。
詳細は省くがとんでもなかった。
こんな舞台初めて見ました。何これ?
何を見せられたのかよく分からないけど面白かったといことは分かりました。めちゃめちゃ面白い。びっくりした。いやびっくりした。
青春鉄道には通勤で毎日使っている路線のキャラクター(かわいい)も出ている。
原作漫画を読んですっかり「青春鉄道」にはまった翌日の帰り道、いつものように駅の改札を通った。
いつもはすぐにホーム階に降りず、構内のコンビニで特急電車の通過を待って落ち着いてから降りる。
すごいスピードで近付いて来た電車が轟音でホームを通過し、弾丸のように駆け抜けていった。
あっという間に小さくなる電車を見送りながら、私は(○○線さんめっちゃ速いな。かわいいな)と考えていた。
手足も震えなかったし汗も出ていない。呼吸は落ち着いていた。
そのまま後続の各停に乗って一人暮らしの部屋に帰って、コートも脱がずベッドにつっぷしてめちゃめちゃに泣いた。
いなくなった、と思った。
あの電車が追い出してくれた。
電車と刀が。
まあなんかそんな話です。
自分の中で気持ちに整理がついただけで現実はもう手遅れかもしれない。相変わらず車は苦手だし多分一生弟とも会えないし頼れる家族もいないし明日突然死ぬかもしれない、でもほんの少しでも前を向けたっていう事実があるだけで修復できる傷もある。と思う。
元・友人は今でもVtuberをやっている。私は性根が腐ってるので供養としてここに書き散らす。
【追記】思ったより読まれていて自分の悪文が恥ずかしくなったので、半分の長さに整えた。1万文字バージョン読んでくれた人ありがとう、書き殴ったの読ませてごめんなさい。
スポーツをやってた。サッカーってことにしておく。(例えに良いので)
そいつがVtuberになって活動をはじめて、練習をすっぽかすようになり「サッカーの大会にはもう出なくていいのか?」と聞いたら「がんばる」と言っていたが音信不通に。
「サッカーがんばろーぜ!」って盛り上がってたのは私だけだったようだ。つまり片想いでフラれて今これを書いている。
長文読みたくない人向けに、↑ただこんだけの話だとお伝えしておくな。
あとはこれを書いてる私の性格の悪さだけが感じられる、くわしーい仲たがいの流れ。
私は新卒カードをブラック企業に切る→給料未払い起こされて退職→生活保護手前のフリーター。
履歴書のみで見れば(成人してからまだ若いのに学校や会社のリタイア経験があるという点で)お世辞にも優良とは世間から思われないであろう2人。私はCに仲間意識を持っていたし、時々将来のこととか生活の行く末を、チームの中でもCだけと語り合うことがあった。
私とCのなりたい職業は同じで、昨年私がなんとかその職業につけた。サッカーコーチの職だ。
それをきっかけに年齢やら職業を意識したCは、私に「まだ募集があるようなら、私もその職場で働きたい」と、場合によっては紹介を希望する発言があった。私もCが同じ職場で働けたら楽しいだろうなと思ってた。
履歴書の内容がよろしくないので、せめて面接で話せる経験を増やそうとCと話し、田舎の大会より少し大きい大会に出ることにした。サッカーコーチ目指してます! とか言って、アマチュアのサッカー大会すらほとんど経験したことないってどうかと思ったので。
Cは大学でも寝坊やレポートのギリギリ提出をするタイプで、普段も大会1か月前からしか本腰の練習をはじめなかった。しかし今回は大会の半年前からしっかり体づくりや練習をしたい、サボりそうであれば声をかけてくれと本人も意気込んでいた。
Cは他のメンバーへの教え方がうまかったり、良いテクニックを持っていたのでチームでも慕われていた。チームの皆は「体力づくりやってますか、先生?」「先生は今がんばってる最中ですもんね~」とか言って声をかけてた。
正直にいえばその時点でメンバーの皆が「ん????」と思った。
Cには幼なじみがいて、バーベキューが好きな人らしくCを含めて「バーベキューの会」を開いていた。手先が器用なその人は、最近Vtuberにはまったのをきっかけに、自分でもVtuberモデルを作ったのだった。そして「バーベキューの会」のメンバーにもモデルを提供し、Cもモデルを貰っていた。
Cは「基礎体力作りとか、モチベがあがらないからさ。筋トレ動画とか、ドリブルとかシュートの練習動画を上げることでモチベを維持しようと思う」とチームにV名などをLINEしてきた。
CのVじゃない個人Twitterのつぶやきが私のタイムラインに流れてきて、生活の合間の時間は全部、機材の調達や撮影、動画資料作りに費やしているのが垣間見れた。週に3~4本は動画を投稿していた。
キャラのプロフィールには「大会に出るのですが、体力がヤバめ……。一緒に体力づくり&もっとボールと友達になりましょう!」と書かれおり、キャラとしての定番挨拶も「みなさーん、ボールと友達してますか~?」だったが……。
肝心の動画では「30分、筋トレします!」→自分の筋トレグッズ語りを25分、残りの5分で「雑談多めになりましたね。ちょっと集中!」と、ゆーっくりとした有酸素な腹筋を数回して終わり。
ドリブルやシュートの練習動画では、自分が憧れてるプロ選手のフォームの美しさを語る以外は、ほとんどボールは蹴らずに鏡を見ながら「体の重心が……」「いやもうちょっと足を……」と時々つぶやくのみ。30分間ほぼ無音・無言。ボールと友達、おまえが一番できてないぞ……という感。
ちなみに動画説明欄には「ボールを蹴る音、ASMRにもどうぞ」と書かれていたため、ASMR好きの私はASMR(をがんばって撮ってるYoutuber)をなめるなと静かに怒っていた。その怒りは一番どうでもいいのだが、その内、「#30日間おすすめのプロテインについて語るチャレンジ」「ホラーゲーム実況します!」という、定番のYoutuberな流れになっていった。
しかしモデル作者の幼なじみさんやそのフォロワーがCを褒め、グッドボタンを押していくので、Cは大満足の様子。
チームの私たちは黙って静かに見守っていた。逆に誰も何も言わなかったからか、Cはなぜかチームの私たちは、誰も動画を見てないと思ってたようだ。
チームのメンバーは呆れはしたが、「でも今回はCもちゃんと大会に出たいはず、本当にがんばらないといけない状況になったら、Cもさすがにがんばるでしょ」「やればできる子なはずだし……」と、まだ『仲たがい』まではいかなかった。
甘かった。
決定打になったのは、全部で3点あってその1。
Cに「私たちも動画を見ている、このままでは良くないと思う」と伝えた。
「もともと就職の話もあってCをメインに予定を組んでたから、このままだと大会への出場キャンセルも考えることになる。大会4日前のキャンセル期限までに決断したい」「できないことはできないと言ってほしい。それで友達やめるとかはない」と釘をさした。
Cは「こういうことをはっきり言ってくれる友達を持てて良かった。今、LINEを読んで泣いてます。動画の投稿頻度は落とします。できないならできないって言うし、正直に素直になります。私も自分の人生をかけるつもりです」と返してきた。
このやり取りの翌日。
「大会が近づいてきたので、実況プレイはお休みして、練習動画だけにします~」とは言っていたが、いつも通り筋トレという名の雑談動画を上げたCがいた。
更に数日後に投稿された動画では、よりによって家の階段から落ちて足をくじいたと告白。家の階段から落ちたのも、実況プレイをしていたゲームをやりこんでいて、徹夜して、寝不足が原因で足を滑らせたそうだった。
「全治2週間ぐらいなんでまあ……大丈夫です!」と語るC。
「いやいや? それなりの怪我で、大会出場に関わりそうなのに、なんでこっちに一言も報告してくれないんだ?」となる私たち。
これでCを心配するよりも、その誠実性の無さ(&先日LINEで泣いたとまで言ったのはなんだったのか)に抑えようのない怒りを持ってしまった。
更に数日後。Cは夜更かしをしていることをTwitterで語っていた。
足をくじいたからどうせ練習できないしと言って、生活リズムがおかしくなるレベルで、ずっとぶっ続けで野球のドラマを見ていた。
そしてくじいた足が治った頃(※大会6日前)に動画を上げ、「野球のドラマなんですけど、体力づくりの練習法が出てきてて、ありだなと思ったんですよね。今からこれやって、体づくりはじめます!」と動画で言った。
まず大会2週間前~1週間前の貴重な時間を、ドラマの視聴でつぶしたという事実。
またその練習法をやってるメンバーは実はチーム内に既にいた。そいつは1年前からコツコツやってて、やっと実践に活かせるようになってきた感じだった。そういうメンバーがチームにいるのを、Vtuberとして生活しすぎて、忘れたらしかった。
なんというか……本当にチームの人間が動画を見ているのも忘れているらしかった。そういう言い方をするのは、そのメンバーの努力を軽んじてるようにも聞こえた。Cはメンバーに対して、悪く受け取るなら『自分が参考にするところはない』と軽い見下しを持ってるのかと思った。
空しかった。Cとチームをやっていることが空しかった。また心が離れた。
大会の5日前にチームのLINEで「動画とか全部見てるよ。とてもメイン選手で出れる状態じゃなさそうに見えたけど、Cはどう思ってる?」と訊いた。
でもそのLINEは、いつもより既読が1足りなかった。Cの既読が付かなかった。
日付が変わる深夜0時までまった。絶対にキャンセルできない日にもなった。チームのメンバーが知ってる連絡先に連絡したが、応答はなかった。
これで、チームの全員が怒った。Cとは7年ほど付き合いがあって、人生のそれなりの相談もし合う仲だった。Cが自分の向き合いたくないことと私たちを天秤にかけて、私たちを無くす方を選んだ事実がそこに転がってた。
増田の日本語が意味不明すぎるので、DeepL翻訳で英語にして再び日本語にしてみた
かなり読みやすくなったと思うのでどうぞ
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今の時代になってもセンター試験が相変わらず行われていると聞いて、「ああ、[教育者の考える良い人像]はセンター試験のようなテストでしか選ばれないんだな」と思いました。インターネットが普及した今、そんなに処理能力が重要なのか。私はそうは思いません。
最近よく思うんですが、ネットで調べたことやちょっと調べればわかることを記事にしても、私と同じものを作れる人がほとんどいないのはなぜなんでしょうか......。
それは自分の知識を教育レベルとは違う方向に使おうとするからで、そうしないと読んでいて楽しい記事が作れないんですよね。
これがいいのかどうかはわかりませんが。職業によってはそういう人の方が有能な場合もありますが、それしかできない人が世の中には多すぎます。
これが詰め込み教育の弊害なのでしょうか。いや、「ゆとり教育」に戻せと言っているわけではない。ネットで調べたことを文章にしたり、文書にしたりする場合、レポートや知識の一覧表は、職場でのコミュニケーションにはいいかもしれませんが、商品や娯楽、全く新しいものを作るために人を巻き込むのには向いていないと思います。試験室を作るのが大変な時代に、それを試験にすることはできないのだろうか。
教育レベルの知識を与えるためにたくさんの人を作っても、コンピュータが人を追い込むだけ。(ネットで検索しただけの知識では同じことしかできない)
高校レベル以下の知識レベルであっても、検証の問題点を暴いたり、知識を面白おかしく話したり、書いたりすることができるかどうかを考えることが大事だと思います。実際、理系では頭が良い人ほど、マニアックな知識の使い方をしているので、個性的です。
文系では...知識が足りないからなのか、大学で実験や検証をあまりしないからなのか...自分の知識を面白いように使える人、面白いように見せられる人は意外と少ないです。