2013-09-02

ゲームクリアしたという結果だけを求めて

とある名作と呼ばれてるゲームで絶対いつかやろうと思ってたのを土日でスピードクリアした。

社会人が土日だけでまともにやるとしたら1~2ヶ月かかるボリュームのもの

もちろんチート使った。

移動速度あげてステMAXにしてエンカウントもなし。

苦労せずに俺TUEEEEEEEできて楽しかった。

のんびりレベル上げとかアイテム探しとかやってらんねー

とりあえずストーリーを追いたいんだ。

苦労してプレイしてる人はすごいし、そういう人がいてこそ作り手冥利に尽きるんだとは思うけど、自分には真似できない。

短気だからどんどんサクサク進めないとストレスたまってやめたくなる。

作り手が意図する楽しみ方じゃないとは思うけど、一人でやるだけなのにストイックに黙々とやる意義をもはや感じない。

こつこつレベル上げとか嫌いじゃないんだけど、社会人になるとなかなかそうもいかいからさ。

もちろん対戦はガチしかやらないよ。

完全に一人遊びしてるとき限定。

楽しみはいまや溢れてるしお金もかからいから、スピード消費してもいくらでも次がある。

お金だってある。

のんびりひとつゲームにかまけてる暇なんてないんだ。

しろ足りない。時間が。

昔とは違う。時間はあってもゲームが少なくてしゃぶりつくすように楽しまざるを得なかった昔とは。

でもちょっとさびしいような気がすることに気づいた。

いろいろ余裕がなくなって、楽しみのはずがノルマなっちゃってる。

名作とか良作とか神ゲーリストばっか見てた結果、「やりたい」ゲームじゃなくて「やっておきたい」ゲームばっかりになっちゃってる。

本心から自分がやりたいわけじゃない。

「これは評判よかったしやっておくべき」とか「評判のとおり確かにここが面白いな」って無理やりイイトコサガシしたり確立した評価の後追いをするだけで、プレイする合理性無意識に探そうとしてしまっている。

そこに主体性は何もない。

自分でもサイテーだと思うのは「これであのネタがわかるようになった」「話についていけるようになった」みたいに、ゲームプレイ徹頭徹尾コミュニケーションの道具にしかなっていないようなところ。

サイアクだと思うのはコミュニケーションの道具とする名目なのにそれを使うためしがないこと。せいぜいネットサーフィン中に一人でほくそ笑む程度。

いずれにせよ消化して安心して、これでこのゲームをしないといけないという強迫観念に追い回されることはないのだと肩の荷が下りる気分になるのは、ゲームの楽しみ方として違うと思う。

手段と目的が逆転しちゃってる。いや違う、目的存在しない。濁りきっている。

俺は一体何のためにゲームをしているんだろう。

自分空っぽから他人の評価に依存してプライベートまで主体性なく生きて楽しいのか。

楽しくないに決まってる。

じゃあどうすればいいんだろう。

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