はてなキーワード: ボリュームとは
キリスト教でないので神に対して誓いたくない、両親への手紙は、わざわざみんなの前で読む必要はなく親に直接言えばいい、
色直しもキャンドルサービスも金の無駄・・・偏屈同志の二人の意見はぴったりであった。
2)なるべく中間搾取されずに、払った金額ができるだけ招待客にいきわたるようにしたい。=コスパを高くしたい。
1.大前提として、夫婦として妥協できる持ち出し金額を決めた。結婚式が終わってからが長い二人三脚のはじまり。
したがってお金は極力出したくはなかったが、かといって皆に遠方から来ていただいているのにも関わらずプラスにしたい
(持ち出しをしない)という観念もなかった。それは失礼だと思った。
2.必ず呼ばなければいけない親戚をリストアップ、期待されるお祝儀を計算した。
3.人数、新郎側新婦側のバランスを考えて招待する友人をリストアップし、一人当たり3万円(夫婦の場合5万円)のお祝儀と勘定。
それとなく周りに声をかけて、参加意思を確認。
なお、ケチケチと算盤をたたいて、予算以上の金額を払いたくなかったということではない。
むしろ終わった結果がこれより多少ずれていても良いと考えていて、
とりあえず予算の大枠を決めないと、業者と話したときに方針がすぐぶれてしまうことが容易に予想できたからだ。
(尚、精確には2次会の参加徴収費×期待人数も予算に含まれる。)
ゼクシィやネットなどで情報を集めると、一つの現実が浮かび上がった。
”結婚式場を使うと、人数が数十人規模でも数百万は必ずかかる” ※スマ婚は不明
これは、結婚式場でも たくさん人を雇っており、豪華な建物や機材の減価償却があり、
毎日目標売上を決まった時間枠内で達成しなければいけないためだと思う。
支払を小さくすべて内容をなんとか質素にするならば、単価が高くなる。
ケーキを持ち込む際、カメラマンを知り合いに頼む場合、自前のドレスを使う場合、、全て持ち込み料を数万円ずつとられる模様。
逆にオプションをつければつけるほど、単価が下がりお得に見えるようにできているが、全体のボリュームは無論膨らむ。
・招待状、メニュー、メッセージカード、席次表、すべて込みで10数万円
一部金額うろ覚え。とにかく驚いた。
予想と現実の乖離が大きく、安くてよい式場があれば・・という、私達の淡い期待は見事に打ち砕かれた。
ここは畳部屋でキャパが小さいので、必然と呼ぶ人数は40人までに絞られた。
なぜ料亭にしたかというと、かかるのは料理代と酒代だけで、会場代(≒原価償却代)がいらないからだった。
庭も雅で、貸切のため他グループの喧噪に神経を使うこともないだろうと思ったからだ。
さらに、老舗だけに金屏風と赤絨毯を持っているのでタダで使わせていただけるとのこと。
加えて、入場退場の際に女将さんが唄を歌っていただけるとのこと、、私たちは、ラッキーだった。
しかし、会場が小さいせいか ごく稀にしか依頼は来ないらしい。
披露宴の内容がイベントに欠けることは確定したので、せめて招待客には舌鼓を打っていただこうと、
料理の予算を一人2万円に決定。酒代別途。親族で地元伝来の舞を踊れる方がいたので、依頼。
ドレスはいらないものの、あまりしょぼい恰好も場にふさわしくないだろうということで
新婦は和装で、動けて、食事ができて、且つ値段が休めな引き振袖に決定。新郎もあわせて袴に。衣装替えはなし。
地元のブライダル衣装屋を2件回り、相見積をとったが合わせて22万。
田舎ではライバルが少ないため、これ以上下がらない様子だった。柄もいまいちで、種類も少なく、使い古している感じ。
着物がたくさんあって競争が激しいところに行けば、相場はもっと安いんじゃないか??
と思いつき、着物のメッカであろう京都に照準をあて、ネットでオンラインレンタルできるところを探した。
3件ほど目星をつけ、嫁さんに1日かけてもらい実際に赴いてもらった。
着物制作工房とレンタルが一緒になっているところがあり、仕上がったばかりの新品があった。
デザインも気に入った上、値段も安かったので即決。
二人合わせて12万円程度にまで圧縮できた。
さらに、地元で着付けの美容院も2件巡って相見積をとり、印象がよいところに決定。
新郎の希望で新婦は文金高島田に。かつらだけで8万円。これはどうしようもなかった。
田舎ならではという感じで、酒が入ってからは新郎側も新婦側も ひざ歩きで畳の会場を回って、
皆がわらわらと適当にまじりあい、酒を注ぎあい、終始ガハガハやっていた。
人数も多くなかったため、夫婦も一人一人としっかり会話ができた。
重いかつらを外すために、途中で新婦は一度退場。髪だけ整えてまた戻った。
途中、長老がどこから持ち出したか、カラオケを歌いだしてやんややんやのハプニング(?)も。
(あれは可笑しかった。)
最後は新郎新婦側で盃をかわし、参加御礼のスピーチをし、集合写真を撮ってお開き。
出口でお見送りと引き出物を手渡し。なんと5時間半も同じ部屋でやっていた。
・招待状、メッセージカード、席次表はすべて自作。印刷業者に見積もりをとったが、
数千枚刷らないと、うまみはない。コンビニのレーザー印刷は高級紙には対応していないので注意が必要。
kinkosなどを利用するのが良いかと思う。
模様が入っている結婚式用の封筒などは高いので、安い無地のものを買い、
消しゴムはんこで鶴や亀などを作ってアクセントに。案外いい感じになった。
席次表は、ドタキャンで何回も作り変える可能性があったため、前日に実家でプリントアウトして作った。
切手など含め、総計で2万円くらいだった。
・招待客が40名と少なかったため、全員個別のプレゼントを用意。楽天を活用した。
嫁さんが昔お菓子を作る職に就いていたので、お菓子詰め合わせも入れた。
年配の親族は何をあげていいかよくわからなかったので、お菓子と共に1~2万円のギフトカタログを送った。
・宿泊客の宿代は全額夫婦で負担。ここでも2件ほどホテルに交渉。
・二次会はバーで、何もなしでただ皆で飲むだけ。途中で適当に分散するよう席を移ってもらい、
あとは参加者たちの化学反応に任せた。参加者は負担2000円で残りは夫婦支払。
フリーオーダで、それでも8万くらいで収まった。
・親族がカメラマンだったため、撮影をやってもらえた。お礼として3万円包んだ。
・簡単な司会進行は友人に頼んだ。A4一枚にまとめて、何回か打合せをした。
こちらもお礼を包んだ。
一括で請求してもらって後日支払をした。
・着付け、ヘアメイクの方にお礼を包み、控室での食事を出した。
・高齢で膝の悪い方もおられたため、和室用の小さい椅子?を用意した。
1次会40名、2次会15名。
準備期間の移動費など全て含めた支出が150万で収入が151万。
予想外に多く包んでくださった方が若干名いたため、ほぼトントンになったが、
そうでなければ思惑通りに持ち出し35万ほどに収まっていた。
仔細まで管理し、当初の予定どおり できるだけ招待客に分配することができたと思う。
1)参加者をたくさん呼びたい場合、それはもう選択肢がどんどん狭まっていく。
究極的には式場しかなくなる。
私たちとしては 公民館でもイベントスペースでもどこでも ワイワイとみんなでご飯を食べれて、
夫婦の顔をお披露目できればそれでよかったのだが、やはり色々考えるとそうはいかなかった。
まず、何かイベントがないと、空気がもたない。日本人はパーティー形式になれていない。
(知らない人としゃべらない) 若者だけならいけるかもしれない。
台湾なんかは家の前の道路の一部を貸し切ってパーティーするらしいです。
2)私たちのやり方は嫁さんが無職で時間があったためにできたと思う。
共働きだったらそこまで時間を捻出できなかったんじゃないだろうか。
私は出張で不在がちだったので、手と足を使った準備は殆ど嫁さんが。感謝。
3)後日、写真をコンビニでプリントアウト、L判アルバムにして家族に送った。
会場となった料亭からは無料招待券をいただいたので、その内にお礼がてら訪れて
こちらにもアルバムを渡す予定だ。これからの営業に使っていただければと思う。
4)試算表を作って、項目を全て羅列したのが 予算管理にとてもよかったように思う。
項目を炙り出そうとすると、内容もおのずと煮詰められていくので。
5)私たちは田舎で丁度良い料亭があったが、都会にはあまりないのではないか。
都会では会場の選択肢が少なくて、結局そういう式場しかないような気がする。
6) 円卓方式じゃなく、和室だったからこそ 行き来しやすく雰囲気が容易くこなれて、
当初、漠然とこんな結婚式、いいなあ~と思っていたのは、宇宙工学研究者の小野雅裕さん。
http://onomasahiro.net/tsurezure/852
当然同じものにはならず、計画に時間はかかったし喧嘩もしたが、
僕たちにとって とても満足のいく結婚式になった。
見知らぬ誰かの参考になれば。
今ふと思いついたんだけど、玉ねぎを大きめにくし切りして水に晒して軽く塩もみしただけの状態のやつをバリバリ食いたい。
むしろ新たまじゃなくてもみずにさらさないほうが辛味が残ってていいのかな。
試したことないし食べたこともないんだけどなぜか今無性に食べたくなった。
あー豚こま冷凍してたのもあったからそれも肉単体で炒めてつまみにするか。味付けは塩コショウだけでシンプルに。
いや、もやしもいっそあわせて炒めてしまえばボリュームもあっていいかも?
キムチ炒めにするのもいいかも。それかごま油+にんにくで味付けするか。。。悩む。
そうなるとごはんか。。。冷凍チャーハンがあったな。PBものだけどまあいいか。キムチ系にするならサトウのごはん的な方がいいかもしれんね。
さっぱり系とちょっとこってり系とがっつり系がこれでそろった。
つまみっつーかもう晩飯だな。
早く食いたい。
唾液の分泌量がやばい。
仕事したくない。
もう家に帰りたい。
あ~
会社にもよるけど、当初の話よりボリュームが膨らんで危険そうだなーって相手のときは
3.実装、検証
4.保守運営
これらを1から順に別々に契約してリスク軽減を図ることがあるね
元増田の話だと下手すると12までを契約前に要求しているように受け取られかねないので
リスク回避に動いているのかもしれない
てか350万は安すぎる業者かもね。あんまり安い価格を出してくるところは信用しないほうがいいよ
あとから追加追加で金を取る気かもしれないし、そもそもの見積もりというか見通しが甘いところな
気がする
会社によって違うけど技術者一人が一ヶ月動いて60~200万ぐらいコストが掛かることになる
システム構築に一人で三ヶ月かかるなら180~600万だ
発売前にはβテストからのテストプレイ全てに参加し、サービス開始初日からプレイを続けたものの
無料期間が終わり、1ヶ月分の課金をしたがあまりINするモチベーションのない、実質引退状態のプレイヤーになってしまった。
簡単に言うと、今後課金を続けるほどの継続的な面白さを見出だせなくなっているということなのだが、もうちょっと詳しく自己分析も含めて書いてみようと思う。
FF14は序盤からメインストーリーに、複数人とのパーティープレイ必須のインスタンスダンジョン(以下ID)と、同じく複数人必須のボスとのバトルコンテンツがある。
どのくらいの比率かというと、レベル17までのプレイは初回で約10時間程度、そこからストーリーをすすめるには、IDを3つクリアしないといけない。その後1、2時間程度のプレイでボスとのバトルコンテンツがある。これでPTプレイは数えて4つ。
それが終わると、その後10時間程度レベル上げをした後にIDのクリアを命ぜられる。その後同様に10時間程度するとまたしてもIDのクリアを命ぜられる。
なにかとパーティプレイ必須なIDで進展に蓋をしているのが現状だ。
上記PTプレイにはセオリーというものが存在する。TANKと呼ばれるHPと防御力の高い職が先頭を走り、立ちふさがる敵の注意を集め、敵視を維持しながらDPS職が殴り、HEALERが主に攻撃を受けているTANKを回復する。
さて、初めて攻略するIDにおいて、一番敷居の高い職はなんだろうと考えたところ、圧倒的にTANK職だろう。
常にダンジョンの先頭を走るために、内部構造をある程度把握していないといけない。危険な範囲攻撃や大きな被害を被る攻撃を繰り出す敵を最初に倒すべく、考えて敵を釣らなければいけない。
明らかに責任が重い。
たまたま斧術士というTANK職でプレイしていた俺は、それが煩わしくてしょうがなかった。面倒である。
現在、斧術士を戦士(よりTANKとしての特性に特化した職)へランクアップ(といっても過言ではないだろう)し、レベルは31(現在は最高50レベル)になったが、道中のトトラクの千獄と呼ばれるIDはクリアしていない。
これから先、まだ幾つものIDやボスがあるのは知っている。そして、ダンジョンやボスのギミックも加速度的に難易度が上がることも、TANKへの他プレイヤーの要求が上がることも聞いている。
そして、それらのPTプレイを終え、メインストーリーをクリアした後に待っているものは、装備を更新するためのID、ボスバトルだ。
PTプレイを推奨しながら、ライトなプレイングを提唱するその基板には、ある程度快適なPT編成システムがあるからだろう。
コンテンツファインダー(以下CF)という、PTプレイが必要なコンテンツに自分を登録しておくことで、申請者の中からサーバーの壁を超えて勝手にPTを集めて組み立ててくれるシステムだ。
非常に便利な半面、この一期一会のシステムが、「質の悪いプレイヤー」と接する機会を激増させている。
終われば、あるいは自分から切断すればその後散り散りになるため、後先を考慮する必要がないと捉えた上記の「質が悪いプレイヤー」を抑制することが出来ない。コンテンツの難易度が上がれば比例的に数が増えると聞いている。
「聞いているだけで実際はそうではない」という話は、実際は事実かどうかは関係なく、その話で躊躇するプレイヤーをゲームから遠ざけてしまうという事が間違いなくある事が大事である。俺だ。
βテストの時点では、レベル20キャップ、最初のパーティプレイのチュートリアルとして3つのIDと1つのボスバトルがあるという話であった。
これを終えれば、まだ自由にコンテンツを楽しむことが出来ると思っていたが、実はコンテンツは、そのメインストーリーと各職業のレベルが5上がるごとに受けられるジョブクエスト、mob狩りとfateと呼ばれるフィールドに突発的に発生するクエスト、ギャザラーと呼ばれる職業によるアイテム集め、それらを加工する生産職であるクラフターでの生産。これだけだった。
これだけ見て、多いと感じるだろうか?少ないと感じるだろうか?
メインストーリーは置いておくとして、ジョブクエストは、クリアするとその時のレベル適正装備やスキルがもらえるお使いクエストだ。
ギャザラーのアイテム採取は、フィールドの採取ポイントを往復しながらボタンを連打したあげく、数時間をかけて入手したアイテムはガンガン相場が下がっている。
クラフターは一部先行者が儲けを独占し、後続は投げ売りで価値を暴落させる。そもそもクラフターが作るアイテムの中で、戦闘職用の装備はIDの宝箱から出るもののほうが性能が良いため、二束三文。非戦闘職用のものを売れるならまだいいが、消費するものではないためそれも頭打ちになる。
では回復薬やステータスアップにつながる料理などはというと、基本的に必要とされておらず価値がつかない。
(ここらへんのバランスはテスト時にもさんざん言われてきたが、そういうゲーム構造なので現状ではどうしようもないだろう)
レベル上げとIDを何度もクリアして装備を集める事とメインストーリーしかやることがなかった。多様性が全くなかったのだ。
レベルはとても上がりやすい。今の俺のレベル30位なら、2日効率よくやれば到達できるだろう。クエストはお使いモノがたくさんあるし、各地のfateをやるだけでどんどん上がる。IDへ入り浸っているならなおさらだ。
だからこそ、ある程度普通にやるだけでエンドコンテンツへ簡単にたどり着いてしまう。そこに待っているのは高難易度で面倒なPTプレイ「しか」無い。
自分で知らない場所へ赴き、SCをとるだけでも楽しいものであるが、この世界の住人はとかく足が速い。
プレイヤーは最初からファストトラベルで、常人の足でありながら高速に動く。レベルが少し上がり、初心者を脱した時には自分専用の騎乗動物「マイチョコボ」が与えられ、いつでもどこでも呼び出して乗ることが出来る。
このため、一見広そうな世界でも、とにかく狭い。足の速さはプレイヤーの快適さにも直結する部分だが、一方で世界観の構築にはあまり寄与しない。
世界の広さに関しては、今後のVUで確実に改善する部分だが、初期段階で今の全世界の倍は用意して欲しいと思った。
現在、フリーカンパニーと呼ばれる集団にも加入し、一応のコミュニティには属しているわけだが、どうにも上記の要素を感じてしまって未来を感じない。
新生エオルゼアには本当にものすごく期待していたのだが、(FF11も、旧14もプレイ済み)どうやらこのままフェードアウトしそうだ。
文句を言っているのではない。ただ、残念である。
まず声がでかい。でかすぎ。
いくら老人ばかりの部屋だからって、さすがに深夜のボリュームじゃないだろ。勘弁してくれ。
そしてやたらと粗雑。
患者のオムツを確認するときや、寝てる姿勢を直すときの動作がやたらと荒くて雑。寝てる患者に対してもそれだから見ていてヒヤヒヤする。
こっちはおまえらが怠慢してる分、自分の家族でもない見ず知らずのじいさんの世話までしてるんだよ!
入院してるのはお義父さんなんだけど、認知が入っていてなかなか言うことを聞いてくれない。
特に夜は酷くて、簡単には眠ってくれないし、寝たとしてもすぐ起きたり、足が不自由なのにベッドから降りてコケたり、
とにかく手に負えないので、夜は睡眠剤を使うか・拘束するか・家族が泊まってずっと見てるか、と入院2日目の朝に病院側に言われて結局その日から泊まることになった。
私が週に3日泊まって、ほかは夫の兄弟の家族が泊まることになっている。
お義父さんの世話をするのは全く問題ないんだけど、上記の通り看護師に対してすごくイラついている。
そもそもが夜間が大変だからという理由で、しかもなるべく睡眠剤や安定剤を使わない、という経緯があったからこうして誰かしらが泊まっているのに、
深夜ずかずか病室に入ってきては掛け布団をひん剥き、荒々しくずぼんをおろしてオムツをはがし確認をする。そしてこれまた荒々しく寝てる位置を直すために服を掴んで上に引きずりあげる。もうひとりの看護師と大声で話す。
せっかくおとなしく寝てくれてるのに。ありえないでしょホント。起きたらどうしてくれんの。寝かしつけてくれるの?
そもそも巡回のときに使ってるその150ルーメンはありそうなアホほど強力なライトはなんなんだよ。
顔を照らすならもっと弱い光にしとけや。
そして、向かいのベッドのじいさん。
この人もたぶん認知があるんだろうけど、夜中ずっと独り言を言いながらベッドから降りようとチャレンジしてる。
ガクガクしながらベッドの柵に手をかけて身を乗り出そうとしてるところを見たら、
たとえ他人であっても無視するなんて出来ないじゃない。
自分のベッドのナースコール押してからすぐに駆け寄ってなだめながら看護師が来るのを待ってると、
苦笑いしながら「すいませ~ん」とか言いながら看護師がやってくる。
すいませんじゃないだろうがこれで何度目だよ!人の善意にまかせて適当やってんじゃねーよ。
しかも他が忙しくて手が足りないのならまだわかる。でもナースセンターから楽しそうな笑い声が聞こえるんだよ。ずいぶんの間。
こっちが見逃せないとわかってて放置してるんじゃねえよホント。
もうとにかく看護師のアホさ加減にイラつく。すべてが「粗い」の一言だわ。
個室に移ればかなりの部分はマシになると思って今交渉中。
とある名作と呼ばれてるゲームで絶対いつかやろうと思ってたのを土日でスピードクリアした。
社会人が土日だけでまともにやるとしたら1~2ヶ月かかるボリュームのもの。
もちろんチート使った。
苦労せずに俺TUEEEEEEEできて楽しかった。
とりあえずストーリーを追いたいんだ。
苦労してプレイしてる人はすごいし、そういう人がいてこそ作り手冥利に尽きるんだとは思うけど、自分には真似できない。
短気だからどんどんサクサク進めないとストレスたまってやめたくなる。
作り手が意図する楽しみ方じゃないとは思うけど、一人でやるだけなのにストイックに黙々とやる意義をもはや感じない。
こつこつレベル上げとか嫌いじゃないんだけど、社会人になるとなかなかそうもいかないからさ。
完全に一人遊びしてるとき限定。
楽しみはいまや溢れてるしお金もかからないから、スピード消費してもいくらでも次がある。
昔とは違う。時間はあってもゲームが少なくてしゃぶりつくすように楽しまざるを得なかった昔とは。
いろいろ余裕がなくなって、楽しみのはずがノルマになっちゃってる。
名作とか良作とか神ゲーのリストばっか見てた結果、「やりたい」ゲームじゃなくて「やっておきたい」ゲームばっかりになっちゃってる。
「これは評判よかったしやっておくべき」とか「評判のとおり確かにここが面白いな」って無理やりイイトコサガシしたり確立した評価の後追いをするだけで、プレイする合理性を無意識に探そうとしてしまっている。
そこに主体性は何もない。
自分でもサイテーだと思うのは「これであのネタがわかるようになった」「話についていけるようになった」みたいに、ゲームプレイが徹頭徹尾コミュニケーションの道具にしかなっていないようなところ。
サイアクだと思うのはコミュニケーションの道具とする名目なのにそれを使うためしがないこと。せいぜいネットサーフィン中に一人でほくそ笑む程度。
いずれにせよ消化して安心して、これでこのゲームをしないといけないという強迫観念に追い回されることはないのだと肩の荷が下りる気分になるのは、ゲームの楽しみ方として違うと思う。
手段と目的が逆転しちゃってる。いや違う、目的が存在しない。濁りきっている。
俺は一体何のためにゲームをしているんだろう。
自分が空っぽだから他人の評価に依存してプライベートまで主体性なく生きて楽しいのか。
楽しくないに決まってる。
じゃあどうすればいいんだろう。
Facebookを一日に30回くらい見た気がする。伝えたい思いがある、誰かと喋りたい。その思いがあるから開けてはついでに投稿を確認する。でも投稿はしない。Facebookを見る時の気持ちって皆どうなんだろう。友達と話をして繋がってる感を得たい、繋がりに参加して誰かといたい。
話したいことはたくさんある。だけどその話を全て聞いてくれる人って誰?冷静に考えると実はいない。話したいこと・共感して欲しいこと、そうだよねって言って欲しいことってたくさんあるけど、実際に会ったとしても何喋ったかあまり覚えてないし、その後思い出してメールで全部伝えて会話するなんてことリアルの世界でもありえない。Facebookってのは話したい大きな気持ちを持って、画面を開いては分別をわきまえた内容・ボリュームを選んで、話せることがある場合は話して繋がりに参加するし、無い場合はただ皆のことを知って繋がりに参加するためのツール。胸にしまってる思いが全て消化できるツールじゃない。繋がりを維持できるツールであって不安や悩みを消せるツールじゃない。
だからFacebookを開いたって話したい話を聞いてくれる友達はそこには永遠に現れないし、現にいない。話したいこと、胸の内にある思いは本当の友達に伝えればいい。本当の友達っていうのは、繋がりよりもずっと大きな存在。Facebookなんかで表現できる存在じゃない。
パシフィック・リムを見てきた。
本来なら言うことはない。夏らしい平凡なポップコーン映画だった。
ただ、ネットの一部界隈では、映画監督の姑息なイメージ戦略にアテられたのかなんなのか、過大評価すぎるものが多く見えるので、細々と感想を書き連ねてみる。
映画監督が円谷ファンを自称しているらしいので、円谷のビデオソフトで例えると、パシフィック・リムは、怪獣大図鑑みたいなもの。(ウルトラマンの戦闘シーンのみを編集したプロモーションビデオ)
怪獣が暴れる映像のために他の全ては下敷きか犠牲になってる。ひたすら怪獣、巨大ロボ、衝突、破壊、爆発の繰り返し。
それらのアクションシーンには、見どころが沢山ある。細部までしっかり意味ありげにデザインされたロボットの造型。重量感。一進一退の攻防が次から次へと展開する。
友人達を集めて、談笑しながら見るのなら、かなりいい作品だと思った。
ただ、それ一辺倒なので真剣に見るのには向いていない。映画館など黙って鑑賞せざるを得ない環境だと、ワンパターン過ぎて睡眠誘導になりかねない。
間というものが皆無だ。心を落ち着けて、さあこれから山場だぞ!というシーンなど無く、パチンコ屋にいるような騒々しさが延々と続く。
ウルトラマンとは違って、テーマ性は薄い。ドリフトというシステムで取って付けたようなお題目はあったものの、じーんと心に響くものではなかった。
円谷ファンを自称する監督だが、本作に登場する怪獣には円谷作品のような多様性は一切ない。
全部クローンであるという設定と、欧米的説得力の問題でああなったのかもしれないけれど、どれも土気色に水色の体液でカラーリングが一緒で、形態には差異があるものの、画面の暗さとそれに溶け込む暗い色のせいで大した差を見いだせない。
最終決戦には3体もの怪獣と同時に戦うことになるのだけど、そのときにはもうどれがどれかわからない状態になってしまった。
最後の真打ちとして登場した3体目は、カテゴリー5(今までは4止まりだったのだろう、未知のタイプだ!と司令部が騒いでいた)と呼ばれていて、さぞスゴイ奴が出てくるのだろうと思ったら、気持ち大きいだけに感じる上に、乱戦してるうちに見せ場もなくボロボロになってしまった。
何のために盛り上げたんだ!
本作では上記のように戦闘シーンに特化した結果、オリジナル作品にも関わらず原作のダイジェストを見ているような忙しなさを抱えることになったが、その対価として、大ボリュームの戦闘シーンを2回もこなしている。
ただひたすらカッチョイイロボとでかい怪獣の戦いを表現したいというのなら、間違っていない選択だと思った。
海底に開かれた次元の扉を閉じるために、主人公たちのロボットは海底を歩いて進み、そこを守る怪獣と最後の決戦を繰り広げるのだけど・・・。
深海なので画面が暗く、水中なので動きは鈍い。敵が3体でてくるものの、暗さと没個性が相まってただごちゃごちゃ戦っているだけという印象。
地上での戦いだけで良かったのではないか。前半のほうが凄く感じただけに鈍い上に乱戦でグレードダウンした感のある最終決戦は、視聴者にとっても集中力の限界との戦いだった。
マーケティングの一環なのかなんなのか、監督の日本に対する愛情の現れなのかはわからないけれど、本作には日本人俳優がメインヒロイン役として参加する。
現代のヒロインを演じた菊池さんのほうは、海外の俳優に混じってなお遜色のない演技をしていた。吹き替えだと声が林原めぐみだし、かわいい。
ただ、問題は子供時代の回想シーンで。芦田さんという日本屈指の子役俳優が演じたのだけれど・・・。
最初にフォローとして、泣きながら逃げるだけな上に、実在しないCG相手というハードルの高い演技であったろうことは言っておくとして。
日本のトップクラスの子役と言えど、いざ洋画にでてみると、世界の子役俳優の足元にも及ばないのだなということがわかる。
最後、斜陽を背負うイェーガーを見上げる場面になると、お遊戯感が炸裂する。
”眩しくて顔に手をかざす”という行為と感覚を理解していないのだろう。あのシーンだけ、最近ありがちなCGギトギトのダサい邦画を見ている気分になった。
全体的に見て、僕はこの映画は好きだ。
映像はやっぱりすごいとおもったし、音の使い方も凄く良かった。
主人公機が画面中央に現れるときには決まって「デューン」というジングルみたいな物が入るのだけれど、あれのお陰で暗くごちゃごちゃした画面でも、すぐに主人公機だ!カッケー!という気分を呼び起こしてくれるので凄く乗りやすかった。
ビデオを借りてきて家で見るのなら、下手な名作系の映画よりも満足感を得られる内容だろうと思う。
でも、最近ネットで見られるレビューのたぐいは、流行に流されて一辺倒になっている雰囲気がある。
あまりに勢いがありすぎて、この映画が面白く無いやつはわかってないという上から目線めいたものも見受けられる始末。
本作はそこまでのものじゃない。ただ映像がかっこいいだけの、ポップコーン映画だ。
この映画を見て満足感が得られなかったとしても、当然と思えることは上に書いたように沢山ある。
おそらく、監督は円谷作品のファンということを大々的にアピールしていたことが出火元のひとつであるように思うのだけれど、
それで釣られた人たちは、この映画を見終わって果たしてどう思うだろう。
半沢直樹はおもしろい。普段ドラマなんて滅多に視聴しないのだけれど、これは不毛地帯以来なように思う。
半沢直樹を観ていて自分が感じた違和感というのは、おおよそ金融日記:ドラマ『半沢直樹』の感想 ―銀行員たちは何を賭けて戦っているのか?で指摘されている部分と概ね等しいと思っている。
半沢直樹にワクワクする視聴者層と、リッチマン、プアウーマン、多分厳密には、ソーシャル・ネットワークにワクワクする視聴者層は、きれいに分かれているんじゃないだろうか?
両者の違いは、登場する主人公=ヒーローの背景だけじゃないかな。
もちろん主人公の設定はストーリー全体に影響を及ぼす重要な要素なんだが、この設定が、半沢直樹とソーシャル・ネットワークでは真逆なわけだ。
自分は一応、起業家もとい経営者の身なので、ソーシャル・ネットワークは本当に楽しめた。120分程度のボリューム程度の映画なので、10話完結のドラマとは楽しみ方が違うとは思うけど。
金融日記:ドラマ『半沢直樹』の感想 ―銀行員たちは何を賭けて戦っているのか?で指摘されている『出向』に関してだが、コメントでも色々と賛否があるようだけれど、賛否の大部分の問題は、『出向』すると給料が下がるのか否か?みたいな話らしい。
というのが個人的な感想。プライドを賭けるってのも分からない話じゃないが、プライドの定義が狭すぎる。
ただ社畜が主人公な時点でつまらない。起業家が主人公だとおもしろい。って話でもなくって、
例えば半沢直樹の物語の中では、工場を経営している社長、経営者が頭を下げて、時には涙を流して銀行員にすがりつく、もしくは感謝するシーンもある。
実際IT界隈のベンチャー企業では銀行員が相手ではないかもしれないが、VCだったりには、まぁ概ね同じような気構えでお会いしたりするわけで。
なんというか、結局のところ、起業家や経営者にだってドロドロとした面倒な問題や、先方に頭下げまくったり、競合に出し抜かれたりは当然あるんだけど
社畜にだって、そりゃぁもう、同じかそれ以上にドロドロした世界が広がっているんでしょう。
それが視聴者の胸を打つというか、「倍返しだ!」とか言ってみてぇwww とかそういうアレなんだろう。
それについてはホンモノの銀行員から見たドラマ『半沢直樹』の感想が興味深い - NAVER まとめが興味深い。
最近、企業務めの友人と会うと半ば必然的に半沢直樹が話題に上がるんだけど、そこで感じたことは、
みんな楽しみ方があるあるネタの漫才と同じっていう共通項があるらしい。
そうそう、俺達の世界はこういうドロドロとした苦しみ、耐えねばならぬ世界があるわけよ。みたいな。
ソーシャル・ネットワークも不毛地帯も、視点が経営者視点なんだよね。
物語そのものの絵としてはは、そりゃ現場でしこしこ工場のおっさん相手に根回しするよりは、豪華な料亭で談合する方が映えるだろう。クラブで女を侍らせながら、世界をひっくり返す野望を語る方がよりセンセーショナルだろう。
でもそういうのって、直感的にそれがリアルなものには感じられないんだよね。それが例え、あり得る現実世界そのものだとしても。
結局なにが言いたいかって、きっと自分も主人公の設定がひっくり返るだけで、同じように胸を打ち、同じようにあるあるネタを肴に酒を呑むんだろう。
それはわかっているんだけど、なんだろう、この虚しさは。
時間掛ければ、ってのはもちろん実際のテスト時間内という意味ではなくて、もっと一生懸命1週間くらい考えれば、という意味だよ。
例えば、今ググって見た
の第1問とか、うーんって眺めると漸化式が線形変換になっていることに気づいて、
(x_n+1, y_n+1)^t = ((a,b)^t, (-b,a)^t) (x_n, y_n)^t
みたいな感じで、変換行列の行列式がa^2+b^2だってことに気づくから、ベクトルを延ばす変換と回転(直交変換)の組み合わせになってるなって気づいて、
この辺でもう終わったみたいなもんだけど、P_0=P_6なら6回変換して元に戻る必要があるからa^2+b^2=1でないといけなくて、あとはP_0 .. P_5が全部異なるので2*π/6ずつ回転すればいいんだなって感じで答えが分かる。高周波解もあるかも。
高校生なら線形変換について馴染みが薄いだろうから(エリート層は余裕で慣れ親しんでるんだろうが)難しいかもしれないけど、理系の大学生以上なら割と直感的にすぐ分かるように思うんだよね。
大人だって俺みたいな理系のオッサンはいっぱいいるわけで、1%くらいのボリュームは全然あるんじゃないかって思うんだよね。俺自身は上位1%に入るかって言われると自信無いくらいだし。
ちなみに俺は東大卒じゃないし、生まれた家庭がアレだったので高校まではかなり頭悪い環境で過ごしたよ。
周りの毛並みの良い奴らは俺なんかとは比べ物にならないくらい上等な世界で育ってきてるし、普通のボンボンくらいの奴なら人数的に腐るほどいるよねって思う。
ちがうよ。交渉の中で(つまり先方に提出する見積もりの中で)出てくる「人月」っていうのは、単位なんだよ。
「うちの社で一般的で標準となるようなスキルを持つ技術者/その技術者の単価」であって、現実にいるベテラン技術者とか新人技術者はヒモづけられてないんだよ。
「(架空の)うちの社で一般的で標準となるようなスキルを持つ技術者だったら、六人/3ヶ月っすねー」という話であって、開発のやワークフローや納期などを話し合う前提となる、一番最初の土台すりあわせ「この仕事のボリューム」を話し合うための基礎的な認識だよ。
そもそもの話、相手側の普通の担当者だって「六人/3ヶ月っすねー」という話にたいして「ははあ! 六人でやるんですか!」なんて考えちゃいないよ。
「三人だか四人だかでやんじゃねーのかな」って思ってるさ。でもそんなもん、たとえば炎上したりしたら十人突っ込んででも解決しろっていう保証(=こちらから見れば信用)でトレードしてるだけの話だ。
最初の確認の段階で1pxのズレを指摘されて、もう納期が近いですから・・・ってスケジュールの見積もりがオカシイだろ。
何回も何回も、構成を繰り返して、今まで言われて来なかった1pxのズレをという話ならわかるが、初回の1pxのズレを直せないなら、見積誤ったんだろ。
通常 数回の修正のスケジュールは織り込むだろ。逆に、修正聞かないくらい遅れ遅れになってたとして、それは発注側がわるいのか?(悪い場合も有るだろうが)
ようするにどの程度の制度を必要とする仕事なのかを確認せずに見積もりとって契約しておいて、客に文句言うなよ。
ラフな仕事もあれば1pxが必要な仕事もある。1回で終わる仕事もあれば10回以上修正する仕事もある。その辺のツメって営業がやらないとデスマーチ化するところでしょ。
たまに、無限修正を希望する客がいるけど、うちの場合は有限回の修正で、規定回数を超えたら1回毎に有料というふうに契約を落とすことが多い。1回のボリュームは問わない。指摘したいだけ指摘していいが、1回は1回。提出後7日以内に、要望を伝えてくれとか、そういう感じにしないと客に引きずられることが多すぎる。
なんにし、この業界 修正 が予算超過の最大理由だから、そこをきっちりできなければ、客も下請けもどっちもダメだろ。契約しないに限る。
そもそもマルチエンディングを作るのに膨大なコストがかかるのは今のスタッフだからです
そもそも骨組みや作り方、中身が全然違うのです
今のスタッフにとっては同じ「マルチエンディング」を作る事が出来ない
っていうなら無能って事ですよね
そもそもマルチエンディングと言ってますけどただの分岐の事です
今の自称マルチエンディングと言うのは、別にお話を作るのでコストもかさみます
もし、ちょっとした結末を作るだけで良いと言うのなら?
今のユーザーが「あのステージは難しかったな」「あの敵は強かったな」「あのシーンは感動したな」といった経験を大勢と共有し合ってますか?
し合ってないでしょう?
どう見たって
「子供だましなボリュームの水増し」と言うのは今のボリュームの増し方です
蛇足のストーリーを大量に直列につないでプレイ時間を大幅水増し
そもそも、過去のそれが子供だましな水増しであって、今の作り方が子供だましで無いきちんとしたものだと言うのなら
何で子供だましの方が膨大なコストがかかって大変だと言うんですか?
今のが手抜きじゃない作りこんでいる結果なのですか?それともコストがかさんで出来ないんですか?
今の膨大なボリュームの各演出をやめて各分岐に並列に並べるだけで済む事ですよ
キチガイに触るなよ
ちなみに海外ではストーリーに一定以上の比重があるゲームではマルチエンディングはほぼ完全に廃れてる、というかマルチエンディング形式はかなり異端な部類
というのも、重厚長大なゲームは制作にも多大なコストがかかるので、一本のソフトに複数のストーリーというのはメーカーが作りたがらない
ヒットした作品は基本的には二、三作ほど続編が作られるので、複数のエンディングが存在する場合必ずどれか一つのエンディングの続きという形を取らざるを得ず、そこに到達出来なかったユーザーが置いてけぼりを食ってしまう(欧米ではゲームを一回しかクリアしないユーザーが相当数いる)
http://anond.hatelabo.jp/20130703234327
http://anond.hatelabo.jp/20130703234632
FPSにせよRPGにせよ、大ヒットしたものでマルチエンディング形式が殆ど存在していないのがその証拠
http://anond.hatelabo.jp/20130703235516
ゲームにたくさん金を出す人=ゲームをたくさん買う人=一本あたりのゲームを遊ぶ時間が少ない人
そういう人達のニーズに最適なゲームの一つがシングルエンディング形式
二周三周繰り返すモチベーションが、未知の新作ソフトを遊ぶモチベーションを上回るのは非常に希
http://anond.hatelabo.jp/20130704001012
かけたコストに対して得られるリターンが割に合わないし、客がシングルエンディングを望んでる
マルチエンディングの需要が高まればメーカーもそっちに力入れるだろうが、これだけ大量に新作が出まくってる現状、それらに目もくれず特定のソフトだけを延々遊び続ける人は少ないし、そんな客ばかりになったら業界自体が衰退してしまう
マリオカート入れっぱなしで他のソフトを全く買わない客ばかりになったWiiがどうなったか?答えは出てる
実際アメリカでも1回クリアしたら速攻で売って次のソフトを買う資金の足しにする人が相当数いて、プレイ時間をいたずらに引き延ばされるようなソフトは避けられる傾向がある
そもそも、じゃあお前の言う「有能なスタッフ」ってどこにいんの?
なんかね、「本当はその気になれば簡単に作れるんだけれども、世界中の無数のゲームメーカーは一社たりとも客が望んでるゲームを一本も作ってなくて、客は仕方なく嫌々渋々ゲームやってる」って事にしたがってる奴がいるみたいだけど、完全に逆だからね。
客が望むゲームをコンスタントに供給し続けられるメーカーやタイトルが生き残った結果が今の状況だから。
http://anond.hatelabo.jp/20130704013228
最近のゲームもろくに遊んでない、過去のレトロゲームも全然知らないお前個人の妄想が、世界中の数億人のゲームファンの声を代表してるとか笑えるわ
http://anond.hatelabo.jp/20130704020136
ご託はいい。
古今東西、世界的にヒットしたゲームのストーリーモードにマルチエンディング形式が殆ど存在しない理由の説明に全然なってない。
理由は簡単。
まああったとしても、求められる品質と、かけられるコストと、売れる本数のバランスが成立しない。
「本筋に毛が生えた程度」の分岐で満たされるニーズならとっくに世界中のメーカーが取り組んでる。
つか、過去にそういう子供だましなボリュームの水増しが横行して業界そのものの消滅が危惧された事すらあったんだが。
その反省を経て持ち直したのが現状なわけ。
「あのステージは難しかったな」「あの敵は強かったな」「あのシーンは感動したな」といった経験を大勢と共有し合う事が今は求められてる。
ま、仮に将来それが飽きられたら別の路線を模索するだけだが。
http://anond.hatelabo.jp/20130704031844
へえ、不満なものを延々買い続けてる物好きが世界にウン億人といるのか
これから書くことは完全に後付な上、既にどっかの誰かが言っていることに被ってる可能性大だが、それでも書いてみる。
結論から言うと、AKBがこれだけ盛り上がったのは、今も昔もアイドルのコア層である、童貞のマスを取り込めたから。
以下具体的な説明。
まず前提として、世の男の9割にとって、女にモテないのは日常的な話。
世の人口の半分が男なわけだから、その9割つったら物凄い人数なわけで、モテないと一口に言っても、その中で更に色々カテゴライズできる。
あとはカテゴライズした結果、各々のボリュームがどんくらいかという話になる。
ではモテるかどうかの次に来るカテゴライズはというと、本題になる童貞/非童貞。
あ、これは精神構造的な意味での分類だから、素人童貞も童貞に含めるし、玄人童貞でも非モテ()こじらせたのが治ってないなら童貞と見なしますw
まあ普通に考えて非童貞のほうが人数は多いんだけど、今や童貞だってかなりの人数だ。
老いも若きもいっぱいいる。少なくともツイッターで童貞ディスったら炎上するんじゃね?ってくらいはいる。
で、AKBが登場するまで、童貞の皆さんの中でも抜群の存在感だったのが、いわゆる2次元萌え。
それもあってか、少なからぬ人が童貞=キモオタくらいのイメージを抱いていた。
秋元氏の慧眼は、それはあくまでイメージであって、実態は違うということに気づいた所。
確かに萌えオタは目立っているけど、童貞のマスじゃないってことだね。
むしろ童貞のマスにとっては「嫁がディスプレイの向こうにいる」時点で「はい解散」なんだけど、そんな彼らは殆ど取り上げられなかったというか、見えてなかった。
それは彼らの趣味嗜好が分散して、控え目にまとまっちゃってるからだと。
要するに各人がぼっちか、それに近い希薄な繋がりしか持たない状態で埋没していたのだ。
そんな彼らを惹きつけるキーワードは「親近感」というのが、秋元氏の企画の原点だろうね。
そりゃガチアスペでもない限り、人が常に他の誰かを必要としているのは明らかで、しかも人恋しさは人間関係が希薄になればなるほど強まる。
それこそ、気になるあの子がディスプレイの向こうでは絶対満たされない程度にね。
だから「いつでも会いにいけるアイドル」「ファンの皆で育てるアイドル」である必要があった。
まあ最初は上手く行かなかったみたいだけど、それでも基本路線は変えないまま一時代を築いたんだから、「正しい」と言うべきだろう。
いやあ、本当に目の付け所が凄いと思う。
なんつーか、童貞を去勢する商売をやめろとは言わないが、もう少し日陰でやるもんだろ・・・。
そんなのホントに聞こえるか?
録音当時には気づかなかった声を聞き取ったシーンを思い出した。
オマエもしかして死んでんじゃね?
数日前、20年来お世話になっている某メーカーAV監督の作品を見ている最中、
たまたまボリュームを大きくしたところ、女優が喘ぎ声とともにこんな話をしているのがうっすらと聞こえてきた。
「監督が優しい言葉をかけてくれるから安心して体を任せられる」
「彼氏に帰ったらまた殴られるかもしれない。どうしよう?」
「気持よすぎて余計なことを話しちゃった。気持ちよくなることに集中します。ごめんなさい」
「私の家が貧乏だって話しちゃったから、もう1本撮影するって言ってくれた。ありがとうございます」
これらは女優の「セリフ」ではなく、男優と絡んだり愛撫の快感に身を捩らせているとき、喘ぎ声とともに発せられる「本当の声」なのだった。
監督はそういった女優たちのリアルな悩み、撮影時の不安を取り除きながら撮影を進めているのである。
ところがこの監督はさすがにベテランだけあって、かなりボリュームを上げてもボソボソとしか聞き取れず、ボリュームを上げてもノイズにかき消されてしまう。
おそらくマイクが拾わない最小限度の声量で、囁くように話しているのだろう。
なぜなら、女優たちの話は相手が必要な会話形式のつぶやきが大多数を占め、女優たちの声や反応だけを聞いていても、ある程度の会話の流れを読み解くことができるからだ。
そうしていくつかの作品では、撮影中にもかかわらず監督の優しい気づかいに感動のあまり涙したり、監督の真意を理解した女優が突然喘ぎながらも「いままで失礼なことばかりしてごめんなさい」と謝ることさえある。
このメーカーに出演している彼女たちはもちろんAV女優だったり、以前から監督の知り合いの素人だろうと思われる。
売れっ子ならまだしも、企画レベルの作品に出演してAVを引退した女優を口説き落とし、1本だけの再出演をさせてしまう、
などというウルトラCは、ネームバリューやツテがあったとしてもほぼ不可能だろう。
彼女たちを心からリラックスさせる(話の内容によっては撮影後に時間をとって相談を受けるそうである)監督の存在ではなかろうか。
もちろん「抜けなきゃAVじゃない!」「女優のプライベートに興味ない」という方もいるだろう。
もしかしたら大多数の男がそうなのかもしれない。
けれどこの監督は女優たちとの信頼関係を築き、安心して体を任せられる相手だからこそ様々な素顔を監督に、カメラを通じて私達男性にも見せてくれる。
「女の子が快楽に身を沈めて(快楽の定義は十人十色だが)いく姿を追い続けた記録映像」がAVだと考える自分にとって、20年目であろうがなかろうがこの発見は本当に驚いた。
ネットで調べてもココに書いたような事に触れたレビューはひとつもなかった。
また当該監督のインタビュー記事等もあたってみたが、やはりここで書いたようなことには一切触れていない。
断片が見えれば見えるほど全体像がぼやけていくような不思議な感覚だけれど、知ってしまった以上誰かに伝えたかったのだ。
最後にここまでの話を読んでメーカー名、監督の名前にピンときた方は是非とも一本手に入れて欲しい。
この監督ほど女優への対応、撮影内容が長年に渡ってブレないというのは驚異的ですらあり、ツボに入れば動画データではなく、DVDを収集したくなる魅力に溢れている。
そして作品を手にすることができたらヘッドフォンをしてボリュームを上げ、出演している彼女等の喘ぎ声に紛れ込ませた言葉に耳を傾けてほしい。
これまでのアダルトビデオに対する見方がガラッと変わるような、衝撃的だったり刺激的だったりする話がはちきれんばかりに詰め込まれているはずだから。
6月24日追記
幻聴だ妄想だチラ裏だと鼻で笑われて終わり。と思っていた初の匿名ダイアリー投稿記事が相当数の方々に読んでいただけたことに驚き、有難く思います。
ここに書かれたことを一笑に付すのは簡単ですが、思わず手を止めてしばらく画面に食い入ってしまったほど衝撃を受けたことは間違いなく、
耳を疑って何本もの作品を見直し、聴き直してのことなので「聴こえた」としか言い様がないのです。
また、これだけ多くの方が興味を惹かれているというのは、真っ向から「嘘だ」と決めつけられない、なにか後ろ髪を引かれるようなものがあったのではないでしょうか。
Twitterで二村ヒトシ監督に事の真偽を尋ねていた方もいらっしゃいましたが、二村監督もこの投稿内容を頭から否定せず「自分ではなく代々木忠監督ではないか?」といったような見解を示しておられました。
さらに「聞こえたような経験がある」とコメントくださった方も、ごく僅かですがいらっしゃいました。
ただこれだけ多くの方に読んでいただいたにも関わらず、AV業界関係者の方からのコメントは前述の仁村監督以外にはなく、
もしかしたら本当にAV業界の(ごく一握りのメーカーにとって、ですが)タブーなのかもしれません。
なのでどのメーカーなのか、監督なのかは明言せず、いくつかのヒントをお伝えするに留めておきたいと思います。
メーカーはアダルトビデオ黎明期から存在しており、当時革新的といわれたスタイルはいまや多くのレーベルがリリースするジャンルにまで成長しています。
そのスタイルの生みの親とも言える監督はすでにリリース作品も絶えて久しく、現在は引退同様の状態だと思われます。
毎月一定数リリースしていたので作品数は相当な数となりますが、2005年前後の作品が(シチュエーションにもよりますが)音質的に良好なものがあるようです。
今後この投稿に追記することはないと思いますので最後にひとつだけ。
私が耳にした女優たちの言葉はどのような内容であれ、監督と女優の信頼を深めるために発せられたごく自然なものであり
そのことに本来の目的である自慰行為さえ忘れ、感動したからこそ誰かにこのことを知ってほしいと投稿をしました。