はてなキーワード: ダスティン・ホフマンとは
読解力読解力と連呼する人ほど読解力がない現象だ。こわい。コンプレックスがあるからなのか。誰のどの主張に対して反論しているのかまず自分で整理してほしい。
・主張を自分の都合のいいように途中で変えるな。「白人中心主義であるとでっかく出てくる」から「白人男性中心主義が""最初に""特徴として出てくるのはおかしい」という順序の問題にすり替わっている。
・そもそも、北村氏も俺も誰も「ニューシネマの最初の特徴として白人男性中心主義は挙げていない」。わかる?元記事読んだか?「白人」とかのワードが出てくるのはかなり後半だ。最初に特徴として挙げているとかは普通に嘘だ。
・北村氏はお前も認めた「ニューシネマは白人男性中心主義」だと言及しただけで、別に「これが一番の特徴です!」とか言っていないよね。特徴って話はどこから出てきたの?
・発端の映画レビュー自体「フェミニストの立場から感想を述べる」って企画なんだから男性中心主義が「でっかく」でてくるのは当然だろ。馬鹿かよ。そりゃフラットな場でいきなりすべてをすっ飛ばして「ニューシネマの特徴は白人男性中心主義です」とか言い出したら俺もおかしいと思うよ?でも今回の企画の趣旨的に男性中心主義にふれるのは自然だよね?そしてその扱いもいうほど「でっかい」か?
映画史的にはルッキズムに支配されてたスターシステムが崩壊して、ダスティン・ホフマンやアル・パチーノやデニーロみたいなちびっこでも主役張れるようになった革新的な時代
・↑お前も「革新的な時代」と言う割には例として挙げている俳優は男性だけだよね?この点から見ても「男性中心主義」について言及するのは自然だと思うけど。
・前の時代から大きく変化がないことは特徴ではない、という点も意味不明。「一番の」特徴ではないという意味であれば首肯できるけれど。
総じてお前が何に怒っているのかわからない。ニューシネマの特徴としてスターシステムの崩壊を上げるのも別に否定しない。繰り返すが北村氏もスターシステムの崩壊に触れている。
「スターシステムの崩壊を差し置いて、ニューシネマの一番の特徴は白人男性中心主義であると主張した人」をまず屏風から出してくれ。
ヒント:ゼレンスキーもダスティン・ホフマンも既婚者
ゼレンスキーやダスティン・ホフマンの人生を参考にしたんだね
※ネタバレ
特に映画に詳しいわけでもないけれど、現代社会が舞台で肩ひじ張らない娯楽映画が好き。
ただ、そういう映画って何かのランキングとかに紹介されることもなく、だんだん忘れられてく感じなので、とりあえず3本くらい選んでみる。
自分の中でプロデューサーというとこの映画のダスティン・ホフマン演じるスタンリー・モッツ。傲慢で厚かましく側にいたら絶対うんざりするだろうけど仕事は進めてくれるだろうという信頼感はある。「That's Nothing!!」
なお、この映画、例のビル・クリントンとモニカ・ルインスキーの件が公になる前に封切られてる。映画の演出がフィクションを強調している(飛行機が落ちて無傷…)のも妙に迫力がある。
イスラムテロリストと戦わないといけないけど、そのために先軍政治になってしまってはダメだよね、という今なら不思議でも何でもない映画の製作が同時テロ前という。00年代の予習みたいな映画。
一部俳優が大物過ぎてひっくり返る(名演というか迷演というか…)。
当時クライムアクションという触れ込みだったけど、アクションではない…(ただ妙に盛り上がる)。サスペンスでもない。とんでもなく悪意たっぷりの視線でアメリカの田舎をこき下ろした映画。
今だったら、ポリコレ勢と保守派の両方から袋叩きにされること請け合い。インモラルさ半端ない。ただ、自分はこの映画で、神と銃とピックアップトラックのアメリカがあることを知ったのも確か。
数ある法廷映画でもこの映画が好きなのは、やはり相手役のキャラが立っているから。良い仕事には、良い環境が必要。昼休みに電話をかけてくるものは滅びるべし。
イギリス映画といえば「フル・モンティ」や「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」が有名ですが、これもじんわり心が温かくなる佳作。ヤクザの高齢化問題を先取り。バイオレンスで夜の生活もばっちり。
会社で、上司のやる気がないってイキってる若い人にやさしくなれる映画。
高校の科学教師って電話組み立てられるんだという驚き(ネタ)。1条件でどんどん場面を転がしていくのに舌を巻く。題名通り携帯電話使ったギミックが沢山。
ともあれ着信音がうるさい輩は万死に値する。
ごめんなさい。ファンタジー映画でした。でもファンタジー世界でも、人は業から逃れられぬのよね。
無垢っぽいキャラクターで話を作っているところが意地が悪くて好き。
女賞金稼ぎって異世界にしかいないんじゃないの?という良識ある皆様を裏切るノンフィクションベースの映画。やっぱり人質司法はよくないよねって思う…かな?
自分は最高にハイだったけど、LSDキメてんじゃないかというポケモンフラッシュ系の演出があるので注意。
ごめんなさい。これもファンタジー映画でした。ウィキペディアにそう書いてあるし。ファンタジー映画です。でも、あまりファンタジー好きの人に受ける気がしないな。
近所のお兄さんの頭の傷は、ロボトミーじゃなくて脳梁離断術というのをきちんと分かったうえで演出しているのが良いですね。
これもトニー・スコット監督だった。悪役のキャラが立つのはよい映画。フェアであればその結果破滅してもいいよねっていうビジネスの狂気。
自分もいろんな投資に手を出してきたので、ちょっとこの悪役の気持ちがわからんでもない。
皆様大好き、ウェブの片隅に現れる胸糞漫画の広告。それの決定版みたいな映画。手心一切なしスカッと復讐。
スーパーエンジニアの主人公がスーパーすぎてそこに痺れる憧れる?
頑張って2本探してみたけど、最後の一本は紹介してくれたらうれしい。
ブコメへお返事
原罪とか楽園とか聖書ワードで楽しむ物語として創ったんだとは思うけど、けなげな主人公はそれだけで応援したくなるよね。
法廷ものだと『ザ・ファーム 法律事務所』『ペリカン文書』『評決のとき』等々、90年代に数多く制作されたジョン・グリシャム原作作品が好きでよく観てたなあ。
3っていくつだっけ……
1、2、…たくさん
増田の例はあんまり社会派感感じなけど、社会派娯楽映画ならマイケルマンのインサイダーが好き。社会派抜きならヒートのが好きだけど
「ニュースの天才」ヘイデン・クリステンセンの闇堕ちが、スターウォーズ以外でも見られます。
エリン・ブロコビッチ好き。あと女神の見えざる手も
うん好き。ちょっと重いけどね。
映画は主にかっこいい俳優目当てで見るので、マーシャル・ローはブルース・ウィリス、ロンドン・ドッグスはレイ・ウィンストン、完全なる報復はジェラード・バトラー目当てで見た。完全なる報復はラストが超胸糞。
ラスト胸糞と思うのは筋が通っていてよい。クズを殺してすっきり、でもその後はやりすぎじゃね、で主人公を殺してすっきり、という定見のない観客をあてこする映画と思うので。
確かに1回しか見てない映画もあるし、歴史の試練に耐えるかというとそうではないだろうけど、たまに思い出す系映画。
クリント・イーストウッド(夕陽のガンマン、荒野の用心棒、ダーティハリー)ダン・エイクロイド(ブルース・ブラザーズ、ゴーストバスターズ、マイガール)シガニー・ウィーバー(エイリアン、ゴーストバスターズ、アバター)サミュエル・L・ジャクソン(スターウォーズ、アヴェンジャーズ、ダイハード)ぐらいか。
デニーロもパチーノもダスティン・ホフマン、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、ロビン・ウィリアムズ、トム・ハンクスもシリーズとなると一つだし似たような映画が多い割にはアラン・ドロンもジャン・ポール・ベルモントも単発ばかり。
全体的なストーリーがある映画やドラマの中の一コマとして、登場人物がフィクションとして痛い目にあうのは許容されるべきであると私は思う。
例えば、映画『メリーに首ったけ』の冒頭で、主人公がズボンのファスナーに性器を挟んで大惨事になるという場面があるが、これはベン・スティラー本人が本当に性器を挟んで負傷しているわけではない。しかし、この場面は笑える。いや、下ネタが苦手な人は笑えないかもしれない。私が挙げた例が不適当だと思う人は、他の適当な作品や場面に置き換えてもらいたい。
何を言いたいのかというと「本物の暴力や苦痛を演者に与えなくても、観客を笑わせることは可能である」ということである。これは、殺人事件を描いた物語を作ることで観客に感動を与えるために、本当の殺人を行なう必要は無いし、難病系恋愛ドラマで観客に泣いてもらうために、俳優を本物の病気に罹患させる必要は無い。それと同じことである。映画『マラソンマン』で、ハアハア言うために走ったダスティン・ホフマンは、ベテラン俳優から「何故、君は演技をしないのか?」と批判されたが、お笑いの現場でも同じことが起きつつあるだけのことだ。
笑ってはいけない等の、本物の暴力や苦痛を演者に与えなければ笑いを取れないような、製作者の能力が低いお笑い番組は消えるだろうが、それは望ましいことである。
久しぶりにヒートを観てて、ふと思ったんだけど、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノとダスティン・ホフマンあたりって、役柄のオファーめちゃくちゃ被ってそうだよね。
それぞれが入れ替わってたら、また映画の印象も変わってたんだろうな。
トム・クルーズが若い頃、たしかトップガンの次の次ぐらいに出た作品で、アカデミー賞を取っている。
△△△
主人公のチャーリー(トム)は、父の遺産相続問題をきっかけに、自分が物心つく前から施設に入ってて存在すら知らなかった兄のレイモンド(ダスティン・ホフマン)と再会して、施設から無理やり連れ出してはみたものの、自閉症のレイモンドが次々にやらかす奇行にすっかり参ってしまう。飛行機で移動しようと空港に行けば、「ABC航空はダメ、19xx年x月x日どこどこで墜落○○人死亡。DEF航空?ノー!19xx年x月x日○○人死亡……」と百科事典のように正確な記憶力を見せて暴れ回る。
弟がいくら確率を持ち出して説得しても兄のパニックはおさまらない。
根負けしたチャーリーが数千キロもの行程を運転して行こうと高速に乗れば、今度はハイウエイの死亡事故統計を口走って「いやだー!死ぬー!」と絶叫するレイモンド。
「どうすりゃいいんだよ!」とキレたチャーリーは、名前のない田舎道ばかりを走って西をめざすことに。野原の真ん中のうらぶれた安宿で熱いバスにでもつかろうと湯の栓をひねると、「ダメーーー!そんなことしたら赤ちゃんが!」とまたしても半狂乱に。
△△△
映画だと、レイモンドのこの熱い湯船トラウマをきっかけにして幼かった兄弟の心の触れ合いの記憶が少しずつ呼び戻され、そこからしみじみと感動的なラストに向かって物語が動いていくのだけれど、別にここでなつかし映画語りがしたかったわけじゃない。
書きたかったのは、あの日以来、俺の嫁がレインマンになってしまったってことだ。
たぶん俺の嫁だけじゃない。日本中で、いや、遠く韓国や中国、欧州にも、突然たくさんのレインマンが生まれてしまったんだ。
△△△
「大丈夫だよ、この説明を見てみなよ」
「そうは言うけど、実際言われてるような事態にはなってないじゃん」
等々、いくら条理をつくして話し合ってもダメなのだ。
嫁は怖いのだ。
安心より、怖いという気持を選んだのだ。
だから、科学的にマユツバだと言われようと、自分の原始的な恐怖心にフィットするものばかりに注目し、耳を傾ける。そして言う。
「ほら、ご覧なさいよ!みんなそう言ってる」
嫁がブックマークしているサイトやフォローしているツイッターの発信者名を見て、俺は失神しそうになった。
俺のTLでは、「○ン○○」だの「○ル○」だのと認定されている名前がきら星のごとく並んでいる。そう、微生物がコロニーを作るみたいに、彼らはお互いに引かれ合って堅固なオピニオン集団を形成しているのだ。
嫁が俺じゃなくて○○○○や○o○の行進についていく。
マジかよ。
勘弁してくれ。
△△△
映画のチャーリーとレイモンドのような取っ組み合いにはならなかったけど、来る日も来る日も絶望的な言い争いが続いた。
わが家の食卓からはいくつかの食品が完全に姿を消し、子供は給食の牛乳にかえて水筒を持参するようになった。俺自身の親兄弟との関係もぎくしゃくしている。嫁が何か新しい心配の種を仕入れてくるたび、子供に新しい命令/禁止を下すたび、俺と嫁は決着のつかない論争を繰り返した。
△△△
でも。
俺には嫁を放り出すことはできなかった。
「愛してるから」かと聞かれても、正直うなずけない。
そんなきれいごとにしがみついていられるには、醜悪なものを見過ぎてしまった。
でも、俺がここで見切ったら、嫁には行くところがない。
子供は俺一人でもなんとかなる自信はあるが、子供は俺のことも嫁のことも愛している。
もちろん、俺も嫁も、それぞれの人として限られた能力の限りを尽くして子供を愛している。
△△△
四捨五入すればもう五十になろうっていうこの年で、いきなりレインマンと暮らす羽目になるとか、誰に想像できただろう。
ここで「考えや感じ方が違いすぎて落としどころさえ見つからない相手」をレインマンと呼ぶ俺には、全方向からごうごうたる非難が浴びせられるだろう。
嫁のコロニーからは「人をバカにするな!」と言われるだろうし、
俺のTLで気を吐いている闘士たちからは「ダスティン・ホフマンのようなほのぼのキャラに喩えるなどぬるいわ!」と批判されるだろう。
そしてなにより、現実に自閉症の人々と生活し、関わっている人たちからは、「偏見もいいところのとんだ愚か者」と指弾を受けるに違いない。この文章は、何の関係もないそれらの人々を引き合いに出す意図で書かれたものではないが、だからといって失礼が帳消しになるわけではない。そういった方々には心からお詫びしたい。
△△△
ただ。
映画の前半で「何やってんだよ!」ってキレまくって、少しでも兄に普通の行動を取らせようと無駄な努力にきゅうきゅうとしていたチャーリーが、レイモンドの目に映っている世界を、レイモンドの視点から理解して、彼に共感はできないものの、たった一人の肉親としてずっとそばにいようとするようになっていく過程を思った時、そこにはこれまでの俺の文字通りハゲになりそうな苦しみに、なんというか一条の光を投げかけてくれるヒントが潜んでいるんじゃないかって思ったのだ。
レインマンの奇行を迷惑がって、施設に追いやってしまうことも一つの道だけど、
そうはできない家族にとって、できることはなんだろう。
チャーリーは、自ら悩み苦しみながら、レイモンドへの愛を見つけて再生できた。
俺はまだ、嫁への愛を見つけ出していない。
△△△
うちのレインマンは、雨の日を極端に恐れている。
雨が降ると、家族全員に外出を禁止する。
雨じゃなくて、嫁に降り込められたうちの中で、俺はダスティン・ホフマンの顔をしたどこかのラスボスに祈りを捧げる。
――なあ、レインマン。
――ここに来て、歌ってくれよ。
――心に火傷を負った俺たちみんなのために。