はてなキーワード: わんことは
お前が結婚してること自体が「見る目ない」ってことを示してるぞ?
「お前みたい」じゃないじゃん。お前がクズなだけ。
俺は一切、お前みたいな下衆行為はしてないからな。一緒にすんなクズ。
さ、俺は出したから例を出せよ?
嘘八百八町並べ立てて例を出したつもりなのか、こいつ。
しかも事実だとしたら相当なクズじゃん。しかも治ってない、下衆のまま。
「嘘八百並べても出まかせじゃないしクズじゃない」ってよくわからん理屈だな。
だがクズにクズ呼ばわりされるのも業腹だから、多少の具体例も挙げておいてやろうか。
・腐女子の彼女に付き合って女性向け同人誌の作成と売り子をするも、その後活動にのめりこまれて何か月も放置されれる
・社会人になってから後輩彼女の留学費用を半分貸すも浮気される
てか、
・相手に人格や嗜好を歪めろと主張する以上、自分は本当にできるのか
・できるならなぜその下衆な欲望を折らないのか
俺は結婚してるし、
お前が見る目ないからって人の事を「見る目ない」って言うのはどうかなww
隙あらば俺語り、してくぞ。
誰に対しても最低なやり取りをしてた。お前みたいにな。
「こんな事もできねぇのか!」[俺のやりたことを邪魔すんな!」
最後には、ゲームに対しても「死ねよ!このクソゲー!」と言ったりもした。
俺は家賃を半額入れるだけで光熱費も食費も一切出してなかった。
居間にこっそり行くと、ボロッボロ泣いてた。
書類を取りに行ってもらったり。本当にパシリのように使ってた。
全て指示して、できなければ「なんでできねぇんだ!」ってブチ切れた。
「お前みたいなのを嫁に貰ってやるんだからありがたく思えよ!」って言った事もあったし
「お前みたいなゴミクズ、俺以外に誰が貰うかよな(笑)」とか言ったりもした。
俺が同じ事をされたら……と考えたら寒気がした。
それと同時に、彼女を失ったらどうなるか考えたら絶望しかなかった。
ま、今では改心したし。
嫁が望んでいそうなことは、俺が進んでやることにしている。
嫁からの「ありがとう」が嬉しいし、俺からも「ありがとう」ってよく言うようになった。
嫁はもしかしたら恨んでるかもしれん。「若気の至り」って嫁は笑っているけどな。
まずお前が具体例を見せろよ。その下衆な欲望を折ってみろ。
さ、俺は出したから例を出せよ?
ただただ面倒くさいオタク女の愚痴をめちゃくちゃ長々と書いてるだけ。
登場人物全員性格悪さが全面的に出てる回なので人の闇がしんどい人は読まないでね、疲れるだけだよ。
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TwitterやPixivには「こう言う設定の世界観でキャラや話を創作してね」って色んな人がそのルールに従って絵を書いたり小説を書いたりする「世界観共有企画」ってのがいっぱい存在すんのよ。
その内の1つの企画にフォロワーのDさんが参加してキャラを作ってたんだけど、私の知らないとある女がDのキャラとカップリング(以下CP)を組みたいって言ったらしいの。
企画内でお互い自分の考えたキャラでCPを組むことを「うちよそ」って言うんだけど、そういう色んな人が参加する企画ではうちよそ組むのが定番ムーブなのね。
でもDは「声をかけてきた女とうちよそを組むのは嫌だ」って言ってたんよ。
その時にそういった企画に興味がありつつなかなか機会がなくて触れることのなかった私が「え〜そんなん私がDの相手になる子作りたいわ〜」って言ったの。
Dの作ったキャラを可愛いと思っていたし、納得の行かないCP組まされるのも可愛そうだなって思ったから。
んじゃDも「作って!」って喜んで言ってくれたし私もルンルンでどんなビジュアルが良い?とかお話しながら決めたのね。
それで割と円満(だと私は思っていたけど今となっては分からん)にCP組んでお互いそのキャラの絵を描いたりしてた訳よ。
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ところで人間誰しも地雷というものがあって「どうしても受け入れられない」とか「理解に苦しむ」ってこと1つはあると思うんだけど、創作に対して私はそれがめちゃくちゃ多いんよ。
描いてもらった絵にそういったことがあったら素直に喜べないし社交辞令するか、それだけはやめて貰っていいですか、って言うしかなくなるんよな。
いわゆる「解釈違い」って奴。
それがDともちょこちょこ起こるようになって、でもまぁその都度修正していけばいいし、まだ始まって数週間、最初やからお互い手探りでこんな感じよなって思ってた。
私がめちゃくちゃ地雷原だから踏み抜かれたら嫌だし、相手にもそんな気持ちにさせたくないから「違うことあったら言って」って何回も言った。
描くときも下書き見せてオッケーもらってから描くようにしてた。
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そんな感じで色々描いてたんよね。
Dは毎回何かしら感想くれるけどそれの6割ぐらいが「〇〇みたい」って感想やねんよな。
それ褒めてる?みたいな。
最初に話し合いしながらキャラの名前決めるときもそうやったんやけど「『幸一郎』って名前にしよっかな〜」って言ったときのリアクションが「なんか議員にいてそう。選挙カーで『〇〇幸一郎をよろしくお願いいたします』みたいな」
は?
もうシンプルに「は?」やろ。
じゃぁやめる、って言って変えました。
いや何が気に食わんねんって思う人もいるかもしれんけど、何かを1から作り出すときに「〇〇に似てる」系は本当にご法度なんですよ。
言うた人にその気はなくても「パクリ」を指摘されてるかのように思えるし、私は「オリジナリティがないね(笑)」と言われてるのと同意だと思ってます。
みたいな話がキャラ作る時点であってだいぶモヤついてはいたけど「まぁこいつアホやし褒める言葉をあんましらんのやろな」と思うようにしたんです。
そして後日上げた絵にDのキャラのセリフに「〇〇じゃないの!?」って言葉を書いたんです。
それを見たDの反応が「オカマっぽい」
でして。
あ、これ気に食わんこと濁して伝えてるな。
と思って。
いやそんな細かい標準語知らんがな、とかオカマは「〇〇じゃないのよ!」って言うんじゃないのとかいっぱい考えたんですよ。
シワのないツンツルテンの脳みそフル稼働させて、職場のおばちゃんに「あんた眉間のシワどうしたんや」と言われながら。
まぁ考えたところで解決しなかったので本人に直接言いました。
「〇〇みたいっていうの止めてほしい」「Dが何が嫌やったか分からんかったしもっと『ここがこうで嫌やった』みたいに具体的に教えて」って。
いや面倒くさいなこの女!って今自分でも思った。
でもお互い納得して色々描きたかったんや…。
そこは反省してます、私1人が突っ走って楽しかっただけなんだろうなって。
誠に申し訳ございません。
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そんな感じでお互いにモヤモヤしてたんやと思う。
私も何か作りたいと思ってたから「じゃぁ缶バッジ作る」ってなったの。
元々Dと知り合ったのジャンルで、グッズ作成楽しいぞ〜ここの印刷所おすすめだぞ〜って教えたらドンハマりしたのよ。
んでグッズ作る人はよく分かるやろうけど、大体2パターンおるって私は考えてるんやけど。
「描いた絵が形になるのが楽しくてグッズ作るタイプ」と、「このグッズならではのものを作りたいんやってこだわるタイプ」の2パターン。
Dは完全に前者で、私は完全に後者。
まさに量をとるか質をとるか。
って言ったら「お前自分のこと可愛がりすぎやろ失せろブタ」って意見が聞こえてくるけど、流石に私かて一生懸命描いた絵にどうこう言ったりはせん。
ただDの場合丁寧に描こうとすればできる技量があるのにそれをしないで作るってのが相容れんかった。
でも別に作るんはうちそよ相手のDやし私が金出す訳でもないから「おぉええやん」って言ったの。
その何日後かに線画の絵も見せてもらって夏仕様で可愛くてアガってたの。
線画がもう少し綺麗だったらなぁとは思ったけど。
でもまぁそこは身内の贔屓目で見て「可愛い」って言ったよ。
多分そん時やったかな。
Dと仲良しのフォロワーにNがいるんだけど、その人が私とDのCPを描いてくれるって聞いて。
絵下手な人じゃなかったから素直に喜んだ。
その後「アクキーも作るって!」って聞いて「マジか」って言った。
この「マジか」は自CPがグッズ化する嬉しさと、私その人のことお前の話でしか聞いたことないんですけどっていう困惑の「マジか」。
過去に「Nと1回通話したいわ」って言ったことがあったんやけど、その時の返事が「多分無理だと思う(笑)」やってんけど今思い返してもマジで意味不やし、え?何?じゃぁ一生関わらないでいただけますこと?うちよそ描くってこっちに関わりあるんやが?ってなるやんそりゃ。
んでもDはNのこと大好きやしDのアクキーも線画の段階で見せてくれたし流石に私も監修すると思ってたの。
まぁしなかったんですけど。
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また別の日の通話で初っ端に「Nのアクキーの絵見る?届いたときに見たい?」って言われて。
もう入稿してんの?的な。
「今見たい」って言ってもらった絵が、まぁこれが、本当に、汚い言葉を使わせていただきますが
挙げ句「30分ぐらいで描いてた〜」とか「本人手直ししたがってるけど〜」とか「(私のキャラが)初期設定の絵と直近の絵と違うじゃんどっちが正しいんだよとか言ってた」って言われて。
っつーかじゃぁ描かなくていいーーーーーーーーわ!!!!!!!勝手に描いといて何だテメー!?!!???
ってすげー腹立って、Dも「機嫌悪い?」って言われたけど今思えばその質問もおかしくないか……。
君は仲の良い友達だろうけど赤の他人になんでそこまで言われなきゃならないんですかね…。
って感じですーっと冷めてって。
通話終わってから、この日に一緒にグッズの写真あげようねって決めた日から逆算して、明日に終わらせたらなんとか間に合うなって思ったんだけど、もうデザインは考えてたのにペンが動かなくなって。
Dの中でも私なりに頑張って描いた缶バッチより、私は頼んでもないし知らない人だけどNが私の文句言いながら30分で描いたアクキーの方がいいんだろうなって考えたらボロボロ泣いた。
四捨五入で三十路になる良い年した女がパソコン画面見ながらボロ泣き。
情けなくなって布団入って寝た。
+++
って寝れるわけない。
夜ほどいらんことボコボコ考えてもてもう心の中のポエマー大暴れ。
・フォロワーも何回かトラブってたけど創作マジで無神経な女多いね くっそ腹立つわ
・学がねえのはまだいいけど思考力は備え持ってくれや
・私が何日も考えて描いたやつと30分で描いたやつとか並ぶんでしょ?アホくさ
今見たら面白いぐらい荒んでんなこいつ。
とまぁそんな感じでツイートしてたら創作メインのフォロワーが反応して。
私が企画で腹立ててるのを「版権出身の女が創作界隈で苦しんでるなぁ」ぐらいの気持ちで楽しんでる女なんやけど、もはや見世物の私と貴族Aよ。
いつもは腹立てて暴れてるだけが今回は混乱状態に陥ってて「どうすれば?」ってなってることにちまっと反応してくれたので、上記のことを掻い摘んでダイレクトメッセージでAに相談しました。
「第三者のFA(ファンアート)が真っ先にグッズになるって理解で良い?理解したくないですけど」
ここでやっとこさ「やっぱおかしいんだ」って混乱が解けた。
し、もっかいついでに泣いた。
+++
タイトルにある通り私は初めてのうちそよで、Dは今まで何組かやってるし私が先輩に合わせなきゃな〜ぐらいの気持ちがどこかにあったのかもしれん。
あと文句言いまくってるから私も多少は我慢せなあかんってのはずっと思ってた。
前々から妥協せなうちよそなんて出来んってAにも言われてたし例え解釈違いを描かれてもいちいち文句言うてたらキリないしうざいやろからどうしても、ってとこだけにしてた。
そこで今回の赤の他人アクキー事件で第三者に「おかしいよ」って言ってもらえてほんまにスッキリしたし、嬉しかった。
「自創作はオナニーですけどうちよそはセックスに近いので急によその人間連れてこられて3P強要されても困惑しかない」ってAは言っててこの例え分かりやすいなぁって思った。
性癖なんて人それぞれだから3Pで興奮する人もいれば嫌悪感を抱く人もいる。
だからって嫌悪感を抱く人に3P強要しちゃ駄目だし、逆に興奮する人にわざわざそんなん無理!って言って良い理由もないわけだ。
どっちの立場にしろ相手の気持を蔑ろにしちゃ駄目なのは当たり前だけど。
だから私も妥協ができないなら最初から簡単に踏み入るべきじゃなかった。
最後にAは「お疲れ様 他人と関わる創作はしんどいこと多いけど それでも良い方向に行くこと祈ってるよ」と言ってくれたのでありがとうと感謝を告げて、明日の夜にまたDと話をしようと思った。
あと缶バッジは諦めてまた今度ゆっくり時間を設けてなにかグッズを作ろうと思い、Dにチャットで「缶バッチ間に合わんからつくるのやめるわ!」とだけ言って、Dに対するこれからの不安とAに対する感謝を胸に複雑な気持ちのままその日は寝落ちした。
+++
次の日の夕方ぐらいに、Aが理解を示してくれたのが多少の自信になって、語彙力0の女の感情を分かって欲しいと思って一連の流れをまとめるついでに、(Dと繋がってない垢で)ツイートした。
それ見ながら考えてDにチャットを送ったんよ。
「Dからしたら仲のいい絵のうまいフォロワーが自CP描いてくれた!って認識だろうけど
私からしたら相互でもないし通話もしたことない得体のしれないタダの他人なのにキャラシと違うとか30分で描いたってマウント取る割に線はみ出しまくってる上、手直ししたいとか言ってたって聞いたら「何様?」って感じじゃん、私からその人に頼んだわけでもないのにさ
めんどくせえとかくそとかDとかそっちが思うのは勝手だし実際私はめんどくせえ女だし
でも何に対して怒ってるとかわかんないなら取り敢えずごめんって言って終わらするんじゃなくて、(共感は無理でも)理解はしてほしかった
暗黙の了解とか常識とか見えないものを別れっていうのも難しい話だけどさ
め、面倒くさ……。
何この女めんどくっっさ。
割と落ち着いてつもりやったけど普通に面倒くさいなコイツ……。
でもまぁ取り敢えず返信待ちですよ。
その間に私より賢いフォロワーが、私が「あの〜…あれよ…」としか言えない気持ちをきちんと文字にしてくれた天才アンド最高のメッセージ見てほしい。
言葉を借りて私が書くよりそのまま載せた方が分かりやすいのでいくつか抜粋しました。
T「よそさまの子をアクキーにするのにそもそも30分なんかで描かないわ…自分の子でも友人の子でもないNの立場なら特に慎重になるべき。自分の子でも初期設定から変わるのは普通のことだしなぁ…。」
S「ツイーヨ読んだけどお疲れ……創作界隈よくわからんけど描きながら文句言うような人に自分のキャラ描いてほしくないね…(そしてそれを伝えるべきではない………)」
O「例のやつ読んだんだけど、二人とも相当やばいね…最後のメッセージ(上記のクソだるメッセージ)以降って返事きてる?もし謝られても何言われても今後関わんない方がいい気がするよ〜。基本が話通じない感じの人ってその時はそれなりに反省してるっぽい雰囲気出すけどす〜ぐ同じこと繰り返すから…」
みんなめっちゃ言うやん。
でも人の意見聞いてうんうんって納得してだいぶ気持ちの整理がついて、夜Twitter見た時に気付いた。
D!!垢消しやがった!!
おま…!それ一番の悪手…!
折角半分に曲がったけど持ち直しかけてた気持ちがそこで完全にポッキリ2つに折れて。
もうここで終わりやなって思った。
そりゃDiscordとかSkypeとか連絡手段はあるけどさ、そこまでして必死になって描き続けたいかって聞かれてもうんって、スッと言葉が出てこん。
チャットの返信は来てた。
「言われなきゃわかんなくてごめんね」
とだけ。
誰だってそうやろ。
私が言ってほしかったんはそうじゃない。
何も分からんのに謝って終わらそうとせんといてほしい、って文章も、多分Dは読んでないんやと思う。
読んでたら、そんな一文だけ返ってくることなかったはずやろ。
もうだいぶ嫌われてたんやなぁって感じた。
面倒くさくてごめんな。
他人にうちよそ描かれるのが嫌なわけじゃない、むしろめっちゃ嬉しい。
でも今回のグッズの件に関しては私の立場はどうなるんって、思ってもたんや。
Dもさ、多分サプライズのつもりでNのアクキーを用意してくれとったんやろとは思うねん。
でも私からしたら別にそんなことせんでも、Dのアクキーだけで十分やったんよ。
+++
うちそよで問題があってCP解消なんてのは日常茶飯事で、な〜に被害者ヅラぶっこいてんだそういうとこが面倒くせえんだよというご意見には完全に同意するんだけどこの日記はこんなことがあったんだよっていう呟きみたいなもんなので昼ドラ感覚で流し見してね。
CP解消したあとお気に入りだからと使いまわしたり、組んでいたCPの歴史を一切なかったことにしてまた新しいCPを組む人とかもいるんだけど、今回はDのキャラのために作ったっていうこともあって、Dのキャラを描くたびにDを思い出してしまう私じゃ、もう私のキャラを描くこともないと思う。
Dのキャラと一緒にいるところが好きだったし、DのキャラとだからCPが組めたキャラだった。
なあわんこよ、お前が数ヶ月前にぽっくり大往生してしまって、なんだか心がスースーするよ
もっと長生きして欲しいなんて口が裂けても言えないくらい、頑張って頑張って長生きしてくれたし、最後の一瞬まで私の腕の中にいてくれたよな
だから多分、こんなこと思っちゃだめなのかもな
お前のおかげで犬がどんなに素晴らしいか身をもって知ることができたよ
でももう犬は飼えないな
お前が一番私のことを理解してくれてたから、多分犬を飼ったらお前と比べてしまうから、そんなの悲しいもんな
ほんとはすごくすごく寂しくて、なにかで埋めたくてたまらないんだ
でもなんかさ、だめなんだろうな
お前の形で空いちゃった穴が塞がるのも、実はちょっと怖いんだ
いわゆるペットロスみたいに食欲なくなったり体調崩したりしてないからそこは安心して欲しいな
でもほんとに、ありがとうね
親は団塊世代で当時は給料も右肩上がりの時代で、それなりの中流家庭だったと思う。
兄が通っていた地元の塾に自分も行かせてもらい、兄は一足先に中学受験をして某私立中高一貫校へ進学した。
自分は最初の塾(兄と同じ)で、『御三家も狙える』と言われ、有名な大手進学塾へ通うようになった。
毎週土日のどちらかには親に連れて行ってもらって都内へテストを受けに行き、自分は純粋に楽しんでいたが、それに付きあう親は大変だったろうと思う。
そしてその頃から、どうやら兄は道を徐々に踏み外していったらしい。
具体的に中学生の兄の身に何があってそうなったのかは今でも知らない。
兄は万引きなど軽犯罪を繰り返すようになり、親が警察に行くこともたびたびあった(当時、自分にはそれらの事実は知らされなかった)。
自分と兄はひとつ屋根の下に暮らしていたが、部屋は別々で元々仲の良い兄妹でもなかったし、
自分は中学高校(御三家の一つに受かった)で良い友人に恵まれ学生生活を楽しんでいて、兄のことはほぼ眼中になかった。
ただ、それでも兄や両親を見ていて、『兄が道を踏み外しつつある』こと、『親が兄の対応で大変らしいこと』は雰囲気でわかった。
だから、自分まで親に負担をかけてはいけないな、と子供ながらに思っていた。
別に親のためにいい子でいようと思ったわけではない。
道を踏み外していく兄を尊敬できなかった、いや、心から軽蔑していた。ああはなりたくない、と思っていただけだ。
学校の友人の兄弟はみな出来が良くて、どこに出しても恥ずかしくない「まっとうな」人達で、比べると自分の兄が恥ずかしかった。
学歴なんかの問題じゃない、今でもそれで兄を差別する気はない。
犯罪を犯すこと(万引き以外にも路駐やら何かでしょっちゅう警察から電話があった。警察をバカにし、遵法精神などまるでなかった)、
それで親に多大なる迷惑と心労をかけていたこと、それを反省もせずにまた繰り返すこと。
兄の心理など知る由もないし、なにか彼の思春期に問題があったのかもしれない。
だがだからといって兄の行為が正当化される訳もない。繰り返すならなおさら弁護の余地もない。
私は心の底から兄を嫌い、軽蔑し、しかし表にはそれを出さずに、ただ兄とは接触しないようにしていた。
(なぜなら、兄は短気で暴力に訴える人間だったからだ。一度自分がそういった態度を見せた時、夜中に枕元に金属バッドを持ってすごんできたのは忘れられない。
そしてそういった基質もまた、私の兄への侮蔑をより強める結果になった)
そして兄は高校を(なんとか)卒業し、大学へは行かずにフリーターになった。
親はどこでもいいから大学へ行かせたかったようだが、兄本人が『大学でやりたいことがない』と進学しなかった(ここは兄が正しいと思う)。
ありがちな話だが、兄は音楽の道を進もうとしたらしい。バンドを組んで、いわゆるバンドマンになった。
音楽活動の実態は何をしてるのかさっぱりわからなかったが、さほど身を入れてやっている様子もなく、芽も出なかった。だが諦めきれないのか、フリーターをしながらだらだらと続けていた。
自分が高校を卒業し大学へ進学した後も、兄はその生活をしばらく続けていた。
そのうち、兄は一人の女性(Aさん)と知り合った。そして二人は結婚を考える仲になった。
Aさんはとても良い女性だった。自分や両親とも仲良くしてくれて、兄は大嫌いだがこんな姉ができるなんてほんとに嬉しい、ようやく兄が自分にとって良い行いをしてくれたと思った。
しかしここで、両親は最大の過ちを犯した。
何を思ったのか、兄にマンションを買い与えたのだ。親の名義でローンを組んで、兄と彼女の新居にしろと兄に与えた。
フリーターの兄に月々のマンションに係る支払が払えるはずもない。それはすべて親が払っていたのだ。しかも結婚も確定しないうちに買って与えた。
呆気に取られた。納得できないが親の気持ちになって考えてみれば、『Aさんに逃げられないように、住居が確定していれば結婚生活も楽になるだろう』ということだったのかもしれない。
『妹は大学へ行かせてやったのだから、兄にも何か与えねば』と思ったのかもしれない(しかし自分は国立大で、学費をトータルしてもマンション費用の20%にもならないのだが)。
兄は別に特段の感謝をする様子でもなく、当たり前のようにそれを受け取った。
そしてその後、結婚が決まっても一向に定職につこうとせずに自堕落な生活を続ける兄は、Aさんに愛想をつかされて結婚前に出ていかれた。
(兄はAさんに入れ込んでいたらしく相当なショックを受けていたが、自分から見れば当たり前だばーかとしか思えなかった)
この頃からだろうか、自分が『親は兄を贔屓している』と思うようになったのは。正確には、『親は兄を甘やかしている(自分には厳しいのに)』と感じ始めたのは。
自分は親に言われた。『私立大に行かせる金はないし仕送りをする余裕もないから、家から通える国立大にしろ』と。
親の言うことに従おうとしたわけではなかったが、自分の行きたい大学はその条件を満たしていたので、結果として親ののぞみを叶えた形になった。
しかし心のどこかに、『親ののぞみを叶えたい』という気持ちがなかったとは言えない。兄で苦労させられている親を見てきて、自分だけは親が誇れる子供でいようとしたのかもしれない。
通おうと思えば通えたが、一人暮らしに憧れていたこともあり、親の援助は一切受けずに一人暮らしを始めた。貯金とバイトでなんとかまかない、4年間それを続けた。
親が兄にマンションを買い与えるまではそれも納得していた。だが、親がそれをした時、自分の中で不公平だという気持ちが生じた。
根底に『「親に迷惑ばかりかける穀潰しでろくでなしの」兄に、なぜそんなに金をかけて甘やかすのか?』という考えも当然あった。
自分にとって兄は「いないほうがマシ」で、存在する事で何もいいことがない、迷惑なだけの存在だった。
グレてようがフリーターだろうが、優しい兄なら愛せたろう。だが、兄としての優しさを見せてくれたことなど数える程もない(その数回も小学生以下の時だけ)。
家庭を持って子を為し、親に孫の顔を見せて安心させてくれたなら、「普通」で「まっとう」な人間になってくれたなら、それで兄を見直すこともできただろう。
しかし兄は正真正銘のクズなので、逆の道にしか行かなかったのだ(それについては後述)。自分が兄を見直す機会はおそらく死ぬまで来ないだろう。
(余談だが、なかにし礼氏の小説の再現ドラマ(兄との関係を描いたもの)を見た時、心からなかにし礼氏に共感した。自堕落でお調子者で弟にとって迷惑な兄。
なかにし礼氏が兄の葬式後につぶやく、『兄さん、死んでくれてありがとう』がわかりすぎて辛かった。
何年先かわからないが、おそらく自分も兄が死んだ時、『死んでくれてありがとう』と心から思うだろう。自分が先に死ぬかもしれないが)
Aさんに逃げられた後、しばらく兄は自堕落な生活をしていた(親が金を払っているマンションで一人ぐらし)。
自分は何度も親に『マンションから出て行かせろ、でなければ兄は自立できない』と言ったが、親は『そんなこと実際にできるわけがない』『目の届かないところに行かせるほうが不安だ』と言って聞かなかった。
この頃から、自分の中で『兄が駄目になったのは親の(甘やかしの)せいではないのか』『親は己の見栄しか考えてないのではないか』という疑念が湧いてきた。
やがて自分は大学を卒業して、氷河期の中なんとか上場企業に就職を決めた。
希望の会社からは内定が出ず、文系でプログラムなど全くわからないのにSEになることになったが、就職できただけでよしとするしかなかった。
親の反応は『とりあえず上場企業だから、外への体裁が整った』というものだった。親にとって自分は見栄のための存在なのだなということが、徐々にわかってきていた。
同じ頃、兄もようやく某リフォーム会社で営業として働きはじめた。
兄の営業成績は良かった(もともと外面だけは良い)ので、いっときは小金持ちになれたらしい。外車を買ったが、マンションの金を親に返す気はさらさら無いようだった。
その外車がポンコツなのかあるいは外車とはそういうものなのか、しょっちゅう壊れて修理代がかかった。あまり乗らないせいもあっただろう。
乗らないのなら売ればいいのに『売っても二束三文にしかならない』と兄は言い張り、親はなぜか修理代を肩代わりして払ってやっていた。
(散々修理代を払って直して、最後にはやはり壊れ、ろくに乗りもしないままに結局二束三文で売ったようだった)
マンションの支払いは親が続けていた。このころようやく、月々の管理費や積立金などの維持費だけは兄が支払うようになったようだった。
そのうち、バツイチ子持ちの女性Bさんと知り合い、今度は結婚した。Bさんについては自分はほとんど知らない。
その頃自分は向いていない仕事かつ長時間労働で心身を病みかけており、朝焼けの街を徹夜明けで泣きながら一人家路についたりしていたので、兄のことなど構う暇もなかった。
結婚式には一応出た。ストレスで過食気味になりむくんだ顔の自分が愛想笑いを浮かべて写っている写真は見返したくもない。
兄の結婚になんの感慨もなく、『これで普通の人間になってくれれば』と願っただけだった。兄に望むただ一つのことは『普通の家庭を築いてくれ』で、それ以上は望まなかった。
営業成績が良いのに浮かれ、独立すると言って仕事を辞めた兄だったが、ろくなノウハウもない個人のリフォーム営業がそうそう上手く行くわけもない。
あっという間に生活は行き詰まり、さっさとBさんに逃げられた(どうやら浮気されていたようだが、それを追い詰める気力もなかったようだった)。
そしてまた、マンションで自堕落な生活に戻った(もちろんマンション維持費は親払いに戻った)。
自分はずっと『兄を甘やかしすぎだ、マンションから追い出せ、マンションを売ってしまえ、でなければ兄は自立しない』と親に言い続けていたが、ずっとでもでもだってで聞き流された。
『(万引きなどの)前科があるから、追い出したら何をするかわからない。もっと悪いことになるかもしれない』『どれだけ言ってもあいつはこちらの言うことを聞かない』。これが親の言い分だった。
しみじみ、親も兄も情けなく、どうしようもないと思った。『お前は冷たい』と言われた。
『そもそも最初にあれが道を踏み外した時、お前の中学受験にかかりきりで、親としてろくに関わってやれなかったのが悪かったから』と。
そう言われて自分にどうしろと? 責任を感じろというのだろうか? もうとっくに成人していい年になった兄を憐れめと? 親でもない自分がなぜ親と同じ感情を共有せねばならないのか?
『ずっとそう言い続けて兄を甘やかして、それで状況が好転したか? 好転する見込みがあるというのか? 兄の自立を妨げているだけではないのか?』
そう言っても、親は同じ言い訳を繰り返して兄への甘やかし(マンション与え)をやめようとしなかった。
自分の中で、兄への嫌悪と親への嫌悪の比率は徐々に逆転していった。兄がどれほどのクズだろうが、どんな人生を送ろうがもはやどうでもいい。
自分と同じ親のもとで、恵まれた環境で育ったにも関わらず、兄は自ら堕ちていったのだ。兄の人生は兄のもの、好きに生きればいいしどこでのたれ死のうが勝手にすればいい。
兄よりも、そんな兄を甘やかし続ける親のほうに不信と不満が募っていった。なるほど、親がこうして甘やかすから兄は更生できないのだと納得した。
そして『兄が自分よりも甘やかされてる事実』にどうしても納得できなかった。自分を特別扱いしろというのではない、兄を特別扱いするのが耐えられなかったのだ。同じ子供として平等に扱ってほしかった。
自分の大学時代、兄は親が与えたマンションでゆうゆうと一人暮らしして、自分は仕送りを一切受けられずに生活費のすべてを自力で稼いだ。
就職してから、兄は親が与えたマンションで好き勝手に暮らして、自分は親に金を入れていた。家に金を入れるのは当然だと思う気持ちもあったが、理不尽だと思う気持ちはどうしても拭えなかった。
その気持ちに耐えられず、『兄と比べてあまりにも不平等だ、兄にも金を支払わせろ、兄を甘やかすのもいい加減にしろ』と泣いて言ったら、『じゃあこれからお前も金は入れなくていい』と言われた(そうじゃないだろ)。
家庭のことや仕事のことなど色々あり、結局自分は新卒で入った会社を3年ほどで辞めてしまった。親に『30までにやりたい道(フリーランス)で食っていく目処をたてる』と誓い、宣言どおりに28で目処を立てた。
兄は親が見つけてきた非正規パートの仕事をなんとかこなし、その頃にはそこそこ年季も入って板についてきていた。新しい彼女(Cさん)もできたようで、マンションで一緒に暮らし始めた。
だが、そんな矢先。兄が、クスリで捕まった。
最初に一報を聞いた時、親はともかく、自分は『まあ、あるだろうな。やっぱりな』としか思わなかった(基本的に兄の人格を信頼していないので、何を起こしたと聞いても『やりかねない』としか思わない)。
もちろん家族の誰も気づいていなかった。家族の目の届かないマンションでずっとやってきたものらしい。
自分は『言わんこっちゃない、だからマンションから追い出せとあれほど言ったのに、甘やかし続けた結果がこれだ』と親に言った。親は『そんなこと今更言っても仕方ない』としか言わなかった。
そこからの詳細は省くが、兄は執行猶予がついて戻ってきて、兄を見捨てなかったCさん(菩薩かよ)と今でも親の与えたマンションで暮らしている。Cさんが見張っているので再犯はないと思いたい。
Cさんには敬意と感謝しかない。彼女がいなかったら兄はもっとだめになっただろう。
しばらくCさんに食わせてもらっていた兄だが、今はまた派遣で職について、そこでの仕事も軌道にのってきたようだ。今度こそは歳も歳なので落ち着いたと思いたい。
(ちなみに、また維持費だけは払うようになったが、購入費は一切払っておらず、名義は父のまま。毎年実家よりも高い固定資産税を払っているのも父)
兄はもうどうでもよく、二度と犯罪を犯すなCさんにだけは迷惑をかけるなCさんだけは大切にしろとしか思っていない。
残念なことに、自分の中で兄の見方が変わることはこの先死ぬまでない。今の兄と表面上でも付き合えるのはCさんあってこそだ。Cさんを姉と慕っても、兄を兄と慕うことは生涯ない。
きょうだいは他人の始まりとはよく言ったもので、兄への気持ちはもうこれでいいと落ち着いている。
だが、「未だに」なのか、「今だからこそ今まで積もり積もったものが」なのか、自分の中で親へのわだかまりだけはどうしても消えない。考えると落ち着かず、心がざわつく。
もう親も老い、自分もいい年だ。親も人間であり、それも見栄っぱりで子供を平等に扱わず贔屓するようなできの悪い人間だったんだと納得するしかないとわかっているのに、
自分はどうしても、親に『自分たちが間違っていた』と言ってほしい。子育ての過ちを認め、自分がどれほど辛い思いをしたかを理解し、悪かったと謝ってほしい。
だが、過去に喧嘩した時の経験から、親は絶対に自分の過ちを認めない、ましてや子供から言われる言葉を決して正面から受け止めないとわかっている。
『それが親に対して言う言葉か』『何様のつもりだ』『はいはい、全部こっちのせいだって言いたいんでしょう』…そう言って絶対に絶対に自分の過ちを認めない。老いた今、なおさら頑なになり認めないだろう。
自分は自分なりに、親の期待には応えてきたと思う。教育で親に金をかけてもらった事は感謝しているが、それだけの成果をちゃんと出し、結果をだした。
なのになぜ、自分は兄と同じに扱われなかったのだろう。自分だけが要求され、応え続けねばならず、それなのにそれを評価もされなかったのだろう。
これを言うと嫌な人間だと思われるだろうが、客観的に見て自分のほうが親に貢献しているしまともな人間として育った(少なくとも前科ものでなく、親に迷惑をかけていない)という自負があるだけに、やるせない思いがある。
本来なら自分のほうが親に贔屓されて然るべきではないのかという思いがあることは否定しないが、贔屓してほしいとは言わないしするべきでもない。
ただ自分に求めるものは兄にも求め、兄に与えたものは自分にも与えてほしい、子供の間に差をつけないで平等に接してほしかっただけだ。
男女の差だというのならばなおさら、兄には『長男』としての役割と責務を求めるべきだったろうに、なぜ私が長男の役割も果たさねばならないのだろう。
兄が結婚した時、自分は『兄が孫を作ってくれたらそれだけが兄の親孝行だ、自分にも兄がいた意味がある。せめてそれくらい孝行しやがれ』とわずかに期待したが、兄は子供を作る間もなく離婚した(そもそも作る気もない)。
母は自分にだけ言う、兄には絶対に言わないのに、『老後の楽しみがほしい、孫が見たい』と。
子供はジジババの楽しみのために産むもんじゃねえし産んでおしまいじゃない、何ならあなたがたが育ててくれんの? 育てる金あるの? と応えたら沈黙した。
そんなに孫が見たいなら兄に言ってくれ、男なんだから自分よりよほど確率が高いだろうと言ったら、『あの子に育てられるわけがない』。『何を言っても無駄』と言って、兄には20年以上何も要求しない。
『精子バンクとかあるでしょう』『50歳で産んだって例もあるし』とまで言われた日には本当に失望した。
50歳で産んだ女性はほぼ卵子提供で母方の遺伝子は入らないし、養子じゃ嫌だってんならそれ(母方の遺伝子が入らない)も嫌なんだろうに。
そもそも出産までにどれだけ苦労したか(流産だって何度も経験してるはず)、不妊治療にどれだけお金がかかったかわかってて言っているのか、そして不妊治療と高齢出産がどれだけ母体に負担がかかると思っているのか。
娘の体など、自分の楽しみのためにはどうなってもいいのだろう。
孫の立場にしたって、父親がいない家庭に生まれることになるのだが、そういったことを考えてもいないのだろう。ただ、自分が欲しいから、だ。
私の結婚も、自分の見栄だけのためにしてほしかったらしい。大切なのは見栄と体裁で、娘の幸福などどうでもよかった。
『結婚しない女はなにか問題があると思われる』なんて言われても、それはあなただけの醜い価値観だろう、未婚率が三割の時代にそんな事思うほうが少数派だ。
図らずも未婚女性への「己の偏見」を曝け出したことにも気づかずに、『あなたのために言っている、それが世間だ』などと諭してくる醜さ。兄にも同じことを言えばいいのに。
『結婚しろ』と言われるのが嫌で、それを避けるために誰でもいい、一回結婚さえすれば文句を言われまいと思って結婚したけれど、上手く行くわけもなく2年も経たずに破綻。
(付き合っていた人とは、兄の事件で別れざるを得なかった。結婚した人には家族ぐるみで兄のことを隠した。そんな結婚うまくいくわけもなかったし相手には申し訳ないことをしたと思う)
その時の言葉も『せめて2年は持たせろ、外聞が悪い』『相手の親に私(母)の顔が立たない』『どうせお前のわがままだろう』…出てくるのは己の見栄と体裁のための言葉だけで、一度も娘の心情を慮る言葉は出てこなかった。
兄が同じように2年程度で破綻した時、兄に同じ言葉を突きつけたなら、そういう人なのだと納得もできたかもしれない。だが、兄の離婚に関して親は兄に何も言わなかったのだ。
思い出したので、なんとなく書き留めておく。
その日もいつも通りのバスだった。
季節は恐らく春か夏。
退勤処理をして外へ出るとまだ空は明るくて、なんだか得した気持ちになった。
その路線バスは車両の前側から乗って真ん中あたりから降りるタイプ。
乗り込むときに運転席の横で電子マネーをピッとやる。都会のバスは優しいのでどこで降りても定額料金だ。
番号のスタンプされた乗車券を握りしめ着々と値上がっていく電子料金表をビクビクしながら見つめ続けなくてもいいんだ。とてもやさしい。バス停に屋根もあるし。
停車しきる前から開いてるんじゃないかという勢いのドアから乗り込み、ピッとやって、運転手へゆるく挨拶して、歩きながら車内を見渡す。できれば座りたかった。
手前の一人がけの席は埋まっている。じゃあ奥の二人がけの席はどうかな。
人間2人分強はありそうな巨漢だった。
別に両国は近くないからアレは十中八九ただの巨漢だ。ただの巨漢が奥から数えて2つ目の座席に窮屈そうに肉を収めていた。
巨漢と窓の間にサラリーマンが挟まっていたのでよく覚えてる。
二人がけ座席は手前に1つ空いているのにわざわざサラリーマンを圧縮している巨漢は見るからにやばそうだった。
ぶよぶよしている。関わりたくない。
心のなかでリーマンへ合掌して手前の空いている席を目指した。
新たに乗り込んだ客は自分ひとりだったため、申し訳ないぐらいゆったり座れた。
自分が強い人間だったらあのリーマンを助けてあげられるのになと、のんきに車窓を眺める。
次の停留所で巨漢が動いた。
バスが停まり、老婆がひとり降りていった。遅れて巨漢が立ち上がり、降車口近くに座っていた自分の横までやって来る。
「ああ降りるのか」と思った。
リーマン開放されてよかったな~とにっこりしたのもつかの間、なぜか巨漢の尻がこちらにめり込んでくる。
何を言っているのかわからねーと思うが気付いたら巨漢と窓の間に挟まっていた。
右のひんやりは窓ガラスだ。その向こうの景色はゆっくり動き出している。
反対側は巨漢だ。自分の装備はスーツで長袖長ズボン。なのに向こうのTシャツからはみ出た肉のしっとりひんやりしている感じが、なぜか伝わってきていた。
なんで降りない?なんで座った?なんでとなり?
混乱のさなか、さきほどのリーマンのように圧縮されている自分を遠くから見たような気がした。
それどころではないので次の停留所までこの状況に耐えられるのか考えてみた。
この時間はバスがたくさん走っているから、降りてもあとから来るやつに乗り換えればいい。
町並みから察するに次の停留所はトンネルの向こうだ。ちょっと遠い。
ムリ。
まあムリ。
肉を押しのけた。とにかく立ち上がった。
立ち上がったが、肉壁が行く手を塞いでおり通路へ出られない。
天罰だとしても身に覚えがなさすぎる。
今すぐここから開放されたい。
しかし巨漢に悪意はない可能性をこの数秒では捨てきれなかった。だって悪意あったらこわい。
万が一にもピュアかもしれない生き物相手にいきなりミッション・インポッシブルなスタントで脱出を試みられるほど、自分は鍛えられていなかった。
では元に戻れるかというと、先ほどまで尻を収めていた座面はもう肉で見えなくなっていた。
肉の主は、無言で進行方向を見つめている。
戻れないなら攻めるしかない。
何を得て何を犠牲にするかの判断が明暗を分ける。形成は圧倒的にこちらが不利だ。
彼にとっても魅力的な提案のはずだ。
なんといっても窓際はいい。散歩しているわんこも見られる。窓ガラスだってひんやりしている。
方や自分はといえば通路側という呼吸するスペースを手に入れられる。
お互いメリットだらけ、Win−Winだ。
なのに肉のやろう渋りやがった。
ヤツの表情はイマイチ読めなかったが動く気はないらしいのは理解できた。
もう絶対にここから逃げ出す。自由を手にすると心に決めていた。
「次の停留所で降りるんです」
ダメ押しにと震える手で降車口を示した。
バスではよくあることだ。
座ってようやく落ち着いた頃、窓側に座っている人間が停車ブザーを鳴らし、次で降りると主張する。
また立つのは正直めんどくさい。どんな善良な人間だってそう思う。
君が嫌いなんじゃあない。
君に面倒をかけるのが申し訳ないんだ。
だから席を交代しよう。
一度こちらの提案を棄却している彼だ。重ねての親切を無下にはしにくいだろう。
更にこれは日常的に乗客間で行われているごくありふれたやりとり。
それを受け入れないのは不自然。このシーンでの不自然は悪意を浮き彫りにする。
これで動かなかったらいよいよトム・クルーズになるしかない。とルートを探り始めた頃。
目の前を塞いでいた肉はのそりと動き出し、ようやくその向こう側に通路が見えた。
やった!生きられる!
いつでも動けるようカバンを抱え直すと、空の弁当箱がカチャリと小さな音をたてた。
焦るな。今じゃない。
ギリギリの空間へ体を滑り込ませた途端プレスされて圧死なんてシャレにならない。
必要なスペースを見極めろ。その瞬間を見逃すなーーー
巨漢が巨漢なりに窓際へ収まったのを確認してから、こちらもようやく座席へ腰をかける。
勝った。勝ったのだ。
隣りを見れば圧縮リーマンに多少厚みが戻ってきていた。それでも前髪は乱れてげっそりして見える。
おつかれリーマン。ほんとうにおつかれ。
なんか巨漢がこっちをチラチラ振り返ってくるがそんなことは関係なかった。
そのうちバスは次のバス停へ止まったが、誰も乗らなかったし誰も降りなかった。
自分はそのまま終点までバスに乗り、ほかの乗客と一緒にバスを降りた。
巨漢は席を立つタイミングを逃したようで座席の横を通り過ぎる人々を見送りながらもぞもぞしていた。
それきり二度と会わなかった。
https://anond.hatelabo.jp/20190116002617
これの補足です。
消費税の納税が辛い辛いって書いたら「消費税請求してないの?」という主旨のコメントをいくつかもらった。もちろん請求してるし、それを収めるだけなので辛いとか痛いっていうのは道理にあわないのも百も承知である。「むしろ払うのが普通で売上1000万以下の事業者は免除されてるだけだぞ」というお叱りはごもっともである(震え声)。
ちなみにブコメやトラバで、H35年から1000万以下でも消費税納税が必須になるということを教えていただいた。
https://anond.hatelabo.jp/20190116091309
フリーランスにとっては大きな問題だよね。そして「平成35年は訪れないからへーきへーき」というトラバとそれにぶら下がる一連のトラバが草
いちおう事務所、車、水道光熱費、通信費などは税理士さんに相談のうえ、自宅用、事業用でしかるべきかたちで按分してる。あまり無茶して税務調査にひっかかったら税理士さん自身の失点になるわけなので、まあ常識的な感じでやってると思う。その他雑多な支出に関しては、俺がこういう細かいところで悩むのは時間の無駄なので、記帳をお願いしてる嫁には「あまり深く考えず少しでもグレーならとにかく全部経費計上して」と伝えてる。んで税理士さんから「これはちょっと・・・」と困り顔で電話が掛かってきてストップしてもらうイメージ。
余談だが、クレジットカード明細を確認する嫁に「この<ディーエムエム>ってなんだっけ?」と聞かれて返答に窮するのが我が家の春の風物詩になっている。適当にお茶を濁すけどね。最近では「ファンザ」になってるのだろうか。怖くて明細見てないがお茶を濁すのが難しくなるな。
実はスター買ったことないのでここは冗談だったのだが、はてなのプレミアム会員?だっけ?有料のやつは経費にしてる。ブログでの情報発信も業務のうちなので(しかし全然ブログ更新してないので現状無駄金だ)。ちなみに言われて考えてみたのだが、スターだってもし本当に買えば情報収集にかかる費用として経費計上ありなのでは?とも思う。ITやWebに関する情報、市場動向、国内・海外情勢に関する情報なんかでブコメが参考になることは多々あるし、そういったブコメにカラースターをつけるのは業務と不可分だといえば通らなくもないような。。。知らんけど。
いつの日か数百万円分のカラースターを購入し全額経費計上して税務署に睨まれて「このダジャレについてるカラースターも業務と不可分ですか?」などと突っ込まれて慌ててみたい。そしてカラースターの按分計算についてマルサと激論を交わし、横で見てる税理士さんに「だから言わんこっちゃない」とため息つかれたい(ついでに<ファンザ>も「ソフト代」として費用計上してることがバレて赤っ恥かきたい 注:フィクションです)。
了解です。ここもまあ言葉の綾なので、適宜「2ちゃん」「人力検索はてな」「Macお宝鑑定団」「侍魂」などに置き換えて読んでいただければと思います。
そうなのか!この辺の話かな https://townwork.net/magazine/knowhow/taxes/62818/
よくわかってないので調べてみよう。ありがとうございます。
イデコやってるよ。先進国インデックスファンドと、新興国インデックスファンドを買ってる。でも子供が最も金かかる時期なので掛金額はいま減らしてる。按分は上記の通り税理士さんにお任せで、しかも決めたのがずっと昔なので正直覚えてないのだが、半々くらいだったと思う・・・。節税対策もやはり上記の通り税理士さんお任せなので参考になる情報はほぼ持っていない。すまん。しかしどうなんでしょう。Webデザイナーという元々が低コストな職種だと、できる節税対策ってあんまりないような気もしています。せいぜい売上が1000万近辺になりそうな年度のときに、1000万未満を死守する程度かなと。
"実際に私も周囲の人間や環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分の選択からしか生まれなかった。"
中高の頃は理学部で宇宙の研究をしたいと思っていたけれど、親戚と、親戚に引きづられた親の強い薦めで資格の取れる薬学部に進学した。果たして結果は、入学したはよいものの留年した上ドロップアウトしかけるなど散々なものだった。意を決して道を変える際にも強硬な反対にあったが、今は割と幸せに暮らしている。
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他の人は善意で自分に助言をしてくれるのかもしれないけど、その選択を自分が主体的に選ばない限り、たとえ成功しても自信にはならない。それに、人によっては、自分の助言に従って他人が成功したときには「私の助言があってこそ」、従わずに失敗したときには「言わんこっちゃない」、従って失敗したときには「お前の実力がないからだ」とうまく使い分けてくる。そういう人は、人が自分で人生を選び取る力を奪い取っていく。
周囲の声に耳を傾けつつ、最終的にしっかり自分の頭で下した選択なら、成功しても失敗してもそれなりの納得はできるものだ。それができるようになるには、幼い頃から自分で物事を決め、チャレンジすることこそが重要だと思う。チャレンジすると言ってもいきなり全人生をかける必要はないし、それに今の時代、失敗してもリスクのほとんどない「お試し」の機会なんていっぱいある。
大学関連ならオープンキャンパスは大学の雰囲気を肌で味わう良い機会だし、もっと踏み込んでみたければ授業に潜ったり、研究室にメールを出して見学させてもらってもいい。そういう機会は、大学に入る前から入ってからも常にある。
たとえそれに自分が向いていなかったり、やりたくないと思ったら、それはむしろ成功の部類だ。なぜなら、今後自分が行くべきでないところを避けることができるのだから。もし大学の先生や企業にメールを送って返って来なかったら?それもリスクゼロだ。返信してこない方は、迷惑でもなんでもなく、ただメールを一瞥して無視しているだけでなんの認知資源も必要としていない。そこが無理なら、他を当たればいいだけのことだ。
こういう「小さなチャレンジ」はやらなくても漫然と人生が過ぎていってしまうし、少しの勇気が必要だけれど、いきなり大学や企業を決めてそこに入ってしまうよりはずっといい。「小さく失敗しろ」という言葉をネットで見たことがある。まったくその通りで、小さい失敗を繰り返す速度が早いほど、人はよい選択ができるようになると思う。
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そして、小さなチャレンジをすることが特に必要な人がいる。それは、「やりたいことしかうまくできない」度が高いような不器用な人たちだ。私も含めて、そういう人ほど本当に自分がやりたいことを探すことが重要で、小さなチャレンジはそのために必須のプロセスなのだ。器用な人ややりたくないこともイヤイヤやってしまえる人は小さなチャレンジなんてしなくても、そこそこ好きな場所でそこそこの働きをして、そこそこの幸せを得られるが、不器用な人にそれは望めそうにない。しかし困ったことに、不器用な人ほど失敗を怖がる。彼らは、小さい頃から人より沢山失敗を繰り返さざるを得なかったし、周囲の人に理解がなければその分怒られ続けただろうから。
だから、これを読んで失敗を怖がっているような若い人がいたら、ぜひ失敗を責めるような人から(少なくとも精神的には)離れる方法を見つけて、小さなチャレンジをしてほしい。もし大人になってしまった人が読んでいても、まだ遅くはない。大きなチャレンジはリスクが大きいけど、小さなチャレンジは生活を壊さずにトライできる。そして、自分の子供が不器用なら、「どんどん失敗しなさい、けれどいきなり全てを賭けるのではなく、小さく試しなさい」と教えてあげてほしい。